❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

  ♪:*:.:*:♪ ・らいぶ情報・ ♪:*:.:*:♪

     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

     ❤ 2016年11月6日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



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  ◆ ファーストシングル ・ 花いばら ◆
            2曲入り ¥500-
            2014.5.24 発売
花いばら

  ◆ セカンドアルバム ・ 生きてるからね。 ◆
            6曲+1曲入り ¥1000-
            2011.8.21 発売

いきてるからね。

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生きてゆく才能が無かったんだね。-生きる条件に気付き始めて-(私なりの答え11)

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



私の

良く知る在る人の事を
書いてみたい。



出会ったのは
20代の後半。
15年に近い付き合いになる。




初めて会った日の事は
とても
リアルに覚えて居る。




色素の薄い人だと思った。



肌が白くて 


髪も染めて居ないのに
ブラウンがかった感じで 


黒目も茶色くて。



何よりも
印象深かったのは 


笑顔と声だった。




屈託のない
素晴らしい顔で
大きな声を出して笑う。


本当に
楽しそうに笑う。
はきはきと話す。




羨ましいと思った。


どちらも
私には無い物で 
羨ましくて 
美しかった。




直ぐに仲良くなれた。


それは
きっと 

その人の
人懐っこさのおかげ。



食事に行っても
気持ちの良い人だった。



私が
摂食障害者で在る事を 
始めは
言わないで付き合って居たけれど 


いつも
とても自然に

私の

食べる量や 
箸の動きも

感じてくれる雰囲気が在った。




自分のペースで 
ほとんどを食べ尽してしまう人では無かった。


私が食べたい物を
聞いてくれる。


私が食べれる量を 
食べたい量を
聞いてくれる。



そんな人は
基本的にとても少ない。

滅多に居ない。



大抵の人は 
自分の満腹感が満ちる事が
一番だと
私は感じて来た。



だから
その優しさには 
とても感動した。



私が食べられる状況を
作ってくれた上で 


残りは
残さずに
綺麗に食べ切って 

ちゃんと言う。


「ごちそうさまでした」って。




割り勘の日でも 
ご馳走して下さった日でも言う。


勿論
「いただきます」も
必ず言う。



いつもいつも 


小さな事にも
必ず言ってくれる。


「ありがとう」って。




それまでに

私の周りには居なかった 

潔くて 
美しい人だった。




時間が合えば食事をしたり 
電話やメールもし合いながら 


お互いの家に
遊びに行き合うようにもなった。






初めて
家に伺った時に
まず驚いたのは 
お菓子が沢山在った事。


スナック菓子が好きらしくて 
沢山置いて在った。

食べる事を楽しんで居る気がした。





次に 

これは

一番驚いた事。



テレビを

観ながら笑う事。



外でしか会ってない時は 
一緒にテレビを観なかったから
知らなかったけど 


互いの自宅で
一緒に居ながら 

テレビを付けてたりすると 

観て笑うの。




お笑い番組とか観ながら 
楽しそうに笑ってるの。


びっくりした。





まず

私は 

お笑い番組を見ない人だったし 


つけっぱなしで
オンエアが流れてても 


テレビ観て
ちゃんと笑った事なんて
無かったから。






私は
10代の後半から
大学を出る頃までは 
テレビも持っていなかった。

買えないような生活をしてた。


その後 
先輩の使わなくなった物を頂いて 

家にテレビが在る生活を得た。



テレビは 

観て居なくてもつけてしまう。





ずっと 
シーンとした部屋が辛かった。


静けさの中に居ると 


隣の部屋の物音や
外から聞こえる音などが 
耳について 
とても疲れてしまう。

精神が
変に立ってつかれてしまう。



でも 

そうでなきゃ
居られない環境で過ごしてきたから 


そこから解放された時から 



私は
家に居る時は 

観て居なくても
テレビを付けて過ごすようになった。




音楽を聴く事は出来たけれど 


音楽は 
聴くつもりでないとしんどい。


他にやる事が在りながらでは
聴けない。



音楽は
意識してしまうから

「ながら」では

かけられない。




テレビは

聞き入らなくても良い音が流れて 

しかも 
ページを捲るように
画像も流れてくれて 

部屋の一角が明るい。




だから 

その頃から


私が 
家に居る時は 


BGMみたいに

テレビをつけて
過ごしてしまって居る。




でも 


特別
観て居る番組は
ほとんど無い。



気に入って観るドラマも 
年に2つとか位かな…。



お笑い番組なんて
まず観なかった。




なぜなのか 


その人を見てわかった。



興味は確かに無かった。
それは大きな理由。


では
なぜ興味が無かったのか。





だって。



テレビを観て笑うなんて 

私の生活には
在り得ない現象だったから。



テレビを観て笑う事が 
在り得ない事だったから。



だから 

お笑い番組の存在は
私には不要だったし 


その
存在価値が
わからずに

生きてきてしまったんだなって事。






とても仲の良い 
尊敬も出来る
信じられる人が 


本当に
楽しそうに笑ってる。



一緒に 
テレビの前に座って 


同じ番組を観ながら 

声を出して笑ってる。




それを見た私は 


番組の
内容も面白さも
わからないままに 


一応 
私なりには笑っておきながら 

観察をしてた。




そして 


何年かをかけて
その姿を見て居る内に 



それも


その人の才能なんだなと

気付いたりしてる。










「摂食障害者」「自傷癖者」で在った私の
発症から約30年間の過程を
2013年7月7日から
2年間を掛けて書き続けた記事と
その後書き始めた
原因や理由 克服について思う記事は
各「かてごり。」に安置されています。

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【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】










毎日が 
楽しくてたまらない人なんて 


もしかしたら 

ほとんど居ない。





毎日

嬉しい事しか無い人なんて 
きっと居ない。





24時間が
 
何一つの 



経験からくる
思考上での 

受け入れや
宥めや
諦めが無く 


ただ

当たり前の自然現象のように 


喜びだけに溢れて
包まれて在る人なんて



きっと居ない。





その人も 
そうだったと思う。


決して
恵まれて
生まれ育ち生きて来た訳では無い。




でも 


誰かを責める事も無く 

己の環境を受け入れて 

苦労も当たり前に理解し 


その中で
自力で成長をし

大人になって来た人だった。




もう嫌だと
何度も思いながらも 


ひとつの仕事を
コツコツときちんと続けて 



親に
恨み辛みこぼす事も無く 


自分の毎日を
守って正しく生きて居た。





そんな

その人は 


本が好き。
音楽が好き。


そして
テレビが好き。



テレビに関しては 


ドラマもバラエティも好きで 
特にお笑いが好き。



真剣にテレビを観る。

好きな番組は
真剣に楽しんでる。







数年前に 

ギタリストさんに
言われた事が在ったなぁ・・・。




人は皆
基本的には
毎日が
楽しい事ばかりでは無い分も 

クスッと笑えたり 
痛みから離れて
笑ったりできる何かを

求めてるものなんだよって。




まさに 

私が
当時驚いた 


その人の行動は 

それだったのかも知れないと
思ったりする。








私は 
今でも 

テレビを観て
本気で笑う事は無い。

いつも
冷静に
無表情で観てるか 


悲しいシーンで
泣いてしまうか。


笑う事は無い。








私の笑顔ってね…。


汚かったなって。



僅かに残した遠い過去の写真に思う。





私の笑顔は 


やっぱり

綺麗じゃないなって 


この数年でも思う。







その時に 



私の事を見て居る人を
意識してしか作れない 
私の笑顔は 

不細工な人形でしかない。






遠い昔。




私が

バリバリのホステスじゃなくて 
彷徨ったホステスで在った頃。





毎週金曜日に通ってくれてた
お兄さんが居た。

車椅子に乗ってね 



それでも来てくれるんだ。
ビルの6階の店まで。



ライブにも何度も来てくれたお兄さんだった。


酒癖がちょっと悪くてね 
メンドクサイ事も正直在ったけど 
優しい人でね。



よく言ってた。



「不細工」ってのは
誉め言葉やって。



「細工してないって事やろ」って。

「だから綺麗って事や」って。






そうかも知れんが 

やっぱり
そうじゃない気がする。




そんな 



縋るような 

都合良い
言葉の解釈や無くてさ・・・。






私に言わせれば

「細工出来る能力すら無い」

って話に 

今ならなる。



所詮は
そこまでって事に
なってしまうんだ。







で。


勝手に脱線しておきながら 


話は
元のその人に戻したいのだけれど・・。







目の前の現象を

きちんと楽しめる人達ってのが 
存在すると



私は在る時気付いた。




そんな場面に 

それまでも
何度も遭遇して居たのに 

その頃まで気付かなかった。







例えば 



ライブ観戦に行って 
会場で座って居ても 


私は
いつも冷静に観てる。



お目当ての方のステージだけは
食い入って魅入るけど 


他の時はずっと 



冷静に 

ステージよりも
周りも意識しながら 
すり減らして観てる。



正直
楽しんでは居ない訳だね。



同じ会場の中で
ステージを
ちゃんと観てる人達の

反応を

見てるのかも知れない。



そして。


自分は
どうしてそこに居れば良いのか
考えて居るのだと思う。





観客に
手拍子を求める演者も居る。


私は
それも
とても苦手で辛い。



そう言うのは 


観て下さって居るお客さまが 
したいと思って
して下さるべき事だと

思って居る。



だから
自分ではしない。


バンドの時は
させられては居たけれど 


月下陽香ではしない。


自分からは
あおらない。




手拍子を求める事が
悪いんじゃなくて。



私が
元々に 

そういう衝動を
持って居ない事が
原因だと思うようになった。







お笑い番組観てても 
なぜ笑えるのかはわからない。


笑えるその人は羨ましいし 
その光景は好きだけれど 

自分では出来ないから

わからないんだ。






でね。



わからないなりに
ひとつ。



わかり始めたのは。





楽しめる自分 

現状の中に 




楽しめる

思考や
感情を

探せる感性を 



育てる努力を出来る人が 




乗り越えてゆけるのではないだろうかと

言う事。






自分がね。


1日


24時間の中の 


一瞬で良いんだ。




作り笑いの微笑みじゃなくて 


ちゃんと
笑って在れる出来事を 



強引に出も見付けられたなら・・・





人生は 
大きく変わるのではないのかなって。



答えでは無いのだけれど。




確信に近い所で

悩みながらの

やっとこさ書く





ひとつの


新たな定義。







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痛みを日々諦めて噛み締めるのか。ー母親が植え付けた思考回路に呪われてー(私なりの答え・10)

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



寒い。



私の暮らす東大阪は
ここ数日

秋が深まったような気温だ。



虚しい。

置いてきぼりのまま
季節は巡ってく。



置いて行かれたまんま。

痛みに苦しんで居る。




誰にも伝わらない痛みは
孤独にさせる。



させられる孤独の中で
手に負えぬ思考は

どんなに寂しくとも


信じる事に
疲れ果てて居て



誰とも

もう
心の手を繋ぐのが怖い。




想いは
複雑に絡み合う。


大好きな気持ちも
感謝の気持ちも
変わらない分
余計に辛くて
頭を抱える。



まとまらずに乱れるなら

一度
立ち止まれるよう


極力

思考を止めて
よそ見をしてる。






今日も
5時半起床で出勤。

精一杯働いてから
必死こいて通院したよ。







私が

本当は


何に
どれだけ辛くて
傷付いたかなんて
誰にも伝わらない事は


もう

ずっと前から知ってる。



だって。



その時
必死で
我慢してたら



周りは

自分たちの都合の良い解釈で
回って行くものだもの。






今私が
走り回る子供にも怯えながら

必死で
一歩一歩踏み込んで
歩いてる事も

誰にもわかんないんだよね。









「摂食障害者」「自傷癖者」で在った私の
発症から約30年間の過程を
2013年7月7日から
2年間を掛けて書き続けた記事と
その後書き始めた
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【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】










