❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

  ♪:*:.:*:♪ ・らいぶ情報・ ♪:*:.:*:♪

     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

     ❤ 2016年11月6日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



  ♪:*:.:*:♪ ・CD情報・ ♪:*:.:*:♪

  ◆ ファーストシングル ・ 花いばら ◆
            2曲入り ¥500-
            2014.5.24 発売
花いばら

  ◆ セカンドアルバム ・ 生きてるからね。 ◆
            6曲+1曲入り ¥1000-
            2011.8.21 発売

いきてるからね。

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楽に消えるなら諦めもつくだろうに。(現在に向かう私・42)

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昨夜も

日付が変わる頃には
ベッドに入り


一度は眠りに落ちた。


そう。


一度は
寝落ちる事が出来るんだ。



なのに目が覚める。

睡眠薬も
効果は見られない。



2時間と少し
3時間は過ぎてはいないだろう頃に
目が覚めた。





私は
出ない声を押し出すように

金縛りを振り払って
声を絞り出すように


うわーっと

叫んだ。


その自分の声で起きた。




夢を見たんだ。


夢の中の私は

子供の頃
暮らした家に居た。


今は父が暮らして居る家。



小さな一軒家の
2階の一室が
当時私の部屋だった。




母も
妹も居なくなり


妹の部屋は
開かずの間となり



私は
全ての家事を背負い


学生では在ったが


学費と
小遣いと

1日も早くに
家を出る為の資金を


稼ぐ為に


休みなど
ほとんど無く働いて居た。




自傷も
嘔吐も
日々当たり前に行った。



その頃の

あの家の
階段の

2階の踊り場に


私は立って居た。



立って居る私は

現在の私。



でも
そこは当時のあの場所。





私は
階段を下りたいのだけれど

踊り場には
黒いゴミ袋が置かれている。



それを
踏み付けて


階段に
足を伸ばそうと考え


踏み込んだら


ゴミ袋は
ぶよぶよと
柔らかく揺れた。



バランスを失いながら


私は


その中身は
嘔吐物だと思った。



それまでに
繰り返し
吐き続けて来た

嘔吐物だと感じた。



その途端
体が強張った。



金縛りのように固まり


何かに呼ばれた。



「戻ってこい」

「戻ってこい」




駄目だ。

連れて行かれる。



そう思った私は
必死で叫ぼうとして。



それでも声は出せなくて。


必死になって
絞り出し上げた
叫び声で

目が覚めた。



そして
再び寝付く事無く
朝を迎えた。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「癒えを待つインナーチャイルドと生きながら。」(2015.1.21)】

【「限界だと泣き叫べたならば眠れるのだろうか。」(2015.1.23)】

【「依存する寄生虫を殺して良いか。」(2015.1.24)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「私の時間は残り限られて在るのに。」(現在に向かう私・40)(2014.1.25)】

【「腐敗し朽ちて消えてくれたら良いのに。」(現在に向かう私・41)(2014.1.26)】






過程を綴る記事は
2013年の私を
記して在る途中。



この年から

月下陽香は


摂食障害と自傷を

ステージにも
このブログにも


晒し掲げた活動を始めて居た。




持病は急激に悪化をし

看護は24時間続いて
日々に繋がる。



やりたい事の
ほとんどが

出来なくもなった。


まともに出掛ける事も
無くなった。




この体が動ける残り時間は
あと僅かだから


懸命に注ぎ
走って来たのに


私より
動ける者は

いつも

私から奪って行った。

壊して行った。


私を
傷付けて去って行き


変わらずに活動をして居る。



恨んだ。
とても恨んだ。



動ける人が羨ましくて

親しい人達までも
深く羨んだ。



日々は
本音を言えば
たまらなく
辛く苦しかった。



この痛みや
恐怖が


誰にも伝わらない事が


何よりも
大きな孤独であり


酷く傷み痛んだ。




そんな頃の私が

その年
最後になったステージに
向かう頃を書いて居る。





摂食障害と
自傷を
晒しての活動は


とてもとても
悩み考えた末に決めた

覚悟して
始めたもので在ったのに



それに
私は苦しんだ。




動けない体と環境に

恨みも
羨みも

吹き出してしまう
苦しみに加え


イキザマを
晒して在る事で


傷付く事が
こんなにも多いのかと
思い知った。



それでも
ただ向かった。



ここまでと決めた
現在に

辿り着くまでと。





ライブも
もう数はこなせない。


私は
出来る事ならば

もう
ひとりで抱え込んで
壊れてしまうステージは

したくないと
考えるようになった。



今後
この体は

恐らくは
とても早くに


もっと
歌えなくなるのだろう。



ただでさえ

止められて
壊されて
奪われて


幾度も
この足は止められ


その都度
何かを失い
諦めてきた。



諦められぬ想いを
無理矢理飲み込んで来た。





今の内にしておきたい。

やりたかった事を
なんとか
ひとつでもやっておきたい。



分かり合えると信じられる
大好きな
大切な
2組のミュージシャンに声を掛けて

ひとつ
イベントを立ち上げた。



主催を張れる程の
時間も
体力も
環境も

もう私には無い。



だから
共に育てゆける人を選んで
声を掛けた。



何度も連絡を取り合い
打ち合わせもした。



練習にも
宣伝にも力を入れた。




大切な人達と
共に生み出すイベント。



勿論
足は引っ張りたくないし

出来れば
何かしらの役にも立ちたい。



選んだ大切なミュージシャンは
私が知る人達に
是非
観て感じて貰いたいと

心底思う
素晴らしい人達だ。



ステージも
お客さまも
お店も


大切に扱い
丁寧に接して下さる

頼れる先輩たちだ。




その中では
一番歳も若い私の
声掛けを受け入れて下さり
共に背負って下さった。




言い出した私が
お店とのやり取りをする間に

セッションの楽曲のコード譜を
作って下さる方

振り分けを考えて下さる方

イベント名を決めて下さる方


それぞれに
出来る事を出し合う。



皆が
それぞれに
背負って在るだろうに


それでも
言い出したのは
月下陽香と言う事も在り


また

月下陽香を含めた
計3組のカラーも考えると


異色な私が
最後の方が
まとまるようにも思え


トリの出演にもさせて頂いた。




そうして立ち上がり
開催を迎えたのが


【 こぼれそうな夜 vol.1】



その時の
月下陽香のステージはこれだった。


当時の記事もリンクさせておく。


【こぼれそうな夜 vol.1 ノーカット】(2013.11.9)



【「こぼれそうな夜に溢れこぼれ落ちた夜。」(2013.11.10)】


【こぼれそうな夜 vol.1 「キズグチイバラ」】(2013.11.9)



【「足りない愛が自傷をさせた。」(2013.11.12)】





沢山の方々が
駆け付けて下さった。



それまでに
ブログのコメント等で
それぞれに
交流をして下さっていた方々も


会場で改めて出会い


同じテーブルに座り
楽しんで下さって居た。



出演者の方に
ご紹介頂いた女性は

一番前の席に座って居られ


ステージの上から見えた
その方のお顔は

私の脳裏に
とても深く刻まれる
想いを感じた。




とても有難い
嬉しい夜だった。


2回目にも繋げたいと
強く思えた。



ただ
それにはもう
私の体は
難しいのかも知れないと


本当はとても感じる私が居た。




どうしても
しんどかった。

どうしても
体には苦しかった。



それまでのように

無理をして
ひとりで抱えて
開催した訳では無い。



それでも
もうしんどかった。





この年の月下陽香は


この
11月のライブで

活動は終わった。


1年に4回。

たった4回。



使い果たして
ボロボロになって


やっと
たったの4回。



苦しさが増した。







少しだけ前に
掲げる目標も無くなった。



発声は
もう酷く辛く


1曲歌う事が
なぜこれほどに辛いのか


その苦痛は
言葉にも
もうならない。



予定も目標も無いままに


朽ちゆく速度を
速めるだけのような


痛みや
苦しみを感じる練習を
重ねる事も



大きな大きな
苦痛と
ストレスになっていった。



続きはまた。





いつから
眠れずに過ごしてるんだろう。


多分


1月の8日頃だ。



その頃から
1日も
まともに眠れて居ない。



ぽんちゃん達のお花には

また
チューリップを買い足した。




※ ライブ前後等を覗きコメント欄は暫く未設置となりました。
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腐敗し朽ちて消えてくれたら良いのに。(現在に向かう私・41)

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1日は24時間。


その24時間の中


様々な

記憶も
思考も


頭脳を巡る。


良い事も
悪い事も。




頻繁に巡ってしまう記憶には

必ず


未消化な感情が
埋め込まれて在る。



その記憶を

再現フィルムを捲るように
呼び起こしてしまっては


私は


何が未消化なのか

いつか
分析が消化に至るまで


繰り返し考え続けてる。





これも以前の事だ。


私は
きっと

その日
そこで
あの人に

お会いするだろうと感じて居た。



約束をして居る訳では無い。

日頃
連絡を取り合う仲でも無い。




でも。
とても。


その日に
そこに行けば


会ってしまうように感じて居た。



それは
喜ばしい事では無かった。


本心では
望んでは居ない事だった。



でも
そうなるように
とても思えた。



だから

そうなった時に
自分が壊れないように

一部
心に在る扉を
きっちりと閉じて出掛けた。




誰かが悪い訳では無いだろう事は
私には
もう十分に解って居る。


一々
問い詰める事では無い事も
解って居る。



未消化な想いが在るのは

偏った私の

思考回路や
生理的問題で
在るだけかも知れないと言う事も。



だから
引っ掛からずに過ぎれるように

心の準備はしておいた。



でないと
その途端に
この心は大きく拒絶をし

その言動には
違和感が
表れてしまうのだろう。


そうして準備しておいたから

乱れる訳でも無ければ
毒を吐く訳でも
牙を向く訳でも無く


そこそこに
愛想も良く


その場を過ぎれた。





でも。
確信はした。


私の中で

その人は

私を傷付ける発言をする人として
刷り込まれたまま

なんだなって。



きっと
とても優しい人なのだけれど


私の中では

どうしても


空気の読めない発言で
突然
私を斬り付ける印象が


深く
刷り込まれたまま

なんだなって事。




申し訳ないけれど
それは
もうどうしようもないんだって事。




不安定な時ほど


未消化な記憶は巡り
更に
思考を追い詰めるから


飲み込めない事は


それを認めて
許して


「 今はやはり嫌だから
  無理して受け入れなくても良い部屋 」 に


振り分けても良いよねって
最近とても思う。













2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
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【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「癒えを待つインナーチャイルドと生きながら。」(2015.1.21)】

【「限界だと泣き叫べたならば眠れるのだろうか。」(2015.1.23)】

【「依存する寄生虫を殺して良いか。」(2015.1.24)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「己が選んで傷付くならば。」(現在に向かう私・38)(2014.1.13)】

