❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

  ♪:*:.:*:♪ ・らいぶ情報・ ♪:*:.:*:♪

     ❤ 2018年2月3日(土)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
17:00 オープン  18:00 スタート
★月下陽香イキザマ晒し劇場【 千秋楽 】・(活動休止前イベント)
出演:月下陽香 / えんちゃん / HATTREAT

     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!



  ♪:*:.:*:♪ ・CD情報・ ♪:*:.:*:♪

  ◆ ファーストシングル ・ 花いばら ◆
            2曲入り ¥500-
            2014.5.24 発売
花いばら

  ◆ セカンドアルバム ・ 生きてるからね。 ◆
            6曲+1曲入り ¥1000-
            2011.8.21 発売

いきてるからね。

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孤独の中で壊れそうなのに…。(現在に向かう私・16)

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壊れそう…。


もう

壊れそう…。



壊れそうなのに

誰も気付かない。



みんな楽しそうだ…。


私は

いつも
馴染めなくて


ここから

独りで

観てるだけ。




真ん中から
吹き出す痛みに


孤独の中で
息をしている。




消えてしまいたいよ…。




沢山
沢山

溢れて
渦巻いた

年月。


【 癒え待ち野バラ -イエマチノバラ- 】



11月が終わる。






2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「自傷癖と摂食障害を晒して在る証。」(2014.11.20)】

【「自傷と摂食障害の30年間を晒して向かう日々に。」(2014.11.25)】

【「垂れ流す偏在な毒の華はイキザマだから。」(2014.11.26)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着きを書き続けて居る。