植え付けられた
思考の回路が在る。


確立をしてしまって居る。




母は

私に対し

大きな束縛と抑圧を与え続けた。


自分の想い通りの私でなければ
私は
優しくはして貰えなかった。



自分を押し殺して
ひたすらに我慢をして

希望通りに行えた時には


母の機嫌はとても良かった。


子供の私は
それを
愛されて在ると捉えて居た。




でも違った。

機嫌が良かっただけ。



母は


私の上司の愛人となり


妹と
金目の物だけを持って


借金とゴミを置いて
出て行ったんだ。



大量のゴミの中には
私と父も居り
借金も在り


20年を越えて
やっと開けてみれば



子供たちに
小遣いのひとつも与えずに


己の為に買い込んだ

服や
靴や
バッグや
雑貨の山だった。






私は
いつも
面倒を見て来た。



母の尻拭いも
後始末も

イカレタ父の面倒も



受け入れるしかないと
背負ってきた。


自分を潰して
自分を壊して。



そうしなければいけないと
そういう思考回路を


埋め込まれてしまって在るの。



情けない事にね。


つくづく思い知る。

この数年。




だから

父とは
とりあえず縁を切った。



だけど
後はもう
どんどん
ぐちゃぐちゃに思うよ。



何だかもう
ずっと辛くて
破壊されてしまう。








私は 

30年間もの年月


摂食障害者で在り
自傷癖者でした。




現在は


やっと
やっと
克服に向けて
歩み始めた所に居ます。


完全に克服できた訳では無い。




この病気は

そんな簡単には手放してはくれない 

深い深いものなんですよね。

精神の闇は
深いんだと思い知ります。








書く事で
少し消化出来る私は


ここに

その過程を書いています。



2013年の夏から
七夕から



自身の
摂食障害と自傷癖を

発症してからの出来事を
順番に書いて置いて居ます。



(カテゴリからだと
 ご覧頂きやすいです。

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2年間をかけて書きながら


自分の

未消化と

ひとつずつ向き合い

また
似た痛みを知る人に
沿える時が在る事を願い
遺してきました。





私は

「インナーチャイルド」(アダルトチルドレン)に関しても
ちょくちょく意見を述べますが


その他に

とても言いたいと思うのは



埋め込まれた
思考について。




私は

一度も
母親に感情をぶつけた事はありません。



私は
親に
私の想いを

飲み込んで貰えた事が
結局はありません。



我が儘を
幼子らしい我が儘を

言った事が在りません。




大人の
勝手な感情と事情と偏りに

見事に

壊れた玩具として作り上げられた


私は

やっぱり
偏在者なんですよね。





そこで

叩き込まれて
埋め込まれた思考が



何よりも
深く大きな問題で在った事を


最近は思い知らされ


吐き気を呼ぶほどに感じ


心は
のた打ち回る程に痛み
悩んで在ったりして居ます。






思い知るのです。



変わるなんて
簡単には出来ない。




簡単でない事を承知の上で
望んでも
まず出来ない。



どれだけ
傷付き泣いて
繰り返しても

出来るかどうかわからない。



だって。


まだ
まっさらの
始まりだった私には


その思考を埋め込んだ親が
居たのだから。


そう作り上げられてしまったのだから。







親にだってね

不足も在るでしょう。

欲も在るでしょう。

感情も在るでしょう。



子を儲けるに当たる
苦労も

在った事でしょう。




それでも


子供は
親の玩具でもなければ

家来でも無い。



母親が
命懸けで産み落としても


不要な抑圧は要らないんです。




そんな寂しい大人が
育ててしまった子供が
こうして

ずっと苦しんで居る現実は


リアルに痛いのです。




また
ちゃんとね


この答えも書きたいと思います。



答えと言っても
あくまで私なりにです。



今日は
まだ書いて居ないけれど


答えを振り分けるカテゴリに
入れておきます。





重ねて重ねて。


頑張って来たのだけれど。



もう駄目だって心が無いて。




私は
この胸の中に
沢山在る地雷を
ひとつ
自ら踏みました。


もう限界だと思ったから

踏みました。




本来ならば
そこまで熟れる前に
消化出来るはずの事だったのでしょうけれど


埋め込まれたこ思考では

壊れて
やっとでしか

言えなかったのです。




思い知るのです。


悲しい不足を。



今日も
とても辛いままで
24時間が過ぎゆきます。





埋め込まれた思考回路を変えて

自分らしく主張をし
生きてゆく為には

どうすれば良いのでしょうね……。




だから。



思考は
とりあえず置いておく事にします。



そして。
感情を抱き締めてみようと
今日は思って居ます。




今日は


やっと



そこに居る。






ここ数日

物凄く花が恋しくて。

何度も切り花を観て。


だけど買わなかった。



色々要るし
お花に使ってられないなって。



そしたら
ギタリストさんが届けてくれてたの。




やさしいね。


いつもいつもありがとう。







なんだかぐったり。


ボロボロに疲れ過ぎてるよ。





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自傷と嘔吐が快感だと知ってしまった者として。ー依存の原因はインナーチャイルドだと自覚してー(私なりの答え・9)

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



素晴らしいと感じる人は
何人か居る。


心から

尊敬や憧れなどを抱いて
絶賛出来る人達が居る。




知り合いにも居るけれど。


歴史上の人の中では
自分が知る範囲での
その人の遺した出来事などで
そう感じて居る人が居たりもする。


テレビの中の人でも

ニュースやワイドショーから伝わる
イキザマや人柄からの
自己判断でしかないけれど

凄いなって
素晴らしいなって

感じる人達が居る。




全くそう思わない人も居る。


それどころか
いつも
どこかで疑いの感情を抱いてしまうような
信じられない人も居る。



自己の感情を絡めての
自己判断でしかない
振り分けなのだけれど。


でも
ふと考える事が在る。





全てを持って居る人なんて
この世に居るのかな…


不足を

一切感じない程に

与えられて得て
完成された人なんて居るのかな…



居ないんじゃないかなって
私は勝手に思ってる。


真実を知らないから
そう勝手に想像してるのかも知れないけれど。






「欲しいもの」。


人が
それぞれに想う欲しいもの。



これは

お金とか地位とか
生活とかだけではなくて

内面的なものも
ひっくるめて。


欲しいもの。



きっと
それぞれに
色々と在るんだろう。





既に手に入れて居るものも
色々と在るだろう。


家族だったり
恋人だったり

環境だったりが

与えてくれているものだったり


自力で手に入れたものだったり


手段は個々に違えど

永遠を問わずに
仕分ければ

手に入れて在るものも
在るだろう。




そうでないものも在るだろう。


誰にも
与えて貰う事も無く

自力で得るには難し過ぎて


手に入れられぬままに

諦めたり
焦がれたり
妬んだり
羨んだり


途方に暮れたり。



どんなに
求めて生きて居ても


まだ
手に入らぬものも在るだろう。





既に
手にして在るものの
尊さはわかって居るはずなのに


どうしても

得られなかったものが

日頃
目に付いて仕方ないのも

人なのだろう。



だから


人よりも
もしかしたら
持って居るかも知れない事よりも


人よりも
手に入れて在れて居ない出来事に


不足を大きく感じて
強く
求めたくなるのもなるのだろう。



持って居ないものほど
心の目に付くのだ。


不足程
気に掛かり


時に
惨めさすら感じてしまう事も在る。



それが
成長前の人
なのではないかと

自分も見て
周りも観て


感じたりする時も在る。







「摂食障害者」「自傷癖者」で在った私の
発症から約30年間の過程を
2013年7月7日から
2年間を掛けて書き続けた記事と
その後書き始めた
原因や理由 克服について思う記事は
各「かてごり。」に安置されています。

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少しづつ書いて居る。

【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】


そして
今日は

ここに振り分けたいと思う記事を書いて居る。








歩けないのか
歩かないのか
どっちなんだろう? 


笑えないのか
笑わないのか
どっちなんだろう? 


言えないのか
言わないのか

どっち?


眠れないのか
眠らないのかどっち?





関わりたくないのか
関わりたいけれど
立ち止まって居るのか
どっち?



切りたくないのか
切りたいけど我慢してるのか

どっち?



食べたいのか

太りたくないのに
食欲に勝てずに
食べてしまってるだけなのか

どっち?




働けないのか

決して
何も出来ない訳では無いのに
結局は
そこから逃げて居るのか

どっち?





その選択は
病なのか
事情なのか
やむをえない環境なのか

それとも

楽さを覚えた精神なのか。


理解出来ない出来事も
世の中には多々在る中で

色々と考えてしまう。







過程を綴る記事の中で

私が
何度も書いて来た事が在る。



私は
摂食障害者で在り
自傷癖者で在った

約30年間の人生で


きっと
最も感じて来た感情のひとつ。





私は

自傷の快感を知って居る。

嘔吐後の快感も知って居る。


身体を傷付ける事で
得られる

快感を

知って居る。

たまらない快感だ。



いけない事だと思ったり
もう止めようと考えたり

何度も何度も繰り返しても


そこから
離れる事は出来なかった。

その快感を
捨てる事は出来なかった。



言い方を変えれば

その快感が無ければ
私は
それに囚われた30年間を
生き延びては
来れなかったかのかも知れないとも
言えるように思えるほど

その快感は凄まじかった。



脳みそは忘れない。

麻薬みたいだ。


人は
一度覚えた快感を
そう簡単には忘れない。



もう切らない
もう吐かない

何度もそう誓っては 

そうはなれなかった30年を
過ごしてきて思う。




「依存」ってそんなもんだ。


自傷でも嘔吐でも

例えば
酒でもギャンブルでも。


依存は恐ろしい。

その力は本当に凄まじい。




そう考える私から見れば

先に書いた


“選択は
 病なのか事情なのか
 やむをえない環境なのか

 それとも楽さを覚えた精神なのか”


と考える
自分の中の思考の行方は

「依存」と手を繋ぐ。


きっとその一部なんだと
私の考え方は結び付く。




依存する時に。


人は

自分の都合の良い言い訳をしたくなる。



その言い訳をする自分は

それが
本当は


自分が
楽を出来る逃げ道を
必死で正当化して
弱者で在り続けられるように

計算してる事も知って居る。



全てでは無くてもね

そういう時が在る事も
そう言う人が居る事も
知って居る。


自分もそうした時代が在るしね。


ずっと
そうしてるまんまの人達も知って居るしね。





どうすれば
そこから抜け出せるのかなって

最近よく考えて居た。



自分と


自分が
素晴らしいと思う人達や

疑問に思える人達を

沢山
心に想い出しながら
よく考えて居た。





先にも書いた

“歩けないのか
 歩かないのかどっちだろう?”



