❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

  ♪:*:.:*:♪ ・らいぶ情報・ ♪:*:.:*:♪

     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

     ❤ 2016年11月6日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



  ♪:*:.:*:♪ ・CD情報・ ♪:*:.:*:♪

  ◆ ファーストシングル ・ 花いばら ◆
            2曲入り ¥500-
            2014.5.24 発売
花いばら

  ◆ セカンドアルバム ・ 生きてるからね。 ◆
            6曲+1曲入り ¥1000-
            2011.8.21 発売

いきてるからね。

※ こちらからもお買い求め頂けます。
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切っても吐いてもしがみつく歌の為に愛も捨てろ。(転居後前半・69)

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命が消えて

5ヶ月目を

過ごして居る。



我が家の
キッチンの流し台の前には

ずっと
敷けなかった
キッチンマット。


今は3つも並べてる。

【「手を上げ叩いた私の過ち。」 (2014.7.17)】



命が尽きて。


私の生活は
あちこちが変化した。










2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「私はなぜ今母を殺したのか。」 (2014.10.22)】

【「矛盾なき人を知り在れる事。」(2014.10.30)】




過程を綴る記事は30代前半頃の私を書いている途中。

【「命を終わらせたから得たものに。」(転居後前半・67) (2014.10.26)】

【「血も涙も詰め込んだイキザマだから。」(転居後前半・68) (2014.10.28)】





前回は寄り道をしたから

今日は
過程の続きを書く記事にするね。






諸口あきらさんと出会えた事から
私は
初めて
歌を教わると言う事を経験した。




腹から大きな声を出す。

叱られる。

もっと語れと言われる。

意味がわからない。

全く楽しくない。

歌ってる気がしない。



腹で踏ん張って
大声で歌う歌い方しか
自分は
わからない事に気付いた。


ずっと
それが歌だと思ってた。


歌って居ても
それが気持ち良い。

腹からのでかい声が出せて
歌いきれると
気持ち良いんだ。



なのに
諸口さんは

それは
歌では無いと言う。


当時は
その意味がわからなかった。


指導は強制では無い。

やめるのは自由。

だが
私は

暫くその指導を受けてみた。



ひとりでも
音楽活動が
出来る人になりたくて

学んでみようと思って居た。





バンドは相変わらず。


私の中に在った
メンバーへの信頼は

日を重ねる毎に
不信へと変わって行った。




自分は
経験も豊かで
知り合いも多いと
言って居たはずのメンバーは
ライブをしても
ひとりの観客も呼べない。

会場が
自宅のそばである時だけ
親と上司を呼んでくれるが
あとは誰も呼べない。

どんなに
音楽関係の店に共に出掛けても
知り合いのひとりにも会わない。
私の方が
誰かしらに出会うようになって居た。

鳴らす音も
外れな事が
実は多い事にも
もうさすがに
私も気付いて居た。

でも気付かぬフリをした。

私が気付いて居る事を知るだけで
崩れてしまうだろう心の
持ち主である事は理解出来て居たし

そのメンバーとの出会いが無ければ
私は
きっと
まだ
音楽活動を
再開出来ては居ないだろうから。

彼には感謝はとてもしていたから

知らないフリを続けながら
出来る限り
誉めて持ち上げた。



私の歌は
暗い
痛い
怖い。

自分のパートもこなせずに
足を引っ張り続けるメンバーは
変わらずに
私を否定し続けた。

そんなにも
私の歌が嫌ならば
このバンドをやめて
やりたい楽曲を奏でる場所に
行けばよいのに。

自分の好みの楽曲を歌う
自分好みの女性ボーカル像を
押し付けるようになっていった。

ステージ後に
タバコを吸うだけでも

「はしたない」
「煙を
 上を向いて吐き出すのはやめて欲しい」

その都度
ムシズが走る。
それでも笑って我慢した。



一番年上で
いつも穏やかで
落ちた気持ちを救ってくれるメンバーは
バンドを辞めたがっていた。

元々が助っ人メンバーだったし
彼のやりたい楽曲とは
ジャンルが違い過ぎる。

そろそろ辞めたいと言う彼には
もうしばらくの間だけ
助けて貰えないか頼んだ。





ライブ活動は続けた。

全ては
もうバンドの為ではなかった。

今後の
自分の活動を
頭に描ける所まで行きたい。


そう思って居た。


それが見えるまでは

何度
自傷しても

何度
嘔吐しても


ここに居るんだと
思って居た。



活動を広げると
出会いも広がる。


インターネットラジオの誘いも頂き
私たちは
ネット上の番組も持つ事となった。


表向きには
私たちは
順調に活動して居た。





12時間おきに
愛猫に打たねばならない
インシュリン注射に

縛られた生活も
3年が過ぎた年末に
命が尽きた事で

解放され 


年始には
諸口さんに出会え


私の音楽活動は
とても忙しくなった。





陶芸の仕事も順調だった。

創作に割く時間も
どんどん長くなった。


主人は
私を一切縛らない。


束縛も
抑圧も

彼は私に与えない。


異性と出掛けようが
何時に帰ろうが

文句を言われた事も無い。



自由にさせて貰って居るかわりに

私は
主人には
極力
家事をさせないようにしてきた。


彼がしてくれる家事は

朝の早い彼が
前夜に私が作っておいた朝食を
温める事だけ。


家の事は
いつも

自分なりにだが
きっちりとしてきた。


でも
それが辛くなってきた。

時間が足りない。

そう感じる事が増えて来た。



ふと。

現状を見つめ
考えてみた。




この数年内は

義姉が嫁ぐ事となり

両親のもう居ない義姉が
恥ずかしくないように
寂しくないように

弟の嫁ではあるが
母親代わりを
懸命に努めて
送り出しもした。


労力を重ね
大金を使い
主人の姉だから
懸命に注いだ。


女同士だから
きっと分かり合えると
ずっと
一生懸命
沿う事もしてきた。


姉の都合で泊りに来れば
父と同様に
もてなして世話もした。



でも
結局は

私は
受け入れられて居ない事も

とても感じた。



お金に関する事は
嫁ぐ事が決まっても
私には
管理を任せようともしない。


価値のある物は
全て持って行く。


親族が少ないから
式には
私の父も呼んだが

祝いを包んで出席しても

父の分の
引き出物もくれない。



実家には
大量のゴミと
飼い犬を置いて行ったまま。





主人は
確かに
私を嫁に迎えてくれた。

この数年
私の生活も支えてくれた。


でも
このままで良いのかな…


私は
これからも

ずっと

誰かに
都合よく扱われ

誰かの尻を
ぬぐいながら

生きてゆくのかな…


どこまで

我慢を続けるのかな…






嫌になった。


もう嫌になった。


ひとりになろう。

とても思った。


今の私の欲しい
自由を

手に入れようと決めた。





私は
離婚届を貰いに
役所に行った。


「名の変更」で

戸籍から
名前を変えて以来だった。

【「私が私をこの世から消す為に。」(転居後前半・59) (2014.10.9)】




子供の頃
両親の名が書かれたそれを
見た事があった。

緑色の文字と
枠が
書かれた離婚届は

懐かしく感じた。


私は
主人に
別れを告げる事に決めた。



続きはまた。








この記事を

カテゴリの
【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】

に記す
最後の記事にします。



次回からは
次のカテゴリに振り分ける記事を
書いてゆきます。


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自己紹介。

月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


このブログには
私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
共存して居た頃の出来事を綴った記事も
多く置いて居ます。


私にご興味を感じて頂ける
御訪問者さまや

初めてお立ち寄り下さった方は

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