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かわいい。
可愛らしい。
お客さまが届けて下さった。
明日は雛祭りだからって。
食べたくない位
可愛くてたまんない。
ひよこちゃんケーキ。
うれしいなぁ。。
昨日は
節々が痛くて
寒気がして
頭痛が酷くて。
こりゃぁ
風邪っぽいなって感じで。
いつもの投薬にプラスして
風邪薬飲んで。
夕食時は
芋焼酎をお湯割りで
久々にしっかり飲んで。
睡眠薬も入れて。
眠った。
朝方には目が覚めたけど
それまでは
本当に
久し振りに
夢を見ない眠りに
落ちる事が出来た。
そのおかげか
風邪っぽい不調は
随分と楽になった気がする。
2013年から
月下陽香が
ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた
「摂食障害」
「リストカット」
「自傷」。
私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。
これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。
摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を
2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。
2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。
◆
【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。
★
【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】※4つの記事があります。
★
【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】※7つの記事があります。
★
【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】※12の記事があります。
★
【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】※17の記事があります。
★
【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】※61の記事があります。
★
【「6・自傷と共に生きてきた過程の0始まりから。」(20代後半頃の私)】※50の記事があります。
★
【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】※69の記事があります。
★
【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】※42の記事があります。
★
【「9・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(40代に向かう私)】※現在執筆中。
時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。
◆
【「朽ちゆく恐怖の中で。」(2015.2.27)】◆
【「泣き叫ぶ夜。」(2015.2.28)】過過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。
◆
【「私の時間は残り限られて在るのに。」(現在に向かう私・40)(2015.1.25)】◆
【「腐敗し朽ちて消えてくれたら良いのに。」(現在に向かう私・41)(2015.1.26)】◆
【「楽に消えるなら諦めもつくだろうに。」(現在に向かう私・42)(2015.1.28)】◆
【「呪いをどう解き放てるのだろうか」。(辿り着けるまで・1)(2015.3.1)】過程を綴る記事は
月下陽香が
ステージ上にも
ブログ上にも
摂食障害と自傷を
晒し掲げて活動をする事を始めた
2013年を
終えようとして居る頃までを
書き終えて居る。
心身共に深く痛み
1月28日の更新以降
過程の続きからは離れて
記事を更新し続けて
1ヶ月が過ぎ
前回から
やっと
再び続きを書く事を再開した。
続きを書くね。
2013年に
月下陽香が立てたステージは4回。
たった4回だった。
その全てに
私は
摂食障害者で在り
自傷癖者で在った事を
掲げ晒した。
持病の悪化に加え
飼い猫の看護は
その年の春以降
とても深刻で
毎夜毎夜
私は
3時間以上を
続けて眠る事も無く
暮らして居り
また
本業に加え
バイトもしており
身動きは
どんどん取れなくなった。
やりたい事が
どんどん出来なくなった。
動けない
体と
環境の中で
動ける人達を
羨み眺めながら
一生懸命取得した資格を
活かせる職場でのバイトには
始めは希望を持てて居たけれど
その
どうしても飲み込めない
矛盾した状況に
くたくたにくたびれていった。
足を痛め
持病も更に悪化した。
父を拒絶したのは
この年の元旦。
私の心身は
限界を超え過ぎて
私は
父に対し
父が変わらないのならば
私はもう
話したくないと言う想いを
突き付けた。
自傷してしまう繰り返しは
もう嫌だと
告げてやった。
私を
自傷癖者で在り
摂食障害者へと
育て上げたのは
誰よりも母だったと
私は思って居る。
そして。
そこから抜け出す邪魔をして
呼び戻すのは
父だと
確信をして居る。
以来
この年は
父とほとんど話さなかった。
