❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

  ♪:*:.:*:♪ ・らいぶ情報・ ♪:*:.:*:♪

     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

     ❤ 2016年11月6日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



  ♪:*:.:*:♪ ・CD情報・ ♪:*:.:*:♪

  ◆ ファーストシングル ・ 花いばら ◆
            2曲入り ¥500-
            2014.5.24 発売
花いばら

  ◆ セカンドアルバム ・ 生きてるからね。 ◆
            6曲+1曲入り ¥1000-
            2011.8.21 発売

いきてるからね。

※ こちらからもお買い求め頂けます。
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いつも痛みと共に。(卒業後後半・50)



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介護生活は今日も続いている。


続いているのは
命がまだ続いて在る証だ。

しんどいけれど
それは今の支えでも在るんだろう。


とは言え

自分の体も心もとても苦しい。


仕事量を増やす事が
環境的にも体調的にも難しく

情けない事に経済的にもとても大変だ。



日々捨て続けるフードは
私の精神的にもかなり堪える。



まだ猫が3匹居た頃は
3匹共に病気になってから
処方食を与えて居た。


2匹が召され
ぽんちゃん1匹になり

この子が癌になってからは
処方食をやめた。


残りの時間は
好きな物をおいしく食べてくれたら良いと思った。


歳をとり
食も細くなってきたし
食べない事が一 番困るから

とにかく
自分から食べてくれる物を重要視してきた。



店頭には
たくさんのフードやおやつが並んでいるが

我が家で
絶対的な物として選ばれているのは

「銀のスプーン」シリーズ。


これは

ぽんちゃんも
以前居た2匹も

術後の何も食べたがらない時でも
自分から口を付けた
我が家には鉄板商品。



でも
さすがに今回は
これも食べようとはしてくれなかった。


気分の良い時は口を付けてくれるが
ほんの二舐め三舐め程。

それも開けたてに限る。



ぽんちゃんの食事は

現在基本的に強制給餌。

一 度に少ししか受け入れてくれないから
全く食べない日なんかは
2時間おきに与え続ける。


栄養が偏るから

鰹節をかけたり
猫用のおやつを与えたりはしても

作って与える事はしなかったが

今回は
とにかく食べさせる事に重点をおいて
手作り食も試している。



高齢の腎臓の悪い猫の飼い主さんたちの
ブログや掲示板を参考にさせて頂いて

ぽんちゃんが食べる物を探す毎日。



始めは食べていた湯がいたササミも
ほとんど食べなくなったので

猫用に
新しいフライパンを用意して

鶏もも肉を
少量のオリーブオイルで焼いてみた。


これは食べてくれた。

細かい方が食べやすいかと
鶏ミンチにしたらイマイチだった。

次は合挽にチャレンジする。



多尿で水分を排出してしまうから
脱水にも便秘にもなりやすい。

強制給餌で入れる流動食には
ファイバーと乳酸菌を混ぜている。
でも排便には苦労して居る。


おいしく
水分と栄養を摂取出来たらと
いろいろ調べやってみたのが

昨夜のTwitterにアップした写真。
今日の2枚目ね。



ぽんちゃんが少し舐めただけの缶詰。

今までは全部ゴミになってた。

それを水と共に鍋に入れ
一煮立ちさせて具は絞って捨てる。


残りの出汁を与えてみると(冷めてからね)
ぺちぺち舐めてくれる。

冷たくなるとジュレ状になる。

ジュレのままでも
少し温めても舐めてくれる。


他のフードにかけて置いておくと
気が向けば舐めにくるし

運が良ければ
フードも少し口に入ってくれる。



これは良いぞって事で

作って
アイストレーで冷凍。

そうしておけば必要時に解凍すれば良い。


夏場
食欲減退した猫ちゃんにも良さそうだよ。



たくさんのヒントを下さったサイトさまや
掲示板にコメントされてる方々に
ものすごく感謝しています。



ここ「癒え待ちよすが」も

誰かの応援になれる時が
くれば良いなと思います。










2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7 月7日以来
記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つ の記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つ の記事があります。

【「3・ 自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」 (高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17 の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※ 61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半の私)】
   ※ 現在執筆中。





介護が必要になった
飼い猫との暮らしや想いを綴りながら。。

【「残された時間を。」 (2014.5.31)】


過程を綴る記事は
20代後半頃の私を記している途中。

【「血を流した歌だから。」 (2014.6.2)】



続きを書くね。







摂食障害も

自傷も

私の体に
心に
こびり付いたまま

私は人の妻となった。



結婚なんてしたくないと思って居た。

ずっと結婚はしないと考えて居た。


20代も後半にして
仕事を辞め

それまでに
積み上げて来たものを手放したら


私の中に在るものは

「摂食障害」と

「自傷癖」 と

同棲している彼の帰りを待ちながら
家事をする生活だけになった。


大学の仲の良かった女子たちは
皆結婚し

妻であったり
母であったりしている中

自分にも
確実な位置が欲しくなったんだと思う。


結婚をしたいと初めて想い始めた。

でも。
無理だとも思っていた。


摂食障害も自傷も
この時点で20年を越えていた。


自分が普通でない事は
誰よりも自分が知って居る。

結婚出来る訳がないと思って居た。


そんな私みたいな女を
彼は嫁にしてくれた。

互いに
家庭環境には何かしら問題を抱えた者同士。

だから
救われた部分も在ったのかも知れない。



とても静かに密やかに
私は結婚をした。


結婚生活に夢や希望は持てなかった。

結婚に対しての
破壊的なイメージは消えなかった。



それでも何よりもうれしかった事は

苗字が変わる事と
知らない土地に越せる事だった。


好きな人の苗字になれる喜びではなかった。


生れ落ちて授かった苗字を
捨てられる喜びが
叫びたい位うれしかったんだ。

それまでの自分ではなくなるように思えて。



今までにも何度も書いて来たが

私は家庭裁判所に申し立てて
名前を変えた。

今の名は両親が付けた名ではない。

結婚後
数年掛けて戸籍から本名を変えた。

いつかそれをしようと
結婚した時からそれは考えて居た。



もうひとつ。
考えていた事があった。

狭い田舎で長年商売をしてきた私。

顔も知られて居たし

そこでは
現在のように心療内科も存在していなかったから
メンタル的な通院は出来ないで過ごしてきた。

大阪へ越したら行こうと思った。

私の事を知ってる人も居ないし

ここよりもずっと都会の大阪には
クリニックもたくさん在る。


摂食障害も自傷も
出来る事ならば止めたいと
それはずっと思っていたから

専門的な力を借りてみたいと思った。







3月のある日。

とても天気が良かった。


小さなトラックが1台。

3人の業者スタッフが
積み上げた段ボールや家具を
手際よく運び出した。


大き目のゲージに入れられた3匹の猫と
彼と私。


空っぽの部屋を見渡せば
そこはとても広かった事を感じた。


ゲージを車の後部座席に運び
鍵を返せば

大阪へ。



窓の外を流れてく見慣れた景色。

心の中で何度も繰り返した。

「さよなら」

「サヨナラ」




高速に乗り見上げた空は眩しかった。






20代も残り少ない。

休む間もなく戦い続け
闘わなければ生きて在れなかった時代だった。

いつも走っていたように思う。
よくやったと思う。



当時を振り返るとわかる。

私は今でも生き急いで居る。


でも
当時は
今の私から見れば
恐ろしい程に生き急いで在った。

早く死にたかったし

もっと早くに死ねると思って居たからね。


人の何倍もの速度で
見れるものをとことん見て
やれる事をとことんやって

ずっと走り続けて

本当に壊れて

やっと私は
新しい生活を始めようとして居た。







正確ではないけれど

良い区切りだと思うし


“「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりか ら。」(20代後半の私)”の

カテゴリに収める記事は
今日で
これで最後にしようと思う。




次回からは
大阪で暮らし始めた日々を書き記してゆきます。


これからも
お付き合い下さる事を

そして

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血を流した歌だから。(卒業後後半・49)





