❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

  ♪:*:.:*:♪ ・らいぶ情報・ ♪:*:.:*:♪

     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

     ❤ 2016年11月6日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



  ♪:*:.:*:♪ ・CD情報・ ♪:*:.:*:♪

  ◆ ファーストシングル ・ 花いばら ◆
            2曲入り ¥500-
            2014.5.24 発売
花いばら

  ◆ セカンドアルバム ・ 生きてるからね。 ◆
            6曲+1曲入り ¥1000-
            2011.8.21 発売

いきてるからね。

※ こちらからもお買い求め頂けます。
  「お便りはこちら❤」から お名前とご連絡先をお知らせ下さい。

心が叫ぶ悲鳴を止める時。

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



今。


ここを読んで下さって居る
あなたは 

おいくつでいらっしゃるのでしょうか。



ここをご訪問下さる方々の中には 

自傷癖者さんや
摂食障害者さんも
多く居られます。


そして
その方々は

きっと 
私よりもお若い方々が
多いと把握しております。



そう言われるお子様をお持ちの
親御さんがご訪問下さる事も結構あります。



もちろん 

自傷癖者さんでも 
摂食障害者さんでもない方々も 

他の
何からの
病や痛みと共存されて居られる方も 

お知り合いも 

お顔も知らない方も 
居られます。




あなたは



おいくつなのでしょうね。





私は
やっと

最近になって

思えるようになりました。


「明けぬ闇はないのではないだろうか」
と。




そう思い始める思考が 

やっと
少し生まれ始めたように思います。



でも
私は

とても偏在で 
とても歪んで居て
とても偏って居て 


私に根付いた
自傷的思考は
とても深くて。


それを知り始めるまでに 

何十年もを
苦しみ抜いてしまいました。



もう少し早くに 


せめて
もう少し 
この身体が無理を出来た内に 

気付けたならばと 


悔やむ気持ちは

とても大きいのです。







「摂食障害者」・「自傷癖者」として生きた
約30年間の 出来事や想いが書かれた記事たちは
「カテゴリ。」に振り分けて安置されています。
必要な方はいつでもお立ち寄り下さい。