【「孤独な偏在が刻むべき覚悟。」(現在に向かう私・39)(2014.1.14)】

【「私の時間は残り限られて在るのに。」(現在に向かう私・40)(2014.1.25)】







過程を綴る記事は

2013年の私を
記して在る途中。


少しづつでも
続きを書いてゆきたい。





2013年から

月下陽香は

摂食障害と
自傷を


ステージにも
このブログにも


晒しての活動を
してゆく事を選んだ。


それについては改めて
前回の記事でも触れた。

【「私の時間は残り限られて在るのに。」(現在に向かう私・40)(2014.1.25)】





いくつか在る
本気の想いと

自分なりには
とても大きな

決意と
覚悟の上で


その活動を始めたけれど



傷付く事を
感じずには在れなかった。



どうしても傷付いてしまう。


晒せば晒す程に
新しい傷が増える。



過去の傷を
癒してくれる何かにも
時々は出会えるが


あくまでそれは
たまに訪れる
本当に時々の出来事でしか無く


新たな痛みは増えてしまう。



それは
いつだって
突然に突き付けられる。


それを
日々思い知った。



日々
一つ一つの記事を


それは
それは


大きな
時間と労力を費やして
更新を続けながら

思い知っていった。




それでも
本当に
色々と考えて

ずっとずっと考えてきて

決めたスタイル。



今は貫く時だと
胸には決めた。


だからと言って

傷付く事に感じる痛みを
感じずには在れなかった。




結局は
それも自傷なんだろうかと
いつも考えて居た。


そうかもしれないと
胸の奥底では思いもした。



時に

本当に
時に



晒す痛みは
快感に変わる時も在る。



それが
どのような時かも

まだ当時は
おぼろげにしか捉えられず



それはそれで
ひとつの快感でも良かった。




ふと
感じるのは


母や
父や


自分の育った環境


私を傷付けた人達


それらを
記事として綴る時に



私の中で
その作業は


始めは

どこか
復讐のようでも

在った事だった。



それでも
それはそれ。



最終的に
分析と消化を綴れ

また

そこに関係しない第三者に
誰の事かを
特定されないように書けるならば


それも
ひとつの私の生き方だ
とも思えた。





持病の悪化は
速度を上げて

環境は足枷となり


私の日々は 
日増しに
どんどんと動けないものとなってゆく。





傷付けた者への憎しみを
消化出来ぬままに


親しい人までもが
羨む対象となり



生きて在る事そのものが
自傷ではないかとも

ふと

思う毎日。




死ねなくなった私には
もはや
生きる事が

自傷と
繋がってるのではないかと

自分でも

わからなくもなった。






ライブも
本数は出来なくなってしまった。


年に
片手で足りてしまう。



ライブバーの
気軽に参加できる
飛び入りのイベントにも

全く行けなくもなった。


「 月下陽香はこんな歌を歌って居ます 」と 


「 こんな歌を歌って居ますけど
  そんなに怖い奴ではないんですよ 」と


ご挨拶代りに遊びに行っては
そこで
交流をしたりする事も


もう全く出来なくなった。



もう


月下陽香は


どこかに
繋がったり
馴染んだりも
出来なくなって居た。



それは

とても
寂しく
孤独で
悔しくて。


悲しくて痛くて。

痛くて。

痛くて


苦し過ぎた。






受け入れてくれる人たちと
受け入れて在れるステージがしたいと

とても思って居た。



だから私は
二組のミュージシャンに声を掛けた。

大好きな人達。


その人達と共に
同じ
一つを
生み育てられたならと
とても望んだ。



私がしたかったのは主催では無い。


それまでに一度
主催イベントは
開催を試みた事が在る。



しかし
それは2回で止まった。

負担が大き過ぎた。


時間的にも
金銭的にも
体力的にも

独りで

黙って背負う事が
多過ぎた。



主催だから
当たり前でも在るのだけれど

私の場合


関わった人間関係も含めて

余りにも
独りで傷付きながら
後始末に追われる事が
やたらと続いた。


その傷は


主催で在る責任を
遥かに超えて在ると思えた。



だから

共に育てゆける出演者を
選んだ。


それを
受け入れて貰えると思える

大切な人を選んだ。


嬉しい企画だった。





でも
それは
思っていたよりも

私にとっては
遥かに難しかった。




続きはまた。










頻繁に
巡ってしまう記憶には

必ず


未消化な感情が
埋め込まれて在る。




昨夜
僅かに落ちた眠りの時間に

見てた夢。



少し前までの5年間


私が開催して居た
うつわ展の光景。




5年続けた中

最後の1年以外
4回は
父も見に来た。



来る時は
必ず

父に電話をした。




店に来るならば


高価な物でなくて良いから
ひとつ
菓子折りを持って来て欲しいと


それは

私が
大阪で
前もって買っておく物では無くて


父の暮らす土地の物を


途中の
駅の売店でも良いから
買って来て欲しいと

お願いをした。



職場に父が来る。


そこには
お世話になって居る人達が
沢山居る。



そこに来るならば

菓子折りのひとつでも
持参をし


「 娘がお世話になって居ます 」と

簡単で良いから
一言
挨拶位はして欲しい。



いつも
前もって連絡を取り合い

細かく指示をし
お願いをしてた。



父は
全くアテにはならないから。


事細かく伝えて
確認を繰り返した。




だから

センスはどう在れ
父はいつも
菓子折りを買って
来店をしてくれた。



有難い事だ。



父は電車を嫌う。


乗り換え等
自力でこなす事は苦手な上

人に尋ねる事を
酷く嫌うし


自分の車の運転は
私に言わせれば
えげつなく荒いが


自分以外の運転の乗り物は
落ち着いて
乗って居られない性格でも在るから。





その父が

電車に乗って
田舎の町から
大阪の中心部
心斎橋まで出て来るのだから。

まあ
そこには


遠方から
父の古い友人で
幼少期の私を知って居るご夫婦も


わざわざ
お越し下さる事も
在っての事だけれど・・。



有難いと思う。

本当に思う。





でも。

いつも思う。



「 そんな事言うなら来なくて良いんだよ 」

って。





店に入って来た父を
私は
店の人達に紹介する。


父は
菓子折りを私に渡す。


私は
それを店員さんに渡す。


父は
一応に挨拶をしてくれる。


「 娘がいつもお世話になって居ます。
          ありがとうございます。」


私は

ひとつ

ほっとする。



そうこうしている内に

店で落ち合う約束をして居る
父の古い友人ご夫婦も
到着をされる。


店員さんが
お茶を出して下さり

うつわの展示会場を
皆で観る。



友人ご夫婦は
いつも

色々と手に取り眺め
選びご購入下さる。




その時に


父が

決まって
大きな声で言う。


ポケットに手を突っ込み

めんどくさそうに
天井を見上げて



「 陽ちゃん!!
  お父さんは何を買って帰ってあげたらいいの? 」



友人ご夫婦も
店員さんも

一斉にこっちを見る。


会場には
他にも
様々なお客さまがいらっしゃる。



そんな時ほど父は言う。

偉そうに言う。



周りは
酷く引いて居るのに。



私は
慌てて
あちこちのホローに回る。



吐きそうになる。



おぇって
えずきそうになる。




その後は店を離れ

父と
友人ご夫婦と



4人で食事に行く。



そこでも
私は
父の世話ばかりしてる。


注文も自分では出来ない。
料理を
取り皿に取る事も出来ない。

カッコ悪いと思ってる。


それらを
私が全部する。


すり減らして接待をする。







嫌な夢。

でも
それらは
夢では無くて

実現する記憶。






記憶を捲り向き合い

分析し
消化してゆく作業は


とても苦しい。




そうして
自分を知らなければ



私を
苦しめる
傷付ける者の


本質や痛みにも


きっと気付けないのだろうなと



今朝思った。





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私の時間は残り限られて在るのに。(現在に向かう私・40)

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しんどい。


物凄くしんどい。


とても辛い。



こんな状況で
今日を
どう越えよう。

夜をどう過ぎよう。



こんな
心と
体で


明日の仕事を
どうこなせば良いだろう。


休む事は出来ない。


でも
もう笑えない。


少し動く事も
とても辛いのに。



明日には
また
バイトにも
行かなくては行けない。


そこに行けば

ずっと
張り詰めて
動き回っていなければ
仕事にならない。


ボロボロにくたびれて

引き摺るように
帰宅をすれば


作陶作業が待っていて。



注意力は
散漫で

意識朦朧と言っても
大袈裟では無いような状態で


日が暮れるまで働き


また

眠れずに

狂いそうな夜が来る。



苦痛は
もう
限界を超えて居る。

超えて居る。



精神も

砕けてしまう。












2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。
【「癒えを待つインナーチャイルドと生きながら。」(2015.1.21)】

【「限界だと泣き叫べたならば眠れるのだろうか。」(2015.1.23)】

【「依存する寄生虫を殺して良いか。」(2015.1.24)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「己が選んで傷付くならば。」(現在に向かう私・38)(2014.1.13)】