電話に出る事もしなかった。
声を聞くだけで
虫唾が走る程に
嫌でたまらないから
とことん避けた。
でも
年末にはそうはいかなかった。
ここに
過程を綴りながら
もう何度も書いて来た。
父が
どんなに
手の掛かる人間であるかと言う事。
毎年年末には
父が
正月を迎え過ごす為の準備で
私は使い果たして居た。
昔からそう。
まだ10代の頃
母が居なくなって以来
ずっとそうだった。
父はいつも言った。
いつもいつも
私に言った。
「 頼んどくわ 」
この一言には
沢山の要求が詰まって居る。
3段重のお節を作り
大きな鍋一杯の雑煮を作り
更に
大きなタッパーに
日持ちする料理を作り詰め込み
年越し蕎麦も
温めるだけの状態にし
酒やら
アテやら
ハムやら
買い込み
新しい歯ブラシや
下着等用意し
大晦日や元旦に
混み合うスーパーに
独り者が行くのは
カッコ悪いと言って嫌がる父が
数日
外に出なくとも
お腹いっぱい
食べて飲んで
過ごせるだけの準備を
してくれと言う事。
それだけではない。
年賀状まで私に書かせる。
私の嫁いだ先にまで
父の名で
私が年賀状を書くような状態だった。
結婚した頃は
正月には
主人の実家に帰省したが
そこには
私が書いた
父からの年賀状が届き
義父に言われるんだ。
「 書いたのは自分なんやろ? 」 って。
もうしんどすぎて
少し前から
お節は買って送る事にしていた。
キッチンに立ちっ放しで
必死になって作る事が
もう嫌になった。
何から何まで
私の仕事だと
決め付けられていた。
よく
我慢して引き受けてきたもんだ。
とうとう嫌になって
父に連絡もしなくなり
1年を迎えようとした年末。
思ってしまった。
お正月の準備を
今年はどうするのだろうかって。
何も言ってこない父に
連絡をしてしまった。
私の中には
僅かな期待も在った。
お節を買うなんて
普通
どこでも出来る事だ。
近所のスーパーでも
デパートでも
行って聞けば
丁寧に教えてもくれるだろう。
父は
そういう事を
カッコ悪いと思ってる。
自分がカッコ悪いと思う事を
いつも私にさせる。
でも
1年近く
私は
父に連絡もしないで居たのだから
今年位は
“ もう頼んだよ ”と
自分で注文してみたよと
言ってくれるのではないかと
どこかでとても期待した。
だけど。
それはただの妄想だった。
連絡をしてみたら
父はやっぱり言った。
「 頼んどくわ 」
もう12月も半ばを過ぎて
予約なんか
締め切ってるとこも多いのに。
私がやってくれると
思ってたんだろ?
自分でやってみるとか
自分から
私に
ちゃんと頼むとか
そういう事を
しようとは
思ってなかったんだろ?
黙って待ってりゃ
私が動くと
決め付けてるんだろ?
本業もバイトも
看護も
家事も
自分の通院も在る
休みなんか無い私に
定年を迎え
1年中休みの父は
それでも
こき使う訳だ。
苛立ちと情けなさに
吐き気がした。
私は
結局この年も
年末は父に振り回された。
前年の大晦日は出掛けたけれど
この年は
大晦日もお正月も
自宅で過ごした。
糖尿病と乳がんを
抱えた飼い猫は
私には
誰よりも愛おしい
我が子のような尊い存在で
当時もう18歳だったし
一緒に年を越せるのは
もう最後かも知れないから
そばに居た。
音楽関係のお知り合いには
大晦日や
年明けに
誘って下さる人達も居たけれど
全てお断りした。
中には
猫と過ごしたいと言う私に
気分を害したのか
その後
二度と
連絡をくれなくなった人も居たけれど…。
猫とすごした。
そして
私は2014年を迎えた。
続きはまた。
2015年の2月の最後の日は
良いお天気だった。
心の中に
穏やかさの存在しない日々は
生きるに当たり
苦し過ぎる。
仕事を
事務仕事だけにして
少し歩いた。
予定が在った訳でも無ければ
約束も無い。
遠出でも無い。
ただ
近所を
ひとりでゆっくり歩いた。
よく立ち寄る神社にも参った。
ここに参る時の私は
いつも
人の事ばかりを祈って来た。
友人や家族の
病の事など
自分以外の
誰かの無事を
祈って来た。
でも
その日は
自分の事を祈った。
自分の少し先に
安心が在るように祈った。
ご神木の横で
陽射しを浴びた。
土曜日の参道は
観光客が多くて
平日に
ふらっと立ち寄る時よりも
ずっと賑やかで
それだけでも
いつもと違う空気感が在った。
坂道続きの参道を
のんびり歩いて
ぐるっと遠回りして帰宅した。
立て続けに降り掛かる
とてもとても
辛い出来事の数々…。
先日は
やっと
そのひとつを
私の
頭だけではなく
心まで
ちゃんと飲み込めた。
納得をした。
やっとひとつ。
分析と消化が出来た。
それで良いのだと言える
諦めも出来たのだろう。
沢山の中の
たったひとつ。
それでも
息苦しさは軽減される。
次の課題は親。
体調を考えて
主治医と相談しての事になるのだろうけれど…
そろそろ
一度会った方が
良いのかも知れないと
強く考えられるようになった。
突然に。
そう思うようになった。
と言う事は
そうすべきだと
言う事なのではないだろうか。
体力
精神力
時間
お金
思考
色々なものが必要。
それら
全て注がなくては
実行には至らない。
それでも
もうこのままは嫌だ。
具体的に考え始めて居る。
※ ライブ前後等を覗きコメント欄は暫く未設置となりました。
何か御座いましたらメールでご連絡をお願い致します。(2014.8.30~)
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このぶろぐ。
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