全「カテゴリ。」の説明とリンクをまとめて居ます。
【このブログ「癒え待ちよすが」について。】


こちらも少しづつ書いて居ます。
【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】









このブログ

「癒え待ちよすが-イエマチヨスガ-」 には 


何気ない
日々の出来事や 
その都度の感情 
音楽活動なども
書き記して居るが 


2013年の7月からの2年間は 

それらに加えて 

何よりも 

私自身が 

摂食障害者となり
自傷癖者となり 

そうする事でしか生きて在れなかった 

人生の
半分以上を占めてしまう年月の

イキザマを 


記憶を掘り起し
呼び起こし 


いくつもの 
過程を綴る記事として 
告白し
書き遺して来た。




発症した頃の私は
まだ小学生だった。


その後
20年もの年月を 

私は

孤独に 

摂食障害者で 
自傷癖者で在る事でしか 

この世に存在出来なかった。




その後の10年は 

そこから克服したい私と 
呼び戻される私が 
何度も行き来した。


何度も何度も。


結局は
完全な克服には至れずに 
苦しんで過ぎた年月だった。




私が 
自らの嘔吐も自傷も
しないで 

日々を在れるようになったのは 

まだ最近だ。

ごくごく最近。


40代を生き始めて 
やっとそこに到着した。


けれど 
それが
もう二度と揺らがぬものかと問えば 
それはわからない。


どんなにそのつもりで居たとしても 

「絶対」とは言えない。


もう戻りたくないと
どれ程に思って居ても 
まだ
自分でも
どこかで疑ってしまう。


それ程に
長い長い時間を 
私は闇に落ちて居たから。




闇は
いつだって手招きを止めはしない。


その闇は
時に
麻薬のような快感へといざなうから 

自傷は
いつまでも 
脳に付き纏うのかも知れない。




そんな過程を
ここに綴った記事は
多数存在してる。


誰でも見れる所に 
観れる所に 

今はまだ
飾って居るような感じ。

【このブログ「癒え待ちよすが」について。】





そこには
沢山の文字を書いて来た。


育ってきた環境や 
親の事は 
特に沢山吐き出してきた。



私が
なぜ
こんな偏在者となってしまったのか 


私なりに突き詰めて
出した考えや想いも
書き放ってきた。


きっと 

叫んでも叫んでも
誰にも気付かれぬままに 

熟れ続けた 
精神の悲鳴たちだ。




そして。

最近では
記事の更新速度はとても緩やかで 


私は

私なりに 


持病と向き合いながら 

これからの事を考えながら 

まずは
日々を必死になって消化して居る。



心を立て直す為に。


残りの時間を 

苦痛よりも
幸せを探し在れる人生に 
少しでも変えゆけるように。







父とは
この3年近く 
付き合いを絶ってきた。


私は 
殺されると思う程に 
疲れ果ててしまった。 



私達親子は
やはり 
深い溝を埋められないどころか 
壊し合ってしまうと
確信出来る所に行き着いたから 

関わりをとことん避けて過ごして居た。



やっと
少し 
私の中では 
父に苦しむ感情を 
落ち着かせ始めた所だった。

関わらずに過ごせる事で 

やっと私は 
自分の生活を作り始めた所だった。



だけど 
いつも気にはなって居た。

気になるほどに苦しかった。

そして虚しかった。

自分の人生が
とても
虚しかった。






そんな中 
届いた葉書と 
その後の出来事は 
先月から前回まで
6つの記事に収めている。

【「孤独の中で「生」を選ばせた私。」(2016.8.6)】

【「死にたかった年月の方が長いのに」(2016.8.10)】

【「死なずに殺さずに在る為のバランスを問うて。」(2016.8.13)】

【「内臓と引き換えた鍵。」(2016.8.20)】

【「キズグチが生んだ果たし状。」(2016.8.26)】

【「死んだように生きるのか。(」(2016.9.1)】





先日 

父は退院をした。


父の家には 
手紙を置いて来て居た。

私なりの果たし状だった。


便箋は何枚になっただろうか。

とてもとても長い手紙になった。


私が
なぜ
父を避けて生きる事を選んだのか 

正直に書いた。

殺されると思った程の
苦痛の理由も書いた。



ずっと
嫌でたまらなかった事も書いた。


父の都合良く 
娘にされたり 
嫁にされたり
母にされたり 

そんなのも 
もううんざりだとも告げた。



親の寂しさの穴埋めに
子を産む気なんて無い事も書いた。




いつまでも 
過去に失ったものに執着をして 
人を恨んで 
恨んで 
飲めば荒れて。

そんな父の面倒を
その都度みるのも
もう嫌だとも書いた。



父が言い続ける 
吐き続ける 
悪口も 
恨み妬みも 