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24日に
CD【花いばら】を発売して以来


当日ご来店が難しかった方が
ご注文のメッセージを下さったり

お会いした事は無いのですが
ここを知って
ご連絡下さる方がいらっしゃったりして

とてもうれしく思います。


お知り合いにもプレゼントしたいと
更にご注文を下さったり

セカンドアルバムやファーストアルバムも
お求め下さった方もおられ

心から感謝をしています。

ありがとうございます。



今日写真で紹介していますが

月下陽香は
これまでに3枚のCDを発売しています。


バンドから離れて
ソロ活動を始めてすぐ

2010年に発売したのが

ファーストミニアルバム。

「うまれてきたよ。」
3曲入り ¥500-


これは完全手作りをした物。
ジャケットもパッケージも
全てひとりで手作りしました。


今までにも書いた事がありますが

私は
ある出来事から
いつ自分の楽曲が壊されるかわからない恐怖を
ずっと持ったままで居ます。


持病もあり
歌う事が大変になってゆくだろう未来が予想される中


どうしても楽曲を形に残したくて

ギターを練習しCDにした物です。

申し訳ない位下手くそですが…


これは200枚程を作り
おかげさまで残りはあと5枚となりました。
今後追加生産の予定はありません。



次に2011年に発売したのは

セカンドアルバム

「生きてるからね。」
6曲+1曲  ¥1000-


これは
自分で弾いて歌う中
現在のギタリストさんに
サポートして貰い収録しました。


はっきり言ってとても荒くて粗い…(汗)


これが
月下陽香の本当の原点だったのかなと
今になって思 います。

今よりも
痛みが剥き出しだった頃の私が見えます。



それから
2014年5月24日に発売した

ファーストシングル

「花いばら」
2曲入り ¥500-


これについては
最近の記事にたくさんお知らせをしてきました。




そして。

実は

セカンドアルバムを出す寸前に
たった1日だけ限定で発売された

もうひとつのセカンドアルバムがありました。


セカンド発売前に
横浜へ遠征出来る事になり
その記念に手作りした

もうひとつのセカンドアルバム。


横浜で歌ったその夜
その会場でだけ販売されました。






最近の記事にも書きました。

24日のライブでも
このような内容を少し話しました。

【今日も痛くてたまらないから。」 (2014.5.23)】



私はプロのミュージシャンではないです。

アマチュアのシンガーソングライターのひとり。


でも
自分の楽曲に
“お金を払ってお買い求め下さい”と
活動の中でお願いをして居ます。


それに対しては
責任を強く持っているつもりでおり

プロではないけれど
自分の活動を遊びだとは捉えて居ない。


私は

自分の人生を
イキザマを
オリジナル楽曲として掲げ表現をして居て

そこで伝えたい想いは
楽しむだけの趣味とは考えられないんです。



過去に
あるシンガーさんに言われた事がある。


“アマチュアでCDを売るのはおかしくない?”って。

“遊びなんだからさぁ”って。

“気楽にやった方が”いいんじゃない?って。



おかしいかな?

確かに
とっても勝手だろうし

おかしいのかも知れない。


でもね。

もしそうならば

「ライブに来て下さい」って宣伝して

貴重な時間を割きご来店頂いて
2000円のチャージをお支払い頂く事だって

気楽な遊びを観て貰うだけなら
おかしいんじゃないかって
私は思ってしまう。


どんな形でも
お金をお支払い頂くなら

私は

気楽に遊んでちゃいけないと思って
活動をしてる。



どっちが正解かわからないけれど。

どっちも正しいかも知れないし
私が間違ってんのかもしれないけどね。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7 月7日以来
記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つ の記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つ の記事があります。

【「3・ 自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」 (高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17 の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※ 61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半の私)】
   ※ 現在執筆中。





介護が必要になった飼い猫との暮らしや
想いを綴りながら。。

【「残された時間を。」 (2 014.5.31)】

24日に開催したライブの事を書かせて頂いて。

【こぼれた想いに咲くイバラ。」 (2014.5.25)】

【不足の武器で殺せないもの。」 (2014.5.26)】



過程を綴る記事は
20代後半頃の私を記 している途中。

【「私はゴミ箱じゃない。 」 (2014.5.30)】



続きを書くね。






やたらと空しさに包まれて
私の結婚準備は進んでいった。

結婚準備と言えば聞こえは良いけれど

私の中ではどこか逃亡準備でもあった。



電化製品をいくつか父が揃えてくれた。
有難い事だけど複雑だった。


十代の頃から
小遣いにも学費にも生活費にも
頭抱えて自力で頑張ってきた。

50万程の家電を揃えてくれるよりも
あの頃に
ごく普通の援助をしてくれたら良かったのにね。

まぁ
それをして与えられなかったから
揃えて貰えた物だったのかもね。





ある日。
彼の実家から連絡が入った。

うちの父が家電を揃えた事を
彼から聞いたからでもあると思えた。



彼の母親はもう亡くなっている。

父親は健在だが

ゆくゆくは
彼の実家である家や土地は
彼が引き継ぐ事になる。
それは家族間で既に話がされているようだった。


姉は女だからいつか嫁に行くだろう。

姉には家も土地も与えられない代わりに

嫁ぐ時に困らないように
母親が生前
ある有名な家具会社に積み立てをして居た。
嫁入り道具をそこで揃えられるように。


彼の父は

母親が亡くなった後
保険金等の全てを
飲み屋やホステスに使い込んでしまった。

毎月の収入も
実家の管理費と姉の生活費を入れたら
後は全部使い切って貯金も無かった。


そこで
母親が生前積み立てた姉のお金に目を付けた。
それで家具を揃えたら良いと。

さすがに彼も私も断った。

それは

彼の母親が
姉の為に何年も積み立てて遺した物だ。



数日後姉からも連絡が入った。

母親が遺してくれた積み立ては
かなりの高額になるから
自分の嫁入り道具を揃えても余ると思われるので

必要な物があれば買いなさいと。



すごく悩んだんじゃないかと思う。

金は出さんという父親。

弟の嫁の親が揃えた家電。

結納もせず式もあげない結婚。

きっととても悩んで
姉としてそうする事を選んでくれたのだと思う。

いや…

姉と言うよりも
彼の立場を考えて

母親の役割を背負ってくれていたのかも知れない。




週末。

彼と姉と四国へ出掛けた。

とても大きな家具屋だった。

彼と相談して
ベッドとこたつと
食器棚とテレビ台を買って頂いた。

出来るだけ低価格で
ずっと長く使ってゆける物を選んだ。




お互いの家族が揃えてくれた家具と家電。

タンスも本棚も鏡台も無い。

後は全て
今在るカラーボックスで
代用するような状態だったけど

私たちにはものすごく贅沢だった。

新しい物を揃えた生活を
初めて迎える事になった。





婚姻届けを提出する日が近付いて来た。


私はとても不安定になった。


もう逃げられない。
いよいよ地獄に向かう。

そんな感情に襲われた。




日付が変わって間もない深夜

彼と市役所に出掛けた。

あたりは静まりかえり靴音が響いた。



「私はしあわせになれるん?」

彼に聞いた。


プロポーズの言葉は忘れたが
この時の言葉は覚えてる。

「しあわせになれるよ」って言ったんだ。




裏口には警備員が居て

婚姻届けを渡した。

「おめでとうございます。」って

言ってくれた。


とても静かに

人目を避けて

摂食障害も自傷癖も抱えたまま
私は人の妻となった。



間もなく大阪へ向かう。



続きはまた次回。











介護生活は1ヶ月と3日。

自分のケアに
どうしても注いで居られない。


体も心もガタガタでぐちゃぐちゃで。


何かされても
言われても

普段なら

分析して理解して
受け流 せるだろう出来事も

ひとつひとつ突き刺さり積もってゆく。

嫌になる。



たった一口食べてくれただけで
ほんの一瞬喜びを得ても

すぐに突き落とされる。

数分先が見えない中で今

今日は良かったなとか

今日はマシだったなとか

考えられる日は1日も無いから


傷付く場所を極力避けて

静けさをひとりで探してる。





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私はゴミ箱じゃない。(卒業後後半・48)


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5月もあと2日。

急変から1ヶ月。


体はもう限界を超え過ぎて

どんなに頑張ったって
心も折れてしまう。


些細な事が酷く刺さる。

孤独が増す。


医師の診療の順序に
納得がいかなかった週明け。

どんなに大切な家族であっても
注げるお金には限度がある。

出来る限りの事をしてやりたい。

無駄に感じてならなかった費用を払いながら

これでまたひとつ
してやれる事が減るようで

虚しさと苛立ちは

心の糸をぷつりと切った。


開けても開けても
次々とゴミになるフード。

捨てながら
今日はもう駄目だと思った昨日。


また声を上げて泣いた。



気持ちは
文字にして記事にもつぶやきにもなった。

そんな事したって
誰かが代わってくれる訳でもなければ

自分が背負うしかない事も
十分にわかっているのに。


文字にした自分を
自分の目で読み噛み砕く事でしか

私は越えられないから

そうして分析を続ける。




今日のぽんちゃんは
良い表情をしてる時間がある。

これだけで

締め付けられる痛みは少し楽になる。










2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7 月7日以来
記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つ の記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つ の記事があります。

【「3・ 自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」 (高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17 の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※ 61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半の私)】
   ※ 現在執筆中。




