❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

  ♪:*:.:*:♪ ・らいぶ情報・ ♪:*:.:*:♪

     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

     ❤ 2016年11月6日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



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  ◆ ファーストシングル ・ 花いばら ◆
            2曲入り ¥500-
            2014.5.24 発売
花いばら

  ◆ セカンドアルバム ・ 生きてるからね。 ◆
            6曲+1曲入り ¥1000-
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いきてるからね。

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キズグチが生んだ果たし状。

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



この1ヶ月弱。


降り掛かる出来事に対し

思考は
余りにも目まぐるしくて 

休まる時間が無い。



時間も体力も金銭も 
ひたすらに
注ぎながらの日々を重ねてる。




目一杯に悩んでる。


だから

一生懸命に笑ってる。


前を見るしかないのだから。




一生懸命に
毎日を消化してる。


全ての仕事に 
一生懸命取り組んで 
大切にこなして 

職場やお客さまとの
会話のほんの一言も 
大事に大事に感じながら 

受け止めて居る。




長年の摂食障害から 

消化能力が酷く劣り 

消化も排泄も苦労しながらの生活は 

人並みに生きようとする程に 
毎日苦労するけれど 


口に出来る
食べ物の一口一口が



どれ程に有難いか 
身体と心に刻みながら 
暮らしてる。



笑ってる。

一生懸命笑ってる。

大変だから笑ってる。



油断すると
笑顔を忘れてしまうから 


意識して笑ってる。

とてもとても笑ってる。









「摂食障害者」・「自傷癖者」として生きた
約30年間の 出来事や想いが書かれた記事たちは
「カテゴリ。」に振り分けて安置されています。
必要な方はいつでもお立ち寄り下さい。

