❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

  ♪:*:.:*:♪ ・らいぶ情報・ ♪:*:.:*:♪

     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

     ❤ 2016年11月6日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



  ♪:*:.:*:♪ ・CD情報・ ♪:*:.:*:♪

  ◆ ファーストシングル ・ 花いばら ◆
            2曲入り ¥500-
            2014.5.24 発売
花いばら

  ◆ セカンドアルバム ・ 生きてるからね。 ◆
            6曲+1曲入り ¥1000-
            2011.8.21 発売

いきてるからね。

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吐き切る自傷を晒して在る偏在でも。(高校生・11終)




私は


20年を越える年月。



摂食障害や自傷と
共存をしてきた。




悲しみも

憎しみも

体中に抱き締めて

巡らせてきた

この年月を


始まりである
小学生の頃の出来事から



7月7日以来

記事として残してゆく事を
始めて。




今は
高校時代の私を
記している途中。




高校時代の記事を

始めから読みたい方は

【「痛くて壊れてしまう日に。(高校生・1)」】

【「真ん中の空虚に詰め込んだ自傷と。(高校生・2)」】

【「吐かせる女。切らせる女。愛憎は壊廃。」(高校生・3)】

【「嘔吐も自傷も壊れた血の継続じゃないか。」(高校生・4)】

【「吐くのも切るのも捨てられたからじゃなくて。」(高校生・ 5)】

【「少女はゴミ箱に暮らし裏切りを知り。」(高校生・6)】

【「どれだけ吐いて切ればいいの。」(高校生・7)】

【「体壊れて心壊れて。」 (高校生・8)】

【「自傷から抜け出せぬ絶望と頼りない希望。」(高校生・9)】

【「続く自傷はいつ私を手放してくれるのか。」(高校生・1 0)】



小学生の頃からの記事を
振り返って読みたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】

【2・「自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】


ここには

小学生
中学生の頃の私を

書いた記事も置いています。


 ※(【】内クリックで飛べます。)











今日は

高校時代の
最終回になる。







私が居たのは
就職クラスだから


ほとんどの子達が
就職活動してた。



クラスで

進学を選んだのは
私を入れて確か3人。



就職が決まった子
推薦入学が決まった子達と


まだ

何も決まらない子達の温度は


当たり前だけど
違い過ぎて。



教室は
なんだかピリピリしてた。




私は

前々回の記事に書いた
国立大学の夜間コースを
目指していたけれど。



毎日は
追われる事が多すぎて。



受験勉強って言っても

特別な事は何も出来なかった。





相変わらず
出席日数がやばくて。


試験は赤点で
追試組やし。



ひたすら我慢して
学校に行った。



友達も普通に居たけど

学校はちっとも面白くなくて。




授業中に
受験勉強してた。







彼とは
別れようと考えていた。



あたたかい家庭に
生まれ育った彼は

心が本当にキレイで。


一途で優しくて。


早く結婚して
子供が欲しいと思ってた。



私には

その彼と居る
自信はなかった。




親を見てきて

結婚に
夢なんてなかったし。



子供を産んで
母親になるなんて


いちばんしたくない事だった。










そう言えばね。

ちょっと話が反れるけど。



20代も後半に入った頃にね。



今まで何人の人と付き合ったの?って

聞かれた事がある。




正直。

数えられなかった。



まともに思い出せない

名前も覚えてない人も

たくさん居た。




本気も
適当も
穴埋めも

全部入れたら

何人どころじゃ
なくなってしまう。



男とやる事なんて
結局同じやないかと


自分を汚してやろうと


裏側も
全部とことん見てやろうと




次から次へ
渡りながら


本当に
男の人を愛するなんて


わかんなくなる時代が


過去の私には在った。



これも
ひとつの自傷やね。




また

それも。

書く時が来るんだろうけれど。





今になって

想い起こせば。




本気で愛して

想っていた


とてもキラキラと輝いて

大切に思いだせる恋愛は




過去にはきっと

3つだけ。




そのひとつ目が

彼との時間だった。









卒業式が近付いて。



誰もが
卒業後の進路を決めて


後は卒業を待つだけの中。




私の目指す大学だけは

受験が遅く

3月の後半で。





ギリギリの成績で

卒業はきまったものの



進路は未定のままだった。





迎えた卒業式は

なんとも味気なく。




もう
ここに来なくて良い事が

何よりうれしかった。






受験に向けて

教科書を広げてみても




2年生後半からは

赤点続きだったし



まともに授業受けてないから


何を復習すれば良いのかも
さっぱりわからぬまま。







受験当日を迎えた。




昼食には

メロンパンをひとつ
買って持って行った。





広い教室。




教壇は

いちばん下に在って。


階段みたく段段に
生徒の席が並んでる。




前に使ってた人の
落書きや
いたずら彫りが残ってる


高校の机とは

全然違う。




大学って

きれいやなぁって思った。







自分なりには

一生懸命
試験を受けた。






昼休み。


メロンパンを
ひっくり返して


ひとり黙々と

中身だけ先に食べて。



ビスケット生地だけになった

中が空っぽの
物体を見ながら。




この学校に来るのも

今日が
最初で最後かな・・


アナウンサーも
もう出来ひんなぁと



ぼんやり思って。



残した
ビスケット生地を食べた。









家事をして

仕事して

吐いて

切って

隠れ家で泣いて。




春休みなんて

もう
吐き放題切り放題。





明日が全く見えないから



ぽかぽかと
陽射しが
ぬくもりを増す季節に



取り残されてる不安は



吐くか切るかに

向かった。




変わらない生活が続く中




4月になる頃。







通知が届く。






大学の判子が押された

茶封筒を開けた。












「合格」







私は

短大生になれた。



よく通ったなぁと

自分でも驚いたけど。



大学の夜間部の

短期大学部に

入学が決まった。








次からは

短大生の私を
書いてこうと思います。















「にほんブログ村」にね。


参加する事を始めたのは
6月19日。



まだ
やっと2ヶ月。









いろんな事を考えて

ずっと悩んで来たけど



参加を決めた。






それまでも

ここには

結構晒しては来た。




それでも

いちばん汚い部分は

出さないようにもしてた。





ライブでもそう。




わざわざ

ステージで



摂食障害や自傷癖があります・・なんて


言っちゃいけないと
思ってた。





だって。


大阪来てからの
音楽活動では

深く
傷付く事が

多過ぎたから。





それにね

それを告白するだけで



十分に

不愉快な人も

きっと居るでしょ?




同じ日同じ時間

同じお店で


一緒に出てる出演者さんだって


嫌かも知れんでしょ?





陽の歌を弾いて

共に立ってくれてる
プレイヤーさんも



同類やと思われたら
申し訳ないやんね。




だって


普通では
あまりにも

なさ過ぎるから。




壊れて偏った

偏在やから。






だから

私を気にしてくれて


わざわざ
ブログまで
見に来てくれる人にだけ



わかれば良いと
考えてた。







けどね。



それじゃ

中途半端なんだなぁ・・







書きたい想いは育ってく。




少しづつ
変わり始めた私は



本当に
全ての痛みを消化して


しあわせになる為に


書き放ちたいと


思うようになった。




私は

書く事で
見つめて
考えて
消化する作業を

繰り返して

やっと進む人やから。






でね。



ライブでも


摂食障害や自傷を
晒すようになって。





ここにも

自分の過程を
改めて綴り始めた。






この方が

きっと

似た痛みを持つ
どこかの誰かに
伝わるとも思った。





私が

摂食障害も
自傷も

誰にも言えずに
ひとりで抱えて


夜な夜なネットを漁り

似てる人達の言葉を探して



見付けては
救われた一瞬が在ったように



私にも

出来る事が在ると
思うようになった。






だから参加して。




ひとりでも
多くの人に


見付けて貰いたいから




見付けてもらいやすいように



ランキングの
出来るだけ上の方に居たいと
願っていて。





みなさまにも


どうか
クリックして
応援してねって



お願いをしてる。






みなさまのおかげで

このブログは
いつも
上の方に居させて貰ってる。




有難いと

心から想い

感謝しています。



ありがとうございます。







ここを

訪れて下さる人達が


傷付け合わずに
それぞれのペースで


何かを感じて

生きて在って欲しいです。



どんなに痛んでも

消えたいくらい
痛くても


いつかは
必ず死ねるんだから



生きてる事

感じて
存在して欲しい。







言葉には

力が在ります。




真実を綴る言葉には

力が在る。





少し間違えば


人のこれからを
深い傷で
苦しめる事も



殺してしまう事も在る。




ほんの一言が


その先の人生の


支えにも成りえる。







たくさんの
ご訪問を頂けるようになって


改めて考えるように
なりました。











とは言え。


毒は吐くよ。


だって
私やから。(笑)





でも。



人を傷付けるだろう使い方を
出来るだけしないように
意識して
学んでいてかなきゃ



せっかくのぶろぐが
寂しいなって。




とても

思った。






いろいろある度に。


いろいろ考えるね。









人は
きっと

愛で繋がるよ。


繋がれん人も
おるけど


自分と繋がる人を

選んで



優しく
生きて在れる自分には


きっと


自分で
なってゆけるんだ。



それはね




信じられるように

やっと

なってきたよ。







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続く自傷はいつ私を手放してくれるだろう。(高校生・10)




