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月命日も
11回目を迎えた昨日。
納品後
見上げた空は
美しい青空だった。
この手の中で
愛おしいものが召されてから
11ヶ月。
昨年の今日を想い起こせば
心は
まだ
リアルな痛みに抉られてしまう。
昨年の今頃の日々で
私の
目にも
耳にも
肌にも
焼き付けられた
最期の姿は
私には
余りにも衝撃的な悲しみで
思い出せば
まだ
涙も溢れてしまう。
それでも
空を見上げながら言った。
お母さんは
やっと
1度だけ
笑ってステージに立てたんだよ。
一緒に居たから知ってるよね。
もう
お留守番させられる事も
ないもんね。
月下陽香は
ひとつ
次のステージを
さっき頂けました。
ギタリストさんが
繋げてくれたの。
6月28日日曜日大阪我孫子で歌います。
詳細は近日中にお知らせします。
2013年から
月下陽香が
ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた
「摂食障害」
「リストカット」
「自傷」。
私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。
これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。
摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を
2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。
2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。
◆
【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。
★
【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】※4つの記事があります。
★
【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】※7つの記事があります。
★
【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】※12の記事があります。
★
【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】※17の記事があります。
★
【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】※61の記事があります。
★
【「6・自傷と共に生きてきた過程の0始まりから。」(20代後半頃の私)】※50の記事があります。
★
【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】※69の記事があります。
★
【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】※42の記事があります。
★
【「9・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(40代に向かう私)】※現在執筆中。
時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。
◆
【「命が消えた日から。」(2015.5.20)】◆
【「死にたい想いを繰り返した頃から。」(2015.5.22)】過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。
◆
【「呪いをどう解き放てるのだろうか。」(辿り着けるまで・1)(2015.3.1)】◆
【「自傷癖を呼び戻す者を知れど。」(辿り着けるまで・2)(2015.3.2)】◆
【「キズグチを愛せた時に。」(辿り着けるまで・3)(2015.3.4)】3月6日以降
過程の続きを書く作業からは
離れて過ごして居るが
間もなく書き戻れるよう
準備を整えて居ます。
待って居て下さるみなさま
いつもありがとうございます。
16日のライブは
しばらくしたら
YouTubeにもアップしますから
お待ち下さいね。
先週の今日は
やっとの想いで
ステージに立って居た。
取り残されて
置いてきぼりのまんま
痛んで在った
この数年の中でも
この1年は
本当に苦しかった。
寂しくて
悲しくて
苦しかった。
その
1年間の痛みを抱きしめて
小さな希望を握り締めて
向かった
たったひとつのステージだった。
まず
そこまで辿り着こう。
その
たったひとつを終えたならば
また
日々は
苦痛に付き添われるように
進むしかないだろう恐怖も
十分に知りながら
懸命に向かった。
向かいながら
そこを「区切りにしよう」と
考えて居た
いくつかの想いも在った。
暫く止まったままの
過程を綴る記事を書き進める作業を
続けてゆく為の準備を
きちんと整えて
書き始めてゆこうと
心に決めた事も
そのひとつで
ライブ前の記事にも
その考えは記事にして居る。
記事にはして居ないが
心に決めて居た事も在った。
私は
ここ数年
SNSから離れて居る。
Facebookもやめてしまったし
mixiも放置したままだ。
ラインもしない。
月下陽香が
あまり活動出来なくなった頃から
活動出来る人達との交流が
とても辛くなって
SNSをしなくなった。
そこで繋がるのは
私を
良く知ってくれて居て
関わってくれる人たちばかりでは無い。
知り合いの知り合い位の人達も
マイミクには存在し
互いに
とても浅い繋がりを
選んで在る人達も沢山居る。
こっちが
どんなに
体調が悪かろうが
精神的に落っこちて在ろうが
環境が大変な事になって居ようが
こっちの事を
ひとつも知ろうともしないままに
月下陽香のライブには
来ようとした事も無い人達から