【「己をこの世から消しても私が遺すもの達。」(現在に向かう私・14)(2014.11.24)】

【「キズグチに重ねて切り付ける日々へと。」(現在に向かう私・15)(2014.11.28)】





月下陽香の始まりから
しばらく
活動を共にしたギタリストとは
もうステージに立たなくなった。


セカンドアルバムの
サポートをしてくれた
ギタリストと

もうひとり
バンドに加入したギタリストも

月下陽香を
手伝ってくれる事になり


私は
嘘に我慢をして
背負い続ける活動を


終える事が出来た。




大阪へ来て

やっとの想いで
復帰した音楽活動。


血を吐く努力の果てに
取り戻した歌声。



なのに

そこには
深く傷付く出来事が多過ぎて

それでも

大きな焦りの中で
私は
走り続けて来たが


それは
いつも
孤独で
苦しくて
たまらなかった。





初めて
私の音楽活動は
穏やかに
安定した中で
始められたように思えた。


嬉しかった。

楽しかった。


でも

それも
ほんの3~4ヶ月程でしかなかった。





過程の続きを書いてゆこう。





一見
穏やかに行き過ぎたのは

ほんの一瞬だった。



その頃
父が定年を迎えた。




父の事は
これまでにも
記事のあちこちに
色々と書き綴って来た。


とにかく
手の掛かる面倒な男だ。




父子家庭でも

父親が家事をし
子供を育てる家庭も

世の中には多く在る。


しかし
我が家では
それは
在り得ない光景だった。



家に帰れば
食事が出来ていたり

掃除がされていたり
洗濯が終わっていたり


そんな経験を
私はした事が無い。


全ては
に課せられて居た。




「働かざる者喰うべからず」

これは
幼い頃から

叩き込まれた

意識のひとつ。



母親は
私に
小遣いを与えた事も無い。

年玉も取り上げる女だった。



自分で稼げないくせに
意見を言うな。

そう言われて育った。


口答えなんてしようものなら
ボコボコにされた。



私は
中学の頃から働いた。


その職場の上司と
母親が
男と女の関係となり

母は家を出て行った。


私の上司でもあった男の元へ
妹を連れて出て行った。




父親は
自分で何かをしようとは
しなかった。

家事の全ては

私任せだった。


私は
父の娘であるが

父の家政婦で在り
母親でなければ

いけない立場に
立つ事を
拒絶も出来なかった。



スーパーに行く事や
ベランダの洗濯物を取り入れる事も 

「恥ずかしい」
「格好悪い」と

嫌がる人だった。


自分が

格好悪いから
嫌だと思う事を

全て私にさせて来た。



だから
私は早くに家を出た。


それでも
何かにつけて

私は
父の面倒を見て来た。


いつもいつも。


父が

私がして欲しいと望む言動を
私に与えてくれる事は
無かった。

【「ゴミに埋もれ留まる悲哀。」(卒業後後半・44)(2014.5.15)】

【「私なんか粗末だから。」(卒業後後半・46)(2014.5.20)】





父は

まるで
ゴミ屋敷の
一軒家に暮らし続けて居た。


この時点で

もう
母と妹が出て行ってから
20数年の年月が
流れ過ぎて居る。



母と妹は
欲しい物だけを持ち出した。

要らない物は
全て置いて行った。


もう

使わない
衣類も
雑貨も
家具も

何もかも。


要らない物は
そのままで
置いて消えた。



父も
私も

母が飼う事を決めたはずの犬も。

要らない物に
振り分けられた訳だ。


全てはゴミだった。




自分では何もしない父。


何年が過ぎても
父は
家を片付けようとはしなかった。


全ての家事を背負い

仕事もし
学校にも通って居た私には


ろくに眠る時間すらなく


そこまでを
私ひとりに
押し付けられるのかと考えると

ぞっとして

あえて
手を付ける事をせずに家を出た。




母の物は
部屋の隅と
納戸に詰め込まれ


妹の部屋があった2階は
開かずの間となった。


雨戸すら
開けられた事のない
空間となっていた。




年末には
正月を迎える準備をする為に
そこに帰ったり

何かあり
呼ばれて行ったりする事はあったが


行く度に
そこは汚れていった。



父の生活用品までが

決まった場所に
整理して置かれる事も無く

リビングだった場所に
無造作に置かれたまま


洗濯物も
タンスにしまわれる事も無く
そこに積み上げられたまま


閉ざされた2階だけではなく
1階の全部屋も
キッチンまでも
雨戸は年中締め切られ

かび臭い空気が充満していた。




大阪に越してからも
何度かそこに行ったが

べたつく床に耐えられず


私は
自ら持ち込んだスリッパを
脱ぐ事無く履き続ける状態で

眠る場所も無く


物を寄せて横たわれど
布団すらまともには無く

心地の悪いうたた寝をして

帰宅すれば

玄関で
全裸になって


着て居た物を
即洗濯する程


私には
気持ちの悪い場所になって居た。





定年を迎えた父は
これからの毎日が休日だ。


友達が多い訳でも無ければ
外出が好きな訳でも無い。


恐らくは
日々のほとんどを

その
ゴミ屋敷で過ごす事になる。



私が動かなければ

死ぬまでそのままだろう。


そして

死んだ後には

やはり
私が

独りで
それらを片付けさせられるのだろう。



もう嫌だ。

今ならば
まだ
父と共に片付けられるのではないか。


定年を迎えたとは言え
まだ十分に体も動く歳であり

これからは
時間も余る程在るだろう。




私は決めた。

父に話した。
父は面倒くさいようでもあったが
決めた。


汚れても良い服を選び

軍手も
タオルも
マスクも大量に買い込んだ。


エプロンは
その都度使い捨てるように
100均で買い込んだ。

家の中で履く靴も買った。



私は
父の暮らす家に通い始めた。


そこに泊まる事はしたくないから
日帰りで。

電車と徒歩で
片道2時間以上かかる
そこまで

通った。

【「命を終わらせたから得たものに。」(転居後前半・67)(2014.10.26)】



通う度に

死にたいと思った月日だった。



続きはまた。





先日
ギタリストさんに頂いた花。


薄い桃色と
水色と
白が

目に

とても穏やかで
美しい。


水色と白は
ひとつの茎から咲いて居て

不思議。



近付けば

花びらの縁には
規則的に
斑点が在るんだよね。





こういうの感動する。


すごいなぁって。

美しいなぁって。


すごく感動する。



この世には

世界には

こんなに
美しい物が

あるんだなって


それを

生きて居る内に

知れた事に
感謝する。






手紙を書きたいと思う。

ずっと言えなかった想いを

とうとう
書き放ってしまったあの方へ。


少しづつ

時間をかき集めての
作業になるから


まだ
何日もかかるだろうけれど


想いも
お詫びも
お礼も
伝えなければいけないと

強く思って居る。





※ ライブ前後等を覗きコメント欄は暫く未設置となりました。
何か御座いましたらメールでご連絡をお願い致します。(2014.8.30~)

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月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


このブログには
私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
共存して居た頃の出来事を綴った記事も
多く置いて居ます。


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