全「カテゴリ。」の説明とリンクをまとめて居ます。
【このブログ「癒え待ちよすが」について。】


こちらも少しづつ書いて居ます。
【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】










親はまだ入院中。


手術は無事終わったから 
私に言わせれば 
1日でも長く入院して居てくれる方が 
食事の心配も要らず有難い。



先日見舞いに言った。


腹の真ん中 
ヘソから上を真っ直ぐ
縦に15センチ以上になるだろうか 

傷がまだ 
ホチキスで口を止められた状態で残って居た。



術後は 
両の下腹からも管が出て居り 
トイレも行けないから管で繋がれて居て 
背中にはブロック麻酔の管 
腕には点滴の管 
と言う状態だったけれど 

もうトイレも自分で行けるし 
腹の管もひとつになって居た。


出来るだけ歩くように言われていて 
腕からの点滴をガラガラと引き連れて 
腹からの管が繋がる袋もそこにぶら下げて 

よたよたと歩いても居た。



その日は
術後初めて水を飲んだらしかったが 
ほんの10CCほどで
満腹になってしまったそうだった。



胃袋が無くなったのだから 
仕方ない。
空腹感も無いらしい。
そりゃそうだね。



これから
毎日毎日気を付けながら 
今の身体で食べてゆく訓練を重ねるしかない。


今までのように 
人ばかり頼らずに 
言い訳して逃げずに 
生活を改めなければ 
生きてはゆけない。


この人に一体どこまで出来るのか 
想像するだけで 
自分に降り掛かるだろう重荷に 
胃痛が増す。




病院に行く前に 
親の家に寄った。

壊れたままのエアコンの設置工事をして貰って 
その間に掃除をした。



もう・・・。酷い。


長年の空き家ならともかく 
なぜ 
人が暮らしてる家が 
あそこまで汚れるのか。

ゴミ屋敷と言われても仕方ないような状態。



関わりを絶って居たこの3年近く。


それまでは
私は
行く度に大掃除してた。

いつもいつも
ゴミだらけでホコリだらけで 
雨戸まで締め切ったままで。


あちこち
必死で掃除しなくてはいけない
繰り返し。


私が最後に行った時以来 
手付かずに思えるような 
滅茶苦茶な家。



私は
この家に行っても
泊まる事は無い。
トイレも使わない。
お風呂にも入らない。

汚くて使いたくない。


いつもいつも掃除しながら 
嫌で嫌でたまらなくて。


3年振りに行けば 
やっぱりまた 
私がするしか無い事になって居る。


もううんざり。



今回は受け入れて我慢した。

目眩がしてくるまで
ひたすら掃除した。


古い家だから
あちこちボロボロなのは
もう仕方ない。

それと汚いのとは違う。



もう
言葉にするのが
恥ずかしくて情けない程に酷かった。



掃除して
掃除して
掃除して。


キッチンには 
介護食のお粥や冷凍食品も 
栄養ドリンクやゼリーやスープ 
経口補水液 

思い付く食料も
出来る限りストックしてきた。




「もう知らないよ。」
「最後のチャンスだよ。」

心の中で繰り返してる。



胃袋全部没収されて 
痛い怖い想いして 

いい加減
今度こそ変わらなければ 

私は
もう
欠片の後悔も無く親を捨てる。

今度は本当に捨てる。




時間が許す限り掃除して 
車には
大量のゴミを詰め込んだ。

これもいつもそう。


親の家に行くと 
帰りの車はゴミでいっぱい。




掃除された部屋に 
「おかえり」って迎えて貰った事は
たった一度も無いや。


一度でも
そう言う事

よく
親がしてくれそうな事

されてみたかったんだよ。


得られないってもうわかってるけど。




出来る範囲で片付けた部屋。


親がいつも座る場所に
座れば直ぐにわかるように 

テーブルの上に 

新しいエアコンの説明書と
リモコンを並べて置いた。


介護食の事を書いた物や 
必要な物を置いて。


そこに 

先日書いた手紙を置いた。




手紙。

私に言わせれば 

最後の
果たし状
かも知れない。



ずっと言いたかった事を書いた。

親に対して 
親の最低な性格も言動も 
訴えた。


変わらなければ
次はもう無いと言う事も書いた。




退院日は
まだ決まって居ないが 

恐らくは平日で 
私は
仕事が在るから迎えに行く気は無い。


退院するのだから 
自力で帰れるはずだし 
自分の生活を
出来る限り犠牲にはしたくない。


もう
この1ヶ月は 
十分に犠牲にして来たし 

