❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

  ♪:*:.:*:♪ ・らいぶ情報・ ♪:*:.:*:♪

     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

     ❤ 2016年11月6日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



  ♪:*:.:*:♪ ・CD情報・ ♪:*:.:*:♪

  ◆ ファーストシングル ・ 花いばら ◆
            2曲入り ¥500-
            2014.5.24 発売
花いばら

  ◆ セカンドアルバム ・ 生きてるからね。 ◆
            6曲+1曲入り ¥1000-
            2011.8.21 発売

いきてるからね。

※ こちらからもお買い求め頂けます。
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愛されぬありのまま。(転居後前半・3)






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昨夜。

ギタリストさんが
玄関前にプレゼントを届けてくれていた。

たくさんのビールとおつまみと。
手の込んだカードと。


彼は
誕生日とクリスマスに
いつもプレゼントを贈って下さ る。

今年は
私が外出も出来ずに居るから
実用本位で選んだよって。



そして。

今朝は和歌山から贈り物が届いた。

手編みのコースターのケーキとお菓子。

段ボールの隙間は
飴やスープで埋められていた。


クリスマスプレゼントを送って下さった時は
隙間がカイロで埋められていたっけ。


彼女が何か送って下さる時
隅々まで優しさが詰まってるんだ。


コースターは毎日使うけど
しばらくは重ねたまま見てたいね。
苺がのっかってるだよね。



夕方届いた書留には商品券が入ってた。

ぽんちゃんが
いつどうなるかわらない現状をここから察して
誕生日を一緒に過ごせた事を確認してから
送って下さったようだ。

今年は
ぽんちゃんとの暮らしに必要な物に使えるように
金券にして下さっていた。





20代の頃

ホステスしてた頃は
誕生日はちょっとした戦争みたいだった。

店にいくつの花が届いたとか
何人の客が祝いを持って来たとか

とても重要だった。

ナンバー1で在る事を知らしめる
ひとつの大きなイベントだったから。


店に入りきらない花も
高価な物も
たくさん頂いた時代が在ったけど。


今の方がうれしい気持ちが大きい。
ずっと大きい。

ずっとずっと大きくて大切。










2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7 月7日以来
記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つ の記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つ の記事があります。

【「3・ 自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」 (高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17 の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※ 61の記事があります。