頻繁に
自分たちのライブ告知ばかり
送られてきたりする事も
当たり前に在る。
自分の
体も心も環境も
無理をすれば
なんとか出来た頃ならば
それらを
受け入れる事も出来たけれど
そうではなくなった私には
苦痛でしかなかった。
だからしなくなって。
このブログの更新と
あとは
地味にツイッターをしてるだけだ。
ツイッターのフォローも
気になる天体関係など以外は
基本的に
リアルに知って居る人しかしない。
リアルに知って居る
僅かな人だけで良い。
その
僅かなフォローしかしていない
ツイッター内で
ひとつ
整理しようと思って居た。
昨年秋
私には
とても傷付く出来事が在った。
それはここに記事にもした。
◆
【「垂れ流す偏在な毒の華はイキザマだから。」(2014.11.26)】私には
物凄く傷付く出来事だった。
恐らくは
それは
私が
最もされたくない事ではないかと思う。
それまでの過去にも
そのような事をされて
深く傷付き
今も尚
私は苦しんで居る。
同じ痛みは
もう二度ど負いたくないと
強く思って居たし
それは
ここにも書いて来たのに。
それをしたのは
とても大切な人だった。
私を知ってくれているだろう
とても大切な人だった。
その人の家族までが
大切で尊い存在だった。
信じて居た人だった。
大好きだった。
どうでも良い人にではなく
とても大切な人にされた出来事は
私を
ズタズタに切り裂いた。
煮え滾る怒りにも包まれた。
許せない。
そんな想いが渦巻いた。
その後
感情を抑えきれずに
私が発信した
ツイートや記事を見た
その人は
一度メールで謝ってくれた。
メールの文字では
謝ってくれた。
けれど。
私の想いは治まらなかった。
謝ってくれたのだから
許さなくてはいけない。
自分に
何度もそう言い聞かせたけれど
飲み込めなかった。
懸命に
想いを
手紙にもして送った。
何日も
何時間も掛けて
書いた手紙だった。
忙しい年末に
必死で時間を捻出し
本当に
一生懸命に
込めて書いた。
何とかして
怒りを鎮めようと
キズグチを治して
忘れようと
懸命に努力をした。
でも
それは
私の心に
大きな負担を掛けた。
謝って貰えば
許さなくてはいけないのか
それもわからなくなった。
どんな事をしても
謝りさえすれば
傷付けた方は許されて
傷付けられた方は
全てを許し
飲み込まなくてはいけないのだろうか
わからなくなった。
どんなに努力をしても
私の心は
酷く痛み続けた。
許せる想いが見付からなかった。
許せない自分を
責めて
責めて責めて
眠れない夜は
更に乱れ
気が狂いそうになった。
それは苦し過ぎた。
壊されると感じた。
限界を越えるまで
許せる自分を探し続けたけれど
見付けられなかった。
辛くて辛くて
許さなければいけないと
思う事をやめた。
その人の誕生日も
悩んで悩んで
今年は祝わなかった。
フォローしていた
その人のツイッターも
フィルターをかけて
見えないようにした。
でも
フォローを止めはしていなかった。
大切な人だった。
大事に想う人だった。
共に
良い経験を出来た
幸せだった頃も在った。
互いの大切な人達を
紹介し合ったり
広げたりも
出来た付き合いだった。
だから尚更
深く傷付いた。
深く深く
刻み込まれてしまった苦しみ。
16日は
月下陽香には
特別な大切な
目指した日だった。
そこに向かう月下陽香に
もし
例え一言でも
声を掛けてくれるような
その人で在れば
私は
もう一度
自分の感情を
許す方向へ歩ませる努力を
したいと思って居た。
だけど
それも無く過ぎた。
もう
フィルターをかけてまで
繋がる必要が在るとは
思えないと思った。
意味が無いと感じた。
だからフォローを止めた。
リンクも外してしまった。
半年近く
真剣に痛んで悩んで来た。
キズグチが
簡単に癒えるとは思えなかった。
あえて痛
みを感じない事を選びたい。
それで良いとや
っと思えた。
先の事はわからない。
またいつか
何かを
共に出来る仲間に
戻れるのかも知れないし
二度と
関わる事もないのかも知れない。
それは
先々に
神様が
選び与えて下さるだろう。
来月から
お世話になる会社の
入社手続きに必要な書類が届いた。
入社日に
色々と提出しなくてはいけない。
この仕事は
やりたかった仕事だけれど
以前
その仕事をして居た時の
仕事内容とは違う。
また
新しい世界に飛び込む事になる。
年々覚えだって悪くなる。
覚えるのも
こなすのも
時間がかかるようにもなってくる。
その分
自宅での勉強も
増やさないと
ついてもいけなくなってくる。
人間関係だって
新たに増える。
基本的に
萎縮傾向に在る
不安定な私には
物凄く大変な事。
毎日毎日
馬鹿みたいな訓練の
ひたすらな繰り返しを
続けながら
やっとこさでも
ついてゆけるように
願うけれど
緊張は既に目一杯に在る。
だけど
働こうと思い
実行できる自分は
誉めてやれる。
体も心も満ちては居ない。
不足の方が遥かに多い。
それでも
社会に在ろうと
努力してる自分は
それをしない自分よりも
きっと好きになれる。
私が
まだ幼い頃
母親は専業主婦をしていた。
その頃は
周りの同級生の母親も
専業主婦が多かった。
今はそんな時代じゃない。
専業主婦も
少ない時代になった。
幼い子供を育てながらでも
懸命に働く人がとても多い。
日に数時間でも
最低賃金から頑張って
働いて居る人達が沢山居る。
子育てもしない人生を選んだ私は
出来る限り
自力で生きなければならないと
とても思う。
どんな形でも
出来る限りは
社会に存在をして
在りたいと思う。
こんな偏在な私にも
その場を与えて下さる企業に
感謝してる。
与えてくれる人や
場所には
お返しを出来る自分で在れるよう
努力したいと思う。
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このぶろぐ。
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