退院は 
自立への始めの一歩だから 
自分で頑張ってくれたら良い。



胃袋を失った身体で 
やっと家に帰って 
片付いた部屋に入り 

新しくなったエアコンを付けて。


親は手紙を読むのだろう。


心は大きく痛むだろう。



それで良い。
痛む程良い。

二度と忘れぬ位に 
痛んだ方が良い。


酒に逃げられない生活の中で 
やり直した方が良い。

生活する事を考え直した方が良い。



まだ60代。

自分で出来る事は
自分でする気力を
まともに立ち上げて欲しい。


お互いに
自立してこそ
支え合えるのが 
在るべき繋がりなのだと思う。




仕事も家事も通院も 
当たり前に詰め込んで
繰り返される日々の

隙間は全て 

親の世話に注いで過ぎゆく今月。


その更に隙間に 
ある場所に寄った。



30分弱程の時間で済む位の事なのだけれど 

ここ何年か 
もう一度見てみたいと思って居た景色が在った。



現在のそこが
どうなっているのか知りたいと
思っても居た。




まだ

家族は4人だった。


父と母と私と妹。

社宅で暮らしてた頃。

今でも夢で見る事が在る。



学校の帰り 
大きな道の信号。

青になったら渡る。


そこからは
もう社宅が見える。

長い長い道。


少しだけカーブしながらの1本道。


両サイドは畑。

畑に挟まれた道を 
もう見えて居る社宅まで歩く。


その道はとても長かった。
社宅は見えて居るのに 
遠かった。



昔歩いた通学路。

車で走って貰えた。

景色が変わり過ぎて 
記憶と重なるものが見当たらなくて 
迷って。

ナビで辿り着いた。



驚いた。

道の狭い事狭い事。


子供の私には
広かった記憶が残って居たのに 
実際には
狭い狭い道だった。


当時在った物のほとんどが
もう無くて。



見覚えの在る大きな木も 

多分これだろうと思う位で。

当時の友人の家ももう無くて。



記憶の中の大きな道の信号も 
2車線の狭い道を渡る信号で。


信号から見えて居た社宅は見えなくて。


畑だった広い土地には
家がいっぱいで。



恐らくはここだと思いながら
信号を渡り 
記憶の方向へ歩いても

社宅は見当たらず。


信号から
遠くに思えて居た社宅の場所 

ここかも知れないと思った場所は 


これから分譲されるような更地で 
信号からは直ぐで。




幼い子供の視界と言うものを 
初めて
知ったように思った。


子を持つ人なら
気付いて居る
当たり前の事かも知れないが 


私には初めての感情だった。




小さな頃の私が
見て感じて居た景色は 

大人の私には

とてもミニチュアな世界で 


それでも
幼い私には 

広い広い世界で 

とても眩しかったのだと言う事。




もう

何も無いんだと思った。


当時はもう別世界で。

どこにも無い。



今を生きて居ると言う事なのだろう。




私の中に
ずっと住み付いて居る
もう一人の私。


インナーチャイルド。

アダルトチルドレン。



幼い私は
少しだけ
大人になりたがって居るように思えた。


私の中の幼児は 

最近は走り回らない。


もう
沢山の玩具が無くても
不安にはならない。






月下陽香は
今月は
1曲も歌う事無く過ぎる。

相棒さんの顔も見ていない。


毎日は 

副業に疲れ果てながら 
本業を続け 

家事をこなし 

通院をし 

使い果たして過ぎゆく繰り返し。



ただでさえ 
そうで在り 

ほんの1~2時間の練習すら 

週に一度でも 
生み出す事に 
身体も心も苦労してる。



私にとって 
日々に 
音楽に関われる時間を作る事は 
物凄く
ものすごく 
無理をして調整して 
頑張って頑張って
やっとの事で。



それでも

必死になって 
ものすごく必死になって 
続けて来た事で。


だけれど 

基本的には
いつも 
そこでは
何かを失うようで。

いつも
何かしらに傷付きもしながら 

我慢を重ね続ける事にも果ててしまい。



傷んでも痛んでも続けて来た事が 

今は
どうか
少しでも 

「良かった」と思える形で 

締め括ってゆける環境を
得られたならばと 
一番に願ってる。




少し先にひとつ 
有難い事に
ステージのお話を頂いて居る。


喜ばしい事なのに 
まだ答えを出せない。

お返事も出来て居ない。


連日
背負う者が多過ぎて 
心身共に
朽ちてゆく一方で 


その日までに
私は

月下陽香を仕上げられるのか 