【「孤独な偏在が刻むべき覚悟。」(現在に向かう私・39)(2014.1.14)】






過程を
綴り続ける記事の中では




2013年の
夏を

過ぎた頃の私が居る。




この年から

月下陽香は


摂食障害と
自傷を


チラ見せでは無く

はっきりと
ステージの上でも晒して

ライブをする事を選んだ。





自傷も
嘔吐も
増す程に
治りはしない
深い傷を


何度も
何度も
付けられながら


数え切れぬ回数

言われ続けて来た。




月下陽香の楽曲は


「暗い」。

「痛い」。



そして。


未だ忘れはしない。



私の歌を

盗み
壊した


殺した


一時期は
メンバーでも在った者は

言い続けた。



「暗いからダメなんだ」

「怖いからダメなんだ」


「その陶酔して歌う姿は異常だ」






月下陽香の楽曲は

確かに明るくはない。


それは
私が
それを選んで在るからだ。



未来の私が
どんな楽曲を
選び生み出すのかは
わからない。



でも
今の私が
生み出し奏でたいのは


自分のイキザマで在り


そこに
犇めく痛みで在る。




決して
数々の痛みを
観客に
押し付けたい訳では無い。



でも


暗い歌が

痛い歌が

心に沿う事だって
在ると
私は思う。



ノリノリの
楽しい
明るい楽曲に

触れたくない日だって

人には在ると私は思う。




楽しくなれるならば
それは素晴らしい。


私だって


楽しい歌や
テレビ番組に

笑ったり
元気を貰う事も在る。




でも

今の私が

オリジナル楽曲を
通して
伝えたいものは


そこには無い。




私は

現在の
月下陽香は



胸の

奥底に

未だ犇めく
痛みに

そこに
光をあてて


表現をする事を

選んで
在るだけなのに。



表現は

それぞれに
様々で

良いだろうに。




理解出来ぬ程に

これまでに
向けられた否定は
大きく


私に
刻まれた傷は

深かった。




なぜ
私が

明るい楽曲を

基本的に
現在は
生み出さずに在るのか


それが
伝わって居ない事は
大きいと感じて居た。





そして
私が


小学校の
まだ低学年の頃から
共存を始めた


摂食障害と
自傷は

20年を越える年月


私の心身に寄生をし
私の心身は依存をし


その後の10年も

どんなに

誓い

向き合い

治療をしても


そこから抜け出せなしないまま
更に時間だけが流れ。




当時の私は


やっと


自分の腕を

切り
焼く

自傷行為を


しなくなり始め


数ヶ月が過ぎて居た。






自分の楽曲が

なぜ
暗く痛いのか

伝える時が来て居ると思えた。


そこから
やり直す時期が
来て居ると思えた。



結局は

30年間も

私を捕まえて
放してはくれなかった

自傷から 


なぜ私は
距離を置き始められたのか



自分の心が

きちんと知り 
理解しなくてはいけないと思った。



原因も
理由も

分析をし


結果を得て


それを


言葉に出来る所まで育て


伝えてゆく未来を
選んだ方が良いと

思えた。





だから
私は

ライブ会場で

板の上で

全てを晒す事を始めた。



2013年。




同年の七夕には

ここに
こうして記事を書き始めた。





摂食障害も
自傷癖も


晒し掲げて立ち始めたステージは
始めの2回は順調だった。


すっからかんだったはずの
自信が

少しだけ

ほんのいくつかだけ


この胸には出来た。




でも
それは束の間の幻のようだった。


夏には
3回目のライブ出演をしたが


そこは
針のむしろのように感じ



私の中では


学びにもなったけれど


とても嫌な
二度どしたく無い
経験のひとつにもなった。






この年から

体調は
とても悪化をして居た。



それまでは
無理をすれば
何とか出来た外出も

もう出来なくなっていった。


知り合いのライブに出掛けたり
音楽関係の店に顔を出したり


それまでも
無理をしなければ出来なかったけれど



薬に頼りながらでも
目一杯無理をすれば

それまでは
何とか出来たのに


ついに出来なくなった。






まだ動ける内に


今の内に


歌える内に


そう思い
必死になって走って来た。



常に

誰か
かれかに

邪魔をされ


転ばされ

奪われ
潰されて。



私よりも

ずっと元気で


まだまだ
動いて
活動してゆける者達に


この足は

いつも止められた。



幾度も止められて

ついに動けなくなった。



私を傷付けた者達は

変わらずに
動けて在るのに。




悔しかった。



とても憎んだ。




仲の良い人達までが
羨ましく
とても苦しかった。






糖尿病と乳がんを抱えた
飼い猫の
具合も悪化し



私は
家にこもる事が増えた。




幸い
仕事は
自宅工房で出来るものだったから

家で過ごす時間は増えた。


しかし

その仕事も
体力的に厳しくなり始めた。




収入を安定させる為に
少しバイトもしたかったが

もう
それも体には厳しい。


心や
体の
動けない時間


環境に
身動き取れない時間を


私は
学びに当てた。


資格取得に注いだ。



その資格を
役立てるバイトも見付かり


猫の看護を考えて

1日の勤務は短時間だが
働き始めた。



一生懸命学んで
手に入れた資格が
早速に
役立てる事は幸せだった。



収入も
いくらかは
決まって入って来るから
少しは安定をする。



頑張った。
本当に頑張った。


だけど。



持病は
ひたすら悪化した。



その上
その労働環境に
体は新たに壊れ始めた。





自分が
朽ちてゆく速度は

恐ろしく
速まって在る事を感じた。



私は
どんどん動けなくなっていった。



歌の練習も
ただただ辛いばかりになった。



ギタリストと過ごす時間は
楽しくて嬉しい。


でも

歌うと言う動作は

もう
私には過酷過ぎて

ただただ
苦痛になっていった。



苦痛で在る程に

恨んだ。




まだ動ける内に

歌える内に


時間も
お金も
必死になって注いで


懸命に走って居た私から



奪って
壊して
去って行った者達を


恨んだ。



消えれば良いと思った。


あんな奴らは
早く
朽ちて消えてしまえば良いと
立ち直れない程に傷付いて
消えてしまえば良いと

本気で思った。






夏に
出演した
その年3回目のライブの後


これからの活動について
とても悩んだ。



もう回数は出来ない。



今後
もっとそうなってゆくだろう。



私には限度が在る。



日々
周りの知り合いよりも

早く

朽ちてゆく。




限られたステージならば
選んで立ちたい。


とてもそう考えた。




好きな人達だけと
好きな場所で
開催するイベントを
ひとつしたいと思った。



まだ
何とかして
こうして
僅かでもステージに上がれる内に
したいと思った。




続きはまた。










眠れなくなって

も「う何日もが過ぎて。



それでも
毎日は
何もせずに在れるような
環境でも無く 


とにかく

動いて在って当たり前で


また
仮に
何もせずに横
たわって居るだけで

日々が過ぎてゆくならば


私は
私と言う生き物を

全否定してしまうのだろうから


ただ
じっと


噛み殺し
働いて


日を重ねて耐えて居る。



それでも
もうたまらなく辛い。



私は
基本的には
メンタル系の薬は飲まない。



そこに依存したら
あとが苦しい事は
もう理会して在るし


そうなった時に

私の場合は


恐らくは
社会に在れなくなるように思えて


何が起きても
常用はしない。



これまでの経験で
そう心得て在る。




でも
今回は
さすがに
少し薬にも頼って居る。



心療内科や
精神科へは通院しない。


今の所は
それは選んで居ない。





もう
何年も
お世話になって居る
掛かり付け医が

色々と理解して下さって居るから


そこで
処方をお願いして
ここ数日は服用して居る。



それでも眠れない。



目が覚めてしまってからの

悲鳴を上げて
暴れ出してしまいそうな

狂いそうな苦しみは

少し軽減はされて在る。




しかし
やはり
目が覚めて眠れない。



とても辛い。


とてもとても辛い。



明日も
バイトも
仕事も在るのに



どうすれば良いのか
考えると
更に苦しい。





今夜は

少し前に
ギタリストさんに頂いた
温泉玉子を頂いた。


黄身が濃くて
とても美味しかった。



ちゃんと
心にも
体にも
栄養にして蓄えたい。




数日

有難く優しいメールが
いくつか届いて居る。


まだ
返事が出来る私では無くて
申し訳ないのだけれど…。




今は
まず

1日も早く


眠れる生活を
手に入れたいと思う。




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夏に購入した
ぶたちゃんは


現在
こんな感じに育っている。



昨日も

バイトも
仕事も

一生懸命頑張ったけれど


イマイチの体調には
とても堪えて


日付が変わる頃には

ベッドの中
眠りに落ちたが


やはり
目が覚めたのは
午前4時前。



そこからまた
辛い時間が続いた。



悲鳴を上げて
暴れ出してしまいそうな

大きな

不安感と


いくら目を閉じても


チカチカと
目まぐるしく
瞳の裏に映る

疲れる光景。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
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【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
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【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
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【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。






時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「偏在な女に住み付く不足した少女。」(2015.1.3)】

【「絶ち切り捨てた寄生虫。」(2015.1.5)】

【「繋がる血を抜き取れたなら…。」(2015.1.12)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「自傷癖は隠したい現実で知られたい真実で。」(現在に向かう私・36)(2014.1.8)】