今月は
介護が必要になった飼い猫との暮らしや想いを
多く綴りながら。。

【もう壊れそうなのに。」 (2014.5.29)】


24日に開催した
ライブの事を書かせて頂いて。

【こぼれた想いに咲くイバラ。」 (2014.5.25)】

【不足の武器で殺せないもの。」 (2014.5.26)】



過程を綴る記事は
日々の想いと共に

20代後半頃の私を記している途中。

【「底冷えた部屋に閉じ込められて。」 (2014.5.27)】



続きを書いておくね。





私は静かに結婚の準備をしてた。


新居で使う物の買い物だとか
結婚式を前にエステに行くとか

そんな準備は全く無縁。


家具や家電は
現在の同棲生活で使っている物を
そのまま持って行こうと思ってたし

台所用品や食器も
店で使ってた物もまだあったし

それで良いと思った。


彼と私の
お互いの1人暮らしの生活で
使ってきた物の寄せ集めと

同棲生活で少しづつ増えた物と

それで十分だった。



今までも
先輩や友達が要らなくなった物を貰ったりして
生活してきたしね。



エアコンと冷蔵庫だけは
賃貸マンションに備え付けてある物だったから
買わなきゃいけないなって思ってた。



大阪へ持ってゆくものと
ここで捨ててゆくもの と。

物も
者も
振り分ける事が私の結婚準備だった。





ある日父から連絡があった。
新生活の事を気にしてるようだった。

電化製品位は揃えてやると言ってくれた。


私は断った。

そりゃうれしいけれど

親に買って貰う事自体がよくわからなかったし

まだ新居もやっと決めた所で

そこに置ける家電の大きさも
把握出来ていなかったし

とにかく
新しい物を揃えての生活なんて

した事なかったから
ピンとこなかった。



翌日

車で迎えに来た父は
私を家電量販店に連れて行った。

こうなると父に従うしかない。



私にしてあげたいと言う気持ちよりも

父の場合

自分がしてやった事への納得が
重要だから。



父が
私の為にと起こす行動には方式がある。

これは今の私にはよくわかる。


私が本当に欲しい物や
して欲しい事を

基本的に父は理解していない。


そりゃそうだね。
私たちはずっとバラバラだったんだから。

私の好きな食べ物や
好きな色ももちろん知らない。



バラバラで特別何もしてやってない分

時に父は焦る。

このままではいけないような感情になる。

自分がダメな親だと思えて苦しくなる。

何か与える事でそれを消化しようとする。


父は
娘の私を想ってしてあげている事だと

父親らしい事を出来ているじゃないかと

自分に言い聞かせられる出来事が必要なんだ。

それにより
自分は正しいと消化しているが

私に言わせれば

自分の自責感情を消化する為の
押し付けでもある。



だから

父がくれる物が
どんぴしゃで欲しかった物であった事は

基本的に無い。





店内を足早に歩く父。

ゆっくり見せても貰えない。

“これでいいんじゃないか“
みたいな感じ。


私は後ろを追いかけながら
出来るだけ値段の安い物に決めるだけ。


洗濯機・冷蔵庫・エアコン2つ・テレビ。

性能とか全く分からないまんま

あっちがいいなとか思いながら

テレビは展示品の物を選んで

50万程の買い物。



有難いけれど
とびきりうれしい訳でもなく

これが
私の嫁入り道具になるんかなぁーって
考えた。


結納も貰ってないし

彼の父には
一銭も出さんって言われてるのに

もったいないなとも思った。


冷蔵庫は
白じゃないのが良かったんだけどなぁとか

でも
自動で氷が作れるから良いかなとかね


考えながら

私なんてこんなもんだと
言い聞かすのが

当たり前だったように思う。



突然の事で
彼に連絡も出来ず
出掛けた買い物。


使うのは私たちなのに

彼の意見を聞く事もなく

父の感情だけで
忙しく過ぎた数時間だった。




この日
いちばん満足していたのは

私でも彼でもなく
父だったんだろうね。

あ・・。電気屋さんかな・・・(笑)



電化製品を買い与えるよりも

私は

片付いた部屋で
彼を迎えてくれた方が

ずっとうれしかったんだけどね。






そう言えば
うちは両親共にこういう所があっ た。


まだ父はこの程度だったけど

母親はもっと酷かった。



まだ連絡がとれていた頃

突然連絡が来たと思ったら
荷物が届いたりした。



ふと。

大きな罪悪感に襲われて
自分を責める感情に苦しんで

それを消化して自分を正当化する為に
物を送りつけてきたりする。


“私は悪い母親ではない“

という証明が

彼女の心に必要になると起こす行動。


届いた物はどれも
私にはゴミばっかりなんだけどね。

自分がもう着ない服や
使わないバッグなんかが

段ポールから出てくるんだ。


自分はもう要らないけど
高かったし
捨てるのは勿体ないなって思う物を

自分の痛みを慰める為に送りつけてくる。


私の為では全く無い。


母方のおばあちゃんもそうだったな。。


絶対に使わないだろう物を詰め込んで
送ってきた事があった。

明らかに
自分は要らない物をどっさりと。


銀行で貰ったタオルとか
干支の妙な暖簾とか

お前の為にってね。



腐った饅頭が出て来た時は
さすがに呆れて笑ってしまった。


うちはゴミ箱じゃねーぞって。








季節は春。

引っ越しまであと少し。

続きはまた。











24日のライブの後

苺を届けてくれたギタリストさん。


昨日は練習日だったが

もう限界だと
私はメールで告げた。

今日はもう笑えないから行かないと。


夕方彼は電話をくれた。

エビチリを買ったから半分こしようかって。
私がエビが好きだからね。


電話を切ってすぐに走ってきてくれた。

半分こにしたエビチリと

ポテトサラダと
フルーツが
保冷剤と共にポストに入ってた。


お礼を言いたくて
すぐに出て行ったけど
間に合わなかった。

きっと
自分の晩ごはんだったんだろうに。


夜再び電話をくれた。

今日は昼に
私の好きなビールを届ける為だけに
単車を走らせて来てくれた。



今日は顔を見てお礼が言えた。

また差し入れに来るからって
帰って行った。




私は
日頃彼の事を「先生」と呼んでいる。

彼が鍼灸師だから
呼んでるだけなんだけど。。


ステージの上では
「お父さん」と呼んでからかったりする。


一緒に居るとよく
親子に間違えられるから。



彼とは性格が似てる。

だからお互いに欠点もきっとよくわかる。

気まずい想いをした事もある。



だけど
私はいつも
親から知れなかった事を彼から学ぶ。

家族に貰えなかったものを

彼に頂く。



やっぱり親子っぽい。

本当の家族よりもね。





※ 申し訳ありませんが5月2日よりしばらくの間
  コメント欄の設置をお休みさせて頂きます。

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底冷えた部屋に閉じ込められて。(卒業後後半・47)




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今日。

ふと。


とても思った。


私は



本当はとても寂しいんだなと。

人が恋しいんだなと。

なんだかとても思った。



理由は分かっている。

それが
どうしようもない事も

叶わない事も

もうわかっている。



逃げ道が欲しい訳じゃない。

一瞬の逃げ場所位は
出来れば欲しいと思うけど

逃げる道を求めている訳では無い。



心の奥の一室。

いちばん奥の扉の向こう。

冷え切った部屋が在ってね。


そこには

私が
誰にも言わない
叶わぬ想いが隠れてる。



底冷えのする真っ暗な部屋で

そこに閉じ込められた私は

ただ
抱き締めてくれるのを

永遠に待ってるんだろう。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7 月7日以来
記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つ の記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つ の記事があります。

【「3・ 自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」 (高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17 の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※ 61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半の私)】
   ※ 現在執筆中。