もう聞き疲れた。




世の中には 
父子家庭なんて沢山在る。


中には 
子供のお弁当を
一生懸命作るようなお父さんだっている。



うちは
ずっと 
始めから
当たり前に 
家事は全部
私の仕事だった。



十代の頃からずっと。


周りの友人たちが

だ子供として過ごして居た頃から 

私は
家事と仕事に追われて居た。


早くに家を出てからも 

何かにつけて
私が面倒を見て来た。


何でも私任せで 
家はゴミ屋敷。


それでも
ずっと我慢して我慢して。

疲れ果てた。




父はいつも私に言った。

「まかせとくわ」って。


で。
一応聞く。

それに対して
いくらかかるのかと。


そして時に 
その費用に
少し上乗せして
私に渡そうとしたりもした。



物凄い無理をして 

心にも身体にも無理をしまくって 
父の要望に応えて。


いつも身体はボロボロになった。
精神はぐちゃぐちゃになった。


時に少し位
余分なお金を渡されたって 
嬉しくもなんともなかった。

それで何か買う時には 
ひたすら虚しかった。



私は
そんな小さな金が欲しい訳では無い。


そんな事よりも 

私は
父に 

自分の事は自分で出来る大人に
なって欲しかった。

やってみようとする大人に
なって欲しかった。



自分が
面倒に思う事や 
カッコ悪いと思う事 
恥ずかしいと思う事は 

いつも私に丸投げしてた。


面倒で 
カッコ悪くて 
恥ずかしい事は 
自分ではしたくなくて 
私には平気でさせた。




私は 

本当は
ずっと 

何か起きた時に 
親に相談できる友人が
羨ましかった。


うちでは
私が
いつも
相談されて
調べて処理をしていたから。



家に帰れば
食事が用意されている友人が
羨ましかった。

お弁当を作って貰える事が
当たり前なんて 

未だに理解出来ない。


経験が無いのだから
わからない。



実家に帰れば
家が普通に掃除されて居て 
どんな形でも
食事なんかが在って。

泊まれる布団が在って。


そんな経験を 
一度でもしてみたかった想いも書いた。




理解されなくてももう良い。

こうして吐き出すのも
もう最後だと思って書いた。



もしかしたら…
胃袋を失う程の経験をした今なら 
あの父にでも
少しは伝わるのかも知れないとも思った。






先日 

退院後の父に会いに行った。


家は
相変わらす汚れているけれど 


入院中に
私が掃除をした場所は
綺麗なままだった。

自分なりに
努力して居るようには見えた。



冷蔵庫には 
自分なりに学んで選んだ食材も
買って来ていた。


胃の全摘から
まだ1か月も過ぎて居ない。


抜糸もまだ半分だけ。


それでも
食べる物を
考えて買って来ていた。

そこには
勿論アルコールは無かった。



キッチンには
まだ温かい鍋が在って。


中には
魚が煮付けられて居た。



叔父さんが
よく釣りに行くらしく 
沢山釣れた時には
分けてくれたりしていたそうで 


ちょうど
前日に釣れた
鯛と鰤を
持って来てくれたとの事。

叔母さんが
きちんと処理をしてくれた
新鮮な物を頂いたらしかった。




その鯛を煮付けていた。

みりんがなくて
お向かいさんに借りて作ったらしかった。



家に入るなり 

父は
それを見せたがって 

私に見せて 

持って帰るように言った。


夕食に持って帰るようにと。


おいしくないかも知れないけど 
家でゆっくり食べなさいと。


鰤はお造りにしてくれた。


キッチンに立って 
不器用に 
不揃いなお造りを切ってくれた。






父は

私に

食事を作ってくれて居たのだ。




10年程前に
一度だけ 
父が肉を焼いてくれた事が在る。


それは
その当時父が良く食べて居た物らしく 

「ついで」に

焼いてくれた事が在った。



鶏もも肉をニンニクで焼いただけ。

たとえ 「ついで」でも 
記憶に残ってる。


父の暮らす家に行っても 

いつも
家事をする為に行って居るような状態で 

父が
私に何かしてくれた事なんて無かった。



親に
食べる物を作って貰ったのは 
子供の時だけ。


中学の頃には
家事の大半は
私の役目になって居たし。

母は出て行ったし。



一度だけ 
10代の終わり頃に 
母に会った時に 

お弁当を持たせて貰った。



はんぺんと
ごぼう天を
醤油と砂糖で甘辛く煮た物が
半分と 

もう半分には
白くてやわらかいご飯が 
びくともしない位に押し込まれて。


煮物の汁が
全部ご飯に沁み込んで。



料理がとても下手くそな母が 

学校のお弁当も作ってくれなかった母が 

私に
最後にくれたお弁当が
それだった。

赤い小さな楕円形のお弁当箱だった。



それを除けば 

家族に
何か作って貰う事なんて 

本当に 

余りにも少なかったから。



心が

ぎゅってなった。