自分にそう問うたなら
どっちなんだろうか。




自分が

どっちに居るのか


自分を甘やかす言い訳をせずに
冷静に判断出来る思考を
まずは持たなくてはならない。


まずは
正しい自覚が出来なくてはならない。



その後は

そこから

言い訳の場に戻らずに

何度引き戻される事になっても
己との闘いを始められたなら

その時は

必ず人は前に進む。




それはとんでもなく難しい。

言葉で言うように
簡単には出来ない。




摂食障害と自傷癖の
約30年間の過程を
私はここに書いて来た。



そこでは

簡単には


「摂食障害者で在り
 自傷癖者で在った20年間と

 カミングアウトをして
 克服の為に過ごした10年間」

などど書いても居るが




実際には
10年間なんて年月では無く



もっと長い時間を


もう止めようと
止めたいと


数え切れなく思い
言い聞かせながらも


そこから抜け出せずに
過ごしてしまった事実が在る。




依存は

そこそこ大きな決心なんかでは
乗り越えるなんて
絶対に出来ない。

抜け出す事なんて出来ない。





だけど

自分が
どっちに居るのか

冷静に正確に
判断して
受け入れられたなら


まずスタートには立てると思う。




スタートに立てる所まで
自分を導けたなら

その後に
どれだけの時間を掛ける事となっても


自分の力で

心も身体も
どんな形で在れ
前に進ませてゆける。




スタートに立ち
歩き始められても

ほとんどの人達は

そのままに
前にだけ歩める事は無いだろう。

何度だって呼ばれるのだと思う。



覚えてしまった快感は
いつまでも手招きをするんだ。



どんなに強い意志を持って
向かったつもりでも

きっと必ず打ちのめされる。



強く掲げて向かった人ほど
自分を責めて痛む事にもなる。




何度呼び戻されても良い。


何度呼び戻されても
そこは
一度スタートに立つ所までを
自分に勝ち抜いた人には

もう振り出しでは無いのだから


自分を責め過ぎずに
繰り返し向かってゆけば

何も変わって居ないようでも

必ず
前に進んでいるのだと思う。




その繰り返しでも
諦めずに
重ねてゆく中で


ある時

変化に気付ける時が来る。




そうなる為には


なぜ

自分が
その依存に陥ったのか


原因や理由を


自分が
明確に理解出来て在る事が大切。



始めは

たとえぼんやりとでも

それに対して
想像でしかない
原因や理由でも


持って居れば違う。


克服に向ける自分と向き合いながら

原因や理由を
明確にしてゆく事も出来る。




そうなれた時に初めて


過去には何が在ろうが

その人自身が

現在に説得力を持ち


得たものに
光を当てて生きてゆけるのだろうと


素晴らしいと感じる人達を見て居て

想う。



痛む経験をしながらも
人を導いてゆけるような
チカラを持つ人達は
そこを越えて在るのだろうと。





私は
そこまで行けるような人間では無い。


ここに
沢山の過程を書いて来たけれど

実際に書いて来て思う。



私は

多くの愛や影響を
与えられる人間では無い。




だけど

リアルに関わる
身近なミカタを
心底愛しながら

偏在な私にも
与えられたものを意識して
幸せを感じて生きる

未来を
手に入れて在れたらと


最近は思う。





だから
私はよく

「インナーチャイルド」(アダルトチルドレン)についても書く。

【「インナーチャイルドと共存が出来れば。」(私なりの答え・4)(2015.7.19)】



私が

摂食障害者となり
自傷癖者となった原因は

そこに在ると
明確に自覚を出来て在るから。




私は
自分の中の幼児と
今仲良く過ごしてる。



摂食障害や
自傷癖と
共存してしまう人達には 


「インナーチャイルド」と言われる状況を
抱えて居る人達は
実際に物凄く多い。




育てて貰えなかった心を
持て余してしまうんだ。



極端に
大人の自分と

極端に
幼児のままの自分が

ひとりの同じ人の中に居るから

バランスが崩れてしまう。




私が
摂食障害者となり自傷癖者となり始めた時


私はまだ子供だった。


ランドセルを背負い
小学校に通う低学年の女子だった。




やっと
この数年を
自傷と嘔吐から
離れて生き始めた私は
40代を生きるおばちゃんになってしまった。



その
今の私の中にも
幼児の私が
今日も生きて居る。


【「摂食障害と自傷癖とインナーチャイルドの個人的バランス。」(2015.9.13)】

【「インナーチャイルド(アダルトチルドレン)は今日も生きて居る。」(2015.9.27)】


アンバランスは相変わらずだ。



それでも

そんな自分と向き合いながら

今日も
本当の完全な克服を目指して
生きて居る。


きっと
まだ
そこまでは辿り着けていないから。



結局は
死ぬまで
そうしてるのかも知れないけれど

仕方ない。


それが私なんだろう。







最近は

体力的にも
精神的にも

もう
少し前程頑張れない。


持病も悪化してく中で


それでも
これでも


一生懸命
仕事して
家事して通院して

やっと少しだけ
何とか
音楽にかじりつきながら


こうして発信を続けてるけど。



少し前までなら
無理をすれば出来た事も
もう
無理をしても難しい。



だから

とても時間を掛けての
少しずつでしか
実行も出来て居ないのだけれど。




「インナーチャイルド」との付き合い方については

もっと
きちんと
わかりやすく

ここに書いておこうと

とても思って居るから


読みたいと思って下さる方が居て下さったなら
待って居て下さいね。





今夜は中秋の名月。

明日はスーパームーン。

【「特集・中秋の名月」(アストロアーツさんのツイートから頂きました。)】



夜空を見上げてみようと思う。



身体中の痛みを
抱えながら

明日からも仕事だからね。



少しでも
越えてゆけるチカラを
引き寄せられるように


願って月を見る。




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毒を吐く私より汚いのは誰?-私とブログとツイッターのバランス-(私なりの答え・8)

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



私が

ネット環境を利用して
して居る事は少ない。



一時期していた
Facebookも退会したし


まだ登録はして居ても
mixiももうずっと放置。



電話が鳴っても

仕事でなければ
まずは留守電で対応。


いつでも
人と関われる
体調や心境では居られないから
電話は苦手。



メールもあまりしないし
ラインもしたくないし
Skypeもしたくない。




2013年からは

このブログに


摂食障害者で在り
自傷癖者で在る
自分の足跡を

順番に書いてゆく事を始めて


それ以降は


ここが
メインの発信の場所となり


一応
「陽おふぃしゃるさいと。」は在るけれど

そこは
月下陽香の活動の
お知らせ位しかしておらず
何かない限り更新もしない。




ここ以外に

あえてよく利用して居るのは
Twitter。



最も
リアルタイムの
痛みや
毒を吐いたり


吐き出して
落ち着いては
消したり

してるのはきっとそこ。




このブログには
貼り付けて在るけれど


他とは
一切同期もさせて居ないし


知ってる人のホローしかしない。


「見てね」って
言える場所では無いから
あえて宣伝はしない。



ここを見て
興味を持ち
わざわざチェックしてくれるか


ホローしてくれて居る人にしか
わからないし


ホローしてくれて居ても

何十人も何百人も
ホローしてる人には


私の毒の全てにまで

目も
気も
回りはしない。



だから
私は

そこを利用して居るし
必要としている。



それはなぜか。
少し書きたい。







「摂食障害者」「自傷癖者」で在った私の
発症から約30年間の過程を
2013年7月7日から
2年間を掛けて書き続けた記事と
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少しづつ書いて居る。

【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】





そして
この
上記カテゴリの中の最新記事。

【「キズグチの種類。」(私なりの答え・7)(2015.8.2)】




ここには

長々と

私の
人と関わる上での
性格や
パターンや
想い等が
書かれているのだが…。




その一部にも書いてる。



私の周りには
話を聞いてくれる人が
本当に少ない。

基本的には居ない。




私の求める形で

ただ

聞いて
頷いてくれる人は
ひとりも居ない。



私が

もう
たまらなく苦しくて
聞いて貰いたいと思って居たり


聞くよって言ってくれるから
どうしたの?って言ってくれたから

話し始めても



直ぐに
その話を止めて

自分の愚痴に摩り替えて

私に吐き出して


私は
聞き役で終わってしまったりね。





ただ
聞いて欲しい時が在る。


いつも
誰も
そうはしてくれないから

それに不足を感じてる。




私の痛みが
伝わるとは思って居ない。


誰だって

自分の
真の痛みは

自分にしかわからない。


そんなのは
当たり前だってわかってる。


だから
わかって貰えない事で

聞いてくれる人を責める気も無い。



そもそも

求めて居ない。



ただ聞いて欲しいんだよ。

それだけなんだ。




なのに。


結局は


自分が話したい自己満足を
反論しない私に押し付けて


自分の感情だけ消化して
終わらせる人が居たり。



根掘り葉掘り
聞かれたくない事まで
一々質問攻めにしたり。



一生懸命話してるのに
からかったり。




私は
何も聞いてないのに

意見を述べだしたり


それこそ
その人が言いたいだけの

事情を知らないのにアドバイス。


酷い時には
反論や説教。



間違いを教えてくれるのは嬉しいけれど
そう言う時は
そうじゃない。


そんなのもわかってて



今は聞いて欲しいって思って
話して居るのに。


ただ聞いて欲しいだけなのに。



いつも

誰も

絶対に

ただ聞いてはくれないよ。


年上の人程
そうかもしれない。



私の場合はね。






そこには

私を
本当に
想い愛してくれて居るからこその事も在れば

年下の私が反論しない事を
利用してる人も居るって
わかってしまう。




自分の中に

聞いて欲しい気持ちや
話したい気持ちが在る事は
理解してるのに

私にも
そんな感情が在る事は
気付いてはくれない。





私にだってね。


言いたい時が在る。


ただ話したい時が在る。


聞いて欲しい時が在る。


でも
誰にも叶えて貰えない。




そこで
私は

Twitterを

その対象にしていったように思う。



基本的に
多くとの繋がりも
持たないようにしながら


そこに

吐き出して

少し落ち着て考えたり


嘆いたり
こぼしたり

してるんだと思う。



孤独な

とても孤独なTwitterで


私は
私に
本音を聞いて貰って居る訳だ。



だから

目一杯吐き出した不満を
書いては消す事も在る。



Twitterを
つぶやきなんて言うけど


140文字程も打ち込めるそこは

つぶやきと言うには
十分に長い会話であり



私には
必要な
吐き溜めで在る事は現状だ。





心の痛みはね


きっと
本来は
沢山話す事が必要。



悲しいとか
寂しいとか
辛いとか


泣きながらでも
話せる事がとても大事。



話す事って
エネルギーを消費しながら
整理してるって事だから。



沢山話して
聞いて貰って

やっと痛みは変化してゆく。




だけど

私には
その
沢山
ただ聞いてくれる人が
ずっとずっと居なかった。



「聞いてよ」って怒れないし
「ちゃんと聞いて」って要求も出来ないし。

だから居ない。



だから

こうして記事にして放ちながら 


そこに
Twitterのチカラも借りたりして

何とかやってるんだろうと思う。





とっても尊敬してる方のTwitterに
在る時書かれていた言葉。


「SNSとか
 人の目に付く場所に悪口は書かない
 なんて言ってるくせに
 人に対してそうしてるのは
            同じ事だ」


みたいな事が
書かれていたのを拝見した。



そうだよって思ってた。





私は毒を吐く女だ。

自覚してる。



だけど

私に対して
「君は毒を吐いている」と
一々指示したがる人ほど


私に対して

一生引き摺るような暴言を
平気で吐いて
突き刺してゆくよ。



本当の毒って
なんだろうね。


その毒は


身を守る毒では無くて
人を殺す毒だよね。







凄く大切に訪問してる
ブログのひとつは


長年の摂食障害者さんを経て
現在を美しく生きて居られる方のブログ。

そこに行くと心地良い。



そして

出来るだけ覗くのは

足跡を残して下さって居る方々のブログ。



若い
まだ10代や20代の
摂食障害者さんや
自傷癖者さんのブログ。




時々在る。


“親に 家族に 見つかったから
      このブログ辞めます”って

突然の閉鎖。




ここは
そう言うお子様をお持ちの
親御さんも良く訪問下さる。



ご心配や
お怒りも
おありである事は

重々理解して在るつもりで

偉そうな事を言わせて頂けるなら…


頭ごなしに否定して
そこを消させる前に


ただただ
聞いてあげるお気持ちを

どうか
持って接してあげて頂けませんか?



