❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

  ♪:*:.:*:♪ ・らいぶ情報・ ♪:*:.:*:♪

     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

     ❤ 2016年11月6日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



  ♪:*:.:*:♪ ・CD情報・ ♪:*:.:*:♪

  ◆ ファーストシングル ・ 花いばら ◆
            2曲入り ¥500-
            2014.5.24 発売
花いばら

  ◆ セカンドアルバム ・ 生きてるからね。 ◆
            6曲+1曲入り ¥1000-
            2011.8.21 発売

いきてるからね。

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摂食障害者で自傷癖者の私の選んだイキザマの終わりに。(辿り着けるまで・14)

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今日は七夕だ。



今日も
5時50分起床で働いた。


後で少しだけ出掛ける。












2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の0始まりから。」(20代後半頃の私)】
※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
※42の記事があります。

【「9・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(40代に向かう私)】
※14の記事があります。

【「10・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(書き終えた私なりの答え)】
※執筆中。






時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「キズを持ち痛みを知りて在る人たち。」(2015.6.23)】

【「不安で吐きそうな程に嘆く心に。」(2015.6.24)】

【「失うばかりでわからなくなって。」(2015.6.29)】





過程を綴る記事は
現在の私へ繋がる時代に辿り着き

今日
書き終えるつもりだ。

【「それすらも自傷ではないだろうかと。」(辿り着けるまで・11)(2015.7.4)】

【「暗闇の中で目指す場所は。」(辿り着けるまで・12)(2015.7.5)】

【「焼き付いた悲しみを越えたくて。」(辿り着けるまで・13)(2015.7.6)】





今日も書いてゆく。



過程を綴る記事中で
私は
2015年の6月に存在をしてる。

つい先月だね。

【2015年6月】






誕生日を迎え
命日が過ぎた。



今年の
その2日は
私には特別だった。



そこを迎え過ぎれた事で
ひとつ

心の中で
箱に蓋をしたのだと思う。



次の箱を
開ける事を始めたのだと思う。




何をするにしても
適当に
こなす事が出来ない。


すると決めたなら

そこには
大量の労力を
注ぎこまなければ
こなせない。



だから

一度に多くを進行できないし

あっちからもこっちからも
違う意見をぶつけられても

息が詰まる。




すごく
悩んで考えて選んで


持てるエネルギーを
継ぎこんで

動かしてゆくような


そんなやり方が
きっと
私のやり方なんだと思う。

器用にはこなせないんだ。




だから
1年後の
誕生日と命日を
迎えると言う事は


私には
とても理解しやすい

飲み込める
ひとつのラインだったように思える。








命日が過ぎれば
ライブはすぐそこだった。


今年2回目のライブ。



5月に
やっと
1年振りに立てたステージの

翌月に当たるこの月。



ギタリストさんが繋いでくれて
決まったライブは
28日開催だった。




体調が
物凄く良い日なんてどこにも無い。

ライブを
絶好調で向かえる事なんて
いつも無い。



どんなに頑張っても難しい。


でも
少しでも
良い状態に近付けるように

これでも
いつも物凄く努力はしてる。



だけど
今回は無理だった。

全く無理だった。



ギタリストさんにも
まともにメールも出来ないような
体調が続いた。



ライブ前の最後の練習では
呼吸がちゃんと出来なかった。


息継ぎが出来なくて
真剣に恐怖を感じた。



明らかにおかしいと思った。


ここまで息が吸えなければ
歌なんて歌えない。




「不安」

なんてレベルでは無くて

「恐怖」

だった。


何とかしたくて
一生懸命努力したのだけれど
どうにもならなかった。



恐らくは


今までで
最も最悪な体調での
ライブとなってしまった。






懸命に自分に言い聞かせた。


思い出して見ようよ。

もっと
孤独なライブも
これまでには在ったはずだよ。

今は相棒さんが居てくれるんだ。



肋骨2本折れたまま
弾き語りしたライブも在ったじゃないか。


今日の私は
骨は折れてないだろう?

行くしかないよ。

選んだのは自分だ。




ギリギリまで
身体を休めて準備をし
会場に向かった。



買いにも行けずに困ってたら
酸素を
ギタリストさんが買ってきてくれた。



これまでで
きっと
一番
ギリギリで挑むライブだった。






そこは

2年前に
辛いライブをしてしまった会場。


だからこそ
リベンジの気持ちで臨んで居た。


自分が
納得出来るステージにしたい。

ちゃんと
自分の心が
楽しかったと思える夜にしたい。


このライブが終われば
次の予定は何も無いのだ。


辛い夜になれば

いつになるかのもわからない
次のライブまで
その想いを
ずっと
引き摺って
過ごさなければならなくなるんだ。


もうそんなのは嫌。


そんな辛い想いを
もうしたくないと思って居た。


そんな
苦しくてたまらない日々はごめんだ。




でも
とても
とてもしんどくて。



会場に着いても


自分から
出演者の方々に
多く話し掛けたりもしなかった。





その日の出演者さん達は 
初めてお会いする方ばかりだった。


ライブ本数もこなせなくなったし

ライブバーの
セッションなどにも
出掛けたり出来ない現状に


在る私にとって

とても貴重な
出会いと交流の機会だから


出来るだけ
お話もしたかったのだけれど


リハーサルもまだの
絶不調の状態では出来なくて。



ライブが始まるまでは
極力静かに過ごした。


着替え等で
会場から出る時間も在るけれど


それ以外は


出来るだけ
他の出演者さんの演奏を
聴きたいと思って居た。


音楽の場に居られる時間も

私には
とても少ない貴重な時間だから。


出来るだけ
ちゃんと観て聴いて。

自分の出演が終われば
気持ちは少し楽になるだろうから


少しでも
自分から
お声を掛けられたらと願っても居た。




リハーサルも終わり開店。



遠方から
今回も駆け付けて下さった方々が居られた。

大阪からも
いつも応援して下さる方々がご来店下さった。



2年前に
ここで再開した
大切な友人や


いつも写真を写して下さる
まささん達とは

開演前に
少しはお話が出来た。



彼等が
話し上手で優しいからだね。


話せる自分で居られて
少し安心をした。



それでも
あまり多くを話せば
息が辛いから


出演を終えるまでは
お客さまと
同じテーブルには座らないようにしてた。



ステージ前に
使い果たしてしまわないように。





この日の出演は4組。

月下陽香は3番目。


1組目の出演が
あと2曲になった時会場を出た。


2組目のステージを
出来るだけ観れるように
一生懸命着替えた。



そのお店には控え室が無い。
着替える場所が無い。



お店の外の
地下の駐輪場の隅っこで
シートを張って着替えなくてはいけない。



2年前の出演の時は
とても暑くて
汗で着物が肌に貼り付いて
とても大変だったから


色々と準備しながら
心配して居たけれど
今回は大丈夫だった。


着替えながらも
何度も酸素を吸った。



ステージ上や
会場の人目に付く場所では
吸いたくなかったから


ひとりの時にはこまめに吸入した。



準備が終わり
途中から2組目を観て。

出番が巡って来た。





ステージが始まる。
恐怖が吹き出す。
手が震える。


始まりから失敗をした。


しゃぼん玉が吹けなくて
やり直しても
手が震えて
息が吐けなかった。




ステージに上がれば
椅子を倒しそうになった。


歌い始めれば
とても辛かった。


とてもとても息が苦しい。






月下陽香は
少し前も
つい最近も
相変わらずだと
思って居られる方の方がきっと多い。


ほとんどの方は
お気付きでは無いと思うが


1年振りに
やっと立てた
2つのステージでは


意識して変えた事が在る。


MCを極力短くして居る。



出来る限り
喋りを短縮して

出来る限り
曲数を増やして居る。


これは


昨年末頃から
私が考え始めた
今後の形に
近付いてゆく為の

少しづつ始めて居る事のひとつ。




2013年
2014年の
2年間は逆だった。

話す事を大切にしてた。



でも
もう十分に話してきたし


このブログにも
書き続けて来たのだから


今年からは
曲数を増やす事を始めて居た。




ただ
それが
この日の私には厳しかった。


当日の本番で
曲をカットするかもしれないと
ギタリストさんには
伝えて居た位に厳しかった。


だけどカットしなかった。

予定通りで突っ切った。



辛かったけど
自分で決めた事だから遂げたかった。




どうしても
歌になって居ないと思った
楽曲も在った。


息継ぎが
まともに出来なくて声にならない。


苦しいだけ。
苦しいだけ。
苦しいだけ。


それでも
なんとかステージを終えた。





客席には
大好きな人達が居てくれた。

見守って下さって居た。


初めてお目にかかるお客さまも

目が合えば笑顔を下さったり
頷いて下さったり。


観て居て下さった共演の方も
突っ込んだりしながら
見守って下さって居た。



あったかいその空気に
とてもとても救われた。



まささんが
この日も
月下陽香のライブを
写真として残して下さった。






この夜
そこに私はリベンジを掲げて来た。


次も無いままで
苦しみを引き摺って
何か月もを過ごすのは
苦し過ぎるから


今回は

自分が
納得出来て
楽しかったって思える夜にしたくて
たまらなかった。



だけど
体調も立て直せなかったし
歌もボロボロだった。



ステージに
自分で
合格点は全くあげられなかった。



悔しかった。
悲しかった。



だけど

ライブ出来て良かったと思えた。


だから

もし
次のステージを頂けるのならば


息継ぎが出来るように

それまでに
また
治療を続けてゆけたらと祈った。

【「失うばかりでわからなくなって。」(2015.6.29)】





ステージが終われば
もうくたくただった。


しんどくてたまらなかった。



とにかく
早く着替えなければ
最後の出演者さんを観れない。


汗をかいて
喉もカラカラ。



立って居るのも辛くて

早く
空調の効いた中で
座りたかったけれど

なんだかバタバタして居た。



最後の出演者さんは
半分も観れず。

しかも
観ながら
荷物を片付けなければいけないと言う
失礼な観戦をしてしまった。


でも
意識は
ステージに向けて居て。


つられて
笑ってしまうような雰囲気のステージは
心地よかった。







全てのステージが終わった後は
1時間弱程だが
終電まで
お店で過ごせる時間が在った。




いつも
気に掛けて下さる
大好きな方々と話した。



このブログも
いつも
きっちりと呼んで下さって居る方々。


私の事を
とても
大切に想って下さって居る方々。




この夜は
いつも以上に
心配も沢山して
駆け付けて下さった。

本当に。

私を想って
心配して
会いに来て下さった。





そのおひとりは
ミュージシャンでいらっっしゃる。

私は

その方のステージを
何度も観て居る。


その方の文字も
ずっと見て居る。


大きな信頼をしてる。



とても辛そうな私にも
とても辛そうな月下陽香にも

その方なりに
色々と考えて下さって
感じた事や思った事を
お話下さった。


それは

私が
前年の末ごろから
薄っすらと描き始め

この年の始めり頃から
これから先は
そうしてゆきたいと

思って居た江面
そのものと言ってもいいような内容だった。


やはり
この方は
私の事を
とてもご理解下さって居ると思え
有難かった。




ただ。

今の私には出来ないと
私は思って居た。

一度に多くを起こせる
体でも環境でも無いのだ。

どんなに頑張っても
今は無理だ。



だから

私は

まず 
ここに書き始めた
過程を綴る記事を書き終えてから

身体をケアしつつ
環境を整えつつ
新たに始める準備をしようと思い


日々
時間を掛け
労力を注ぎ

まずは書いて居た。

今日もこうして書くように。

必死で書いて居た。



決めた所までいかなければ
次には進めないと。
目指して書いて居た。




だからその事を伝えた。


ただ。
この日のこの時の私は 
もう最悪な体調で
頭も上手く回らないし
話す事も苦しい状態。


だから
ちゃんと伝えられなかったのだと思う



自分なりには


自分なりに
その事には気付いて居て
その方向へ向かう事は
考え始めて居るけれど


「今は無理なんだ」と

伝えたつもりではいたのだけれど・・・。



どう伝えても
話はそこで終わらなくて。


何度も
同じ話が
繰り返し
投げ掛けられてしまう感覚を
覚えてしまって居た。






活動の裏側に
直面するような会話は


出来れば
ミュージシャン同士でして居たい。

信頼できるミュージシャンと
ちゃんと話したい。




なぜなら


観に来て下さる方々は


友達で在れ
恋人で在れ


会場では

お客さまだと
私は思って居て。



お客さまには

サプライズを
いつ
もどこかで
考えて在りたいから


裏側の
構想と言うか
企みと言うか


そう言った話は
聞かせたくはない。


特に
今後の展開は
伏せておきたい。




しかし
そこはライブ会場の店内。


私の事を
もう
ずっとずっと前から

その日
そこに居た人達の
誰よりも昔から


応援をして下さって居て


今では
大切な友人の1人でも在り


私みたいな人間の事を
大好きで居て下さる方も
駆け付けて下さって居た。




同じ店内の
同じ席に居る
顔馴染みだ。


となれば・・・。



会話は
自然と
その方も
交えたものとなるだろう。




お2人ともが
私を想って
一生懸命だ。


お2人が
互いに賛同しあい
私に話をして下さる。



だけど


同じ事を言って居るようで
話の中身が違う。





ミュージシャンの目線で
気に掛けて
話してくれる方と


ファンだと言って
応援下さり
話して下さる方と。



それは


経験から
色々なやり方の提案を下さる方と


して欲しいなと思う願いも
織り交ぜながら
次々と
問いかけてくれる友人と。 



話の議題は同じでも

それぞれの
目線と要求が違うから

話はちぐはぐにもなる。





その日
私に対して

本当に
大きな
ご心配を下さって居た分も 
話は熱を帯びてゆく。



だけど
私は

その時
とても辛くていっぱいいっぱい。




「わかってる」と

「だけど
 今は無理だから待って欲しい」と

何度も繰り返しても


同じタイトルの
ふたつの会話が


同時に飛び交って
問い詰められているようで


絶不調の私の思考は
全く付いて行けなくなる。


申し訳ないのだけれど
考えられなくなってしまう。



近くには
他にも
駆け付けて下さった方も居られ


話すなら

その方もわかる会話で
交えて…と

気になるのだけれど


それも出来ない雰囲気と言うか

私の思考が
全く
そこへ切り替える事すら出来ずに
止まってしまい


他のお客さまを
ほったらかしにもしてしまった。






終電ギリギリの電車の時間となり
お店にも
適当な挨拶だけで飛び出して駅へ。



帰り道は
店内でお話をした方々と駅で会えて
途中まで一緒だった。



月下陽香のライブで
お知り合いになって下さったおふたり。


お2人共に
日頃から
とてもお世話になって居て
私を愛して下さって居る。



この2年程の月日の後に


3人で並んで
電車に座って居る光景は
不思議だった。


未来はわからないんだなと思った。



だから
もしかしたら
まだもう少し

月下陽香は
頑張れるだろうかなんて
夢も見たくなった。



とっても嬉しかったのだけれど



会話は
店内からの続きに行き着いてしまい


どうしても
どうしても


その日の状態の私には
飲み込めなかった。




ひとりになってから
一生懸命考えたけれど

考える程に苦しくなってしまった。





その日の私は
本当に辛くてたまらなくて。


今日言われても無理だよって
私の心の声は言う。


すると
もうひとりの私が言う。


貴重なお時間を
心配して駆け付けてくれたんだよ。


きっと
凄く凄く心配して
何とかしてあげたいって思って

会場に来る前から
色んな事を考えてくれてたんだよ。


それなのに
なぜ苦しく受け止めてしまうの?







