❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

  ♪:*:.:*:♪ ・らいぶ情報・ ♪:*:.:*:♪

     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
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※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
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★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

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大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



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自傷が激しさを増し滅びてく前に。(短大生・16・終)




卒業が近付くと


学校に行っても

同級生たちと会えない日が
増えていった。



後輩たちが


まるで
少し前の自分達のように
見えた。









「摂食障害」と
「自傷」と共に

生きた20年間 と

向き合って
生きる事を始めた

この1 0年。


小学生の頃から始まった
摂食障害や自傷と

その中で
私がどう暮らしてきたか


記事として書き続けて居る。



これまでに綴ってきた記事は


「かてごり。」に
時代別に分けてあります。


振り返って読みたい方は
【】内を
クリック頂けるとご覧頂 けます。


【「1・自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(小学生の 私)】
   ※4つの記事があります。

【2・「自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(中学生の 私)】
   ※7つの記事があります。

【3・「自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(高校生の 私)】
   ※11の記事があります。

【4・「自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(大学生の 私)】
   ※現在執筆中









7月7日以来


過程を綴り
長く書き記してきた

短大生の頃の私も

今日の記事でおしまい。




過去の私は
この記事で短大を卒業して

その後の
私を綴る

心の準備に入ろうと思う。









夜間の短期大学部。



働いていない人なんて
居なかった。



卒業単位が取れた後は
学校にあまり来なくなる人も
たくさん居た。



夕方学校に行けば

当たり前に
みんなが居る環境は
無くなっていった。




就職をしながら
通学してる人も

家庭のある人も居れば



バイトをしながら通学して

就職活動をし

春からの
新しい仕事に備える人も居る。




故郷を離れて来た人は


この3年間暮らした部屋から
出てゆく準備もある。




卒業の匂いがしてた。






この短大は好きだった。


初めて友達が出来た。


親友と言い会える
大好きな女の子とも出会えた。


彼女は

本当にたくさんの時間
私と一緒に居てくれた。




それまで
出来なかった事も
たくさんした。



カラオケも
ドライブも飲み会も

親友たちと小さな旅行もして

たくさん遊んだ。


本気の恋も

嘘だらけの夜も


どれも
一生懸命だったと思う。



やりたかった仕事も

次々と体験出来た。


楽しかったと思う。



自傷や摂食障害と

共存する私である事を除けば

私には
素晴らしいキャンパスライフだったと

思いたいと思う。










卒業式。



市民会館で行われた。



同級生の女子は
振袖や袴姿で華やかだった。



私は
メンズスーツで
ネクタイ締めて行った。


あえて用意出来る程
余裕はなくて

でも普段着は嫌だし


仕事で
ラフなイベントの
司会なんかの時に

時々着てた物を選んだ。




普通のスーツより

まわりには
私らしく見えるでしょ。








卒業式は
4年制の
お昼間の学生さん達と一緒。



広い会場の左前の一角が

夜間の
短期大学部の生徒の席。




4年制の人達は
卒業式まではじけてたわ。

派手で賑やかでね。



式の途中で
ポケベルが鳴ったのを覚えてる。

音切るの忘れてて。


横で親友が私より焦ってた。

彼女らしい。

彼女はいつも
私の面倒を見てくれてたからね。



卒業式の内容は
ほとんど覚えて居ない。

興味が全くなかったって事。









式の後

みんなで写真を写した。



着物の女子達は
一度着替えに帰って



その後
みんなでカラオケに行った。

遅くまで遊んだ。




ほんの1日

当たり前に在った

学生時代の
毎日に戻ったように。


でも
それは今日が最後だから

懐かしむように。







2年の頃

付き合ってた彼とも
