❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

  ♪:*:.:*:♪ ・らいぶ情報・ ♪:*:.:*:♪

     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

     ❤ 2016年11月6日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



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  ◆ ファーストシングル ・ 花いばら ◆
            2曲入り ¥500-
            2014.5.24 発売
花いばら

  ◆ セカンドアルバム ・ 生きてるからね。 ◆
            6曲+1曲入り ¥1000-
            2011.8.21 発売

いきてるからね。

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痛みの行き先に生まれる傷み。

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



カレンダーを改めて見て気付く。


あ・・・そうか・・。


3月も終わってしまうんだ…。




心には

あらゆる痛みが犇めいて 


問い詰める自分を

閉じ込めてしまおうとしてる。




この3日は 

1日に
やっと1食食べるような状態だった。


心も身体も
そうしながらやっと繋いで居た。



大事な相棒さんもダウンしてるけど 

何もしてもあげられなくて 
悔しさも覚える。



こんなになってまでも 
飲み込んで我慢してきた私に対して 

相変わらず

都合よく振り回す奴らには 
許さない感情も育つ。




心の
真ん中の支えを失った

私の心は 


真っ黒で

静かな

空虚の中で 


消えるのを待ってる。






昨年の8月。


胃癌で
胃の全摘をした父は

今 
抗がん剤治療中だ。



年明けに一度
顔を見に行った。



かなり無理をして 
何とか会いに行った。



それ以来は
行けなかった。


どんなに無理をしても 
私には
もう
隣の県まで行く事も厳し過ぎた。



数日前に
やっと少しだけ行ってこれた。



父宅に着いた時 

父もどこかに行って居たようで 
ちょうど家の前に居た。



その顔が怖かった。



怒って居るのではなくて 
そのやつれた様子が怖すぎた。



目の回りは真っ黒。

顔色もどす黒くて。


また痩せてガリガリで。

風が吹けば
そのまま倒れそうだった。




それでも
車で出掛けていたらしく 

沢山の買い物袋を持って居た。


家に入れば
次々と 

買い物してきた物を私に渡す。


持って帰れと。




私は
父から1円も貰わない。

父が病気をしてからは
全て拒否してる。



それまでは 
何か頼まれた際に掛かる費用位は
貰う事もあったが 


今は全てにおいて貰って居ない。



私は
父の生活の面倒の全ては背負えない。

それは拒否をした。

父に 
昨年の術後に
それは伝えて居る。


だから
たとえ1円でも貰わない。




何も受け取らない娘に 
久し振りに来てくれる娘に 

父なりに
何かしたかったんだろうね。




でも・・。

食べられないよ。
そんなに。


果物やジャムやお菓子。


私が食べられない物いっぱい。


父は
そんなの知らないし 

持たせてやりたかったんだろう。



だから
全部持って帰って来た。



そしたら

心がいっぱいになって 



今日までの3日間 


日に
1食を
やっと食べるような状態になってしまった。





身体にでも

心にでも 


何かしら

疾患や
障害が起こる時に 



それでも

なんだかんだ言っても 

食に対する欲は盛んで 
食べられる人は
強い。



色々と言いながらでも

大して痩せる事も無く

維持できる程に
口から食べて居る人は

強い。


結局は
心の底が太い。

そう感じる。




だから

そうなれる人は

人から上手に得ながら
得な選択をしながら
弱みを訴えて
生き延びてゆく。


人から得ながら生き延びてゆく。


でも
それが出来ないと 

失って消えてゆく。


そんな風に

また思った。


また思った。



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冷たいココロ。

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2016年も
あと数日となった。



悪化する病状 

増えてゆく副業 
変わりゆく環境 

父の癌。


心には
常に
焦りと不安が犇めきながら 

胸は

いつも 
寂しさと悲しみの雲に覆われて 


私の想いの真ん中には 

陽が当たる事が無いままに 
今年も終わろうとしている。




身体は倒れそうだと思う。

心は折れ掛けて居る。


いや
本当はもう折れて居て。


枝は
最後の皮一枚で 
ぶらぶらと
ぶら下がって居るだけなんだと思う。




人に扱われる時に 

相手の
思考や能力や立場によって 
扱われ方は変わる。


誰だって
優しくされたいと思うだろう。


出来れば
痛め付けられたくはないだろう。



冷たくされたり 
笑われる事も在る。


訳もなく嫌われたり 
外されたりする事も在る。



辛いと感じる対応をされるとしたら 

最も

私が 
されたくないと 

辛くてたまらないと思うのは 


「粗末に扱われたと
 明らかに感じる対応をされている時」

だと思う。




粗末に扱われていると感じる時・・・。


例えば…

ものすごく
物凄く小さくて 

だから
嫌だなって思っても
忘れるように努力できる事も在る。


大事な話をしているのに 

直接会って
それを話せる時間なんて滅多に無くて 

だから必死で伝えて居るのに 


相手は
スマホ片手に
誰かとラインとかしながら話を聞いて居るとか 

テレビの画面を見ながらの
相槌くらいの対応で
意見を出してもくれない時とか。



そんなのは 
知り合い程起きたりする出来事の
一部でしかない。


そんなのは
残念だけど
頻繁に起こる事。

嫌だけど
仕方ないと我慢して過ぎてゆく。



そういうのではなくて。



これまでに
苦労して
我慢して
努力して 

積み上げて積み上げて
耐えて耐えて 


やっと辿り着いた

「今」とか
「ここ」を 


全否定するような対応をされたり 


年齢や肩書だけで 

全てにおいて
低姿勢で従って当然だと
決め付けられて居たり。



私と言う「人間」を 
適当に扱われる時に

感じる

「粗末」だと思える感情は 

過ぎゆくには難しい。



そこに居る程に 

人として 
大事な部分が
削がれて行くように思えてたまらない。




今日の大阪は寒い。

とてもとても寒い。


まだ治らない気管支炎には
冷たい空気が辛い。



体調は今日も辛くて。


それに
トドメを
刺そうとしているのは 


私の
心を削ぐ現状に

在るのだとわかる。








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とても辛くて 
うずくまるような日々に 


今月は
私にも 

大切な人達から
クリスマスの贈り物を頂いた。


こうして気に掛けて頂ける事に
とてもとても救われる。



覚えて居てくれる事は 
何よりもうれしい。


月下陽香は
あと少しだと 

私の中で 
ずっと思って居た事は 
確信となり 


その時が来たら 

月下陽香で在った事も 
忘れられてゆくのだと 
毎日思う。



だからかな…

今年は
いつも以上に
考えてしまう事も 
有難いと気持ちも 
多くて 

忘れないように
写真に残した。

忘れないように。















明日で
副業は仕事納め。


それから
やっと本業に取り掛かれる。


副業の年末年始の休日は
本業がびっちりと詰まった。


副業が
いつでも辞められる状況に持って行けるように
しなきゃと思う。


その準備に費やす時間が 
こういう時しかないから 

追われて過ぎる休暇になってしまう。


でも 
独りでやってる仕事だから 

無理して笑う必要も無いからね 

そういう面では
精神的には楽ね。




目覚ましは朝5時半に鳴って。

外はまだ暗くて。

用意して
お弁当とお茶と詰めたら 

白い息を吐きながら
駅に向かって。


そんな事はしなくても良いから 
身体にも
少し楽だよね。





もう
随分と長い間 


希望が見えていない。


心の中にどこにも 
希望は見えてこない。




心の真ん中が



寒くてたまらない。






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死んだように生きるのか。

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追われて
追われて
追われて過ぎる。


身体のあちこちに故障を感じる。


それでも
追われて今日が過ぎて
明日こなすべき事に
脳みそは
休む事を拒絶してるかのように巡り続ける。



昨日
駅のホームから見上げた空には 

小さな雲が並んで4つ。


他に見える雲は 
かなり遠くで 

それだけが
とても浮いて見えた。




向こうから 
あの雲からは
こっちが見えているのだろうか。




狭い所から
広い所はよく見える。


広い所から
狭い小さな場所は見えにくい。


視界にすら
入らない事も多い。



例えば 

私の自宅の工房では
窓際に電動ろくろが置いて在るが 
その窓からは 
外がよく見える。


同じマンションの人々の生き来 

郵便配達の単車や
宅急便の車 

迎えのマンションの背中越しの
遠くに広がる山々の緑。

変わりゆく空模様。




でも。

窓際の私が見てる

誰かや
どこかから 


一体
私の何が見えてる?


仮に視界に入れたとしても 

外を覗き込む人間の
上半身位のものだろう。



広く大きな場所に居る人には 
私なんかは
見えないのかも知れないね。



私はどうなんだろう?

