❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

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※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

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大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



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花いばら

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「自死」とか「安楽死」とか「尊厳死」とか並べて考えた数日。

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



「自死」

とは何か


辞書をひけば


「自殺」

と書かれていた。



「自殺」

とは
何か


調べれば


「自ら自分の生命を絶つ事。自害。」

と答えられた。



では

「安楽死」

とは何か。


「苦痛を長引かせない事を目的として
      人為的な方法で殺す事。」

と書かれていた。



ならば


「尊厳死」とは?


調べれば何でも出て来るね。



「患者の意志で
 治療の継続を中止した結果
        死に至る事」

なのだそうだ。





以前 
知り合いが言った言葉を思い出した。

彼女は言って居た。


「安楽死は自死と同じだ。」  と。




「死」に対して
想う事は
人それぞれに在る。


だから
どれも
否定は出来ない気がして居る。



そして
その時は
その言葉に 


なるほどなって思う私が
居た事を 

とてもクリアに覚えて居る。



当時
私は
とても納得をしながら 

その会話を受け入れて居たんだ。




「安楽死」



「尊厳死」

の違いについては 


これまでに
きちんと
分けて受け止めた事が
無かったかも知れない。


どう違うのか
明確な言葉にして受け止めた事は
無かったように思う。



結局は
曖昧に
処理して捉えて居たのかも知れない。


この違いを受け止めた時に 


人には

生きる権利が在ると思いながら 

死ぬ権利もあるのかも知れない


なんて 
ふと考えたりした。




何が
正解なのか
正しいのか 

正直なところわからない。



私は

私の
これまでの経験から


感じて 

私なりの現状で
思う答えを持って居るだけ。




前回の記事に書いた。


今の私は
きっと


「死にたいのではないけれど 消えたいんだ」

と言う想い。



今日は
それについて

少し

書いて置けたらと思って居る。








「摂食障害者」「自傷癖者」で在った私の
発症から約30年間の過程を
2013年7月7日から
2年間を掛けて書き続けた記事と
その後書き始めた
原因や理由 克服について思う記事は
各「かてごり。」に安置されています。

