❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

  ♪:*:.:*:♪ ・らいぶ情報・ ♪:*:.:*:♪

     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

     ❤ 2016年11月6日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



  ♪:*:.:*:♪ ・CD情報・ ♪:*:.:*:♪

  ◆ ファーストシングル ・ 花いばら ◆
            2曲入り ¥500-
            2014.5.24 発売
花いばら

  ◆ セカンドアルバム ・ 生きてるからね。 ◆
            6曲+1曲入り ¥1000-
            2011.8.21 発売

いきてるからね。

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切っても吐いてもしがみつく歌の為に愛も捨てろ。(転居後前半・69)

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命が消えて

5ヶ月目を

過ごして居る。



我が家の
キッチンの流し台の前には

ずっと
敷けなかった
キッチンマット。


今は3つも並べてる。

【「手を上げ叩いた私の過ち。」 (2014.7.17)】



命が尽きて。


私の生活は
あちこちが変化した。










2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「私はなぜ今母を殺したのか。」 (2014.10.22)】

【「矛盾なき人を知り在れる事。」(2014.10.30)】




過程を綴る記事は30代前半頃の私を書いている途中。

【「命を終わらせたから得たものに。」(転居後前半・67) (2014.10.26)】

【「血も涙も詰め込んだイキザマだから。」(転居後前半・68) (2014.10.28)】





前回は寄り道をしたから

今日は
過程の続きを書く記事にするね。






諸口あきらさんと出会えた事から
私は
初めて
歌を教わると言う事を経験した。




腹から大きな声を出す。

叱られる。

もっと語れと言われる。

意味がわからない。

全く楽しくない。

歌ってる気がしない。



腹で踏ん張って
大声で歌う歌い方しか
自分は
わからない事に気付いた。


ずっと
それが歌だと思ってた。


歌って居ても
それが気持ち良い。

腹からのでかい声が出せて
歌いきれると
気持ち良いんだ。



なのに
諸口さんは

それは
歌では無いと言う。


当時は
その意味がわからなかった。


指導は強制では無い。

やめるのは自由。

だが
私は

暫くその指導を受けてみた。



ひとりでも
音楽活動が
出来る人になりたくて

学んでみようと思って居た。





バンドは相変わらず。


私の中に在った
メンバーへの信頼は

日を重ねる毎に
不信へと変わって行った。




自分は
経験も豊かで
知り合いも多いと
言って居たはずのメンバーは
ライブをしても
ひとりの観客も呼べない。

会場が
自宅のそばである時だけ
親と上司を呼んでくれるが
あとは誰も呼べない。

どんなに
音楽関係の店に共に出掛けても
知り合いのひとりにも会わない。
私の方が
誰かしらに出会うようになって居た。

鳴らす音も
外れな事が
実は多い事にも
もうさすがに
私も気付いて居た。

でも気付かぬフリをした。

私が気付いて居る事を知るだけで
崩れてしまうだろう心の
持ち主である事は理解出来て居たし

そのメンバーとの出会いが無ければ
私は
きっと
まだ
音楽活動を
再開出来ては居ないだろうから。

彼には感謝はとてもしていたから

知らないフリを続けながら
出来る限り
誉めて持ち上げた。



私の歌は
暗い
痛い
怖い。

自分のパートもこなせずに
足を引っ張り続けるメンバーは
変わらずに
私を否定し続けた。

そんなにも
私の歌が嫌ならば
このバンドをやめて
やりたい楽曲を奏でる場所に
行けばよいのに。

自分の好みの楽曲を歌う
自分好みの女性ボーカル像を
押し付けるようになっていった。

ステージ後に
タバコを吸うだけでも

「はしたない」
「煙を
 上を向いて吐き出すのはやめて欲しい」

その都度
ムシズが走る。
それでも笑って我慢した。



一番年上で
いつも穏やかで
落ちた気持ちを救ってくれるメンバーは
バンドを辞めたがっていた。

元々が助っ人メンバーだったし
彼のやりたい楽曲とは
ジャンルが違い過ぎる。

そろそろ辞めたいと言う彼には
もうしばらくの間だけ
助けて貰えないか頼んだ。





ライブ活動は続けた。

全ては
もうバンドの為ではなかった。

今後の
自分の活動を
頭に描ける所まで行きたい。


そう思って居た。


それが見えるまでは

何度
自傷しても

何度
嘔吐しても


ここに居るんだと
思って居た。



活動を広げると
出会いも広がる。


インターネットラジオの誘いも頂き
私たちは
ネット上の番組も持つ事となった。


表向きには
私たちは
順調に活動して居た。





12時間おきに
愛猫に打たねばならない
インシュリン注射に

縛られた生活も
3年が過ぎた年末に
命が尽きた事で

解放され 


年始には
諸口さんに出会え


私の音楽活動は
とても忙しくなった。





陶芸の仕事も順調だった。

創作に割く時間も
どんどん長くなった。


主人は
私を一切縛らない。


束縛も
抑圧も

彼は私に与えない。


異性と出掛けようが
何時に帰ろうが

文句を言われた事も無い。



自由にさせて貰って居るかわりに

私は
主人には
極力
家事をさせないようにしてきた。


彼がしてくれる家事は

朝の早い彼が
前夜に私が作っておいた朝食を
温める事だけ。


家の事は
いつも

自分なりにだが
きっちりとしてきた。


でも
それが辛くなってきた。

時間が足りない。

そう感じる事が増えて来た。



ふと。

現状を見つめ
考えてみた。




この数年内は

義姉が嫁ぐ事となり

両親のもう居ない義姉が
恥ずかしくないように
寂しくないように

弟の嫁ではあるが
母親代わりを
懸命に努めて
送り出しもした。


労力を重ね
大金を使い
主人の姉だから
懸命に注いだ。


女同士だから
きっと分かり合えると
ずっと
一生懸命
沿う事もしてきた。


姉の都合で泊りに来れば
父と同様に
もてなして世話もした。



でも
結局は

私は
受け入れられて居ない事も

とても感じた。



お金に関する事は
嫁ぐ事が決まっても
私には
管理を任せようともしない。


価値のある物は
全て持って行く。


親族が少ないから
式には
私の父も呼んだが

祝いを包んで出席しても

父の分の
引き出物もくれない。



実家には
大量のゴミと
飼い犬を置いて行ったまま。





主人は
確かに
私を嫁に迎えてくれた。

この数年
私の生活も支えてくれた。


でも
このままで良いのかな…


私は
これからも

ずっと

誰かに
都合よく扱われ

誰かの尻を
ぬぐいながら

生きてゆくのかな…


どこまで

我慢を続けるのかな…






嫌になった。


もう嫌になった。


ひとりになろう。

とても思った。


今の私の欲しい
自由を

手に入れようと決めた。





私は
離婚届を貰いに
役所に行った。


「名の変更」で

戸籍から
名前を変えて以来だった。

【「私が私をこの世から消す為に。」(転居後前半・59) (2014.10.9)】




子供の頃
両親の名が書かれたそれを
見た事があった。

緑色の文字と
枠が
書かれた離婚届は

懐かしく感じた。


私は
主人に
別れを告げる事に決めた。



続きはまた。








この記事を

カテゴリの
【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】

に記す
最後の記事にします。



次回からは
次のカテゴリに振り分ける記事を
書いてゆきます。


これからもよろしくお願い致します。


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これからも

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血も涙も詰め込んだイキザマだから。(転居後前半・68)

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ご近所に在る

空家の庭。


よく通る道から
庭が見える。


以前は
ご老人が住んで居られたが

空家となり
何年過ぎるだろう。



誰にも
手入れのされなくなった庭は

年々
自由に伸び行く

多くの植物が

新たな住人のように
占領し


今年は

通る度に
目を奪われる
美しさだった。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

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【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「疲れ果て女に消した憎悪を。」 (2014.10.21)】