私は

今居るここから 

何が 
誰が見えて 

それらを
確認し感じ在りながら 

何を 
誰を

見失って在るのだろう。








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親が退院をした。


仕事が在るし 
休んでまで迎えに行く事もしなかった。


親は親で 
自分の今の環境で生きてゆく事が
大事だと思う。

そうして気付いてゆくべきだと思う。



不安だった退院当日 
ご近所の方が連絡を下さり 
迎えに来て下さった事や 

入院中に 
洗濯などの世話をしに通って下さった 
親族や友人が居た事を 

心にしっかりと敷き詰めて 

「有難い」って 
沢山感じて 


寂しさの一部は
自分の
思い込みと欲張りでしか無い事を 
知って欲しい。




入院中に 

親の家の
壊れたエアコンも買い換えて設置したし 
キッチンには 
術後の食生活に役立つと思う食材も
出来る限り用意してきた。

私は私なりに 
出来る限りの事をしてみた。


その間
1日も 
身体を休めて過ごした事は無かった。




重なって重なって 
限界を超え過ぎて 

我慢して我慢して 

殺されると思う程に追い詰められて 


ついに
連絡を絶つ事にして 
避けて過ごし居た3年近く。



ずっと言いたかった想いを 
まるで
果たし状のように書いた手紙も 
置いて来た。


伝わらなくても
もう良いと思った。

それならばそれで 
切ってしまえば良い。

それで良いと決めて 

親にはキツイだろう現実を 
書き出して突き付けても来た。




退院日の夕方 
電話をした。

手紙の事は何も言い出さずに話した。

その内容に 
もう
一々言う事もしないと決めて居た。



術後の食事や 
現在の体調など 
話を聞いて居た。


でも
親はぽろっと言った。

手紙を読んだと。

全てに納得が出来ると。



自分で出来る事は
自分でやってみる事を
目指してみると。

直ぐに何もかもは出来なくても 

家の掃除ひとつ 
食事の用意ひとつ 

自分なりにだけれど 
自分でしてゆけるように努力すると。






私は偏在者。


人生の半分以上の年月を 
摂食障害と自傷と
共にしか 
在れなかった人間だ。



生きる喜びを知れるまでには 


何十年もの年月を

愚行の中で
繰り返し己を傷付けなければ 
辿り着けなかったし 


やっとそうなり始めてみれば 


もう
取り返しのつかぬ程に
身体は壊れてしまって居ながら 


そうでない人達を
羨んでしまう想いも 
未だゼロでは無い。



そんな自分を感じながら 

親も
また
暗闇を
彷徨い見失って至ったように思える。



失った胃袋と引き換えに 

親のこれからが 

生きる喜びを 
小さな積み重ねに感じて在りながら 
生きて欲しいと思う。






「死んだように生きるのか 生きる事からやり直すのか」。




摂食障害と
自傷癖と
共存した20年以上の年月から 

克服を目指しては 
引き戻された
10年を越える年月を過ぎて 

40代前半を生きる私が 


この数ヶ月は
特に
物凄く考えて 
1番に考えて 
意識して
生活を重ねて来た

感情の根っこにある言葉に近い。



今日は
当たり前に在る物でもなければ 

明日も
与えて貰えるとは限らない。


今日の幸せは
あと少しである可能性はとても高い。



もう
多くが欲しい訳でも無い。


本当に大切なものを 
ひとつでも失わずに 
抱き締めて居たいだけだ。


それは簡単ではなくて 
一生懸命注ぐしかなく 


それでも
得られる補償も無く 


自信と諦めは
いつも同居をし 


小さなひとつひとつに 


動揺したり
揺らいだり 

恐怖に眠れない夜も知りながらも 


在れる喜びを探せる思考は 

少し前よりも
育てているはずなのだろう。






今日は 
夕方の少しの時間 
恐らくは
2時間にも満たない僅かな時間だけれど 
久し振りに月下陽香の練習をする。


1ヶ月以上 
私は1曲も発声して居ないし 
相棒さんとも奏でて居ない。


木造の賃貸マンションの自宅では 
発声練習は出来なくて 

近所のカラオケボックスは 
夏休みの間は 
お一人様利用はお断りで。

しかも
この夏は 
そんな時間すら 
私には 
身体にも心にも環境にも 
生み出せない状況で。



全く歌って居ないし 
自分の楽曲を聴く事もして居ない。

だから
今日は発声の確認をする事が目的。



追われる日々に 
体重の管理も失敗してる。


少し太る位なら
発声には困らないけれど 


全身で振り絞ってでしか 
もう
歌えない私には 
ほんの1キロの減少でも
大きく影響して 
物凄い苦痛が襲う。



今のこの状況で
どこまでの歌声が出せるのか 
確認をしなければと思う。


それによって 
ステージをひとつ 
どうするか決めたいと思う。



一月ほど前に 
ひとつお話を頂いて居る。

でも 
それすら決められない状況に在って 
お返事も出来ぬままに
時間が過ぎてしまってる。


早くお返事しなければいけないと思いながら 
何も
見えない日々が過ぎてゆく。



今日の声の状況で 

今後も
限られた少しの時間しか
練習も出来ないままでも 

ステージに立てる
月下陽香を
作ってゆけるのか 

考えなければいけない。



私はもう 
少し前までのように 

どんな事をしてでも 

どんな無理をしてでも 

と言うやり方が
出来る身体では無くなってしまったけれど 

責任感は 
維持して在れなければ 

自分を許せないから 

きちんと考えなければならない。




そう言えば・・・。
相棒さんに会えるのも
1ヶ月以上振りだ。


彼は
変わらずに
差し入れを届けてくれたりして下さって居たけれど 
お顔は見れて居ない。



ブログの記事を 
私はいつも
プリントアウトして彼に渡して居るけれど 


それも
7月23日の記事までを渡して以来 
止まっているから 

彼の中の 

ここ
「癒え待ちよすが」情報は
そこで途絶えてる。



頻繁に
近況報告が出来るような環境にはないから 

この1ヶ月以上の状況は 
ほとんど知らせる事も出来ないまんまで 
今日を迎える。



しかも 
まだ我が家のプリンターを買い替えていない。

ウインドウズ10になった事で 
これまで使って居た物は使えなくなって 
買い替える時間すら
まだ見当たらないままだ。


だから今日も渡せない。


一体
今日は
何をどこまで彼に話せるのかな…。


時間が少ししかないし 
歌ってみなきゃいけないから 
あまり伝えられないかも知れないね。






今年も残暑は厳しいと 
天気予報士が言って居たけれど 

この数日の大阪は 

少し秋の匂いがした。



季節だけは
確実に

巡り


前に進む。




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キズグチが生んだ果たし状。

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この1ヶ月弱。


降り掛かる出来事に対し

思考は
余りにも目まぐるしくて 

休まる時間が無い。



時間も体力も金銭も 
ひたすらに
注ぎながらの日々を重ねてる。




目一杯に悩んでる。


だから

一生懸命に笑ってる。


前を見るしかないのだから。




一生懸命に
毎日を消化してる。


全ての仕事に 
一生懸命取り組んで 
大切にこなして 

職場やお客さまとの
会話のほんの一言も 
大事に大事に感じながら 

受け止めて居る。




長年の摂食障害から 

消化能力が酷く劣り 

消化も排泄も苦労しながらの生活は 

人並みに生きようとする程に 
毎日苦労するけれど 


口に出来る
食べ物の一口一口が



どれ程に有難いか 
身体と心に刻みながら 
暮らしてる。



笑ってる。

一生懸命笑ってる。

大変だから笑ってる。



油断すると
笑顔を忘れてしまうから 


意識して笑ってる。

とてもとても笑ってる。









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親はまだ入院中。


手術は無事終わったから 
私に言わせれば 
1日でも長く入院して居てくれる方が 
食事の心配も要らず有難い。



先日見舞いに言った。


腹の真ん中 
ヘソから上を真っ直ぐ
縦に15センチ以上になるだろうか 

傷がまだ 
ホチキスで口を止められた状態で残って居た。



術後は 
両の下腹からも管が出て居り 
トイレも行けないから管で繋がれて居て 
背中にはブロック麻酔の管 
腕には点滴の管 
と言う状態だったけれど 

もうトイレも自分で行けるし 
腹の管もひとつになって居た。


出来るだけ歩くように言われていて 
腕からの点滴をガラガラと引き連れて 
腹からの管が繋がる袋もそこにぶら下げて 

よたよたと歩いても居た。



その日は
術後初めて水を飲んだらしかったが 
ほんの10CCほどで
満腹になってしまったそうだった。



胃袋が無くなったのだから 
仕方ない。
空腹感も無いらしい。
そりゃそうだね。



これから
毎日毎日気を付けながら 
今の身体で食べてゆく訓練を重ねるしかない。


今までのように 
人ばかり頼らずに 
言い訳して逃げずに 
生活を改めなければ 
生きてはゆけない。


この人に一体どこまで出来るのか 
想像するだけで 
自分に降り掛かるだろう重荷に 
胃痛が増す。




病院に行く前に 
親の家に寄った。

壊れたままのエアコンの設置工事をして貰って 
その間に掃除をした。



もう・・・。酷い。


長年の空き家ならともかく 
なぜ 
人が暮らしてる家が 
あそこまで汚れるのか。

ゴミ屋敷と言われても仕方ないような状態。



関わりを絶って居たこの3年近く。


それまでは
私は
行く度に大掃除してた。

いつもいつも
ゴミだらけでホコリだらけで 
雨戸まで締め切ったままで。


あちこち
必死で掃除しなくてはいけない
繰り返し。


私が最後に行った時以来 
手付かずに思えるような 
滅茶苦茶な家。



私は
この家に行っても
泊まる事は無い。
トイレも使わない。
お風呂にも入らない。

汚くて使いたくない。


いつもいつも掃除しながら 
嫌で嫌でたまらなくて。


3年振りに行けば 
やっぱりまた 
私がするしか無い事になって居る。


もううんざり。



今回は受け入れて我慢した。

目眩がしてくるまで
ひたすら掃除した。


古い家だから
あちこちボロボロなのは
もう仕方ない。

それと汚いのとは違う。



もう
言葉にするのが