まだ全く描けても居ない。



退院の目処が立つ頃には 
判断をしなければと思う。




私は
このままで
歌を失ってしまうのだろうか。


せめて

思い残す事が
ひとつでも減るように 

やり残した想いが
少しでも数少なく逝けるように 

もう一度 


長いステージに


上がりたい。






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内臓と引き換えた鍵。

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



人が
この世に生まれ落ちて 
あの世に召されるまでに

与えられた時間はそれぞれだ。


そこに行き着きまでに 

避けられぬ痛みも 
それぞれだ。



どれもが違う。

同じような経験をする人は多く在れど 


人は
それぞれに
違う思考や感情の中で 

それらを処理してゆく過程も 
知れる想いも 

皆それぞれだ。



例えば
親が居ても居なくても 
結婚しても居なくても 
子が居ても居なくても。

皆それぞれで 

それぞれに

恐らくは 
本来は尊い。




自分の人生の道のりが 

どのように
伸び 
繋がり 

どこで曲がり 

どこに向かうのか 

予測は難しい。



生きる程に 
何が起こるのかわからない事を知る。



もう少し年月が流れた先に 
生きて在るならば 

また
その思考は
変わって居るはずだけれど 



この年代の私には 

人生は
いつ何に襲われるのかが 
まだ余りにも未定で 


だけれど 

それに対応してゆける判断は 
いつの間にか
少し得られて居たようにも思う。




道は1本では無い。

いくつもの選択肢は突然に訪れる。


私にもまた 

この度
次の選択肢が突き付けられた。



いくつかの分かれ道。


その道の上には 
扉が在るように私には思えた。



どの道を選んでも 
そこには
まず扉が立って居た。



そう。
わかりやすく言えば 
ドラえもんの
どこでもドアみたいな雰囲気で。



でも 
どこでもドアのように
ドアだけがあるのでは無くて 

扉の向こうは
まだ真っ暗で 
何も見えなかった。



大きな動揺は 

余りにも衝撃的に 
冷静な感情の裏側を駆け巡った。


ただ

受け入れる覚悟は始めから出来た。



迷わずに
道を
ひとつ選ぶ気持ちは
直ぐに立ち上がった。


その時に 

神様は 

隠して居た鍵を

ひとつ 

見える所に 

手の届く所に 

置いてくれたように思えた。






私の心の中に 

未だ在り続ける
もう一人の私は 

幼子のままで 



「インナーチャイルド」とか

「アダルトチルドレン」などと

言われる人の 
私は間違いなく1人であり


その自覚は十分に在る。



私の心は
未だに
満たされない幼児のままで 

私の中で生き続けて居る。


私は
いつも
その
もうひとりの自分のおもりをしてる。



そうしながら 

大人になれなかった 
不足したままの自分の

奥底と 
共存をして居る。


共存をしながら 
自分で自分を育て直して居る。



誰も与えてくれない事を 
受け入れるしか無い事も理解したし 


それでも
もうひとりの私は
満ちる事無く留まるから 


自分で 
幼い自分を
受け入れて育て直す事を 
繰り返して来た。




この1年半ほどは特に 
自分の
心や 
癖と 
物凄く向き合ってきた。


向き合いながら
1日もサボらずに 

悩んで

間違って繰り返して。


苦しんで苦しんで 

重ねて来た。



痛みの奥底に埋め込んだ種は 

全く芽吹く事も無く 
ひたすらに
苦しみを受け止めながら 

繰り返した。






やっと
ここ最近。

本当に最近。


私は
今の私の根を感じ始めた所だった。


やっと。

生きる選択を始める心を
取り戻しかけた所だった。


その思考を 
感じられる精神が
見え始めた所だった。




そこに

突然に表れた
いくつもの分かれ道と 

立ちはだかる扉。




選んで
ひとつ開けて 
進み始めたら。



私の中の

もうひとりの私 

幼い幼児の私は 


少しだけ 
これまでよりも

大人になったように感じた。 








「摂食障害者」・「自傷癖者」として生きた
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入って来る情報は
日々変化した。