【「馴染めない理由は偏在なのか。」(現在に向かう私・37)(2014.1.10)】

【「己が選んで傷付くならば。」(現在に向かう私・38)(2014.1.13)】





過程を綴る記事は


2013年の
月下陽香が

3度目のステージに
立った時の事を書き終えた所だ。



この年から

摂食障害と
自傷を

ステージの上で
晒して
掲げて
ライブをするようになった

月下陽香。



悩みに悩んで
考えに考えて
散々迷いもし

それでも

その時が来たと思え

決断し
始めた活動の

始まりは
恐れて居たよりも辛くはなかった。


想定外で
受け入れても貰えたようにも
思えた。


しかし。


必ずしも
そうでは無い事を

3回目にして思い知った。





駆け付けて下さった
お客さま皆さまに
大きく助けられた。

それだけが
その日の私の
大きな救いだった。


しかし

ステージに立つ表現者として

この日のライブは
とても
納得のいかない
後味の悪い

痛みを引き摺る
辛いものとなった。




板の上は孤独である。



それまでには
持てなかった
プレイヤーへの信頼を
持てるようになってから

私は
安心をし過ぎて居たのかも知れない。



ギタリストは
私の楽曲を
大切に
丁寧に弾いてくれる。


私を歌わせてくれる。


私は
彼に
安心をして
自分の楽曲を渡して居る。


それは

少し前の月下陽香には
与えられなかった
欲しくてたまらなかった
環境のひとつだ。



そして私は
現ギタリストのおかげで
それを手に入れた。


彼は
私に
それを与えてくれた
大切なプレイヤーだ。


共にステージに立つ事も楽しい。




だから私は
頼り過ぎて居たのかも知れない。


摂食障害と
自傷を
掲げて立って居るのは

ギタリストではない。


月下陽香で在る

私だ。

彼は正常な人だ。

偏在なのは

私だけだ。



だから
板の上は
孤独で当たり前なのだろうに。


私は
その事を
忘れて居たのかも知れない。




忘れてはいけないんだと思った。


月下陽香とプレイヤー
として
ステージに立つならば

メインは私だ。


プレイヤーには
逃げ道が在る。


しかし
メインに立つ者には
逃げ道は無い。



それを思い知ったし
忘れてはいけないと
とても思うステージだった。



普通では無いイキザマを
晒して立つと言う事は

それを始めるまでに
散々と
悩み考えて
思い描いてもみたよりも

とても
とても

痛む苦しいものだと
始めてみて
気付いた。



ギタリストを
信じられなくなった訳では無い。


彼の事は
これまで関わったプレイヤーの
誰よりも信じて居る。


それ以上に
特別な大切な存在である。



でも。


板の上の孤独は
忘れてはいけない事を

胸に刻んだ。






丁度その頃
私生活では
新しくバイトを始めた。


持病が悪化する速度は
以前よりも増した。


動けない日が増えた。


どんなに無理をして
頑張ってみても

仕事を必死でこなしたならば


後は
ほんの少し出掛ける事も
難しくなった。



少し前までなら
無理をすれば
遊びにも行けた。


一生懸命無理をすれば

ライブバーに遊びに行く事や
親しい人達のライブを
観に行く事も出来た。



でも。

もう
出来なくなってしまった。



自宅工房で
ひとりで
何とかやりくりをしている
陶芸作家としての仕事も

体力的にとても厳しくなった。


このままでは
作家として活動をし
収入を得る事も
どんどん大変になるだろう。



出来るだけ
体に負担を掛けなくて良い仕事を
今後出来るように


この年の始めから
勉強を始めて居た。


以前より
学びたいと思って居た事が在ったけれど

時間が見当たらなくて

行動には移せずに過ぎて来た。



もう
動けなくなってしまった私は

家に居る時間が
どうしても増えた。


その時間を学びに当てた。




体にも
環境にも

私程の制限はなく

頑張れば

遊びに行ける人達や
ライブが出来る人達を

遠くに見ながら
羨みながら

懸命に学んだ。



春には

糖尿病と
乳がんを抱えた
当時18歳の大事な飼い猫が

急変をし

私は
ますます外に出られなくなり


自宅で
作家としての仕事をしながら


通信教育で
勉強を続けて居た。





勉強は楽しかった。


勉強が楽しい事を
この時
初めて知れたのかも知れない。



学生の頃は
勉強が嫌いだった。


教科書をいくら学んだって

それが
生きてゆく上で
何の得になるのか


どれだけが
稼いで生きてゆく上で
必要なのか


理解出来なかったから


学校の授業は
私には
無駄な時間潰しでしかなかった。



学費も
生活費も抱えて

働きながら
通学をして居た私には


何時間を費やしても
時給を貰えない

それどころか
学費を
支払わなければならない授業は

無駄な苦痛でしかなかった。




卒業さえ出来れば良かった。


卒業さえ出来れば
学歴が手に入る。


成績なんて
最低でも良かった。


卒業してしまえば

そんなの
関係ないと思って居た。



だから
学生の頃は

勉強の

楽しさも
喜びも
理解出来なかった。



独りで
通信教育で学ぶ時間は
孤独だった。


猫の病状に怯えながら
猫のそばで
看護をしながら
勉強をした。



寂しい気持ち

置いてきぼりの気持ちは

いつも
胸一杯に在った。



でも
サボらずに
ただコツコツと勉強をしてた。


覚えて
理解し
解けるようになる喜びが

孤独な学習を支えてくれた。



そして。

資格をひとつ取得した。


その資格を
活かせる仕事が見付かり


私は
この年の夏から
薬に関わる仕事を始めた。



自分の体調も
猫の看護も考えると

長時間の勤務は難しい。


陶芸作家としての
本職も在ってのバイトだ。


でも

お金を頂く以上は
きちんと働きたい。



自宅からの距離や
勤務時間等

条件的に
とても良いとも思え

働く事にした。


仕事が決まった時は
物凄く嬉しかった。



一生懸命学んで
手に入れた資格を
活かせる事は
とても嬉しかった。


外出も
ろくに出来ない

体と環境で

それでも
働ける職場と出会えて
とても有難かった。



でも。


働き始めてみれば
現実は甘くは無くて。

体調は更に悪化し

毎日は
体の苦痛で
敷き詰められたような時間が

長く
長く
続くような状況となり


月下陽香の練習すら

それまでのようには
出来なくなっていった。





バイトの帰り道。


職場の最寄り駅には
ギタリストさんが
しょっちゅう現れてくれた。


猫が心配で
急いで帰る私に

小さなお菓子とか持って
しょっちゅう待っててくれた。



辛くてたまらない
バイトの帰り

彼の顔を見ると
ほっとした。


いろんな事を
もう少し我慢しようって

自分に言い聞かせた。


もう少し頑張ってみよう。

もう少し。
もう少し。


明日も仕事に行こう。




それでも。
体も。
心も。


苦痛の方が
増してゆくようになった。


続きはまた。










人は

愛される事を

きちんと知らなければ

愛する事を
理解
出来ないのかも知れない。


人を
ちゃんと愛せない者は

自分の事も
愛せないのだろう。



だから

自傷が生まれるんだろう。





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己が選んで傷付くならば。(現在に向かう私・38)

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体調が

なかなか回復しない。



毎日
必ず
仕事があるから


きっちり休めなくて

極力気を付けて居るのだけれど

まだ
とても辛いままの状態。



すごくだるくて
とても眠たい。



おかげで
夜は
日付が変わる頃には
眠りに落ちる事が出来る。


でも
ここ暫く


この体調が
悪化し出したころから


毎夜


3時とか
4時とかに

必ず目が覚める。



体が

酷くだるかったり

寒かったり
暑かったり

息苦しかったり

喉が痛んだり。



何かしらの嫌な感じで
目が覚めて

1時間とか
2時間とか
眠れなくなる。



とても
とても
しんどいのに。



思考を沈めて
落ち着こうとしても


言葉にならない

大きな不安や

環境への不満が

頭と
心に広がって


胸は
ざわざわと
嫌なざわつきを起こし


懸命に目を閉じても

チカチカと
疲れる光景が

閉ざした瞳に
次々と映り
眠れなくなる。




この時間は
とても苦しい。


不安感が
恐ろしく大きくて
たまらない。



きっと
もうすぐ
朽ちてしまように

とても
とても思えて


結局は

物凄く
やりたかった事も
ろくに出来ぬまま

志半ばで


傷んだまま
終えてしまうように思える。



持ってる者を羨んで

動ける者を羨んで

妬みに嘆き


途切れてしまうように思えて


叫び声を
上げそうになるんだ。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

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   ※69の記事があります。

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【「偏在な女に住み付く不足した少女。」(2015.1.3)】

【「絶ち切り捨てた寄生虫。」(2015.1.5)】

【「繋がる血を抜き取れたなら…。」(2015.1.12)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「自傷と摂食障害を掲げた逝き先へ。」(現在に向かう私・35)(2014.1.6)】

【「自傷癖は隠したい現実で知られたい真実で。」(現在に向かう私・36)(2014.1.8)】

【「馴染めない理由は偏在なのか。」(現在に向かう私・37)(2014.1.10)】






前回は

過程の続きを書かずに
今の想いを書いた。




過程を綴る記事は


2013年の
月下陽香の
3度目のライブの事を

書いて居る途中だったね。



書いてゆかなきゃね。





2013年から

摂食障害と
自傷を


晒し掲げて
ステージに立つようになった
月下陽香。



その始まりの
2回のライブは

会場のお客さまに
受け入れて頂けて


お客さまも
共に作り上げて下さるような
ステージとなり

私は大きく救われていた。



自分が

摂食障害者で在り
自傷癖者で在る事を


ステージの上で
観客に向かい
晒すという事は

何度も
何度も

悩み考えた挙句に

自身で決めた事ではあるが


やはり
とても恐ろしい事でも在った。



それこそ

大勢の目の前で行う
自傷行為のようでも在った。

誰かを不愉快にする可能性も
大いに在った。



でも

そこで私は
自分の偏在を
受け入れて頂けたように思え

それはとても有難く


これからの
心のチカラにもなった。



その
2つのステージを終えたから

私は

ここに

摂食障害と自傷を
覚え始めた
小学生の頃からの出来事を

記事として
順番に書き遺す作業も始めた。




そして迎えた
2013年の3度目のステージ。



その日も
私は


摂食障害も
自傷も
掲げて立つ覚悟はして居た。


しかし
その日は
朝から嫌な予感がした。



体調も悪く

自分の不調だけでなく
看護状況も
心配な状態で

なかなか家を出られず

遅れて
急いで向かった。



会場に着いた私は
もうダメだと思った。



自分が
そこに
全く馴染めては居ない事を

感じたからだ。



出演は
月下陽香とあと2組。


私以外の2組は
とても親しい様子だった。


そして

身内以外を
排除するような雰囲気が
始めから在った。




私は

摂食障害も
自傷も
何も伝えても居ない内から


背を向けられたような雰囲気だった。


そこで 
この偏在なイキザマを

どう掲げれば良いのだろうか。




心は
ただただ

委縮した。


顔では
必死で笑って居たけれど


心は
いつだって

声を上げて泣きたい位に
張り詰めて
痛んで居た。




それでも

駆け付けて下さった
お客さまの笑顔が

少し背を押してくれた。

救われた。




でも


何をやっても
上手く行かない日って

在る。


着替えひとつも
いつものようにはこなせない。


精神を落ち着かせる
一瞬の時間も
環境も


ないままに

ステージは始まった。





やはり
始めからダメ。


色んな事が
あちこちと
予定通りでは無く
どれもがぎこちない。



ステージすぐ横の席に
座られた観客は

大きな声で
ずっと話し続けて居るから

ギターの音も聴き辛い。




ただの晒し者か

粗末な生贄みたいだ

と思った。



私の事
何も知らなくても

気に入らないのだろうから

全部晒したって
変わらないだろうから


自分が決めたやり方は
貫こうと


ぐっと
心の唇を噛んだ。






月下陽香のライブは

現在のギタリストになってからは
いつも
私だけでなく
プレイヤーも
とてもよく喋る。


そのおかげで

月下陽香のステージは
明るくもなり

笑いも起こる。



サポートプレイヤーと言うよりも
共に支え合える相棒のようで


私は
現ギタリストの
ステージの上での言動は

とても有難いと思って居る。



時に

私が
楽曲の説明をして居る時などに

余りに食い込んでき過ぎて

予定より
そこに時間を食われたり



時間を見ていないから
それに気付かない彼の
喋りを止めて
セットリストを進めたり


ヒヤヒヤする事も
困る時も
悩む事も


ステージ上では
多発するけれど


それでも 


そんな
月下陽香とギタリストのステージは


これまでに
色々と試してきた
月下陽香のステージよりも


私は
居心地が良くて
安心が出来て楽しい。





この日
出演した店は

ギタリストの
お付き合いのある店。


私は初めての場所だし
観客には
ギタリストのお知り合いも
多く駆け付けて下さって居る。


ただでさえ
不安しかない私の心は

彼を頼って居た。


何とかして
いつもの私達のステージにしたいと
とても思って居た。



だから
いつものように

彼にも
声を掛けたりしてみた。



が。


そんな日に限って
彼は
一切の無駄口を叩こうとしない。


いつも
喋り過ぎる位喋るのに

この日は喋らない。




後で聞けば

会場の
あの
全くの「アウェイ」な雰囲気を見て


彼は
彼なりの
そのスタイルを選んだらしかったが


私に言わせれば

見捨てられたような心境だった。



状況によって
こんなにも変えられてしまうのは
きついなと
とても思った。


開けてみなければわからないのは

どのライブでも同じだけれど


自分たちの
いつも通りの形が
こんなにも
環境で変わってしまうのは


とても恐ろしいと思った。




なぜ
ある程度の統一がないのか


当時の私にとって

これはとても不満だった。


ステージの上は
孤独なんだと


改めて
思い知るようなステージだった。




とても孤独を感じたステージも

終わりが近付くにつれ
観客が
次第に耳を傾けて下さって居る事を
感じられるようになった。


拍手が大きくなって来たり
アンコールの声が在ったり
握手を求められたり。



それでも
私は

最後まで

心底は笑えずに過ぎた。


終わった後は
駆け付けて下さった方々と
一緒に飲んで話した。

やっと少し安心をした。



皆さまも

月下陽香が
馴染めて居ない事は
感じて居られたようだった。



その上で

懸命に
見守って下さって居た事が
わかった。




そうか。

みんな
一緒に居てくれたんだ。


とても思った。


あのステージの上には

みんな
一緒に立ってくれていたんだと。





でも。


始めから終りまで
あのライブは

月下陽香らしくもなければ
再び観たいものでもなかった。


だから
私は


その後も
このライブを
YouTubeには上げなかった。





あんなライブは二度としない。

深くそう思った。



月下陽香は
頻繁に
ステージに立てる訳では無い。


年に
本当に数回がやっとだ。


数少ない

ひとつ
ひとつ。



苦しんで終えたくはない。


必要以上に
嫌な想いや

必要以上の
大きな後悔


どう考えても
不自然な状況や

どこにも
居場所が無いような
疎外感

不信感


そんなもののないライブを
きちんと消化して行きたい。



ひとつ終えれば
次までには
まだ
数ヶ月もあるような状況で



次への
課題や目標になるような

想いや
後悔は
大切だけど


傷を引き摺るしかないような痛みを

感じるステージには

もう立ちたくない。



駆け付けて下さるお客さまにも
失礼だと思う。

イキザマを
晒し伝えるステージを

ちゃんと作りたい。





ステージに立つ時。


これからは
環境を選ぼうと
この時強く刻んだ。


摂食障害や
自傷癖を

掲げてのステージを

まだ続けるならば

そうしないといけないと思った。



いつまでそうするのかは
私にもわからない。


でも

今はまだ
それを掲げて
活動をしているのだから

選ばないといけないんだと思った。



それは

自分の為でも在り

応援して下さる方々の為でも
出演させて下さるお店の為でも
その日の他の出演者の為でも

在ると思った。




続きはまた。





ギタリストさんが

彼のお友達が
送って下さったらしい卵を
私にも分けてくれた。


寒い中届けてくれた。



寒い日も
暑い季節も。


これまでに何度

彼は
我が家までの道のりを
単車に乗って
走って来てくれただろうか。



この
ブログの記事を読みながら

娘を持つ父でもある彼は

時に
胸が痛いと言う。


自分に
言われているような気持ちになるんだって。



今日の記事は

彼の事も書かれてるから

また
胸を痛めてしまうのかな…



そんな気はなくて

経過してきた
私の思考を


言葉にし
文字としている

私の
イキザマを整理する
作業の一環だから


楽に
読んでくれてたらいいなと思う。





※ ライブ前後等を覗きコメント欄は暫く未設置となりました。
何か御座いましたらメールでご連絡をお願い致します。(2014.8.30~)