たくさん話した。



近付いてくれる彼を

ずっと遠ざけて居たけれど


この日は自然と話せた。




いや

違う。



話したくて
たまらなかった想いに

忠実に従ったように思う。







とにかく

みんなで騒いでた。


もう

こんなふうに
集まれないんやろうね。

すごく思ってた。




最後の曲は

みんなで大合唱。

拳振り上げて

泣きそな笑顔でね。






その夜

その2年の時

付き合ってた彼が
うちに泊まった。


住んでいたアパートは
もう引き払って居たし


私には
彼に伝えなきゃいけない
気持ちが在っ た。







彼とふたり

私のマンションへ帰る。


付き合ってた時と反対だ。




あの頃は
彼の部屋に
私が帰っていってたっけ。




小さな布団にふたり

並んで横になった。


たくさんの想い出話が
次から次へ。
 


あの肉じゃが
たくさん食べたねとか


チョコミントは
やっぱりおいしいねとか。



話ながら

思ってた。




あの頃。

何よりも刺激を求めて。

あの日。

バイト先の社員と
関係を持つ事を
選んだのは私だけど。




あれは
やっぱり
大きく間違っていたんだと。




彼はずっと

ずっと


そう

卒業式の今日でも



私を

想ったままで居てくれたのに。




あんな事してなければ


こんな
今日はなかっただろう。







私は

やっと彼に言えた。



「ごめんね。」





「うん。いいよ。」

そう言った彼と
触れるだけのキスをして

彼は
翌朝大阪へ帰って行った。


卒業証書を忘れて行った。


いつか
渡さなければと思いつつ

それはまだ

私のそばに在る。





もし。

彼に。



自傷も

摂食障害も

打ち明けていたら



それでも彼は
私を
求めてくれたんだろうか。



どこで暮らしてるんだろう・・
しあわせで居て欲しい。

そしていつか
卒業証書を渡したい。










次からは

まずは寄り道をしながらね



学生ではなくなった私を

書いてゆこうと思う。





これからの約10年は

本当のどん底に向かう。



とことん

どん底に落ちる。



地獄。



私にとっての地獄に向かう。


壊れてく。






その記憶と向かいながら

書き放つ作業は



私にとっては
楽ではないから。




少しづつ

ゆこうと思う。





お付き合い下さると

とても有難く思います。











世の中は連休。


2ヶ月になる新しい職場は
日曜祝日はお休み。



私は

ここ数日
全く出来なかった
陶芸の作業を

少しづつしてる。






異常なだるさと

異常な眠気

寒気や
浮腫みを抱え込んだまんま


今日も重ねてる。



喉が熱くて
寒くてだるい。




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朽ち逝く日に焦がれながら怯え。(短大生・15)





・・・・・・・・・・・・・

逃げきれず
うなされて目覚めると

まだ生きて居られた

アスファルトの上

降り続く雨に刺された
アゲハ蝶の死体



恐ろしく鮮明に
刻まれ続けてゆく

記憶は残酷に
刷り込まれてゆくから



真ん中から
吹き出す痛みを
集めて食べてしまうのよ

中指の先は
いつも
冷たく凍えていて

伝わりはしない事
知ってしまったら

二度と
飛び立てないじゃない・・




耐え切れず
潰されて目覚めれば

まだ生かされて居た

明けてゆく空に

雨上がりの
風に呼ばれた
後ろの白い月



止めどなく
鮮やかに深く印されてゆく

記憶は
繰り返し
傷を掘り起こすのに



真ん中から
溢れる痛みを
集めて食べてしまいま しょう

中指の先は
いつも
汚れ傷んで居て

伝わりはしない事
知り過ぎてしまえば

雲を避けられないでしょう・・




真ん中から
吹き出す痛みを
集めて食べてしまうのよ

中指の先は
いつも
冷たく凍えて居て


真ん中から
溢れる想いを
集めて食べてしまいましょう

中指の先は
いつも
汚れ傷んで居て


伝わりはしない事
知り過ぎてしまえば


二度と
飛び立てないじゃない・・


  『 涙 雨 』   詞・月下陽香

・・・・・・・・・・・・・




時々読み返す


摂食障害と自傷の

真っ只中に居た頃の私が


書き溜めていた
詞のファイル。











3年間で卒業となる

夜間短大の

私は
最後の1年を過ごして居た。



二十歳。



毎日は

大きな不安と憎悪に
埋もれて
在ったように思う。










「摂食障害」と「自傷」と
共に生きた20年間と

向き合って
生きる事を始めたこの1 0年。


小学生の頃から始まった
摂食障害や自傷と

その中で
私がどう暮らしてきたか


記事として書き続けて居る。




これまでに綴ってきた記事は

「かてごり。」に
時代別に分けてあります。


振り返って読みたい方は

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クリック頂けるとご覧頂 けます。

【「1・自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(小学生の 私)】
   ※4つの記事があります。