【「6・自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50 の記事があります。

【「7・自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※ 現在執筆中。




5月からは
介護が必要になった飼い猫との
暮らしや想いを 多く綴りながら。

前回の記事はこれだった。

【「明日が見えないけれど。」 (2014.6.16)】


過程を綴る記事は
30代前半頃の私を書き始めている。

【「飲み込めぬ喉。食べ切れぬ心。」 (2014.6.15)】


続きを書こう。



大阪で暮らし始めた私。

大阪へ来たら
まずやりたいと思っていた事がいくつかあったが

まずは

数年後自分の名を戸籍から帰る為に
既成事実を作る事を始めた。


家庭裁判所に
「名の変更」の申し立てを起こして
確実に戸籍から本名を変える為に

生れ落ちた時に頂いた私の名前を

生れ落ちた時に頂いた名前の私を

この世から必ず抹殺する為に

何から始めたのかは前回の記事の記して在る。






引っ越しの荷物もほぼ片付いた頃
主人の実家から連絡が入った。

私たちは結婚式をして居ない。

結婚前に
義父と義姉と私の父に挨拶をしただけで

私は主人の他の親族とは会った事がない。

顔合わせの食事会をするから
一度帰って来るようにとの事だった。


自分が
嫁として喜ばれていない事は
ものすごく感じて居た。
全く気が進まない。
でも仕方ないね。
嫁いだんだから。


週末
主人の実家に帰る事となった。


朝まで眠れない私は
ほとんど眠らずに向かった。

車の助手席で睡魔と闘いながら

途中からは海が見える。


大阪に来るまではいつでも海が見えた。
当たり前のように海があった。

大阪に来て思った。

私が暮らす街には海が無い。

海が見えない。

新しい暮らしで
それはとても不足に感じて居た。

だから海が見えた事はうれしかった。



実家に着き
そこから向かったのはホテル。
そこでささやかな食事会。


義父が
私たちの為にお金を使って何かをしてくれたのは
これが最初で最後だった。

ならば
もっと楽しんで
参加して覚えておいたら良かったなって

そう思ったのは1年後だった。






集まったのは
義父と義姉と主人と私と他10人。
それが主人の親族の人たち。

順番に紹介されて
2~3時間程の時間だったかな。


私は特別自分からは何も話さなかった。

隣や前に座ってる人にお酌して
聞かれた事に答えるくらい。

積極的に話そうと思わなかったし
何を話せば良いのか思い付く事もなかった。


嫌な人が居た訳では無い。
みなさん優しかったよ。

ただ馴染めないような気がした。

義父と義姉が
決して喜んではいない事を
とても感じて居たし

自分が
摂食障害者であり
自傷癖者であり

つい先日までホステスであった事も

自分の中で
私は馴染めないと
決めつけた要素でもあった。



少ない会話の中で
主人とはどこで出会ったのか聞かれた。

一瞬悩んだ。
嘘を付こうかとも思った。

でも

そんな事
主人とは何も打ち合わせていないから

嘘の返事をして
その会話が主人にもふられたら
その場でばれてしまうし


私は

自分がやって来た仕事が
良いイメージを持たれない事はわかっていても

一生懸命真剣に働いてきたし。

後でばれてしまうよりも
話してしまえば良いと思った。


だから言った。
私が働いて居る店の主人はお客さまでしたって。



案の定…。

相手から次の言葉が返ってくるまでには
とても時間がかかり

どう答えれば良いのか困っている事が伺えた。

困らせようと思って言った訳じゃなかったのにな…。



長く長く感じた食事会が終わって

帰り道

水商売をしてたと言ってしまった事を話したら

主人は
“別にいいんじゃないかな”って言った。

“恥ずかしい事じゃない”って。


良いかどうかわからないけど。

私は自分の力で生きてきたから。

でも。

ホステスであった事を
偏見の目で見られても構わないけど

主人の立場的には大丈夫だったのかなって
ちょっと思った。




数日後
父から電話があって
その日の事を少し話した。


父は私に
“アホやなぁ…”って言った。

“なんで黙っとかんのか”って。



なんで?
こっちが聞きたいや。

じゃぁ何?

会社で事務員してましたとか
言ったら良かったん?


主人の親族に
元ホステスである事を良く思われなくても
私は構わない。

これから長い付き合いになるんだろうから
少しづつ
私と言う人間を知って貰えば良いじゃないかと思う。


摂食障害や自傷は隠せても

やった事ない仕事を
やってたとか

そんな嘘は付き通せないでしょ。




周りの同級生たちみたいに

小遣いが欲しかった時

自転車が欲しかった時

学費が払えなかった時

いちばんお金に困って大変だった時代


助けてくれなかった親が

私がしてきた仕事を隠せって言う事が
ムカついたし苛立った。



続きはまた次に。。











今日が最期かも知れない。

今がサヨナラかも知れない。

24時間
張り詰めて過ごしてる1ヶ月と18日。


昨日は
まだ生きてくれているぽんちゃんと一緒に
誕生日を迎えられた。


昨夜は

2時過ぎに流動食を与えた後
しばらく様子を見てから

3時頃
もうしんどくて

5時まで眠ろうとソファにもたれたら
5時に起きれなくて
気が付いたのは5時半過ぎ。


ぽんちゃんが動いてた。

私の足首に乗ってきて

小さな小さな声で
一声だけ鳴いた。


鳴き声を聞けたのは
どれくらい振りだろう・・


かわいいなぁって
たまらなかった。



その後
少し楽そうにしていたが

ほんの束の間。

今日もまた
ほとんど食べず横たわったまんま。




それでも。

自分でトイレに行こうとがんばるんだよ。

転びながら向かうんだ。

間に合わなくて
漏らしてしまう事も増えたけど

一生懸命トイレに行ってる。




すごい事だと思う。

これはものすごい事だと思う。

頑張って生きてる事が
たまらなく愛おしくて

日々はとても辛いけど


この子と家族になれた事は
心からしあわせに思う。





愛されて
必要とされて在る時に


命は
ものすごい力で
奇跡を起こそうとするのかも知れない。


愛されて在る事を感じた命は

生きて居たくなるのかも知れない。



幼い頃の私が

愛されて在ると

微塵の疑いもなく感じられたなら

顔色を伺わずに
ありのままで在れたなら


きっと私は
「自傷」を覚えはしなかったんだろう。





※ 申し訳ありませんがしばらくの間コメント欄の設置をお休みしております。

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自己紹介。

月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


このブログには
私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
共存して居た頃の出来事を綴った記事も
多く置いて居ます。


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初めてお立ち寄り下さった方は

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