当日になって
手術の予定時間はまた変わった。

17日正午には
オペ室に入る事となった。




病院まで 

電車と徒歩では3時間はかかる。


まだ
お盆休みの企業もあったからか 
朝のラッシュは幸いにマシだった。



電車の中では
珍しく読書をした。

観た事の在る映画の話。

ストーリーは知って居るから 
楽しんで読めた。


時々外を眺める。

車両を見渡す。


世の中は
まだ夏休みなのだと感じる。




乗り継いだ電車。


最後に乗った路線には
もう10年以上乗って居ない。



電車が
かわいらしくなって居た。


「めでたい電車」。


テレビで一度観た事が在る。

写真には写ってないけれど 
つり革までが
可愛らしい魚の形だった。



おばあちゃまとお孫さんだろうか。

電車の可愛らしさに大喜びで 
発車までに沢山の写真を写してた。




車窓から覗く景色は 
もう

10年以上前に暮らして居た土地。


だけれど 

所々に面影が在る位で 

すっかり変わって居たように感じた。






最寄り駅からは 
日傘をさしても焼け付く陽射しの中 

病院へ。


11時半前に辿り着いた。


6階の親の部屋に着くと 
叔母さんが来て下さって居た。




このブログの中の
過程を綴る記事には
何度も書いて来たが 


私は 
親の親族と関わりが無い。


自ら避けた訳では無くて 
母親がそうしたから。



だから

母親の親族と会ったのは
小学生の低学年頃が最後で 


後は
一度だけ
20代の時に行った葬儀だけ。


父親の親族とは
幼稚園の頃が最後で 

祖父の葬儀では顔は合わせたが 

祖父の顔も
私にはわからなかったし 

ほんの一瞬会っただけで 
それきりだったから 
顔も覚えて居ない状態だった。


叔母さんの記憶もほとんど無い。


確か
いとこが居たけれど 

覚えて居るのは
幼稚園の時に 
母親と妹と遊びに行って 
そこの2人の娘さん達と昼食を頂いた事。

それだけ。



いつの間にか
もうひとり娘さんが居て 
もう30代で 
お子さんも居られて。

そんなのも
全くわからない状態で生きて来た。



その叔母さんは 
親の弟の奥さん。

久し振り過ぎると言うか 

ほとんどわからないままに 
病室で再開した。




親は
ベッドの上で点滴をして居て。


その顔の心細い事。


不安しかない表情で
小さな声で少しだけ話してた。



間もなく看護師さんが来て 

予定よりも時間が早まったとの事。


点滴を終えた後 
看護師さんに導かれて 
自分の足でオペ室に向かう。




病室を出る時。


怖かったんだろうね。



歩き始めた親が 
私の手を探すような動きをして 

私は
迷いなくその手を取り 

手を繋いで

ぶらぶらさせて。



幼い子供の手をひくように 

私は
親を連れて歩いた。


「遊びにいくみたいやなぁ」って笑っても 

親の顔は緊張でガチガチ。


オペ室に独りで入ってゆく姿は 
寂しさの塊みたいだった。




開始前に
4時間と言われた手術が始まった。


ひとりで待つ間に 
手紙を書こうと思って
色々と持って行っていた。



書けなかった。



叔母さんが
ずっと横に付いて居てくれた。


最後まで居てくれるとは
思って居なかった。


家族が待てる場所は 

他の患者さん達も
食事をしたりする場所で 

そこに座って待ち始めた。



テレビでは
高校野球がやっていて。

時々話しては一緒に観て。


お昼には
おにぎりとサンドイッチを買ってきてくれた。



好きな物がわからないからと 
両方買ってきてくれた。


私はおにぎりをひとつ頂いた。


会った事の無い
いとこも少し顔を出してくれた。

初めましてだ。
変な感じだ。



お互いにすっかり大人で。

私はもうおばちゃんで 
彼女は2児の母で。

いとこって言われても実感はゼロ。

不思議な感覚だった。


血が繋がる人なんだーって。
不思議だった。



3時間程はあっという間に過ぎた。

それからが 
次第に長く感じられた。


じっと座って居るのも疲れてしまった。


でも
4時間ほどなら
あと少しだと言い聞かせた。



叔母さんが 
携帯の番号とアドレスを聞いてくれた。


私のアドレスを知る親族は居ないから 