【「私はなぜ今母を殺したのか。」 (2014.10.22)】




過程を綴る記事は30代前半頃の私を書いている途中。

【「自傷と摂食障害に付き纏われても歌いたくて。」(転居後前半・65) (2014.10.22)】

【「きっと私が終わらせたんだ…。」(転居後前半・66) (2014.10.24)】

【「命を終わらせたから得たものに。」(転居後前半・67) (2014.10.26)】



過程の続きを書いてゆくね。





諸口あきらさんとは
どのような方なのか

全く知らぬまま

誘われたライブに出掛けた。


諸口さんのラジオを
いつも聞いて居たと言うメンバーは
とても喜んでいたが


私には
そういう気持ちは無かった。


お付き合いのひとつ。

そんな気持ちと

家で居るよりも
外に出たい気持ちと。

そんな感じだった。



ライブが始まる前

客席には
一際目を引くおじいさまが居られた。

飲みながら
多くの人達と話して居た。


それが諸口さんだった。


随分と時間を押して
ステージが始まった。



これまでに

私が
観た事の無い形のライブだった。


こんなステージを
観たのは初めてだった。

独特だった。


知っている歌も
1曲も無かったけれど

だからではなくて
初めてだった。


歌とトークを
じっと観て聴いた。

ファンの方の反応を
一生懸命観てた。


長年のファンの方々が
多く駆け付けて居られたけれど
皆とても楽しそうで
諸口さんを囲む
家族のようだった。



長いライブが終了した後は

出演者全員と
ファンの方々が

共に飲食し
話して居るのを

私は
メンバーと一緒に
少し離れた席で
飲みながら眺めてた。



すると

諸口さんが
私たちのテーブルまで来て
声を掛けて下さった。


店のマスターに
お誘い頂いて来店した事や
音楽をしている事など話したら

諸口さんが言った。



「なんだお前
   歌ってるならもっと早くに言わんか。」


「歌ってみろ。」




今日
会ったばかりの私に
ステージの上で歌えと言う。

まだ
観客も大勢居る会場で
ステージに上がれと言う。



うれしいけれど…

その夜は
店のステージは
諸口さん達が立つ

プロの方々が立つ場所であって

ステージは終わったとは言え
素人の私が上がるなんて
してはいけない気がした。



それでも
聴いてくれると
おっしゃっておられる。

行かなきゃと思った。


楽譜はあるのか
伴奏は必要か
自分で弾けるのか
何を弾けるのか


諸口さんの一声で
諸口さんのバッグのメンバーの方々が
ギターを貸して下さり
ステージを作って下さった。






当時は

メンバーと
ライブバー等に出掛ける度に

店に
自分も音楽をしている事を話し
挨拶をするようにしていたが

そうすると
大抵

どんな歌を歌って居るのか聞かれ

オリジナルだと伝えると
一度聴かせて欲しいという話になり

演奏をさせて頂ける事が多かった。


そんな時
決まって
メンバーは参加しなかった。


初心者の者は

初心者である事が見破られ
馬鹿にされると恥ずかしいからと
立ち向かわない


経験豊富だと
口では言っていた者は

本当は
そうでない事が
ばれてしまう事を恐れて

言い訳を重ねて
必死で逃げる。



だから
そういう時は

いつも
私は
ひとりで弾き語りをして居た。


楽器に関しては
ド素人だった私だが

1年以上
メンバーを引っ張って
演奏を続けて来た事で

簡単なギターではあったが
自分で弾きながら
歌えるようにはなっていた。






せっかくのチャンスだ。
もう歌うしかない。

諸口さんが
皆に
「聴こう」と
大きな声を掛けた。

皆が私を見た。
緊張は押し寄せた。



私は
自分のオリジナル楽曲から

【 うたうたい 】を歌った。


目一杯声を出して
必死で歌った。


この楽曲は長い。

7分程は在る。


それでも
目を瞑りながら
諸口さんは聴いて下さった。



そして。

歌い終わった途端に
拍手を下さり

大きな声で叱られた。


「叫ぶな」

そう言われた。



「お前はなんで叫ぶんだ」


「そんな必死になって
   顔をしかめて叫んでたって

         伝わらないだろう」



この時は
意味がわからなかった。



他のパートとの
バランスを考えた音作りや
音量調整など

考えもしないメンバーの音で
歌を歌おうとすれば


常に
大声で
叫び続けてなけりゃ

声なんて届かない。


深い大きな痛みを
イキザマを

込めた楽曲を
歌おうとすれば


もう
叫ばばずには居られない想いにだって
襲われる。



なのに

なぜ叫んではいけないの?



諸口さんは言った。
繰り返し言った。


「いいか。メグ。
   歌は歌っては駄目だ。
   叫んではもっと駄目だ。
            語りなさい。」



これをきっかけに
私は
諸口さんに
歌を教われる事になった。


それでも
諸口さんのおっしゃる事の意味が
本当に理解出来るまでには

何年もかかった。


諸口さんは
ご自身のライブの時に
私が会場に伺える時には

必ず
大切なステージに

私も上げて歌わせて下さった。


私は
そこで
多くの事を学ばせて頂いた。





当時
加入して居たバンドが

結成された時は
本当にうれしかった。


何年もかけて
血を吐く想いもし

やっと取り戻した歌声で

私は
やっと
また
音楽活動を始められて

ステージに立てる。


それが
たまらなくうれしかった。



でも

そこは
どんどんと重荷になり

いつも
飲み込めない
怒りや
悲しみが在り


嫌いではないから
仲良くはしていても

共に
生み出し
作り上げる
仲間としては

この先を考える気持ちは
次第に失せて居た。





そんな中で
新たな学びを得た。


ひとりで弾き語りをすれば

そこには
ドラムのリズムも
ベースの音も
ギターソロもなく

かつて
私の求めた
バンドの音ではないけれど…。


しかし

現状は
いつだって

演奏に関して
メンバーを頼れる状況ではなく

バンドとして立てば

沢山のものを
ひとりで背合わなければならず。


ひとりで立つ事は
いつも緊張して怖かったけれど

メンバーと立つよりも
楽であり

自分の楽曲を
大切に出来るように思えた。




諸口さんは
とても可愛がって下さった。

ライブに参加させて頂く程に

メンバーは
やきもちを焼き始めた。


私は
益々

個人での活動を
思い描くようになった。




続きはまた。






随分と寒さが増した。


やっと
魔法の土には
小さな芽を見る事が出来たけど


この寒さに負けないか
とても心配している。





始めに芽を出してくれた方は
今のところ
頑張って居る。




私も頑張って居る。


もう

毎日いっぱいいっぱい。


でも
気持ちは
落ちずに向かってる。



毎日思う。

日々訓練だと。


改めて思いながら

いつも
何かに挑戦して在れる
自分の人生は


大変だけど
豊かだと


考えられるようになってきたと
感じてる。




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命を終わらせたから得たものに。(転居後前半・67)

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使い果たしてる。

そんな毎日。


物凄く

疲れてる。


内臓
全部吸い取られて
ぺちゃんこに
萎んでしまいそうな位に

くたくたに疲れてる。



こんなにもくたくたなのに

何度も目が覚めて
深く眠れて居ない。


昨夜の夢の中では
爆弾が落ちてきて


沢山の人間の

腕が飛んで行ったり

足が千切れ落ちたり

首がもげて転がったり

木端微塵に
破裂したりしてて。


私は

その中を
逃げ延びて居た。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
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【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

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   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
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時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「疲れ果て女に消した憎悪を。」 (2014.10.21)】