合間には

介護が必要になった飼い猫との暮らしや
ライブのお知らせ
想いや現状を多く綴りながら。。

【今日も痛くてたまらないから。」 (2014.5.23)】


24日に開催した
ライブの事を書かせて頂いて。

【こぼれた想いに咲くイバラ。」 (2014.5.25)】

【不足の武器で殺せないもの。」 (2014.5.26)】





過程を綴る記事は
日々の想いと共に

20代後半頃の私を記している途中。

【「私なんか粗末だから。 」 (2014.5.20)】



続きを書くね。

ちょっと久しぶりだね。



私は結婚を決め
彼と二人
お互いの父親に挨拶に行ったが

それはとても空しく
疲れるものだった。


彼の父が
私の父に会いに来て

私を含め3人で食事をした時

娘をお願いしますと
泣いた私の父。


それを見た彼の父は
呆れたように笑って

「なんで泣いてんの?」って

私に言った。






その日のその言動について

私は彼には何も言わなかった。


言ってしまいたい
気持ちも在ったけれど

あの言動は
彼の父のものであって
彼自身が私に起こした訳では無い。


私が
自分の父親の言動について
誰かに何か言われたら
とても傷付くし
情けなく腹立だしく思うだろう。

だから言わない方が良いと思った。




その後
彼の姉にも会いに行った。

日曜日に彼の実家へ。
彼の父も帰って来ていた。


姉は

顔は笑ってるけど

これまた
私は歓迎はされてない事をとても感じた。


彼の姉はホステスが大嫌いだ。

しかも姉と私は歳が半年しか違わない。

幸い
姉の方が学年で言えばひとつ上だけど
同じ年生まれで
姉はまだ独身だった。

とても風当りがきつかった。

仕方ないね。


母親の看護をして看取った後
父親の面倒をひとりで見て来たのは姉。

娘であるのに
嫁の役割も母の役割も
背負う事しかできなかった彼女には

言いたい事が山程あった事だろう。


私には姉の気持ちがわかる気がした。

私も
父親の面倒を見る事に苦労してきたから。




彼の実家に行き
わかった事が在った。


うちの父に彼が挨拶に来た時

とんでもなく汚い父の家に居た時間も
その後も

彼は
一瞬も嫌な顔もしなければ
私の事も
父の事も軽蔑もしなかった。

その理由がわかったように感じた。



彼の実家は大きな立派な家だったけど
その中はとても荒れていた。

父の暮らす家ほどでは
もちろんなかったけれど

母親が亡くなり
もう随分と過ぎるのに

当時の介護ベッドや用品も
そのままで置かれており
キッチンもトイレも風呂も
決してきれいではなかった。


泊まっても
用意してくれる布団もバスタオルも
私にはとても苦痛な状態で
夜は一睡も出来なかった。



母親が健在の頃は
こうではなかったらしい。


母親が病気になり

女だから
長女だから
頑張っていた仕事も辞めて実家に帰り

家事も看護も
有無を言わさず任されてきた姉。


ずっと都会に出て行きたかったのに
母親を看取った後は就職も見付からず
地元でアルバイトをしながら
父親の面倒を
見続ける事しか選べなかった姉。


そしてその姉は
元々が片付ける事が上手く出来ない人であり

それでも
全部を任され続けてとても疲れて居た。



彼の実家は
私の父が暮らす家と同じ空気が流れてた。



私は

彼とは
どこかで結ばれるようになってたんだなと

その時とても思った。



彼は
いつも屈託のない顔で笑う
とても礼儀正しくて優しい人だ。

汚れてもいない。歪んでもいない。

私はずっと

彼は
私とは違う世界の人だと思って居たけれど

背負うものの種類が
どこか少し重なって居たのかも知れない。




まだ
彼の親族とは
これから会わないといけないのだろうけ ど

とても
空しく疲れる3つの挨拶は
とりあえずは終わった。




結納も結婚式も何もしない。

ただ籍を入れるだけの私たちの結婚。

祝いも親友に頂いただけ。


長年暮らした土地から消える事は

この先も
叶うならば繋がって居て欲しいと願う

僅かな人達と
バンドメンバーにだけ告げた。


何百と居た客にももちろん伝えない。

客以上の信頼できる仲となった
数人にだけ伝えた。


私はここから逃げるのだから
誰に聞かれても
口を割らないで居てくれるだろう
信用できる大切な数人にだけ

これからの事を告げた。



堂々と祝福される事もなく

特別に何かを揃える訳でもなく

日常以上に地味に

婚姻届けを出すと決めた日を待ちながら

新居を探したり
引っ越しの準備をしたり

大阪へ向かう準備を始めた。



続きはまた書くね。











やっと立てた
今年初めてのステージが終わり

たくさんの方に
いろんな言葉を掛けて頂いた。

いろんなご意見を頂いた。


もう一度ステージに立ちたいと
思わせて頂ける事の葉を
たくさん頂いた。



CDの感想を寄せて下さる方々もおられた。

お買い求め頂き
そばに置いて頂けるだけで
とても有難い事なのに

聴いた気持ちや
感想を聞かせて頂けて

うれしく思う。




まささんに頂いたライブ写真の
今日アップした中で

いちばん最後に掲載した
私の顔なんだけどね。


これは
最後の曲「キズグチイバラ」を
歌い終えた時の顔だと思う。


私が
月下陽香としてステージに立ち
歌う時には

絶対にしない顔だ。


全く構えて無い顔。

この一瞬の私は

「月下陽香」じゃなくて

「陽」だったんだ なと

この写真を見て思った。








さあ。

今夜はどうなるのだろう…。


私の選択はどこへ向かうのだろう。


また
眠れない夜を過ごしながら
私は何を知れるのだろう。




今日
悩みに悩んで決めた事は

決して
答えの見えるものではないだろうと思えるが

いつ何が起こるかわからない恐怖が
心の真ん中に在る。


ただ。

今日
違うもう一つの選択をしたとしても

この恐怖が消える事は無い。



この恐怖が消える時は

この世から命が消えて
深い悲しみに
締め付けられる日を迎 える時でしかない。



どちらを選んでも


恐怖が消える事はないのだから

ならば
昨日覚えた不信を取り除く為にも
自分の感覚を確かめる為にも

選んだ事は間違いではないと

何度も自分に言い聞かす。


だけど不安は消えなくて
怖くてたまらない。







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私なんか粗末だから。(卒業後後半・46)


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夕方から雨が降り出した。

風も強い。

まるで嵐。



24時間心が痛い。


今日も出来る限りの事をしてる。



ステージは迫っているのに。

心も
体も

命も


私に必要な
どれもこれもが
危う過ぎて

辛くてたまらない。



激しく痛む時間はとても孤独だ。


この痛みの深さが伝わらないのは
当たり前なのだろうけれど


それがとてもとても大きな孤独だ。




どうすれば良いのだろうか。



捨て続けるフード。

それに釣られるように増し行く

悲しみと
不安と恐怖。




猫のうつわを洗いながら

キッチンで声を上げて泣いた。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7 月7日以来
記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つ の記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つ の記事があります。

【「3・ 自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」 (高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17 の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※ 61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半の私)】
   ※ 現在執筆中。