本日も。


「痛い」
「暗い」
「重たい」記事を


イキザマ掲げて綴ります。





私が

共存しなければ
生きてはこれなかった

摂食障害と自傷。




20年以上にもなる年月を



始まりである
小学生の頃の出来事から



7月7日以来
記事として残してゆく事を

始めました。





今は

高校時代の私を
記している途中です。





高校時代の記事を
始めから読みたい方は



【「痛くて壊れてしまう日に。(高校生・1)」】

【「真ん中の空虚に詰め込 んだ自傷と。(高校生・2)」】

【「吐かせる 女。切らせ る女。愛憎は壊廃。」(高校生・3)】

【「嘔吐も自傷も壊れた血の継続じゃないか。」(高校生・4)】

【「吐くのも切るのも捨て られたからじゃなくて。」(高校生・ 5)】

【「少女はゴミ箱に暮らし裏切りを知り。」(高校生・6)】

【「どれだけ吐いて切ればいいの。」(高校生・7)】

【「体壊れて心壊れて。」 (高校生・8)】

【「自傷から抜け出せぬ絶望と頼りない希望と。」(高校生・9)】




小学生の頃からの記事を
振り返って読みたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】

【2・「自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】


ここには

小学生
中学生の頃の私を

書いた記事も置いています。


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さぁ。


今日は
高校3年生の
夏休みから書くよ。



前回の続きね。




そうそう

妹とね
会ったんだ。



映画観て
ぶらぶらしたよに
記憶してる。




妹は

小学生の頃と
同じ感じだった。


自分が飽きたり
疲れてくると

突然帰ったりするのね。



そういうとこは
変わってなかった。



めんどくさく思う反面
安心もした。




その日も
突然帰ってしまって。


私はひとり
駅まで歩いてた。




私とすれ違った車が
少し後ろに止まった。



おりてきたのは

水泳部の
ひとつ年上の
あの先輩。


元彼との再会だった。




夏休みで
実家に帰ってきてたらしい。



家まで送ってくれて
いろんな話を聞いてた。


懐かしさや
愛しさで

いっぱいになった。


ときめいた。





帰ってきて
ドアを開ければ

一気に現実。


よどんだ空気が

流れずに
居座ってるような家。



私は

洗濯物をかたずけて
夕食を作った。





いつもいつも

キラキラして見える時間は
ほんの一瞬。



結局私は
ずっとはそこには
居られないんだよね。





昨日も吐いて

今日も吐いて

明日も吐いて

切る訳で。



このまま
どうなるんだろうって


毎日怖くて
仕方なかった。





夏休みの間

出来る限り
彼に会いに行った。


楽しい時間は
やっぱり一瞬。


それでも

自分は
この人の彼女だって思うと

居場所があるようで
寂しさは減った。






2学期が始まり

受験ムードは高まってるのに
実感がなかった。


家事に追われ

バイトに追われ。

学校はさぼりがち。



借りた一室で過ごす時間は
とても虚しくて。


でも

そこでは
吐いたり切ったりは
絶対にしないって

決めてた。





家に居れば

吐いて

切って。



繰り返しながら
流れてく日々。



私は

その流れに

乗る事も
逆らう事も
出来なかったように思う。





同級生は

自動車免許の教習所に
通ってたりして。

私には
お金がなかったから

いいなぁって
すごく思ってたなぁ・・










寒くなってきた頃

用事があって
母の家に行った。


一晩泊まった。





まだ
新しい布団を
敷いてくれて。



私が入ると

掛け布団の上から
ぽんぽんって


肩や足元を軽く押して

体と布団の隙間を

少なくしてくれた。



あったかくなった。




こんな事

してくれるんだなぁって。




そう言えば

子供の頃も
してくれた事があるなぁって。



思った。




出そうだった。







翌日。


母は
弁当を持たせてくれた。



赤い
楕円形の
小さな弁当箱。



うれしかった。



帰って開けたら・・

やっぱり。





弁当箱の半分には


ごぼうてんと
はんぺんを
甘辛く炊いた煮物だけ。




半分には


ぎゅうぎゅうに押し込まれて
びくともしない


煮物の汁を
目一杯吸いこんで
茶色く濁った
べちゃべちゃな白飯。





変わってないなぁと
思った。








何年ぶりだったろうか。



母のお弁当。





最後のお弁当。




茶色いお弁当。






最後の

お母さんの味になった。









高校生活も
あと少し。


次くらいで
高校生の私は

終わりかな。







また書きます。












ここは

少しご覧下されば
おわかり頂けると思いますが


ランキングの

「摂食障害」
「自傷」と言うカテゴリーに

参加しいているぶろぐです。



明るく
心地よいものは
基本的にありません。





興味や
共感を抱き


長い記事を
最後まで読んで下さる方々も
いらっしゃれば



始めの数行で

受け付けなくて
二度々来ない方々も
いらっしゃるでしょう。







ステージで
話し歌う私


陶芸作家と
医療関係の仕事を
かけもちして
働いている私


病院の待合で
持病の悪化に
怯える私


友達と居る時の私


ひとりで居る時の私


いろんな私が居て



その時々で

隠して演じたり
晒し毒を吐いたりしますが。





こんな偏在でも

感情のある

ひとりの人間。





その

ひとりの人間が

生きて来た過程の

もっとも
痛い
悲しい

見苦しい部分を

ここには晒して在る事を



わたしは
選んで
しています。






ご訪問下さるみなさまも

どうか
ご自身で選んでくださいね。



例えば

ここを不快に感じても

ここを読んだ事で
悲しみが増したとしても


私を
軽蔑しても


嫌いになっても



それは

それぞれの感じ方であり

自由です。





私が

それに対して

責任を感じる必要も

無いと考えているし


それによって

自分が

大きな覚悟の中

痛みや恐怖を抱き締めながら
選んだ

このやり方を

変える事もありません。






だから

どうか

みなさまも
ご自身で選んで

お付き合いください。






もし


ここから
何かを得て頂けるなら

誰かの心に沿う夜が在るなら



それは

たまらなく有り難く思います。

うれしい事です。




これからも

よろしくお願い致します。







そして。



私と繋がって下さる
私にとって
大切な方々が



どうか
ここで
傷み合う事の無いように


言葉は時に
ものすごい刃となり

心をえぐるから


どうか

良い言葉を選びながら

繋がりが
広がってゆくように



私が

私のぶろぐが

私の存在が

原因で



私の大切な人達が

その日
その時の

会える時間を
会える機会を

避けるような事は
起きないように





それだけは

いつも
願っています。







コメント。

たくさん頂いてますね。



お馴染の方も
はじめましての方も。


ありがとうございます。



今回は
深く傷付いてしまう事があり

心の全く休まらない

休日を過ごしながら



想いを


書き足しました。







私自身


体も心も

限界超え過ぎた中で



やっと
3日間のお休みを
頂いてるので。





お返事は

明日辺りから
ゆっくりと書かせて下さい。






今日も

心に
体に

やさしく
お過ごしくださいますように。





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このぶろぐ。

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自傷から抜け出せぬ絶望と懸け離れた希望と。(高校生・9)




摂食障害と自傷。



私は
20年以上の年月を
共存してきてしまった。





始まりである
小学生の頃からの出来事を

7月7日から
記事として残して居て。




今は

高校時代の私を
記している途中。




高校時代の記事を
始めから読みたい方は

高校時代の記事を
始めから読みたい方は



【「痛くて壊れてしまう日に。(高校生・1)」】

【「真ん中の空虚に詰め込 んだ自傷と。(高校生・2)」】

【「吐かせる 女。切らせ る女。愛憎は壊廃。」(高校生・3)】

【「嘔吐も自傷も壊れた血の継続じゃないか。」(高校生・4)】

【「吐くのも切るのも捨て られたからじゃなくて。」(高校生・ 5)】

【「少女はゴミ箱に暮らし裏切りを知り。」(高校生・6)】

【「どれだけ吐いて切ればいいの。」(高校生・7)】

【「体壊れて心壊れて。」 (高校生・8)】



小学生の頃からの記事を
振り返って読みたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】

【2・「自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】


ここには

小学生
中学生の頃の私を
書いた記事も置いています。


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私は
高校3年生になった。




だんだんと

付き合ってるって雰囲気では
なくなっていったものの

ずっと仲良しで。




彼が居たから

きっと水泳部は楽しくて



お互いに

ちらほらと
他に
恋の噂なんかも立ちながら



どれも
なんとなく消えて

いつも
どこかで意識してた



ひとつ年上の彼が


卒業していった。





おぼっちゃんの彼は

家業を継ぐ為の勉強に
大阪へ行った。





先輩達の
居なくなったクラブは

水泳部も
放送部も


とても退屈になった。









卒業後の進路を

そろそろ
具体的に
決めなくてはいけない。




希望は在れど

相談出来る人が居なかった。





バイトは順調で


市民会館なんかに
芸能人が来る
イベントなんかの司会も
させて貰えて


私は

やっぱり
アナウンサーになりたかった。





身近な先輩に
話を聞いてみた。


上司と母親の関係は
この時はまだ
誰にも知られてなくて。



先輩は

上司に相談する事を勧めた。





本社勤務の日に
思い切って相談した。


私は
専門学校に行きたかった。


でも

学費が高いし
自分の収入では難しい。




上司は

最低でも
短大を卒業しないと
この世界では難しいと言った。




大学だって
金がかかる。



私は

公立高校の学費だけで
いっぱいいっぱい。



何よりも
成績は下がる一方。


中の上辺りで居たはずの成績は
クラスで
下から3番とかになってるのに。



道は断たれたと思った。




しばらくして
上司から
話をされた。


有り難い事に
いろいろと
調べてくれていた。




国立の夜間コースがあると。



そこなら
昼間働いて
夕方からの授業。



3年通わないと
短大の卒業は貰えないけど

学費はとびきり安かった。





そこなら

金額的には
行けるかも知れない。


って言うか

もう
そこしか
選べないんだなと 思った。



母と妹の事は
何も聞けなかった。





三者面談は
ひとりで行って

まだ
担任には
何も伝えなかった。




だって
笑われそうでしょ?