父が
私の為に作ってくれた料理。


自分は食べられないのに 

自分の為では無くて 
私の為に 

術後の身体でキッチンに立ち 

みりんを借りてまで
作ってくれた料理。




こんなのは初めてだった。



その場では
上手く言えなかった。

嬉しくてたまらなかったのに 

それを表現する事に躊躇して 
特別喜んで見せたりもしなかった。



だけど。

うれしかった。

とてもとても。



それは 

私が 
されてみたかったと 

ずっと思って居た事の

ひとつだったから。



そうされてきた友人たちを 
どんなに羨んで来たか。


得られない不足を 
私は
ずっと抱き締めてきたのだ。



それが
初めて 
私にも 
して貰えた事になった。



大事に大事に持ち帰った。

守るように持ち帰った。



残りの鰤も頂いたけれど 
食べ切れないから
塩焼きにして冷凍した。


お造りと煮付けは大事に頂いた。


心にも身体にも 
忘れないように 

大事に頂いた。






その日は 
一緒に買い物にも行った。


父宅のカーテンを買って 
一緒に付けた。


一緒にスーパーも寄った。


父が食べられる物のストックと 
お向かいにお借りしたみりんと。

私の昼食にコロッケひとつ。


それから
私の好きな 
その土地限定のグリーンソフト。



私の物もいくつか在ったけれど 
この日は父はお財布係。
この日の支払いは父に甘えた。


昼食は 
コロッケをひとつ食べてる私の横で 

父は
私が買っておいたレトルトのお粥を 
丁寧に皿に移して 

私が作って持ってきた
魚の煮付けをおかずに食べて居た。



私も魚を煮付けて来ていたのだ。
おかしな偶然。

父は
それを
「おいしい」と食べて居た。




思っていたよりも
頑張って食べて居て安心した。


胃袋を全摘したのは 
先月の17日。


人間の身体は凄い。


それでも
食事を受け入れようとする。

生命力とは物凄いと思った。





父は 
愚痴も
悪口も
毒も吐かなかった。


一言も
誰の悪口も言わなかった。



私に対して 
何かをして欲しいと 
ひとつも言わなかった。


もう
無理をしなくて良いと言った。



とても穏やかな顔だった。

よく笑って居た。







孤独の中で
生きる事を選んだものの 

手術には
大きな恐怖を持ち 


それはそれは
張り裂けそうな想いを
独りで抱き締めて居たのだろうと思う。



オペ室に向かう時の
顔と

繋いだ手は

忘れられない。


そこから 
生きて戻って来て。


父の中では
何かが変わったのだろうと思う。



今回は
さすがに
本当に堪えたんだと 
そう言って居た。


60代の後半を生き始めた
父の人生は 


喜びよりも
憎しみに
塗り潰されたような年月だった。



本当は
全てが
痛みに熟れて居た訳では無い。


そこには
小さくとも
喜びもあったのに 


それすら全否定して 

見ようとも出来ない思考に 
呪われたような
年月だったのではないだろうか。



オペ室から
生きて帰って来た父は 


胃袋を失ったけれど 



心の目を 

探し当てたのかも知れない。





時々
ショートメールが来るようになった。

私も送るようになった。





父の癌が治った訳では無い。

再発の可能性も低くはない。


これから少し先に 
何が起こるのかはわからない。

油断も出来ない。



でも 
本人が
頑張ってみようとして居る事は
とても伝わって来た。



私にも
持病があるし 

毎日は
仕事に追われてしまえば 
もう余力も見当たらないままに 
いっぱいいっぱいで過ぎてゆく。


その中に 

父宅へ通う生活も 
そろそろ緩めたい。



自分を守れなければ 
何かが起きても
助けても上げられないから 


私は私で 
また 
今の日常を
守る為に
注いで居られたらと思う。







ひとつ

ステージを決めた。


日付だけ 
今日は
お知らせをしておきます。



11月6日。



近い内に
それについても 
また書きますね。





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自己紹介。

月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


このブログには
私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
共存して居た頃の出来事を綴った記事も
多く置いて居ます。


私にご興味を感じて頂ける
御訪問者さまや

初めてお立ち寄り下さった方は

まずこちらをご覧頂けると
このブログが見やすくなるかと
思って居ります。

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