お子様の
心のお腹が
ぺこぺこなのは


あなたが
不足に
ごはんを与えて居ないのかも知れません。



何だか偉そうですね。

ごめんなさい。






聞いてよ。


聞いて欲しいの。


ただ聞いて欲しいの。



誰が

そうしてくれるの?。




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キズグチの種類。-己の思考の癖を知ろう-(私なりの答え・7)

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



照り付ける陽射しに
身体中が焼き付けられるようだ。


昨年までよりも今年は辛い。


夏の作業部屋で過ごす事が
とても苦痛。



この状況に耐えるのも
もう限界かも知れないな…。



冷暖房設備を整えるか

夏の作業を減らして副業に励むか。



出来れば
数年を掛けて
本業を副業にシフトしてゆきたいと
この数年考えて居る。

自由な創作をしたいから。


ならば
副業を充実させて
勉強すべきなんだろうね。






「摂食障害者」「自傷癖者」で在った私の
発症から約30年間の過程を
2013年7月7日から
2年間を掛けて書き続けた記事と
その後書き始めた
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【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】







数日。


沢山の
想いや思考が
吹き出しては
ぐちゃぐちゃに混ざり合って
収集がつかない。



少し前までなら

それでも
無理矢理に形にする為に
時間も
体も
心も
目一杯な無理をして注いだ。



けど
もう
そんな労力は
必要ないと考える。


だから
言葉になるまで放置する。


思考ならそれで良い。


無理矢理に繋げて
形にしてみた所で
無駄に思えてしまうから。





でも
日々の
人との関わりでは
そうはいかない。




想いを
直ぐに言葉にする事が

私は苦手。



会話も

いつも
基本的には
聞き役が多い。


その立ち位置に回るように意識して居る。



相手が

自分から
話したり動いたり
出来ない性格でない限りは

自分から
自分のペースを提案しないようにしてる。


相手が
私のリードを求めてると
感じた時だけは

一生懸命

先に
何か言い出したりするけど。



そうじゃないと感じた時には
極力
合わせて沿うて在るようにして居る。




これはきっと
幼少期に植え付けられた思考だと思う。


これもきっと

偏在で我が儘な
両親が作り上げた


偏在で
馴染めない子供が

大人になってしまった形のひとつ。





そんな私でも

自分の話を
聞いて欲しくて
沢山喋る時も在る。


でも
いつも
その相手は限定される。


私の場合は
そう言える対象は2人位かな…。




大抵は
人の会話を聞いて居る事が多い。


よほど
その時に


その日までに
積もり積もった
我慢の感情が

千切れてさえ居なければ

基本はそうだ。





それは

仕事中でも
プライベートでも
そうなんだけど。





仕事中の雑談なんかは
とっても苦手。


神経は
仕事に全開で向かって居るから
それ以外に傾けられない。



だから
いつも
ニコニコ聞いて居る。


それが心地良い。


相手を知りたい気持ちは
すごく在るから

それが消化されてゆく感覚が
嬉しいし楽しい。




だけど

そうして聞いて居る時に


突然
質問や意見をふられたら
パニックだ。


言葉が浮かばない。


聞き役に徹して居るから
スイッチが入らない。


上手く話せない。
ギクシャクしてしまう。




今の職場は
やりたかった職種で
仕事も楽しいけど

同年代の人達も多くて

皆さま優しくて
会話も楽しい。


だけど
話すより聞いてるのが楽しい。



だから
私は
おとなしい人。


まぁ
本来の私はそうだ。



月下陽香なんて名で
ステージに上がる人間が

そうだとは
信じて貰えないだろうけれど


私は
本来は


目立ちたいタイプでも
リーダーシップを取るタイプでも無い。



できれば
そうしたくないと願って居るタイプ。


どうしても

必要以上に
周りに気を遣って
神経すり減らして
くたくたになるから


静かに
支える側で
存在してる方が向いてる。





スナックで言えば
ママよりもちぃママも方が
本来の私の性格には
向いて居るって感じ。


昔はオーナーママしてたくせにね。





音楽活動でも
イベントを立ち上げたりもしたけれど
本来はそういうのも苦手。


一緒に盛り上げるのは楽しいけれど

独りで背負って
仕切って
引っ張ってゆくのは辛い。



ステージに立つだけでも
大きくエネルギーを消費してしまうのに

自分が主催ってなると
もう使い果たしてしまうのね。
上手に配分できなくてね。






だから

スポーツで例えたなら

団体競技は嫌いなタイプ。



例えば
バレーボールだったら

自分にボールが回って来る事が
もう辛くてたまらない。



良い成績を上げて
自分だけが目立って
認められたいからじゃなくて


みんなが頑張ってるのに

そこで
私がミスをしたら
申し訳ないって思うと
怖くてたまらない。



みんなのこれまでの努力を
私の失敗で
無駄にしてしまったら

申し訳ないって

物凄く思って
しんどくてたまらない。



そんな気持ちに
潰されて萎縮して疲れてしまう。


だから

スポーツで例えるなら
個人競技が向いて居る。


独りで黙々とのめり込めるものが良い。



誰かと共に
成功を分かち合う事は出来なくとも

失敗も
全て
自分だけの責任として

人に迷惑を掛けずに背負えるから。






結局は
いつもどこかでビクビクしてるのかな…。


幼い頃からずっと 


母の
抑圧と束縛の中で
そうしてきたように。



ずっと
どこかでは
怯え続けてるのかも知れないと

思う事が在るよ。







仕事では無くて
プライベートでも

やはり
基本的には

責めるより受ける
話すより聞く位置に

自分を置くように
意識して居る事が多い。



相手の
性別や年齢に関係なく

自分が選ぶ立ち位置は
そこが多い。





その時々の
環境や状況で

話の内容は様々。



起きた出来事や
共通の知人の事
趣味の事
仕事の事

身体の事
家の事…。


愚痴も在れば
嬉しい報告も在る。





直接話を聞くと言うよりも

大勢の中で
場の雰囲気を盛り上げようと

リーダーシップをとるタイプの人や
声の大きい人が


面白い話を
一生懸命してる事も在る。



それは
悪気は無いままに
誰かをからかって居る内容の時も在る。

自分をからかわれて居る時も在る。

悪意のない
からかいだと
わかって居ても

辛い時も在る。
傷付く時も在る。




そう言う時
出来るだけ席を外す。


我慢して感情を持ち帰る。


それが年下でも年上でも。


勝手に傷付いて居るのは
私だけなのに


そこで感情を露わにしたら
その場の雰囲気が
崩れてしまうから。





話を聞くと言うよりも

何かしらの状況に対して

誰かが
私に意見をしてくれて居る時も在る。

やはりまずは聞く。



有難い話も沢山在る。


大人になるほどに
真剣に想って
意見をくれる人は少なくなる。


そんな中で
懸命に関わって頂ける事が
とても有難くて感謝する。




だけど…。


時に
その内容に対して
反論を覚える事も在る。

理解出来ない時も在れば
飲み込めない事も在る。



「そうじゃない」とか
「それは違う」とか

言いたい内容の時も在る。


「言わないで」とか

「押し付けないで」とか

言いたい時も在る。


でもまずは聞く。



そして
言葉に出来ずに持ち帰る。


相手が年上なら特に。


思考は
まず我慢の方向に働く。

一度持ち帰って考える。



その時の我慢が
大きかった時程


持ち帰ってから

悩んで痛んで荒れて
消化するまでに時間が掛かる。


正しい言葉に出来るまでに

とても乱れた汚い時間の中で
居る事しか出来ない。






親は
私に

「許す」と言う経験を与えなかった。


私は

自分の意志を伝える事を
許されなかったし

それを伝えて
叶えられる事も無かった。



母の希望通りの私で在らなければ

否定された。


私自身で在る事を禁じられた。



私には
自分の意見を述べても
許される経験が
大きく不足して居た。



それが
この
面倒くさい性格を作り上げたと考える。






そんな面倒くさい私でも

全てでは無くとも
時期や言葉を選びながらでも

どうしても言いたい事や
感情を


伝えられる人が2人程居る。



そのひとりは
現在の月下陽香のギタリストさんだ。



これまでも
何度か
私は彼に感情をぶつけて居る。




辛いとか
傷付いたとか
嫌だとか



手紙だったり
メールだったり
会話だったり。


やり方はその都度だけど
感情をぶつけた事が在る。





彼はいつもお喋りが上手。

初対面の人とでも気さくに話が出来る。
会話のボキャブラリーも豊富。


いつも周りを笑わせる。
場を盛り上げる能力が在る。



時々
人をからかう事も在る。



私の場合
彼にからかわれる事に
ずっと
深く傷付き過ぎた時期が在った。


いつもいつも言えなくて。
我慢して笑ってた。




彼には悪気はないのだから
私が言わなければ理解出来ない。


彼は
親しみを持って
からかい続けた。


私は心に傷を重ねた。


その結果
とうとう我慢が途切れて
彼に訴えた事が在った。




それを
彼は
受け入れて
受け止めてくれた。



私の気持ちを理解しようとしてくれた。



私の
キズグチの種類なんて

余りにも偏在で

理解出来なくて
当然で在ろうに


否定も
抑圧も無く

理解をくれた。


私にとっては初めての経験だった。



「許される経験」。




その後も
何度か
彼には感情をぶつけた。



どれも

一度持ち帰って振り返り
それでも消化出来なくて
後日ぶつける

と言ったスタイルなのだけど…。



彼は言う。


その場で
どんな言い争いになって
大喧嘩をする事になったとしても


思った時に
言って良いんだよって。




ふーん…。
そうなんだ…。



これもまた
初めての経験だった。



それが出来る性格に
なれるかどうかは
わからないけれど


そう出来たら


きっと
もっと
人との関わりは
楽しくなるのだろうなと思った。





私が少し話したら
それを打ち消して
自分の話を始める人は

私の周りに多い。



例えば 

「体調どう?」って聞いてくれたから
現状を少し話し始めると


最後まで聞いてくれずに


自分の体調の話や
仕事の話
家庭の話が

次々と私にぶつけられる。



自分が辛い事や
抱えている事


そして
それでも自分は頑張ってるんだと言う

訴え。


そして
少ししか聞かなかった私の話に対して


自分は
もっと辛い中で頑張ってるのだから
頑張ってねって

締め括る。



聞いてあげようなんて
始めから思ってない。


聞いて欲しいだけ。

自分が言いたいだけ。



私が
黙って聞くってわかってるから
的にされるのかな…



言える性格になっちゃえば
周りも変わるのかな…。







摂食障害も
自傷癖も
そうなった原因は


何よりも両親に在ると
私は思って居る。