恥ずかしくて情けない程に酷かった。



掃除して
掃除して
掃除して。


キッチンには 
介護食のお粥や冷凍食品も 
栄養ドリンクやゼリーやスープ 
経口補水液 

思い付く食料も
出来る限りストックしてきた。




「もう知らないよ。」
「最後のチャンスだよ。」

心の中で繰り返してる。



胃袋全部没収されて 
痛い怖い想いして 

いい加減
今度こそ変わらなければ 

私は
もう
欠片の後悔も無く親を捨てる。

今度は本当に捨てる。




時間が許す限り掃除して 
車には
大量のゴミを詰め込んだ。

これもいつもそう。


親の家に行くと 
帰りの車はゴミでいっぱい。




掃除された部屋に 
「おかえり」って迎えて貰った事は
たった一度も無いや。


一度でも
そう言う事

よく
親がしてくれそうな事

されてみたかったんだよ。


得られないってもうわかってるけど。




出来る範囲で片付けた部屋。


親がいつも座る場所に
座れば直ぐにわかるように 

テーブルの上に 

新しいエアコンの説明書と
リモコンを並べて置いた。


介護食の事を書いた物や 
必要な物を置いて。


そこに 

先日書いた手紙を置いた。




手紙。

私に言わせれば 

最後の
果たし状
かも知れない。



ずっと言いたかった事を書いた。

親に対して 
親の最低な性格も言動も 
訴えた。


変わらなければ
次はもう無いと言う事も書いた。




退院日は
まだ決まって居ないが 

恐らくは平日で 
私は
仕事が在るから迎えに行く気は無い。


退院するのだから 
自力で帰れるはずだし 
自分の生活を
出来る限り犠牲にはしたくない。


もう
この1ヶ月は 
十分に犠牲にして来たし 

退院は 
自立への始めの一歩だから 
自分で頑張ってくれたら良い。



胃袋を失った身体で 
やっと家に帰って 
片付いた部屋に入り 

新しくなったエアコンを付けて。


親は手紙を読むのだろう。


心は大きく痛むだろう。



それで良い。
痛む程良い。

二度と忘れぬ位に 
痛んだ方が良い。


酒に逃げられない生活の中で 
やり直した方が良い。

生活する事を考え直した方が良い。



まだ60代。

自分で出来る事は
自分でする気力を
まともに立ち上げて欲しい。


お互いに
自立してこそ
支え合えるのが 
在るべき繋がりなのだと思う。




仕事も家事も通院も 
当たり前に詰め込んで
繰り返される日々の

隙間は全て 

親の世話に注いで過ぎゆく今月。


その更に隙間に 
ある場所に寄った。



30分弱程の時間で済む位の事なのだけれど 

ここ何年か 
もう一度見てみたいと思って居た景色が在った。



現在のそこが
どうなっているのか知りたいと
思っても居た。




まだ

家族は4人だった。


父と母と私と妹。

社宅で暮らしてた頃。

今でも夢で見る事が在る。



学校の帰り 
大きな道の信号。

青になったら渡る。


そこからは
もう社宅が見える。

長い長い道。


少しだけカーブしながらの1本道。


両サイドは畑。

畑に挟まれた道を 
もう見えて居る社宅まで歩く。


その道はとても長かった。
社宅は見えて居るのに 
遠かった。



昔歩いた通学路。

車で走って貰えた。

景色が変わり過ぎて 
記憶と重なるものが見当たらなくて 
迷って。

ナビで辿り着いた。



驚いた。

道の狭い事狭い事。


子供の私には
広かった記憶が残って居たのに 
実際には
狭い狭い道だった。


当時在った物のほとんどが
もう無くて。



見覚えの在る大きな木も 

多分これだろうと思う位で。

当時の友人の家ももう無くて。



記憶の中の大きな道の信号も 
2車線の狭い道を渡る信号で。


信号から見えて居た社宅は見えなくて。


畑だった広い土地には
家がいっぱいで。



恐らくはここだと思いながら
信号を渡り 
記憶の方向へ歩いても

社宅は見当たらず。


信号から
遠くに思えて居た社宅の場所 

ここかも知れないと思った場所は 


これから分譲されるような更地で 
信号からは直ぐで。




幼い子供の視界と言うものを 
初めて
知ったように思った。


子を持つ人なら
気付いて居る
当たり前の事かも知れないが 


私には初めての感情だった。




小さな頃の私が
見て感じて居た景色は 

大人の私には

とてもミニチュアな世界で 


それでも
幼い私には 

広い広い世界で 

とても眩しかったのだと言う事。




もう

何も無いんだと思った。


当時はもう別世界で。

どこにも無い。



今を生きて居ると言う事なのだろう。




私の中に
ずっと住み付いて居る
もう一人の私。


インナーチャイルド。

アダルトチルドレン。



幼い私は
少しだけ
大人になりたがって居るように思えた。


私の中の幼児は 

最近は走り回らない。


もう
沢山の玩具が無くても
不安にはならない。






月下陽香は
今月は
1曲も歌う事無く過ぎる。

相棒さんの顔も見ていない。


毎日は 

副業に疲れ果てながら 
本業を続け 

家事をこなし 

通院をし 

使い果たして過ぎゆく繰り返し。



ただでさえ 
そうで在り 

ほんの1~2時間の練習すら 

週に一度でも 
生み出す事に 
身体も心も苦労してる。



私にとって 
日々に 
音楽に関われる時間を作る事は 
物凄く
ものすごく 
無理をして調整して 
頑張って頑張って
やっとの事で。



それでも

必死になって 
ものすごく必死になって 
続けて来た事で。


だけれど 

基本的には
いつも 
そこでは
何かを失うようで。

いつも
何かしらに傷付きもしながら 

我慢を重ね続ける事にも果ててしまい。



傷んでも痛んでも続けて来た事が 

今は
どうか
少しでも 

「良かった」と思える形で 

締め括ってゆける環境を
得られたならばと 
一番に願ってる。




少し先にひとつ 
有難い事に
ステージのお話を頂いて居る。


喜ばしい事なのに 
まだ答えを出せない。

お返事も出来て居ない。


連日
背負う者が多過ぎて 
心身共に
朽ちてゆく一方で 


その日までに
私は

月下陽香を仕上げられるのか 

まだ全く描けても居ない。



退院の目処が立つ頃には 
判断をしなければと思う。




私は
このままで
歌を失ってしまうのだろうか。


せめて

思い残す事が
ひとつでも減るように 

やり残した想いが
少しでも数少なく逝けるように 

もう一度 


長いステージに


上がりたい。






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内臓と引き換えた鍵。

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



人が
この世に生まれ落ちて 
あの世に召されるまでに

与えられた時間はそれぞれだ。


そこに行き着きまでに 

避けられぬ痛みも 
それぞれだ。



どれもが違う。

同じような経験をする人は多く在れど 


人は
それぞれに
違う思考や感情の中で 

それらを処理してゆく過程も 
知れる想いも 

皆それぞれだ。



例えば
親が居ても居なくても 
結婚しても居なくても 
子が居ても居なくても。

皆それぞれで 

それぞれに

恐らくは 
本来は尊い。




自分の人生の道のりが 

どのように
伸び 
繋がり 

どこで曲がり 

どこに向かうのか 

予測は難しい。



生きる程に 
何が起こるのかわからない事を知る。



もう少し年月が流れた先に 
生きて在るならば 

また
その思考は
変わって居るはずだけれど 



この年代の私には 

人生は
いつ何に襲われるのかが 
まだ余りにも未定で 


だけれど 

それに対応してゆける判断は 
いつの間にか
少し得られて居たようにも思う。




道は1本では無い。

いくつもの選択肢は突然に訪れる。


私にもまた 

この度
次の選択肢が突き付けられた。



いくつかの分かれ道。


その道の上には 
扉が在るように私には思えた。



どの道を選んでも 
そこには
まず扉が立って居た。



そう。
わかりやすく言えば 
ドラえもんの
どこでもドアみたいな雰囲気で。



でも 
どこでもドアのように
ドアだけがあるのでは無くて 

扉の向こうは
まだ真っ暗で 
何も見えなかった。



大きな動揺は 

余りにも衝撃的に 
冷静な感情の裏側を駆け巡った。


ただ

受け入れる覚悟は始めから出来た。



迷わずに
道を
ひとつ選ぶ気持ちは
直ぐに立ち上がった。


その時に 

神様は 

隠して居た鍵を

ひとつ 

見える所に 

手の届く所に 

置いてくれたように思えた。






私の心の中に 

未だ在り続ける
もう一人の私は 

幼子のままで 



「インナーチャイルド」とか

「アダルトチルドレン」などと

言われる人の 
私は間違いなく1人であり


その自覚は十分に在る。



私の心は
未だに
満たされない幼児のままで 

私の中で生き続けて居る。


私は
いつも
その
もうひとりの自分のおもりをしてる。



そうしながら 

大人になれなかった 
不足したままの自分の

奥底と 
共存をして居る。


共存をしながら 
自分で自分を育て直して居る。



誰も与えてくれない事を 
受け入れるしか無い事も理解したし 


それでも
もうひとりの私は
満ちる事無く留まるから 


自分で 
幼い自分を
受け入れて育て直す事を 
繰り返して来た。




この1年半ほどは特に 
自分の
心や 
癖と 
物凄く向き合ってきた。


向き合いながら
1日もサボらずに 

悩んで

間違って繰り返して。


苦しんで苦しんで 

重ねて来た。



痛みの奥底に埋め込んだ種は 

全く芽吹く事も無く 
ひたすらに
苦しみを受け止めながら 

繰り返した。






やっと
ここ最近。

本当に最近。


私は
今の私の根を感じ始めた所だった。


やっと。

生きる選択を始める心を
取り戻しかけた所だった。


その思考を 
感じられる精神が
見え始めた所だった。




そこに

突然に表れた
いくつもの分かれ道と 

立ちはだかる扉。




選んで
ひとつ開けて 
進み始めたら。



私の中の

もうひとりの私 

幼い幼児の私は 


少しだけ 
これまでよりも

大人になったように感じた。 








「摂食障害者」・「自傷癖者」として生きた
約30年間の 出来事や想いが書かれた記事たちは
「カテゴリ。」に振り分けて安置されています。
必要な方はいつでもお立ち寄り下さい。