【2・「自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(中学生の 私)】
   ※7つの記事があります。

【3・「自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(高校生の 私)】
   ※11の記事があります。

【4・「自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(大学生の 私)】
   ※現在執筆中











私は。


今まで以上に。


どこか
投げやりになっていっ た。



夢も在る。


夢は現実に叶い

形を日々大きくして在る。




それでも

付き纏う孤独は



どんなに
大好きな友達と居ても


どんなに
多数の男と関わっても


どれもこれも

一瞬の逃避でしか
なくなってゆ く。


 

世の中は

二十歳になった私達を
成人と呼ぶ。



成人ってなぁに?


大人って事?


じゃぁ
大人って何なん?


ちっともわからなかった。



母の顔が浮かんだ。
父の姿が浮かんだ。



あれが大人なら

うんざりだと思った。



あんなふうになるのが
大人になる事なら

早く死にたいと思った。




それでも
なかなか死ねなかった。



寂しくなった。



切りながら


もう一息深くいけば

そこに辿り着ける可能性は
もっと広がるのに



寂しくなった。




私が居なくなったって

みんなは

始めは泣いても

時間の流れで
悲しみが薄れる中


当たり前に食べて

当たり前に
切らない毎日の中で


しあわせに
生きてゆくんだろうなって

思った。




消えたいくせにね

覚えてて欲しい。


訳わかんないでしょ?