精神的に
ぐちゃぐちゃになってしまった。

消化が全く出来なくなったまま
日が過ぎて



数日後の練習で
ギタリストさんに話を聞いて貰った。


まだ
この段階では
私の精神は
もう滅茶苦茶なまま。



何も受け付けない程の
どん底の体調の中で

懸命に目指した場所で

やっと終えた途端に

一斉に
責め立てられるように
想いを述べられて

ぐちゃぐちゃになったまんま。




辛い想いを吐き出した私に

私の辛さも理解しながらの

理解を求めたい気持ちだけで
いっぱいになって
肝心な事を見失ってはいけないと
諭しも与えてくれた。



それにはとても納得が出来た。

その後も色々と考えて
やっと
想いは言葉になり始めた。




お話下さった方からは
とても優しい
有難いメールも頂いて居る。





この記事を書き終えたら
その方に送るメールを書き上げたい。
ちゃんと伝えたい。

お礼もお詫びも想いも。


私には
私の
事情も感情も在る事も。



それを終えてやっと


私は
この日のライブを終えるのだと思う。


それを終えなければ

この日のライブは
また
辛い記憶に塗られてしまうように思う。



それではいけないんだ。







この
6月28日のライブの後

月下陽香の
次のライブの予定は
まだ決まって居ない。



目指し立てる場所の無いままに
痛む練習を重ねる事には
もう疲れてる。


もう
そんな練習は耐えられないと

我慢できないと

感じてる。


だから
出来れば秋頃を目標に

どこか
歌わせて頂ける場所を
与えて頂ける機会が在る事を
願ってる。



ひとつ
お声を掛けて頂いたのだけれど

私が
電車移動で
自力で辿り着ける場所では無くて…。

残念ながら断念。


通える所で
ひとつ
決められたら有難いと願う。






今週は
仕事で練習は出来ないけれど

来週からはまた
目標の無い練習。




嫌だ。



だけどね。

これまでよりも
辛くない気持ちで居るんだ。


ほっとしてる。



持病の進行がとても怖いから
ケアもしたいし
新しい仕事も
まだやっと1ヶ月だしね。



それにね。

やっと。
月下陽香の
次の形を
具体的に考えられる所に
立ったかなって

今日思ってるんだ。







2013年から


月下陽香は


ステージの上でも



「摂食障害」と

「リストカット」
「自傷」を

掲げて活動をしてきました。


選んでそうしました。




私の歌は

暗い
怖い
痛いと


沢山の否定もされて
傷付いてきた中で


それを掲げる事で


なぜ
自分がそんな楽曲を生み出すのか
伝わりやすいようにも思いました。




私にとって


「摂食障害」と「自傷」は

人生の
ほとんどを埋め尽くすものです。





誰にも言えずに
隠し通し
苦しんだ20年間。


カミングアウトをし
止めたいと思い

でも

何度も何度も引き戻されて


それでも
向き合って
生きる事を始めた10年間。



その間には
名前までも変えました。




そして
私は
40歳を過ぎたこの歳になって


やっと


この3年間


自傷行為から
離れて生き始めて居ます。






摂食障害や
自傷の

始まりであった

小学校低学年のの頃から

現在の私に至る足跡を


2013年7月7日以来
ここに
記事としても書き続けて来ました。




関係の無い事も
音楽の事も
家族の事も

色々と書いて居ますが


その中で



摂食障害と
自傷癖と

共に過ごした足跡を


ひとつひとつ

記憶を呼び起こし
書き綴ってきました。





2013年の7月7日から

今日までに

648の記事を書きましたが

その内
過程を綴った物は
276記事になります。





正直辛かったです。



自分で決めて始めたのに。


何度も後悔もしました。



顔も名も明かさない人からの
酷い言葉も沢山届きました。

あちこちに貼り付けられて
異常者扱いもされました。


いやらしいスレッドに貼り付けられて
侮辱もされました。



知り合いの
からかいも
胸に刺さりました。



身近な人の否定は
深く傷付きました。




辛い記憶は

泣きながらでしか
記事にはなりませんでした。


書きながら
吐き気が止まらなくなる事も在りました。


狂いそうだと
真剣に感じた事も在りました。




それでも
途中で止める事は考えませんでした。



書き終える時には

必ず

私は


全ての自傷から
離れて生きるんだと


目指して書き続けました。



途轍もなく
膨大な時間も注ぎました。


命を掛ける勢いで書き綴りました。





そんな私の横で
ギターを弾き
共に
そんなステージに立って下さって居た

ギタリストさんには

誰よりも大きく感謝をして居ます。



共に立てば

同じ偏見にさらされる事も在るだろうに


私と一緒に居て下さった
ギタリストさんに感謝します。








私が綴って来た
全ての記事は
カテゴリに
振り分けて置いておきます。



同じような痛みに

満ちて在る誰かが

必要に思う時に
ご自由に


おそばに置いて頂けたなら
有難く思います。





私は
直接的に
何かを出来る訳では無いです。


でも。



こんな


摂食障害者が
自傷癖者が


実際にこの世に存在し


30年以上を掛けても

克服が出来た事



それは
医療に頼ってでは無い事を
ここに書き残しておきます。









過程を綴る記事は
今日

現在と手を繋ぎました。



私は


2015年の7月を生きて居ます。




今日は2015年7月7日。







これからは


なぜ
私が



あらゆる自傷から
離れて生きられるようになれたのか


その答えを


あくまでも
これは
私の経験の上での持論ですが

次のカテゴリに
書いてゆこうと思います。




想いが言葉になる度に

これは
答えのひとつだと思える記事は


書いて
このカテゴリに置いておきます。


私が今 
胸に感じる 

答えは 

ひとつではありません。


沢山在るんですよね。

だから
それら
ひとつひとつを

記事にしたい時に書いて


このカテゴリに振り分けておきます。

【「10・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(書き終えた私なりの答え)】※現在執筆中。


それは

これまで程に急がずに

その都度

答えは
日々
鮮明になるでしょうから

書き加えてもゆきます。



「きっとこれだ!」って
想う事は
ひとつでは無いし。


その都度の答えを
書いてゆくつもりです。






だって

まだ
答えは
どこにも
きちんと書いて居ないから。




だけど




過程を綴る作業は

今日で



おしまいです。








これからは

もう少し楽に

そして
マイペースに 

書いてゆきます。





もう少しの時間が過ぎたら
ランキングサイトから
離れる事も考えるかも知れません。



記事に注ぐ
膨大な時間を短縮したら
SNSにも
戻る余裕も
見付けてゆけるかも知れません。



出歩けない私には
それも
ひとつ「あり」だとも思います。





この数年は
過程を記事に書きながら


捨てて生きたように思います。




これからは

本当に欲しい物は
得る為に注ぎたい。




今よりも
正しく我が儘な
インナーチャイルドを目指したい。








とことん
私なりの
勝手な言い分ですが


頑張りました。



本当に。


めちゃくちゃに頑張って綴ってきました。



やっとこれから。



私は


残りの自分の人生が
今より
楽に穏やかに在れる事に
全力を注いで
生き終えたいと思います。









信じて読み続けて下さった方々に

心から感謝を申し上げます。

ありがとうございました。





これから書き始める
私なりの答えにも


もっとお気楽に
日々を綴る私にも


お付き合い頂ければ幸せです。

本当にありがとうございました。









私は
一摂食障害者で在り
一自傷癖者でした。



世の中には
本当に沢山の
摂食障害者さんや
自傷癖者さんが居られます。



原因も理由も想いも
捉え方も感じ方も

皆さま
それぞれにおありです。



私は医師では在りません。



克服に30年以上も掛けた
ええ歳こいたおばちゃんです。




やっと
克服し始めて3年の私には
何のチカラも無いけれど。



克服を望んで居られる

摂食障害者さん達や
自傷癖者さん達が



私のように

人生のほとんどを
苦しみ抜かずに


穏やかに生きて在れる未来に
早く辿り着けるよう
心から祈ります。



ありがとう。





ありがとうございました。







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焼き付いた悲しみを越えたくて。(辿り着けるまで・13)

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小雨が
時折降り落ちる
曇り空。


しばらく

色々と

考え過ぎてしまっているからか


消化器系の調子がイマイチだ。




癒える前に
また
次の傷が増えてくようで


どこまでを
我慢して
受け入れるべきなのか
わからなくなる。



深呼吸をして

自分にしかわからない

自分の
身体や
仕事や
心境や
環境を考えて


順番を決めるならば



まずは
毎日の仕事を頑張りながら

次に
日々の体調と
心境を
極力守りながら



ここに書いて来た記事を
書き終えたいと思う。




その後は

伝えなければならない方には
想いを伝え

そして
ここにも書いて来たように


自分の
これからを
自分で
考えてゆきたいと思う。

自分で
決める事が大事だ。


自分で決めるから
責任を取れるのだと思うから。












2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の0始まりから。」(20代後半頃の私)】
※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
※42の記事があります。

【「9・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(40代に向かう私)】
※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「キズを持ち痛みを知りて在る人たち。」(2015.6.23)】

【「不安で吐きそうな程に嘆く心に。」(2015.6.24)】

【「失うばかりでわからなくなって。」(2015.6.29)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「この痛みが誰にも伝わらないんだ。」(辿り着けるまで・10)(2015.7.3)】