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【このブログ「癒え待ちよすが」について。】


こちらも少しづつ書いて居ます。
【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】







入って来る情報は
日々変化した。

当日になって
手術の予定時間はまた変わった。

17日正午には
オペ室に入る事となった。




病院まで 

電車と徒歩では3時間はかかる。


まだ
お盆休みの企業もあったからか 
朝のラッシュは幸いにマシだった。



電車の中では
珍しく読書をした。

観た事の在る映画の話。

ストーリーは知って居るから 
楽しんで読めた。


時々外を眺める。

車両を見渡す。


世の中は
まだ夏休みなのだと感じる。




乗り継いだ電車。


最後に乗った路線には
もう10年以上乗って居ない。



電車が
かわいらしくなって居た。


「めでたい電車」。


テレビで一度観た事が在る。

写真には写ってないけれど 
つり革までが
可愛らしい魚の形だった。



おばあちゃまとお孫さんだろうか。

電車の可愛らしさに大喜びで 
発車までに沢山の写真を写してた。




車窓から覗く景色は 
もう

10年以上前に暮らして居た土地。


だけれど 

所々に面影が在る位で 

すっかり変わって居たように感じた。






最寄り駅からは 
日傘をさしても焼け付く陽射しの中 

病院へ。


11時半前に辿り着いた。


6階の親の部屋に着くと 
叔母さんが来て下さって居た。




このブログの中の
過程を綴る記事には
何度も書いて来たが 


私は 
親の親族と関わりが無い。


自ら避けた訳では無くて 
母親がそうしたから。



だから

母親の親族と会ったのは
小学生の低学年頃が最後で 


後は
一度だけ
20代の時に行った葬儀だけ。


父親の親族とは
幼稚園の頃が最後で 

祖父の葬儀では顔は合わせたが 

祖父の顔も
私にはわからなかったし 

ほんの一瞬会っただけで 
それきりだったから 
顔も覚えて居ない状態だった。


叔母さんの記憶もほとんど無い。


確か
いとこが居たけれど 

覚えて居るのは
幼稚園の時に 
母親と妹と遊びに行って 
そこの2人の娘さん達と昼食を頂いた事。

それだけ。



いつの間にか
もうひとり娘さんが居て 
もう30代で 
お子さんも居られて。

そんなのも
全くわからない状態で生きて来た。



その叔母さんは 
親の弟の奥さん。

久し振り過ぎると言うか 

ほとんどわからないままに 
病室で再開した。




親は
ベッドの上で点滴をして居て。


その顔の心細い事。


不安しかない表情で
小さな声で少しだけ話してた。



間もなく看護師さんが来て 

予定よりも時間が早まったとの事。


点滴を終えた後 
看護師さんに導かれて 
自分の足でオペ室に向かう。




病室を出る時。


怖かったんだろうね。



歩き始めた親が 
私の手を探すような動きをして 

私は
迷いなくその手を取り 

手を繋いで

ぶらぶらさせて。



幼い子供の手をひくように 

私は
親を連れて歩いた。


「遊びにいくみたいやなぁ」って笑っても 

親の顔は緊張でガチガチ。


オペ室に独りで入ってゆく姿は 
寂しさの塊みたいだった。




開始前に
4時間と言われた手術が始まった。


ひとりで待つ間に 
手紙を書こうと思って
色々と持って行っていた。



書けなかった。



叔母さんが
ずっと横に付いて居てくれた。


最後まで居てくれるとは
思って居なかった。


家族が待てる場所は 

他の患者さん達も
食事をしたりする場所で 

そこに座って待ち始めた。



テレビでは
高校野球がやっていて。

時々話しては一緒に観て。


お昼には
おにぎりとサンドイッチを買ってきてくれた。



好きな物がわからないからと 
両方買ってきてくれた。


私はおにぎりをひとつ頂いた。


会った事の無い
いとこも少し顔を出してくれた。

初めましてだ。
変な感じだ。



お互いにすっかり大人で。

私はもうおばちゃんで 
彼女は2児の母で。

いとこって言われても実感はゼロ。

不思議な感覚だった。


血が繋がる人なんだーって。
不思議だった。



3時間程はあっという間に過ぎた。

それからが 
次第に長く感じられた。


じっと座って居るのも疲れてしまった。


でも
4時間ほどなら
あと少しだと言い聞かせた。



叔母さんが 
携帯の番号とアドレスを聞いてくれた。


私のアドレスを知る親族は居ないから 

それが当たり前だったから 

そんな事にも
私の心は反応してしまった。




4時間が過ぎようとする頃 
叔父さんが来てくれた。

付き添ってくれた叔母さんの旦那さん。

顔はやっぱり覚えて無くて。

会ってみれば
親に良く似て居た。

後ろ姿なんて
ほんとそっくりだった。



身体のあちこちが痛くて 

胃痛も激しいままで 

じっとしているのは辛くなって 


動物園の熊みたいに 
うろうろしたり 
軽くストレッチしたり。

時間だけが過ぎて行く。



手術は終わらなかった。

やっと終わったのは5時40分過ぎ。


看護師が呼びに来て 

主治医から
家族に説明をされる部屋に入ると

間もなく医師が来た。



目の前には 
親の胃袋が置かれた。


医師は
手袋をした手で 

それに触れながら 

ひっくり返したり 
広げたりして説明をした。



癌細胞は

6センチ程に膨らんで 

胃の内側から
外側にまで浸潤しており 

そこから
あちこちに飛んで居る可能性も高かったが 

今の所は
そこまで広がっても居なかったとの事。


ステージは3だろうとの事。

5年生存率は 
抗がん剤治療もしたうえでの 
40%少し。



目の前の胃袋は 

ただの肉と言うよりも 
モツ。


それ位の感覚。



気持ち悪いとは思わなかったが 
怖いとは思った。


人の身体は

こうして朽ちてゆくのかと思った。




説明の後は
集中治療の個室へ。


まだ誰も居なくて
暫く待って居たら 
横たわった親が
2人の看護師に運ばれて戻って来た。

着替え等する間病室の外で待った。



しばらくして部屋に入ると 

親は目を瞑って居たが 

看護師によると
もう意識は戻っているとの事。

声を掛けるとうなずいた。

叔父さんが少し話しかけて。



面会は
ごく僅かな時間。


その僅かな時間に
2度 
親は
必死になって目を開いて私の顔を見た。


帰りに
声を掛けて手に触れた。



その指は

私の手を

ちゃんと握り返した。



あとは

本人の頑張りと 
病院の方々を信じて
お願いする事でしかない。


私は翌日からは仕事だし。

大阪へ帰るのも
私には 
体力的に物凄く大変な事。





20年来の友人が 
病院まで迎えに来て下さった。



病院から
大阪に向かう電車の発車駅に向かう手段は 

タクシーを呼ぶか
探して拾うか 

バスを待つなら1時間に1本 

電車は 
病院最寄り駅まで歩いて
1時間に2本。


相当な時間と体力が
そこで消費されてしまう。



仕事も家事も忙しいのに 
友人は
私が病院から出る前に 
病院に着くように
車で迎えに来てくれた。



それだけで
自力で移動するよりも
1時間もの時間が変わる。


ものすごく有難かった。
本当に。

身体は勿論 
心も
ものすごく救われた。

疲れ切っていたから。




そこからは
自宅の最寄り駅まで
2回乗り換えて2時間。


駅から自宅までは
もう自転車もこげなくて 
杖代わりのようにしながら
止まり止まり歩いた。




翌日からは
また5時半起床で出勤。




仕事は好きだ。

最近は特に。


ここまで好きになるまでには
1年間の踏ん張りが在った。


悩みながら
ひたすら頑張って 
そうなれた。


職場に行ける事で
紛らわせる事も在る。


人と会って
一生懸命働く時間が在ると言う事は 

人として幸せだと思う。




叔母さんは
翌日も見舞ってくれたそうで
メールを下さった。


翌日から親は歩いたらしい。