【「私はなぜ今母を殺したのか。」 (2014.10.22)】




過程を綴る記事は30代前半頃の私を書いている途中。

【「自傷と摂食障害に付き纏われても歌いたくて。」(転居後前半・65) (2014.10.22)】

【「きっと私が終わらせたんだ…。」(転居後前半・66) (2014.10.24)】



今日も過程の続きを書いてゆくね。





愛しい命が消えた。

この世から消えた。


私は
やっと

12時間おきに打たなければならない
インシュリン注射に

縛られる生活から
逃れる事が出来た。



でも

深い喪失感が付きまとった。

大きな後悔も付きまとった。

独りで
寂しく逝かせてしまった
最期。


これまで
看護に注ぎ続けた
3年間の全てが

無駄に終わったような想いだった。




これで

これまでに
2匹の猫たちとの別れが在った。

でも
家には
まだもう1匹猫が居た。

いつも
私にくっついて居る子だった。


他の猫たちの看護で
かまってやれない時は

鳴いて
鳴いて

鳴き疲れると
私の服の上で
丸まって眠るような子だった。



それまで以上に甘えるようになった。

少し出掛けただけでも
帰宅すれば
走ってきて

私の足に飛びついて
抱っこをねだる。


飼って居るのは
猫なんだけど

まるで
飼い主の帰りを待ちわびる
飼い犬のようだった。




私の胸に
深く刻まれた

喪失感と後悔。

1匹の気配が消えた家。

それでも
そこに居られたのは

残った1匹が
いつも
私のそばに居てくれたからだった。


この子の存在が在るから
私は
家の中で
ひとりぼっちになる事が無かった。



これまでに見送った
2匹は糖尿病だった。

残った1匹である
この子も
健康では無い。


口腔内の腫瘍を
除去する手術も2回しているし

子宮に膿が溜まって
取り除く手術もして居る。


また
一過性ではあったが
糖尿病にもなり

暫くの間は
この子にも

私は
インシュリン注射を
打って居た事が在る。



いつも甘えて来るこの子は
家では
私が座れば
必ず膝に乗って来る。

撫でてやると
とても喜ぶ。


よく
膝に乗せて腹を撫でた。

少し前から気になって居た。


右足の付け根に
しこりが在る。



でも

私はそれを放置した。

気付いて居たけれど

もう
動物病院に通うのは辛くて


やっと解放された
時間に追われず
血糖値に
張り詰めなくても良い生活に

今は居たくて仕方なかった。




時間に追われなくなった。
外に出たいと思った。

仕事も家でしているし
1日中
猫と家の中に居ても

猫はかわいいけれど

やはり
刻まれた喪失感と後悔に
襲われて

苦しくてたまらない。




自宅からは2駅離れた所に
ライブバーが在る事は

いつも練習して居る
スタジオのマスターから聞いて
知って居たが

まだ行った事が無かった。


ある夜
メンバーと出掛けた。


駅からは直ぐ。

小さな店。

少しくせのあるマスターが
出迎えてくれた。

早い時間は来店が少ないらしく
まだ他には客も居なかった。


マスターと
メンバーと
話したり
ギターを弾いたり
歌ったり。


遅くまで遊んでから帰宅した。


猫は
その夜も
走って飛びついて来た。

随分鳴いて探して居たようだ。

たたんでいた
私のパジャマは

真ん中が
まぁるくへこんで
あたたかかった。




近くにライブバーがある。

そこなら場所ももうわかる。


私は
ひとりでも
ちょくちょく
そこに出掛けるようになった。


家に閉じこもって居ると
苦しくてたまらない。

喪失感と後悔に
潰されそうで
よくそこに行った。


行っては大量に飲んだ。
それしか出来なかった。


この店には
その後
とてもお世話になった。

常連さん達とも
仲良くして頂いて

ここに来た事で
私には知り合いが増えた。



現在のギタリストに
出会ったのもここ。

マスターのバンドメンバーだった。


一見
普通のおじさんのような人。

でも
すごいギターを弾く。


目がでっかくて
ちょっと顔が怖い時が在るんだけど

話せば優しくて
皆の人気者。


随分前に
パートを辞めたコンビニの客に
まだ付きまとわれて困って居たのだけれど

初めて会った時は
後ろ姿が
その人にそっくりで

一瞬
凄く焦った事を
覚えてる。



この頃は
まさか
こうして共に活動して貰える
掛替えの無い相棒さんになるとは

全く想像も出来なかった。




後々知るけれど

当時は
憑り付いた
やばい変な子が
来始めたと

マスターや
常連さん達に
思われていたらしい。


確かに。。

今の私が思い出しても
当時の私は
やばかったと思う。



それでも
皆が
私の相手をしてくれていた。


ここに通い始めてから
私は
少しづつ

ちゃんと笑えるように
なっていったんだと

思う。




年内最後のライブを終え
ひとつの命が消え

私は
新たな逃げ場所を得て


大晦日。


この年の最後は
大阪で
初めてライブをさせてくれた店に
挨拶に出掛けて
カウントダウンをした。


そこで

マスターに
年明けに
諸口あきらさんのライブがあるから
来ないかと声を掛けられた。

私には
誰なのか全くわからなかった。

共に行っていたメンバーは
よく知って居るようだった。
諸口あきらさんのラジオを
いつも聞いて居たそうだ。


私は
名前を聞くのも初めてだったけれど
一緒に行ってみる事にした。


それは

月下陽香として
活動を始める

大きなきっかけとなったのだけれど

その時はわからなかった。




続きはまた。





この冬。

履こうと決めた
ルームシューズ。



これね。

まだ小学生の頃

母親が
仕事の仕入れで出掛けた時に

妹と私に
お土産に買って帰って来た物。



これ貰った時

凄くうれしくてね。


使う事で
古されてしまえば

その
うれしかった気持ちが
なくなってしまうように思えて


ずっと
使わないで
飾ってたの。



元々

何かを頂いても
「勿体ない」とか思って

直ぐには使えなくて

置いておいたりする
性格だったんだけどね。


ここ数年
それをしなくなってきた。



残りの人生は
どんどん少なくなってるんだし

自分に頂いた物は
どんどん使わなきゃ

ずっと置いておいたって


私が死んだ後に

私以外の誰かが使うか

ゴミになって
処分に
誰かの手を煩わせるだけなのだから。



一度きりの人生で
せっかく頂いた品物は

自分が使ってこそじゃないかって
思うようになったから。



私は

母親と妹が置いて行った
ゴミに溢れた

ゴミ屋敷になった
父の暮らす家を

死にたくなる想いをして

自傷を重ねながら耐えて

片付けた事が在る。


自死した義父の
荷物もそのままに

義姉は物を捨てる事が苦手で
お菓子の箱やスーパーの袋や
なんでも置いていて

ゴミ屋敷のようになって居た
主人の実家も

苛立ちを飲み込み
耐えて
耐えて

片付けた事が在る。



何でも
置いておく事は

不要だと考えるようになった。


私には姉妹も居ない。

私が死んだ後に
片付けてくれる人が居ない。

友達に迷惑を掛けるのも嫌だ。



私に
品物を下さった方も

使わずに
置いておかれる事なんて

望んで居ないはずだ。

頂いた物も
自分が選んで買った物も

感謝しながら
どんどん使って

自分で
ちゃんと使ってから

自分で
処分をしてゆく。



要らない物はさっさと捨てて
整理をしなきゃと
改めて見直して


先日
このルームシューズを貰った頃に
母に貰った
クマのぬいぐるみを捨てた。


もう要らないはずなのに
なんで持ってるんだろうって

考えたら

まだまだ
整理が必要だなって思って。


これも
履いて
使い古してから
捨ててしまおうって

思った。


履いたら

うれしくなった。


その
うれしい気持ちは

現在の私の
「うれしい」じゃなくて


当時の
ちびっこの私の


「うれしい」だと思った。




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きっと私が終わらせたんだ…。(転居後前半・66)

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やっと。

小さな
小さな芽が

出ようとしてる。



待ってたよ。

凄く

心配しながら
待ってたよ。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「疲れ果て女に消した憎悪を。」 (2014.10.21)】