合間には
介護が必要になった飼い猫との暮らしや

間もなくとなった
半年振りになるライブのお知らせ

想いや現状を綴りながら。。。

【悲しみに痛む回路。」 (2014.5.19)】



過程を綴る記事は

日々の想いと共に
20代後半頃の私を記している途中。

【「望まれぬ者。」 (20 14.5.18)】





続きを書くね。




私は結婚を決めた。

ふたりで
お互いの父親に挨拶に出掛けた。




あんなに頼んだのに・・

相変わらずのゴミ屋敷に
私たちを呼びつけた私の父。


「口は出さんが金も出さん。」

反対こそ無くとも
決して歓迎もしなかった彼の父。




親が気を利かせ
先読みし

言わなくても何かをしてくれる

そんな環境に暮らした事がないから

アテにはしてなかったし

私は水商売上がりだし

予想は出来たけど。


どちらの挨拶もただ空しかった。




結婚って言えば
人生の
そこそこ重要なイベントでもあるんじゃないかなとも
思ったりしてたけど

私の人生では
結婚もこんなもんなんだなって
空しかったなぁ…


まぁ。

それはすんなり諦めがつき。




それよりも困ったのは

彼の父が
うちの父に会いに来ると言い出した事だった。



父の暮らす家。


もうずっと前

母親と妹が出て行ったまま


ふたりが
要らないから置いて行ったゴミが
そのまま時間を止めて放置され

開かずの間となった2階と

足の踏み場もなく散らかった
父の生活の場である1階。


閉めたままの雨戸。
湿った空気。
べたつく床。


十代の後半
私が完全に家を出てから
片付いた状態を見た事が無い。



彼と結婚の挨拶に行った時も
何度も頼んだのに片付いてなかった家。


そこに彼の父親が来る。


これは大事件だった。




すぐ父に電話をした。

頼むから掃除をして
まともに迎えてくれと。



彼の父が来たからと言って
見られるのは
せいぜい玄関とリビングとトイレ位だろう。


父に
雨戸を開けて
リビングに山積みにされた衣服を
見えない所に移してくれと伝えた。

掃除機位はかけてくれと言った。


当日は
早くから父宅に向かい
掃除をする事にした。



「わかってる」

とは言うけれど


父のその言葉は
とことん信用が出来ない。



彼の父が
わざわざこっちまで来てくれるのだから

食事位はした方が良いだろう。




そこで。

出た…。


父の

毎度の

「たのんどくわ」‥‥



自分がやりたくない事
面倒くさい事は

全て

「まかせとく わ」の一言で私に丸投げ。



「個室で静かに話せる
 そこそこの店を段取りしといてよ。 」

なんて
注文だけはしっかりつける。




そうかぁ…

こんな事まで
自分でしなきゃいけないんだね…。




仕事柄
店はたくさん知って居たけど

客に会わない場所を探 さなきゃいけない。

苦労して
やっとある料理屋を選んだ。



当日は
早くから出掛け掃除をしたが

そんなもんで追いつく訳がない。


雨戸を開ければ
積もったほこりが目立つし

全部を掃除してる余裕も無い。

なんせ
出すお茶すら置いてないんだから。



あっと言う間に時間は過ぎて

彼の父が来た。


ふたりは
しばらくリビングで話して居たが

もう

ぎこちないったらありゃしない。


母親が居ないって

こういう事ねって

とても思った。




その後

タクシーを呼んで料理屋へ。


父が
訪問を喜んで
準備したように見えた方が良いから

前もって
どこの
何と言う店か
父に伝えていたにも関わらず


「どうしたらいいの?」って

ついて来るだけ。

お金払ってくれるだけね。


どれも仕切るのは私。



店に着き
案内された部屋では

また父はメニューすら決めない。


それじゃ
彼の父だって何も頼めませんわ。。

私が
造りやら寿司やらの付いた
無難な禅と酒を頼んだ。

一生懸命ニコニコしながら

腹の中では
やってられない想いが
ふつふつと吹きこぼれて居り

自分もしっかり飲みながら

ふたりを見てたけど。




父が

父なりに
一生懸命
ちゃんと挨拶しなきゃと思ったんだろうね。


突然
彼の父に

”何の教育もしてない娘ですがお願いします“

みたいな事を言って

言いながら言葉を詰まらせてね。

泣いたんだ。



そしたら。

それを見た彼の父は

呆れるように笑って私に言った。

「なんで泣いてんの?」って。





こりゃ

これからの私の人生も

また前途多難なんだろうなって

思った。



まだ籍も入れてない内から

私の
結婚生活に感じる想いは

ひとつもぱっとしない感じでね。


やっぱり
結婚は地獄なんやなぁと

つくづく思ってた。



続きはまたね。












頑張って居る。

とても。

とても頑張って居る。

一生懸命で居る。



だけど。


何も好転しない。




ステージは土曜日。


焦りが
更に不安を呼び寄せて

胃が痛い。

ドキドキして呼吸が辛い。


今夜の私に何が出来るだろう。

明日の私に何が出来るだろう。




仕事をしながら
猫の世話をして

ライブの準備もまだまだ途中。



心がバラバラになっていて


集中力も落ちれば
次の動作に進めない。






助けて下さい。

心が叫んでる。



4日後の自分がまだ全く見えない。

わかるのは
すぐにでも涙が出るという事。





そろそろ
コメント欄を設置しなければと思っては居るが

余裕が無い。

コメントを頂いても
返事が出来る
体でも心でもない。


申し訳ありませんが

まだしばらく
コメントは設置せずに居ます。




ライブのご予約等は

メールか

このぶろぐ

もしくは「陽おふぃしゃるさいと。」まで


メッセージを下さいますよう
お願い申し上げます。




5月24日は半年ぶりのステージです。

詳細はこちらへ掲載しています。


【「5月24日のライブの ご案内。」 (2014.5.24)】






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望まれぬ者。(卒業後後半・45)



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良い天気だ。

介護生活は19日目。


とてもとても
気を付けては居たつもりだが

体調を大きく崩してしまった。



しばらく通院も出来ずに
眠らずに過ごしてしまったダメージが

一気に押し寄せてきた。



ライブまでは
今日を入れて6日しかない。

動ける体に絶対に戻したい。



半年振り。

今年初めてのステージ。



ずっと。

我慢して

我慢して

苦しんで。



やっと立てる

たったひとつのステージ。



良い状態で立てるように

どんな事をしても何とかしたい。




猫は
少しづつ自分から食べる量が増えて居る。

表情も豊かになってきた。


流動食の量を減らして対応してる。

少し食べれるようになって
排便にとても苦労して居る。


いろいろと
小さな出来事に胃が痛む想いをしながら

ビクビクして
ヒヤヒヤして
一喜一憂激しく揺らぎながら

神経を磨り減らす連日は堪える。



それでも

生きる事を選んでくれたこの子を見ていると

うれしくて有難い。






どんどん枯れていっていた

バラが
蕾を付けた。

きっと

もうすぐ咲いてくれるだろう。












2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7 月7日以来
記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つ の記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つ の記事があります。

【「3・ 自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」 (高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17 の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※ 61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半の私)】
   ※ 現在執筆中。





前回は
過程の続きでなく想いや現状を綴った。

【消せはしない汚れ。」 (2014.5.17)】



過程を綴る記事は
日々の想いと共に

20代後半頃の私を記している途中。

【「ゴミに埋もれ留まる悲哀。」 (2014.5.15)】


この続きだね。






彼との結婚を決めて
まずは私の父に挨拶に行った。


空しい時間だった。

神経磨り減らして
疲れた時間だった。



次は
彼の家族に挨拶に行かなくてはいけない。


ちょうどその頃は
彼の父親が単身赴任で神戸に居た。


実家には姉が居たが
まず父親に会いに出掛けた。



一度だけ会った事がある。

彼が
母親の命日に墓参りをする際に
一緒に行った事がある。


そこでばったり会って
挨拶だけした事が在った。





何を着て行こうかとても悩んだ。


ずっと夜の仕事をしてきた中で
私は
必死でホステスで在ろうとしてきた。

そうしたら

一般的な普段着が
どんな格好なのかも
わからなくなっていた。


何を着ても
どうしても水商売女の匂いは消えない。

きちんとした格好をしようと思っても

鏡に映るのは
地味なホステスと言ったところ。



とても悩んで
出来るだけ無難だと思える物を選んで着てみた。

何だかしっくりこぬまま
神戸に向かった。




駅前で待ち合わせた。

簡単な挨拶の後

彼の父親の後ろを
少し離れて彼と歩いた。


後姿を見ながら

彼は父親が痩せた事に驚いて居 た。

私は
父親の着ていたセーターの袖の毛玉を見て
独り暮らしの男性の匂いを感じてた。



少し歩いて喫茶店に入った。

2階の窓際の席。



1年後
再び
同じ店の同じ席に座る事になるとは

当時は全く想像して居なかった。



大きなマグカップに入った
たっぷりのカフェオレの色を今も覚えてる。




彼の父も反対はしなかった。

そこで
婚姻届けの証人に名前を書いて貰った。


その後食事に行った。
彼の父の行き付けの料理屋だった。



彼の父は
ひとりでも外食を楽しめる人。

うちの父とは違う。

うちの父はひとりで食事に行けない人。



自分が食べる物を
注文する事も出来ない人。

恥ずかしい。
カッコ悪い。

そう思って出来ない人。



だから
人と食事に行く機会があっても
自分では何も頼めない。

気を遣って
誰かが頼んでくれるのを
ただ待ってる面倒くさい人。

ほか弁すら自分で買えない。


いつも
スーパーで惣菜を買ってきて
家で食べてる人。


彼の父の社交的な性格が羨ましかった。




3人で食事をしながらふと思う。

彼と彼の父親は
決して険悪な感じはしない。

でも
ふたりは
あまり深くは関わって居ない気がした。




彼の父は言った。

「口は出さん」



「口は出さんが金も出さん。」



式をしないと言っても

そりゃ金がかからなくて良いと言った感じ。


もちろん結納なんてもんも頭には無い。



結納やら式やら

親も助けてくれた
なんて話は

良く聞いたけれど

私たちには別世界の話だった。


反対こそされていないが


歓迎もされてないんだなと

とても感じた。



お互いに親とは縁が薄かったのかな・・。

なんだか空しいけど・・


私たちは自由だと思った。

好きにしても良いんだなって思った。


いろいろして貰って
気を遣うのも疲れるだろうしね。



言わなくても
親がしてくれる事なんて

経験した事も無かったから

よくわからなくて

辛いとも思わなかった。


ただとても空しかった。




帰り道。

彼とプリクラを撮った。

私たちはいつも写真を撮らなかった。

だからふたりで写った物も無かった。

その日は写して帰った。





しばらくして

彼の父が
私の父に会いに来ると言い出した。



大変だ・・

あの家に彼の父親が来る。



ゴミ屋敷に来る。



こんな最悪な事はなかった。



続きはまた書くね。












猫のお世話と自分のケア。

こつこつ仕事しながらライブの準備。


どうか無事迎えられるように

どうか
自分が納得できるステージに出来るよう に


酷くナーバスに
ただ願い向かって居る。



5月24日(土)