次の朝が来れば

浮腫んだ顔に化粧して

スタジオに向かい

ラジオで喋ってる私が居る。


夕方になれば学校行って

友達と話してる私が居て


学校が終われば

後輩の男子の家に
泊まってたりする。




アナウンサーの私で居る時

学生の私で居る時

壊れた女の私で居る時




毎日の中に

いろんな私を飼いながら



生き繋いで

自分以外の全てが
輝いて見えた。



そんな3年生も
あと僅か。


変わらない闇の中
繰り返しの毎日に
追われながら


卒業が近付いてきている。




そろそろ。



卒業してからの私を

書いてゆく時が来たように
思えてきた。




続きは次ね。

















自分でも
理解しがたい程の体調不良で

ボロボロになった今週。


通院すら出来なかった。



甲状腺の数値が
大きく狂ってから

薬を変えたり増やしたり

いろいろと
手は打ってみるものの



状況は悪化してく。



主治医と相談して

また検査の日が決まった。


来週はちょうど

都合の悪い人と
シフトを変わった日があるから
そこで行けそうだ。

ここで
行っとけって事なんやなぁと
思う。







7月から

本職の陶芸作家を守りながら
生活してく為に

いろんな事
考えて始めた仕事が在る。



やりたいと思った仕事が

出来る毎日には
心から感謝している。




今日で
勤めて2ヶ月。

まだ研修生。


でも
毎日必ず進歩出来る。


受付業務だけに
必死こいた1ヶ月を過ぎて

この1ヶ月は
カルテの管理を始めた。


この仕事は
とても楽しい。



毎日いろんな患者さんと会う。


ものすごく考える。
すごく考える。

私の名札には
「研修生」の表示は在れど


白衣を着た私は

患者からみたら

先輩達と同じ
頼れる人のひと り。


その責任をとても感じて居る。



勤めて
1週間で悲鳴を上げた


膝・腰。


これは

いちいち
ここには書いてないけど

もの凄い努力と
ケアを重ねて来た。


傷めてしまったから
まだ時間はかかるけど

一見普通に歩けてる。










少し前

父から
自宅電話に
留守電が入っていた。



「頼みたい事がある」



私からは
かけなかった。


定年して365日休日の父。


私には
毎日2つの仕事が在る。

合わせていたらこなせない。



だから父には


なにか用事が在れば

電話に出れなくても
私が理解出来るように


留守電に内容まで喋るよう
何度も伝え


それが難しければ
送信出来るように

ファックスを買って渡した。



やれば出来るはずの事やのに

使わない。




父からは
再びの電話はなかった。


頼まなくても

出来る事だったんでしょね。





今年
元旦に父に伝えた。


あなたが変わらない限り
もう話さないと。


以来
まともに話して居ない。





父は

どう考えてんだろうね。


多分ね

理解出来てないと思うよ。


ずっと。


理解出来ないまんまで

ゆくように思う。



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腐った愛を食べ続けた玩具。(短大生・14)




20年間に及ぶ
「摂食障害」と「自傷」。

向き合い生きる事を始めた
10年間。


その中で
私がどう暮らしてきたか

記事として書き続けて居る。


これまでに綴ってきた記事は

「かてごり。」に
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【】内を
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【「1・自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の 私)】
    ※4つの記事があります。