【「私はなぜ今母を殺したのか。」 (2014.10.22)】





過程を綴る記事は30代前半頃の私を書いている途中。

【「吹き出す膿に血が滲むまで。」(転居後前半・62) (2014.10.15)】

【「気付いてしまったキズグチを探す人。」(転居後前半・63) (2014.10.17)】

【「独り刀を振りかざしても。」(転居後前半・64) (2014.10.20)】

【「自傷と摂食障害に付き纏われても歌いたくて。」(転居後前半・65) (2014.10.22)】




今日も過程の続きを書いてゆくね。





私は音楽活動に必死だった。

失った歌声を
何年もかけて取戻し
やっと歌えるようになった事が

何よりもうれしかった。

メンバーとの関わりは
いつも必ず飲み込めないものがあって
それでも 
そんな時には

自傷で自分を誤魔化した。


歌声は取り戻したけれど
これは永遠ではない。

この体は
確実に悪化をしていて
近い未来には
だんだんと歌えなくなってゆくだろう。


時間が無い。

新たにメンバーを探すには
私には
まだ人脈もなければ
それをして
活動を止めて居る
時間の余裕も無い。


何よりも
死に物狂いで辿り着いたステージの
上に立てる現実を


もう
手放したくはなかった。


バンドの中

外側からは
見えない部分には
痛みが付きまとっていたけれど

それでも執着をした。


再び
ステージに立てるようになって

改めて思い知った。


私は
歌いたかったんだなって。

こんなにも
歌いたかったんだなって。


一度
歌声を失って

身の回りの音楽を
全て
片付けて
消して

過ごした何年もの間

閉じ込めた
想いの真ん中に在ったのは

これだったんだと
気付いた。

だから

どんな苦痛が在れど
そこに居る事を選んだ。





毎日は看護に縛られている。

愛おしい愛猫は糖尿病。


12時間おきに
小さな体に
インシュリン注射を
私が打ち

また
この手で
日に数回
耳から採血をして
血糖値測定をし

管理をしてやらなければ

死んでしまう。

苦しんで死んでしまう。


低血糖を起こさぬように
高血糖が続かぬように

いつも張り詰めて居る。


外出も
猫の血糖値が安定している時間だけ。

注射に間に合うように
帰らなければならないし

どうしても
それが無理な時は

病院に預ける等
準備をしなくてはいけない。


どんな急変にも
直ぐに気付いて対応出来るように

夜も
猫のそばで
床の上で丸まって仮眠。

そんな生活はもう3年になる。





12月。

その日はライブだった。

年内最後のライブに日だった。

朝から
猫の様子がおかしかった。

明らかに元気がなかった。

朝の注射の後
いつもよりも
こまめに血糖値測定をしながら
経過を見て居た。



夕方には
ライブバーに向かわなければいけない。

ステージを
キャンセルするという考えは
私には無かった。


歌いたい気持ちも
勿論大きく在る。

それだけではなくて

遠方から
駆け付けて下さる観客も居る。


これまでに
一生懸命注いできた
過程も在る。


例えば
親が倒れたとか
家族が亡くなったとか

そういう事態ならば
納得も得られるだろうが

飼い猫の病気でのキャンセルなんて
許されない気もしていた。


主人に猫を任せて出掛けた。

何かあれば
直ぐに連絡をくれるように
何度も何度も
重ねて確認をして出掛けた。


途中
何度も電話をして
様子を聞いた。


元気は無く
食べても居ないようだった。



帰宅して
すぐに血糖値を測定したが
上がっては居ない。

注射を打っても
その後で
食べてくれなければ
低血糖になり死に至る。


低血糖で運ばれて
亡くなった猫を
これまでに何回か
病院で目の当たりににてきた。


同じ事になる可能性があるのに
打つなんて

怖くて出来ない。



その夜は
インシュリン注射を打たなかった。



翌日も
猫の様子はおかしかった。

元気はなかった。


病院に連れて行ったが
原因はわからず。


帰宅後しばらくしたら
突然フードを食べ始めた。

もう1匹の分まで
壊れたように
食べて
食べて。


その後は
水の器の前で
ぐったりと寝込み

ふらふらと歩いては
風呂場に行き


元気は
どんどんなくなっていった。


とても短い時間だった。
目もうつろになり
弱って行った。


急いで再び通院。


とても危険な状態だった。

このまま
直ぐに点滴をして
処置をしても

助かる確率は極めて低い。


でも
処置しなければ
確実に
間もなく死を迎えるだろうとの事。



以前に
中毒症状に陥った際に
点滴を打ち続けた事で

この子には
もう
針を刺せる血管が

ほとんど残って居ない。


点滴に繋いだとしても
その夜一晩で限界だろう。



このまま
息を引き取るのを待つか

少しでも
楽になれるかも知れない
一晩の入院にかけるか

私は
決められなかった。

自分で決められなかった。


主人に意見を求めた。

主人も酷く悩んで居たが

今よりも
楽になる可能性があるなら
今夜だけ預けて見て

それでも駄目ならば
明日連れて帰ればどうかと言った。



私はそれに従った。

病院に置いて
家に帰る事は
たまらなく辛かった。


早く明日が来て欲しい。

どうか
生きて明日を迎えて欲しい。


万が一の事が起きた場合は
携帯に電話を貰う事になっていた。



苦しくて眠れなくて。

でも
明日が来て
迎えに行ったら
暫くは眠れないだろうから

少しでも眠ろうと
うとうとした時に


電話が鳴った。



午前3時頃だった。




その時の事や
その頃の事は

以前にも
触れて書いた事が在る。

【「知り尽くした不足の吹き溜まりに吸い込まれぬように。」 (2013.5.11)】

【「無様な生き方を責めるのはアンタやないよ。」 (2013.3.16)】




愛おしい
大事な子を

私は

ひとりぼっちして

冷たいオリの中で
寂しく逝かせてしまった。


これまでにした
後悔の中で

これは
最も大きく痛む

後悔となった。



なぜ
自分で決めなかったんだろう。

なぜ
ひとりにしてしまったんだろう。


3年間
針を打ち続け
必死で守って来たくせに

なぜ

最期に

こんな目に合わせてしまったんだろう。



すぐに迎えにはいけなかった。

翌朝の開院まで
待たなければいけない。


そして
その時には
もうあの子は動かない。



電話を切ってから
朝までに
家を片付けた。


亡くなった猫が使って居た物を
全て
マンションのゴミ置き場に捨てた。


もう1匹
残った猫に
必要な物だけを残して
全部捨てた。



翌朝
タクシーを呼び迎えに行った。


診察室に案内されて
待って居たら

白い箱に横たわる
愛おしい
「たらちゃん」が居た。


「ごめんよ」
「ごめん」
「ごめん」・・・


何度言っても
もう動かない。



帰宅後は
ずっと一緒に居た。

抱き締めて
家の中をうろうろしてた。


最後に
自分から行きたがった
お風呂場にも連れてった。


そこを出て
洗面台の鏡に

猫を抱いた
自分の姿が映った。


その時に思った。


私が

抱いてるのは
死体なんだって。

やっと思った。


この子も
ちゃんと骨にしてあげなきゃいけない。





痩せ細った
小さな小さな体。


私は

この3年で

何本の針を
この子の体に
刺し続けてきたのだろうか。


毎日毎日
針を刺された背中は

固いしこりが出来て
盛り上がって居た。


毎日辛かった。


針を刺す事も

時間に縛られる事も

血糖値に怯えて
張り詰めて過ごす事も

苦しくてたまらなかった。

でも愛おしかった。

たまらなく愛おしくて
かわいくて
たまらなかった。



再び
歌が歌えるようになって

もう歌を失いたくなかった。

でも
縛られる毎日は
活動にはとても不便だった。


注射を打つ事に
私の心は疲れて行った。

どんどん疲れて行った。


もう嫌だって
思う気持ちが
生まれ始めてた。

きっと
それに気付いたんだと思う。

だから
逝く事を選んだのだと思う。

私の想いを
きっと
誰よりも感じて気付いて

亡くなる事を
選んだのだと思った。




火葬車が来た。


沢山のフードやおやつ
少しのおもちゃ
お気に入りのフリース

そして
我が家の猫が皆持っている
お守りと共に

自分の手で猫を寝かせた。


オレンジ色の月が
低く見えて
眩しい位に輝いてた。




私は

やっと
針を刺す生活から
逃れる事が出来た。


針を刺す度に
心に呼び続けた鬼を 

もう呼ばなくてもよくなった。




続きはまた。









書き続ける過程。

自分で選んで
している事だけど…

とても苦しい時が在る。

とても
辛くてたまらない時があるね。





毎日忙し過ぎて
あっという間。

細切れに
時間をかき集めては
記事を書いて居るけれど


これが
また
とってもしんどくて

負担に思う時も在る。


こんなに頑張って
一体何になるの?って

報われるの?って

思ってしまう事も在る。


でも
決めたから向かう。


自分で決めて
生きて居たいし

自分で決めた事位は
守って在りたいって

思うんだ。




あまり調子は良くない。

でも頑張ってる。

仕事も
バイトも。

逃げずに頑張ってる。


自分を
ちょっと誉めてやれる位
毎日頑張ってる。



買い物とか行きたいんだけど
今はそれどころじゃない。

もう少しバイトに慣れたら

ゆっくり
買い物に行きたいな…





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自傷と摂食障害に付き纏われても歌いたくて。(転居後前半・65)

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私がしてきた

自傷と

摂食障害と。


チラ見せではなく

真ん中に掲げて
ステージに立ち始めたのは

2013年。



会場には

自傷とも
摂食障害とも

関わる事無く
生きて来た人たちの方が

圧倒的に多くて。



大きく拒絶されても仕方がないと
何度も言い聞かせ
覚悟をし

それでも
何とかして
受け入れては貰えないだろうかと

常に
考えて
考えて

数こそ大きく減ったが


月下陽香のステージを
作り上げて来た。



自傷と
摂食障害を

掲げて居ると知れば

一度も
私の歌を聴いた事も
ステージを観た事も

無い多くの音楽関係者には

「暗そうだから」
「重そうだから」と

イメージだけで
拒絶もされる。



掲げるものが一般的では無い。


じーんときたり
ほっこりしたり
ノリノリになれたり・・・


誰もが
気軽に耳を傾けたり
楽しめるような

楽曲を提供しても居ない。




だから

お店が対バンを決めたライブに
加わらないかと
お声を掛けて頂いても

気軽には受けられない。


対バンのお客さんに
嫌がられる事も在るだろうし

そうなれば
お店や対バンさんに迷惑を掛けてしまうから
簡単には受けられない。



月下陽香は

どこにでも
立たせて貰える
うたうたいでは無い事は

2013年からは
とても
とても
感じるようになった。



自傷と

摂食障害を

掲げての活動を始めてからは
とてもやりにくくもなった。



自分でそれを選んだのだけれど。


時々思う。


音楽が好きで
明るい歌が好きで
誰もに受け入れられやすい楽曲を
奏でる事を楽しんで居て

活動出来る人は

いいなって。




結局

私は

自分の不足を武器にして
生きてみたところで

その偏りは

重い足枷だと
感じてしまうんだ。



この

歌える体も
環境も


それこそ
死に物狂いで

手に入れてきたものなのに。



もっと簡単に
楽しみながら
手に入れてる人達が

たくさん
沢山居て


それなのに
私は

体も
心も

壊れる程に積み重ねて


そこには

行く事が出来ない。




子供の頃から
何度も思った気持ちを思い出す。


当たり前に
与えられて在れる人は

いいよね。


当たり前に
抵抗なく
物が食べられたり

それにかかるお金も
自分で働かなくても
親が与えて居て当たり前で

欲しい物は
欲しいって言えて

嫌な事は
嫌だって言えて



腕を切ろうなんて

考えた事もない
環境を

当たり前に
持ってる人は

いいよねって。



いつも

思って居た事を思い出す。










2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※現在執筆中。




時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「既にこの世に亡きものと未だ在るものと。」 (2014.10.18)】

【「疲れ果て女に消した憎悪を。」 (2014.10.21)】





過程を綴る記事は30代前半頃の私を書いている途中。

【「吹き出す膿に血が滲むまで。」(転居後前半・62) (2014.10.15)】

【「気付いてしまったキズグチを探す人。」(転居後前半・63) (2014.10.17)】

【「独り刀を振りかざしても。」(転居後前半・64) (2014.10.20)】




今日は過程の続きを書いておくね。





歌声を失くして

音楽活動から離れた年月。


世の中に

流れる歌の全てが
憎くて

歌える人の全ては
痛む羨みとなり


いつも
耳を塞いでいたような年月。



そこから

医師の反対も無視して
日々トレーニングを重ね
何度血を吐こうが
諦めずに続けて


やっと
取り戻した歌声。




目指して居たステージに
どうしても立ちたかった。


どんなに苦しんでも
そこに立ちたかった。


また

自傷を繰り返さなければ
嘔吐を繰り返さなければ

その環境は
飲み込む事ができなかったけれど


それでも

そのステージを目指す為なら
それらも選んで向かった。



そして
私は
そのステージに立てた。


細かい事を言い出したらキリがない。

ドラムはリズムのキープも出来ないし
ベースはよく違う音を鳴らすし
ギターは
顔が見えない位目の前に譜面を置いて固まってるし

故郷に連れて帰るには
酷い言い方をすれば恥ずかしい。


でも
当時の私には
それしかなかったし

当時は
見ないようにしていたけれど


今思えば
当時の私も
デタラメが余りにも多い事に
もう気付いて居た訳で


だけど
あの夜は

もう一度ステージに立てたと言う事実に

私は大きな納得をした。



バンドの
初めてのライブも終わり

私たちは
他でもライブ活動がしたいと思うようになった。

当時練習でお世話になって居た
スタジオのマスターの紹介で
あるライブバーを尋ねた。


直ぐにライブが決まった。

いよいよ大阪での活動が始めると
思うと嬉しかった。



バンドでの活動と言うよりも

移動に車を出してくれたり
食事をおごってくれたり
年上のメンバーは
そういう面では
とても助けてくれるけれど

ステージの上では
誰も頼りにしてはいけない事は
もう痛い程にわかって居た。


それでも
活動を止める気はもう無かった。

やっと
ステージに立てるようになれた。

ここまで来るのに
何年も苦しんできたんだ。

もう

羨んで
想いを
捻じ伏せてるだけの

自分には戻りたくない。


次々とライブを決めた。


ライブ活動には
大きなエネルギーが要った。

ステージの上では
誰もアテに出来ない。

自分が背負って
引っ張らなくてはいけない。



いつも
スタジオ代は払わせてくれないまま。

毎回1000円と少し位のお金を
払って貰わなければいけない事で
言いたい事も我慢してしまう。

宣伝や集客の為に
かかるお金の方が大きくても
言えなくてひとりで背負う。

ステージは
見た目も大事だと思うのだけれど
メンバーの半分は全くの無頓着。

遠回しに伝えても気付かない。
衣装まで
私が考えたり
準備したりする事も増えた。

知り合いが多いと息巻いてたメンバーほど
ひとりの観客も呼べなかったり
どの店も知らなかったりする。


始めの頃は
うっすらと
何だか引っ掛かるなと感じて居たものが

一体何なのか
だんだんと露わになってくる。


それでも
再び歌い始められたのは
メンバーのおかげだと
感謝して
信じて居なきゃいけないと

思う気持ちと
疑いが

いつも背を合わせて胸に在った。



でも活動を続けた。

ステージの上に立てる事が
こんなにもうれしい事だったとは

改めて感じた喜びは
何にも代えられない

快感だった。




だけど私の毎日は

12時間おきに
愛猫に打たなければならない
インシュリン注射に縛られている。


自分の通院や仕事は
調整が出来る。

家事も
前もって済ませて置けば問題ない。


注射だけはそうはいかない。

私が打たなければ
愛おしい命は

苦しんで消えてしまう。



ライブの日は

注射を打ち
食事を与え
血糖値測定をし

安定したのを確認してから出掛ける。

ライブ後は
次の注射に間に合うように
帰宅する。


出来るだけ
長く現地に居たいから

どうしてもギリギリになる。


どんなに酔っぱらって居ても

血糖値測定をし
インシュリン注射をし
落ち着くまで見守り

落ち着いたら

床の上で仮眠をする。




猫は可愛い。

たまらなくかわいい。


この世の中に存在する
生きて在るものの中で

猫は
私にとって
最も長い年月を
共に暮らしてくれた家族であり

我が子のような存在だ。

愛おしくてたまらない。


それでも。

看護に縛られる毎日も
3年にもなり

歌える喜びを
感じてしまったこの頃になると


正直
大きな負担にも

感じるように

なってしまった。


生きて居て欲しい。

でも縛られるのは辛い。


感情は
いつも

心に中いっぱいに
ぶつかって居た。





12月。

その日はライブだった。

猫の具合が良くなかった。
どこかおかしかった。


インシュリン注射を打ち
血糖値を測定し

数値は異常がなかったから
主人に任せて出掛けた。


任せると言っても
彼に何か出来る訳では無い。

見て
何か在れば
私に連絡をくれて

その時に応じて
病院につれて行く位しか
彼には出来ない。



それでも
ずっと見ていて
報告をくれる事は有難い。

明らかに
元気のない猫を

私は


置いて
出掛けた。




ライブを欠席しようとは
思わなかった。

出来なかった。

行きたかった。


思い切り
後ろ髪を引かれながら


私は会場に向かった。




続きはまたね。









長い年月を
私は猫と暮らしてきた。


母も妹も
10代の頃に生き別れたし

父とも
10代の頃から離れて暮らしたし

血の繋がる家族よりも

長い年月を
共に暮らしてきたのは猫だった。



看護や
介護の中で

生まれる様々な感情も

私は猫たちに学んだ。



今年6月
最後の1匹が亡くなった。


19年間
私の
一番近くで

生きて居た命が召されて


私の生活は大きく変わった。





今日は月命日。

猫たちが居なくなって
今日から5ヶ月目。





夕べはギタリストさんが花を届けてくれていた。





自分でも買ってきたから

今日は骨壺の前には
いつもより花がいっぱい。






そう言えば…

うつわを置いて居た店の閉店が決まり

うつわの梱包の為に
店に行った時。


片付けながら
スタッフさんといろんな話をしてた。



その方の妹さんが
私と似た病気を持って居て

腫瘍が悪性化し
顔の半分を失い
若くして亡くなった事や

ご両親の事や

飼われていたペットの事や

色々な事を聞いた。



その時に
スタッフさんが私に聞いた。



お母様は早くに他界されたの?