ご来店をお考え下さっている方は

お席のご用意を致しますので

どうか
前日23日の正午までに
ご連絡をお願い 申し上げます。




そろそろ
コメント欄の設置をまた始めないとと考えながら

まだ心身ともに余裕が全くない状態です。


ご予約・お問い合わせは

このぶろぐ

もしくは「おふぃしゃるさいと。」 から

メッセージでお願いを致します。


ライブ詳細はこちらをご覧ください。

【「5月24日 (土)の ライブのご案内。」 (2014.5.24)】








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ゴミに埋もれ留まる悲哀。(卒業後後半・44)


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あと10日になった。


やっと。

やっと立てる

今年初めてのステージ。


24日まで

記事のトップに

ライブのお知らせが掲載されるようにした。

最新記事を読みたい方には
ちょっと邪魔かもしれないんだけど・・。
ごめんね。



あと10日だというのに
セットリストをまだ決められないで居る。


この2週間程は
本当にハードだったから
集中してイメージする事が出来なくて

迷ってるまんま。


そろそろ決めなきゃね。


想いは

真ん中に

とてもとても強く在る。


昨年の11月以来のライブ。


立ちたくても
歌いたくても

どうしても出来なくて

辛くて
悔しくて
悲しくて

羨ましくて

情けなくて

苦しかった半年間。



いつだって心には
置いてきぼりの寂しさが溢れて

痛くてたまらなかった半年間。


それでも

頑張って
頑張って
形にしたレコーディング。




まだ次のステージも決めれて居ない。

現時点で

私にはこれしか無い。

他も次も無い。



たったひとつに

全て詰め込んで向かう。












2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7 月7日以来
記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つ の記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つ の記事があります。

【「3・ 自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」 (高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17 の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※ 61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半の私)】
   ※ 現在執筆中。



今月は

過程の続きはゆっくり更新しながら

急変した猫との暮らしや

先に伝えたい想いや
現状を多く綴っている。

【音を失くしても。」(2 014.5.13)】



過程を綴る記事は
日々の想いと共に

20代後半頃の私を記している途中。

【「人並みでは無くとも。 」 (2014.5.14)】







私は結婚を決めた。

しあわせいっぱいに
満ちた感覚は無かった。


彼との結婚が嫌な訳では無い。

うれしい。

何よりも
こんな人間を
嫁にしようと考えてくれる事には
とても感謝した。


でも。

しあわせよりも

不安や虚しさが心には大きく在っ た。


ずっと在り続ける不足。

結婚が決まったからって
なくなりはしない。


店を持った時もそうだった。


必死になって
頑張って頑張っ て

やっと夢を叶えたのに

心は満ちなかった。


同じだ。


やはり心は満ちないんだ。



それでも結婚はしたいと思えた。


苦しい思い出が
山程詰まったこの土地から離れられる。

私の過去を
何も知らない人たちしか居ない世界なら

もう一度
人生をやり直せるかも知れない。


結婚生活への憧れなどでは無くて

嫌で嫌でたまらなかった此処を
捨てられる喜びが大きかった。





これから
お互いの家族に報告をしなければいけない。


その前にまず彼に言った。

結婚式はしたくないと。



綺麗なドレス着て
親族や友人に祝福されて・・

確かに少し位の憧れは在った。


でも
うちは父親しか居ないし

その父親も
何かにつけて私任せの
アテにならない人。

神経すり減らして

くたくたに疲れて
ボロボロになる事は目に見えている。


彼の親族にも恥ずかしい。


それに

大阪へ越す事も
限られた僅かな人にしか
言わないつもり だった。

もちろん結婚する事も。


この土地を離れるにあたり
本当に必要だと思う人以外の
繋 がりも絶ってしまうつもりでもあった。






父に連絡をした。

彼が
どこかで食事でもしようと言った。

でも父は断った。

めんどくさいようだった。

父の家に行く事になった。



父の暮らす家。

母親と妹が出て行ったまんま
放置された荷物。

ふたりが置いて行った

家具も服も雑貨も

全てはあの日のままだった。


私がまだ学生だった頃のまま。

置いて行ったというよりも
要らないから捨てて行った

全てがゴミ。


父はそれらをかたずけようとしなかった。


2階建ての一戸建て。

その2階は開かずの間。


父は1階だけで生活をしており

その1階も
雨戸はずっと閉めたまま

掃除もまともにしておらず

用事で立ち寄っても座る場所すら無い。


そこに
彼を連れて行かなければいけない。


大きな苦痛だった。


父に電話で頼んだ。

どうか
玄関とリビングとトイレだけは
綺麗にして迎えて欲しいと。





約束の日。

時刻は夕食時。

父と食事が出来るようにと
彼は寿司屋によって
桶にいろいろと詰めてくれて

それを持って出掛けた。

鍵は持っているから
自分で開けて入った。


あれだけ頼んだのに。

汚い玄関。
カビ臭い空気。
湿気を含んだスリッパ。


ぞっとした。


リビングに入れば
かろうじて座るスペースだけは在った。



彼が挨拶をして 寿司を囲んだ。


せっかく
気を遣って買ってきてくれたのに

父はまともに手を付けない。

いつもそうだ。

こういう時は
私が皿にとってやらなけりゃ
食べようともしない。


私は
必死で話しかけながら
父の皿に寿司を運んだ。



こういう時。

母親が居れば
お茶くらいは入れてくれるんだろうか。

彼に
明るい会話のひとつ位
してくれるんだろうか。


トイレ 掃除も
ちゃんとして迎えてくれたんだろうか。


とても空しかった。




父は反対はしなかった。

する資格も無いと思うけどね。


父は彼に言った。

「娘には何も教育をしていない」と。


そうやねって
思いながら聞いて居た。


「何も教えてやっていないから
 知らない事も多いと思うがよろしく」

と…言っていた。


「父さんよりも知ってるよ。いろいろとね。」
私は思ってた。


婚姻届けの証人に
名前を書いて貰い

しばらくして私たちは帰った。


その間
彼は一瞬も嫌な顔をしなかった。



その理由がわかったのは
この少し後だった。



続きはまたね。











急変から16日。

ぽんちゃんは昨夜は何も食べず。

朝まで
何度も水とトイレに行き
私の腕枕に戻ってきた。

一度吐いた。


少し食べたかと思えば
全く食べなかったり

楽そうにしてると思ったら
辛そうに固まってたり


1日の中でも
ころころと変化する状態に
その都度ハラハラして胃が痛む。



流動食は昨日から2回に減らした。

運動量は極端に減って居る。

最低限の栄養は必要。

自分で食べれない分は
補助してやらなければいけない。


でも
この子は糖尿病。


与える事で
血糖値が高い状態が長く続くと

ケトアシドーシスを引き起こす。


そうなればもう無理だろう。

臓器不全に陥って死を迎える事が

今までも看てきたから
想像できる。


高血糖が続くと
多飲多尿が見られるようになる。


昨日はそれがとても気になった。


だから
昨日から2回に減らして様子を見ている。



楽そうな時は可愛い表情をしてる。

寝顔も穏やかだ。



少しでも長く
この子が楽な時間が在って欲しい。






※ 申し訳ありませんが5月2日よりしばらくの間
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人並みでは無くとも。(卒業後後半・43)


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今日は

昨日に引き続き
体調はかなり悪い。


猫のお世話でばてちゃったね。


昨日からまた通院も始められたし

ライブまでにケアしてかなきゃね。


体はばてちゃったけど

うつわを通して

大好きな人たちに
あったかい元気を頂いた。

応援へのありがとうを伝えたかったり

応援を伝えたかったりしてたのに

また
私が頂いて居る。





猫は
今日もこっそりとササミを食べてた。

少しづつ元気を取り戻している。


もう
急変する前のようには戻れないだろう。

流動食も
このままずっと続くような気がする。


排便も大変。

乳酸菌を乳鉢で磨り潰して飲ませて

お腹をマッサージしながら
便の場所を把握して小さく砕いてやって

やっと自分で出来るようになる。


これからもっと手が掛かるだろう。


それでも私は生きて居て欲しい。

この子が嫌でなければ
まだ一緒に生きて居て欲しい。


管に繋がれなければ
生きられないような状態になるならば

その時は諦めるけれど


この2週間で

何も食べなかったこの子は

少しづつ
自分の口から食べる事を選んでしている。

命はまだ続くはずだ。



この子が
生きる事を選びたくなるように

私は
出来る限りの愛情をあげて居たい。












2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7 月7日以来
記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つ の記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つ の記事があります。