【2・「自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の 私)】
   ※7つの記事があります。

【3・「自傷と 共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※11の記事があります。

【4・「自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の 私)】
   ※現在執筆中




前回は
少し巻き戻して
成人式の事を書いた。


今回は
3年生の私に戻るね。








毎日毎日
仕事は出来る限り詰めた。



イベントに呼ばれると
豪華なお弁当が出てきたり

お昼に
連れてってくれたりする。



そんなのも

食べた後は全部吐いた。


いつも浮腫んでいた。

異常に浮腫んで居た。



会社からではなくて
個人で頂く仕事なんかだと
夕食に誘われたりもする。


そんな時は
学校行かずに食事に行って
飲みに行って


食べた物は
やっぱり吐いてた。





学校では
友達たちの中で
私がいちばん
単位があやしくて


たくさん
レポートを書いてた。


経済論なんて
ほんとに
まともに受講してないから

何書けばいいのかわかくて。

自分の
仕事の事とか書いといた。





学校の後
バイトがなければ

同級生と出掛けたり


後輩の男子が
うちに遊びに来て

朝まで居たりしてた。


バイトがあればあるで

やっぱりバイト先の男子が
うちにきたり

ドライブ行ったり。



私は
ひとりがとても好きなのに



自宅でひとり
静かに居られる時間が
すごく好きなのに



頻繁に人に会ってると
疲れてしまって

ひとりになりたくて
たまらないのに




この頃は

ひとりで居る事が
なんだかとても苦しかった。




自分の力で得た
自分のお城だったはずの
ワンルームマンション。


希望を
詰め込んだはずだった部屋は


気が付けば

絶望に溢れてた。




あの希望
どこにいったんだろう・・



押し入れのすみっことか
入れ忘れてるだけなら
良いのに・・





夜。

家で
ひとりで居ると

寂しくて不安で。


昼。

家で
ひとりで居ると

取り残されてるようで不安で。





誰と居たって
本当の私は
誰にも伝えられないから

居場所なんて無いんだろうに



ひとりで居る事が

この頃はとても苦痛だった。





この頃は
髪型も
コロコロと変えて居た。



学費も生活費も抱えて
生活は楽ではなかったけど

ヘアサロンには頻繁に行った。


毎月のように
変えていないと

イライラした。


鏡に映る自分に

飽きて嫌気が増すから

しょっちゅう変えていた。



何をしても誰と居ても

安心は

どこにもなかったんだ。





切れば血が流れる。



この血は

父と
母と

繋がって在る。





ぞっとした。








血の繋がりってなんだろう。



良くも悪くも

恐ろしく深い。





母が
私の母でなかったら

父が
私の父でなかったら


こんなにも
この血を

醜くは
思わなかったかも知れない。




どんなに拒絶しても


母は私の母であり

父は私の父であるから



どんなに

この心から
消してしまいたくても

思い出してしまう。





大丈夫なのか気になったり


記憶が巡れば苛立ったり



してもらえなかった

与えて貰えなかった事を

いつまでも覚えて居て


大きな不足を
感じたままで在ったり




恨んだり 憎んだり




それも

結局は
この血が繋がっているから


求め

焦がれてしまうだけの事。





他人の親が

知らない大人が

私に何も与えなくても
当たり前に
受け止めて居られるのに




母だから

父だから

そうはならない。





どんなに
忘れようとしても

この胸から


消える事はないんだ。



縁を切ったって


どんなに
付き合いが途絶えても



この体に

流れる血は変わらなくて



その血が覚えてる。







先日
ある人と話してた時。

その人が言った。



「人間は
 幼少期の経験が
 その後の人生の大半を
 決めるんだと思うわ。」




そうだなって思った。




その人は
私の事を良く知っている。


知っても
それまで以上に深く

繋がってくれて居るひとり。



その人は

とても素直で

屈託なく笑い
真直ぐで賢い。




大切に育てられた人だと
私はずっと思っていた。



でも

決して
楽に生きてきた訳ではない。




大学を卒業し
就職して間もなく
母親を病気で亡くし
その後
父親を自殺で亡くしている。



でも


その人の幼少期は
とても素晴らしかったと言う。



伸び伸びと
遊んで笑って
食べて眠って


良い想い出しか
無いんだと言う。


抑圧を
感じた事がなかったと言う。



大人になるまで
苦労も知らずに

守られて与えられ教えられ 育ってきたから


大人になっても
何があっても


揺らがない捉え方が
確立しているらしい。




心の基本が
形成される幼少期が

その後の人生大半を決める。



本当にそうだなと思う。






その幼少期が

親との関係が


私には大きく不足し


大きく偏っている。




偏りを吸収し

形成された心で

大人になり
生きてゆく事は



恐ろしく難しい。




苦し過ぎて


息が吸えない。





馴染めないまま


戸惑いの中で


朽ちてゆく。





そこから脱する為には


全ては

自分で気付き
知り学び

自分で
自分を変えてくしか


方法はない。


それが

どんなに苦しい事か


与えられて
育ってきた人間には


わからないだろう。








神様は不公平。


人は平等なんて在り得ない。




始めから

無い者には無いんだよ。







短大生活をおくりながら



この頃の私は

まだ気付いてもなかった。




生きる事は
何よりも苦しくて



誰も信じられずに

自分も信じられずに


自分の偏在をひたすら隠し




同じところを
行ったり来たりしながら



まだ

そこは
迷路の始まり辺りでしか

なかったんだ。














ものすごく体調が悪い。


半端なく悪い。


消化出来ない心は


苛立ちの中で


閉ざす事しか
出来ないよ。



空は晴れてるのに


私には

灰色に見える。


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心の中。空っぽの部屋に。(短大生・13)





「摂食障害」と「自傷」。


共に生きた20年間と


向き合っ て生きる事を始めた
この10年を


記事として書き続けて居る。



これまでに綴ってきた記事は

「かてごり。」に
時代別に分 けてあります。


振り返って読みたい方は

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    ※4つの記事があります。

【2・「自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の 私)】
    ※7つの記事があります。

【3・「自傷と 共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
    ※11の記事があります。

【4・「自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の 私)】
    ※現在執筆中







現在は
短大3年生の私を
書いているところ。




前回は
また寄り道をしたんだけど

今回は ちゃんと書こう。

と。

思いながら。




ちょっとだけ

記憶を
巻き戻しさせて欲しいの。


思い出したから。






私の成人式の話。





2年生の1月

成人式を迎えた。






年が明けた頃から
同級生の間では
成人式の話題も持ち上がった。



同級生の男子はね

基本的にはスーツやし

そんな
浮かれるよな感じではなかったけど


いつも一緒の女子達からは
いろいろと話が聞こえて。



それぞれに
ちゃんと
用意された物が在った。


母親が用意してくれた
振袖だったり

家紋の入った袴だったり。




私には

わかりきった事やけど
何にも無い。




成人式には全く興味無いけど


いつも一緒の
みんなが行くなら


やっぱり行っておきたい。



どうしようかなって考えてた。







突然
母から連絡がきた。



新しいマンションの番号は
妹にしか言ってなかったから

もちろん
母は知らないはずだった。



それなのに
妹が喋ったとしたなら
余程の事。




一体
何が起きたのかと思った。





久しぶりに聞く母の声。




母が言った。

成人式どうするの?