【「それすらも自傷ではないだろうかと。」(辿り着けるまで・11)(2015.7.4)】

【「暗闇の中で目指す場所は。」(辿り着けるまで・12)(2015.7.5)】







今日も続きを書いてゆくね。



過程を綴る記事は

小学校の
低学年の私から始まった。



そして

その過程の中で


私は
2015年の4月を生き
5月に存在をしてる。

【2015年4月】

【2015年5月】







2014年の5月24日

2014年内で
たったひとつ
立てたステージは


私にとっては
余りにも
深い悲しみが焼き付いて



私の喪失感は
その
痛みを越えられぬままに
月日は
苦痛の中過ぎゆきた。




そして。


約1年ぶりとなる
2015年5月16日に


再び
板の上に立てる機会を頂いた。



月下陽香には
ひとつだけ
希望が与えられた。


出演は初めてのお店。

ギタリストさんとご挨拶にも伺った。

【「そこに葬り捧げ確かめるもの。」(2015.5.7)】



ステージに立てる実感に
心は震えた。


喜びだけでは無くて。

不安や恐怖にも震えた。






ステージに向けて
練習に励む日々。


私の中に
生まれた感情が在った。




それは

昨年の末頃から
想い始めてはいたものの


日々の
余りにもの痛みの中で

思考を
付き進められぬまま


それでも
自分が決めた所まで
辿り着けたなら


その後の月下陽香は
どう在りたいのか


問うて在った事への
答えに
少し近い感覚だった。




久し振りだった。


とてもとても
久し振りに。

この歌を歌いたいと。



ステージの流れがどうとか

CDに収録してるからとか

摂食障害と
自傷癖を掲げて居るからとか


そういう事に関わらず

歌いたいと


心が思った楽曲が在った。



自分の楽曲の中で
とても嫌いだった楽曲。



一般受けを考えて

ファーストアルバムに
収録はしてみたけれど

やはり
好きにはなれなかった楽曲。


なのに
とてもとても
歌いたくなった。



この歌が
好きだと


初めて思えて

歌いたいと思った。



5月16日に向かうんだ

ととても思った。

怖くても
辛くても
悲しくても。


そこに私は向かうんだ。



そして。


自分に芽生えた感情を

これから
静かに向き合って

自分の心の声を聞きながら
考えてゆくんだ。

【「嘆きに埋もれさせないで。」(2015.5.9)】






一生懸命だった。

物凄く。


大事に想いながら
ステージを目指した。


喜びも感じて
ステージを目指した。

【「キズグチに触れて選べば良い。」(2015.5.12)】

【「痛む悲しみに上書きを。」(2015.5.16)】






目指しながら
仕事も探し続けた。



本業は
幸いに
その月は大きな仕事が入って
落ち着いて居た。



ライブの月と重なったのは 
本当に有難いタイミングで。



私は
7ヶ月務めたバイトを辞めて
本業に注ぎながら

ライブの準備にも注ぎ



今後
また始めなければならない副業は
やりたい職業に就きたいと
望み探して居た。


7ヶ月以上
探しても無かったのに。

求人が見付けられた。

直ぐに応募をした。


一次選考に通り
二次選考は試験と面接。


やれる事は全てやってみたと思う。



それは
1年振りのライブの2日前。



それを終えてから

私は
ライブ前最後の練習に行き
当日を迎えた。





その日まで
懸命に積み上げて来たけれど

決して
良い状態で向かえられた訳では無い。



仕方ない。


もう
それが月下陽香だ。


好調で在るなんて
在り得ないと

思っておいた方が無難だ。



自分に
過度な期待を持つ方が苦しくなる。




どうしたって
悪化してくものと
共存しているのだから


不調に落ち込んで居たら
そこで止まってしまう。



何が在っても
ステージに立つのだから


今日を
受け入れるしかないんだ。



これまでだってそうだったんだし。



絶好調で
迎えられたライブなんて
これまでも無かったと思うし。



やりたい事をする上で

必ず
苦痛が共存する事には

もう慣れてるはずなんだ。





前年の
たった一度のライブの時には

すごく遠回りになるのに

ギタリストさんは
我が家の近くまで回ってくれて

しかも
外で長く待たされて

予定時間に間に合わず出掛けた。


看護と介護で
私が
どうにもならなくてね。
沢山外で待たせたの。



だから

この日は
私が
ほんのちょっーとだけど
遠回りして

ギタリストさんと合流して
一緒に会場に向かった。




到着すれば
マスターがあたたかく迎えて下さった。

何だか穏やかだった。

次第に出演者が集まって来る。


主催のHATTREATさんに
お会いするのも1年振りだった。

嬉しかった。
すごく嬉しかった。


久し振りに話せた時間が
新鮮でときめいた。

久し振りに感じた空気が在った。



リハーサルでは
既に体はやばかった。

今日の歌声は
厳しいなととても思った。




でも。

行くしかない。


板の上に。





早い時間から
お客様がご来店下さった。


悲しみが
焼き付いてしまった
1年前のステージを


観届けて下さった方々が
沢山ご来店下さった。


遠方からも
お忙しい中駆け付けて下さった。



とてもとても有難かった。




月下陽香を
忘れないで居て下さった方々に
感謝がいっぱいだった。
本番は体も震えた。




上手く動けなかった。
息も
途中でかなりやばかった。
身体にはかなり辛かった。


でも。


私は
ステージの上で笑った。


泣きそうにもなったけど
久し振りに
嬉しくて笑った。



この夜は

板の上で
ちゃんと笑えた。

【「深い痛みの向こう側へ。」(2015.5.17)】




1年振りの
たったひとつのステージが終わった。


次がまた無くなった。



次が無い苦痛に
飲み込まれる事に
怯えて居た
そんなライブ翌々日。


採用の連絡を貰えた。



【「付き纏う痛みに耐えられるように。」(2015.5.19)】




頑張ったねって

やっとこれからだねって

自分に言ってあげられた。


頑張ってるよねって。



どんなに苦しくても
逃げてないねって。

必ず形にしてるよねって。


身体が辛くても
精神的にきつくても
逃げてないよねって。





だけど
次のステージが無い事は

現実だった。



睡眠は
相変わらず細切れの日々。


せっかく
布団で眠れる環境を得たのに
もう何か月も
上手く眠れないまま。



そこには

沢山の
未消化な痛みが在る事は
自分でわかって居た。


そんな時に
ギタリストさんが
ライブの話を持って来てくれた。



月下陽香は
2年前にも
そのお店に
一度だけお世話になった事が在った。


とても素敵なお店だ。


ただ
その時のライブは


月下陽香には
辛いものとなってしまった。




私の中で
そこでの記憶は
傷んだままだった。

リベンジをしたいと思った。


目指す場所も無いままの練習も苦しい。

私は
そこに出演する事を決めた。

【「傷付いたのか。傷付けたのか。」(2015.5.22)】




もうひとつ
機会を頂けたステージにも
新たに始まる仕事にも
懸命に向かいながら
5月を過ごした。

【「全ての自傷までも己の選択だったのだろうか。」(2015.5.25)】

【「越えられぬ痛みの破壊力。」(2015.5.30)】

【「偏在が人並みを装う為に。」(2015.5.31)】






【2015年5月】



6月を迎え
新しい仕事が始まった。

懸命に注いだ。


仕事はとても楽しかった。

物凄く大変だけれど
楽しいと思えた。





でも
この頃


また
急に
呼吸が苦痛になってきていた。


呼吸器疾患が
悪化してる感覚が在った。



普通の動作では
苦痛は知れている。だけど


歌うとか
走るとか

そういう動作では
違和感がかなり在った。




少し先を描くと
強烈に押し寄せる恐怖は増した。

始まったばかりの仕事は
とても楽しいけれど
体力の消耗は厳しかった。


再び始まった
掛け持ちで働く生活。

練習に全力を注げない。





次のライブが決まって

そこに向かえる事は
心底から嬉しいのに

身体が全くついてゆけない。



ステージに立ちたいのに
立てるスケジュールが存在してるのに


立ちたいと望んで
決めた
得られたステージなのに

どこかで後悔をした。




こんな状態で向かって良いのか

現実を感じる程に
申し訳なくて後悔をしてた。

辛くて後悔をした。








6月は私の誕生月だ。

16日。



私は誕生日を迎えた。



もう
誕生日を
あえて祝うような歳では無い。




でも
今年の誕生日は
私にとっては特別な日だった。




昨年の誕生日は苦し過ぎた。


愛おしいものの命が
いつ消えてしまうのか
日々怯えて過ごしてた。


悲しみの中で迎え
過ごした誕生日だった。


だから
今年は
穏やかに迎えて
新しい1年の
チカラにしたいと願って迎えた。

【「召された日を間近に。」(2015.6.17)】






そして。1年の命日を迎えた。

【「悲しみを抱きしめ続けた月日に。」(2015.6.21)】

【「キズを持ち知りて在る人達。」(2015.6.23)】




1年が過ぎた。


やっと過ぎた。



喪失感と悲しみは
いつもこの胸に在り

沢山思い出しては
沢山泣いた

1年が過ぎた。




もう

昨年の今日の記憶の中に
愛おしいものは居なくなった。



きっと
やっと

また

始められると信じようと

自分に言い聞かせた。





持病の進行はとても感じて居る。

あちこちに
出掛けられるような体調でも無い。



相変わらず
行きたいと思う所にも
ほとんど出掛けられない。




それでも

2015年の誕生日と
命日を迎え



昨年は
悲しみに満ちて居たその日を

新たな年で
歳で
迎え

やっと


悲しみの記憶に

ひとつ
上書きを済ませて思った。






昨年よりも
きっと
穏やかで幸せだと。



身体が
動けなく歌えなくなってゆく
恐怖が日々育ちゆく。



それでも
一生懸命
日々働いて社会に在れる喜びは

前年よりも確かに在った。

【「不安で泣きそうな程に嘆く心に。」(2015.6.24)】







命日を過ぎ
ライブを控え


私は
やっと
再び

過程の続きを書き始めた。



4ヶ月に近い月日
立ち止まって居た記事を
書ける気持ちになれた。




この日から
今日に掛けても
続きを記して居る。

【「どんなに孤独な痛みでも。(辿り着けるまで・4)」(2015.6.25)】




そして6
月もあと僅か。

今年2回目のステージを迎えようとして居た。

【2015年6月】




続きはまた。








今日も
朝は5時50分起床だった。



いつも乗る電車は

時間も場所も同じ。


乗ってる人達も
いつも会う人達が多い。


朝の電車に乗ると

人それぞれの人生を感じる。




今日も働くんだと思う。


そこに
私も居られる事は嬉しく思う。




スーツ姿の人も
ラフな格好の人も
作業着の人も
色々。



それぞれに

今日の自分の役割を果たしに向かう。



明日も明後日も
私もその中に居る。



来週の木曜日まで休みが無いから
今週は練習も無し。




明日は
少しだけ出掛けられるかな…

七夕のイベント。


翌朝も早いから
外食どころでは無くて
イベントだけ
ちょっと見るだけ。


行ける体調だったらいいな…。





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暗闇の中で目指す場所は。(辿り着けるまで・12)

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ふと気付いた。


新しく始まった仕事。


考えてみれば
入社から1ヶ月過ぎてたんだ。



早かったなぁ…

楽しいからだろうね。
大変なんだけど
楽しいから頑張れてる。



ちょっとした事も嬉しい。


勤務終了時間が重なった人と
駅まで一緒に歩きながら
なんて無い会話をしたりしてると
そこに馴染めてる事が嬉しい。


任される仕事が増えてくのも嬉しい。

毎日沢山の薬と会えるのも楽しい。


掛け持ちは体にはとても辛い。


でも

楽しいから
帰宅後の本業も頑張って向かえる。


この状態が続けば有難いなぁ…



月下陽香の予定は何も無し。

目標の無い練習だけ。


また
苦しくて壊れてしまうのかも知れない。



ただ。

今日の時点では
それについて悩んでは居ない。



今の月下陽香は
2年掛けた記事を
書き終える事に
向かって居る。



そして。


気持ちや考えや
想いを
ちゃんとお伝えしたい方が居て。


冷静に言葉を綴ろうと
メールを打ち始めた。



体調と付き合いながら
仕事をしながら

そして
記事を書きながら

こぼさずに伝えたいから

数日をかけて
したためている。













2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の0始まりから。」(20代後半頃の私)】
※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
※42の記事があります。

【「9・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(40代に向かう私)】
※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「キズを持ち痛みを知りて在る人たち。」(2015.6.23)】

【「不安で吐きそうな程に嘆く心に。」(2015.6.24)】

【「失うばかりでわからなくなって。」(2015.6.29)】




過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「孤独な痛みは誰にも伝わる訳が無いのに。」(辿り着けるまで・9)(2015.7.2)】