それが当たり前だったから 

そんな事にも
私の心は反応してしまった。




4時間が過ぎようとする頃 
叔父さんが来てくれた。

付き添ってくれた叔母さんの旦那さん。

顔はやっぱり覚えて無くて。

会ってみれば
親に良く似て居た。

後ろ姿なんて
ほんとそっくりだった。



身体のあちこちが痛くて 

胃痛も激しいままで 

じっとしているのは辛くなって 


動物園の熊みたいに 
うろうろしたり 
軽くストレッチしたり。

時間だけが過ぎて行く。



手術は終わらなかった。

やっと終わったのは5時40分過ぎ。


看護師が呼びに来て 

主治医から
家族に説明をされる部屋に入ると

間もなく医師が来た。



目の前には 
親の胃袋が置かれた。


医師は
手袋をした手で 

それに触れながら 

ひっくり返したり 
広げたりして説明をした。



癌細胞は

6センチ程に膨らんで 

胃の内側から
外側にまで浸潤しており 

そこから
あちこちに飛んで居る可能性も高かったが 

今の所は
そこまで広がっても居なかったとの事。


ステージは3だろうとの事。

5年生存率は 
抗がん剤治療もしたうえでの 
40%少し。



目の前の胃袋は 

ただの肉と言うよりも 
モツ。


それ位の感覚。



気持ち悪いとは思わなかったが 
怖いとは思った。


人の身体は

こうして朽ちてゆくのかと思った。




説明の後は
集中治療の個室へ。


まだ誰も居なくて
暫く待って居たら 
横たわった親が
2人の看護師に運ばれて戻って来た。

着替え等する間病室の外で待った。



しばらくして部屋に入ると 

親は目を瞑って居たが 

看護師によると
もう意識は戻っているとの事。

声を掛けるとうなずいた。

叔父さんが少し話しかけて。



面会は
ごく僅かな時間。


その僅かな時間に
2度 
親は
必死になって目を開いて私の顔を見た。


帰りに
声を掛けて手に触れた。



その指は

私の手を

ちゃんと握り返した。



あとは

本人の頑張りと 
病院の方々を信じて
お願いする事でしかない。


私は翌日からは仕事だし。

大阪へ帰るのも
私には 
体力的に物凄く大変な事。





20年来の友人が 
病院まで迎えに来て下さった。



病院から
大阪に向かう電車の発車駅に向かう手段は 

タクシーを呼ぶか
探して拾うか 

バスを待つなら1時間に1本 

電車は 
病院最寄り駅まで歩いて
1時間に2本。


相当な時間と体力が
そこで消費されてしまう。



仕事も家事も忙しいのに 
友人は
私が病院から出る前に 
病院に着くように
車で迎えに来てくれた。



それだけで
自力で移動するよりも
1時間もの時間が変わる。


ものすごく有難かった。
本当に。

身体は勿論 
心も
ものすごく救われた。

疲れ切っていたから。




そこからは
自宅の最寄り駅まで
2回乗り換えて2時間。


駅から自宅までは
もう自転車もこげなくて 
杖代わりのようにしながら
止まり止まり歩いた。




翌日からは
また5時半起床で出勤。




仕事は好きだ。

最近は特に。


ここまで好きになるまでには
1年間の踏ん張りが在った。


悩みながら
ひたすら頑張って 
そうなれた。


職場に行ける事で
紛らわせる事も在る。


人と会って
一生懸命働く時間が在ると言う事は 

人として幸せだと思う。




叔母さんは
翌日も見舞ってくれたそうで
メールを下さった。


翌日から親は歩いたらしい。


手術翌日から
歩くのは当たり前なのだけれど 
人の身体ってすごいなと思った。



翌々日の昨日は 
何年振りかわからないが 
親から短いメールが届いた。


集中治療の個室から
一般病室に移動したとの事。



今日届いたメールには 
明日から水を飲めるとの事。
その後
おもゆから食事を始めるらしい。




私は
明日親の家に行ってから 
病院にも寄って来る。


頻繁には行けない。


この3週間程は 
物凄い無理をして通って居るけれど 
そんなのは続かない。



今後は
自立してゆけるように 
出来る限りの準備を今して居る。



明日は
壊れたエアコンを新しい物に交換して 
出来る限りの食材もストックして 