って。



5年間続けたうつわ展に
父も来た事があり
その時に挨拶をしたから

父の存在は知って居るし

母が居ない事も知って居る。


ただ
理由を聞かれた事もなく

わざわざ言った事も無かった。


8年以上の付き合いの中で
初めて聞かれた。




その時

私は

「そうです。」って答えた。


これまでにも
様々なシーンで

母の事を聞かれた事が
何度も在る。


その都度
私は

自分の両親は
離婚している事を
正直に話してきた。


姉妹は居ないのかと言う事も
これまでに
何度も聞かれた事が在る。


その都度
離婚した母に着いて行ったと
話して居た。



でも

この時

私は
初めて



「早くに亡くなりました。」


と答えた。



姉妹の存在も聞かれて



 「一人っ子です。」


と答えた。




今まで

その嘘だけは
つけなかったのに

嘘を言った。


言いながら思った。


これからは
そうして生きた方が
きっと良いのだろうなって。


ついた方が良い嘘が
世の中には
沢山在るのだから。

ね。




過程を綴る記事も
やっともうすぐ

(転居後前半)から
後半に辿り着けそうだ。





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独り刀を振りかざしても。(転居後前半・64)

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とても疲れて居る。


酷く疲れて居る。



毎日毎日

来年に向けて
新たに
立ち上げなくてはいけない仕事と

新しく始めた
初めての仕事を


どちらも
手を抜かず
サボらずに

こつこつと
真面目に重ねて居るけれど


それは
体には
とてもとてもハードで

毎日使い果たして居る。



気持ちは
萎えては居ない。


少し前よりも
体が動けるようになった事は
たまらなく嬉しいと思うし

新たな事を

「起こそう」
「始めよう」
「学ぼう」
「経験しよう」


思える自分も

行動に移す自分も

好きで居られる。



“ 自分を好きで居られる ”


これは
私には
何よりも大事な思考だと
思って居る。

日々
自分の力で
働いて生きる事を
実践出来る事は

私には
とても重要に思う。



でも。

多分
現状は頑張り過ぎ。

休む事に
焦りや
罪悪感を
感じてしまう自分の性格は

もう理解出来て居るはずだから

どこかで
自分を
休ませてあげられるように
考えてゆかなきゃと思う。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「嵐の中で終わり始まり。」 (2014.10.13)】

【「既にこの世に亡きものと未だ在るものと。」 (2014.10.18)】




過程を綴る記事は30代前半頃の私を書いている途中。

【「吹き出す膿に血が滲むまで。」(転居後前半・62) (2014.10.15)】

【「気付いてしまったキズグチを探す人。」(転居後前半・63) (2014.10.17)】




前回は寄り道をしたから
今日は過程の続きをかいておくね。





初めてのうつわの個展。

期間は1ヶ月。

週に2日3日
会場に顔を出しながら

期間中
うつわの新作と在庫が
常に会場に在るように
詰め込んで創作を続けた。


看護も通院も
当たり前に在る。

迫るライブに向けての
練習も在る。


肩も首も腕も
酷く傷めてしまって居る。

それでも
1日も休まずに働き続けた。



自分の生み出した作品に
金銭をお支払い頂ける事が
どういう事なのか

改めて
考え
想う事も出来た。


個展はとても大変っだったけれど
とても良い経験となった。




1ヶ月が無事過ぎ
いよいよライブが目前となった。


まだ
メンバーも揃って居ない内から
決まって居たステージ。

ライブバーを探して居て
出会ったベース
ベースが連れて来たドラム
ドラムの知り合いのギター

そしてギターボーカルの私。

私のオリジナル楽曲のみを
演奏するバンド。


1年間の練習を重ね
何とか
1ステージをやりきるだけの数の
楽曲を固めた。

とは言え
曲数は最低限。

1曲は
私ひとりの弾き語りを入れ
後は私の喋りでもたす

そんなセットリスト。



何があっても
私がメンバーを守る。

そう決意を固めて向かった。

全部
私が背負う。

その覚悟が無ければ
このバンドでは歌えないと
もうわかっているから
強く強く心に決めて居た。



作詞はずっとしてきたが

この1年と少しの間

初めて楽器を学び
ギターを学び

初めて作曲をし
何曲も産み出し

手術を繰り返した顎を
酷使し発声を続け

動かない指を動かし
無理矢理ギターを弾き

肩も腕も傷めながら
弾き語りを練習し

メンバーを引っ張って来た自分は
物凄く頑張って居たと

思い起こせば
とても思う。


全てに
無理をし過ぎて居た事が
とてもわかる。

そして
それらはは全て
この
目指したステージに立つ為だった。




いよいよ当日を迎えた。

大阪に移り住む前に
暮らして居た土地に在る

故郷のようなライブハウス。

移転して
場所は変わってしまったが
新しい場所のそこには
初めて立つ事になる。


午後から
メンバーと車で現地に向かった。

もう一度
そこに立てる日が来るなんて
夢のまた夢だと思って居た。

歌声を失くしてから
今日までに
何をどれだけ
重ね注いで来ただろうか。


現実は
多くの問題を抱えたまま

それでも
私は歌にずがり

嘔吐と自傷と言う
逃げ道に
支えられながらでないと
在れないそこに

依存していたから
当時を生きて居たのだと思う。




現地に就けば
懐かしい顔がいっぱい。

もう
嬉しくて仕方がなかった。

リハーサルを終え
本番を待ちながら
胸いっぱいに
次々と溢れる
様々な想いを確かめた。



私は
この土地が嫌いだった。

この土地で暮らす事が
嫌で嫌でたまらなくて。


どこに行っても

私の過去を知る人達に
出会ってしまう
この小さな町は

余りにも息苦しく

また
生き苦しくて

ここから逃げた。


なのに。

ここに
歌いに帰ってこれた事は

とてもとても嬉しくて。

私の中で

この町は
いつの間にか

大嫌いな場所では
なくなっている事に気付いた。




この日のイベントは

大阪に越す前に
10年所属したバンドの
解散ライブイベントを立ち上げて下さった方が
再び立ち上げて下さったもの。

歌声を失くし
一度は音楽活動から離れたが
再び歌い始める事が出来た私が
ここに帰って来る為に
立ち上げて頂いたものだった。


出演は計4組。
起承転結を考えて
主催者が選んだ
素晴らしい方々ばかり。

この主催の
このイベントでなければ
ライブ経験もまだない
私たちのバンドなんかが
共演して頂ける訳がない
方々ばかりが揃って居た。



イベントタイトルは


【 お帰りなさい。 】


私にとって
これまでに耳にした
どの「おかえり」よりも

大きな
「おかえりなさい」だった。



開場すれば
次から次へ
扉が開き
観客が入って来る。


受付カウンターでは
列が出来

あっという間に
席は埋まり
立ち見の観客が
会場の後ろに並んだ。

こんなにも多くの人達が
駆け付けてくれるなんて

願っては居たが
思っては居なかった。


ステージは
1組目から大盛り上がり。

ドキドキしていた。

ステージを観る事にも
出演時間が近付く事にも
ドキドキして
手が震えた。




ついにその時が来た。

衣装に着替え
ギターを持ち
ステージに向かう。


足はもちろん裸足。

うたうたい陽は
基本的にいつも裸足だ。

自分の足で
板を踏みしめて歌うのが
私のスタイルだ。

これは余程でない限り
野外でも変わらない。





始まったステージの上。

目の前には
数え切れない
人 人 人・・・。


全部を込めて
目の前に向かった。


一生懸命弾いて歌って。
動いて。
喋って。



この日のイベントを
主催者の方が
後日
ご自身のブログで紹介しておられたが

私たちのステージは

「 ボーカルの陽(私)が
 メンバーの前に立ちはだかり
 刀1本で
 大勢の敵に
  向かってゆくようなライブだった。」

と表現されていた。





ステージの後は
とにかく飲んだ。

飲んで大騒ぎだった。


待ってくれているメンバーには
申し訳なかったが
駆け付けて下さった人達みんなと
順番に乾杯して
話して居たら
時間なんて直ぐに流れて
足りない位だった。


頂いた沢山の花と共に
深夜大阪へ帰宅。


達成感には欠けて居た。

でも
満足は出来た。

私は
再びステージに立てた。
その満足感はきちんと在った。


このメンバーと共に
自分のイキザマを込めた楽曲を
奏で続けてゆく事は難しいだろう。
既に私は
自傷で消化しながらでなければ
彼らと関わって在る事が出来ない。

メンバーが嫌いなのではない。
でも
合わない事や
理解出来ない事がとても多く

また
それは
私にとっては
とてもとても重要な
核に当たる部分での
ズレや違いで在って

彼等には
とても感謝をして居るが
どうしても飲み込めはしない。

この先の
ずっと前を想像する事は出来なかった。
実際に
この先1年ももたずに
このバンドは壊れ始める。

でも
この日は
自分の中に
満足感を感じて居た。




続きはまた。








作業部屋の中が
足の踏み場も無い状態。


ご依頼の制作をしながら

先日閉店した店から
持ち帰ったうつわを整理しているが

どれも
ひとつひとつ
とても時間がかかり

部屋中が
ひっくり返ったような状態に在る。


今日は
まだ始めたばかりのバイトもあり

教わり
覚える事ばかりなので

その時間は
その仕事に
脳みそをフル回転させながら

また
忙しい仕事なので
休む事無く
体を動かし続けて注ぎ


帰宅後は

うつわの制作工程の
優先順位を考えながら対応し

その合間には

どのうつわを
どう分類し
整理して
把握してゆくのか

これも
思考をフルに働かせ
片付けてゆく。



とにかく
朝から晩まで

頭も体もフル稼働。


余計な事を考える暇もないから
落ち込む事も無いのかな…

落ち込むにも
余裕が要るのかな・・
なんて

ふと思ったりもした。





毎日
今日の為のエネルギーを
今日使い果たして過ごしてる。

良い事だと思ってる。


年内は
こうして
必死こいて日々を消化しながら

沢山の
出来事や
想いを

整理してゆこう。





外は静かな雨降り。

数日雨が降るらしい。

雨降りは苦手だけど
頑張らなきゃね。



最近
顎の具合がとても悪い。

そろそろ
口腔外科の定期検診。


まだ
歌える状態で在れますように。





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気付いてしまったキズグチを探す人。(転居後前半・63)