【「この痛みが誰にも伝わらないんだ。」(辿り着けるまで・10)(2015.7.3)】

【「それすらも自傷ではないだろうかと。」(辿り着けるまで・11)(2015.7.4)】





過程の中の私は

2015年の2月を生き始めて居る所に在る。

【2015年2月】



2015年が来れば
きっと
もう少し楽に生きられるはずだと
祈るように待ち侘びた新年も

開けてみれば
日々は苦痛に溢れて居た。



毎日は
バイトだけでも
くたくたで

それでも本業も続け

家事をすれば

心身共に
襤褸布のようだった。



次のステージも決められず
目指す場所も無いままに
使い果たした身体で


痛みや
息苦しさに耐えて
練習する事も

辛くてたまらなかった。



少しでも
体力がつくように
呼吸の練習も兼ねて
毎日歩いた。


見慣れた景色を
晴れない心のまま
歩いてた。



日々
絶望は増してゆき
この胸一杯に広がって行った。

【「絶望の日々。」(2015.3.6)】

【「疲れ果てた私。」(2015.3.8)】





前年の5月に
ステージに立って以来

月下陽香は

ライブもしなければ

音楽関係の店や
イベントにも

知り合いのライブにも
行かなかった。



2015年が明けてから
一度だけ
ライブに伺ったが

それだけだった。



精神的にも苦しいが

日々
使い果たして働いて居る私には

遊びで出掛ける余裕なんて
無かった。



一生懸命働いたら

自分の自由の為に使う
時間も体力も残って居ない。


悔しくも在った。



ここまでの苦労をして
働かなくとも
遊んでる人達は
鬱陶しくも思えた。



益々孤独に感じた。


私の痛みは
いつも誰にも伝わらないから。




そんな時に
月下陽香のギタリストさんが
ライブに出演する事となった。


彼は
私と共に活動をして下さって居るが


月下陽香だけで
弾いて居る訳では無い。と



ても人気者で
とても上手い彼は
あちこちで活動して居る。



前年の5月の
大変だったライブの帰り道

遠いのに
車で送って下さった方と共に
出演をすると聞き
伺ってみようと思った。


行った事の無い場所。


電車に乗って出掛けてみれば
少し気分も変わるかなと思った。


初めての場所でも
現地に着けば
ギタリストさんも居るし
行ってみようと思った。



だけど

そこで
私は
更に深い絶望に飲み込まれてしまった。



誰かに
何かされたり言われたり
した訳では無い。

そこでは
皆さま優しくして下さったし
良いライブで素敵な夜だった。


だから苦しかったのかも知れない。


辛くてたまらなくて。
耐えられなかった。

【「寂しさに狂う。」(2015.3.9)】





2013年の七夕から
書き続けて来た

摂食障害と自傷も過程を綴る記事は


この頃から
書けなくなって居た。


過程の中の私が

直ぐそこまで辿り着いて
書けなくなった。




そこに在る痛みの数々は

まだ
余りにもリアルで


実際に

じゅくじゅくと熟れ
ズキズキと痛んで在り


私は
まだ

それらを
直視して文字にする事が出来なかった。



3ヶ月を越えて
4ヶ月近く

続きを書き事からは
離れて記事を書いた。





精神は落ちてゆく。


歌が苦痛に満ちてゆく。



昨年末から
薄っすらと
描き始めた

今後の展開も


余りにも
非現実的に想えても来る。



睡眠薬頼りの眠りも
安定しない日々

【「絶望は精神的死。」(2015.3.11)】



眠れない理由は
いくつも在る事を
日々感じてた。


そのどれもが
未消化のまま
私を苦しめて居た。



とてもハードな仕事の掛け持ちに
連日の不眠はとても堪える。


睡眠薬に頼りながら
細切れの睡眠を得て
過ごして居たが

ちょっとしたパニックを起こし


もう
睡眠薬も使ってはいけないんだと思った。

益々眠りも難しくなった。

【「壊れ狂う夜。」(2015.3.14)】





日々に感じて居たのは

悲しみと我慢。


そして
積もり積もって

朽ちゆく心。

ストレスは半端なく膨れ上がった。

【「耳鳴りのような奇声を上げて。」(2015.3.26)】





もう駄目だと思った。

もう限界を超え過ぎて居た。



その頃

前年の5月のライブに
共に出演をして居た

月下陽香とは
これまでにも
多数のイベントをご一緒下さって居る

HATTREATさんから連絡を頂いた。



HATTREATさんの
ブッキングライブイベントに
出演のお誘いを下さった。


HATTREATさんなら


月下陽香が
摂食障害と
自傷を
掲げたステージを今はして居る事も
知って居て下さる。


私の事も
ギタリストさんの事も
知って居て下さる。



私が
とても大好きで
尊敬している
ミュージシャンでもいらっしゃる。



出たいと思った。


HATTREATさんのお誘いなら
ユタカさんがご一緒下さるなら
きっと大丈夫。


月下陽香は
もう一度立てるはずだ。



直ぐにギタリストさんに相談した。

ライブに出るか出ないか
決めるのは私だけれど
スケジュールは
彼にも都合が在るから
確認をした。


彼は大賛成だった。



月下陽香に

たったひとつ
1年振りのライブが決まった。




嬉しかった。

物凄く嬉しかった。



心の中で
ずっと降り続けた雨が
上がったようだった。



体調はずっと悪い。

仕事と家事と通院をすれば
相変わらず遊びにも行けない。

日々のどこにも余裕なんてない。



だけど

何よりも辛かった
目標も無いままの
痛む練習から

解放された。


辛い練習に
意味が持てた。

それが何より嬉しかった。

【「召されて骨となれど。」(2015.3.20)】





前年の
たったひとつのライブの後

私は

一度
ユタカさんに感情をぶつけた事が在った。


それをした私は
正しいとは思えなかった。

そんな事が在ったのに


彼は
月下陽香に
救いの手を差し伸べて下さった。

有難かった。

【「植え付けられた悲しみの行方。」(2015.3.22)】





5月にはライブが決まった。

そして
5月納品の大きな仕事が入った。


5月に
やり遂げなければならない事が
2つも出来た。



目指して生きられる生活が
少しの間だけ得られた。


ハードな副業も
もう限界だった。



やはり
やりたい仕事がしたいとも思って居た。


5月を目指して

バイトを辞めて

資格まで取得して
やりたいと思って居た仕事を
探そうと思った。


バイトは4月で退職を決めた。

【「キズグチを吐き出して。」(2015.3.27)】







2015年の3月も終わろうとして居た。

【2015年3月】


仕事の掛け持ちもあと1ヶ月。


それを越えれば
5月は
本業だけで
目標に向かえる。


あと少しだと言い聞かせ
4月を生き始めた。



毎日のように
歩く事も欠かさなかった。



ステージに立ちたいから
毎日毎日
ただただ地味に耐えて続けた。





2015年の4月。


私には
ひとつ目指して居た場所が在った。


とても会いたい女性が居て。

そこに行けば
お会い出来る事を知った日から
そこを目指して居た。



音楽のある場所に
行こうと向かうのは
この年ではやっと3回目。



電車と徒歩での移動は
私の身体では
まだ
片道1時間程がやっと。


それ以上になると
疲れ過ぎて

その後数日がとても辛く

上手く維持出来なければ
寝込んでしまう事も在る。


目指して居るそこに辿り着くには
もう少し動ける身体が要る。



こつこつこつこつ
毎日積み上げて目指して。

その日を迎えた。



小さな小さな一人旅。


楽しかった。
とても楽しくて嬉しかった。

【「そこには必ず悲しみが在ったんだ。」(2015.4.23)】


ここに辿り着けた事は

私にとってはひとつの自信になった。


ここまで来れるようになれた事は
心に大きな力となった。


そこで会えた方が
握って下さった手に伝わる

彼女の指先の冷たさは
優しくて温かだった。




毎日を積み上げながら
私は4月を生きて居た。

【2015年4月】





約7ヶ月務めたバイトも
退職し
5月を迎えた。


ゴールデンウイークは
ギタリストさんと出掛けたりも出来た。

【「死を目の前に何を思おうか。」(2015.5.4)】




【2015年5月】

月下陽香は
1年振りの
たったひとつのステージに向かって居た。



続きはまた。









過程を綴って来た記事は

もうすぐ
そこまで来て居る。


手を伸ばせば届きそうな過去。


つい先日のようだけれど
何か月も前のようにも思える。



もうすぐ今日と手を繋ぐ。




どれだけの時間を費やし

身体と心を注ぎ

思考を巡らせ

痛んで泣いて

やっとここまで来れたのだろうか。



あと少し。

あと少しだ。



そこまで辿り着いてから
私は次を考える。




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このぶろぐ。
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それすらも自傷ではないだろうかと。(辿り着けるまで・11)

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今月は
また検査が在る。


前回よりも
色々と面倒くさい大きな検査。



今朝の通院で
薬を変えてみた。


ちょっとは
楽になったら有難いんだけどね。




毎日に
楽な事はとても少ない。


私の
性格や考え方も
災いしての結果で在ろうけれど


しんどい事の方が多い。



精神科では無く
内科の主治医に言われる。


「もっと適当に生きて良いんですよ。」




常に
一度に
多くを考え過ぎてしまうから

疲れ果ててしまうのだと。


その上
その思考の中では


常に
自分を押さえて
我慢してしまう癖が

追い詰めて
破裂して


また自分を責めて


壊れてしまうのだと。



あちこちに
気が付き過ぎる事に
気付いて

意識して

気にしないとか
見ないとか 
考えないとか

練習してみてはどうかと。



持病は治りはしなくても
今より
生きる事は
きっと楽になるよって。





せっかく
副業も
やりたい職に就けて
順調なんだしね。



今ね
バイトはすっごく楽しいの。


出勤する為に
物凄く苦労してるけど
仕事は凄く楽しいの。



以前
同じ職種の仕事をしてた頃は

担当が
今とは違って

基本事務職だったけど


今は
現場に居て
作業してるから

面白いんだよね。




白衣には
ポケットが3つ在って。


以前は

ハンカチや
あめ玉以外の
仕事で使う道具は



印鑑とメモ帳と
ボールペンと
指サックだったのね。


今は
印鑑とメモ帳は同じだけど

他は

シャープペンシルと
油性ペンと
計算機と
ハサミと輪ゴム。



あっという間に
5~6時間が過ぎてく。


仕事の掛け持ちは
身体には物凄く辛いけど
楽しいから頑張れる。



突然の時に
お薬も直接買えるから
とっても有難い。













2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の0始まりから。」(20代後半頃の私)】
※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
※42の記事があります。

【「9・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(40代に向かう私)】
※現在執筆中。






時に過程の続きから離れて
現状や想いを記しながら。

【「キズを持ち痛みを知りて在る人たち。」(2015.6.23)】

【「不安で吐きそうな程に嘆く心に。」(2015.6.24)】

【「失うばかりでわからなくなって。」(2015.6.29)】




過程を綴る記事は
現在の私へ繋がる時代に辿り着き
書き続けて居る。

【「焼け付く悲しみを刻まれて過ぎれば。」(辿り着けるまで・8)(2015.7.1)】

【「孤独な痛みは誰にも伝わる訳が無いのに。」(辿り着けるまで・9)(2015.7.2)】

【「この痛みが誰にも伝わらないんだ。」(辿り着けるまで・10)(2015.7.3)】




過程の続きを
今日も書いてゆくね。






過程の中で
私は
2015年を迎えた頃に存在をしてる。



やっとの想いで
迎えた2015年だった。



前年は
5月に
一度だけ
ステージに立って以来

ライブも出来ずに過ぎた。



命を看取り
仕事も失くし

身体にも
心にも多くを失くし


ただただ地味に
毎日を積み上げて過ごし
迎えた2015年だった。




前年に出演した
たった一度のライブは

私の精神には過酷過ぎた。


自分で選んで決めたのに

大きく焼き付いた悲しみに
後悔をした。



その悲しみを
越える事が出来なくて


私は
次のステージも
決められなくなった。




歌いたいけれど
心にも
体にも
もう苦し過ぎた。




自分が
板の上に立てなくなると
人のステージを観る気にも
ならなかった。



歌えない現状を
思い知るだけなのに
身体に
物凄い無理をしてまで
そこに行こうなんて
思えなかった。



私は
どのライブにも
イベントにも
音楽関係の店にも
行かなくなった。



前年5月のライブ後

どこにも行かずに
月日を過ごした。


年が明けてやっと。


ひとつだけ

ライブ観戦に出掛けた。
大好きなデュオの方のライブ。

ギタリストさんと出掛けた。

久し振りに感じるライブの音。
そこに居る私の胸には
羨みや妬みは無かった。






前年の末ごろから

私は
月下陽香の
今後の在り方について

考えて居た想いが在った。



月下陽香は
2013年からは

ステージの上でも

摂食障害と自傷癖を
掲げて立つようになった。



そして
このブログに
その過程も綴り始めた。


ランキングサイトにも参加して
記事を書き続けて来た。


そうする事を選んだ私には
辛い出来事が次々と起きた。


ここには書かない事も
見せない所も
問題は沢山起きた。



それでも続けて来た。


クリックで応援して欲しいと
お願いまでして
始めて置いて

辛くなったから
嫌な事が在ったから
もう止めるなんて

出来ないと思ったし


そんな
半端な覚悟で始めた訳でもなかったから。




始めた想いや
理由は
これまでにも書いて来たけれど。



書き続けてきた中で
固まって来た考えは


私は

自分の人生に
ひとつのケジメを付けるのだとも思った。




なぜ
私が

摂食障害者で在り
自傷癖者となって
長い年月を生きてしまったのか


過程を書き綴りながら


自分なりに
分析と理解と消化を
その都度
繰り返してきた。



近い未来に
記事が現在に辿り着いた時には

自分なりの答えが
きっと記せるのだろう。



記せると言う事は

自分が

やっと

人生の半分以上を
囚われて生きた
摂食障害と自傷癖に

別れを告げて
生き始められるのだろう。





そこまで辿り着き

自分なりに掲げて来た
約束を
果たせたならば。




月下陽香は
今のスタイルを変えてゆきたい。




それは

月下陽香として

月下陽香のまま
変化する事を選ぶのか


違う何かに名を変えて
新しく始めるのか



それとも
ふたつを使い分けて進むのか


それらはまだわからない。


その時にならないとわからない。



その時の気持ちも
体調も環境も
左右するだろうから
詳細はまだわからない。



でも
まだ歌って在れるならば


残りの音楽人生では

私は
もう
楽な気持ちで
歌を歌ってみたい。




そんな想いが
自分の中に生まれ始めて居た。




でも
それはまだ
余りにも
空想や想像に近いような
おぼろげな思考であり


上手く言葉に出来る所までも
進化もしては居らず

具体的な構想も無い


ただの
生まれ始めた想いでしかなかった。



だからこそ
私は
このステージを観に行かなくてはと
考えたのだと思う。

【「悲鳴を上げて壊れそうだから。」(2015.1.19)】



眠れない夜は続いた。
狂いそうな夜は続いた。



きっと
少し楽になると
待ち侘びて
待ち焦がれた2015年は


未だ越えられぬ
悲しみを抱きしめたまま


日々
地味な努力と労力を
使い果たして我慢して


密かに
描き始めた
未来の江面を

模索してはみても


ストレスは溜まる一方で
とても苦しんで居た。

【「剥き出しのキズグチ。」(2015.1.30)】




2015年は酷く痛むままに
あっという間に1ヶ月が過ぎたて。


ストレスは
この胸の中で
ブクブクと醜く太り続けた。

【「キズグチに埋め込まれた地雷。」(2015.2.1)】





前年の終わり頃に起きた出来事。

【「垂れ流す偏在な毒の華はイキザマだから。」(2014.11.26)】


そこで吹き出してしまった感情も
欠片理解も出来ぬまま
痛く熟れ続けた。

【「斬り付けて抉られたのは腹を見せたからなのか。」(2015.2.2)】




続きはまた。








この週に
私には

飲み込めない感情を
呟いては消した
数日間が在った。



ギタリストさんに聞いて貰ったり

自分に問うたり
繰り返して


やっと
気持ちの中には
冷静な部分が
出来始めたのが

今朝だった。



感謝も喜びも
そこにはものすごく在ったのに


一体
何が
あんなにも苦しくさせたのかも
見えてきた。



その日の流れの全てが
歯車の
少しずつ狂いゆく状況にあった事も

動画をみるように
静かに
記憶を捲りながら

感じられてきた。



想いが強く溢れるほどに
次第にそれぞれが
思い思いに暴走してたようにも感じる。



表現が出来なかったり
受け止め方が違って行ったり。


わかるけれど
されたくない事が在ったり

わかるから
してあげたい事があったり

わからないけれど言
いたい想いも在ったり。



結局は

全部の想いが
違う方向に
突っ走って居たようにも見えて来る。



やっと
静かに巡らし始めて


お礼も
お詫びも
想いも

ちゃんと伝えないといけないと

考え始めた今日


パソコンには
メールが届いて居た。



始めから
こうして話せば良かったんだなって
とても思った。



お返事を大事に書きたいと思う。


数日を
かけるかも知れないけれど

書きたいととても思って居る。






外はしとしと雨降り。




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この痛みが誰にも伝わらないんだ。(辿り着けるまで・10)

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昨日の練習に
持って行ったお菓子のひとつは
かっぱえびせんだった。


このキャラクターが
面白くて好き。




キャラクターと言えば

朝日放送の「エビシ」?


とっても興味が在る。

とってもとっても気になる。



出勤日の朝は
5時50分に起きる。


“おはよう朝日です”が
終わった頃に出掛ける。



じっくり
テレビを観てなんか居られないけれど

そこに出て来る 

ピンク色の
えびっぽいキャラクターが


とっても気になって居る。






夜な夜な


痛みを
呟きに吐き出しては

翌朝には
消した数日。


とても苦し過ぎた。


そうしなければ壊れると感じた。



昨日は
ギタリストさんに
話を聞いて貰った。




ライブの後から
ずっと
苦しんで居た事の

状況を説明して

気持ちを聞いて貰った。



ボロボロの精神状態だったから
聞いて貰いたかった。



状況を
理解して聞いてくれた。


だから
数日振りに
少し楽になれた。













2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の0始まりから。」(20代後半頃の私)】
※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
※42の記事があります。

【「9・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(40代に向かう私)】
※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「キズを持ち痛みを知りて在る人たち。」(2015.6.23)】

【「不安で吐きそうな程に嘆く心に。」(2015.6.24)】

【「失うばかりでわからなくなって。」(2015.6.29)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「敷き詰められてしまう痛み。」(辿り着けるまで・7)(2015.6.28)】