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馴染めない理由は偏在なのか。(現在に向かう私・37)

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フリージアと
チューリップを
買い足した。



骨壺の前に
欠かさない花。


昨年の6月22日。

愛しいものを
看取って以来


花は欠かされる事なく
在り続けてる。



花が無くても
大丈夫な私には
まだなれていない。












2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「キズグチをあやすように。」(2015.1.1)】

【「偏在な女に住み付く不足した少女。」(2015.1.3)】

【「絶ち切り捨てた寄生虫。」(2015.1.5)】




過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「自傷と摂食障害を掲げた逝き先へ。」(現在に向かう私・35)(2014.1.6)】

【「自傷癖は隠したい現実で知られたい真実で。」(現在に向かう私・36)(2014.1.8)】






過程を綴る記事は

2013年7月。




ここに


摂食障害と自傷を
覚え始めた
小学生の頃からの出来事を

順番に書き記してゆく事を
始めた所までを
書き終えた所だ。


続きを書こう。





2013年から

ステージの上で


自分は
摂食障害者で在り
自傷癖者で在る事を

はっきりと伝え掲げて
展開をしてゆくようになり


2回のライブを終えて


ここに
記事を書き遺す作業を
始めて

間もない頃。





その年
3回目のライブを迎えた。


私にとっては初めての店だった。


ギタリストさんが

所属して居たバンドのライブをしたり
セッションに参加したりして居て
繋がりのある店で


私も
それを観に伺った事はあるが

その店の
ステージに立った事はなかった。



お店と
ギタリストさんが親しくしている事で

月下陽香も
そこで歌わせて頂ける事になった。




この年の4月に

糖尿病と
乳がんを抱えた
当時18歳だった飼い猫の
体調が急変し


以来

毎夜
3時間置きには様子を看て

日中も
長時間の留守番も
させられない状態で

暮らして居たから

一度しか伺えなかったが


それでも

必死で時間をつくり
環境を作り

ライブ前にはお店に伺った。



挨拶に出掛ける時は
いつもそうだが

一生懸命飲んだ。


一生懸命飲んで
いくつかのフードも頼んで
同席の人達に食べてもらいながら

ステージの
作りや明るさや
店内の様子を
覚えて帰宅した。




いつも通り

イメージを湧かせ
 曲順を決めて。

どんなステージにしたいのか


自分に

問うて
問うて
準備をした。



ステージに

私は

イキザマを晒して立つ。


偏在なイキザマを

会場に居る人達に
掲げて立つ。



いつも思う。


自分で決めたスタイルなのに。


いつも思う。


なぜ
そんなやり方を選んだのだろうかと。




人生の
ほとんどを占めてしまった

摂食障害と自傷は


私にとって

最も知られたくない
隠しておきたい

現実であり


最も理解されたい
受け止められたい

真実でも在る。


きっと

だから

私は
このスタイルを選んだ。



でも

それはとても怖い。


いつもいつも。

怖くてたまらない。


板の上は
楽しくなんてない。


とても苦しい。


痛む事をわかっていて
それでも突っ込むステージは

恐ろしくてたまらない。




それでも

この年に
既に終えた2回のライブで


私は
救われる想いを知った。


だから

こうして
3度目を選んで迎えた。


そして迎えた当日は


出掛ける時から
とても嫌な感覚が在った。

上手くいかない匂いがした。



とても気を付けて
ケアに注いで来たが

体はとてもだるくて辛く

心は

どうしても
何をしても

上がらなかった。



猫の具合も良くなくて

家を出る時間は
予定よりも遅れた。


店に向かう道のりでも
気持ちはどんどん落ちていった。


やっと最寄り駅に着き
店へと歩き始めれば

通り雨。


濡れながら

息を切らして
山程の荷物を持ち

歩いた。




店に着けば
もう
他の出演者は揃って居て

リハが始まって居た。



頑張っても
上手く笑えない心境は

その空気に
更に落っこちた。



「私は受け入れられて居ない。」

とてもそう感じた。




明るくて雰囲気の良い店。
マスターも良い方で
とても優しくして下さる。
悪い店では決してない。


しかし。


その日
共に出演をする人達に

私は受け入れられて居ないと

物凄く感じた。




まだ

摂食障害者で在る事も
自傷癖者で在る事も


私の事なんか
何も見せては居ない内から


私は
とても浮いて居て

そこには
馴染めて居ない事を感じた。


大きな苦痛を感じてた。


大きな
孤独のヘドロに

突き落とされたような想いが在った。





リハが終わり

開店を待つ。





月下陽香は
一生懸命
笑ってそこに居るけれど
心はどん底だった。


息は
どんどん浅くなるように感じた。


出番はトップ。



月下陽香は
この年から
着物でステージに立っているので

着替え等
準備に時間かかかる。



着替えをする間は
基本的には
いつもひとりで居られる。


控室が無い店も多いから

どこで着替えをしても
そこに人が居ても
大丈夫なように


ショートパンツとキャミソールは
いつも着て居るが


大抵は
着替える時は
ひとりで居られる。



だから
その時間を利用して

私は
私と向き合い
気持ちを落ち着かせる。


でも

そこには
そんなスペースも無かった。


店の前の
駐輪場の隅のような場所。


風も通らぬ
暗い店の外で

じっとして居ても
汗が吹き出す蒸し暑さ。


そこで
着物に着替えるには
かなり苦労をしそうだから

早く準備をしないとと
気持ちは焦り
更に落ち込んで居た。






開店間もなく


いつも
月下陽香のステージを
素晴らしい写真に残して下さる

とてもとても
お世話になって居る方が
ご来店下さった。


スリムで長身で
笑顔がとても穏やかで

私は

いつも
その方のお顔を会場に確認すると

安心を頂く。


不思議な力を持つ方だ。





前年の11月になるが
京都でライブをした時に

月下陽香は
過去最低人数の集客しか
出来なかった事が在ると言う事は


ここに
過程を綴る中でも
最近の記事で
触れた事が在る。



その
当時の私が

そのライブについて
書いて居る記事は
このふたつだが。

【「限りあるからこそ。」(2012.11.13)】

【「冬に咲く花。」(2012.11.17)】



安心を下さるその方は
いつも来て下さり

この時
来店下さって居り


当時は
可愛らしい女性と
ご一緒に駆け付けて下さって居た。


ペンギンが大好きな
小柄な女性。




2013年が明けて
まだ寒い季節。


約3ヶ月ぶりに
彼女と再会をした。


その時
彼女は
ご家族もご一緒で居られ

いとこである女性を
紹介して下さった。



その日の事は
とても良く覚えて居る。



しかし
それが
彼女と会えた最後となった。


2013年春。


彼女は天国へ召され
もう
この世では
会えぬ人となってしまった。



会えた最後の日に紹介して下さった
彼女のいとこでいらっしゃる女性が


2013年の7月

私が
どうしても
気持ちを上げる事が出来ず
苦しんで迎えて居た
ライブの会場に

いつも来て下さる
安心を下さる方と共に

ご来店下さった。



その後は
大阪からも
兵庫からも
駆け付けて下さる方々が居られ



私は
着替え等準備をする為に
店を出た。




どうしても
気持ちを上げる事が出来ない

どうしても落ち着かない


この環境で


月下陽香は
まるで「アウェイ」だった。


私にとって
その夜は

本音を一言で言えば
「最悪」だった。




でも
そこに駆け付けて下さった方々を
順番に思い受かべたら


やっと
孤独感は少し失せた。


時計を見ながら
必死になって着替えた。


着物が
汗で肌に貼り付いてしまう。


いつもの
倍以上の時間をかけても
着替えが終わらない。



どうしようもならない。


思い付く事を
全て試みても


真夏の
地下の
アスファルトの隙間では

どうする事も出来ない。




時間は押して
ステージが始まった。



続きはまた。










木曜日頃から
体調はどんどん悪化してる。


数日は
最低限の仕事をこなすだけで
精一杯なように思う。



体が止まると
心が止まる。



早く

頑張れば
なんとか動いて居られる
いつものように

生活が出来る所まで戻したい。



炎症や
熱が治まれば

ちょっと楽になるね。



今日は
出来るだけ
体を休めながら
仕事をしてる。


顎も腫れてて
顔がでかいなぁ…



こう言う時は

仕事以外では
人とは会わない時だね。




もう少し。

もう少し。


動けるようになれたら…。



今年は

少しづつ

音楽の在る場所にも
遊びに行ってみたいと思う。





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自傷癖は隠したい現実で知られたい真実で。(現在に向かう私・36)

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どんなに望んでも

どんなに求めても


得られないものが在る。



それに
はっきりと気付けたのは

いくつの頃だったろうか。



それを
認める決意をした私は

いくつだったろうか。



どんな事をしても

絶対に

私には
与えてはもらえないものが在る。



それを

もう
痛い程に知りながらも



いつまでも

どこかで
求めてしまうのはなぜだろうか。



どんなに

足掻き
もがいて

手を伸ばしても


指先にもかすらない。




周りの

全てでは無いけれど

多くに値する者達には

恐らくは
当たり前に
与えられていただろうものが


私には無かった。




それらには意味が在る。

そう信じて来た。

でなければ
やってられなかったと言う本音も在る。


例えそうでも
そう考えて生きて来た。



嘔吐と

自傷を


重ねても。












2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「キズグチをあやすように。」(2015.1.1)】

【「偏在な女に住み付く不足した少女。」(2015.1.3)】

【「絶ち切り捨てた寄生虫。」(2015.1.5)】




過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「自傷も嘔吐も掲げ立ち続けて。」(現在に向かう私・33)(2014.12.28)】