ビリから3番目なんやから。







そうやって

将来の夢なんてもんを

いっちょまえに
描いてるくせに。




毎日に絶望してる。




毎日吐いて

腕切って



早く死にたいって
ものすごく思ってる。




そのくせ
どんどん
おかしくなる体に


恐ろしく
恐怖も感じてる。




やめなきゃって

何度も思う。




でも
やめらんない。





吐かなきゃ
発狂しそうやし



切らなきゃ
人を傷付けに向かいそう。






行こうと思う大学は
一応は描いたものの


学校は
目一杯さぼった。









母の家には
たまに寄った。



相変わらずの
頼まれ事が在ったからね。



妹とは
ほとんど話さなかった。



見憶えの無い服を来て
見憶えの無い物を持ち


妹の
覚悟と共に始まった

新しい生活に




母についてゆこうとは

欠片も考えていなかった
姉としての
自分の負い目を


ものすごく感じてた。





母親に聞こえないとこで
小声で交わす
僅かな会話。




妹の言う
「お父さん」と

私の言う
「お父さん」は

別の人で。


ややこしくて疲れた。





この頃はまだ
母も妹も
籍は私と一緒。



そやのに

遠い遠い
他人に

もうなってた。










毎日は


仕事や
バンドで
過ごす時間以外は


吐いて
切って

家事に追われて

同じ事の繰り返し。








絶望の中で

命が続いてるから

生きて在るだけの

繰り返し。







吐いて切って

吐いて切って

繰り返し。




あっと言う間に

夏が来てた。







私は

既に社会人で
ひとり暮らしの先輩から

家の一室を借りた。



家事も在るし

毎日
そこに住む訳じゃないけど


いちばん小さい空き部屋を
借りた。




先輩は
短期間ならただでいいよって 言ってくれたけど



そうなると借り辛いから

2万円入れた。



こんなに要らないって 返されたけど


キッチンも
シャワーも使えば

電気も使うんだから。



頼んで
貰って頂いた。




父が家に居るけど
学校に行きたくない時


父が夜勤だけど
家で眠りたくない時


学校をさぼって
行き場が無い時



私はそこに逃げた。



家事を済ませてから
そこに逃げた。










夏休み。

妹とね

外で会った。



ふたりで。




何したんだっけ・・?




次の記事に書くよ。















やっと

ふたつのお仕事
両方お休みの

3日間の
陽の夏休み。




昨日はね

練習に行ってきたよ。



今月
まだ
1回も出来てなかったから。



踏ん張って
踏ん張って
行ってきた。




大事にしてくれる
タイキさんとの練習やけど。


それでもね。


置いてきぼりを感じてね。







もう。

もうね。

心がね。

苦しい。



悲しくて悔しい。






タイキさんにも
さすがに全部は言えんし



ネット環境の全く無い彼は


ここに書いてる事も
全く知らないからね



余計に
ひとつひとつ
説明しなきゃ
話が伝わらない事が
辛い時が在って。



上手く言える余裕が

体にも心にも

もう無い時やから



なんだかね

目一杯不発な感じだった。




月下陽香の
ライブの形について

最近
まずいなって
思う事があって。



言わなきゃって
思ってた事も



昨日は
伝えるパワーが無かった。






今日は通院。


点滴もして

午後からは
ぽんちゃんとおうち。


ぽんちゃん
今日の
とびきりかわいい。。




携帯は 一切出ない。

PCは マイペースで。





来週から
仕事に戻っても
体の辛さは
変わんないんだろうなぁ・・






11月のライブまでに

1回でも
ライブしたいのにな・・





月下陽香もね

もう少し


ステージに立って在りたいよ・・。





★。、:*:。.:*:・’゜☆。.:*:★。、:*:。.:*:・’゜☆。.:*


Midoriさんに
アイデア頂いて

記事後に

バナーを
貼ってみる事にしましたぁッ☆




このぶろぐ。

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心壊れて体壊れて。(高校生・8)





摂食障害と自傷。



私が共存してきた

20年以上の年月。





始まりである
小学生の頃からの出来事を

7月7日から
記事として残して居て。





今は

高校時代の私を
記している途中。




高校時代の記事を
始めから読みたい方は


高校時代の記事を
始めから読みたい方は



【「痛くて壊れてしまう日に。(高校生・1)」】

【「真ん中の空虚に詰め込 んだ自傷と。(高校生・2)」】

【「吐かせる 女。切らせ る女。愛憎は壊廃。」(高校生・3)】

【「嘔吐も自傷も壊れた血の継続じゃないか。」(高校生・4)】

【「吐くのも切るのも捨て られたからじゃなくて。」(高校生・ 5)】

【「少女はゴミ箱に暮らし裏切りを知り。」(高校生・6)】

【「どれだけ吐いて切ればいいの。」(高校生・7)】




小学生の頃からの記事を
振り返って読みたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】

【2・「自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】




ここには

小学生
中学生の頃の私を

書いた記事も置いています。

  ※(【】内クリックで飛べます。)











前回の記事では

寄り道をしたけど。





今日は

前々回の続きに
戻るね。













スナック兼住居である
場末の店舗から

母が消えた。



妹が気になった。






しばらくして

母の居場所がわかった。





私が知ってるのは

そこに暮らしてた母まで。



それ以降はわからない。








賃貸マンションの一室
2LDK。



広くはないが
場末のスナックに比べれば

豪邸ね。




そこで

母と上司と
妹と

3人で暮らし始めた。





お互いに
離婚届を拒否されたふたりは

別居して
一緒に暮らす期間を
事実として
長く残す事が
とても重要だった。





何回か

そこに行った。






妹の部屋があった。

新しい机やタンス。



ダイニングキッチンは狭くて


強引に
大きな両開きの冷蔵庫が
置いてあった。




見憶えのない小物が
あちこち飾られてて。



3人の写真とか
あちこちに飾ってて。




よその人の家やった。




籍が入れられない
母の苛立ちを
ひたすら聞いた。



自分の不満を
言葉にして言える人は

しあわせやなぁと思った。






妹は

いつからか



上司を
「お父さん」って
呼ぶようになった。




母に言われたのか


自分がそうしたのかは


知らない。





彼女が

新しい生活を選んだ事だけは


ものすごくわかった。










私は

ゴミ箱のような家で
相変わらず
家事に追われ
バイトしながら


学校は
ちょくちょくさぼりながら



毎日吐いて

あちこち切って。






誰にも言えない現実を

体中に巡らせて

生き急いで居た。






学校は
よくさぼるようになったくせに


放課後には
間に合うように行って


クラブだけは
顔出したりしてた。




付き合うって形からは
自然と離れていきながらも


彼とは
仲良しやったし

クラブは楽しかった。





夏休みの水泳部は
毎日賑やかだった。



無駄な肉の無い
しなやかな体が

プールの中で

水をかき
泳ぐ姿は


ただ美しかった。




プールサイドで
タイム計りながら

それを見てるのが
好きだった。







1秒に

人は
聞こえやすい速度で

5文字喋れるなぁとかね



放送部も掛け持ちしてた
私なりに

思ったりした。







スタジオで出会った
他の学校の男の子や

後輩の女の子達と

バンドもした。



当時流行ってた
バンドの歌を
コピーしたりね。

楽しかったよ。







歌うのはね

好きだった。






初めて人前で歌ったのは

小学生の時。



ちびっこカラオケ大会に
母に連れてかれたんだ。



演歌とか
百恵ちゃんとかね

母の好みで歌わされて。



上位に入ると

ぬいぐるみとか
貰えるんよ。




母親は
機嫌良くなるしね。



そやから行った。







私は
声量には
とても恵まれていた。



ずっと

声量だけは
体格の良い男性にも

負けなかった。





声量は


私の武器のひとつだった。





手術を繰り返して。



この数年で

私は


その
大切にしてきた武器を



失ってしまった。





歌う事は

体には
ものすごく辛い。




でも


この頃はまだ


歌う事を
体が喜んでた。





歌でも

仕事でも


ステージに立つ時だけは
生きてる気がしたよ。






ふとね。



今考えると‥



多分ね。


母親自身が


本当は

ステージに立つ人に
なりたかったんやないかな。



そやから

カラオケ大会に出させたり

アナウンサーの仕事は
否定しなかったんやろね。









アナウンサーの仕事はね

少しづつ
幅を広げて行った。



いろんなイベントで
司会をしてた。


芸能人に会うと

うわぁ・・ってね
思った。





私の生活の中で

唯一華やかな場面だった。



だから
失いたくなかった。



けど
上司は
母親の男。




いつ
会社にばれるか
怖かった。












3学期も半ばを過ぎて。



成績は

急降下した。


そりゃそうやね。



授業受けてへんもん。(笑)