幼少期に与えられた環境
両親の私への育て方が
異常過ぎたからだと
感じて居る。




そこから
私は

摂食障害者となり
自傷癖者となり
30年間。



その都度の
自傷や嘔吐の全てが
両親との関わりで行われた訳では無い。



自分の中の
不安や怯えが
きっと
その都度の
あらゆる自傷を呼び込んだと思う。



なぜそうなるのか。



そこには
上手くこなせない
人間関係も
大きく影響しているはずだ。






2年間かけて
過程を記事にしながら


疑問を
答えに
変えてゆく作業を繰り返し

そう確信をして居る。



確信を
ひとつずつ増やしながら


それは
自己分析に繋がる。




自分の性格を
それまでよりも
理解出来るようになる。



自分の良い性格も
偏った性格も
間違った性格も
見えて来る。





今日
長々と書いて来たこの記事で

私が言いたかった事は


自分を知るべきだと言う事。



自分を知らなくては
修正方向も知れないから


時間をかけても
自分を理解する方法を見付けて欲しい。



私は
記事を書くと言う方法を
見付けたけど


きっと
それぞれに合う方法が在るから。



自分の性格を知りながら

不足を否定はしなくて良い。


認めてあげたら良い。


今はそれで良いのだから。



誰が否定しようが
親がなんて言おうが

自分は認めてあげて良い。


それは間違って居ない。



自分は
この世にひとりしか居ない
尊い存在だと


不足も
偏在も
全部含めて


思い込んで良い。





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なぜ吐いてなぜ切るのだろうか。-切りたくて吐きたい理由よりも知るべき事-(私なりの答え・6)

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



競い合うような蝉の声は

強い陽射しと重なるように

夏の暑さを知らしめる。



マンションの共同スペースには
近所の小学生たちが
今年も蝉取りに来る。



子供が苦手な私には
その騒ぐ声が耳に刺さり

作陶中の静けさを乱されて
疲れる。




囚われて
小さなカゴに入れられた
蝉の鳴き声には胸が詰まる。


物凄い声で鳴く。


きっと泣くんだ。



危機感を
剥き出しにしたような叫びだ。


そりゃそうだ。



せっかく生まれて来たのに

やっと鳴き始めたら
囚われて



残りの時間は
そこで朽ちる選択しか
与えられないのだから。







「摂食障害者」「自傷癖者」で在った私の
発症から約30年間の過程を
2013年7月7日から
2年間を掛けて書き続けた記事と
その後書き始めた
原因や理由 克服について思う記事は
各「かてごり。」に安置されています。

お役に立てるかはわかりませんが
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今日はこのカテゴリに含まれる記事を少し書くね。

【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】







2年間の毎日
記事を書いた訳では無い。



2年間の毎日に
過程を綴った訳では無い。



寄り道もすれば
立ち止まりもした。



でも
毎日考えて居た。


記事を更新しない日でも
違う内容の記事を更新して居る日にでも。


1日も
過去を振り返る事をしないで過ごした事は
無かった。


毎日毎日
次の記事を書いてゆく為に
記憶に追われ続けた。





摂食障害を発症し
自傷を覚えた頃…。



まだ小学生だった頃から
今日までに
生きて来た年月の記憶を捲りながら


体験してきた出来事を
順番に思い返しながら


思い出せる事は
出来る限り記事として来た。





始めの内は
振り返る出来事も
もうかなり遠い昔だ。


未だ痛む覚えも多々在れど
それでも
もう明らかに遠い昔。




覚えて居るひとつひとつを
頭の中で巡らして
言葉にし
文章にしながら


私は
当時の私の感情を確認し


その都度
無理矢理埋もれさせた痛みを
整理して行ったように思う。



馬鹿みたいに
一々と

自分の古傷を確認して

未だ痛むものは
きちんと過去にする為に
書き続けて来たのだと思う。





順番に書いてゆけば
当たり前に
記事は現在に近付いて来る。



現在に近付く程に
書く事は難しくなった。



そこには
未消化な痛みが
まだ沢山散らばって居たし


起きた出来事の中には

現在も繋がりの在る人達も
身近な人達も
登場してしまう事も多く


いくら自分のブログだと言っても

書けない事が在ったり


かなり誤魔化さなければ
書けない時も在ったり。



現在と繋がる寸前には
数ヶ月過程を書けなくもなった。



その間も
1日も欠かさずに


私の頭は
記憶を捲り続けて居た。



最後は苦痛が犇めいた。


息も絶え絶えに
無理矢理
書き終えたような状況でも在った。



どうかな…って
悩みもしたけれど

どんなに考えても


そうなるのが
現状ならば
当たり前なのだろうと思えた。





2年間を掛けて
30年間の私を
記事として来た。


とても孤独に。

とてもとても孤独に。




この3年程は

あらゆる自傷から
距離を置いて
生きる事を始めた。



それでも


何度も
自傷も嘔吐もしたくなった。

したくてたまらなかった。



狂いそうだった。


麻薬みたいだと思った。



腕を切る時
焼く時

嘔吐する時の


その後の快感を
私は知って居る。



それまでの苦痛を
一瞬だけ忘れられるような
独特の快感を知って居る。



脳は
一度覚えた快感を
簡単には手放さない。

忘れない。


その快感に強く呼ばれる。



私の
心も頭も


自傷と嘔吐に
洗脳されきって居た。






自分の人生を振り返り
ひとつずつ
記事を書き続ける作業は


日を追う毎に辛くなっていった。


とてもとても。
苦しくてたまらなかった。



心にも身体にも
大きな負担だった。



知らぬ人達の反応に
傷付き怯え


知る人達の反応や言動にも
また傷付き
人間不信にも陥った。



それでも必死になって
自分が決めた所まで続けた。


自分で決めた事だから。

書くと宣言したのは私なのだから。





人は変わってゆく。

簡単に言った事を撤回する。

その時々の
自分の事情と都合が最優先だから

いつだって背を向ける。



そう思ってしまう出来事にも
沢山遭遇した。



それでも

書きながら気付いた事が在った。






切りたい。
焼きたい。
吐きたい。


あらゆる自傷が手招きをする度に

記事を書き続ける私は



なぜ
こんなにも切りたいのか
吐きたいのか

何度も自分に問うた。



その都度理由が在った。


親の事だったり
知り合いとの関わりだったり

身体や環境や


その都度
自傷したい理由が
自分の感情の中には存在して居た。




記事を書きながら
その問い掛けが
次第に変わって行った。




私は
なぜ切りたいのか
なぜ吐きたいのか・・・

では無くて 



なぜ
私は

自傷癖者となったのか

摂食障害者となったのか

問う感情が生まれ育って行った。




勿論
それは
これまでにも
何度も考えてみた事だ。だけど


過去に考えてみて居た時とは
違う気がした。



これまでは

よくわからない
ぼんやりとしか見えない
靄の掛かったような中で


手探りで
あれやこれやと手に触れてみては

首を横に振り

触れた何かを
手放す繰り返しだった事に気付いた。




でも今回はそうじゃない。


視界は良好なのだ。


ひとつずつ
確認をして来たから


この胸に散らばって居るものが
色形も
くっきりと鮮やかに見えて居たんだ。





そこで私は

自分が

切りたい
吐きたい理由では無く


摂食障害者となり
自傷癖者となった理由を

常に考えるようになった。

考えられるようになった。



それまでとは違い
とても具体的に
考えられるようになった。




理由はたったひとつでは無い。


でも
私の場合
何よりも大きな理由は

親に与えられた環境に在ったと確信できる。




大きく偏り
異常だった
束縛と抑圧の中で

萎縮して
顔色を伺い
怯えながらでしか
在れなかった

幼少期。


子供らしさなんて私には無かった。


甘え方もわからない。



小さな胸は
いつも我慢をして居た。


何に関しても
自分が我慢しなくてはいけないと
叩き込まれた。



親が私に向ける
嘘も矛盾も
我慢して全て受け止めた。


親の尻拭いも
飲み込んで背負ってきた。



心はいつも不足して居た。


心のお腹はいつもぺこぺこだ。

心は常に空腹だったんだ。



そして

私は

そのままで

大人になってしまった。


それ以上の成長が出来ぬまま
身体だけが
大人なってしまったんだ。




身体は大人になっても
私の中には
成長を拒絶した
子供の私が住み続けた。


遠い昔

与えて貰えなかったものを

ひたすらに求め続けながら


私の中の幼児は
この胸に住み続けた。




親は
私を
正常に育ててはくれなかった。


その能力が無いままに
親もまた
身体だけが大人となり
欲望の果てに
子を産んでしまったように思う。


生んで頂いた事には
感謝すべきだが


はっきりと
失礼な言い方をするならば

私は
犠牲者でも在るだろう。





私にとって
一番の大きな理由は
この幼児の存在だと思えた。


私の場合は
確実にそうだと思えた。



40代を生き始めた私の
頭と心の中には
共存する幼児が居る。

不足したままで
今でも空腹を感じてる。



この子を育てられるのは
きっと私だろう。


私が育てなければ
この子は
一生満ちぬままに
私の中に在り続けて

私自身も
満ちる事は無いのだろう。


【「インナーチャイルドと共存が出来れば。」(私なりの答え・4)(2015.7.19)】


その気付きについては
この記事にも書いたが


理由は
人それぞれに在るだろうと思う。



私の場合は
これだと気付いただけの事。




だけど
それが
とても大事だと確信はして居る。




今日
切りたいと思う理由よりも


なぜ
そんな自分になったのかを
きちんと理解出来なければ


克服への道は歩けない。




私の場合は

記事を書く事で
それに気付けたように思う。



誰もが
同じ事をすれば気付ける訳では無い。



でも

日々に在る
とても辛いと思った出来事の
ひとつひとつを

直ぐに
自傷で処理する前に


書き出して見るのは
悪い事では無いとも思う。


ネット配信する必要は別に無い。


自分への確認をする為に
書くと言う行為は
とても効果的だと思う。





例え
理由に行き着けたとしても

家族や恋人が
環境が

それらを救ってくれない事も在るだろう。


結局は
自力で解決するしかない人も
沢山居るだろう。




だけど
知らなければ
手を打つ事が出来ない。


知れたなら 


そこから
必ず何かが見える。

絶対に。




理由。
原因だね。


それを
自分が知れる為に
どうするべきか


色々と
試してみる事は

プラスに近付くように思う。



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己に刺したトドメ。-出来るだけ孤独では無い状況で方法を選べたら良いけれど…-(私なりの答え・5)