【「羨み妬み自傷癖者に突き刺さる棘。」(現在に向かう私・34)(2014.12.30)】

【「自傷と摂食障害を掲げた逝き先へ。」(現在に向かう私・35)(2014.1.6)】





過程の続きは
2013年の夏頃に辿り着いた。


月下陽香は

2013年から


摂食障害と
自傷癖を

真ん中に掲げて
ステージに立って居た。


2月6月と
2回のステージを終えて。


2013年2月17日 大阪あべの「ザ・ロック食堂


2013年6月9日 大阪あべの「ザ・ロック食堂」



それまでに
ずっと考えては居たけれど

実行には至らなかった想いを


形にし始めたいと
考えるようになった。



それは

私が

摂食障害者であり
自傷癖者となり始めた

小学生の頃からの出来事を


順番に
記事として書き記す

と言う事だった。




摂食障害と
自傷と共に生きて来た私の

これまでの人生が
どのようなものだったのか


そこでは
何が在ったのか

そこで私は

何を見て
何を知り

どう感じ生きて在ったのか


記憶に残る出来事を

ひとつ
ひとつ

頭に
胸に

呼び起こしながら


改めて
今の私で向き合い
記事として
書き上げ

発信すると言う事だった。




「自分を知って欲しい」


そういう想いも確かに在った。


でも
それは小さな一部だった。




人生の
ほとんどを
占めてしまった

摂食障害と自傷は


私にとって


最も知られたくない
隠しておきたい
現実であり


最も理解されたい
受け止められたい
真実でも在る。


その
現実と真実の関係は
とても矛盾している。


しかし
それこそが
人間のようにも私は思う。




私が
まだ10代の頃には

現在のように
誰もが
簡単にブログを開設して
日々を綴り
発信するようなシステムが
整った時代では無かった。

今のようにSNSも無かった。



私が
携帯を初めて持った
20代前半の頃は


まだ
携帯に
ネット環境も存在しなかった。


だから

当時の私は

摂食障害や
自傷に関する

本を探して
見付けては読んだ。



携帯で
ネットが見れるようになると


摂食障害や
自傷に関する
ブログを検索しては

読み漁った。




10年と少し前頃
やっと
我が家には
当たり前にパソコンが存在するようになり


毎日のように
検索をしては


摂食障害者の言葉や

自傷癖者の画像を

どれだけ見たかわからない。




誰にも言えない現実を
抱きしめて


そこへ行けば


同じような

経験をしたり
想いを知って居る

どこかの誰かが綴る文字に
触れる事が出来


その人を知る訳でも
自分を
知って貰って居る訳でも無いのに


理解をされて在るような
気持ちにもなれた。




経験者の言葉は

孤独な心に
沿うてくれた。


たとえ一夜で在ろうと

耐え難い数時間を
沿うてくれて在ると感じた。




私は

摂食障害者で在り
自傷癖者で在る

実体験者だ。


数ヶ月や
数年なんてもんじゃない。


20年と約10年。


結局は
約30年間もの年月を


それらと共に
生きて来たんだ。



そして。

やっと。

やっと私は


そこから

距離を置いて
生きようとして居る。



今ならば

私だから
伝えられる何かが


在るかも知れない。



今宵迷える
似た痛みを持つ
どこかの誰かの
一瞬の居場所になる事も
出来るかも知れない。




摂食障害と
自傷を


過去として
見つめられる所まで
書き続けられたならば


出口へと導く
小さな手伝いが
出来るかも知れない。



こんな偏在な私の

歪んだ
汚れた
イキザマにでも


だからこそ
何か…


多くの人の
求めには
応じられぬとも

似た不足を知る人の何かに。

なれやしないだろうか。






それまでは

このブログは

私が
知り合いと話すような感覚で
書かれていた。

実際に知る人達に
想いや活動を伝える為に
在るだけの
在り触れたもので

訪問数もとても少なかった。



1日に100を越えるなんて
滅多に無い状態だった。



そんなここに

過去の記事はそのままに
新たに

自分の足跡を
書き遺す作業を始めた。



私が
どう変わってゆくのかも
伝えられるように


新たに
違う物を開設するのではなく

そのまま
ここに
詰め込んでゆこうと思った。



それを始めようと決めた時に

自分にルールを決めた。



決して
自傷や嘔吐を美化しない。

それらを誘うような表現をしない。

だから

自傷の画像を載せる事もしない。


目的はそこでな無い事を
自分の胸に確認をした。



そして。

「にほんブログ村」にも
登録を決めた。


出来るだけ多くのひとに
ここを知って貰う為に
それを選んだ。





そうして書き始めた過程。

その始まりは2013年7月7日だった。

【「腐ったパンと壊れた少女。」(小学生・1)(2013.7.7)】


この記事から

私は

これまで
誰にも言わないできた出来事も

覚えて居る限り
書ける限り

順番に
ここに記し始めた。



自分の愚考も愚行も。

母の事も父の事も
妹の事も。

お金の事も
仕事の事も

男の事も

子供の事も。




書き始めた当時は

まだ
捲る記憶が
とうの昔の出来事でも在り


言葉にはしやすかった。


ひとつづつ
順番に思い出しながら

言葉にし

文章にし

書き出してゆくと
改めて気付いた。



書きながら

自分の中では
出来事
ひとつひとつに対し
確認作業が
行われていると言う事。


その時の感情は

まだそのままなのか

消化出来て在るのか

どう理解出来たのか

確認が出来なければ
言葉にはならないんだ。



そして

記事をひとつ書き上げる毎に


私自身が
やっとひとつ
現在に向かって
進んだように思えた。




書き続ける事は楽では無い。

とてもしんどい。

本当にしんどい。


なぜこんな事を始めたのかと
後悔した事も何度も在る。


もう書きたくないと
頭を抱えた事も


思い出す出来事が
余りにも苦し過ぎて
壊れそうな時も


何度も何度も在る。



それでも私は書き続けた。


現在も
こうして書き続けて居る。




続きはまた。









今日は
体調が良ければ

今年初めての
月下陽香の練習日だったけれど


酷く不調で
練習をやめた。


ここ数日
とても調子が悪い。


だけど
寝込んでは居られない。



やる事は沢山在る。


寝てたら仕事が出来ない。


今日も
バイトに行き
その後の練習はやめたが
少しだけ横になってから
陶芸の仕事をして

この記事を更新して居る。



この後はまだ
もう少し仕事が残って居る。


もう少し頑張ったら

お風呂に入って
今夜も出来るだけ早く眠ろう。





バイトに向かう道のり。


今日は
いつもの
ぶーにゃんには会えなかった。


でも

バイト先で
少し前から
噂に聞いて居た猫に
駐輪場でご対面した。


ハナクソちゃん



呼ばれてる。




※ ライブ前後等を覗きコメント欄は暫く未設置となりました。
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自傷と摂食障害を掲げた逝き先へ。(現在に向かう私・35)

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今年も


相変わらず


日々
使い果たして
生きる生活が始まった。



毎日毎日

もう

夜にはぐったり
くたくただ。



早朝から
動ける限り動く。


この体を

動かして
働いて
生きる。



メリハリを
付ける努力をする。


でないと

人は
楽な方に流れてく。


そんな事してたら

無駄に
時間を消費してしまう。



ずるずると
意味も無く
テレビを見続けたりするような

時間を潰す暮らし方が
出来る程


自分には

余裕は無いと感じてる。


ならば

動かなければ
何も入ってこない。



空腹を感じては

直ぐに
口に何かを放り込み

座り込んで居たならば


ただの
ぐうたらでしかない。



時間は
限りあるものなのに。


勿体ない。



私が
動ける時間なんて

少ししかないのに。


勿体ない。




抱く不満を消化したいなら

向かう明日に

どんなに小さくとも
求めたいものがあるなら


さぼらずに
歩いて在らなければ

何一つ得られない。



ええ歳こいた大人ならば

自分で
枠を広げなければ

選択肢は
勝手には増えてはゆかないんだ。













2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。






時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「キズグチをあやすように。」(2015.1.1)】

【「偏在な女に住み付く不足した少女。」(2015.1.3)】

【「絶ち切り捨てた寄生虫。」(2015.1.5)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「血を流して生み出して在るのだから。」(現在に向かう私・32)(2014.12.27)】

【「自傷も嘔吐も掲げ立ち続けて。」(現在に向かう私・33)(2014.12.28)】

【「羨み妬み自傷癖者に突き刺さる棘。」(現在に向かう私・34)(2014.12.30)】






摂食障害と

自傷を

覚え始めた頃。


私は
まだ
小学校の低学年の子供だった。



以来

共存し続けた20年間。

そして

何度も引き戻されて
断ち切る事の出来なかった
約10年間。




それらの出来事を
順番に
ここに書き遺す作業を始めたのは

2013年の七夕。



書き続けた過程は

現在2013年の
6月頃の私を
書き記して居る。



昨年からの続きを
書いてゆこうと思う。






2012年の夏から

月下陽香のサポートプレイヤーは
現在のギタリストだけとなった。


彼以外の人では
いけない訳では無いが


これまでに
関わった誰よりも

彼は
私の楽曲を
大切に扱ってくれたし

筋の通らない我が儘を
言う事も無く

問題を起こす事も無い

優しい大人だったから…。




それまでが

人の尻拭いや
押し付けられる矛盾に

使い果たし

嘔吐や
自傷に

逃げ込まなければ

生きて在れなかった私は
もう疲れ切って居た。



安心が欲しかった。


音楽活動は

血を吐く努力の末に
やっと手に入れた

再び戻れた場所であるのに



そこに居る程に

私の楽曲は
傷付けられて

仲間も傷付けられて

私の
体も心も

注ぎ
使い果たす労力の全ては


壊されて

無駄な
ゴミに

されてゆく。



焦る程
かけ離れ


朽ちる速さは
増してゆく日々に


私は
安心をとても求めた。



だから

プレイヤーをひとりに決めた。


もう
色々と探して
試して
あちこち出向いてみたり出来る

動ける体も
失ってしまったって事だった。







現在のプレイヤーとだけの
活動になり始めた頃から

自傷は減っていった。


特に

摂食障害による嘔吐よりも
先に


まず

リストカットや
アームカットを

しなくなっていった。




切りたい。

焼きたい。


そう思う事は何度も在った。

数え切れなく在った。


切りたくてたまらなくて
大声を上げそうな夜は
沢山沢山在った。


でも
しない私を貫いた。




2012年の誕生日
6月にステージに立った時

私は
ウエディングドレスに似せた衣装を着て
手袋をしていたが


この時
私の手首には

傷が在り

それを衣装で隠して居た。




その後だ。


プレイヤーが
ひとりだけになり


切らない私へと

私の思考が
傾き始めたのは。



それ以来 

んなに呼ばれても


私は

体を

切りも
焼きもしなかった。




切りたい。

切りたい。

焼きたい。

自傷は
何度も私を呼んだ。


その度に

そこへ行きたくてたまらなかった。



そこへ行けば楽になる。


切って

血が流れる時の
あの快感は

経験者ならわかるだろう。



皮膚を焼き

赤く腫れ上がる皮膚を
潰す痛みと快感は


経験者でなければわからない。


まるで麻薬だ。


あの快感は

麻薬だ。



脳みそは

いつだって
思い出せる。


あの快感は麻薬だ。




それでも

私は

そこへ戻らぬように耐えた。


とても苦しい。

自傷した方が楽なのに。


ひたすら耐えた。


この体に
を付けずに在ってみたいと。





私が

自傷をしたくて
たまらなくなる時。



切りたい
焼きたい


そんな感情に襲われる時。



大抵
私は


自分以外の誰かに


大きな矛盾を押し付けられて居たり

大きな我慢をさせられて居たり

深く傷付けられて居たり 


人のしでかした何かの
後始末を
背負わされて居たりしている。



自分の愚行ではなく
人の愚行に


振り回されたり
壊されたり
奪われたりして


その苦しみを

消化出来ずに
自傷に頼って居る。




100パーセントではないだろうが
基本的に

私が
自傷に呼ばれる根本に
在るものはそれらだ。



恐らくは

今までも
私はそれを感じて居た。


しかし
漠然と感じては居ても


こうして
分析を
言葉に出来る所までには
到達しては居なかった。


だから
痛みを

自傷で誤魔化して生き延びた。





しかし

やっとこの頃。


その根本に在るもの

自分を
自傷に引き戻す原因の


共通点を

私は
はっきりと理解し始めた。




遠い昔から


記憶を捲り
起こして見ても


私が
自傷を覚え始めた時


その
一番の原因


私を
自傷癖者に
摂食障害者に

仕上げた者は

誰かと問えば


それは

きっと親だ。




異常な程の
抑圧と
束縛の中


友人との仲も上手くゆかず

学校に居場所もなくなり



非常階段の上から

腕を切りながら
身を屈め
丸めて


校庭や
渡り廊下の同級生を

見てたんだ。

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】※7つの記事があります。




親よりも
生徒と長い時間を過ごすだろう教師も

私の心の叫びより

母の嘘を信じてた。


家族は破壊され

私は職も失った。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】※61の記事があります。



ホステスとして生き始めた
一番の理由はお金だった。



でも

その
一番の理由に

背中を合わせるように在った理由は
2つ在った。




ひとつは

自傷癖者で在り
食障害者で在る私が


普通に
OLなんて出来るようには
思えなかったと言う事。


人並みを装い
社会に在り続ける自信は
見当たらなかった。



そしてもうひとつ。


私は


人生の裏側を
知りたいと
とても思って居た。


表では無くて

裏。



私にとっては母汚かった。


この世で
最も汚い人間で

ずるい女だった。


それを


超えてやりたかったんだ。



私を壊した女よりも


上から

見知り尽くした私で

女を見下ろしてやりたかった。



これは

ある意味で


自傷だったと


それは
当時から理解出来て居た。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】※50の記事があります。