見事に
赤点が並んだ。



進級がやばくなって

追試を受けた。



出席日数もきわどくて



もう

1日も休めなくなった。




とりあえず行った。






授業中は
ずっと
吹き出す言葉を
ノートに書き綴ってた。





仲間はずれに
されてた訳じゃなく


友達も居たけど。



ほんとの事
ひとつも
誰にも言えないまんま



人と話すのは

とても疲れて億劫で。





時間の長い昼休みは
放送室で過ごしてた。


バンドでやってる
曲とかかけて

時間を潰した。






早く卒業したかった。



学費払うのしんどいし

留年はしたくない。




早く
社会人になりたかった。






ギリギリの出席日数と

追試の点数で


私は

なんとか
3年生に進級出来た。








吐き続ける毎日に


体のあちこちが

おかしくなっていった。




もともと
体はとても弱い。


その上
成長期の全てを
吐いて過ごしてきた。






桜が咲いて

陽射しの温かさが
心地よい季節でも


教室の中


私だけが
寒さに震えて


ペンも握れなくて



顔も足も
異常に浮腫んで



明らかに
何かおかしかった。




お金かかるし

怖いし

病院に
行く事も出来なかった。






もうすぐ死ぬのかな・・


なんて


すごく思ってた。


















今日から

3日ほど
仕事をしない。

陶芸も
新しい仕事の勉強も

しない。




自分の
心のペースで過ごす。




やっと休もうとしても

いつも見事に


そこを狙ったかのように

何かが起きて
何かを起こされて


心ぐちゃぐちゃになって


走り回って
ボロボロになる。




このお休みは

そんなのも
もううんざり。




だから
携帯もオフだッ(笑)





私は

私の為に

短い休みを過ごすの。




それは

正しいと思うんだ。




涼しい部屋で

ぽんちゃんと一緒。


ビール飲んで

PCは
ちょっと勉強しよう。








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不足に埋もれた卑下は癖となり自傷と手を繋ぐ。




20年以上共存してきた
摂食障害と自傷の


始まりである
小学生の頃からの出来事を


7月7日から
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【「吐かせる 女。切らせ る女。愛憎は壊廃。」(高校生・3)】

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【「どれだけ吐いて切ればいいの。」(高校生・7)】




小学生の頃からの記事を
振り返って読みたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】

【2・「自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】


ここには

小学生
中学生の頃の私を
書いた記事も置いています。

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足跡を
書き綴っていますが。



今日は

寄り道をするね。




一昨日に見た夢が

余りにも
リアルで在り

非現実的でも在ったから。







夢の中でね

いろんな人たちと
一緒に居た。


実際に良く知ってる人も

現実では
ちっとも知らないけど

夢ん中では
良く知ってるらしい人も。





馴染みの店で
わいわいやっててね。




いつもリーダー的な人がね

陽に
いろいろ
お願いをするんだ。





現実でも
よくある事やけど。



「いけるやろ?」
  みたいなノリね。





それは

がんばれば
その人にも出来る事。




めんどくさいし
任せれば楽やから

私を頼る。




私が

誰にも見せないとこで
ものすごい苦労をして
必死こいて
それを形にしていても



その大変さなんて
どうでも良くて


自分が苦労をせずに
手に入れる事が
重要な人種。






で。

夢ん中。




私は
とうとう
キレるのよ。



もうしんどいって。




私の毎日は


休みの日に出掛けたり

仕事の後
ちょっと寄り道したり


ライブしたり


みんなが
がんばれば出来る事も


もう出来んのよって。



もう
自分の事は
自分でやってよって。





泣いて泣いて
泣きじゃくって
繰り返し訴えて。



それでもね
理解されないんだ。




笑って言われるんよ。



「またまたぁ~(笑)」って。





「しんどいんもキャラちゃうん?」って。



これは


私が
深く傷付いてる事の
ひとつに当たる言葉。








お金払ってる
お客であるのに


神経を遣って
雑用を背負って


嫌になって


行かなくなったお店がね
実際にあるんだぁ。。




だから
なんかリアルな夢。



けど

私がそこで
自分の本音を言う事はないから

やっぱり非現実的ね。










どうしようもならん事が

現実には在るね。


病気にもよるし

環境にも
揺らぐしね。


人と関われば
それぞれに
選択は違うしね。




嫌な事は嫌だし


要るのか
要らないのか

自分で選んで
いいんだよね。








私には

性格的に
癖になってる事が
いっぱい在る事に

気付かせて貰えたから。



その

ひとつひとつ
変えてく為に

繰り返し
頭を抱えてる。





自分の性格
変えるのってね

大変なんだよなぁ。



自分を
責めて責めて

傷付けて

生きてた頃を思えば



そうでもないかな?(笑)














8月も
半分が過ぎるね。




テレビから

「原爆」とか

「終戦」とかって言葉が

聞こえてくる季節。






私の知らない
昔の日本。




陽の

じいちゃんや
ばあちゃんが



実際に生きてきた

戦争の時代は




今日食べる物にも困り


人を殺せと教えられ


お国の為にと

命を掛けて




死んでった若者が

たくさん居た。



与謝野晶子の
「君死にたもうことなかれ」を
思い出す。






そんな時代に。



摂食障害や

自傷が



在っただろうか。






街を歩けば

飲食店が溢れてて



食べきれない物は

残して捨てる。





暑苦しく太った人が

ギトギトの
フライドチキン食べながら


ゼロカロリーの
コーラ飲んでる。








私が

共存してきた


摂食障害も

自傷も



時代から生まれる

不足の表現かも知れない。





正しいとは言えない。



それでも

それを
背負ったから
見えたものを



自分の愚行と共に



これからも
ここに書き綴って
晒し伝えてゆこうと

思う。




まだまだ

長い道のり。





命が

続けばいいなぁ。





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どれだけ吐いて切ればいいの。(高校生・7)