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ひとつだけ。


また

違う色の花が咲いた。


ベランダに
朝日が射し込み始めると

蕾が開いてく。


朝夕と
随分と寒くなる中で
咲いてくれている花を見ると

少しほっとする。




台風の中で
うつわを搬出したり

翌日からは
新しく始めたバイトの出勤だったり


精神的にも
体力的にも
慌ただし過ぎて

風邪をひいてしまった。


少しおかしいと感じて
直ぐに風邪薬を飲んだら

喉や鼻の不調は落ち着いたので
安心したのも束の間

風邪薬が
腎臓に負担を掛け過ぎてしまったようで

異常な程に浮腫み
風邪薬を止めた。



今日はバイトもあり
始めて直ぐに休むような事はしたくなくて
踏ん張って出勤。


終わったらもうくたくたで

でも
ゆっくりしてる場合でもなく

うつわの仕事をしながら

合間に

やっと
記事を更新してる。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「嵐の中で終わり始まり。」 (2014.10.13)】





過程を綴る記事は30代前半頃の私を書いている途中。

【「私が私をこの世から消す為に。」(転居後前半・59) (2014.10.9)】

【「引き戻された自傷癖。」(転居後前半・60) (2014.10.10)】

【「焼き付けて傷付けて。」(転居後前半・61) (2014.10.12)】

【「吹き出す膿に血が滲むまで。」(転居後前半・62) (2014.10.15)】




過程の続きを書くね。





切るよりも
焼く自傷が

好きだった私は

1200度の高温で
腕を焼いた。


そのキズグチに

皮膚が
再生をし始めるまで

とても面倒で
不便な中

日々は忙しく続いた。



看護をしながら
通院に家事
バンド活動

それらをこなせば

残り時間は
全て
うつわの創作に追われた。



何百という数のうつわを作り
個展の開催は
いよいよ明日から始まる。



会場に並ぶうつわ達。

日々大きく酷使しながら
必死になって
生み出し続けた
うつわ達だ。


ひとつひとつに名前を考え
値札を付け
スタッフと会場を作った。



この年から
私は

5年間
毎年8月の1ヶ月間
うつわ展を開催して居た。


この年の
生まれて初めての個展に
付けたタイトルは

【 月陽-つきあかり-へようこそ。 】

だった。




“ 私をひとりにしないで居てくれた土に
       ありがとうをいっぱい込めて-。

  ここまで導いて下さった皆様に
      溢れてやまない感謝を込めて-。

       育てて注いで焼き上げました。 ”

会場には
色紙に書いた
このメッセージも飾った。





私は
5年間続けた展示会の全てに
タイトルを付けて
メッセージを掲げて居た。


2回目の個展には
【 月陽-つきあかり-を奏でれば。 】

3回目の個展には
【 月に照らされた陽だまりの中で。 】

4回目には
【 月は陽に焦がれ。 】

5回目には
【 月が太陽に重なれば。 】



1回目が
最もシンプルだった事に
今になって気付く。

それはとても大切な事で
思い出して良かったと
今日この記事を書きながら思う。





さて。

初めての個展は明日から始まる。

期間は1ヶ月。

その間
ずっと私が会場に居る訳では無い。

来客予定を見ながら
週に2日程は顔を出すが
それは自由に決めて良い。


会場での接客等は
基本的に
店に任せる事になる。



期間中
うつわをお買い上げ頂いても
常に会場にはうつわが並んで在るように

私は
焼き続ける事が優先になる。


それでも
初日は行く事にした。


生まれて初めての個展だ。

この目で
見ておかなくてはいけないと思った。

ひとつの夢が
叶う瞬間なのだから。





当日。
早朝に目が覚めた。

声を上げる程の
激痛を感じ
飛び起きた。


右腕が動かせない。

首から肩に激痛が走り

また
腕も激しい痛みで

まともに動かせない。


病院に行く時間の余裕は無い。

何とかして動かそうと試みるが

その都度
うめき声が漏れるような
痛みが走る。


行かなくてはいけない。

今日は行かなくてはいけない。


腕が動かせないから
顔を洗うのも一苦労。

化粧して髪を整え
着替えを済ませるまでに
3時間以上が経過。


痛み止めを飲んでも効かず

肩と腕に
とりあえずシップを貼り
テーピングをして

やっとの事で会場に向かった。



電車の乗り換えはひとつ。

駅からは
商店街を歩いて店へ。


店の前で暫く立ち止まった。

店の前には
私の名前と
うつわの写真が貼りだされていた。

やっと
ここまで来れたんだと思った。


その光景を写真に収めた。


そして会場へ。


もう
すでに
いくつかのうつわが
知らない方にお買い上げ頂いていた。


知り合いも駆け付けて下さったり
知らない人たちとも話をしたり。


その日は夕方まで店で過ごした。

翌日は日曜日。
その日も店に行き

週が明けてから整形外科に行った。



首も肩も腕も
酷く傷めていた。


元々
あまり動かせず
力も入らない指を庇い

無理な体勢で作り続けてきて
壊れてしまった。


元々が悪いだけに
完治は難しい。

仕方ない。

それでも休んでは居られない。


その日は
肩に注射を打って貰い
暫くまた通院が続いた。




痛みを我慢して
うつわを作り続けた。


会場には
多くの方々がご来店下さった。

懐かしい人たちも
多く駆け付けて下さった。



もう何年も会って居ない
大学時代の同級生や

年賀状のやり取りだけになっていた
高校時代の同級生なども

ご来店下さってうれしかった。



大阪に越してくる前に暮らして居た土地で
10年間所属していた
バンドのメンバーも
家族で顔を見せてくれた。

有難い事だった。
とてもうれしく思った。


でも。

私は気付いてしまった。


元メンバーは
昔と変わらず

“いい奴”

なのだけれど…。


向き合って話をして居るその目は
私の顔を余り見ない。


じろじろと
まず見ているのは

私の

両の腕。


そう。

キズグチを
キズアトを

探してる。



きっと
帰ったら言うんだろうね。


私は付き合いを絶った
共通の知り合いに

帰ったら話すんだろうね。


会えてうれしかったけど

来てくれて
凄く有難く思ったけれど

うつわもお買い上げ下さって
感謝したけれど


気付いてしまった事で
痛んだ想いは消せなかった。




1ヶ月。
目まぐるしく日々は流れ
沢山の人達と会い

喜びも
悲しみも

改めて
多く感じた期間だった。




続きはまたね。






今夜は更に冷え込むらしいね。


やっと出た芽は
少し大きくなったけど

まだ
薬指の爪くらい。


寒くても頑張ってくれるかな…





先日こたつを出した。

新しいこたつ布団を買った。

ずっと猫たちと一緒だったけど
今年は居ないから
こたつ布団を買い替えた。

明るい色にした。
部屋の中が賑やかに見える。




とても寒いから
あったかい物を食べようと
久し振りにおでんを煮込んだ。

ギタリストさんの分も作った。

おいしかったよって言って貰えて
うれしかった。


大事に想う人と
同じ物を食べられるって
うれしい事だなって思った。






うつわの仕事を続けながら
新しく始めたバイトは
とてもハード。

今の私の体には
物凄くハードだ。


作陶で荒れる手は
バイトでも荒れる。


作陶作業で乾燥してしまうから
ハンドクリームは
年中ぬりまくっているけれど

この冬は
今までよりも沢山使いそうだ。


べたつかない使用感で
しっとりする物が良いのだけど
コレって思う物には
なかなか出会えない。

今使ってるのはハズレな感じ。


バイトに慣れて
体調がもう少し楽になったら

探しに行こう。




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作業部屋に

小さなサボテンを

ひとつ置いた。



最近焼き上げた
小さな鉢に

植え替えて置いた。



花屋さんが

植え替えるなら

今月中か

今月が無理なら
来年春まで待ってからにしてねって


教えてくれたから

昨日植え替えた。


ゆで卵よりも
小さな植木鉢。



気に入って居る。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「朽ちたならキズグチには新たな種を。」 (2014.10.7)】