その間


私が


吐く時
切る時


その原因には

いつも親が絡んで居た。


いつもいつも。
根底には親が在った。





そして

大阪へ逃げて来て。


環境は大きく変わったのに


私は
自傷も嘔吐も止められなかった。


どんなに止めようとしても

引き戻された。


そうなる時には

必ず
根底に

大きな我慢が在った。

人に
押し付けられる我慢が在った。






「押し付けられる」・・・



幼い頃から
叩き込まれた

「我慢」の意識は
深く根付いており


私には


何にでも
我慢をしなくてはいけないと

いつも
自分に課せてしまう
思考の流れが在り



それにより

限界を超えた我慢をし

その都度
自傷で消化をした。





人には
するべき我慢が在る。


でも。


何もかもに

押し殺して
我慢をし

飲み込み続ける必要は無い。



我慢しなくて良いことだって在る。


でも

私にはその判断が出来ない。



だから


全て

まずは我慢をする。


我慢して
我慢して苦しんで。


飲み込めない感情は

全て
自傷行為に向かうんだ。


音楽活動でも結局はそうだった。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】※現在執筆中。




拒否する事を覚えて居れば

きっとこうはならなかったのに。



ここまでもの長い年月を
自傷に囚われて
生きなくても在れたろうに。





自分の意見は言ってはいけない事だと

幼い頃から
叩き込まれた

偏在な親の教育の中で

判断した私は


必要以上に

どんな矛盾も
我慢をして
飲み込んでしまう事で


自分も

自分以外の者も


結局は


壊してしまう結末を
繰り返してきたように思える。






やっと
少しづつ気付き始めた月下陽香は


2013年から


ステージの上でも


摂食障害と
自傷癖を


掲げて立つようになった。




2012年の
6月のステージを終えて以来


自分が

自傷から離れて生きたいと


それを
想いや考えだけではなく

行動に移そうとし


そうし始めた事を感じ


私は

2013年から


それまでの
チラ見せでは無く

月下陽香の活動の真ん中に


自分の
偏在な真実を
晒す覚悟を固めて動きだした。






やっと。そこまで辿り着いた。


月下陽香の活動も

その裏側も

私の自傷も。



でも。


遅かった。



私の体は


もう

それまでのようには
動けない所まで
行き着いてしまって居た。


少しの移動も
とてもきつくなっていった。


ライブ会場まで
辿り着くだけでも

もういっぱいいっぱいだ。

辛くてたまらない。




ひとつ
ステージが決まると

そのお知らせを続けながら


ライブの前には

出来るだけ
出演させて下さるお店に
ご挨拶を兼ねて伺い

出来るだけ飲食し

店内の様子もこの目で見て


出来れば
数回は足を運び

常連さんとお話をしたりもしたいと


それまでは
いつもそうして準
備をしてきてきた。



月下陽香は
いつもそうしていた。


余程遠方でない限りは
極力そうしてきた。



でも
もう
それをする体もなくなってしまった。



出来ないんだ。


しんどくて

しんどくて。





ライブの前に一度

何とかして
数時間お伺いするだけでも
限界を超えるようになっていた。



だから
その時は

懸命に飲んで
周りの人達の分のフードまで頼んで
お金を出来るだけ使って。


そうして
何とかしてのご挨拶が
目一杯体に無理をして
やっと出来る程にまで


体調は悪化してしまった。



ライブ当日も

時間置きに投薬をしながら
栄養ドリンクをがっつり飲んで
なんとか繋ぐ。


リハが終わって
開店を待つ間も


余り
出演者みんなが集まる所に居られない。



体がしんどくて。


しんどい顔を見せたくないけど 


どんなに頑張っても
笑って居られない位
しんどいから

極力そこに居ない。




本番が始まっても


自分の出演が終わるまでは

他の出演者を
ずっと観て居られる体調が
見当たらない。


ちょくちょく
控室に逃げ込んでは

一瞬横になり

薬を飲み

目を瞑り
深呼吸を繰り返し。



そうでなければ


人前での私が


最後まで

店を出るまで 


笑って元気には居られないんだ。


観客の前で
笑顔で居続けられないんだ。








2013年から

月下陽香の
ライブ回数はぐんと減った。


この年


月下陽香が上半期に立てたステージは
2回だけだった。


その2回に込める想いは壮絶だった。



2013年2月17日 大阪あべの「ザ・ロック食堂」



2013年6月9日 大阪あべの「ザ・ロック食堂」






次回からは
改めて
この続きから
過程を書いてゆこうと思う。










大切な人達のブログ。


いつも伺う場所が
いくつか在る。



そこに


無理なく
穏やかに在れて居たり

無理なく
嬉しい出来事が書かれて居たり


する時に。



良かったって。

うれしいなって。


私も思う時が在る。


その時の私は


とてもうれしくて
幸せだ。


幸せで

ほくほくと心があったかい。



寂しそうな時。

何が出来るかなって

私に出来る事ないかなって

考える時が在る。



そうやって想える人と
繋がれて在れる事は


とても有難くて


そこにも
自分の居場所を感じてるから

そんな風に思えるんだと思う。








良く知ってる人なのに。


苦しい時も在る。
悔しい時も在る。


それは

まだ私が
この胸の中のどこかに

羨みや劣等を
未だ消せずに
持ち合わせて居るからだと言う事も


十分にわかる。





私は


未熟な「人」であり

立ち止まる「幼児」であり

知り尽くした「女」であり

半端な「母」であり

訴える「うたうたい」であり


偏在な「陽」である。




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羨み妬み自傷癖者に突き刺さる棘。(現在に向かう私・34)

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あと2日だ。


あと2日。


2014年。



愛おしい命

大事だった人

大切な環境
関係


沢山
沢山

失った今年。


あと2日だ。












2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「亡くした今年の最後に在りて。」(2014.12.19)】

【「キズグチに何を埋め込めるのか。」(2014.12.22)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「血を流して生み出して在るのだから。」(現在に向かう私・32)(2014.12.27)】