20年以上になる年月。


共存してきた

摂食障害と自傷。





その
始まりからの出来事を

記事にする事を始めたのは


今年の七夕
7月7日。




小学生の頃の私から

綴り初めて

現在は
高校生の頃の私を
書き記して居る。





高校時代の記事を
始めから読みたい方は



【「痛くて壊れてしまう日に。(高校生・1)」】

【「真ん中の空虚に詰め込 んだ自傷と。(高校生・2)」】

【「吐かせる 女。切らせ る女。愛憎は壊廃。」(高校生・3)】

【「嘔吐も自傷も壊れた血の継続じゃないか。」(高校生・4)】

【「吐くのも切るのも捨て られたからじゃなくて。」(高校生・ 5)】

【「少女はゴミ箱に暮らし裏切りを知り。」(高校生・6)】




小学生の頃からの記事を
振り返って読みたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】

【2・「自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】




ここには

小学生
中学生の頃の私を
書いた記事も置いています。

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それでは。

前回の続きね。







妹を連れて
家を出た母親。





私が
夕べ何を食べて

今朝
何時に起きたのか。



そんな事
何ひとつ
知らない女は


どこまでもずるかった。



それまでに

私が知っていた誰よりも



ずるくて汚かった。





女が
担任に
言い放った言葉が

悔しくて
悲しくて。



大きな裏切りを感じた。




面談が終わり

学校の正門を出ると

私は
ゴミ箱の家へ帰り

母は
新しい暮らしに
帰って行った。






ヒールの踵を


コツコツコツコツ・・・・



あの夜のように鳴らして。








帰り道。


父から預かった生活費で
吐く為の食料を買った。

食べて吐いた。



吐いても吐いても

もう
楽にはならなかった。

腕を切ったところで

楽にならなかった。






この時既に


摂食障害も自傷も

10年を超えていた。












私は
高校2年生になった。



大好きだった彼とは
少しづつ距離が空いて。



別れ話もしなかったし

仲も良かったけど


お互い
とても気になっていながら

恋人では
なくなっていったんだと思う。





あったかい家庭で
生きて来た彼は

私には
キレイ過ぎて。

申し訳なくなっていった。










家には

時々
無言電話がかかってきた。



父が出ると切れた。



母だと思った。



当たり前に
携帯持ってる時代じゃない。





私が出ると。


「お父さんは居るの?」・・

やはり母だった。




私は

父が居る時は
友達と喋るフリをして


「うんうん。そうかぁ・・」
  
  なんて言っとく。



父が居る事を察知して
母は電話を切る。




居ない時は

いろいろと
頼み事をされる。





置いてきた着物を
持って来いだの


ドレッサーを持ち出したいから

父親の居ない時に
玄関まで運んでおけだの



どこまでもどこまでも

母は

自分の欲だけで
生きてる人だった。









母が暮らし始めたのは

場末の飲み屋街。



1階が
カウンターだけの
スナックや居酒屋で


2階が住居。



そんな店が並んでる中の
ひとつ。




見栄っ張りな母親が
そこに住んでる事に
驚いた。




男は
そこには住んでは居なかった。



それよりも
何よりも
奥さんと揉めていた。




東京から
単身赴任してた上司には


奥さんと
ふたりの息子が居た。




奥さんが
離婚を拒否した。



ふたりの息子さんは

高校と大学の受験生。



これから
お金もかかるのに

そりゃぁ
そうだろね。







切羽詰まって
とりあえず
急いで
上司が用意したのが

その

場末の店舗兼住居。





母は
そこでスナックを始めた。



まともに料理も出来ない母に

上司が
メニューを考えて
母に教えてた。








頼まれた物を届けに

何回か行った。





男の奥さんは
離婚してくれないし

お父さんも
離婚届書いてくれないし

私がどれだけ辛いか
あんたにわかるかと。



毎度毎度

山盛りの
愚痴を聞かされた。



最後には 決まって



「あんたが全部悪いんだよ。」・・・









そうやね。

私がおらんかったら
上司に出会う事も
なかったんよね。


母を出て行かせたのも

妹に
辛い想いをさせたのも


父を絶望させたのも



全部
私がおるからなんやんね・・。









学校やバイトの帰りに寄ると
店はもう開いてて。


知らん男の人が
カウンターに座って

ビール飲んで
アテ食べて。

カラオケを歌ってた。




母は
私をカウンターに座らせて
食事を出した。


甘酢で煮込んだような
手羽先が出てきた。




こんなの作るようになったんや・・








ゴミ箱のような家に帰って
食べた食事を
吐いた。




家事に追われ

バイトに追われ

学校に行けば
担任が

「お母さんの手伝いしてるか?」
  なんて言う。


女の嘘を
信じてるからね。





あほらしくなってきて

父が
早番勤務の日は
学校をさぼった。




朝早く
父を送り出したら

夕方まで家に居た。





夕方になると
父が帰宅する前に
バイトに出掛けた。


バイトによって
本社に出勤する時は
時々上司に会った。


ものすごく
気まずかった。





私が
ここで働けてるのは


もしかしたら

私が
上司の女の娘だからじゃ ないだろうか・・


ふと そんな事を考えた。



考え出したら止まらなくて。



自分には

何の魅力も
力も無いのに

コネで
入り込んでるだけじゃないか・・


そんな疑問が付きまとった。




新番組や
企画が始まる度に
応募する
オーディションを受けた。



自分の力で
得て在る
実感が欲しかった。




小さなイベントや
番組のリポーター

合格しても
どこか不安だった。



不安で切るから

私は
仕事では
半袖の服を着れなかった。













離婚届を
提出出来ない
母と上司。



上司は
東京へ足を運び




母は

何を思ったのか

突然
父に連絡をしてきて。



父と私を

自分が暮らしてる
スナックに呼び出した。




そこに暮らしてる事は
絶対に内緒にしておけと

何度も言ってたくせに。



私の立場なんて
相変わらず考えても居ない。






営業時間中

他にも客が居る中

母は
バイトのおばちゃんに
カウンターの中を任せて。




父と私。

これから起こる事に
想像がつかず。





母は

料理を出し
酒を出し

カラオケまで歌わせて。


賑やかな
飲み会みたいな空気が
不自然に浮いて居て。




居心地の悪いそこで
どうすべきかわからなくて。



この後父とふたりで
家に帰る事を考えると

うんざりした。






やはり父は
離婚しなかった。









しばらくして

母は
そこから居なくなった。













我が家は
ゴミ箱状態のまま。




妹の机の上には
書きかけのキャンパス


引き出しを開けると
友達と写した写真や
使ってた文具も
そのまんま。



触れられなかった。














この頃の母は

今の私よりもまだ少し若い。



家庭を
家族を

ここまで壊しても
貫く情熱は


どこから生まれ
母を動かしていたんだろう。





母が
父を捨てた理由は

今の女の私なりに
理解も出来る。




母が
なぜ上司を選んだのかも

わからなくもない。。











この頃の私には

毎日が
とても長く思えた。




まだ

2年近くも
高校生で居る事に
途方に暮れた。




自分が

何年か先に
成人と呼ばれる
20歳になるだろう頃の姿を
考えると
ぞっとした。




今日の希望も無いのに。


数年先なんて

生きて居たくはないと




強く強く
願った。





早く死ななきゃ。



いつも。


そう思ってた。






これから20年先に


人のやさしさに
日々心が緩んで
涙が出たり

生きて在りたくて
たまらない毎日を
過ごしてるなんて




考えられなかった。












続きはまた書くね。













昨夜は

11月のライブでお世話になる
東心斎橋の
「ドアーズインヘブン」さんに
お伺いしてきた。




月下陽香のギタリスト
井上タイキさんも来てくれた。


そして。
なんとなんと。


A-unEXの
Midoriさんとミッチーさん

HAT TREATのユタカさんも

ご一緒下さった。




ご一緒に出演させて頂く
素晴らしい
ミュージシャンの方々。

板芸人の
月下陽香とは違うよ♪



お伺いした
ライブの事とかも含めて
また改めて
ご紹介するね。





ライブ以外で
お会いするのは初めて。




今までね

ライブしようって事になっても


他の出演者さんと一緒に
お店にご挨拶に行って
そこで打合せして・・
なんて

なかったのね。




基本的に
ご挨拶はひとりで行くか

場所によっては
タイキさんが
ついて来てくれるか。



出演者さんそれぞれの
スタイルもあるし

メールで連絡出来るしね。



なんてったって
みんな忙しいもの。








だから

昨夜は
感動してしまった。


一緒に居るんだぁって。


みんなで
ライブするんだなぁって。



感動したよぉ。








陽ね

ちょっと前にね

自転車の鍵を無くしたんよ。



そしたらね。
Midoriさんにお渡しした
お土産の中に 入ってたらしく。。


とっても
ご心配を
お掛けして。




大好きな
Midoriさんのおうちまで


陽の鍵は
ストーカーのように
くっついて行った訳だ。






その鍵も
昨日持って来て下さって。

驚きのプレゼントを
頂いて帰ってきました。










あと。

2日がんばったら。



少しやけど


多分。

お休み出来る予定。





靴探しにいかなきゃ。


今月は
まだ1回も出来てないから
タイキさんと練習もしなきゃ。







あとは。





静かに過ごしたいなぁ。。





基本的に。

ずっと
ずっと

まともに休んでないの。



ずっとね。

息切れしたままで

走ってんの。





休む事覚えなきゃ



新しい仕事も
続けられなくなってしまうと
思う。








ぶろぐは書くやろうけど。




歩くとか
喋るとか
笑うとか

全部放棄して



静かに居たいなぁ。






ぽんちゃんとお昼寝して



ひえひえのビール飲んで


だらだらお風呂入って。





そんな時間。

欲しいなぁ。




何にも邪魔されずに



なまけたい。





少女はゴミ箱に暮らし裏切りを知り。(高校生・6)