【「焼け付く悲しみを刻まれて過ぎれば。」(辿り着けるまで・8)(2015.7.1)】

【「孤独な痛みは誰にも伝わる訳が無いのに。」(辿り着けるまで・9)(2015.7.2)】







過程の続きを書いてゆくね。


今日は
少しだけになるけど

書くね。






過程の中の私は
2014を終えた所を
生きて居る。


多くを失った1年だった。



これまでの
どの年よりも
悲しみの深い年だった。



命を看取って以来
一度もステージに立つ事は無く


持病の悪化を
少しでも遅らせる為の
治療を受け


コツコツと
体力作りにも励み

バイトも始め


日々使い果たして暮らした。




2014年もあと少し。


5月以降
ステージにも立てずに
今年が終わる事には

やはり痛んだけれど


ステージに立つ心境にも
なれないままだった。




そんな時に
大切に想って居た人に
された出来事に
大きく大きく傷付いた。

【「垂れ流す偏在な毒の華はイキザマだから。」(2014.11.26)】



許せなかった。


許そうと
許さなければいけないと

何度も自分に言い聞かせたが


煮え滾る程に怒りも覚えた。



それは
恐らくは
私が最もされたくはない事だった。



知って居ただろうに。


過去にも
同じような事をされて
とても傷付いて


未だ
トラウマとなり
痛んだままで在る事も


この方は知って居ただろうに。




大事な
特別大事な
友人のひとりだった。

その人の家族までもが
大切な存在だった。


とても大切に想って居た人に
された行為は


たまらなく苦しくて
腹立だしくて
許せなかった。



大きな裏切りだった。



一度だけ
メールで謝ってくれた。


だから
許さなければいけないのだと
必死で思い


長い手紙も書いて送り


何とか消化しようと
努力を重ねた。



だけど
気持ちは落ち着かぬままに
年末を迎えた。

【「傷に始まり傷を重ねて傷付いて終えるこの年に。」(2014.12.31)】





静かに年を越した。


自宅で
静かに
2015年を明かした。



元旦は早朝から出掛けた。



元旦に履こうと
毎日眺めてた
ヒツジのソックスを履いて出掛けた。

【「キズグチをあやすように。」(2015.1.1)】


出来れば
この年は
穏やかに暮らせるよう願った。


出来れば
前年よりも
ステージに立てるよう願った。


寂しさを越えられるよう願った。



この年の始まりを
とても待ち侘びて居た。



前年に
余りにも失い過ぎたから


新しい年になれば
少しは
何か変わってくれるだろうと


祈るように
待ち侘びて居た

2015年だった。





年始の
数日の休みも
その後も

日々コツコツと歩いた。



通院も
バイトも
本業も家事も

毎日一生懸命やった。



寂しさに飲み込まれてしまうから
懸命に動いた。



練習も続けた。




だけど
練習は
日増しに苦しくなっていった。



もう
何度も書いて来たが

歌う行為は

私には
どんどん苦痛になってきていた。



常に痛い。
常に苦しい。



それでも練習をするのは
ステージに立てるからだろうと思う。


そこを目指すから
痛みにも耐えられるんだ。




しかし
月下陽香には何も無かった。


先に目指す場所が何も無かった。



音楽関係の店などに出掛けて
出演の機会を
頂けるお願いに伺う程には

まだ
身体も回復出来ては居らず


どうすればよいのかも
わからなくなっていった。




歌う事が
嫌で仕方なくなった。

苦痛でたまらなくなった。


わーって
声を上げて
大泣きをして
放り投げたい程

歌が嫌になって行った。




バイトは大変だったし

ライブも決まって居ないのだし。



1月は
2度しか練習をしなかった。




それでも


ギタリストさんは
必ず
近くまで出て来てくれる。



寒い寒い中

雪がチラつくような日も
ギター背負って
単車に乗って来てくれる。




申し訳なかった。


申し訳なくて
たまらないのだけれど


歌う事が辛くて辛くて


2時間や
3時間の練習で
数曲しか歌えずに
終える事も多かった。



それでも彼は来てくれた。



月下陽香の練習日である
木曜日が来ると
彼と過ごした。



次第に
木曜日が怖くなった。


水曜日から
もう
胸が苦しくなってしまう。



自分が
月下陽香として
どうするべきかとても悩んで居た。



月下陽香は
何も出来ぬまま止まって居る。



私を裏切り傷付けた人は
変わらずに活動も出来て居る。



憎悪は増してしまう。


そうなる自分も責めてしまう。



私は眠れなくなった。


毎夜毎夜
まともに眠れなくなった。

【「限界だと泣き叫べたならば眠れるのだろうか。」(2015.1.23)】




続きはまた。





七夕のイベントに
お誘いを頂いた。


私の分も買って下さった。



行けるかな…



来週は出勤が多いから心配。

行けるように頑張りたいな…。










痛みを吐き出しては
消した数日。


とても苦し過ぎたんだ。


そうする事でしか
しのげなくて。



それも
正しいとは言えないが
そうして過ぎた。





どん底の体調に在る時に。

座って居るだけでも
大変な位に
辛い時。


時々酸素を吸ってなきゃ
苦しい程に辛い時。


それでも
一生懸命普通に振る舞ってる時に。



そこに
どれだけ
大きな優しさと愛が詰まって居ると
知って居ても


起きた出来事に
感情を処理が出来なくなって居た。



やっと今朝

少し気持ちを片付けた。


ギタリストさんが
状況を感じ取ってくれた事が


私の痛みを
少し整理してくれたように思う。






月下陽香は
独りでは何も出来ない。


弾いてくれる
ギタリストさんが居てくれて


出演させて下さる
お店様が居て下さって



応援して下さる
駆け付けて下さる方々が

いつも
支えて下さって居るから


月下陽香は活動する事が出来る。



感謝して居る。

本当に感謝して居ます。

私みたいな
我が儘で偏在な人間を

受け入れて
応援して下さる事

気に掛けて
繋がって下さる事

大切にして下さる事


本当に
心から感謝して居ます。


皆さまのおかげ。


本当に
全ては皆さまのおかげなんだ。






皆さまに生かされて
今在れる
私が


月下陽香として
活動するにあたって。


いつも考えて居る事があってね。




それは


どう在るかとか
どうなってゆくかとか

そう言うのは
私が決めるんだって事。


何がしたいのか
考えて選ぶのは

自分。


月下陽香のプロデュースは
私。

そして
時に相棒さん。

それだけ。




それでも

相棒さんでさえ

やり方や
選曲について
特別な意見はしない。



相棒さんが
演奏して下さってこその
月下陽香のステージでも

彼が

選曲に意見したりする事は無い。



私は
相棒さんには
色々な相談もするけれど


それに対しての
答えはくれても

意見は
押し付けないで居てくれる。


アイデアは沢山くれるけど
選択は任せてくれる。



これ以上は

たとえ
たった一人の
信頼できる相棒さんにでも


踏み込まないで欲しいと思う

ラインが

私には在る事を
とても理解して下さってるんだろうと思う。



だから
自分も気を付ける。


根掘り葉掘り問うたり
縛り付けたりは
しないようにしてる。




もし
仮に


誰かが言ってくれた通りに
従って
活動をしてみた時に。



仮に
それが失敗に終わっても

責任は
私が取らなければならないと思うから。


意見した人が
背負ってくれる訳じゃないでしょ?



大阪に来て
音楽活動に復帰出来てから
色んな事が在って。



言われる事を
我慢して
飲み込んで
従っても

責任だけが

私に残されて
苦しかった時期が
長かった事も在ってね。



だから

私はソロ活動に変化したから。


バンドでも
デュオでも無く



月下陽香は
相棒さんが居るけど
ソロなのね。



自分で決めて
自分で
責任を取らなければいけないと
思って選んでるんだ。





活動のあちこちに
苦痛を感じて在る現在も


そこで
何もせずに
嘆いて居るだけではなくて。



見せない所では
色々と試してもみてるのよ。


ただ
まだ
それらは


一々
報告をしたい所までは
到達をして居ないし


見せたくないから
見せないだけで。








私には

本当に幸せな事に
ご心配下さる方々が
何人も居て下さって。


とっても有難く思うのだけれど…。



こんな頼りない月下陽香でも
そう考えて
踏ん張って居るので


温かく
お見守り頂ければ
うれしいです。








さて。


月下陽香は
次のステージの予定が
全く無くなりました。



また
苦しい練習が続くんだよね。


でも
今は仕方がないとも思う。


身体も環境も
全ては少しずつだから。






私ね

2013年の七夕から綴って来た

摂食障害と
自傷の

過程を記す記事を


あと少しで
書き終えたいと思って居ます。



そこまで辿り着いても居ないのに

他に
手を付けられる程
毎日に余裕は無いしね。




カミングアウトして

ステージにも
掲げて

闘って立ってきた

私を


信じてくれて
答えを待って居て下さる
人達に向けて


ちゃんと記事を書き終えてから


初めて
次へ進んでも良いよって


自分から
月下陽香に
言ってあげたいなって思って


頑張って来たんだよね。




もう少しで

過程は
現在と手を繋ぎます。



これでも
物凄い苦労をして
書き続けて来ました。



こんな
我が儘な奴ですが

応援して頂けると
しあわせです。



お願いを申し上げます。




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孤独な痛みは誰にも伝わる訳が無いのに。(辿り着けるまで・9)

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これまでで

恐らくは
最も最悪な体調のままで


どんなに頑張っても

少しの回復も出来ずに
望む事になったライブは


先月の28日だった。




月下陽香にとっては


1年振りに
やっと辿り着いた
2つだけのステージの
最後のひとつだった。




月下陽香は
良い状態で
その日を迎える事が出来なかったのに


会場に駆け付けて下さった方々に

とてもとても救われた夜だった。


皆さまが居て下さらなかったら
笑う事は
もっと辛くてたまらなかっただろうと思う。



痛みも
息苦しさも
少しも楽にはならなかった。



ステージの上でも
痛くて息苦しい。



月下陽香には

現在

素晴らしい音を奏でてくれる
ギタリストさんが居て下さって居る。



彼が居てくれなかったら

月下陽香は
もう歌えないんだと思う。



この身体で
独りで

ギターを抱えて
弾きながら歌うなんて

無理だ。



自宅で
胡坐描いて

弾きながら

ぼそぼそと
口ずさむ位で
精一杯で

板の上になんて

立てやしないのだろう。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の0始まりから。」(20代後半頃の私)】
※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
※42の記事があります。

【「9・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(40代に向かう私)】
※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「キズを持ち痛みを知りて在る人たち。」(2015.6.23)】

【「不安で吐きそうな程に嘆く心に。」(2015.6.24)】

【「失うばかりでわからなくなって。」(2015.6.29)】




過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「死に怯えた記憶はまだ褪せないままに。」(辿り着けるまで・6)(2015.6.27)】