【「自傷も嘔吐も掲げ立ち続けて。」(現在に向かう私・33)(2014.12.28)】




過程を綴り続けた今年。


今年最後の記事は
明日
過程からは離れて
書こうと思うので


年内に

私が
記憶を捲り
記事を書くのは


これが最後。


皆さまいつもありがとう。


続きを書くね。




2013年から

摂食障害も
自傷癖も

晒して立つステージを始めた
月下陽香。



持病も悪化する一方の中で

動く事も
難しくなってゆき


ステージに立てる回数も

この年からは
大きく限られてきた。




まだ
動ける内に
やっておきたい事は
沢山あった。



私の体は
近い将来には


必ず

動く事も
歌う事も

どんどん難しくなる事は
わかって居るから


だから
必死で走ってた。



動ける内に

歌える内に。


そう思って
一生懸命走ってたけど。



関わる誰かが
必ずぶち壊した。


私よりも

ずっと元気で
病気でもなく
動ける体を持ってる人が


私の足を

引っ掛けて転ばしたり

足元に

石や釘を転がして
怪我させたり


走る私の足を
止めようとした。



楽曲を殺す者

仲間を傷付ける者

環境を壊す者



私の
音楽活動に関わる者達は


私の余力は
もう残り僅かなのに

邪魔をして
奪って去って行った。




月下陽香となり

そのサポートが
現在のギタリストだけとなり


やっと
活動は

やりたかった形へと

少し
近付き始めて居たけれど


もう
私の体は
前のようには動けなかった。



もう数はこなせない。


その分も
ひとつのステージに

込める想いや
注ぐエネルギーは
物凄く大きかった。


どんどん大きくなった。



板の上の月下陽香は


内臓を
全部吐き出してしまうような勢いで


その都度

その時の

記憶も
想いも
願いも

全部を注いで
向かう場だった。




摂食障害も
自傷癖も
晒し掲げた

2回目のステージはこれだった。

2013年6月9日 大阪あべの「ザ・ロック食堂」



この後に
当時の私が書いた記事がこれだった。

【「傷は膿を吐き出して種は熟れを吸い上げて。」(2013.6.13)】





摂食障害と自傷。


約30年間も共存したそれらは

良くも悪くも
結局は私そのもので在ろうに。


それは
私にとって


最も知られたくはない
隠し通したい現実でもあり


何よりも理解されたい
真実でも在り


背中合わせに
想いも共存をしてきた。



それを
晒して生きる場所を
ひとつ

持つ覚悟をした事で

失ったものも在る。



でも
私は
それをした事で


恨み
憎しみ続けた

深く傷む

キズグチを
ひとつ

癒えに導く思考を

得る事が出来たように思えた。






朽ちてゆく体

歌えなくなってゆく顎

日々付きまとう看護

眠れない生活は6年目。


毎日はとてもしんどかった。

楽に動ける日なんて1日も無かった。


無理をしても
動けなくなっていった。


出掛ける事も
ほとんどなくなった。

行きたくても行けない。


人前に出れば
無理をしてでも笑って居たい。

元気でなくても
元気に見せて居たい。


もう
それも出来なくて
人前に出られない。


無理をすれば笑えそうな日も

いつ
また急変をするかわからない
小さな体を置いて
外に出る事は
とても辛くて苦しい。




動ける人達が
羨ましくてたまらなかった。


私程の無理をせずとも

行きたいライブに行ったり
店に遊びに行ったり

する事が出来て


自分のライブも出来て

そんな人達が羨ましかった。



私は

身動き取れずに
苦しんで
日々を在るのに


私の知る人達や
私が繋げた人達は


動いて
奏でて在れる様子は


私の胸を
日々突き刺して

傷だらけにしてゆくようで


とても羨んだ。


羨んで

妬んだ。




わたしだってね

物凄く
物凄く

頑張って来たんだよ。


私が

残りの力を振り絞って

無理を重ねながらも

後始末をし
尻拭いをし

傷付いて
磨り減って

それでも頑張って。


とうとう動けなくなってしまった。



私を

こんなにも早く壊した奴らは

あちこちで遊んで
奏でて

楽しそうだ。



奪って
去って行った

それまでの関わりも

恨み妬んだ。



そのように
感じ取らなければ
在れない自分も嫌だった。





やりたい活動には
やっと近付けたけれど

心が

穏やかに満ちる事は無い。

体が

健やかに安らぐ時も無い。




切りたい。

焼きたい。

吐きたい。


摂食障害や自傷は

頻繁に手招きをした。



切りたい
切りたい
切りたい。


その言葉は


震える程
そう繰り返し想い

頭の中に

呪文か
呪いのように

繰り返された。



だけど

止まった。

なぜだろう。


私は

数ヶ月
あらゆる自傷行為から
距離を置いて居た。


したくてたまらなくなるのは
頻繁なのに。


しないで居ようと
懸命に思い
闘って居た。



続きはまた。





一昨夜

ギタリストさんが
差し入れを届けてくれた。


大好きな海老の入ったサラダ。


早朝から夜まで
全力で
使い果たして働いてる

体にも心にも

有難くてうれしい。
とってもおいしい。



吐きたいと思わずに
食べられる事は
幸せだと思う。




今年6月に
愛しい命を見送った後


悪化し過ぎた持病が
少しでも
良い状態で維持出来るように
治療を始めたものの


副作用は
言葉にはし尽せない程に
苦しくて

1ヶ月程
まともには動けなかった。


毎日毎日
副作用による
吐き気や蕁麻疹で苦しんだ。

タバコも吸えなくなった。



やっと
状態が落ち着き始めて

何とか
保てる状況を得た途端

本職に大きなダメージを受け
急いでバイトも始めた。



その頃から
一生懸命食べた。


出来るだけ。

毎食少しだけ多く
頑張って食べた。


タバコをやめたから
仕事の合間の休憩にも
何かひとつ

お菓子のひとつでも
口に入れたり

意識した。



私には体力が無いから。


動けない夏を越えて

もう
あんな足踏みは
嫌だと強く思ったから。


バイトは
私にはとても過酷。

それだけでもくたくただけど

陶芸作家としての仕事は
自分でこなさなければ
収入にはならない。


今年は
一度

歌からも離れて過ごして

やっと再開した練習だから


それも
続けられる自分になってゆきたくて


人一倍乏しい体力に
少しでも力が増えて欲しくて

懸命に食べた。


10月に1kg増やして。


ハードスケジュールにも
何とかついて行けているように思えて

先月もう1kg近く増やした。


合計2kg。

これ以上は増やさない。

鏡の中の自分が嫌になっちゃうから。



でも
次のステージはまだ決まって居ないから

しばらくは
この体で
現状をこなして
生きれる自分を目指そうと思ってる。



ライブが決まったら
元々の自分に戻さなきゃどね。

自分が描く
月下陽香ってのが在るから
そういう努力はきちんとして居たい。




そもそも

自分の1日の行動に
必要な量をきちんと食べて居れば
少なくとも
やたら太る事はない。


歳を重ねると
代謝が落ちてしまうから
どうしても太りやすくもなる。


実際に
私自身も
今回2kg増やすのは
苦労を余りせずに出来た。


年齢的に
肉を付けやすくなってるのかも知れない。



でも

重たい人はやっぱり食べてる。

物凄い量を
食べて居る事に
気付かない人も多い。



私は
必要以上には
太りたくはないとも思って居る。

そうなると
社会的に
存在出来ない場所が増える事も
見て来て感じて居る。



だから
私にとって

体重を増やす為に
食べる量を増やす事は
大きなチャレンジでもあった。


体重の変化も
発声に反映される。


私の体は
もう
絶好調だった一時期のような発声は
出来ない。


だから
あまり変化をしない方が安定はする。


だけど
頑張って少し増やした。

今はこれで良いと思える。




明日は大晦日。

明日まで
懸命に働いて生きよう。


年明けは少し休もう。


静かに
休日を感じて過ごしたい。


心身共に静かに居させて欲しい。




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自傷も嘔吐も掲げ立ち続けて。(現在に向かう私・33)

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野良猫ぶーにゃん。


会うのは数日振り。



カリカリを貰って食べてた。

60代位の
お洒落なご夫婦だった。


ぶーにゃんを
愛してる者同士で

ちょっとほっこりだった。




今朝

やっと年賀状を出した。


ポストに投函する時
何だかほっとした。


早く
やり終えたいと思って居た事が

ひとつ
終わったからかな。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「亡くした今年の最後に在りて。」(2014.12.19)】

【「キズグチに何を埋め込めるのか。」(2014.12.22)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「私は摂食障害者で在り自傷癖者なんだ。」(現在に向かう私・30)(2014.12.24)】

【「自傷も嘔吐も晒し偏在を掲げる覚悟をする時に。」(現在に向かう私・31)(2014.12.26)】

【「血を流して生み出して在るのだから。」(現在に向かう私・32)(2014.12.27)】




続きを書いてゆくね。






2013年から

月下陽香は

ステージの上で

摂食障害も
自傷癖も

掲げて立つようになった。


スタイルを変えてからの
初めてのライブの後


当時
私は
こんな記事を書いて居る。

【「【ザ・ロック食堂】より。偏在な愛を込めて。」(2013.2.18)】

【「偏在の在り方と向き合いながら。」(2013.2.21)】




同じ会場で

4ヶ月後に
再び
ライブの開催を決めて

練習に励んで居た春。


4月30日。



大事な大事な

私にとっては
尊い家族である
猫の“ぽんちゃん”が急変した。



食べなくなった。


突然
何も受け付けなくなった。

何日も。



いつ死んでしまうのか
とうとう召されてしまうのか

締め付けられる痛みの中

張り詰めて過ごした。





この時の急変は
何とか乗り越えた。


少しづつ食欲は戻り
これまでの日常に
近付きもした。





それ以来

私は

夜も
毎日
3時間程置きに起きては

状況を確認する生活となった。





嘗て
我が家には
3匹の猫たちが居た。


早くに
親が出て行ったり
私が飛び出したりで


私が
最も長い年月を
共に暮らした家族は
猫だった。




2007年が明けた頃

1匹が糖尿病になった。

間もなく
もう1匹が糖尿病となり


3匹の内の
2匹の看護が必要になった。


以来

私は
約12時間おきに
猫の背中にインシュリン注射を打ち


2~3時間おきに
耳の血管から採血をし

血糖値のコントロールをしながらの
生活を送った。



夜も
猫のそばで
リビングの床の上で丸まって

数時間おきに測定をし
付き添って過ごした。



1匹は
同年に臓器不全で亡くなったが


もう1匹は
3年間

その生活に耐えて
生き延びてくれた。


2009年の年末
その1匹も亡くなり


我が家の猫は1匹となった。


その時だった。


最後の1匹で在った猫の
乳がんがわかり

手術をした。


直ぐに転移してしまった。


残り僅かならば

もう
治療をせずに

ゆっくりと
穏やかに過ごさせようと思った。



3ヶ月も
もたないだろうと

医師に言われて居たけれど


その子は
その後も生きてくれていた。



お腹にはしこりも在りながら

糖尿病までも
新たに抱えながら


投薬等
特別なケアはせずに


それでも
何かが起きた時に
直ぐに対応出来るように


日々
気を付けて

夜も付き添う生活の中で


生き続けてくれていた。

【「知り尽くした不足の吹き溜まりに吸い込まれぬように。」(2013.5.11)】




練習に行く数時間にも
神経を遣った。


少しの外出も
難しい状況は続いた。


どこかに
遊びに行くなんて

とんでもない状態だった。



何よりも
眠れない毎日は
体に堪えた。




とてもしんどい。


自分の持病も
悪化してゆく中

仕事も思うように出来ない。


ライブは近付くのに

練習も存分には出来ない。



でも
生きて居て欲しい。

共に生きて在って欲しい。





それまでは

無理をすれば

まだ
出掛ける事が出来た。


観たいライブに出掛けたり

好きな店に顔を出したり


どれも

体は辛かったけれど

頑張れる範囲の
無理をすれば

そこに行く事も出来た。


新しい店を開拓したりも 
まだする事が出来た。



でも

この頃からは

そんな
小さな外出も

もう
辛くて

出来なくなっていった。




持病の悪化は
何よりも大きかった。

呼吸器疾患も酷く悪化した。


手術を繰り返した顎は

ただでさえ動かせなくなり
発声に苦労して居るのに


呼吸まで
深くは出来なくなり


歌う事は
ただただ辛い動作になっていった。



落ち着いて
ゆっくり眠れる夜も

1日も無い。



私は

日増しに
身動きが取れなくなっていった。


苦しかった。



何よりも苦しかったのは


その苦痛が

親しい人達には
伝わらないと感じる事だった。



持病の悪化が辛い事も

眠れない状況は辛い事も


そういうキャラ扱いされて
軽く処理され

からかいまで受ける。



その場では笑いながらも


私の胸には
あちこちに
傷が付いていった。





そして迎えた
2013年6月のライブ。


摂食障害も

自傷癖も


真ん中に掲げて立つ
2回目のステージ。



会場は満席。


手を伸ばせば
触れてしまえる
直ぐそこにまで


観客で
埋め尽くされた会場。



私の

嘆きも喜びも

そこには晒せて在り

痛みも
毒も

吐き出して

垂れ流して

在るにも関わらず


笑いも溢れたステージは


月下陽香と
井上タイキだけではなく


お客さまも共に
作り上げて下さって居る事を

とても感じるものだった。


2013年6月9日 大阪あべの「ザ・ロック食堂」






続きはまた。





いつも
レターセット等
片付けて
置いて居る場所が在る。



ふと

何となく

そこを
改めて整理した。


日頃から
特に乱れてもいない場所だし


頻繁に使う場所だから

把握も出来て居ると思って居た。



だから
あえて掃除もしなかったけれど。



全て取り出して見付けた。



大きくて分厚い手帳。


革では無いけどね


私的には

「黒革の手帳」やね。





なんで
まだ持ってたんだろう?


とっくに処分したと
思いこんで居た。


なぜ今見付けたんだろう。





私は
結婚をして
大阪に逃げて来る前まで

ホステスをしてた。


田舎だったけどね。


これでも
当時は
ナンバーワンのホステスだった。


夜の世界で戦って

自分の店を持って居た。


そんな過去が在る。



その頃の
お客さまの情報がこ

の手帳には
細かく書き込まれていた。



名刺は
別にファイルされていたが


この手帳には
名詞だけでは得られない情報が
色々とメモされていた。



お店の

外でも
中でも

電話や
メールからでも


得られる
お客さま個人の
情報や出来事


ご本人の
誕生日や
故郷

家族構成

お子様や
奥様の
お歳やお誕生日 

食べ物や
飲み物や
色の好み



約600人の情報が
ここに書き込まれていた。




当時

火事に襲われたら
どうするか聞かれた時に


私は


猫と
携帯電話と


この手帳を持って

逃げると答えた事が在る。



これが在れば
生きてゆける。


それ位に

当時の私には
大切な物だった。




なぜか
今になり

見付けた手帳。


そこに挟まって居た

いくつかの手紙。


内1つは
読まぬままに
置いておこうと思い
違う場所に片付け


1つは

目を通し


この為に
私は


この手帳を見付けたのでないかとも


思いながら


まだ確信は持てず


現在使用している手帳に挟み



他の物は
手帳ごと捨てた。




今の私は

この手帳が在っても
生きていけない。


これが無くても
生きて在れる。



もう
要らないのだから

それはゴミ。




必要な

物も

者も


変化してく。


それが人生だね。





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自己紹介。

月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


このブログには
私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
共存して居た頃の出来事を綴った記事も
多く置いて居ます。


私にご興味を感じて頂ける
御訪問者さまや

初めてお立ち寄り下さった方は

まずこちらをご覧頂けると
このブログが見やすくなるかと
思って居ります。

【このブログ「癒え待ちよすが」について。】 ←クリック


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ご覧頂けます。


よろしくお願い致します。

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