手術翌日から
歩くのは当たり前なのだけれど 
人の身体ってすごいなと思った。



翌々日の昨日は 
何年振りかわからないが 
親から短いメールが届いた。


集中治療の個室から
一般病室に移動したとの事。



今日届いたメールには 
明日から水を飲めるとの事。
その後
おもゆから食事を始めるらしい。




私は
明日親の家に行ってから 
病院にも寄って来る。


頻繁には行けない。


この3週間程は 
物凄い無理をして通って居るけれど 
そんなのは続かない。



今後は
自立してゆけるように 
出来る限りの準備を今して居る。



明日は
壊れたエアコンを新しい物に交換して 
出来る限りの食材もストックして 
掃除をしておく。

退院後 
自分で頑張れるように 
出来る限り準備をする。







殺されると心底感じて 
親との関わりを絶って過ごした
3年近く。


私は
もう 

壊れる程の我慢をする気は無い。



でも。

その間に

親が
どれ程に自分を責めて 
どれ程の寂しさに朽ちて行ったのか 


私にも
わかったように思うから 


これは
私達親子には 
最後のやり直しのチャンスだと思って居る。



神様が 
親の胃袋と引き換えに 
私達親子に与えたのだと思う。



再び 
これまでのような繰り返しに
引き戻されたならば 

私は
今度こそ 
親を捨てる。


どんなに痛んでも
きっとそうしてしまうだろう。





手術中に
書こうと思って居た
手紙を書いた。


親に 
一番言いたかった事を書いた。


書き切ったと思う。


だから
もう一々親に言う事も無い。



伝わるかどうかはわからない。

伝わらない可能性も高い。


もう
今までにも
散々
そう言う事は在ったから 

それでも仕方ない。



だけど
言いたい事は書いた。


親の
何が
私を苦しめて壊したのか 

きっちり書いた。



私が
本当に欲しかったものを 

はっきり書いた。



私は

 「親」が

欲しかったと書いた。


「親」らしい事を
して貰ってみたかったと

書いた。




退院後 
家に帰って来た父が読めるように
置いて来る。





医師にも看護師にも 
聞かれた事が在る。


癌がわかった時から 

親は
病院で 
自分には家族が居ないと 
独りだと言っていたらしい。


本当にそうなのか 

今後何か在った時に 
娘である私に連絡をしても良いのか 
確認をされた。



親は
本気で
独りで生きる覚悟を
しようとしていたのだろうか。




叔母さんは
詳しい事は何も聞いて居ないと言って居たが 

親は
さすがに
今回は
物凄く堪えていたようだと言って居た。

さすがに
今後は

少しは変わってくれるのではないかと。




こうならなければ 

そうはなっていないだろう。



胃袋の没収は大きいけれど 


これでやっと 
親の残りの人生が 
心に豊かなものへと
変わってゆけるならば 
きっと良かった事だろう。



酒に溺れなくても 

質素な食事の一口が
どれだけ有難くて美味しいか 

味わって 

小さな事を楽しんで 

穏やかさを探して欲しいと思う。



身体の中。


胃袋が在った場所は 
食道と腸が繋がった。


今まで

アルコールと寂しさを
投げ入れて来た
胃袋が在った場所に 


親は
新たに何を詰め込むのだろうか。





何にせよ 
全てはこれから。
大変なのはこれから。


私には私の生活が在るしね。

自分の身体のケアの方が
大事にしなくてはいけない事で 
私には私の 
今の生活が在るしね。








今年は
暑中見舞いも書かなかった。

そんな時間も見当たらない夏だった。


葉書を下さった方が居られた。

お返事も出来ずに申し訳ない気持ち。


有難く頂戴いたしました。
本当にありがとうございます。

この夏は
お返事を書く余裕がありません。

本当にごめんなさい。





こんな月下陽香に 

大好きな歌姫さまが 
ひとつ 
ステージのお話を下さって居る。

そのお返事もまだ出来て居ない。


まだ
退院日は決まって居ない事も気になるし 


何よりも
今月は
たった1曲も歌わずに過ぎる。


その後の練習で 
ライブの準備が出来るのか 


この環境で
身体が耐えられるのかも 
まだ悩んで居る。






もう
8月も終わってゆくね。




青い空に 


白い雲が浮かんでる。






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死なずに殺さずに在る為のバランスを問うて。

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



精神的にも

肉体的にも

余りにも追われ過ぎて 


1日はあっという間。


朝起きてから 
夜横たわるまで 
常に考えて何かをしている状態。


あっという間に夜になり
朝が来て。


なのに
この10日程は1ヶ月程にも思える。



後悔は減らしたい。


した事により 
しなかった事への後悔は
ひとつでも減らして生きてゆきたい。



今しなければならないと
思う事はとてもとても多くて。


追われ過ぎる中で 


私の身体は
もう悲鳴を上げて居る。

キツイ。




もう
心身が壊れるまでに注いで
犠牲にはならない。


再びそうなったら 

今度こそ
私は
本当に親を捨てるだろう。

殺されないために 
捨ててしまうだろう。



数年振りに
話して会った親は 
大きな病と共存して居り 

もう
これまでのように
浴びるように飲む事も出来なくなり 

今は 
私の知る以前の親のように 
毒も吐かない。



数年振りに来てくれた娘に 
きっ
とどこかで怯えても居るだろう。

気も遣っているのだろう。

でもそんなのは永遠じゃない。



数ヶ月が過ぎて 
少し落ち着いて来たならば 

また 
あの人は
毒を吐くのかも知れない。

私を傷付けるのかも知れない。



私は
もう 

犠牲にしてまでは注がない。

同居する気も無い。


近付き過ぎれば 
また
私の精神が壊されてしまう。

私が死んでしまう。



自分の生活の基本を変える気も無い。

痛んで苦しんで
やっと得た今を 
親の為に捨てる気は無い。



どこまでも
私は私。
親は親。


自分の事はして貰わないと困る。

でも 
どれ程に
あの親が
自分に甘く弱いのかも
私は知って居る。



これから先 
出来る事はする。


だけど
やり過ぎはしない。

自立をして頂く為の支援をする。



あの人は
今まで 
私の事を 

自分の感情で 


娘にしたリ 
母にしたリ 
嫁にしたリして扱いながら 

都合良く
また 
娘扱いをしたがる。



確かに親だけれど 
私は
もうそんな都合には合わせない。


親もひとりの人。

私もそう。


お互いの人生はお互いのもの。



とは言え 
暫くはそうもいかない。


今後
そうしてゆく為の準備が
物凄く沢山あって 

中には
早急に必要な物も沢山あって。


毎日追われて居れば 

私が
既に
大きく疲れて居て 

胃痛も悪化して 
薬が増えてしまった。


それでも
今はそうすべき時。




世の中には
様々な過家族の形が在る。


私と親は 
良い関係を作れないままに現在に至る。



子として言わせて貰えるならば 

私を 

摂食障害者にし 
自傷癖者にし 

人生の半分以上を 
そうして生きなければならない

偏在者とした 

根本は 

両親だ。


間違いだらけの両親だ。



ここに
その過程も綴って来たが 

それは間違いないと思って居る。



私も偏在者だが 

親も又酷く偏在だ。


親だとは
私は
きっともう捉えて居ない。

親だけど親じゃない。



だからこそ 
今は 

これからの在り方を考える時間を 

神様が与えたのだろう。








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こちらも少しづつ書いて居ます。
【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】