お役に立てるかはわかりませんが
必要な方はいつでもお立ち寄り下さい。

下記ページに
全「かてごり。」の説明と
各「かてごり。」へのリンクをまとめて居ます。

【このブログ「癒え待ちよすが」について。】 ←クリック



こちらのカテゴリに含まれる記事も
少しづつ書いて居ます。

【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】








死のうと

本気で思ってた時代が在ると 

前回の記事でも述べた。


それを
実行してみた事も在ったと。



ここには 

私が
摂食障害と自傷を発症した 
小学校低学年の頃から
現在までの出来事を 
順番に書き遺して居る。



死のうと
行動を起こした時 

私は20代だった。

【このブログ「癒え待ちよすが」について。】 ←クリック





基本的に

私は 
ずっとずっと 

早く死にたくて 

自傷に埋もれて
生き急いで来た自覚を持つ。


こんな
40代を
生きる自分が
生きて存在するはずではなかったのだ。



早く死にたかった。

とにかく
早く死にたいと思って居た。


日々
生きる事は
何よりも苦痛だった。


こんなにも苦しいのに 

なぜ
生きて居なければならないのか 

わからなかった。




でも
死に損ねて感じた。


死ぬって事も
難しいんだろうなと。



きっと
どこかで躊躇する。


ほとんどの人が

きっと
最後に躊躇する。



生きる事は
こんなにも
苦痛にまみれて居るのに。


一瞬を躊躇う。



そして

また生き延びる。


本当に
死に辿り着ける人には 


その
躊躇に対して

瞬間の

間が刺すのかも知れない。


あるいは

魔が刺すのかも知れない。



だから
朽ちる事を
成し遂げられるんだろう。



でなければ

自死も
相当難しいものなのだと

私は思うようになった。


でも

生きる事は苦痛だった。




日々の中に
幸せを探したり 

前を向こうとか 

明るく居ようとか 

そんな努力も何度もしてもみた。


それでも苦しいんだ。
とてもとても。



愛する人と暮らして居ても 

いつも満ちはしない。

いつも不足を感じてる。



誰と居ても 
何を買っても
食べても 

セックスを繰り返しても 

寂しさは消えない。

悲しみは付き纏う。






人は
この世に生まれた瞬間から
死に向かって時間を刻む。

みんなそう。


肉体は
いつの日にか
必ず滅びる。

急がなくても
いつかは死ねる。



そんな当たり前の言葉では
救われない程に 

毎日は不足して居た。

だから

死に焦がれて居た。




でも。
私は死ねなくなった。



自死だけは
してはいけないと 

強く胸に刻む出来事に直面した。






30代に掛かる頃

結婚を選んだ。

その直後だった。


家族の自死。


マンションの非常階段で
首を吊って命を絶った。




それまでにも
いくつかの自死には絡んで来た。


知り合いの自死を
目の前で見た事も在った。



それは
大きな衝撃だったけれど 

家族の自死を
受け止めた時とは違って居た。




「家族」なんて
よくわからない。


家族が
尊いとか素晴らしいとか
思った事も無い。


今の私以上に 
当時は

「家族」なんて
“クソだ”
位にしか思って居ない。



結婚を選んでも 
それが
「家族」かと聞かれたら 
それもわからなかった。



だけど 

それまでに絡んだ
知人の自死と

家族の自死は違って居たんだ。



私は 

自ら死を選んだ時に 

遺された者達に
どれ程大きな無念を刻み残すのか
思い知ってしまった。



自死は
当たり前に
残酷だろうけれど 


どこかでは
憧れる景色だったのに。


そうではない事に
気付いてしまった私は 
寄り添える者が
居てくれる内には 

自死は出来ないと 


胸に彫り込んだのだった。




だけど 
毎日は生き苦しい。



精神障害を隠し 
人並みを装い 
仕事もして
生きて居るけれど 



何をして居ても

気付いてしまうのは 

己の不足。



いつも馴染めない。

上手く振る舞えない。



いつもいつも
狂いそうになるんだ。



結局は

私なんかは
精神疾患者で在る事は 
いつまでも変わらない。



ただ 

それでも 
必死になって

己と24時間闘って 
社会に存在し 
日々を生きて居る。



楽じゃない。
すごくしんどい。
でもそこからは逃げない。





それって 

時に地獄なんだ。
拷問なんだ。






精神疾患と言う枠に
振り分けられる病は 

一昔前の日本を
少し振り返って見るだけでも 

現在とは
その数が全く違う。




精神障害と言われる病名だけでも 
ものすごい数が存在して居て 


一般的にも
知られるものも
とても増えた。





いくつも在るそれらに
振り分けられる病にも 


比較的簡単に
完治を得られる物もあれば 


到底難しい物も在る。


一生
連れ添うしかない物も在る。


医師の選択を間違えば 

大量の向精神薬や毒薬で 

本当に
壊れてしまう人も居る。






今日の記事の始まりで

「安楽死」と「尊厳死」の意味を書いた。



日本で暮らして居れば

「安楽死」は
身近な出来事ではきっと無い。



ここに
リンクを貼ったり 