私が

20年以上にもなる年月


共存してきた
摂食障害と自傷。



その時代を振り返り
書き綴る事を始めて。




現在は
高校生の頃の私を
書き記して居る。




高校時代の記事を
始めから読みたい方は



【「痛くて壊れてしまう日に。(高校生・1)」】

【「真ん中の空虚に詰め込 んだ自傷と。(高校生・2)」】

【「吐かせる 女。切らせ る女。愛憎は壊廃。」(高校生・3)】

【「嘔吐も自傷も壊れた血の継続じゃないか。」(高校生・4)】

【「吐くのも切るのも捨て られたからじゃなくて。」(高校生・ 5)】




小学生の頃からの記事を
振り返って読みたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】

【2・「自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】



ここには

小学生
中学生の頃の私を
書いた記事も置いています。

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父と私。

ふたりの生活が始まった。




小さな一軒家。



壁はあちこち
穴が空いていて


扉のガラスも
あちこちが割れて抜け殻。






お気に入りと
高価な物だけを
持って行った母親と



必要最低限の物だけ
持って行った妹の




山ほどの服や下着や靴

雑貨や生活用品や
家具で


まるでゴミ箱。




それらひとつひとつを
片づける気には
まだならなかった。



どれを捨てて良いのかも
わからなかった。



父は

妹の部屋には
入らなかった。




妻に逃げられた事よりも

妹を

何の相談も報告もなく
連れて行かれた事が


大きな
ショックだったようだ。











この
ちいさな 一軒家は


見栄っ張りな母に
日々口うるさく言われて


父が
めちゃくちゃな無理をして


長いローンを組んで
買った物だ。



まだまだ
何十年も
払い続けてゆかなくてはいけない。







この家に住む前は
父の会社の社宅で暮らして居た。



私は

幼い頃を
愛知県名古屋市で過ごした。

母の故郷だ。




妹が
生まれた時の私は3歳。


産婦人科に

生まれたばかりの妹に会いに

おばさんに連れられて
行った事は
良く覚えてる。




桜が咲いた国道1号線。



手を繋いで歩いて
歩道橋を渡った。



車が走ってくのを
上から見た。





病院のベッドには母が居て。


ちょうど食事の時間で。


母の食事の
ビンに入った牛乳を

飲んでいいよって言われて。



飲んでたら
看護師さんが入ってきて。


叱られるって思って

牛乳瓶握ったまんま
ベッドの陰にしゃがんだけど
見付かって。


看護師のお姉さんが
笑ってた。




妹を見たけど

ちっこいおさるさんみたいで。


だけど
うれしくて うれしくてね。



かわいいと思った。








父の仕事が変わって

和歌山に行って。

始めは
確か長屋に住んでた。




この頃の私の写真は
まだ笑ってる。

苺ほおばって
笑ってる。






その後
また父の仕事が変わって。


会社の社宅に引っ越した。




社宅には 公園があって。

うちの窓から見れば

正面が公園で

いつも子供が遊んでた。

私は
本を読んだり
絵描いたりしながら

それを見てた。



母親は
近所に
話が出来る人が出来るまで


私が公園へ行く事を
禁じてた。






その社宅でも
いろんな事があって。



異常に見栄張りで
上手く馴染めない母は

早くそこを出たがった。




家も建ててくれないのかと
父に言い続けてた。





そして。

やっと建てた小さな家。





これからも
ローンを払い続けてゆかなくてはいけない

ゴミ箱になった家。




父は
ほとんど笑わなくなった。









私は
日課になった嘔吐を

日に何回も
繰り返しながら



腕を切っては
固まった血をめくり


かさぶたになっては
それをまためくった。










父は

朝番(早朝から夕方)と
遅番(昼から夜)
そして夜勤と

3つの勤務を
交代で務める仕事をしていた。




朝番の時が
私には
いちばん面倒だった。



早朝から

朝食と
夕方早くに帰宅する父の
アテと夕食を作らなきゃ
外に出られない。



遅番の時はまだ楽だった。

父の帰宅は
日付の変わる頃だったから

しばらく辞めてたバンドを
また始めたり出来た。



夜勤の時は気楽だった。


父が出ていけば

朝帰ってきて
眠る前に食べる
アテと朝食さえ準備しておけば


翌朝まで自由だ。



どこに行こうが
誰と居ようが

問題なかった。









おぼっちゃんで
素直で

いつも驚く程やさしい彼とは



だんだんと

私が

話せなくなっていった。




大好きだけど
苦しくなっていった。



屈託のない笑顔
穏やかな声
口調

毎日が
あまりにも穏やかに
楽しい彼が


なんだか
遠い人に感じた。






学校には
友達も居たけど


いちばん言いたい事は
誰にも言えなくて



学校の自分を
演じる事にも
くたびれてきた。





時々
学校を休むようになった。












ある日。


母から連絡が来て。


居場所がわかった。



父には言わなかった。



妹が
そこに居る事がわかれば
どうでも良かった。





料理のまともに出来ない母を
見てきた私には


まだ
作れるメニューも
限界があって。

息詰ってきてたけど
母には聞けなくて。





母が居なくなった事は
学校にも
友達にも
言えなかったから



料理本を見たりしたけど

なんだかイマイチで。




料理は好きだったけど

日々の朝昼番

アテを含めた父のメニューを
限られたお金で
やりくりするのが難しくて


楽しくなくて。


面倒になってきた。




それでも やめられない。

鬱陶しかった。


けど

抑圧の暮らしよりかは
しあわせやった。





その先
短大を卒業した後
付き合った彼の
お母さんに教わるまで



スーパーには
「ほんだし」が売ってるし


幼少期の
吐き気がするまで出され続けた
素麺を思い出すから


うどんや蕎麦は
作らなかったし






かつおだしの取り方も
いりこだしの取り方も

うどんは
洗ってから湯がく事も



恥ずかしい事に
私は知らなかった。










母の
暮らしてるらしい場所には
明らかに
男の気配が在った。



一緒に住んでるんだと
思ってた。


それもどうでも良かった。










2年に進級する前に
進学クラスか
就職クラスか
決める親子面談があった。



父には言えなくて。

母に電話をしたら


やたら着飾った母親が
現れた。



相変わらず濃い化粧で


百合の香水の匂いが
ぷんぷんしてた。





久しぶりに会ったのに

ろくに話もせずに
担任が待つ教室に入った。




進学でも就職でも
どちらのクラスを選んでも
最終的に決める形は
自由だったから


圧倒的に人数の多い
就職クラスを選んでおいた。






担任が

日頃の私を
母に尋ねた。





学校には内緒なのに
なんて言うのかなって
思ったら・・・




母は

それはそれは
流れるように
悠長に





「娘はいつも
 家事も手伝わなくて

 自分の来てた服ひとつ
 洗濯機にも入れられなくて。


 いつまでも子供で
 手が掛かって
 困るんですよね。」



「私が甘やかして
 育てたせいかも
 知れません。」



「先生

 何も出来ない娘ですが
 よろしくお願いします。」









大人は汚い。

めちゃくちゃ汚い。

この女はずるい。

最低の人間やと。



私は 心底思った。











しばらくして

知った。




母が
父を捨て

選んだ男は





私の上司だった。












続きはまたね。














今日は
陶芸の納品に行ってから
ダウンしてしまった。

熱がっつり上がって
ぐったりだった。




でも

新しい方の仕事は
明日も休みだから
気持ちはまだ楽。





最近
体にも心にも
時間にも

追われ過ぎていて。



いつも伺う
大好きな人達のブログも
読むだけでやっと。



お盆休みの間に
改めて
読み直しに行きたいな。。








昨夜はね

年に一度の約束に出掛けた。



大阪来てから
毎年誘って貰ってるけど


体調や
猫ちゃん事情がある私は


みんなの中で
いちばん出席率が悪い。





それでも
声を掛け続けてくれて。

出来るだけ
歩かなくて良いように

たくさんの準備をして

迎えてくれた。




淀川の花火大会。



浴衣着て

みんなのおつまみ
いっぱい持って
出掛けてきた。






黒く張り付いた夜空。

描かれる火の華。

美しくて

背負う現実を
一瞬遠くに見れた。


たくさん笑った。








さぁ。

氷枕して 眠ろう。

環境は
細切れの睡眠しか
とれないからね。

少しでも早く横になろう。



明日は

仕事の後

うれしい約束が
ひとつあるんだ。








吐くのも切るのも捨てられたからじゃなくて。(高校生・5)




私が

人生の
半分以上にもなる年月



共存してきた
摂食障害と自傷。



その時代を
改めて振り返り


書き綴る事を始めて。




現在は
高校生の頃の私を
書き記して居る。




高校時代の記事を
始めから読みたい方は



【「痛くて壊れてしまう日に。(高校生・1)」】

【「真ん中の空虚に詰め込 んだ自傷と。(高校生・2)」】

【「吐かせる 女。切らせ る女。愛憎は壊廃。」(高校生・3)】

【「嘔吐も自傷も壊れた血の継続じゃないか。」(高校生・4)】




小学生の頃からの記事を
振り返って読みたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】

【2・「自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】



ここには

小学生
中学生の頃の私を
書いた記事も置いています。

※(【】内クリックで飛べます。)