親の家に
エアコンを取り付ける手続きをしながら 

退院に間に合うように 

介護食を問い合わせたり取り寄せたり。



今後の生活についての本を購入して 

その中の 
合併症や再発について書かれたところは外して 

生活に関する
注意やアイデアを書いた部分だけを 

1冊のノートにスクラップもした。


怖い事は
もう十分に病院でも聞かされているだろうし 

少しでも
希望だけをそこに感じて貰えるように 


8時間近くをかけて 

コピーを切り取り
貼り付けて 
書き込んで 
1冊のノートにもした。



子供の頃に会った事があるはずの
ご近所さんや 
子供の頃にしか会って居ない叔父さんにも 
挨拶にも行ったり。



大阪の隅っこで暮らしてる私は 
運転が出来なくて 
電車で行けば 
そこは
片道3時間はかかる場所。

車でなら2時間弱で辿り着けるのに。


日によっては
車で乗せて貰えるが 

自力で往復しなければならない時も
当たり前に在る。


その移動だけで
私の身体はとことん疲れ果てる。


それでも今は粘る時。


少し先に 
親が 
手術を終えて
術後を乗り切った新しい身体で 

自立してゆけるように 


時々は顔を見せて手伝う位で 

あとは
行かなくても出来る支援をしながら 

互いに
現状を守り生きてゆけるように 

今は
準備に追われても仕方のない時。



そう思って必死。


仕事と自分の通院と家事と。

それ以外の時間は
全てそこに注がれて居て 
他には余裕が無い。



ただ

一生懸命

笑うようにしてる。





きっと
それは
本当の闘いが
これからだからだと思う。



手術は17日に決定した。

時間はわからない。


病院の当日の外来の都合などで 
開始時間は当日でないとわからない。


手術時間は
4~5時間らしい。


その間
家族の付き添いが要る。


前日は叔父さんが来てくれるらしい。

当日は私が行くしかない。


幸い
その日だけは休みを貰えた。

急だけれど
何とかして貰えた。

でも翌日は仕事。


朝から3
時間はかけて病院に行って 

開始を待って 

始まれば終わるのを待って 

また3時間かけて帰宅。


そこが一番 
私自身の体力が厳しい所。


そして
本人は
とてもとても苦しいだろう 
術後の夜も 
その翌日も 

私は
そばには居てあげられない。


だから
当日は頑張らなきゃいけないのだろうね。






親に伝わるのだろうか。

あなたは幸せなんですよ

と言う事。


こうしてくれる娘が居るのだから 

今度こそ
本当の自立を 
精神的にも生活面でも
しなくてはいけないのだと言う事。


もう 
浴びるように飲む事をしてはいけないと言う事。


自分の寂しさで 

物凄く人を傷付けて来たと言う事。





手術中 
何をして時間を過ごせばよいか悩んだ。


読書は疲れた身体には辛い。

雑誌を買ったところで 
何時間も潰せない。

ぼーっとしてるのもしんどい。



その時間 

腹を開けられて
内臓を取られて 

親が新しい身体になろうとして居る時 


私は
手紙を書こうと思う。


退院してきたときに読めるように 

後々
たらたらとこぼさないように 


言いたい事を
文字として伝えられるようにしながら 

終わりを待とうと思う。



それならば 
4時間位は
すぐに過ぎるだろう。

最も集中して居られるだろう。






寂しさは 
どこかで 
自分の思い込みでしか無い時が在る。


本当に孤独な人も
孤独な時も
在るけれど。



そうではなくて 

気付かないだけの時が在る。



それに気付けるの時は
人それぞれに違う。


本当は
本当の独りでは無いと 
気付けたら 


毎日の景色と意識は 

大きく変わるように思った。






私は

偏在者で 
まともでは無い。


とても歪んだ性格も
交えて居る自覚が在る。


誰からも好かれるタイプでも無いし 

上手に生きれる人でも無い。



親の失敗作。

きっとそう。



だから


自分の中で
幼少期からを
やり直してきたように思う。



この夏は
ひとつ
上によじ登る
試練の時なのかも知れない。






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死にたかった年月の方が長いのに。

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



今 
突然に
様々な出来事に襲われ 


毎日は 

目まぐるしく
忙しく 


日に
何度も 
変わりゆくスケジュールを確認し調整し 


これからの
すぐ先に
受け入れなければならない現実を 


受け止めて居るようで 


本当は
まだきっと 

どこかでは
嘘のようでも在り 


しかし
本当は
そうでは無い事も
理解出来て居り 


とにかく 

本当に本当に 
今日の私には 

身体にも
心にも 

余裕なんて無くて 


暫くは休日も無い状況で 


いくつもの事を
同時進行させながら 



死なずに
殺さずに
在れるやり方を 


思考を止めずに考え続けて居る。




もう既に体調が悪い。

それでも
今は
もう止まれない。
それどころでは無い。



ひとつひとつ
起こす言動を自分に問う。



それは
絶対にしなければならないのか。


それをしない事で後悔をするか。



後悔をするくらいなら 
しておく方が良い。



やらされてる訳では無い。

押し付けられて居る訳でも無い。


今は
自分で選んで動いて居ると思う。

そうしようと思って
そうして居る。




ひとつ
据えた腹が在るから。

今はそうしてる。









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【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】