【「嵐の中で終わり始まり。」 (2014.10.13)】





過程を綴る記事は30代前半頃の私を書いている途中。

【「私が私をこの世から消す為に。」(転居後前半・59) (2014.10.9)】

【「引き戻された自傷癖。」(転居後前半・60) (2014.10.10)】

【「焼き付けて傷付けて。」(転居後前半・61) (2014.10.12)】




前回は寄り道をしたけれど

今回から
また過程の続きを書いてゆくね。







暫くはおとなしかった
私の自傷。


でも
それは戻って来た。


失った歌声を
必死になって
やっと取戻し
再び歌えるようになったけれど


歌える環境を
手放さずに在る為には

どんなに
噛み砕き
飲み込もうと
努力をしても

噛み砕く事も出来ない

納得の出来ない
我慢を

し続ける事でしか継続出来ず


また
当時の私には
それでも
そこしか見付けられず

そこで歌おうとするならば

もう
自傷をしなければ
存在出来なくなってしまった。






初めての
個展が決まり


うつわの制作に
日々追われる中。


焼成中。

1200度の窯に
私は腕を押し付けた。


切る自傷よりも
焼く自傷が好きだった。

だから
窯で焼いてやろうと思ったんだ。





気合を入れて
窯の壁に腕を付けた。


ぐっと押し付けるつもりだった。


しばらく
そのままで居るつもりだった。

簡単だと思った。



でも

その高温の衝撃は凄まじかった。

体はビクンと飛び上がった。

後ろに飛ぶように弾かれ
尻もちをついた。

強烈な痛みが
腕に走った。



それ以上は出来なかった。

再び腕を付ける事は
出来なかった。


心臓が
バクバクと
跳ねるように鳴った。


腕は
赤くぽっこりと腫れ上がった。

その後は
じんじんと痛むけれど

そのまま放置した。




そして翌朝
目覚めて
腕を見れば

皮がずるっと剥けていた。

夕べ見た腕とは違って居た。


ちょっとやり過ぎたかなって
思った。

とりあえずガーゼを当てて
1日
看護と仕事に追われた。



その内
カサブタになるだろうから

なれば
また

むしって
剥がして
焼けばいい


それ位に考えていたのだけれど

火傷を知った知り合いに
通院を勧められた。

感染症を考えて
きちんと通院するように
きつく言われた。





翌日
皮膚科に通院。


自分でやったとは言えない。

作業中に
うっかり火傷をしたと伝えた。



医師の判断は
「3度の熱傷」。


捲れた皮膚の下は
ぱんぱんに腫れ上がり
膿が溜っており

このままでは
皮膚が再生しないと言う。



40日を目処に
毎日通院するように言われた。

毎日毎日消毒に通い
抗生剤を投与される。

その上で
皮膚が再生しなければ
皮膚移植だと言われた。


水に濡らせないから 

その部分だけは
風呂に入っても
洗う事も出来ない。



めんどくさくて
とても不便だ。


全くの想定外だった。


うつわを作る事や
猫への
インシュリン注射は出来るけれど

生活全般に影響する。



失敗したと思った。


40日間
毎日通院なんて

12時間おきに
愛猫にインシュリン注射を打ちながら

近付くうつわの個展と
バンドのライブに向けて

それこそ
眠る時間も無い勢いで
忙しい私には


手枷
足枷
掛けられたような状況だ。



自業自得とは
こういう事だと
つくづく感じた。


翌日から
毎日朝一で通院。

それでも
3時間程を割かれてしまう。



診察室に入れば

包帯が取られ

ガーゼが剥がされ


医師が

膿の膜が出来たキズグチを

消毒液を含ませた脱脂綿で
削ぎ取るように
ふき取る。


これがやたら痛い。


とても痛いのに

キズグチからは
血は出てこない。


血が出ないと言う事は
再生出来ないという事だそうだ。



毎日毎日
膿の膜を剥がされて
消毒の繰り返し。


1週間過ぎても
2週間過ぎても


腕から吹き出す
膿の膜は張り続けた。


これ以上
この状態が続くなら
移植手術を考えようと

医師が言い始めた頃

やっと

僅かに
血が滲み始めた。



いつものように

膿の膜を削がれると

そのキズグチに血が滲んだ。


それでも膿は無くならず
暫くは通院が続いた。


やっと膿が無くなり

キズグチから
綺麗な血が出るようになり

皮膚が出来始めた。



40日以上が流れ
やっと毎日の通院から解放された。

新しく生まれた皮膚は
その年は紫外線に当てぬように
強く言われた。



その後
キズはアザのようになり

当時は
ケロイドにならないかと
楽しみにしていたが

年々赤味が薄れ
目立たなくなった。


当時は
それがとても残念だったが

今は
それに感謝して居る。




やり過ぎた自傷に振り回されて
想定外の想いをし

それでも
そのキズが癒えたなら

また自傷は続いた。




そして。
初の個展を迎えた。



続きはまた。







今朝7時。

ベランダから見えた空。



少し前に
怒鳴り込んで来たお隣さんは
今朝は
大きな声で夫婦喧嘩。
子供がびっくりして泣いてた。




昨日からとても寒くなった。

免疫力が
とても乏しい事は
自分でよくわかっているから

物凄く
気を付けては居るのだけれど…。


風邪をひいてしまったようだ。


朝目覚めた時から
鼻と喉の具合が悪く
午後からは寒気もしてきた。


今日中に
やらなければならない事は
沢山在って。


今日は
通院してる場合ではなく

手持ちの風薬も切れており

とりあえず
薬局に行って来た。



帰り道
スーパーの横を通ったら

何だか様子が違う。


シャッターが下りていて
貼り紙があって。

何人かの主婦さん達が
その前で話してる。


時々行く店だから
自転車を止めて見に行ってみた。



「今日はお休みなんですか?」って
一人の主婦さんの声をかけたら

「休みと違って閉めたみたいなんよ」

って返って来た。


紙を見たら
「倒産」の内容。


閉められたシャッターの横には
掲示板があって

そこには
お知らせや広告が
いつも貼られていたんだけど


広告がまだ残ってて
11日のセールのチラシだった。


次々と
買い物客がやってきては
倒産の内容を見て
驚いて
去ってゆく。

前もっての知らせは
無かったらしい。



“ここのコロッケをもう食べられないのね”って
後ろに立ってた主婦さんが言った。

皆寂しそうに見えた。



そこは
元々は地元の市場だったそうだ。

だから
スーパーとなった今でも
野菜は八百屋さんが
魚は魚屋さんが
肉は肉屋さんが
それぞれに独立してる。


同じ場所で
沢山のお店が経営してる。

商品も新鮮で評判も良かった。


50年前からあったらしく

私は
ここに越してきて
初めてパートに就いた時に
そこで知り合った人に
そこを教えて頂いた。


無くなるのは寂しいね。


今年は
そんな光景を

沢山見てる気がする。





夕べも
ギタリストさんが
差し入れを届けてくれていた。


新しく行き始めたバイトの初日

頑張ったご褒美のお菓子。



そうだ。

バイトも増えたんだし
頑張って
風邪を治さなきゃ。



頑張って仕事終わらせたら

ぬくぬくにして
今夜も早く眠ろう。







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焼き付けて傷付けて。(転居後前半・61)

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一昨日。


寝室の窓から見えた

夕焼けの赤。



作業部屋は
東向きで
朝日が射し込む。


その
反対側にある寝室には
西日が射し込む。



6月22日に
愛おしい命をひとつ見送り 
7年振りに
布団で眠れる生活に戻り

毎夜
使うようになった寝室。



遮光のレースカーテンの向こうが
赤く見えて

窓を開ければ


電線と
交えて見えた空。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
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【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
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【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
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【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「ひとつ終える前に。」(2014.9.29)】