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



外は雨降り。


しとしとと静かな雨降り。



止んだと思えば
蝉が競い合うように鳴き始め
薄曇りの空の下は
湿度が高く

暫くすれば

また
静かに雨が降る。




「摂食障害者」「自傷癖者」で在った私の
発症から約30年間の過程を
2013年7月7日から
2年間を掛けて書き続けた記事と
その後書き始めた
原因や理由 克服について思う記事は
各「かてごり。」に安置されています。

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過程を書き終えてから 自分なりの答えを少しづつ書き始めて居る。

【「本当に自傷を自覚させたのは。」(私なりの答え・1)(2015.7.11)】

【「心に垂れ流す痛みの形。」(私なりの答え・2)(2015.7.11)】

【「結局はずっと壊れたままで。」(私なりの答え・3)(2015.7.16)】

【「インナーチャイルドと共存が出来れば。」(私なりの答え・4)(2015.7.19)】






摂食障害になり始めた頃
すごく怖かった。


私はまだ小学生で。

誰にも言えなくて。


このままどうなってゆくのか
怖くてたまらなかった。



自傷行為を覚えて
益々恐怖は増した。


なぜ
自分が
そこに快感を覚えて居るのか

自分が異常で在る事は
24時間を怯えさせた。




自分は

恐らくは
摂食障害者で自傷癖者で在ろう事に
次第に気付いてはゆけたが


摂食障害も自傷も

30年も前の日本では
現在ほどに
聞き慣れた言葉では無く


今のように
ネット環境も無かった
当時の
まだ子供だった私が


孤独にそれを知れるまでには
年月が過ぎ去った。





自分が
摂食障害者だと
自傷癖者だと

知っても

ならば
どうすれば良いのか
どうなってゆくのか


365日が
恐怖に包まれていた10代だった。

【「1・自傷と共に生きてきた過程。」(小学生の私)】

【「2・自傷と共に生きてきた過程。」(中学生の私)】

【「3・自傷と共に生きてきた過程。」(高校生の私)】





20歳を越えても
私は身動きが取れなかった。


その頃の事は
過程を書き続けた記事の中に記して居るけれど。




学費や生活費にも
追われて居たし
支払いも抱えて居たし

経済的には
いつもとても苦しくて


病院に
いつでも行ける状況では無かった。



必要な薬を貰う時と
後は
体調的に
どうしようもない状況に陥った時だけ。



精神の通院に掛ける
お金も時間も無かったし


その内に商売も始めて
顔も知られた土地で
小さな田舎には
数も無い精神科での治療を
堂々と始める事は不可能でもあった。



ずっと怖かった。

ずっと。
ずっとずっと。





人と会って
楽しい時間を過ごして居たとしても
怖いんだ。

心の中で思うんだ。


私は違うんだなって。



当たり前のように
食事をして笑ってる人を前に
自分には
それも出来ない事を感じてしまう。



私の向かい側の席で
知人は
美味しそうに食べて居て。


共に食事をして居る私は


今食べて居る物を
早く吐き出さなきゃと

どこで吐けるだろうと


知人との会話も上の空で
考えて居たりして。




情けなくて
悲しくて
恐ろしい年月だった。

【「4・自傷と共に生きてきた過程。」(大学生の私)】

【「5・自傷と共に生きてきた過程。」(20代前半の私)】

【「6・自傷と共に生きてきた過程。」(20代後半頃の私)】






大阪に越して来て
カミングアウトして

身体も精神も
通院が始まった。


結婚をして
2年間は専業主婦をさせて貰った。



時間やお金を気にせずに
通院できる環境を与えて貰えた。



精神科は
いくつか行ってみたが
どこにも私の心は馴染めず。


それらの出来事も
過程を綴る記事に記してきたが


恐らくは
始めに選んで行った病院で
大きな過ちを起こされた事が
原因なのだろうけれど


私は精神科医を信用できず。



数年彷徨いもしたが
受診しなくなった。


そこに居ても何も変わらないと
自分なりに確信をしたから。




身体は
改めてあちこち検査をされた。


いくつかの持病が在る事は
わかっていたけれど

それらは見事に悪化しており

また
顎には
沢山の腫瘍が出来て居たり


これから先の人生で
私が向き合う病は
摂食障害と自傷以外にも
いくつも在る事を改めて知り
うんざりだった。





その頃には
我が家にもパソコンが在り
ネット環境を持てて居たから
何でも検索が出来た。



身体については


病状から検索し
自分が
一体どんな病気なのか考えたり


病名がわかれば

その原因や症状
治療方法や
予想される経過を調べたり。



いくつもの病院を回っても
判明出来なかった時などは

検索をしまくって

そうする程に恐怖が増して
狂いそうにもなったり。




摂食障害や
自傷癖についても
沢山検索をしてた。


あれもこれも
実践をしてみたり

決め付けて思い込んだり


時には
洗脳でもされたかのように
のめり込んだり。




その都度
私は

希望よりも
絶望を
感じて居た事は


今でもリアルに感情となり感じられる。







同じ名の病気でも
人により症状は様々だ。


進行の状況にも

持ち合わせた体質や
感じ方にも

それぞれに違いが在る。


同じ薬が効くとも限らない。



完治した人の
掛かり付け医に
治療を受けても

自分も治るとも限らない。


自分が合うかどうかはわからない。



何をどれだけ試しても
どこも合わなくて

次々と
時間とお金を注いでも

行き着く場所が見付けられなくて


途方に暮れる事も
きっと多々在る。



とりあえずは
やってみないとわからないのだけれど…。




情報に溢れた現在の中で
全ての情報を
鵜呑みにしても壊れてしまうし


情報によれば
返って
精神的不安を太らせるだけで
良い方向に作用しない物も多い。



情報とは
出来るだけ
上手に付き合えた方が良い。


知れる事は
幸せな事だと思うけれど
不要な物を
知り過ぎる必要は無い。



情報を得る際に
選ぶ事も大切だ。


自分で選んだ情報だけが
正しいとは限らないけれど

自分で選んだものなら
その中身を知る為に
注ぐ時間も
意欲的に捻出出来るしね。







摂食障害や自傷癖から
離れて生きるようになれるまでに

私には
30年もの年月が必要だった。




しかし。

それは
本当に必要だったのだろうか。



もっと早くに
克服できる方法が
在ったのではないだろうか。



わからない。

きっと在るんだろなとも思う。




ただ
私は

私の経験や
性格や
環境や思考から


孤独な闘いを選んだ。


結果30年が過ぎた。


人生のほとんどを
そこに奪われた。


楽しくない人生だ。


そう。

ちっとも面白くなかった人生。





それでも私は
孤独に
30年を掛けなければ
結局は
抜け出せなかったんだとも思う。


そう思うようにしてる

とも言えるけど…。






自傷をしなくても
何とか居られるようになって
1年が過ぎる頃から

2年間

ここに過程を書き続けた。



当時は
まだ
自傷したくてたまらなかった。



何かにつけて


切りたくて

焼きたくて

吐きたくて

たまらなかった。



ひたすら我慢。



発狂しそうな我慢。



リモコンはいくつ犠牲になっただろう。


口をタオルで押さえて

「あーッ」って叫んで

リモコンを叩き付けて
踏み付けて
破壊して


気を反らした夜も沢山在った。



それでも

耐えて
書き続けた2年間。





過程を書き続ける事は
とても苦しかった。


心にも身体にも
まるで拷問だった。



腕を切るよりも
痛む作業だった。



未消化な記憶を
文字にしてゆく作業は
過酷だった。




それまでの
孤独な30年間の自傷よりも

大きな

自傷行為のようだった。




しかも
全然すっきりしない。



腕を切れば
焼けば

嘔吐すれば


すっきりする感覚が在ったけれど


記憶を捲り
文字にして
曝け出す作業は


そのほとんどが苦痛だった。



私は
その2年間でくたくたになった。


痛みに疲れ果てた。



私にとって

この


孤独に耐えながら

自分の足跡のキズグチを捲りながら

それに対する人々の言動に
苦しみながら


書き続けた行為は


これまでの
あらゆる自傷行為に


トドメを刺すような

月日だった。



そうしながら。


切らなくても生きて居る私を見付けた。




でも
きっと
やっと

半歩か一歩位

距離を置けただけ。



いつだって戻れるんだろう。



だって
そうして生きて来た年月の方が
ずっと長いのだから。







今の所の私は
克服した人のひとり。


だから
これは

今の所の私の
考えでしかないけれど。




私のような方法は
きっとあまりオススメは出来ない。



出来れば

自分が信じられる医師を
見付ける努力をした方が
良いかも知れない。


そして

何よりも思うのは

独りじゃない方が良い。



家族や恋人が

本当に
理解をくれる信じられる対象で在るならば
支えて貰う方が良い。



私に
もしも
信頼できる頼れる家族が居たならば


私は
こんなにも長い年月を
苦しまなかったのかも知れない。


って言うか


そんな家族が居たら
こんな風になってないんだろうけどね。





今も苦しんで在る人に


打ち明けられる存在


打ち明けても
変わらずに繋がれる相手


支えて貰うのではなくて
支え合いながら
目指してゆける相手 


否定せず理解をし

愛してくれる人が
居てくれたらと 願う。




それこそ

ネットからの情報や
医師の一言二言に

うろたえて

不安を露わにするような人では無くて



どっしりと構えてる
大木のような人が居てくれたらなと
これは自分にも願うよね。



もたれても
びくともしなくて

近寄れば
風雨から守ってくれるようなね。




残念ながら
そう言う人の存在に
恵まれて居ない人がきっと多い。



でも
出来れば


孤独に
何十年も
苦しまない方法を見付けて欲しい。





私は私なりに
その為にどうすれば良いと思うか

これからも
少しづつ書いてみるね。


よく考えながら。


言葉に出来たものから
書いてゆくね。




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インナーチャイルドと共存が出来れば。-幼児のままのもう一人の私を受け入れる事-(私なりの答え・4)

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



この世の中に

私はひとりだ。



だけど

この
たった1人の私の中には

いくつもの私が存在してる。




優しい想いに
溢れて在れる私も居れば


止まらない攻撃性に驚く程の
苛立ちに
壊れてしまう私も居る。



自分の出せるオーラを
剥き出しに
人前に立つ事も在れば


必要以上に
萎縮して怯えて

人と目を合わす事すら恐ろしくて
俯いて歩く私も居る。




創作陶芸作家として
活動する私も居れば


月下陽香として存在する私も居り


白衣を着れば
それらを隠して
そこに身を置き 


何の肩書も背負わない
ただの40女の私も居る。





そして。


私の中には
もうひとりの私が居る。


いつまでも
大人になれぬままに


私の中では

ちびっこのままの私が
共存をして居る。




この子は幼いままの私。


大人になれなかった私で在り
大人になりたくなかった私でも在る。



この
ちびっこの私は
飢えているのだと思う。




何が普通かと問われたならば
正直よくわからない。


わかっているのは

私の幼少期は
恐らくは
普通と言われる枠には
入らない環境に在った事と


幼少期に
与えて貰えるはずの
与えて貰うべきの
経験を体験を


出来ぬままに

同じ年頃の子供たちよりも
急いで大人にならざるを得ず


私の中には


満たされぬままの幼児が
置いてきぼりとなり

住み付いてしまったのだろうと言う事。





「インナーチャイルド」
「アダルトチルドレン」

などとも呼ばれる
症状なのだと理解して居る。






「摂食障害者」「自傷癖者」で在った私の
発症から約30年間の過程を
2013年7月7日から
2年間を掛けて書き続けた記事と
その後書き始めた
原因や理由 克服について思う記事は
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過程を書き終えてから
自分なりの答えを少しづつ書き始めて居る。