昨年の今頃は 

私は
交通事故に遭って 

以来半年間
きちんと歩けずに過ごしてた。



今年の8月は
 
3年近い年月 
距離を置き 
顔も見なかった家族が 

胃の全摘手術をする事となり 


それを知り 
先日会って来た所だ。


前回の記事にも触れて居る。

【「孤独の中で「生」を選ばせた私。」(2016.8.7)】





久し振りの顔は
とてもとても痩せて居た。

とてもとても。


本当にとても。



病院で止められたそうだが 

本人の希望も在り 
少しだけビールを持って行った。



胃を取られてしまう前に 
大好きなアルコールを
飲んでおきたかったようだ。

もし私だったら
きっと飲むと思うから止めなかった。



しばらくは飲めないし 
その後も
もう
これまでのようには飲めない。


だからもう
酒癖で人を傷付ける事も
無くなるかも知れないね。



入院前日に
少し飲んでおきたいと 

発泡酒を買って来て欲しいと言われた。



覚悟を決めた最後のお酒なら 
ビールにすれば良いのに。


だから
値段も高めのビールを選んで持って行った。


手料理と 
お寿司とお造りと。
持って行った。



昼食に少し飲んで
久し振りに話した。


夕食は独りにしてしまうけれど 
少しのビールと夕食を置いて来た。




数時間 
久し振りに親宅で過ごした時間 


翌日から入院するから 
冷蔵庫の整理や掃除をして。 


ご近所で唯一
うちのミカタをしてくれるご夫婦に
ご挨拶をしたり。


そこでは
知らなかった事を沢山聞いたり。





何よりも理解出来たのは 

当人が
とてもとても寂しかった事。



私が 

本気で
疲れ果てて距離を置いた事に対して 


在る頃から
とても自分を責めて
悔やんでいたと言う事。



睡眠薬とアルコールで 
死を選ぼうとした事。


生きる選択に行き着いた時に 
孫の顔が見たいと
つくづく思ったらしい事。





この家族が
今の感じで 

それこそ10年とか昔なら… 


私も
ひょっとしたら
産む事を選んだりしたかも知れないけれど。


それは
もしかしたらの話であって。 


何がどう変わろうが
もう叶えては上げられない。



仮に私が子を産んで居たとして 

そこには
以前の家族が 
大きく関わるはずで…。



そんな事になったら 

私は

子と親の世話に追い詰められて 

当時は猫の看護もして居て。


きっと
私の精神は破壊されて 


夫婦は
間違いなく 
自分の両親のように破綻するだろうし 


私と
私の親に育てられたなら 

その子は
もう一人の私になってしまうだけだろう。



自分の感情で
安易に選べない。


子供は
寂しさの穴埋めでは無い。



幸いなのか 
残念なのか 
もう適齢期でもないし 
身体も悪いしね 


これからの手術もあるから 

そんなのは
親の
叶わない夢の欠片でしかない。


話を聞いてあげるだけ。
特にきっと
今は不安なのだろうから。




それよりも 
私は
これからをどうすれば良いのか 


考えて考えて 


私まで
胃が痛い連日を過ごしてる。


衝撃が
心に大き過ぎたんだよね。



知って以来ずっと 
脳みそフル回転で考えながら 

ずっと 

やたら喋ってたり 
動いてたり。

何かがおかしいままだしね。





仕事もあるし 
自分の通院も生活もあるから 

親のそばで泊まり込む事も 
親をここに呼ぶ事も出来ない。



でも
落ち着くまでは
極力行こうと思いながら 
スケジュールを調整していて。



まずは

月曜に入院した親が 
これから手術を受けて
術後が落ち着くまでの事と共に 

退院後の生活に起こるトラブルを
ひとつでも回避して 

健康を取り戻してゆく準備を考えて居る。




とにかく
早急に
親宅にクーラーを付けたい。

壊れたままになって居た。


あんな暑い中で 
術後の身体が
耐えられるとは思えない。

高いのは買えないけれど 
手配を始めた。




処方食も 
胃がん患者用の物は見付からなくて。


でも
介護食で使えそうなものがあったから 
カタログをさっき注文した。



毎夜 
翌日からやる事を紙に書き出して 

翌朝から 
ひとつずつ
潰してく繰り返し。





数年振りに
親の顔を見た帰りに 

友人のお店に寄った。


小さなお土産を届けたかったのと 

何よりも彼女の顔が見たかったのだと思う。



この先
親に会いに行く度に寄れる訳では無いし 

とてもお顔が見たくて
突然に寄った。

少し話せてほっとした。
会えてほっとした。





親は
私の顔がわからなかった。

「変わった」と何度も言って居た。



数年振りだからだと思ったけれど 

なんと
友人も 

始め誰だかわからなかったと言って居た。




きっとね 
やっぱりね 


このほんの数日とかで 
目一杯に考えて走り回って 
張り詰めて
無駄に気を張って居るからだろうね。



数日で一気に老けた気がするわ…。

私。







死にたくて

死にたくて 

たまらなかった時代が在る。


長い長い時代。



私の人生は

まだ 

摂食障害者で在った年月の方が長いし 

死にたいと思いながら
生きて居た

時間の方が

遥かに長い。




生きて居て良かったと 
生きて居たいと 

とてもとても
苦しくても 

まだこの世に在りたいと 



こんなにも
強く願うようになったのが


きっと
この1年とか2年とかのように思う。



本当にここ最近の事だと思う。



自分が
スピードを上げながら朽ちゆく現実を
ついに心底に感じるようになり 
そう思い始めた。



そして

そうなったこのタイミングで 

親は
胃袋を失う事となった。



酒が好きで好きで 
酒癖がとても悪くて 
飲んでは人を傷付けて。


そんな親から
神様は
胃袋を没収する。





私も
いつ同じ目に合うかわからない。


拒食 
過食嘔吐を繰り返して

何十年も傷めつけてきた内臓は 


親以上に 
いつ同じ状況に追い込まれるかもわからない。




親が癌になったのは 

最悪な食事バランスと 
大量のアルコールと 

何よりも

「寂しさ」と「ストレス」

だったのだと思う。


これは全部繋がる。



手を繋いで 
人も自分も
駄目にして来たのだと思う。





今年の夏は
きっとあっという間に過ぎる。



どうか
これ以上悪化せずに 
生きて在りながら
越えさせて欲しいと 

物凄く願う。





想い事を
目一杯に走り書きな感じだね。





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汚点を葬るように。

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月下陽香が
とてもお世話になって居る
ミュージシャンの方の
イベントが明日開催らしい。