【「朽ちたならキズグチには新たな種を。」 (2014.10.7)】




過程を綴る記事は30代前半頃の私を書いている途中。

【「私が私をこの世から消す為に。」(転居後前半・59) (2014.10.9)】

【「引き戻された自傷癖。」(転居後前半・60) (2014.10.10)】




今日も続きを書いておきます。




しばらくの間。

とても減って居た自傷。


完全になくなりはしなくても

とても減って居たし

しても
小さな傷だけで納得出来て居たのに。



自傷が私を呼び戻すのか
私が自傷を呼び戻したのか

歌う環境を保つ為には

自分のイキザマ全てを
全否定されるような苦痛が付きまとい
それを我慢しなければ
歌う環境を失くしてしまう
時間にも余裕が無い現状に

私は再び自傷を始めた。



気持ち良かった。

とても。
気持ちが良かった。


締め切った部屋の
窓を開けるように
綺麗な空気が
入って来た気がした。


これなら
我慢して乗り切れる。
そう思った。



切る自傷よりも
焼く自傷の方が多かった。


爽快感は
切る方が大きく思う。

スパっと
皮膚が割れる瞬間は
たまらなく気持ちが良い。

そこに
溜まるように
血が噴き出してくる光景は

ぞくぞく出来る。


でも
私は焼く方が楽しかった。


ライターで
しっかり炙ったカッターやドライバーを
押し付けて

掻き切るように動かせば

独特の焦げ臭さがして
皮膚は赤く爛れる。



刃物で
スパっと切る時よりも
ずっとずっと痛い。

一瞬
飛び上がるような痛みが在って

心臓がバクバクして

かなりの痛みが
じんじん続く。


しばらくすれば
血の混じる水膨れになる。

水膨れが潰れ
数日が過ぎると
カサブタになり始める。


そこまで来たら
一気にカサブタをむしり取って

そこに
また
炙ったドライバーを当てる。


バンド練習の度に
どこかしらに傷を付けた。
そうすれば
それなりに愛想良く居られた。

悪い人たちでは決してなかった。
ただ。
余りにも想いが違い過ぎた。
それは当時でもわかって居た。
だけど。
当時そこしか無かった私には
苦し過ぎて

自傷しなければ
そこには在れなかった。




仕事はとても順調だった。


うつわを置いて居る店には
当時は
40数人の作家が契約をして居た。


名前を聞けば驚くような凄い方も
老後の趣味で始めた陶芸で賞をとって
この世界に入って来るような方も居て

私は
そこでは一番の新人で若者だった。



作家にノルマはない。

作品が出来れば店に持ち込み
店が気に入ればそこに預けられる。


店内には
沢山のうつわが陳列されて居て

お客さまにお買い上げ頂いて
初めて
店の取り分が引かれたお金が入る。


店に在る物以外の商品の
制作依頼が在れば
その売り上げは入るが
なければ勿論入らないし

店の商品が売れなければ
1円にもならない。


そんな中でも
有難い事に
うつわの売り上げは上がって行った。




当時は
年に2回だけ

作家の中で選ばれた人だけが
展示会をさせて貰う事が出来た。


『個展』や

個展が難しい時は
ふたりで組んで『二人展』として

1ヶ月店を使用出来る。



大阪の心斎橋の
ど真ん中に在るこの店で
いつか私も展示会がしたい。

強く願って居た。

先輩たちの個展を観に行っては
いつかは自分がと。




バンドが目指すイベントまで半年を切り
自傷で心のバランスをとりながら
練習に励んで居た頃

店からの依頼が来た。


『個展』をしませんかと。



40数人の作家の中で
私に声が掛かった。

目の前が
ぱっと明るくなるようだった。

断る訳が無い。


夏の1ヶ月に
初の個展の開催が決まった。

嬉しかった。

とてもとても。
嬉しかった。



それからは
許される限り創作に注いだ。


店内の会場となるスペースに
開催期間中の1ヶ月間
穴が空く事無く
うつわを並べて居なければならない。



愛猫に
12時間おきに打たなければならない
インシュリン注射と
血糖値測定

自分の通院に
猫の通院


楽曲制作も
スタジオ練習も
個人練習も含めた上に

「まかせとくわ」の一言で
ひとりで背負って居た
立ち上げたバンドのホームページの管理

近付くイベントへの
集客の為の宣伝


それに加え
200
300となる数の
うつわ作り

個展の宣伝。 



練習が無い日は
看護をしながら
16時間とか仕事をしてるような
状況になって居た。



願って居た個展の開催。


それはとても幸せだった。

とんでもなく過酷では在ったが
しあわせだった。

目一杯無理を重ねた。


バンドで立つ
近付いて来る
夢見ていたステージへの
ストレスとプレッシャーも
日々ひたすらに太り続けた。




ある夜
うつわの焼成をして居た時に。


気持ちがいっぱいになり過ぎた。

辛くて辛くて。
楽になりたいと思った。



本焼き焼成中の窯は
1230度まで温度を上昇させた後
炙りながら下げてゆく。


サウナのような作業部屋で
窯の前に座り込み

間もなく
その温度管理を始めようとしていた。


1230度に達した窯。

時間を計りながら
温度を少しづつ下げてゆく。




「焼きたい。」

衝動が押し寄せた。


切るよりも
焼く自傷の方が好きだった私は

1200度の窯に
腕を押し付けた。




続きはまた。










かなり
疲れてきてるなって感じてる。


やらなければいけない事が
急に押し寄せてきて
一生懸命
ひとつづつ片付けているけれど
体がとても辛くなってきてる。


もう
この夏のような状況には陥りたくはない。

まだ
これから
始めなくてはいけない事も

山盛りな現状。


配分を
考え直さなきゃいけないね。




台風がまた近付いて来てる。


明日は
うつわを店から運び出す予定なんだけど…
どうなるかなぁ・・





先日
うつわの梱包に行った時

スタッフさんと色んな話をしたけれど

強烈に
覚えてるのは
その方の妹さんの話。


顔に出来た悪性の癌で
大きく顔を失って
若くして亡くなった話。


少し
何かが変化してしまっていたら
私もそうなってただろうから

この先にも
そうなる可能性だって在るのだから


とても
焼き付いた話だった。





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引き戻された自傷癖。(転居後前半・60)

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魔法の土に
入りきらなかった種を


別の鉢に植えたら

芽が出てくれた。


良かったぁ・・・


なかなか芽が出なくて
気になってたから
少し安心した。



そしたら

すぐそこに居たのは
セアカゴケグモ。


びっくり。

ツイートしたら
直ぐにお返事下さった方がおられて
クモには死んで頂いた。


毒が無ければ
殺さなくて済んだのに。


何だか嫌な気持ちだった。


マンション内には
小さな子供も居るから
一応管理会社に報告をした。



今日も朝からバタバタと忙しい。

まだ本調子ではないのに
急に忙しくなって

頑張って動いて居るんだけど

さすがに辛くなってきた。


今日は
ちょっと早めに切り上げようと思う。












2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※現在執筆中。






時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「ひとつ終える前に。」(2014.9.29)】

【「朽ちたならキズグチには新たな種を。」 (2014.10.7)】




過程を綴る記事は30代前半頃の私を書いている途中。

【「残りの時間を焦る程に。」(転居後前半・58) (2014.10.8)】

【「私が私をこの世から消す為に。」(転居後前半・59) (2014.10.9)】



今日も続きを書いておくね。





ずっと求めて居た

どうかもう一度と
願って居た

バンドで歌えると言う事。


私は確かにそれを手に入れた。


でも
それはとても
バンドとは呼べないレベルからのスタートだった。


それでも失いたくは無かった。
当時の私には
そこしか無かったから。
他を選べる環境にも居なかったし
出会えたメンバーを
信じようと思って居たから。


もう既に
決まっているステージに立つ為には
もうひとりギタリストが欲しい。
ドラムの知り合いの人が加入してくれた。
これでメンバーは4人となった。




前回の記事に書いた

家庭裁判に申し立てた
「名の変更」。


私は
戸籍から新たな名となり


改めて

これからの自分の人生を
密かに考え始めて居た。


そこで
また改めて思ったのは

歌と器からは
もう離れたくないと言う願望だった。



その為に

少し先に起こす出来事を
静かに企んで居た。




そんな頃
イベントの主催者から連絡が来た。



私が20代の頃
当時のバンドで歌い続けたライブハウス


私にとっては
故郷のような恋しい場所


もう一度
私がそこで歌う為に
立ち上げて貰ったイベントが
半年後には開催される。


そのライブハウスの
移転が決まったと言う。


店は無くなりはしない。
でも
場所は変わってしまう。


かつて私が立っていたステージは
もう
その店のステージではなくなる。

ショックだった。





行こうと思った。

想い出の場所に店が在る内に

もう一度
そこに立っておきたい。


足の裏を真っ黒に汚しながら
いつも裸足で立っていた

あのステージに 

もう一度立っておきたい。




移転前のイベントの日に
行く事を決めた。

メンバーには初めての場所。
主催者やマスターに挨拶も出来る。
ドラムが車を出してくれて
皆でライブハウスへ出掛けた。



数年ぶりに見る店。

店の前で
「ただいま」って
店に声をかけた。


コンクリート剥き出しの壁に
貼り詰められたフライヤーを見ながら
階段を地下へ下る。

重い扉を

2枚

開ければ
懐かしい顔がいっぱい。



そこで歌って居た頃に
よく顔を合わせていた人達が
大勢集まって居た。


一瞬で

時計が巻き戻ったような感情と

確かに
月日は流れて在る事の実感が

同時に吹き出す。



皆とハグをして
沢山飲んで
沢山話した。


私は
ギターを持って行っていた。

マスターに
もう一度
ステージに立ちたい事は伝えて居て

歌わせて貰える事になっていた。



人前で
弾き語りをするのは初めて。

ステージで
自分でギターを弾くのは初めて。


2曲だけ
オリジナル楽曲を歌わせて貰った。


下手くそな上に
酔っ払っている私。


間違えながらだけど

初めての弾き語りで

その場での最後になる
板の上に


裸足で立った。




次にこの店に帰って来る時には
もう店はこの場所には無い。

移転先である場所の
この店のステージになる。


寂しいけれど

自分の足で
最後に立てた事で

店への気持ちの整理はついた。


連れて行ってくれたメンバーに感謝した。




実際に
主催者や
その店の人達
そこに集まる人達を見たメンバーは
そのイベントが
とても大きなものである事を
実感してくれたようには思えた。


私達は練習に励んだ。
しかし
演奏はなかなか上達はしない。

1ステージをやりきるだけの曲数を
演奏できるようにならなくてはいけない。
イベントは半年後に迫っている。


メンバーも含めた
私たちのバンドの為のイベント。
他の出演者達は
有名な素晴らしい人達ばかり。

私は
演奏にも集客にも
大きな責任と
焦りを
日々感じて居た。

主催者にも
店にも
迷惑はかけたくない。

バンドを
少しでもレベルアップさせたくて
一生懸命頑張った。


でも上手くいかない。


互いを知る程に
考え方の違いや
温度差が

在り過ぎる事を感じ
苛立ちが
日々膨らんでゆく事に気付いた。

それぞれに
まずは
自分のパートをこなす事に注ぐ事が
私は
当たり前だと思う。

自分のパートは
自分で選んだ決めた役割であり
必ずやらなければならない
責任があると思う。


だが
音楽に関し
全くの初心者であったメンバーのひとりは
ドラムを始めた事で
音楽に興味を持ち始めたのか
ドラムが全く進歩しない内から
作詞やギターを始め
寄り道を繰り返す。

皆の足を引っ張ってしまう。
気持ちはわからなくもないが
今は寄り道をすべき時では無い。

ドラマーとしての加入を
自分で選んだのだから
とにかく私は
1曲でも多く叩けるように
早くなって欲しいのに
伝わらない。

次第に苛立ちが増え
理解が出来なくなっていった。


必死になって
何曲も楽曲を作っても
「暗い」
「痛い」
「叩けない」
と言われ却下。

自分のパートもこなせない人に
私の歌は
暗いから駄目だと言われる。
陶酔して歌って居る姿は
怖いとも言われる。


なぜ
私がそういう歌を書くのか

どれだけ言葉を尽くし
伝えても
理解を得られない。

応援歌や
ラブソングでなければ売れないよ…
なんて言われる。
ついには
自分が作った歌も歌えと
言われる始末。

彼には彼の想いや
言いたい事もあっただろうと
今は思えるけれど
当時はそんな事を思う余裕も無い程に
私は追い詰められた。

とても悲しいけれど
ドラムに対して
信頼や共感を
見付けられなくなっていった。
でもそうとは言えない。
言えば終わってしまうだろうから
言えない。

他のメンバーが
それぞれに
その都度ホローを入れてくれるから
何とか我慢をした。

でも
それは

理解では無くて

我慢だった。



そんな想いを重ねても
私は
もう
歌を止めたくはなかった。

走り出してしまった歌への想いは
止められなかった。


だから飲み込んだ。


体も心も

大きな負担と
我慢で

壊れてゆく。



歌いたい。

あのステージに帰りたいよ。

でも。
ここは痛いよ。

余りにも痛くて重たくて。
納得出来なくて
傷付くんだ。


だけどここしかない。
時間も無い。
飲み込むしかない。



全く消化出来なくなった。



切りたい

焼きたい感情を

もう押さえられなくなった。



腕を切った。


気持ち良かった。


すっきりした。



そうだ。

やっぱりそうだ。

切ったら楽になる。

また我慢も出来る。



しばらく
おとなしく過ぎれて居た

自傷への想いが


湧き上がり

私は
また


そこに戻ってしまった。



でなければ
歌が歌えなかった。


それでも
歌が歌いたかった。


どうしても


目指す場所に
立ちたかったんだ。






続きはまた。






やっと衣替えをした。


これは

私が
初めて

女の子から頂いた
手編みの贈り物。



頂いたのは
20代の頃。


以来
彼女には
沢山の手作りの贈り物を頂いていて


全て大事に使って
大事に置いて在る。


昨年は

月下陽香のギタリストさんの分まで
作って下さって

私たちは
色違いのマフラーをしてた。



秋冬用に衣替えをする度に

古くなった物を
しまって居る箱を開けて
懐かしい気持ちになる。


私には
嬉しい想い出も在るんだなって
確認が出来る。




店のうつわが帰ってくるから
家中をあちこち整理中。


買い取ってもらう
楽器や機材も出してきた。


思ってた以上に
色んな物が出て来た。


売ったお金で
うつわを管理する棚を買おう。




昨日は
2時間だけ
月下陽香の練習をしてきた。


まだまだ
歌う感覚が戻ってこない。


呼吸が
まだ難しい時がある。


少しづつ
感覚を取り戻しながら

この体での発声を探して

またステージに立てたらいいな…


年明け頃には
立てたらいいな…





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自己紹介。

月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


このブログには
私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
共存して居た頃の出来事を綴った記事も
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