掃除をしておく。

退院後 
自分で頑張れるように 
出来る限り準備をする。







殺されると心底感じて 
親との関わりを絶って過ごした
3年近く。


私は
もう 

壊れる程の我慢をする気は無い。



でも。

その間に

親が
どれ程に自分を責めて 
どれ程の寂しさに朽ちて行ったのか 


私にも
わかったように思うから 


これは
私達親子には 
最後のやり直しのチャンスだと思って居る。



神様が 
親の胃袋と引き換えに 
私達親子に与えたのだと思う。



再び 
これまでのような繰り返しに
引き戻されたならば 

私は
今度こそ 
親を捨てる。


どんなに痛んでも
きっとそうしてしまうだろう。





手術中に
書こうと思って居た
手紙を書いた。


親に 
一番言いたかった事を書いた。


書き切ったと思う。


だから
もう一々親に言う事も無い。



伝わるかどうかはわからない。

伝わらない可能性も高い。


もう
今までにも
散々
そう言う事は在ったから 

それでも仕方ない。



だけど
言いたい事は書いた。


親の
何が
私を苦しめて壊したのか 

きっちり書いた。



私が
本当に欲しかったものを 

はっきり書いた。



私は

 「親」が

欲しかったと書いた。


「親」らしい事を
して貰ってみたかったと

書いた。




退院後 
家に帰って来た父が読めるように
置いて来る。





医師にも看護師にも 
聞かれた事が在る。


癌がわかった時から 

親は
病院で 
自分には家族が居ないと 
独りだと言っていたらしい。


本当にそうなのか 

今後何か在った時に 
娘である私に連絡をしても良いのか 
確認をされた。



親は
本気で
独りで生きる覚悟を
しようとしていたのだろうか。




叔母さんは
詳しい事は何も聞いて居ないと言って居たが 

親は
さすがに
今回は
物凄く堪えていたようだと言って居た。

さすがに
今後は

少しは変わってくれるのではないかと。




こうならなければ 

そうはなっていないだろう。



胃袋の没収は大きいけれど 


これでやっと 
親の残りの人生が 
心に豊かなものへと
変わってゆけるならば 
きっと良かった事だろう。



酒に溺れなくても 

質素な食事の一口が
どれだけ有難くて美味しいか 

味わって 

小さな事を楽しんで 

穏やかさを探して欲しいと思う。



身体の中。


胃袋が在った場所は 
食道と腸が繋がった。


今まで

アルコールと寂しさを
投げ入れて来た
胃袋が在った場所に 


親は
新たに何を詰め込むのだろうか。





何にせよ 
全てはこれから。
大変なのはこれから。


私には私の生活が在るしね。

自分の身体のケアの方が
大事にしなくてはいけない事で 
私には私の 
今の生活が在るしね。








今年は
暑中見舞いも書かなかった。

そんな時間も見当たらない夏だった。


葉書を下さった方が居られた。

お返事も出来ずに申し訳ない気持ち。


有難く頂戴いたしました。
本当にありがとうございます。

この夏は
お返事を書く余裕がありません。

本当にごめんなさい。





こんな月下陽香に 

大好きな歌姫さまが 
ひとつ 
ステージのお話を下さって居る。

そのお返事もまだ出来て居ない。


まだ
退院日は決まって居ない事も気になるし 


何よりも
今月は
たった1曲も歌わずに過ぎる。


その後の練習で 
ライブの準備が出来るのか 


この環境で
身体が耐えられるのかも 
まだ悩んで居る。






もう
8月も終わってゆくね。




青い空に 


白い雲が浮かんでる。






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自己紹介。

月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


このブログには
私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
共存して居た頃の出来事を綴った記事も
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