私の部屋。


机の引き出し
タンスの引き出し

鞄の中
ノートの1ページ1ページ

押し入れの中まで。



全部をひっくり返して
また
彼の存在を見付けた母。



怒り狂って
頬を何度も引っ叩いた。




「別れるから。」



私は母に言った。




また
中学の時みたいに
彼の家族にまで
迷惑を掛けるんやないかと
ヒヤヒヤしたが

今回はそれはなかった。






私は

彼と別れなかった。




悪い事してるわけじゃない。

家事もバイトも
ちゃんとしてるし


恋愛くらい
してもいいやないか。




でも

毎日
彼と遠回りして帰ったり

休みの日に会う事は


しばらく控えた。






母は

相変わらず
何日も


「汚い。」
「気持ち悪い。」と

私に言い続けてたけど。





別れたと信じてたのか


それとも


それどころやなく
自分の事で忙しかったのか


だんだん言わなくなった。













ある夜。



珍しく
早く帰ってきた母は
優しかった。



キッチンに立ち
料理を作ってた。


メニューが
何だったかは忘れた。







キッチンではなく
リビングのテーブルで

母と妹と私


夕食を囲んだ。



なんてない話が
ぽろぽろとこぼれた。




穏やかで気持ち悪いくらい。







ふと。

母が箸を置いた。



「ふたりに大事な話があるの。」




妹も私も箸を置いた。





「お母さんね
 とても悪い事をしてしまったの。」



何事かと思った。



それこそ
人でも殺したんかって考えたくらい
深刻な顔。






「ごめんね。」



「お母さん
 好きな人が出来たの。」





母が泣いた。







訳がわからんかった。



意味が
わからないんやなくて



ここで
なぜ
この言葉を聞いてるのか


よくわからんくて。




ぽろぽろって。



涙が落ちた。





悲しいでも

うれしいでも

何でもなく



「無」に近い感情の中で




真ん中の穴の奥を
知ってしまったようで




涙が落ちた。




泣くって感じでもなくて。

ぽろぽろって。







妹を見たら黙ってた。

ただ黙ってた。





大人になってから思った。


きっと
あの時
妹は泣けなかったんだ。


姉の私が
先に泣いてしまったから。








その後
言葉少なく夕食を済ませた。



この日
私は
夕食を吐かなかった。





母は静かだった。




妹も 喋らなかった。













数日後

妹が眠った後。




大きなバッグ持って

綺麗な服来た母が

私を呼んだ。






「お母さん行くから。」







同じシーンを

私は

中学の頃から
もう何回も見てる。




けど
これが

そのシーンを見る

最後になった。









玄関で

お気に入りのヒールを履いて


私の手に
家の鍵を渡した。





「お父さんには
 絶対に
 何も言っちゃダメだからね。」







私は
母のうしろ姿を見送った。






家の前を左に歩いて

曲がり角。


右に曲がった母は
見えなくなって。






コツコツコツコツ・・・・







ヒールの音だけが

静かな夜に響いて。





黒い夜空に

月が

とてもとても美しかった。









私は

この光景を

現在
「毒華」
 というタイトルで


月下陽香で歌って居る。














家に入れば

とても静かで。


とりあえず
テレビをつけた。


悲しくなかった。



それよりも
ほっとしてた。





やっと離れられた。


私は
自由になるんだ。





でも

うれしくもなかった。

これから
もっと辛い事が起きそうで。




ただ受け止めるしかないと

16歳の私なりに
思ってた。












しばらくして

予定より早く
父が帰ってきた。



だから
母は

急いで出ていったんだと
思った。





母はどこに行ったのかと
父に問い詰められた。


どこに行ったのかは
本当に知らなかったし。



3人での食卓で起きた事も

鍵を渡された事も



何も言わなかった。




父は
家族みんなが
自分を騙してると
キレた。

無理ないよね。








父と私と妹

3人の生活が始まった。




お互いに
ろくに喋りもしなかった。



妹は荒れた。


作った弁当も
食事も
ひっくり返して
私を蹴った。




妹は
この時13歳。



どう受け止めて
何を思ってたんだろうか。












ある日。

家に帰ったら
妹が居なかった。



母が


連れて行ったようだった。





母は

私がついていかない事を
感じてたのか

私より
妹が良かったのか

わからない。



家事を仕切るには
妹じゃ無理だと
思っただけなのか

わからない。








妹の部屋。



服と靴と
制服と教科書と鞄。


必要最低限の物が
なくなっていて。





妹の好きだった
アイドルのポスターや

ぬいぐるみ


キャラクターの
目覚まし時計や
使ってた小物


それまでに
使ってきた物全部



そのまま残して


居なくなった。














父が仕事に行けば
私はひとりだ。



何をしようが

私を見てるのは
私だけ。




部屋に隠れて
こそこそ切らなくても

リビングのソファで
切る事も出来たし



えずく声を殺して
吐かなくても

思い切り吐けた。




気楽だった。



私は
自由になった。

自由になったと思ってた。





でも

本当にそうなれたのは

その後
20年が過ぎてからだった。











次は

父とふたりの生活から
書いてゆくね。













新しく
お世話になり始めた仕事は
今日からお盆休み。



お盆の間も
会社はやってるけど

とっても暇になるから


ベテランさんが
最小限の人数でまわせるからね



新人さんは
お休みを頂けた。



時給なんぼやから
収入は減るけど


心も体も
もうとっくに
限界を超えて



ダメになる寸前で居たから



この休みは
本当に有難い。




来月から
シフトを減らそうか

真剣に悩んでいたけど



この休みで
もう一度
考えてみようと思う。




体は
めちゃくちゃに苦しいけど

この仕事は 好きだから。





本職の陶芸は
この休み中に
詰め込まなきゃいけない。



でも

どこかで
完全にオフの日を作って

静かに過ごそうと思う。




体のケアしたい。



心も
穏やかにしてあげたい。




自分なりに
本当にがんばったし



まだがんばれるように



自分にやさしく

穏やかに居たいと思う。






朝からの打ち合わせが終わった。



日陰に腰掛けて
ビール片手に
タバコ吹かしながら


少し向こうの
人混みを眺めてる。



これから
この記事をアップして。



帰って

夜は
少し出掛けよう。


1年振りの約束がひとつある。



コメントのお返事は

夜か明日

PCから
ゆっくり書きます。


お待ち下さいね。









嘔吐も自傷も狂った血の継続じゃないか。(高校生・4)





摂食障害と自傷。




共存してきた
20年以上の年月は


人生の
半分以上を占める。




私にとって
余りにも辛すぎた
この時代を


改めて振り返り

書き綴る事を始めて。





現在は

高校生の頃の私を
書き記して居る。





高校時代の記事を
始めから読みたい方は



【「痛くて壊れてしまう日に。(高校生・1)」】

【「真ん中の空虚に詰め込 んだ自傷と。(高校生・2)」】

【「吐かせる 女。切らせ る女。愛憎は壊廃。」(高校生・3)】



小学生の頃からの記事を
振り返って読みたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】

【2・「自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】




ここには

小学生
中学生の頃の
私を書いた記事も
置いています。


  ※(【】内クリックで飛べます。)













夫婦は
とうの昔に壊れてるのに


他人以上に
遠く


不信感や
嫌悪感でしか
日々を生きれないのに




父の拒絶で
提出出来ない
紙切れ1枚で



女は未だ妻であり

私の母である。








ほとんど
家に居なかった母は


父が単身赴任で
居なくなってから


「子供たちだけではいけない」
なんて言って


家に戻ってきた。




都合が良かったんだろう。



ホテル代も家賃も


家に居れば
払わなくても寝泊まり出来て


嫌いな夫の姿もなく


その間
娘たちを洗脳も出来れば


少しづつ 荷物をまとめる事も出来る。












父はすぐに逃げる人だ。




とても弱い。



辛い事に立ち向かう前に
逃げだして

失って


いつまでも根に持って

人のせいしてる。






だから
父の心には

いつも不満が溢れてる。






車の運転は
横に乗りたくないくらい
荒くたい。



ウインカーも出さずに
乱暴な車線変更とかするくせに


自分がそれをされると
突然キレる。



窓を開け
暴言を吐き
あおりにいく。




どんなに
人込みの中で在ろうと

すれ違いにぶつかった人が
きっと謝ったはずなのに


聞こえなかったとかで
キレて怒鳴る。




自分が割り込まれたら
キレるくせに

レジに並ぶおばあちゃんを
平気で割り込んで抜かす。




一度も
殴り合いのケンカも
した事ないくせに

キレる。




見てて

ぞっとして
吐き気がする。





そのくせ
ほか弁ひとつ
自分では買いに行けない。



食べに行っても
自分の食べるメニューひとつ
決められない。



私が決めて
注文してやらないと
いつまでも座ってるだけ。



注文する事が
カッコ悪いと思ってる。



ゴミを出すとか
洗濯物を家に取り入れるとか

スーパーのカゴを持って
買い物するとか



カッコ悪くて出来ないと
思ってる人。




自分が
カッコ悪いと思う事を


人に平気でさせる人。






私なら

まず選ばんわね。

そんな男。(笑)


いちばん嫌いなタイプやね(笑)