【「本当に自傷を自覚させたのは。」(私なりの答え・1)(2015.7.11)】

【「心に垂れ流す痛みの形。」(私なりの答え・2)(2015.7.11)】

【「結局はずっと壊れたままで。」(私なりの答え・3)(2015.7.16)】





私なりの答え。

あくまで全ては「私なり」。


だけど
30年間をかけて知り在れる事だから
書いてゆこうと思う。






私が学生で在った時代の出来事は
以下カテゴリにの中の記事に記してきた。

【「1・自傷と共に生きてきた過程。」(小学生の私)】
※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程。」(中学生の私)】
※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程。」(高校生の私)】
※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程。」(大学生の私)】
※17の記事があります。



ここには
小学生の頃からの出来事が書かれており


幼少期の事だけを
あえて書き出したカテゴリは無いが


学生時代を綴った記事だけでなく
あちこちに

自分が育ってきた環境については
記しても来た。






母は

私を
それはそれは
きつく束縛した。

強い抑圧を与えた。



自分の想い通りの私でなければ
全ては否定だった。



欲深い女の顔と
満ちぬ幼女の顔を持ちあわせ

己の欲望を
何よりも優先した人だった。



母に優しくして貰いたければ
顔色を伺いながら
全てに従う必要が在った。


それでも
機嫌が悪ければ
標的になれてしまう。



私は
幼い頃から
口答えなんてした事が無かった。



自分の意見は
言ってはいけない物だった。


どんなに不満でも
嫌で嫌でたまらなくても
自分の意見は言えなかった。


全ては我慢だった。

ひたすらに我慢だった。


いつもいつも
苛立ちと悲しみを飲み込んで
我慢しなくては在れなかった。




父は
そんな母に意見する事も出来なかった。

父もまた
酷く子供でも在った。


妻の我が儘を
筋を通して
気付かせて導ける器は
持ち合わせて居なかった。


家庭の中で
父の存在はとても薄かった。


家の中の権力は母に在った。



母が
私の上司と不倫の果てに
妹を連れて消えてからは


手の掛かる父の面倒は
私の肩だけに圧し掛かった。




そして。

両親は嘘吐きだった。

いつも矛盾をして居た。


子供たちでは無く
自分たちでも無く

自分の
自分だけの欲の為に


子供に
いつも平気で嘘を吐いた。



子供の吐く小さな嘘には
手を上げて叱るのに


自分は
子供に対し

嘘と矛盾を押し付けた。




私は

子供らしく
駄々をこねるような事も
した事が無かった。


欲しい物を欲しいとも言えず
食べたい物を食べたいとも

言えなかった。

自分の希望や欲望は
いつも我慢と結び付く。




言いたい事を言っても
やりたい事をしても

受け入れて貰える経験が

私には
余りにも乏しかった。



言いたい事や
やりたい事を主張した時に

それが
時に間違いであっても


受け止められ
許される経験が

私には
余りにも乏し過ぎた。




私の中に住み付いた

子供のままの
もうひとりの私は


自由に
喜んだり悲しんだり
したいと思って居る。


欲しいって
食べたいって

嫌だって

言いたいと思って居る。



何を言っても
許される経験を
とてもしたがって居る。


本能のままに
楽しいと感じる方向へ駆け出しても

叱られない経験を

したいと思って居る。





だけど
現実の私は大人だ。


大人と言われる場所に
振り分けられる年齢だ。



私は

人前では
大人の顔を重ね着してる。



でも
心の中では

いつも
ちびっこの私が

走り回ったり
泣きわめいたり
はしゃいで居たり


ジタバタと
感情を剥き出しにして居たりする。






そんな

自分の中に在り続ける
ちびっこの私を


私は

長い年月
否定してきたように思う。



自分の

頭の中や
心の中で

起きて居るこの現象を


理解しながらも
強く否定した。


自分はおかしいと
これはおかしいと

こんな自分ではいけないと
否定してきた。




学生時代を過ぎて

20歳を越えてからは
その否定を更に強めた。


大人でなければならないと

何度も何度も
自分の中のちびっこを
捨てようとした。


でも捨てられなかった。


何度捨てても
帰って来る。


それこそ
殺しても死なない。



狂いそうだった。



あえて
汚い世界に身を置きながら

自分も
そこに十分に染まりながら


摂食障害も
自傷も


誰にも言えずに
苦痛に満ちた時代には



恐ろしい
自責の念に
呪われているようだった。




【「5・自傷と共に生きてきた過程。」(20代前半の私)】
※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程。」(20代後半頃の私)】
※50の記事があります。


摂食障害と自傷癖を
カミングアウトして
向き合い始めてからも


私は

いつも

共存するちびっこの私を
否定して居た。


だけれど
それは
自分自身への否定ともなった。






月下陽香の活動を始めた頃…。


現在のギタリストさんと出会えた頃と
重なるような時期だったと思う。



私は


自分の中の
ちびっこの私を
受け入れる感情を持ち始めた。




人前で
幼児のように振る舞う訳では無い。


知り合いの前で

駄々をこねたりするわけでな無く。



それでも
自分の中に
確実に存在する
幼児の

思考を否定する事を止めた。



ちびっこの私の
声を聞くようになった。



その子の喜ぶ事を
自分に与えるようになった。



大きなきっかけが
在った訳では無かったと思う。



ただ

自分を否定し続ける事に
疲れ果てただけだったのかも知れない。




ちびっこの私を
否定しなくなった時
少し楽になった。


自己否定がひとつ
減ったのだから
そりゃそうだろう。



当たり前の事だろうが

私には
新鮮な喜びだった。





私には
ちびっこの私の欲望に
従う事が増えた。


いつも
ぬいぐるみを持ち歩いたりした。

いつも一緒に居たいから
そうした。



月下陽香や
ひとりのうたうたいとして
存在出来る
プライベートの場所では


いつも
いくつもの
ぬいぐるみやオモチャを
連れて出掛けても居た。



それを
誰が
どう感じ
思って居たのかはわからない。


気持ち悪がっていた人達も
居たのかも知れない。



ただ
幸い
仲の良い人達は
否定はしないで居てくれた。





現在のギタリストさんは
そんな私に
小さな
ぬいぐるみや
オモチャを与えてくれた。


その時
ちびっこの私は

初めて


自分以外の実在する人から

欲望を満たされた。


受け入れて貰えたような
感情が在った。



私の中で

ちびっこは
走り回って
はしゃいで大喜びだ。



私の中で

それを感じる大人の私は
優しさに泣いた。



受け入れられて
与えられる喜びを知れた。



これまでに
彼には
沢山のオモチャを頂いた。


小さな子供が
喜ぶようなオモチャがいっぱい。

どれも宝物。



今でも
バッグの中には
小さなぬいぐるみが入って居る。


彼に頂いた
クマのキャラクターのぬいぐるみ。


仕事にも連れてゆく。


決して職場では見せないけれど
バッグのポケットには潜んでいる。




私は

自分でも
強く否定し続けた


正常ではないだろう自分を

許される経験を
覚えたのだと思う。



それは

私が

摂食障害と
自傷を

過去にするに当たり

大きな影響を与えたものだと感じる。





そんな経験を与えてくれた
ギタリストさんと


昨日は少し出掛けた。



これまでに
彼とは何度も行って居る遊園地。



山上に在る小さな遊園地。

冬場は閉園。

春から秋までの開園で
昨日からは夏のナイター営業が始まった。




山上には
ケーブルカー乗ってゆく。


犬と猫の形の
ケーブルカーは
「ブル」と「ミケ」。


私はいつも「ミケ」に乗りたい。




昨日は
行きは「ミケ」に乗れて


それだけで
ちびっこの私は大喜びだ。


昨日は空いて居たから
一番前の席を陣取ってご機嫌。


にやにやしながら喜ぶ私を
彼は馬鹿にしない。



私は
ビールとお菓子の入った
リュックを背負ってる。


持ち込む物は
大人の私の好きな物。


酷いアンバランスだ。





遊園地には
私のお気に入りの
うさぎさんが居る。


ビールを飲みたい
大人の私だけど


ビールは
うさぎさんを見てからだと言うのは
幼児の私。


あー。やはり正常では無い。



でも
彼はそんな私を否定しない。


私は安心しながら楽しんでる。



誰の前でも
そう出来る訳では無い。


でも
私は

自分で在れる環境を
得られたのだと思う。



初めて
許されて受け入れられた事を
感じてる。


これは
とても大きな出来事。


私の人生を変えた喜び。




自分で否定し続けた自分が
否定の対象で無くなった事で


私は
少しだけ
大人になる準備を始める努力を
始めたくなったんだと感じる。



もう
十分に大人な年齢の私は

まだまだ
思考も大人にはなり切れて居なくて

感情のコントルールも苦手で

大人にはなれていないけれど。







ひとつで良い。



本当の姿

自分の
真実の姿を晒しても


受け入れて貰える場所を
受け入れてくれる人を

見付けて欲しいと思う。



見付かる事を
信じて欲しいと思う。


諦めないで欲しいと思う。




親が与えてくれなくても

家族に奪われても

先生が与えてくれなくても

友人に
恋人に
奪われても。


それは
諦めないで欲しいと願う。



今が絶望に在っても
信じて居て欲しいと
とても願う。




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結局はずっと壊れたままで。-小学生の頃からの摂食障害と自傷の代償-(私なりの答え・3)

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



「摂食障害者」「自傷癖者」で在った私の
発症から約30年間の過程を
2013年7月7日から
2年間を掛けて書き続けた記事と
その後書き始めた
原因や理由 克服について思う記事は
各「かてごり。」に安置されています。