【「3・ 自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」 (高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17 の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※ 61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半の私)】
   ※ 現在執筆中。



今月は

過程の続きはゆっくり更新しながら

急変した猫との暮らしや

先に伝えたい
想いや現状を多く綴っており。


前回も現状を主に記事を書いている。

【音を失くしても。」 (2014.5.13)】



今日は
過程を綴る記事の続きに戻ろうと思う。


ずっと読んで下さっている方々は
思い出して下さいね。



過程を綴る記事は
日々の想いと共に
20代後半頃の私を記している途中。

【「満ちる時を知らずして。」 (2014.5.7)】



私は経営していた店を閉めて
彼のマンションで暮らして居た。


幼い頃から両親に叩き込まれた事。

『働かざる者食うべからず』

「自分で稼げないなら意見を述べてはいけな い」


中学の頃から何かしら働いて来た。

小遣いも貰えなかったから働くしかなかった。

働かないと言う事に
大きな罪悪感が在った。


だけど私は無職になった。

体も心も
もう限界を超え過ぎていたんだ。


彼の働いたお金で
私は生活をさせて貰って居た。

なのに
彼は一度も「働け」とは言わなかった。



彼が稼いだお金を貰って作る食事に

「ありがとう」
「いただきます」
「ごちそうさ ま」と

必ず手を合わせ私に言ってくれる人だった。


そんな彼との生活。

それでも

いつも不安で満たされない私は
ゆらゆらと揺れた。


だけど彼と離れたくはなかった。


季節は春が近付き

ある夜彼が言った。

「転勤するかも知れない。 」

・・・・・・・・・・・・・・・





彼が転勤。


私たちはこれからどうなるんだろう。

私はどうすれば良いんだろう。



結婚は地獄だと
ずっと考えて居た私。



でも
彼と暮らして仕事も辞めて

歳も30近く。


周りの同級生たちは
妻となり
また母になって居た。



結婚をしたいと思う気持ちが生まれた。



だけど。

母親にはなりたくない。

子を産むなんてゴメンだ。



しかも

うちは片親で

父親はあんなふうだし

私は水商売上がり。



何よりも。

私は摂食障害で自傷癖も在る。



まともな結婚なんて出来る訳がないのに。







間もなく彼の転勤が決まった。


でも。

これからの私たちについては
何も言わなかった。



転勤先は大阪。


ついて行きたかった。

ここを出たかった。


知り合いだらけの田舎から

逃げたかった。


だけど言えなかった。



少し先に
どこに居れば良いのかわからない毎日は
怖かった。






ある夜。

帰宅後の彼が言った。
話があると。


別れか結婚か
どちらかを告げられるんだと思った。





何て言われたんだろう・・。


カッコ良い言葉も
インパクトのある表現も

全く無かった。


特別な感じが無さ過ぎて
全て忘れてしまった。





指輪を渡されたんだ。

婚約指輪。

まだローンを払ってる途中らしい指輪。


決して高給ではないサラリーマンなんだから

そんな高い物じゃなくて良いのにね。


しかもサイズが大きくて
どの指にも合わない。

9号の私に
彼が送った指輪は12号。




彼はよく言っていた。

私に何をあげたら良いのか
わからないって。


長い年月ホステスをしてた私は

花は当たり前のように頂いてきたし

ネックレスやピアス
時計やバッグや着物

たくさんの贈り物を頂いて来た。


それを見て来た彼は
私の誕生日にはいつも頭を抱えてた。


考えに考えた挙句

眠れない私に
枕を買ってきてくれたり

寒がりの私に
毛布を買ってくれたりしてた。



その人が
頑張って贈ってくれた指輪だった。



ドラマで観るようなオシャレな感じも

芸能人が話すような
ドラマチックな感じも全くナシ。

でもとても有難かった。



それが私が彼に頂いたプロポーズだった。



彼が
結婚を考えてくれていた事はうれしかった。

結婚への不安は変わらず在ったけど

何よりうれしかったのは

この土地をもうすぐ出られる事。


知らない人たちの中で生きてゆける事。


そして。姓が変わる事。


嫌で嫌で仕方なかった自分の名前。

自分が嫌でたまらなくて

親が嫌でたまらなくて

生まれ持った姓が大嫌いだった。


自分を嫌うように
自分の姓名を嫌って居た。



苗字が変わる。

高い婚約指輪よりも

それが
いちばんうれしい贈り物のようだった。


苗字が変わったら
次は名前を変えてやる。

私は
私をこの世から消してやる。

すごく思って居た。




大阪へ行けるんだ。

もうすぐ。

私はこの土地から逃げる事が出来 る。

私を消せるんだ。



まずは

あの父親に報告しなければいけない。




続きはまた。











5月24日まで

ぶろぐの記事のトップに
ライブのご案内が掲載されるようにした。

いろいろと
準備する事に追われ始めてる。



やっと。

私はステージに立てる。



半年間。

我慢して我慢して。

やっと

もうすぐその日を迎える。





※ 申し訳ありませんが5月2日よりしばらくの間
  コメント欄の設置をお休みさせて頂きます。

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満ちる事を知らずして。(卒業後後半・42)




小さな花も
集まると力強いね。



今日は
記事をふたつ更新しておくね。



この連休中

昨年7月より書き続けてる過程を
お休みしているから


まずはこの記事に
その続きを少し書いておこうと思う。



そしてもうひとつの記事に

食べなくなってしまった猫との
状況や想いを書いておく。

【「今日命尽きてしまわぬように。」(2014.5.7)












2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7 月7日以来
記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つ の記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つ の記事があります。

【「3・ 自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」 (高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17 の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※ 61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半の私)】
   ※ 現在執筆中。






5月3日からこの連休中

過程の続きからは離れて

急変した飼い猫との現状や
想いを書いて居る。

【「消えないで。」 (2014.5.3)】

【「逝かれたくない命に。」 (2014.5.4)】

【「死を待たぬように。」(2014.5.5)】

【「まだ死なせたくないよ。」 (2014.5.6)】

【「今日命尽きてしまわぬように。」(2014.5.7)】




過程を綴る記事は
日々の想いと共に

20代後半頃の私を
記している途中だったよね。

【「生きる炎が消えないで欲しくて。」(2014.5.2)】





私は

経営していたスナックを閉店して
彼と暮らして居た。






今の彼はとても好きだ。

尊敬もしてる。
私を守ってくれている。

だけど揺れた。

元カレと会ったりしてみた。


これで良いのか

このままで良いのか

いつもわからなかった。




私は
いつも
答えを見付けられなかったように思う。


心の真ん中に空いたまんまの穴は

覗くと
真っ暗で

とても深くて

そこが空っぽなのか

何かが転がっているのか

犇めいているのか

さっぱりわからない。




ただ。いつも満ちない。


誰と居ても
何をしても

満たされない。

いつも不安で仕方がない。





結婚するのかな・・

そんな事を考えるようになった。

それまでに私は
結婚をしたいと思った事がなかった。


好きな男が出来れば
そりゃ離れたくないと思う。

でも
それが
イコール結婚かと問われると

わからなかった。



「結婚」イコール「地獄」

だと考えて居たから。





両親を見て来た。

金にも男にもルーズで

大きな抑圧と束縛を私に与え続けた母。

自分を変える努力が出来ず

すぐに人のせいにして

私に依存する情けない父。



離婚してバラバラになって

壊れた家庭。




人の妻になる事も

子を産み母となる事も

私はしたいと思わなかった。




母と同じ道を歩むのが
目に見えるようで

絶対に嫌だった。





でも。

彼と暮らし始めて

自分が無職となり

毎日彼の帰りを待つ生活の中で


自分は
ひとりでは生活出来ないんだと思い知った。


自力で稼げない女は
私が最もなりたくない者だったのに

なってしまった。




仕事を探せば良いのだけれど

働ける体でも
心でもない現状も自覚出来た。



それでも求人を見てみる。

何も無い。

田舎で30前の独身女が
何の資格も無く
生計を立てられる程の収入を得られる職が無い。


つい最近
スナックを閉店して
ホステスを辞めたばかり。


スーパーに行くのも
深く帽子をかぶり俯いて向かってた。

あちこちで客と遭遇してしまう。

見付からないように必死で隠れた。



そんな私がどこへ行ける?