月下陽香にもお声を掛けて下さった。
有難い事だ。



数年前までのように 
あちこちに出掛ける事も出来なくなって 
ライブもろくに出来なくなってしまうと 
声すら掛けて貰えなってくる。



自分の事で精一杯だろうし 
当たり前だろうけれど 


それでも
忘れずに声を掛けて下さる方々は
本当に僅か。



例え歌えなくても 
お伺いしてお会い出来れば
どんなに嬉しいだろう。


音楽関係の人達に会える機会も
ほとんど無いから 
伺えれば良いのだけれど 


どう考えても 
最近のこの体調では無理で…。
とても残念。



ギタリストさん情報によると 
その方に
お孫さんが産まれるらしい。
おじいちゃまになられる訳だ。

いつも
カッコ良いお兄さんって感じだから 
ちょっと不思議な感じもするけれど 

そりゃそうだろうなって思ったりもした。


その方の年齢で考えれば 
とても早い方だけれど 
そうなってもおかしくはない。

すごいなぁって
思ってしまうね。




私は
子供を産み落とさない人生を選んだ。


望めば母になる事は出来たのに 
それを望まなかった。



何度も悩んだ。

産んでおけば良かったと
思った事も
正直在った。


産まない人生の選択に 
罪悪感を覚えた事も在る。


未だに
ふと 
引け目を感じる事も在る。



でも
最近では 

私の 
身体と精神では 

産まない人生を選ぶべきだった

とも思う時も在る。

これで良いと思うようにもしてる。



けれど
周りを見渡せば 

産まない選択をした女性の方が少ない。



その人達と比べたなら 
自分は
どんなに幼いままなのか 
思い知る出来事も多々在る。



子を育てると言う過程を
経験しなかった者は 

やはり
どこかで
いつまでも 
子供で在る事を感じる。


社会で
どんなに何かをこなして居ても 

それはきっと事実。



身近に感じる人達が 
親になり
親として生きる姿を
見せて貰いながら 


その子供が
また親になってゆく

命の連鎖を知る程に 



何年も何十年もを積み上げて 
命を繋ぎ
大人になって居るのだなと 
つくづく思う。




自分には歩けなかった道。


それはきっと 

歩かなかったのではなくて 
歩けなかった道。


そこには
私には
一生観れない景色が在る。



知らない人達や 
嫌いな人達が 
どうなろうが知ったこっちゃないけど。

大切に想う人の未来は 
あたたかく在って欲しいと願う。




明日のイベントも盛り上がるんだろうね。

本当に素晴らしい方で 
お仲間も多いから
きっと大盛況だね。








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仕事は休んで居ない。

決まった出勤日は絶対に休まない。

朝5時半に起きて出勤する。

帰宅後は 
体調によって 
通院と本業と。

出勤日でない日には 
最近は必ず通院が在る。



投薬の効果は余り見られない。


喉がつかえるように 
引っ掛かるように 
物が飲み込みにくい苦痛は
僅かに軽減はされた。

息苦しさはその時々で違う。


痛みは波が在る。
今日はまだマシ。


考え事に頭抱えだすと 
胃痛も酷くなるから 
極力 
辛い刺激を避けて
生きて居るような感じ。





家に居る時間は 

物凄い不調で
ほとんど寝込んで居るか 

動ける時は
仕事を終えると
やたら掃除をしてる。



去年の8月に
交通事故に在って 

昨年は
年明け頃まで 
歩行に苦労して居て 
物も持てずに居たから 

クローゼットの整理とかまでは
出来ないままで居て。



仕事以外の外出が
思うように出来なくなったけれど 

家に居る時間 
掃除には苦労しなくなったから 
次から次へと整理する。




出来る限りの物を捨てる。


先立つ時に
遺しゆく者に
掛ける迷惑は
ひとつでも減らしたい。




昨年には 
まだ捨てられなくて
一応置いて居た物も 

ほとんどを捨てて居る。


もう要らない。


少し前まで
大切に想えて居た物も 
ゴミにしか見えなくなった。



想い出も
もう
そんなに要らないのかも知れない。


活動に関する物も 
数年前の物までも処分した。


月下陽香に残された時間は
もう余りないし 

私は
井上タイキとの活動だけを
大切にしながら
終えたいから 

それまでの物はもう要らない。




きっと足枷になるから 

今の内に処分。


まささんが
沢山残して下さった写真が在るから 
後はもう無くて大丈夫。


YouTubeはまだ在るしね。

ただ
YouTubeも
少しづつ画像を消して居るから 
昔の物は段々無くなってゆくと思う。



楽器もほとんど処分した。
ギターはアコースティック1本だけ。

あと小さな鍵盤は在るけど。

他のは全部引き取って貰った。
CDもほんの僅かを残して処分。




古い物には 
良い想い出だけが居残るのならば 

それは
置いていても良いけれど 


そこに

痛みも引き起こす
何らかの感情も
含まれてしまうなら 


どんどん捨ててしまえばいい。





人生の汚点を

必死になって
捨てて居るみたいだ。



少しでも楽になりたくて 


少しでも
残る憎しみを

殺し

葬ってしまいたくて 


ひたすら捨てる。


捨てる。


今日も捨てる予定で居る。





もう要らないと
気付けた物を
全て処分出来たら 



少しは楽になれるだろうか。



私の残りに

穏やかさが

見えるだろうか。








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生きて在ろうと静かに息を吸う。

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世間の子供たちは夏休みとかで。


マンション内が
いつも以上にうるさい。



異常に子供が嫌いな私には 
一々神経に触る出来事が増える。





叩き込まれた思考

と言うものは

恐ろしいと思う。



子供が意見をする事を
基本的に
とても嫌って居る。


自分で一銭も稼げぬ奴が 
偉そうに意見をするなと

思う思考が

私には根付いて居る。




それは
自分がされてきた体験。



自分が
そう育てられて来た実体験。



その苦痛を
存分に知って居る癖に。


思う私が居る。



「黙って居ろ」

「泣くな」

「叫ぶな」

「消えろ」。



朝から
あちこちで
子供が走り回って居る夏休みは

1年で1番嫌いな1ヶ月。



それでも。


そんな私でも


絶対に決めて居る事が在る。



相手が
どんなに年下で在ろうと 

それが子供であっても 


もし
私が
間違いを起こして迷惑をかけたならば 

心から詫びる。

頭を下げてきちんと謝る。



非を認めない大人には
ならないと決めて居る。



その代わり 
相手が子供でも
私は厳しい。


同じマンションの住人の子供であろうが 
迷惑を掛けられたら
はっきり叱る。


何を言われても 
困る事は訴える。



ストレスが増える季節だ。








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今日は出勤日では無いが
練習はやめた。



体調が悪すぎたまま。

とてもとても辛くて。


そんな中で 
目標も無く
歌う事はもう出来ない。



例えば 
目標が無くても 


少し前までなら 


どんなに無理をしてでも
練習をしていたと思う。

数年前まではそうだったし 


それこそ
2年前までは
その姿勢で居た。



朝から
通院や仕事を 
休憩も出来ずに詰め込んで
こなして。


その合間でも 


必死になって時間を作った。


作ると言うよりも
無理矢理に
無理をして動いて居るだけで 

身体は
翌日にも疲れを引き摺り 

とても辛いのに 

そうしてきた。



そうしなければならないと思ってきた。


だけど
もう無理だ。



目指す場所も無いのに 

そこまでの
無理をする精神力は見当たらないし 

何よりも

身体はもうそれが出来ない。





死にたくなる。


だから
予定が決まらないままに
無理をして歌う事を

しないで居ようと 

今は思って居る。


生きてゆく心を探す為に。





2週続けて歌わずに過ごす。


来週は体調次第。


その次からも 
通院と納品が
ずれて重なった結果 
3週連続歌わずに過ごしそうだ。



次が決まれば 
何が何でも歌ってみるけれど 


そうでなければ 
これでいい。



ギタリストさんに会えないのは
ちょっと寂しい。


ただ 

ほとんど歌えない私の為に 
ギターを背負って来て貰うのは 

いつも
有難い半面で
とても申し訳ないと思って居るから 


彼への負担も少しは減るかなと 

それは
それが良いとも感じる気持ちも在る。





ずっとほったらかしてきたけれど 
10への移行も
いい加減した方が良いと思うし 

そうなると
プリンターを買い替えないといけないし。



そんな雑用も
少しずつ 

合間に放り込む事も出来れば 
気も反らせるだろうしね。





身体は
毎日とても辛くて 

心は
毎日必ず痛んで。



だから 

歌で自分を追い詰めないで 

日々を
とてもとても意識して過ごして居る。





ひとつひとつ

決めた事々を 
丁寧に消化しながら 




自分が
何を学びながら

今日を在るのか 



何度も巡らせて
理解しながら 



歌に足踏みはしても 

人生に立ち止まらぬよう 

重ねて居る。





今の自分の
生きて在る環境に 
喜びを探す日々。



見付ける喜びは 

感謝でも在るけれど 
悲しみとも重なる。




いつまで

ここに在りながら 
それを感じて在れるのか 


少し先は闇過ぎるから 

いつも恐怖と肩を並べる。



当たり前に
得て居る物なんて
毎日には
ひとつも無い。




たったひとつも存在しない。



全ては

必死で手に入れたものか 


この私なんかを愛してくれる人達が
与えてくれるものか。


無条件に
ただ与えられる物なんて無い。




だから

必死で息を吸う。


出来限り静かに。

一生懸命息を吸う。





静かに



静かに。



まだ


生きて在れるように。








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引き換えに失うものと与えられた事が無いものと。

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7月ももう半ばを過ぎた事を何よりも知らしめるのは蝉の声。そして胸一杯の遅すぎた虚しさと。


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ハードすぎた先週。

フルで出勤しながらの
通院と本業と 
週末には親睦会と。


会社の食事会は辛い。

皆と同じように食べなければならない事は
まるで拷問だ。



神経も張り詰めたまま 
悪化に怯えながら 
必死でこなす1日1日は

孤独で痛い。



そんな中
ギタリストさんは
差し入れを届けてくれて居た。


ライブの予定も無い月下陽香は
練習も
まともにはして居ないし出来ないし 

彼と過ごす時間もとても少なくなった。





日々
ものすごく
忙しく頑張っている友人が 
贈り物を送って下さった。

自営のお仕事に 
講師としてのお仕事 
家族のお世話…

ろくにオフもない日々に在るにも関わらず 

私を想い選び 
送って下さった贈り物。



いつもいつも有難い。

どうもありがとうございます。







我慢してしまうクセは
結局
未だに纏ったまんま。



私は私で良いのだと 


その都度

言動を思い起こしては 
リプレイして
考えて考えて 
少しずつ自力に言い聞かせながら
過ごしているけれど・・・。




まただ… 


我慢して当たり前と言うか 

自力だけ違ってはいけないと言うか 

言われた事に反せない 

その瞬間に
きちんと断れない私を 
呼んでしまうと言うか…。



絶対嫌なのに 

それは
私には大きな苦痛で 
本当に嫌なのに 


その場の雰囲気とかに 
逆らえず
言い出せず
受け入れてしまい 


ひたすらの後悔。




このままでは
精神が保てなくて 


結局は
そこに居続けられないのに 

わかっているのに 

言えなかった。


嫌だって事。 


言い方なんて
いろいろあるのに。



で。
結局は
3日3晩
胃痛を起こしながら 
悩んで悩んで 

やはりやめたくて 


ならば
それをどう伝えるべきか

また悩んで悩んで。 


心はまたくたくた。





楽に生きたいといつも思う。


ずっと昔から思ってきてる。





大勢と居ると思い知る。


自分の不足。


会話ひとつひとつ 
しぐさのひとつひとつ 

とっさの判断 


どれも
いつも
私だけ違うと感じる。



なぜ
みんな
そんなに沢山話せるのかな?



自力の好き嫌いとかも
さらっと言えてしまう。

笑顔でからかいあってたり。



・・私は苦手。



最近わかってきたよ。



私は
幼い頃から 

発する言葉を 

ただ受け入れて貰える経験が 
とても少ないままに
成長してきた事。



顔色を伺いながら 

萎縮しながらでしか 

声すら発せない

偏在なんだって事。




絶対に
優しく耳を傾けてくれると
わかっている 
1人とか2人とかにしか 

私は本来の私で話せない。 


思い付くまま
ペラペラと 
お喋りな私は 


その人と
一緒の時にしか現れない。




我慢の果てに
とは言え 


そんなの
相手にはわからないし 


一度は受け入れてしまった出来事を 


断る事にした
私のやり方は 
正しくはなかったとつくづく思う。



断る事よりも 


そうなるなら
始めから

嫌だと
強く貫くべきだったんだ。


それが私の本心なのだから。





出来るのは

正直に伝える事だけ。

残された道はそれひとつ。


そうする事で
また
居場所を失わないように願ってる。






体調は相変わらず 


このところ酷く悪くて 
投薬を変えながら
経過をみてるけど

回復は感じられない。



どうなってしまうのか

まだわからない。




毎日
怯えては願いすがる。



仕事も
もう減らしてゆこうかと真剣に悩む。




少し先に 


本当に
全ての音楽を失っても 



たったひとつのこの場所では 
生きて在りたいから 


何と引き換えなら
命を貰えるだろうかと

悩む。








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自己紹介。

月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


このブログには
私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
共存して居た頃の出来事を綴った記事も
多く置いて居ます。


私にご興味を感じて頂ける
御訪問者さまや

初めてお立ち寄り下さった方は

まずこちらをご覧頂けると
このブログが見やすくなるかと
思って居ります。

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