お役に立てるかはわかりませんが
必要な方はいつでもお立ち寄り下さい。

【「癒え待ちよすがの「かてごり。」ページへ】 ←クリック






過程を書き終えてから
自分なりの答えを
少しづつ書き始めて居る。

【「本当に自傷を自覚させたのは。」(私なりの答え・1)(2015.7.11)】

【「心に垂れ流す痛みの形。」(私なりの答え・2)(2015.7.11)】




今日はこの続き…と言うか

この仲間に入る記事を
少し書こうと思う。





30年間の過程を
記事として書き始めた
2013年の7月7日。

一番初めに掲載したのはこの記事だった。

【「腐ったパンと壊れた少女。」(小学生の私・1)(2013.7.7)】





私が摂食障害者となり始めた時

私は
まだ小学校の低学年。


食べられなくなって
無理矢理食べて吐いて。


そうなった時
まだ私は
本当に子供だった。



摂食障害が始まり

その後
間もなく
身体を傷付ける事を覚えた。



そこには


なぜ
自分はそんな事をしてしまうのか

わからない恐怖や


それをする事で
この先どうなってゆくのか

悪い事ばかりを想像しながら
怯える想いや


悪い事をして居ると
自分を責める気持ちが

いっぱいに在って。



それでも

どうしても
それらは

私には
やっと出会った快感でも在り


絶対に
隠し通して居たい

秘密でも在った。





2013年の七夕に

その記事を書いた頃の私は



私が
摂食障害者となり
自傷癖者となった
一番の原因は

「母親」だと思うと書いて居る。



何よりも
絶大な影響を与え

私が
そこへ向かう事を選ぶ人となる

原点を作り上げたのは

「母親」だと

今もそう思って居る。



ただ

過程を書き続けてきた中で
はっきりと確信できたのは



原因は

「母親」だけでは無いと言う事。


「父親」も

そこには
とてもとても大きく
関わって在った事だった。




親になるべきでは
無かっただろう2人でも

一見人並みな未来を描き 


そこに
自分たちが在れると
勘違いをし 

セックスをし 


この世に 
血を引く生物を
生み出してしまった訳だ。



そして
それを 

壊れた玩具に

してしまったんだろうと。


思う事は多かった。





それについては 

もう少し
言葉を整理してから


また書いておこうと思って居るが…。








どんな答えを
胸に感じて在ろうが


私が
30年間もの間



きちんと食事を出来ずに
生きて来た事は確かだ。

拒食と過食嘔吐の繰り返し。




その結果


やっと

自ら指を突っ込んで吐かぬとも


私は


一般の日本の成人のようには
食事をする事が出来ない。



例えば

ランチセットとか
そういう量を
胃が受け付けない。


ファミレスなんかでは
沢山のセットメニューがあって


例えば
ハンバーグと
サラダとスープと
あとライスorパンみたいな

組み合わせが選べるメニューも
充実してるけど

私には選べない。



食べ切れないし

食べ切れても
消化が出来ないんだ。




食べた物は胃に留まり
腹部の張りを感じ
苦しいまま翌日になれば


気持ち悪くて動けなくて

物凄い吐き気に襲われて


目の回りに
点々と
あちこちに紅い斑点が吹き出す位に

苦しんで

吐けば


そこには
前日の食事が
押し出されて出て来る。




少しづつならば
受け付けてくれるから

一度に
沢山は食べないように気を付ける。


現役真っただ中の頃に比べれば

少しづつ
受け付けられる量は増えてはきているが



それでも
ごく一般的な量は
一度には食べられないし



出勤前などは

消化不良を起こさないように
消化に良い物を
数口だけ食べたら
薬とサプリメントで乗り切る事も多い。





摂取した食事が

胃を通過できても

排泄してみれば
まともに消化が出来て居ない事も
日常。



錠剤でさえ

少し大きなものになると
溶かせないままに
排泄されてしまう。

そりゃ効かない訳だ。




持病の進行により
投薬を見直す度に

体内で消化できるかどうかから
考えなければならない。



消化機能は
まともに動いて居ない。


それを助ける為の薬も
ずっと飲み続けて生きて居る。





ずっと
常に
摂取出来ない状況に
置かれ続けた体は


ほんの少しでも
吸収しようとする。


生きようとする。


だから
多くは食べられなくても
痩せこける事もなくなってくる。



少しづつの食事でも

消化出来る食材からは
体は必死で得ようとする。



加齢と共に
代謝も悪くなるから

食べて居なくても
痩せられなくもなってくる。




10年前の私は

まだ
現役の摂食障害者で

今よりも10若いから
代謝力も在り


その頃は
5号の服でも大きかった。



最近は

まだ
人並みには食べられなくても

当時より
食べられるようにもなってきたし


歳も10増えて
代謝も劣って来たのだろう。



7号サイズを
普通に着て居られる。



健康になりながら
体重が少し増えるなら
良いけれど


病気だらけで

栄養不足なのに
太ってくのは
とても醜く思えて
嫌だから


気を付けながら
食べる事と向き合い始めて居るけれど


これだけ長い年月を
摂食障害と暮らしてしまうと


参考に出来る物も少なくて
孤独に
研究してくしか無いのだろう事も
現状。




しかも

手術を繰り返してしまった顎は
噛めない物も色々在って

せっかく
障害と離れて過ごせるようになっても


私の食生活は
いつも限られている。




楽しくはないよね。



おいしそうだなって思った物を
色々と考えずに
口に入れるなんて事が出来ない。


必ず
消化出来るだろうか
考えてから

量を考えて

口に運ばなければいけない。




きっと

死ぬまで

私は

周りの人達が楽しむようには
食事を楽しむ事を知らずに
生きなければならない。


例え克服できてもね。

ずっと続いてく。




こんなにも長い年月を
共存してしまえば

無かった事にはならないんだ。




私を
障害者にしたのは
きっと「親」だ。



私の場合はそうだと思う。


だけど

なったのは
「親」じゃなくて「私」。


させた親は
何の責任もとってはくれない。



全て
孤独に背負うのは
私自身。


これが

30年もの摂食を
正常に行えなかった
人間の真実なんだろうね。






私みたいな子供を
作り上げてしまいそうな
大人が居るならば

考えて欲しい。



子供は
親を
まず信じてる。


子供は親を愛してる。


愛されたいと願ってる。



その想いを利用して

過ちを押し付けないで欲しい。



壊れてしまった時に
その後の人生で

背負う荷物を

親が
肩代わりなんて出来ないのだから。


【「腐ったパンと壊れた少女。」(小学生の私・1)(2013.7.7)】



これがきっと始まり。


この頃からずっと。

今も。


私は
食事にいつも苦しんで居る。




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心に垂れ流す痛みの形。-痛みを言葉に出来れば理由も知り始められる-(私なりの答え・2)

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



過去が過去となったのは先日。

7月7日。



摂食障害と
自傷癖を

発症した頃から
現在までの日々を


2年間を注ぎ
書き続けて来た記事は
ようやく現在に辿り着いた。




私は

毎日毎日

記憶を掘り起し

そこに
未だ熟れたままの痛みと

向き合い
文字にする作業を
自分に課せて来た。



記事を更新して居ない日でも

違う内容に
寄り道をして書いて居る時でも


常に記憶と向き合い
言葉を紡ぎ
パソコンに書き溜めて来た。




2年間

毎日記憶を巡らせながら

記事にしなければならないと言う
決まりを

自分に与えてきた訳だ。


時に
酷く後悔もしながら
苦しみながらやり遂げた。




今日は

11日から書き始めた
私なりの答えの

2つ目になる記事を書く。


この続きになるかな…。

【「本当に自傷を自覚させたのは。」(私なりの答え・1)(2015.7.11)】





やっと 
私の24時間は
記憶に追われなくても良くなった。


そうなって気付いた。



私が
私の中の痛む記憶に
追われて居たのは


この2年間だけでは無いと言う事。




改めて
順番に
呼び起こし
記事にする作業は

この2年間に課せた事だけれど


書き終えて


やっと
静かに
想い起こして見れば


私は
ずっとずっと前から


過去に

痛んで
壊れて来たんだと気付いた。



未来では無くて
過去に。




私は

常に痛んで在り
苦しみ続けて居たんだ。


そこには

満ちる想いが無かったから。


常に
不足が充満して居たから。



私の心は

いつも
お腹ぺこぺこなのに

与えて貰えぬままに

30年が過ぎて居たんだ。





2年間

必死で書いて居る間は
それが自覚出来なかった。



過去が
私の
手枷に
足枷に
なっている事は感じて居たけれど


自分が

長い長い年月

常に
満ちぬ過去に囚われて
忘れる事無く

ひたすらに
痛んで在った自覚は

しきれて居なかったように感じる。





書き続けた2年間は
本当に
物凄く辛かった。


とてもとても
しんどかった。



体力的にも
時間的にも
物凄くきつかった。



そして
何よりも心が疲れた。


エネルギーの消耗に
精神が苦し過ぎた。





それでも書き終えて。
少し楽になった。


自分が課せた約束に
追われなくなった安堵感は
とても大きい。


身体にかかる負担も
心に軋む負担も

書き続けた2年間と比べれば
雲泥の差で軽くなったと思う。




でも

だから
楽になれたのではなくて。



書き終えた私には


記憶に痛む感情が
とてもとても
小さくなって居て。



記憶に対して


これまでの
いつよりも

距離を置いて

静かに見て居る気がとてもする。




全てが消化出来た訳では
まだない。



しかし


じゅくじゅくに熟れたまま
膿を垂れ流し続けて在った

傷み痛んだ過去は


初めて
私の中で


過ぎた出来事と

なりつつ在るような実感が
今この胸に在る。





苦しみながらでも

言葉にしてきたからだと思う。






ここに書いて来た
私の過去は

決して正常では無いし
とても歪んで
乱れて
汚れたものだ。



全てが

この身体中に
心中に


ひたひたと
沁み渡って居た

「毒」だろう。





これが


ブログと言う形でも
賛否両論多々在ったものを


記事にせずに

特定の誰かに
聞いて欲しいと頼み
話し続けたならば


そんなの
酷く迷惑だ。



特定の誰かに

自分の荷物を
背負わせる気は無い。


人に
そのままに伝わり
理解を得られるとも思って居ない。


自分の痛みは
自分にしかわからないと考えて居る。




これが
誰かの孤独に添える日が
いつか訪れる事も
在るかも知れない。






書きながら
心底思い知った。



出来事も
想いも


自分の中での
感情としてだけでは無くて


言葉に出来るかどうかが

とても重要だ。



その出来事や感情が

どんな言葉に当てはまるのか
考えて探して

言葉に
文字に

文章
もしくは会話に

出来て初めて

分析を始められる場所に
立てるんだと思う。



分析を始められたなら
原因も見えて来る。


理解が深まる。

必ず消化に近付いてゆける。








私は

摂食障害者で在り
自傷癖者で在った。



数多くの
精神的な病が在る。
障害も在る。



嘗ての私のように


独りで抱えて居る人も居れば


家族や恋人等
自分以外の誰かの
理解や協力を得て
克服を目指せる人も居る。



だから
答えはひとつでは無い。

やり方も人の数だけ在るはずだ。





私の場合は
孤独だった。



摂食障害と
自傷癖との闘いに関しては
私は独りだった。




精神科医を信じる事も出来ず

自助グループ等に参加する事も嫌い


理解や
協力を得られる
家族関係者は居らず


恋人や友人に
それを頼もうとも思わなかった。



だから孤独だった。


自分に与えられて在る環境や
自分の性格を考えて
自分で孤独を選んだのだけれど


やはり本当に辛かった。



だけど
それでも
言葉にし続けて来たから


今日
想う事が在る。







2年間を費やし
書き続けた記事。



私は

この2年間で


30年間を


やっと
とりあえず
心の胃袋に
飲み込めたんだと思う。




よく噛み砕いた物も在れば

大きなまま
無理矢理に納めた物も在る。



果たして
全てを消化し排出できるのかは
まだわからないけれど。



どんなに噛み砕いても
飲み込めなかった
30年間を


やっと
まずは
飲み込めたように思う。






言葉にしてみる努力は

しないよりも

してみる事を

私はオススメしたいな。



「摂食障害者」「自傷癖者」で在った私の
発症から約30年間の過程を
2013年7月7日から
2年間を掛けて書き続けた記事と
その後書き始めた
原因や理由 克服について思う記事は
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テーマ : AC(アダルトチルドレン)
ジャンル : 心と身体

自己紹介。

月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


このブログには
私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
共存して居た頃の出来事を綴った記事も
多く置いて居ます。


私にご興味を感じて頂ける
御訪問者さまや

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