【「敷き詰められてしまう痛み。」(辿り着けるまで・7)(2015.6.28)】

【「焼け付く悲しみを刻まれて過ぎれば。」(辿り着けるまで・8)(2015.7.1)】







過程を綴る記事の中の私は
前回
2014年の秋に辿り着いた。



愛しいものを看取ったのは6月。


その後
日常を取り戻そうと

通院も練習も再開して
頑張ってみたものの
それは難しかった。




歌うと言う動作は

私の身体には

常に
痛みを伴う
息の苦しい
辛い動作となって居た。




少しだけ後ろ

ほんの3年程前までを
振り返れば



発声は

もっと楽で
伸びて
気持ち良くて


痛みは
当時も在れど


現状ほどの苦痛でも無く


たとえ体調が悪くても
精神的に落ちて居ても


今よりも
ずっと楽に
ライブをして居たのに。




歌う事は
当時も
既に辛くても


今よりも

ずっと

心地よくて
気分の良い
楽しい行為だったのに。




いつの間にか
歌うと言う動作は

だた辛いだけの動作となって居た。


歌う度に
身体を痛めて傷めて

心を落としてゆくんだ。





月下陽香は
練習を休む事を決めた。


練習を休み
治療をしながら

とても
地味に静かに

深い喪失感と
寄り添って
過ごした月日だった。



2ヶ月を越えて練習をしなかった。



やっと
鼻歌を口ずさめる自分になれた時には

季節はもう秋で
曼珠沙華が咲いて居た。   



続きを書いてゆくね。







喪失感は
日々
この胸に根を張り続けた。


深く深く根を張り


やがて
この胸に茂って行った。



毎日
寂しくて悲しかった。


悲しくてたまらないけれど
切りたいとは思わなかった。



様々な苦痛に襲われる度に
自傷行為で
それらを消化しなければ
在れなかった年月は

とても長い。

30年を越える。



傷付ける行為から
離れて生きられるようになって


この頃は
2年が過ぎた頃だったけれど

切りたいとは思った。



傷付けたいとは
とても思った。


切りたくてたまらないけれど
我慢をしてた。



けど
この頃は
物凄く苦しいのに
切りたい想いは
無かったように思う。


吐きたくはなった。

でも切りたくはなかった。




心には
希望なんて無いのに。


身体が傷付く絵面を
描く事も
しんどく思えた。






身体には
当面を維持してゆく為の
薬と治療が見付かったから


喪失感に
飲み込まれてしまわぬように


少しづつでも
動かなくてはいけないと思った。




とは言え
数年前のように

音楽関係の店に
遊びに行くような体調では全く無く


人のライブ観戦に伺えるような
心境でも無かった。



まず私に出来るのは
月下陽香の練習だった。



本当に有難い事に


自分の勝手で練習を休止し
自分の勝手で再開をしたいと言う私に


ギタリストさんは
付き合って下さった。



2ヶ月以上を過ぎて
彼の音で歌う練習を始めた。




腹から声を出す事は
一度も無かった2ヶ月。


始めは
声が全く安定しなかった。


自分なりも
発声を
身体が思い出せるまで

繰り返すしかなかった。



繰り返しながら

これまでの発声では
無理な事も理解した。




これまでも

手術や治療の度に 

それまで積み上げて
やっと身体に叩き込んだ
自分なりの
発声のスタイルを

変えて来なければならなかった。



何度も何度も


身体が
何かを失う度に

辛い想いをしながら
研究をし変えて来た。



観て
聴いて下さる人達に


苦しさが極力伝わらぬように


歌う自分が
極力痛みを感じぬように。



口の開け方や
首の角度や
息を吸い込む姿勢や間隔
足腰の踏ん張り

数え切れぬ回数


振り出しに戻されるように
繰り返してきた。



また
そこからの始まりだった。


仕方ない。


私が歌いたいならば仕方ない。
受け入れるしかない。



弾いてくれる人が居てくれるから
繰り返してゆける変化なんだと
とても思った。






月下陽香が
練習を再開した頃
大きな問題が起きた。



仕事でお世話になってきた店の
閉店が決まった。

自社ビルの建て替え時期でも在り
景気の低迷も在り


閉店となった。



それまで

実際に作品を見て頂けたり
打ち合わせの場にも利用できたり
展示会を開催したり


作家として働いてゆくに当たり

そこには
とても助けられた。



賃貸住宅に暮らし
そこの一部屋を工房として
創作をしている私には

とても有難い場所だった。



でも
そこが無くなる事となった。

【「朽ちたならキズグチには新たな種を。」(2014.10.7)】


そこに
大量に置いて居た作品を
引き取りに行かなくてはならない。


前もって梱包に伺い
後日取りに伺った。

【「嵐の中で始まり終わり。」(2014.10.14)】





サヨナラの多い年だと思った。

とても思った。


2014年は
失う1年なのかも知れないと
とても思った。



動ける身体
歌える精神

愛おしいものの命

長年の友人


サヨナラが
次々と突き付けられるように思えた。







夏に比べれば
身体は
何とか動けて居る。


生活も立ててゆかなければならない。


家でじっとしていても
喪失感に痛むだけだ。



やりたくて資格も取得した仕事に
再び就きたくて探したが

通える場所の求人には
出会えなかった。


求めた職種では
全く無かったが

自宅近くの
家族経営の会社の求人を
見付けた時に

行ってみようかと考えた。



初めての職種で
大変だろうけれど


外に出て
人と関わり
収入を得る事は

とても大事で必要な事だ。



面接に行けば
即日採用となり
働き始めた。

【「矛盾無き人を知り在れる事。」(2014.10.30)】



仕事はとても大変だった。

毎日ボロボロに疲れ果てた。

身体にはとてもとても辛かった。


それでも
外に出る事は
私の喪失感を
ほんの少し救ってくれた。

【「失うばかりでわからなくなって。」(2014.12.12)】



懸命に働いた。


時に
目一杯
ここに嘆きながら。


それでも懸命に働いた。



通勤路に居る野良猫に会う事が
当時とても楽しみだった。


毎日のように探してた。



私の
喪失感に満ちた心の穴に

一番
優しく寄り添ってくれた猫だった。

【「亡くした今年の最後に在りて。」(2014.12.19)】

【「キズグチに何を埋め込めるのか。」(2014.12.22)】

【「自傷も嘔吐も掲げ立ち続けて。(現在に向かう私・33)」(2014.12.28)】




遊びに行く事も無く

ライブの予定も無く


毎日は
使い果たして働いて

一生懸命歩いて


2014年が終わろうとしてた。





周りは楽しそうだった。


ライブやイベントで
知る人達は
皆楽しそうだった。



置いてきぼりだった。



そこに行ける
身体も
心も
持ち合わせて居ない私は


独り
置いてきぼりだと

感じずに在れなかった。




ステージも
楽しめる出来事も

持てないままの月下陽香は


ただ懸命に書いて居た。



記事だけは
ここに

懸命に書いて来た。



それはそれは

膨大な
時間と
体力と思考を注ぎ


命を削るように

記事だけは書き続けて来た。




ランキングサイトに参加して
過程を書き綴り始めて



知る人も知らぬ人も
始めはやたらご訪問下さり


知る人には
激しい賛否両論をされもしながら



それでも
応援を下さる知る人達は
クリックで投票下さったり
メッセージを下さったり

助けて下さった。



冷やかしもほとんどなくなり

訪問者数も落ち着き



知る人達の中にも
離れてゆく者も現れ



意見を
色々と述べた人ほど
その時に
自分が言った事を忘れて
自分を守った。




それでも
私は
私なりに


ここに
約束を果たしてきたと思う。



決意をして書き始め

どんなにすり減らしても
書き続けた。



最後まで
書き終えると言う

約束を


信じて読み続けてくれる人達にも

自分にも

嘘つきにならぬように。




孤独に痛みながら
書き続けて来た。



この年最後の記事はこれだった。

【「傷に始まり傷を重ねて傷付いて終えるこの年に。」(2014.12.31)】





続きはまた。







6月28日を終えてから。


体調は全く回復出来ず。
悪化してくばかり。

とてもとても辛くてたまらない。



ただ
仕事は楽しいから 
その時間だけは
そこに集中して
苦痛を少しだけ忘れられる。




本当に
物凄くしんどくて
調子が悪くて

それでも


仕事も家事も
ちゃんとしながら

いっぱいいっぱいだから



現状に
精神は追い詰められて
不安定で


静かに過ごして居たいと
ひたすら願ってる。




今日は夕方から練習。

少しの時間だけ。



身体は
歌えるような状況では無いけれど


来週は仕事で練習出来ないし

ギタリストさんに会えたら
少しは
気持ちが晴れてくれないかなって。



とっても思うから
練習する事にした。



ライブの
小さな打ち上げ気分で行けたらいいな。


お菓子持って行こう。



話も
少し聞いて貰えたら有難いなぁ…




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焼け付く悲しみを刻まれて過ぎれば。(辿り着けるまで・8)

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28日は

やっと
今年2回目のライブだった。



まささんが
この日のステージも
写真を残して下さった。



翌日

昨日の月曜日は

念の為
副業の方は
休みの希望を出しておいたから


朝6時前に起きる必要は無かった。



午前中はゆっくりして
午後から
本業をしようと思って居たが


余りにも不調で辛くて通院し
午後の仕事も翌日に回した。



結局は
大きくダウンしてしまった。



通院後も
少し動いては
座り込み横になり

痛みと息苦しさと
悲しみに


くたくたになって過ごした。



ゆっくりお風呂に入って
出てきたら

ギタリストさんからの
着信とメールが。



ライブを頑張ったご褒美を
持って来てくれていた。





お供えのお花と
大好きなエールと。



シロツメクサみたいな
ピンク色の花は初めて見た。



シロツメクサを見ると

何だかうれしくなる私は
物凄く気に入ったのだけれど

名前がわかんないや。。






2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の0始まりから。」(20代後半頃の私)】
※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
※42の記事があります。

【「9・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(40代に向かう私)】
※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「キズを持ち痛みを知りて在る人たち。」(2015.6.23)】

【「不安で吐きそうな程に嘆く心に。」(2015.6.24)】

【「失うばかりでわからなくなって。」(2015.6.29)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「呪いをどう解き放てるのだろうか。」(辿り着けるまで・1)(2015.3.1)】

【「自傷癖を呼び戻す者を知れど。」(辿り着けるまで・2)(2015.3.2)】

【「キズグチを愛せた時に。」(辿り着けるまで・3)(2015.3.4)】

【「どんなに孤独な痛みでも。」(辿り着けるまで・4)(2015.6.25)】

【「選んで焼き付けた悲しみの痕。」(辿り着けるまで・5)(2015.6.26)】

【「死に怯えた記憶はまだ褪せないままに。」(辿り着けるまで・6)(2015.6.27)】

【「敷き詰められてしまう痛み。」(辿り着けるまで・7)(2015.6.28)】






前回の記事には

6月28日(日)の
ライブのご報告をさせて頂いた。



駆け付けて
見守って下さった皆さまに
支えて頂いて 


だから
耐えて終われたライブだったと

とても思う。



お店も素敵で
他の出演者様も
素晴らしくて優しくて


ギタリストさんも居てくれて



それでも
痛みと息苦しさに
辛くてたまらなくて。



良いライブしたくて
楽しい夜にしたくて

自分に沢山の声を掛けて


ギリギリまで
出来る限りの事をして。



やっぱりダメなのかなって
思ってしまいそうな私が
必死になって
探しまくった希望が


会場に
駆け付けて下さった方々の
存在


だったのだと思います。


ありがとうございました。





今日は
過程の続きに書き戻りますね。





過程の中の私は

2014年の夏に居る。


7年間

布団に横たわる事も
出来ない生活だった。



それだけ
看護は過酷だった。



介護と共に
埋め尽くされた
最期の2ヶ月程は


自分の通院も出来なかった。



市販の薬で
無理矢理誤魔化しながら
耐えて過ごした。



体調は
日々

悪化してゆく事を
とても感じて居た。




愛おしいものを看取り

私は


7年振りに
布団の上に
横たわる生活に戻れた。



やっと通院も再開した。



検査をすれば
持病は
かなり進行してしまって居た。


特に
呼吸器疾患は進行して居た。




私の肺は
80代の老人の
平均程の量しか
呼吸が出来なくなって居た。


吸いこめる量も減って
吐き出せる力も
弱ってしまって居た。



このまま放置すれば

近い将来
酸素ボンベを連れて
生活しなければならなくなる。



少しでも
現状を改善させて
今後の進行を遅らせてゆく為に


治療を受ける事にした。



看る立場を終えたのだから

自分のケアを真剣に始めた。



とても辛い毎日だった。




薬が合わなくて

毎日
吐き気と共に在った。


吐き気を止めれば
蕁麻疹が噴き出る。


繰り返し繰り返し。



毎日毎日
吐き気と蕁麻疹の繰り返し。


内臓にまで
蕁麻疹が広がって
呼吸困難になるほどの
酷い拒絶反応にも
耐えるしかなかった。

【2014年8月】




介護も看護も終わった。

布団で眠れるようにもなった。



静かになった家に
じっと居る事は辛い。


どこかに出掛けたい。


先に予定も立てたい。


やっと自由になったのだから
外に向かいたい。





月下陽香の練習も
看取るまでの数ヶ月は
ほとんど出来なかった。

やっと出来る2時間程でも

なかなか家を出られなくて

ギタリストさんを
待たせる事も多かった。





身体は
とことん疲れて

心は
深い喪失感に在った中

まずは練習をしようと思った。


ギタリストさんと過ごしたいと思った。



練習を始めた。

彼と過ごす時間は
いつも楽しいけれど
歌う事はとても辛かった。



顎の痛みと
息苦しさは

歌う事だけでなく

もう
話す事も辛かった。



歌えば思い出してしまう


悲しみの焼き付いた
ステージの記憶も
痛くてたまらなかった。



それでもがんばってみたけれど


次のライブの予定も無いのに
痛みに耐えて
息苦しさを我慢して
練習を続ける事に


私はついに耐えられなくなった。



しかも
毎日
とても辛い副作用に苦しみながら

それでも練習をしたいとは
もう思えなかった。



ギターを背負って
単車に乗って
我が家の近くまで
練習の為に出て来てくれるのに


2時間や3時間の中で
数曲しか歌えないような状況は


ギタリストさんにも
申し訳なくてたまらなかった。



もう駄目だと思った。

潰れちゃうなって。

歌が大嫌いになるなって。




私は
暫く練習を休みたいと
ギタリストさんに伝えた。


もう本当に。
本当にくたくただった。


もう
どんなに頑張っても
頑張っても

我慢が出来なかった。




予定では
とりあえず1ヶ月。


私は
歌わないと決めた。


歌わなくて良いと思うと
やっとひとつ
小さな安心を感じた。


歌えない焦りよりも
歌わなくて良い安心の方が
大きく感じた。


辛い治療にも安心して向かえた。



自分の治療で
誰かに迷惑を掛けなくて済むと思えたら
自分を責める感情が減って
治療を受けられた。




始めは1ヶ月のつもりだったけれど…


結局は
2ヶ月以上の時間
月下陽香は練習から離れた。





ほとんどを
自宅と病院で
過ごして居たような感覚。



どこかに出掛ける
体も精神も
見当たらなかった。


ただただ耐えた。
我慢するしかなかった。

そして
こつこつと歩いた。




看取るまでの数ヶ月は

息を切らして
必死になって
流動食等の買い物に走る以外は


基本的に
床の上に座って過ごしてた。



小さな身体に
目線を合わせて


床の上で
座ったりしゃがんだり。



うたた寝をする時もそうだった。




呼吸器が悪化して居る上に
足の筋力も落ちてしまって居た。


前職で傷めた膝の治療も始めた。



体力をつける為にも
呼吸の練習をする為にも

一生懸命歩いた。


出来るだけ歩いた。



通院や
スーパーへの買い物も
出来る限り徒歩で行い


毎日
少しでも必ず歩く事は続けた。




どんなに体調が悪くても
少しでも歩こうと
頑張っていた。




だけど
特別
外出が出来る状態では無かった。


人と会える心境でも無かった。





この年の夏

遊びに出掛けたのは一度だけ。


20年近い付き合いになり

看護と介護に苦しんで居た月日も
いつもいつも気に掛けて
助けて下さった方が
お誘いを下さったから。


その方のお誘いだったから
私は出掛けた。




誰の歌も聴きたくはなかった頃
自分が鼻歌も歌えなかった頃
人が楽しんでるステージなんか
観たくなかった頃



それでも
あの方の歌なら聴きたいと思えた方の
出演されるお祭りに
行こうと言って下さったので 


ギタリストさんも一緒に3人で出掛けた。




会場に着いて少しした頃

私が
この日聴きに来た
出演者さんがご来場された。


私を見付けた時の
その方のお顔と第一声は
とても覚えて居る。




その日は
がっつりステージを観ると言うよりも

ステージを観ながら
おしゃべりしたり
ビールを飲んだり。


じっと観るのではなくて

人の集まる空気を感じて
音楽に触れる事に
感じる怯えを忘れて


そこに在れる雰囲気に
とても救われた。



ライブハウスで
じっくり聴き込むステージなら

あの時の私には
耐えられなかったと思う。



悲しみが
焼き付いたステージで
着た浴衣を着て行った。

【「傷んで知るものを。」(2014.7.13)】



これは

この先の病状で
これからも
その都
度変えたり加えたり
し続けてゆくことだけれど



何とか
今の自分に合う
薬やケアを見付けられて


少しだけ歩けるようになって



鼻歌位は
時々でも
口ずさむようになれるまでには


2ヶ月以上の月日が過ぎてしまった。




練習の再会を考え始めて


まずは
ギタリストさんと散歩をした。


リハビリみたいな感じ。

家の近所を一緒に歩いた。

【「親死ね子死ねが咲く季節に。」(2014.9.20)】



季節は

もう
秋に辿り着いてしまって居た。


続きはまた。






ライブで頂いた桃。

昨日頂いた。
美味しかった。
とっても。




父と
電話での会話すら
避けて生きる事を選んだ
この2年半。



それまでの数年


この時期には
父から桃が一箱届いてた。



食べ切れないから
人に配るだけなんだけどね。



父の暮らす町には
美味しい名産の桃が在るからね。


特別
何かしてくれる人じゃないんだけど
なぜか桃は送ってくれてた。

何かのついでだったのかな?