ある夜。
夕食時。

彼が言った。

「転勤になるかも知れない。」



私は連れてって貰えるんだろうか。

ひとり残されるんだろうか。


父の居る家だけは帰りたくない。




彼に聞けなかった。

私はどうなるのか聞けなかった。





過程の続きは
しばらくは
少し飛び飛びになるかもしれないけど・・

必ず書いてゆくね。














4月30日。

去年も今年も同じ日に
飼い猫が急変した。


状況は去年よりも悪くて

この1週間

毎日毎日
まともに眠る事も無く
私は猫と向き合っている。



向き合っているのは
病気の猫だけではなく


それに対して

痛んだり嘆いたりして

苦しんで居る

私自身でもある。



どうしたって
吹き出してしまう痛みは

書き出されながら


自分で
自分を受け止めたり
諭したり導いたり

自分という人間が
感情をどう消化してゆけるのか

向き合う訓練でもあるように感じてる。





パソコンではたくさんの検索をした。

少しでも
糖尿と乳がんを抱えた高齢猫が
食べな くなってしまった時の

対処法やアイデアが知りたくて。

必死になって情報を集めた。


似た環境に
立たされた事のある人たちの
ブログもたくさん読ませて頂いた。


飼い猫はもう亡くなってしまったが

その看護・介護を綴ったブログを

改めてわかりやすく整理し
残して下さっている方もおられた。



その方がお世話した猫は何を食べたとか

流動食を与える時はどうしたかとか


その方が経験してこられた事を
とても細かく
わかりやすく書いておられて


気付かされたり
初めて知ったり

なるほどって思ったりしながら

たくさんの参考にさせて頂いている。




その方のお顔も名前も知らない。

どこに住んでいて
おいくつなのかもわからな い。



なのに。

同じような想いをされた方の言葉は

とてもやさしくて
読んでいると涙が出そうになる。


直接話してる訳ではないのに

わかって貰えてるような気がして
たまらなくなった。






世の中は情報に溢れてる。

ネットで何でも検索出来る。


私が学生の頃は
世の中はまだ
そんなに便利ではなくて


例えば・・
結婚のお祝いはいくらにしようと悩んでも

頼りない父親しか居なかった私は

親友のお母さんに相談して
教えて貰ったりしていた。

今はそんなのも検索すれば

とっても丁寧に教えてくれるサイトや
記事が溢れてる。




良い事ばかりではないけれど

そのおかげで

私は今日も
猫の看護や介護の情報を頂いていて

痛みを少し救われて居る。




私が
日々こうして綴るこのぶろぐも

どこかの誰かの心を

ある日の
ほんの少し

救えるものに

いつかはなれたらと思う。








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生きる炎が消えないで欲しくて。(卒業後後半・41)




良い天気だ。

昨日今日と大阪は晴れていて

今日が雨でない事に
とても感謝してる。


雨だと
それだけで落っこちて
引っ張られてしまいそうな心情だから。



ドキドキと痛みながら怯えてる。

どうなるかはわからないけれど
確率でいうならば明らかに不利だ。


悲しい結果と向き合わなければいけなくなった時に

それはとても辛くて苦しくて

いろいろと理解はして居ても

私の心は辛過ぎて


しばらくの間
余りにも深い寂しさに包まれて

消化してゆく為に
たくさん泣いて

たくさん飲み込んでゆかなくてはいけない。



今から落っこちないように

必死で気を張って居たり
反らして居たり。




いろいろと試してみても
状況は改善しない中。

以前も同じ状況になった時に
調べた情報をいくつか残していたから

読み返す為にパソコンの前に座った。



まだ結果はわからないよ。

がんばろう。がんばろう。




朝から踏ん張って居た気持ちは

ふと。

ぐしゃっと潰れて

たくさんのツイートを続けた。




自分への説得なのか
誰かへの訴えなのかも

よくわからない悲しみに

文字を打った。




今日は昨日程乱れずに

心に閉じ込めて

現状に向かえる自分を

ちゃんと目指したい。













2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7 月7日以来
記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分 けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つ の記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つ の記事があります。

【「3・ 自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」 (高校生の私)】
   ※12の 記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
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【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
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【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半の私)】
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過程を綴る記事は
日々の想いと共に
20代後半頃の私を記している途中。

【「汚れた部屋で。」 (2014.5.1)】






元カレと会った。

懐かしかった。
うれしかった。
トキメキとは違うけど安定感が在った。


ふたりが好きだった線香花火買って
ドライブして。

砂浜で火を灯した。



店を閉めた事ホステスを辞めた事
今の彼と同棲してる事

正直に話した。


元カレが言った。
「結婚しないか?」


私は
断る事も受け取る事も出来なかった。

この元カレは特別な存在だったから。

正直揺らいだ。


でも。
今同棲してる彼を捨てる勇気も無かった。

何も言えなかった。




どっちを選ぶ?

自分に問うて居た。

せこいよね。
ずるいよね。

汚いね。怖いよね。


今の彼にこれだけ大事にされながら

私は揺らぐんだ。



「友達とご飯に行く。」

夕食は
温めれば食べれるようにして出掛けてた。


元カレに送ってもらって

彼と暮らすマンションに帰った。

彼はもう眠ってた。



私はこれからどうするの?




翌日から毎日

彼と暮らすマンションの
玄関扉のノブに
花がぶら下げられるようになった。

元カレだ。

毎日のように
1輪の花と短いメッセージ。


仕事が終わって帰宅する彼が
それも見付けて部屋に持って入ってくる。

それでも彼は怒ったりしない。

「届いてたよ。」って渡してくれる人。



彼はいつも
私に
干渉も束縛もしない人。




そんな彼がある日言った。

「俺でもやきもちも焼くんだよ。」

「辛いよ。」


やっと気付いた。



元カレは

「頑張ってる私が好きな人」。


ラウンジでナンバーワン張ってたり
経理者になったり

そんな私がたまらなく好きな人。



今共に暮らしてる彼は

無職になって
彼が居なけりゃ寝るとこも無い私でも

必要としてくれる人。




私は
今の彼が居なきゃ生きてゆけないんだ。


それは
脅しでも犠牲でもなくて。

今日の私を受け入れてくれてるんだ。




時間がゆっくり流れ始めてから
雑誌なんかも見たりした。


そこに載っていた
トルマリンの入ったシルバーの指輪が可愛かった。

欲しいなって思った。

5000円程のプチプライス。

自分でも買える。


でも。私は彼に言った。

めちゃくちゃ勇気が要った。

どう言えば良いのか
ひとりで予行練習とかしたくらい
わからなかった。


だけど言いたかったから言った。

「買って欲しい。」って。



初めて。

人に。

欲しい物を買ってって

私は言った。



彼は

「いいよ。」ってあっさり言った。



こっちは
何回もひとりで予行演習して
やっとだったのに。

速攻でOK。




物心ついてから。

私は
親にも

「○○が欲しい。」とか
「○○を 買って。」とか

言った事が無い。


言えなかった
怖くて言えなかった。


中学に上がっても

妹は新しい自転車に乗っていたけど
私は子供用の自転車のままで。

恥ずかしくてたまらなくて。

でも

買って欲しいと言えなかった。

言っても買って貰えなかったけどね。



記憶の中では
生まれて初めて

自分から求めて買って貰った指輪。


私は今でもそれを大事にしてる。



当時客から頂いた
高価なアクセサリーは
特別気に入っている物以外
全部金に換えたのに

これは大事に使ってる。




続きはまた。












前回からの近況や想いは

過程を綴る記事とは
分けて書いた方が良いのかも知れない。

でも。

ただただ
悲しみに満ちた言葉が溢れそうだから

過程と抱き合わせて書いて居る。






私はTwitterをしてる。


見付けてホローしてくれてる人たちの中には
知らない人も居る。


私は
気になる情報以外は

自分が直接知って居る人しか
ホローをしていない。


知り合いだからホローしてるけど
ほとんどスルーして
読まないツイートもあるけど・・。


ホームに
たくさんのツイートが並んでも
全部を読んでる時間もないし


ちゃんと知ってる人たちのつぶやきが
読めたらそれでいいと基本思って居る。



ホローし合う人たちの中には

日頃からとても気に掛けて下さり
仲良くして下 さってる方々も居る。


それぞれの日々には
それぞれの心のつぶやきがあるだろうに。


その中には
不安や痛みも
喜びも発見も

紹介したい写真や近況も

あるだろうに。



昨日から。

私が痛んでつぶやいてる間。

自分のツイートを控えて
見守ってくれてた事に気付く。



今日は
昨日よりも
痛みを吐かない自分で居たいと思った。



連休明けまで自分の通院は無い。

自宅で仕事しながら診て居られる。

必要な物を買いに行ったら
本焼きをしながら

今日も出来る限りの事をしよう。







お返事に注ぐ余裕が
今の自分にはないだろう自覚があります。

本日よりしばらくの間

とりあえずは連休明け頃まで

コメント欄の設置をしておりません。


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自己紹介。

月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


このブログには
私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
共存して居た頃の出来事を綴った記事も
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