詳しく書いたりはしないが 


世界を見渡せば 


「安楽死」を
選べる国も実際に在る。



それらは

基本的には


「治療困難な病気の末期状態にある」  か


「病気や障害により 普通に生活するに当たり
 著しい不具合がある」  か 


「病気などに寄って
 常日頃から耐え難い苦痛を味わって居る」


と言う条件が在り そ


れに当てはまれば
安楽死が行われるらしい。




その病気には 
精神病も含まれているのだそうだ。



そして
精神的疾患を背負った患者たちも 

安楽死を選んで居る。



精神障害者の安楽死が
合法化されていると言う事だね。



肉体的な病から
患う精神障害では無くて 

純粋な精神障害にも適用されるんだ。



「精神的な苦痛から逃れる事」  を

理由に
安楽死を選べるんだね。





数年前に
そんな出来事を
ニュースで見た事は在る。



それが良いのかどうか
わからないけれど 

興味深かった事は覚えてる。





安楽死を申し出て 
医師の承認を得られて 
死ねることが決まっても 


延期する人や
実行には至らない人も

多いのだそうだ。



いつでも死ねると言う現状に
安心を得るのかも知れないね。



自分の最期を
選んで良いと言う答えが 
お守りみたいになって 


生きる事を
選ばせる事も

在るのかも知れないと思った。





私は自死はしないと 
現状では決めて居る。

死にたいと思わないようにしてる。

一生懸命そうしてる。




それでも思う。
いつも思う。

「消えたい」と思う。

思ってる。


もう嫌だって 
消えたいって
思ってしまう。


だって


生きる事は

一番苦しいから。






自殺はいけない事だとか 

安楽死に賛成だとか 

安楽死と自死は同じだとか 

よくわからない。


結局はよくわからない。



それぞれの中で
それぞれに
判断して
選択して在れば

良い事でもあろう。





ただ…。

私だったらどうするだろうか。





「安楽死」を選べる国で
生きて居たとしたら。


何かの拍子で
申し出てしまうのかも知れない。





精神科の医師に対して 
信頼を
全く持って居ない私だけれど 


医師に
許可を願うのかも知れない。




私の痛みなんて 
私にしかわからない。

誰にも伝わらなくて当たり前。


この生き苦しさが
医師にわかる訳が無い。


人は

誰だって


未経験な想いは 

想像と妄想でしか 
感じ取れはしない。






摂食障害者とか 
自傷癖者と言う枠に
入れられてしまう人達と 

私が 


必ずしも
同じでも無ければ 

全て分かり合える訳でも
無いのだから 



想像と妄想と 

知識と
重ねる対面でしか

判断できない医師に 

全てがわかる訳が無い。



それなのに 

医師を頼り縋り 
承認を求めるのかも知れない。



申し出て 
許可を貰えた時に 


延期して

生き延びようとするのかも知れない。







在る事がきっかけで 


「自死」

「安楽死」

「尊厳死」

の違いを
きちんと知りたくなって 



在る事から

振り返る記憶や現状から 


「死」を 

自分なりに
改めて考えながら 


最終的に 


今の心境では 
私はそう思った。







生きてゆく事は辛い。


やはり
私にはまだまだ苦しい。


毎日のほとんどが

快楽とは程遠い苦痛だ。



辛い事の方が遥かに多い。

それでも生きて在るのは 
きっと
未練が在るからで。

欲が在るから。



もう少し
幸せになりたいと

思う自分が居るから。





幸せになる為に 

ひとつ 


自分に毎日問いながら 

言い聞かせて居る事が在る。



「家族」と言うものに対しての
一般的な常識なんて 

捨ててしまえ。

そう言い聞かせてる。



元々が
私には

まともな家族なんて
無かったのに 


人並みに
近付けるのではないかと 

無理をし過ぎたように思う。



元々無いんだから 
選べばよい。


不要なら捨てても良い。


それなりの代償も
覚悟の上ならば 


自分の人生なのだから


選んで良い。




言い聞かせながらも 
ずっと揺れてる精神。

苦しんで居る精神。


吐き気を呼ぶ不安定。



誰にもわからない。


壊れそうなのに 


私が
こんなにも傷んで在る事に
誰も気付かない。



人並みの嘘を重ね着して
生きる毎日に 

生きる事は罰のようだ。





死にはしないけれど 
消えてしまいたい。


結局は

そこに
まだ 
囚われて 


明日もまだ 

苦しんで
過ぎてしまうように思え 




息苦しくて


生き苦しい。





色々と
一度に
考えてしまったのかもね…。





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月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


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私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
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