私が
本気で限界を超えて

父を避けて生き始めて。

桃は届かなくなった。



別にね
そんなのはいいんだ。
それで良いんだ。



久し振りに頂いて食べた桃。
おいしかった。
心にも体にも。
美味しかった。



大切な人が
遠方から持って来て下さった桃。


この身体の
細胞の隅々まで
行き渡らせて命にしたい。




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敷き詰められてしまう痛み。(辿り着けるまで・7)

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一生懸命ケアをして来たけれど…。

回復は出来なかった。


どうしても無理だった。


ギリギリまで
体を休ませてから
会場に向かおうと思う。



息継ぎが出来ない現状を
どうか誤魔化せるように


どうか
心が折れてしまわぬように

どうか
笑って振る舞えるように


とてもとても願いながら

気持ちは
どんどん落っこちてゆく。



こんなにも苦しいのに
なぜ歌うのかわからなくなる。



今日の私は
完全に
それを見失って居る。


会場に向かう行為すら
しんどくてしんどくてたまらない。




きっと
今日のステージは辛い。


しんどくて辛くてやりにくい。

難しいだろう。



体も心も
ここまで疲れ切ってしまって居たら
辛いだろうとしか考えられない。



だからこそ

そこで


歌う意味を思い出せれば

想い起こす事が出来たならと

自分に言い聞かすけれど


自信はもうどこにも無い。


静かに目指そう。

出発まではあと数時間ある。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

6月28日(日)

大阪・あびこ  LIVE BAR 「 ビートイン 
(地下鉄御堂筋線「あびこ駅」2番出口から徒歩1分)

18:30 オープン  19:00 スタート

※ チャージ¥1000- (1ドリンク付き)
追加オーダーは ライブデーは オール500円です。


出演 : 月下陽香&井上タイキ
     Fujikazz・大和川三助・バグトル
    (ライブ終了は22時)

月下陽香は3番目の出演予定です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

宜しくお願い致します。






2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の0始まりから。」(20代後半頃の私)】
※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
※42の記事があります。

【「9・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(40代に向かう私)】
※現在執筆中。






時に過程の続きから離れて
現状や想いを記しながら。

【「キズを持ち痛みを知りて在る人たち。」(2015.6.23)】

【「不安で吐きそうな程に嘆く心に。」(2015.6.24)】




過程を綴る記事は
現在の私へ繋がる時代に辿り着き
書き続けて居る。

【「呪いをどう解き放てるのだろうか。」(辿り着けるまで・1)(2015.3.1)】

【「自傷癖を呼び戻す者を知れど。」(辿り着けるまで・2)(2015.3.2)】

【「キズグチを愛せた時に。」(辿り着けるまで・3)(2015.3.4)】

【「どんなに孤独な痛みでも。」(辿り着けるまで・4)(2015.6.25)】

【「選んで焼き付けた悲しみの痕。」(辿り着けるまで・5)(2015.6.26)】

【「死に怯えた記憶はまだ褪せないままに。」(辿り着けるまで・6)(2015.6.27)】





過程の続きを少し書くね。






2014年6月22日。


日が暮れはじめる頃に
愛おしいものは召された。



この腕の中で
息は耐え
心音も途絶えた。


死んでしまった。


可愛い愛しい体は
抜殻となった。


亡骸は
愛おしいものの物に
変わりないのに


そこにあの子はもう居なかった。



一晩を遺体と過ごした。

翌日骨になった。


抱き締めてキスをして
手放して

肉は焼かれ骨となった。



家中がとても静やかだった。

音も空気も
ひんやりと静かだった。

【「あと少しの命と。」(2015.6.20)】

【「私が殺してしまうのか。」(2014.6.21)】

【「昨夜召された愛おしい命。」(2015.6.23)】




いくつもの病を背負いながら
小さな身体は
それでも19年間を生きた。



いつも
私を追いかけてきた
可愛い存在が
もう居ない。



十代に家を出て
始めた一人暮らしは

初めて自力で得たお城だった。




摂食障害も
自傷も

まだ
誰にも言えずに過ごして居た時代だ。



今よりも
ずっとずっと苦しかった時代。



ワンルームのお城は
唯一の帰る場所で


そこを維持しながら

学費も生活費も賄う為に
物凄く働いても居た。



始めは
独りで暮らして居たものの

何年か後に
猫がやってきた。


3匹の猫たちは
私の家族になった。



男は
出来れば家に入り込んで来る。

男は
変われば
その都度
家に踏み込んで来て

別れたら去ってゆく。


血の繋がる家族なんて
来るはずもない。


友達は
遊びに来てくれても

帰る家が在るから
そこに帰ってゆく。



猫たちだけは
ずっと一緒だった。


猫たちと暮らし始めて
私は
家の中で
独りになる事が無くなった。


ずっと誰かが居る。

必ず
自分以外の生きるものが

同じ空間に存在をして居る。




私が

自傷したって

嘔吐したって

死のうとしたって

泣いても

叱っても

荒れても


私を愛し求めてくれた。



そんな存在が
どこにも居なくなった。


家の中で
ひとりぼっちの時間が出来た。



19年振りに

家の中で

たったひとりになった。


それは
想像以上に静かだった。




もう眠っても良い。

出掛けても良い。

死に怯える事も無い。


穏やかでは在るのだろうけれど
寂しくてたまらなかった。



毎日骨に声を掛けた。

骨壺を撫でて話し掛けた。

家の中に
命在る存在が欲しくて

でも
動物を飼うような気持ちにはなれなくて 


花を置いた。



それまで置けなかった
観葉植物を買い漁り

あちこちに置いた。


骨壺の回りは
ぐるりと切り花で囲んだ。


花が枯れたら
それだけで
悲しくて苦しくて

少し枯れては
沢山買い込んで飾った。


そうしなくては居られなかった。




私を縛る環境は無くなった。

看取るまでの間
ほとんど出来なくなって居た
月下陽香の練習も再開した。



ギタリストさんと過ごせる時間は
うれしいし楽しい。


でも
歌う事は
全く楽しくは無かった。



身体は
持病が悪化して

ここ数年
歌う行為は
どんどんと苦しい物となってきている。


痛くて苦しい。


それでも
練習を続ける意味が
わからなかった。


ライブの予定も無いのに
痛みに耐えて
苦しさを我慢して
繰り返し歌って
何になるのか

わからなくなった。



呼吸も苦しくなった。


歌うに当たり
呼吸が難しくなってきた。


練習をする程に

体を潰してゆくように思えた。


心は
もう
我慢を出来なくなった。



ギタリストさんに
しばらく練習を休みたいと伝えた。



月下陽香は
この夏

ライブだけでなく
練習もしない事を決めた。





看護と介護で埋め尽くされた
最期の2ヶ月程は
自分の通院も出来なかった。


市販の薬で
無理矢理誤魔化しながら
耐えて過ごした。


体調は
日々悪化してゆく事を
とても感じて居た。



やっと通院も再開し

改めて検査をすれば
持病はかなり進行してしまって居た。


少しでも
今後の進行を遅らせてゆく為に
治療を受ける事にした。

【2014年8月】



とても辛い毎日だった。


薬が合わなくて

毎日吐き気と共に在った。


吐き気を止めれば
蕁麻疹が噴き出る。


繰り返し繰り返し。


毎日毎日
吐き気と蕁麻疹の繰り返し。


内臓にまで
蕁麻疹が広がって
呼吸困難になるほどの

酷い拒絶反応にも
耐えるしかなかった。





静かになった家に
じっと居る事は辛い。


どこかに出掛けたい。

先に予定も立てたい。

なのに。
何も出来なかった。


毎日は

24時間
体の苦痛を感じ

心には

空しさや悔しさ
悲しみを
充満させて過ごすしか

出来なかった。





続きはまた。








歌う事が辛い。

急がなければいけないと
とても思う。

やり残して居る事は
早くしておかなければ


出来ないまま
後悔と
憎しみを抱えて

残りを生きる事になってしまう。



急がなければいけない。


だけど
そのチカラが見当たらない。



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死に怯えた記憶はまだ褪せないままに。(辿り着けるまで・6)

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明日となりました。



1年振りに
ステージに立てたのは先月。


明日は

今年
やっと2回目のステージ。



来月以降ライブの予定はありません。



秋頃に出来ればと
願ってはいるけれど

それもどうなるかわかりません。



物凄く気を付けて
懸命にケアをしながら
目指してきたけれど


ライブを明日に控え
体調は見事に最悪です。




歌うに当たり
何よりも怖いのは
息が吸えない事。


一昨日の練習は

ライブ前
最後の練習だったのに


息継ぎで
息が吸い込めず

ただ苦しいだけで過ぎてしまった。




持病の悪化であるならば


果たして
明日を
何とか出来るのかどうかも


わからない今日に
在る。




それなのに
少し先に
願いを
いくら強く持った所で


描ける景色に
光が見えなくなる。



今日も1日
必死でケアに励んで居る。


どうか歌えるように


どんなに苦しくても
それを誤魔化せるように


願い
祈り
ケアして居る。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

6月28日(日)

大阪・あびこ  LIVE BAR 「 ビートイン 
(地下鉄御堂筋線「あびこ駅」2番出口から徒歩1分)

18:30 オープン  19:00 スタート

※ チャージ¥1000- (1ドリンク付き)
追加オーダーは ライブデーは オール500円です。


出演 : 月下陽香&井上タイキ
     Fujikazz・大和川三助・バグトル
    (ライブ終了は22時)

月下陽香は3番目の出演予定です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


ご都合や体調に
ご無理が無ければ
ご来店頂けますように
お願いを申し上げます。






2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の0始まりから。」(20代後半頃の私)】
※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
※42の記事があります。

【「9・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(40代に向かう私)】
※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて
現状や想いを記しながら。

【「キズを持ち痛みを知りて在る人たち。」(2015.6.23)】

【「不安で吐きそうな程に嘆く心に。」(2015.6.24)】




過程を綴る記事は
現在の私へ繋がる時代に辿り着き
書き続けて居る。

【「呪いをどう解き放てるのだろうか。」(辿り着けるまで・1)(2015.3.1)】

【「自傷癖を呼び戻す者を知れど。」(辿り着けるまで・2)(2015.3.2)】

【「キズグチを愛せた時に。」(辿り着けるまで・3)(2015.3.4)】

【「どんなに孤独な痛みでも。」(辿り着けるまで・4)(2015.6.25)】

【「選んで焼き付けた悲しみの痕。」(辿り着けるまで・5)(2015.6.26)】






4ヶ月近く
止めてしまって居た
過程を綴る記事を

前々回から
再び書き始めた。




記す過程の中の私は
2014年の春に在る。



記憶を掘り起し
巡らすと言うよりも


つい先日を
振り返るような作業。




そこで感じた悲しみも
まだとても生々しく
感情の中には
存在をして居るし


起きた出来事も

まだ
痛む分析の途中で


消化に行き着いて居ない事も
多々在る。



あちこちが
まだ
見事に熟れたままなのだ。




だから
当時の写真を
記事に添える事も
ほとんど出来ない。


まだ
それを
観て選べる私ではないから。



だから
当時の記事を
リンクさせながら
出来事を記して居る。






2014年5月24日。


これまでに出演した
どのライブよりも

私には
悲しみが焼き付いた
ステージだった。



レコ発も兼ねた
大事なイベント。



それでも

これまでの
どのライブよりも
出来る事ならば
止めてしまいたいと思う位に

辛い1日だった。



看護と介護で
体も心もボロボロだった。


練習もろくに出来なかった。




死なないでくれと

どうか
今日に死なないでくれと

生きて待って居てくれと

それだけを願いながら


泣かないように
耐えるだけで
いっぱいだった。




共演者の方々も
お客さま皆さまも

とても
温かく支えて下さった事が

ただただ救いだった。


【 2014.5.24 ライブノーカット 】




ライブを終えてからは

24時間
看護と介護に
追われるだけの毎日だった。




当時の
看護と介護について

ここに
事細かく綴る事は
まだ余りにも苦しい。




この手の中で召される
6月22日まで

基本的には
どの記事にも
状況は記されて在る。



乳がんと
糖尿と
腎不全の猫との

看護と介護の
最期の約1ヶ月を



お読みになりたい方は


2014年
5月と6月の
記事へのリンクを載せますから

選んでお読みくださいね。

【2014年5月】

【2014年6月】





24時間
目を離せないような生活だった。


トイレもお風呂も
急いで済ませて
夜も僅かな仮眠だけ。



仕事もろくに出来ずに 
貯金を崩して耐えた。


買い物にも行けない。


ギタリストさんは
よく差し入れを届けてくれた。


何か要る物は無いか
欲しい物は無いか
いつも気に掛けて
食料などを届けてくれたりした。




ライブにも来て下さる
大切な人達も

流動食を送って下さったり

お金を送って下さったりして

助けてくれた。




有難かった。
本当に。


それまで
深い仲だと
とても親しい友人だと
思って居た人達ほど

声のひとつも
掛けてはくれなかった。



友達って呼んでもいいのかな?って
思ってたような人達ほど


声を掛け
リアルに手を差し伸べてくれた。



私の気付かない内に

私の関わる人達は
変化してたんだなと
とても思った。


友達だとか
親友だとか

私が
それまでに
勝手に思って居た関わりが

いつの間にか
無くなっていた事に気付いた。







どうか生きて。

毎日願った。


食事は
ほぼ流動食。



それでも
たまに
一舐め位してくれる時があって


たとえ一舐めでも
してくれる内は

まだ
生きようとしてくれて居るはずだと信じ


あらゆるフードを買い込んでは


絞ったり
湯がいたり
磨り潰したりして


ずらりと並べては

口を付けぬままに捨てた。


毎日
山盛りの生ごみが出来た。


毎日
何千円と言うフードを
開けては捨てて

流動食には
栄養剤も入れて与えた。




まともに動けなくなった体は
痩せ細り

3キロあった体重は
半分の1.5キロまで落ちた。



耳も聞こえなくなり
目もほとんど見えなくなった。



フラフラな足で

それでも
自力でトイレに行こうと


転びながら
トイレを目指し
やっとの排尿。



それも
次第に間に合わなくなる。

気張る力も無くなり
排便も出来なくなり


マッサージで
便を肛門付近まで運び
出してやらなくてはいけないようにもなった。







6月16日は
私の誕生日。


どうか
一緒に
誕生日を迎えてくれないかと
願った。


一緒に生きて居て欲しいと願った。



リビングで
付き添ってうたた寝の毎日。



誕生日の朝

もう鳴き声も出さなかったのに


鳴いた。

声が聞けた。



フラフラなのに
私の足に乗っかって
起こしてくれた。



可愛かった。
とってもとっても可愛かった。


愛おしかった。

たまらなく。
愛おしかった。

愛おしかった。

【「置いて逝かないで。」(2015.6.20)】

【「迎える死に怯えながら。」(2014.6.12)】

【「明日が見えないけれど。」(2015.6.16)】





誕生日を共に過ごした6日後

とうとう
神様は
愛おしいものを
そばへ呼び寄せようとして居た。


もう
十分に頑張ったと言うことなのだろう。



私は死を感じて居た。
確実に感じて居た。




この手の中に
抱きかかえた
小さな体。

指先は
ずっと胸に当てて

心臓の動きが止まるまで
確かめて居た。



痙攣を繰り返して。
息が止まった。


19年間を
共に過ごした
家族が召された。




2014年6月22日。

私の願いを全て叶えて
愛しいものは抜殻となり

一晩を
亡骸と過ごして

骨となった。

【「あと少しの命と。」(2015.6.20)】

【「私が殺してしまうのか。」(2014.6.21)】

【「昨夜召された愛おしい命。」(2015.6.23)】





続きはまた。





明日も骨を連れてゆく。

もう苦しい留守番はさせない。


明日のステージに
どうか納得して立てるように
とても願う。



どうかどうか
明日が最後にならないようにと

願う。





ご来店のご連絡を下さった皆さま
ありがとうございます。


お気を付けて
会場までお越し下さい。



明日は
極力体を休めながら準備をし
会場に向かいます。



準備も沢山ありますし

移動は
沢山の荷物を持って
1時間以上かけての
電車移動です。



会場に着けば
リハーサル等
バタバタして居ますし

その間
携帯は
バッグの中に入ったままです。


電話やメールは
当日はほとんど出来ません。




お店の場所がわからないとか
ライブについてのお問い合わせ等
御座いましたら

お店にお電話を頂ければ

私が着替え中などでしたら
ギタリストさんに
説明して頂く事もできますから

お願い致します。





では。

頑張って
明日の本番まで
ケアに注ぎます。



お会い出来る事に感謝致します。


ありがとうございます。




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選んで焼き付けた悲しみの痕。(辿り着けるまで・5)