母も父も

とにかく
ぶっ壊れてる訳よ。


可哀想にね。

哀れなくらいね。










その
壊れた父が赴任中


壊れた母は
企みを形にしてく。




私は

早く
母がいなくなって欲しいと
思って居た。






中学の時のような想いは
したくないから
彼氏の存在は
そりゃぁもう
必死で隠してた。




相変わらず
私には
異常に厳しかった。



なぜか
妹だけは
自由奔放だった。




束縛も
抑圧も
私にだけ向けられた。






それでも

夜遅く帰ってきた時は
やさしかった。


今思えば

彼と会ってたんでしょな。


勝手なもんやね。










1ヶ月に1度くらい
父が帰ってきた。


その時は
母が姿を消した。




父は
その都度

私と妹を
買い物に連れ出した。



大きなスーパーに
服も置いてるよなところ。



そこで
欲しいものはないのかって
聞くの。



「ない」って
答えるんだけど


とにかく何か
買い与えようとする。




私は

好きな服よりも

値札を見ながら
出来るだけ安い物を選んだ。




母は
小遣いを渡す人じゃない。



このお金は
きっと
赴任先での父の生活費。

簡単に飛び付けなかった。







父が居ない間


不満を育てながら
居なくなる日を
待ちわびながらも


どちらかと言うと
母のミカタでもあった私は


心苦しかった。












消化出来ない想いは

日々に犇めいていて。




食べては吐いた。

毎日吐いた。



吐き続ける体は
だんだんおかしくなってきた。



異常に浮腫んだり


目の回りに
たくさんの内出血が出来たり



目玉の白目の部分まで
内出血して

充血なんてもんやなく
真っ赤な
アザみたいなのが出来た。



妙な汗をかくし

手足は
明らかに病的な
冷たさになった。




怖くなって切った。



このまま
死んでもいいかなって

思いながら
切る事が増えた。












学校で
彼と会える時間だけは
キラキラしてて。


放送部をさぼって
水泳部ばかり行ってた。





バイトは 一生懸命行った。


彼と会う時の服も
欲しかったし

クラブで着るTシャツも
欲しかったし


揃いの刺繍が入ったジャージは
とっても高くて


自分だけ買えないなんて
言えないから


真面目に行った。




中学の頃から
裏側の雑用が
私の仕事だったけど



この頃から

放送局で
本格的に
発音やイントネーションを学びながら


デパートのイベントの
司会なんかを
させて貰えるようになった。



そうなれば
また服が要る。
靴も要る。



稼いでも
友達のようには
使えなかった。



入学金や制服は
揃えて貰ったけど

月々の学費は
すぐに未納で呼び出される。


友達や彼氏に
知られたくないから
これも自分で何とかした。












昼休み。

学校の中庭は
とても賑やかで。



みんな
しあわせなんやろなって
思った。





芝生の上

女子が
三角座りして
お喋りしてたり



男子がふざけて
渡り廊下を歩く女子の
スカートの中覗いてたり



ダンスの上手い先輩が
踊ってるのを
1年の女子が
囲んで観てたり



購買で買った
ジュースとパンを
分けながら食べる
カップルが居たりね。






そんなのを見ながら
私は
部室に向かう。



そこで彼と過ごす。





大好きな彼と居ると
すごくうれしいんだけど



私とは違うなぁって
思ってしまう。



どんなにそばに居ても
一緒に居ても。







吐いてる事

切ってる事

家の事

親の事

金の事



なんにも言えなかった。




彼だけじゃなく

誰にも言えなかった。













ある夜。

また
私の部屋をひっくり返して

チェックし始めた母親に



彼の存在がばれた。




母は私を叩いた。



頬を
何度も何度も叩いて

怒鳴りまくった。





この人は
なんでこんなに
私に男が出来る事を嫌うのか

全く理解出来なかった。



今思えば


母親自身が
いろんな男と
いろんな事してきたんだと思う。



女として
汚い事

山ほどしてきたんやと思う。




同棲してた男から
逃げるように消えて
父と結婚して


父からも
強引に逃げて
違う男と一緒になる女やからね。




私と母は
容姿がとても良く似て居て。



だから

嫌だったんだろうなぁ・・



自分を見てるみたいで。








もう
中学の時のように
彼の家族まで
巻き込むような騒ぎにだけは
されたくなかった。





「別れるから。」


「もう別れるから。」





私は 母に言った。






続きはまたね。

















夕べは2時頃から
何度も何度も起こされた。


ぽんちゃんは
こっちが泣きたいくらい 激しい夜鳴きと


それがおさまれば
呼びに来て
お腹に乗って
起こしにくる繰り返し。



今日も見事に寝不足だ。





足が痛い。

じんじんと
ズキズキと


家で座ってても痛い。



指が丸まって
痛くて

歩くのもかなり辛い。




このままじゃ
仕事行けなくなるなと

真剣に悩んでる。



今月のシフトは
もう決まってるから


来月から

靴もだけど

シフトを相談しようか
めちゃくちゃ悩み中。







昨日は
仕事から帰ってきてから

練習の予定だったけど



また 行けなかった。




痛みとだるさで
動けなくて



おまけに
タイキさんと

練習をどうしようか
話し合ってるメールの途中で


スマホ片手に
テーブルに突っ伏して
寝落ちてしまった。





それでも
タイキさんは

夕べも
ごほうびを届けてくれた。



陽の好きなエビと
アボガドのサラダを

わざわざ買いに行って
届けてくれた。



ありがたい。


タイキさんには

今まで
私が知らなかった愛を

たくさん与えて頂いてる。






今日も
器作ってから出勤。



明日から
新しい仕事の方はお盆休み。



本職しながら

少しだけ
出掛けられたらいいな。



大好きな人達に
会いたいな。



まずは

体。

少し休めたい。


このままじゃ
全てがダメになるからね。












吐かせる女。切らせる女。愛憎は壊廃。(高校生・3)




摂食障害と自傷。


食べては吐いて

自分の体を
傷付ける行為。





私が

20年以上にもなる年月を

共存する事となった


始まりからの出来事を

書き綴る事を始めて。






前々回からは

高校生の私を
書いている。




前々回の記事から読みたい方は



【「痛くて壊れてしまう日に。(高校生・1)」】

【「真ん中の空虚に詰め込 んだ自傷と。(高校生・2)」】




小学生の頃からの記事を
振り返って読みたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】

【2・「自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】




ここに


小学生
中学生の私の記事を

置いています。

 ※(【】内クリックで飛べます。)














しばらく帰ってこなかった母が

離婚届けを持って
帰ってきた。




私は

この時初めて
離婚届って物を見た。



後で知ったが
母が父に
離婚届をつき付けたのは

これが最初ではなかった。




両親の夫婦関係は

もう長い間
この紙切れで
縛られてるだけ。



家事は
全て私が引き受けて


母はろくに
家に居なかったし


ふたりは
共に食事をする事もなければ
セックスもしない


揃えば
ケンカしかしないんだから。







いよいよ離婚だと思った。



私は

心の奥で
わくわくした。




母親が居ても居なくても

私の背負う家事に
変わりはないんだし



母が居なくなれば
何よりも苦しかった
束縛や抑圧が

なくなると思った。




やっと自由だと思った。




母がいなくなったら

あれをしよう
これもしたい



そんな喜びを感じながら


少し辛そうな表情を
一生懸命作ってた。







離婚を拒絶した父は

数日帰ってこず。

帰ってきた父は
単身赴任を決めてきた。



荷物をまとめて
赴任先へ行った。



時間を置けば
なんとかなると思ったのか


家に居る事が
もう嫌だったのか


私には
わからない。







父が居なくなってから

ずっと
まともに家に居なかった母が
帰ってきた。



少し
やさしくなったように感じた。




時々は
夕食を作ってくれた。


学校終わって
クラブ終わって
バイトした後


夕食を
作らないで良い日が
うれしかった。






母と
妹と私
3人で
食卓を囲んだ。





母は
料理が下手くそで


どんな料理が
美味しかったのかも
わからない。




母の出してくれる夕食で
すごく覚えてるのは

近所の市場の中の
肉屋さんの
鶏ミンチのハンバーグ。


皿に
並べるだけね。



丸くて
硬くて
時々卵の殻が混じってて

噛んだら
ジャリってなるんよ。


甘い
照り焼きっぽい
たれが絡めてあって。


その味なら
覚えてる。





これがね

吐くと
喉に引っかかるんよ。


だから
後で吐きやすいように


良く噛まなきゃいけないんだ。








母は

父の悪口を
毎日毎日聞かせた。


稼ぎも悪いし
理解も無いし
セックスも最低やと


毎日毎日聞かせた。



ただ

以前のような
激しい口調ではなく


父と居る事は
もうしたくないんだと


訴えるように
聞かせ続けた。





一生懸命聞いた。

その時の母は
やさしかったから。


母に
認められたような気持ちに
なれたから。



帰りが遅い時は

お土産なんか
買ってきてくれたりして。

うれしかったから。









でも

束縛は
相変わらず。



家に居ると

私の部屋を
物色し始める。





家を出る時は


校則違反でなくても

髪に結んだリボンまで
もの凄い怖い顔で
引っ張って取り上げる。



リボンは
ポケットに隠して
家を出てから結んだ。




彼氏の存在を知られたら

また
大変な事になる。


中学の時のような想いは
もうしたくなかったから


必死で隠してた。










ある日曜日。


母が友達に会いに行くとかで
妹と共に
連れて行かれた。


いつものように
着る服も
髪型も
母に指定された。



どうか
知り合いに
会わないように
願いながら

着いて行った。





帰り道

マクドナルドに寄ろうと
母が言った。


日曜日のマックなんて
学生が溢れてる。

嫌で仕方なかった。




3人で
母が決めたメニューを
テーブルで食べ始めた。



離れた席に

同じ学校の男子が数人
居る事に気付いた。

普段から仲良くしてる子達。



見付かって
声なんか掛けられたら


母が
また

何をするかわからない。




私は
そっちに背を向けて

体を丸めて

出来るだけ小さな動きで
喋り声も絞って食べた。



異変に気付いた母の顔が
みるみる
恐ろしくなっていった。



隣の席くらいなら
しっかり聞こえる声で

怒り始めた。




「子供のくせに
 男に色目つかって
 気持ち悪い」って。


「男の子が居たら
 ポテトも食べれんのか」って。


「色気づいて
 そんなませた娘を持って
 情けない。」


「気持ち悪い。」


「気持ち悪い。」




母は
ポテトを私にぶつけて

妹の手を引いて
店を出てった。




私は
男子に見つからないように
体を縮込ませて

散らばったポテトを
拾い集め捨てて

母の後を
走って追った。





帰り道も

ずっと

汚いと言われ続けて。



帰ってから
トイレで吐いた。



吐いても吐いても

1時間程前に食べたポテトは

少ししか出て来なくて。



胃液ばかりが出て。



物凄い苛立ちを
胸に押し込んで

部屋に行った。




・・・・・・・・

友達のお母さん達は
こんなんじゃないよ。


異性の友達が居たって
何も言わないよ。



あんたは
外で何しとるんよ。

早く出てけよ。

・・・・・・・・



カッターで

左腕を引っ掻いて
擦り傷みたいな傷を
重ねて重ねて

押し殺した。








父はその頃

ひとり
赴任先で
何を考えてたんだろう。



これから先に起こる事を
想像出来ただろうか。








我が家は

日増しに崩れてゆく。




いや

元々が
異常に狂ってる。




壊れた大人が
我慢しながら
セックスをして

作った子供を

また壊してく。








私は

毎日のように吐いて


ぶつける事なく
飲み込むしかない苛立ちは


腕や足に刻んで


高校生活を
過ごして居た。












続きは

また。

次ね。













夕べはね。

少しだけ
出掛けたよ。


限界超えて
踏ん張ってる体も

それを扱いきれない心も

正直
限界を超えていて。



いつだって
大声あげて
泣きだしてしまいそうなんだ。




数時間の
仕事でも通院でもない
タイキさんとの
ちいさな外出。



出来て良かった。



少しでいいから
違う空気に触れたかったし


会いたくてたまらない
女性が居たから。



顔見ただけで
泣きそうになった。



言葉探して
一生懸命喋らんでも


伝わる気がして
もう十分やった。




その事を

この
過去を晒した記事と
抱き合わせて
書くのは嫌だから

また違う時に書くね。






明日から

新しい仕事は
初めての
5日連続のシフト。



また

ここや
ツイッターに
毒吐くんやろね。


吐かなくなったら
多分終わってるね(笑)




投げ出して
吐くんやないんよ。


めっちゃ踏ん張っとるんよ。



こんなでもね



毎日毎日


闘っとるんよ。





悔しさいっぱい抱き締めて。




闘っとんのよ。





自己紹介。

月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


このブログには
私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
共存して居た頃の出来事を綴った記事も
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