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昨日は
ライブ前の最後の練習だった。


ギリギリで
やっとセットリストを決めた。



最後の練習で
少しでも
イメージを描けたらと願い
臨んで居たのだけれど…



それどころではなく
過ぎてしまった。





息が吸えないんだ。

吸い込めないんだ。


持病は
こんなにも急激に悪化してしまうのか
それとも
ただ疲れて居るだけなのかは

その時点では
わからないのだけれど
おかしい事は明らかだった。



息継ぎをする所で
息は
ほんの少ししか吸い込めないまま

次の歌詞が始まる。


歌声は出せなくなる。


顔は苦痛に歪む。

胸が苦しくて
倒れそうになる。


辛くてたまらなかった。



このままでは
歌にならない。



当日もこの状態なら
やっと決めたセットリストも
変更するしかない。



歌う事は
どんどん苦しくなってゆく。



あといくつステージに立てるのか
先行きは
日増しに見えなくなってゆく。





日曜日はライブだ。

その次は決まって居ない。


どうか
これが最後にならぬようにと
何度も祈り
願って居る。


もし。


最後のステージに
立たなければならないのならば

その時は
今回のような
ライブバーのブッキングでのライブでは無くて


自分で考えて
選んで決めたステージで

在って欲しい。



人生の最後のステージが
明後日には
まだなって欲しくない。



どうか
まだ
息が吸い込めますように。

息継ぎが
自力で行えますように。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

6月28日(日)

大阪・あびこ  LIVE BAR 「 ビートイン 
(地下鉄御堂筋線「あびこ駅」2番出口から徒歩1分)

18:30 オープン  19:00 スタート

※ チャージ¥1000- (1ドリンク付き)
追加オーダーは ライブデーは オール500円です。


出演 : 月下陽香&井上タイキ
     Fujikazz・大和川三助・バグトル
    (ライブ終了は22時)

月下陽香は3番目の出演予定です。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の0始まりから。」(20代後半頃の私)】
※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
※42の記事があります。

【「9・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(40代に向かう私)】
※現在執筆中。






時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「キズを持ち痛みを知りて在る人たち。」(2015.6.23)】

【「不安で吐きそうな程に嘆く心に。」(2015.6.24)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「呪いをどう解き放てるのだろうか。」(辿り着けるまで・1)(2015.3.1)】

【「自傷癖を呼び戻す者を知れど。」(辿り着けるまで・2)(2015.3.2)】

【「キズグチを愛せた時に。」(辿り着けるまで・3)(2015.3.4)】

【「どんなに孤独な痛みでも。」(辿り着けるまで・4)(2015.6.25)】





3月6日以降
足踏み状態に在った
過程を綴る記事を
前回から再び書き始めた。


全てが消化されて
行き着いた訳でも

結末までを
描けて在る訳でも無い。


それでも
書き戻り綴り始めた。



前回の続きを書いてゆこう。

2014年の春の出来事だ。









悪化してく持病。

身動き取れない環境。


ステージに立つ事も
一気に減ってしまった。



前回のライブから
次のライブまでは半年。


ならば
せめて
そのライブに

新しい作品を連れてゆこう。



月下陽香は
レコーディングを決めた。



体力も時間も予算も
非常に限られた中でのレコーディングは
2曲入りのCDにする事にした。




それまでに
月下陽香は
2枚のCDを制作している。



ファーストは
3曲入りの
手作りのミニアルバム。


自分で弾いて
自分で歌う
弾き語りだった。



セカンドは
6曲+1曲入りのアルバム。


これは

私が
メインギターと歌を収録した物に
現在のギタリストさんが
音を加えて下さった。




3つ目の制作となるCD。


出来るならば
もう少し曲数を増やして
アルバムにしたかったけれど


もう
そんな体力も私には無かった。




初のシングルCDとして 


「キズグチイバラ」と
「癒え待ち野バラ」の

2曲を収録する事にした。




「キズグチイバラ」は
それまでにも
ステージで歌ってきた楽曲。


「癒え待ち野バラ」は
未発表楽曲だった。




2曲共に
1日で
収録しなければならないスケジュールでの
強行だった。




楽器演奏は
ギタリストさんの奏でるギターだけ。

歌は私の歌声だけ。


他には
何の楽器の音も無ければ


歌にはハモリすら無い。


最低限の
月下陽香のスタイルだ。




それまでは
楽器と歌は
別録りをして来たが


この時は同時で録音をした。

いつものステージと同じように。




数回で私の体は限界になった。

一気に1曲歌いきれなくなった。


必死で歌いきった所で
あちこち
手直しをしなければ
どうしようもなかった。



もう
少し前のようには歌えない事を
思い知った。




余りにも耳障りに感じる部分は
そこだけを録り直しもした。


音程や音質は
いくらでも
機械で直せてしまうけれど

そこはいじらなかった。



上手く作る事は簡単だけれど
作り過ぎてしまうなら


私で在る必要が
なくなるように思えた。




私が遺したいのは
上手い嘘の歌では無くて

上手くなくても
真実のイキザマで在る事が

正しいと思えたから。



当時のレコーディングの様子や想いは
ここにも書かれている。

【「朽ちゆくまでに。」(2014.4.11)】

【「孤独の中で息を吸う。」(2014.4.15)】

【「キズグチからこぼれる想いをこの夜に。」(2014.4.28)】





何とかレコーディングを終え
音源が出来上がり

ジャケットや
歌詞カードのデザインも仕上がり

入稿も
無事済ませる事が出来


CDは
到着を待つだけとなった。



やれやれだった。


ひとつ終えられたように
思えた時だった。







4月30日

飼い猫が急変をした。





嘗て
我が家には
3匹の猫が居た。



その内2匹が
糖尿病となり

2匹共に亡くなるまでの3年間


私は
この手で
猫の背中に
日に2回のインシュリン注射を打ち


日に何回も


耳の細い血管から
採血をし
血糖値を測定し



生活の全ては
飼い猫の看護を軸にして
過ぎてゆく年月を過ごして居た。

【「知り尽くした不足の吹き溜まりに吸い込まれぬように。」(2013.5.11)】


2匹が召された後
直ぐに

残りの1匹


我が家の猫たちの
最後の1匹に当たる子の
乳がんがわかり


手術をし
またもや看護の日々。



1年後には
乳がんが再発。




苦しい延命はしたくないと思い

残りは
自宅で
穏やかに生きる選択をした。




だからと言って
何もしない訳では無い。


毎日は
また
看護中心の生活となり

長時間の外出も出来なかった。





3年間の看護の末に
看取った直ぐ後に

再び始まり続いた看護生活も


3年目を迎えた

2013年の4月30日。


急変をし

以来
夜も
数時間おきに
状況を確認する生活となり。



それでも
1年を
生き延びてくれようとしていた


ちょうど1年後となる

2014年の4月30日。




再びの急変だった。


この時の急変は

もう
前回のようには
回復も出来なかった。



日増しに悪化してゆく姿は
余りにも悲し過ぎた。



たったひとつのライブまで
1ヶ月を切った時の
大きな急変。




CDの発売も兼ねた
自分で立ち上げたイベントで


月下陽香には
そのひとつしか
ステージの予定も無く


絶対に立ちたいと
願う想いは大きい。



基本的に
やると決めたステージは
何が在っても
キャンセルはしないと決めて居る。



ステージは
お客さまとの約束の場だと
思って居るから

キャンセルなんて出来ない。



でも
愛おしい存在は
日を追う毎に弱ってゆく。



昨日出来た事が
今日には出来なくなって居る。



次第に
看護だけではなく
介護も必要になっていった。





子を持たぬ私にとって

猫たちは
我が子のような存在だった。


早くに親とも離れた私には


猫たちが
誰よりも長い年月を
共に暮らした家族だった。



この時
猫は19歳。


私の人生の半分を
共に暮らしてくれた存在だった。




自傷癖者の私が
傷付ける姿も

摂食障害者の私が
嘔吐する姿も


猫たちは見て居た。


どんな私でも
必要としてくれた。


大切な愛おしい家族。



3匹居た猫たちが
1匹無くなった時は
残った2匹が支えてくれた。


2匹目が居なくなっても
残った1匹が
悲しみを支えてくれた。


最後の1匹となった猫は
最後の我が子だった。


これまでの
どの子よりも


恐らく
私は
可愛がって居ただろうとも思う。




そんな存在が

日々
死へと近付いて行く現実は


私の胸を締め付けた。



毎日は
本当に本当に
悲しくて
苦しくて
辛かった。


とてもとても辛かった。



こんな苦しみは
感じた事が無いと思うような
強烈な苦痛だった。





当時の私が
どんな看護と介護をし
どんな生活をして居たか

どんな想いで世話をしていたか


この頃の
あちこちの記事に書き記されている。

【2014年5月】

【2014年6月】





辛い延命はしないと
決めて居たのに


ほとんど食べられなくなった我が子に


私は
流動食を与える決断をした。



生きて欲しくて
死なれたくなくて

悩んで悩んで選択をした。




小さな口をこじ開けて
シリンジで流し込む。


辛そうだった。


それでも
飲み込んでくれた。




始める事を決めたと言う事は

止める時も
自分が決めなければならないと言う事。


食べられないこの子に

与える事を決めた流動食を

止める時

それは
この子を餓死させると言う事。



私が殺すって事なのかもしれないと

とても悩んだけれど
与え始めてしまった。



この子が
流動食を
本気で嫌がる時がきたら…


その時は
諦めて見送ろうと

自分に言い聞かせた。




5月24日には
ライブが決まって居る。


まだ
お世話になるお店に
挨拶にも行けて居ない。


ゴールデンウイークにでも
行かなくてはと思って居た所での
急変。



一度に
ほんの少ししか
受け付けない流動食は
数時間おきに与えなくてはいけない。



流動食の合間の数時間

家に置いて行く事は
苦しくてたまらなかったが


挨拶に
必死で伺った事を覚えてる。



笑える心境でも全く無くて

帰宅後は
ろくに眠れぬ夜が
また続くのに

頑張って飲んだ事も覚えてる。



店を出たら
駅まで走って
心配で
締め付けられながら
帰った事も覚えてる。



帰宅後
生きて居る姿にほっとした。

直ぐに流動食を与えて

また朝まで

リビングの床の上で丸まって
2時間
3時間おきに
流動食を与えながら


朝が来たらまた夜まで


同じ事を繰り返し


トイレに行くのも
限界まで我慢をして
扉を開けたまま
済ませるような状況だった。






ライブは近付いて来る。

病状は悪化してく一方。



どう考えても

自宅に残して
外出できる状態では無い。



共演者の方は
「キャンセルしてもいいよ」と
声を掛けても下さった。




止めたかった。

本当に。


こんなにも
ステージを
止めたいと思った事は無かった。




初めて
ライブをキャンセルしたいと
心底思った。



だけど出来なかった。


何ヶ月も前から告知をして
CDの発売のお知らせもして来て

ご来店下さいと

お買い求め下さいと

お願いをし続けて来て


自分の都合で
そこに行かない事を
選択する事は


どうしても出来なかった。



泣きわめいて
大暴れしたい位に

辛かった。





でも
行く事を決めたのは私だ。


我が子を置いて
現地に行く事を決めたのは私だ。






ライブ当日は

猫が
私以外に唯一なついて居る人に
看て居て貰う事にした。


とは言え
看るというよりも
見る事しか
その人には出来ない。



何か在っても
何らかの処置も何も出来ない。

流動食を与える事も出来ない。



何か在ったらす
ぐに連絡をくれる事と


私が居ない時間の流動食を
病院にお願いをしたから
連れて行って欲しい事をお願いして


行く事にした。



準備はしっかりしてはきたけれど
予定通りには動けず。



家を出ないといけない時間になっても

様子がおかしくて
家を出られずに




心配して
遠回りして
我が家の近くまで来て
荷物を持ってくれて

一緒に行こうとしてくれている
ギタリストさんも

物凄く待たせての
出発になってしまった。




レコ発も兼ねたイベントは
いつもより荷物も多い。


ご来店の約束をして下さって居た
友人が


遠方から
わざわざ早くから出て来て
荷物を運ぶのを手伝ってもくれた。



会場に着いたのは
約束の時間より
とても遅れてしまって居て

リハーサルも始まって居た。




きっと
私を心配して
そうして下さって居たのだと思う。


共演者の方々が
いつもよりも
声を掛けて下さったように思う。



でも

どの会話も
私の心は
ピリピリと張り詰めて

心は
そこには在れずに
聞く事しか出来なかった。



沢山のお客さまがも
ご来店下さり

CDも沢山お買い求め頂けて


本当に
有難い1日だったけれど



どうしても
心は辛くてたまらなくて。



これまでに経験した
どのライブよりも
悲しくて



私の胸では

ステージに
大きな悲しみが焼き付いて


その後1年
立てない事となってしまった。




自分で決めたのに

ライブ出演を決めたのは
自分なのに



後悔をした。



ステージに立った事を
とても後悔した
ライブだった。



この時のライブの事はここに書いて居る。

【「こぼれた想いに咲くイバラ。」(2014.5.25)】

【「不足の武器で殺せないもの。」(2014.5.26)】




そして。

その時のライブはこれ。



悲しみに溢れてしまった

それでも
そんな月下陽香を
皆さまが
見守り救って下さった

ライブだった。


【 2014.5.24 ライブノーカット 】



・・・セットリスト・・・

1・浮草情火(うきくさじょうか)
2・烙印
3・モザイク
4・癒え待ち野バラ -イエマチノバラ-
5・キズグチイバラ




続きはまた。






先日
やっと
1年の命日を迎えたばかり。


まだ
思い出すと悲しくて辛い。


記憶と向き合うのは
簡単ではないね。



でも
私には必要なんだと思ってる。





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自己紹介。

月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


このブログには
私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
共存して居た頃の出来事を綴った記事も
多く置いて居ます。


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