どうもしないよって答えたら。

出て来なさいって言われた。




私は
指定された日に
指定された場所に行った。


母が居た。







今思い出してみれば


最後に会った母は
この日なんだと


まともに
最後に会ったのは
この日だったと



記憶を巡り
綴りながら
思い出した。



そうだ。

うん。

そうだ。






私は
訳のわからないままに

母に
衣装のレンタルショップに
連れて行かれた。



成人式は数日後。



流行りの柄は
全部貸し出されていて

残ってる振袖は
数着だけ。


どれも
値段も変わらない。




やっぱり

私は選ばない。

って言うか選べない(笑)


母が
私に希望を聞く事は
在り得ない。


そういう人やから。




母が

紺色の絞りが
裾に入った振袖を選んだ。


そして
顔そりに連れて行かれて。


成人式には出なさいって
言った。



彼・・
(私の上司であり母の男である人ね)

その人が
とても気にして
全部用意してくれたんだからって。




上司が
そこまで考えてくれてた事

全然わからなかった。



実の子供さんは
ふたりとも男の子だし

妹の
新しいお父さんになったとは言え


女の子の成人式の事とか
考えてくれてたんだって

申し訳なかった。






私は成人式に出た。


親が与えてくれた
すっごく綺麗な
振袖や袴を着て


いつもより
とても美しく華やかな
同級生たちと一緒に


待ち合わせて行った。




熱が出たとかね

嘘ついて
行かない事も
考えたりしてたのに。




けど。

行けた。




とても寒かった。

羽織も襟巻も無いし
とても寒かった。



でも

みんなと同じように居られた。






成人式の後


上司にお礼を言いたくて
母宅に
思い切って行った。



もう来るなと言われてた
母のマンション。



上司は居なかった。


職場に行けば
居たかもしれないけど

上司と母との関係が
知られたら困るしね。



妹も居なかった。


母は

写真を写してくれた。



たいした会話もなく
とても事務的で


それでも

私ね


その時

すごくね


いろんな事
いっぱいね

考えてたの。




初めて。

みんなと同じ事
させて貰えたなぁって。



同級生達が

読んでる雑誌
観てるテレビ

流行りの服も
髪型も


私には何ひとつ許さずに


子供の私を

束縛と抑圧で
壊していった大人。


小遣いひとつ与えずに

力で押さえつけた

ヒステリックな大人。



自分の不足を剥き出しに攻撃し


自分の欲だけに忠実に


大人になってしまった
壊れた女。


それが母だったんだよね。



それなのに。

ね。


みんなと同じ事
させてくれたんだ。










思い出した。




過去を綴る記事を
こうして書き続ける事を

選んだのは
自分だけど



度々ね

ひどく痛んで

苦しいんだ。




でも
こうして続ける中で


思い出して

改めて
大切に

心の中

記憶の引き出しに
入れ直す事にも

出会えてる。




それはね

こんなね
毒だらけの私の記事に


付き合ってくださる
ご訪問者さま

そう
みなさまが
居てくれるから。



みなさまが
読んでくれてるから


私は

また書こうって思えて


こうして

思い出してゆける。



ありがとう。





次回は
短大3年生の私を
ちゃんと書いてくね。








あの写真
どこにあるんだろう・・


母のそばに

今も在れば


なんとなく

どこか
少しだけ

救われるんだけどね。






最後に見た顔。



思い出せない。



無愛想で
怖い顔してたのは

うっすら覚えてるんだけどなぁ・・




ちゃんと

覚えておけば
よかったなぁ・・



覚えておけば良かった。














今日の画像。

何かわかる?



昨夜
仕事が終わって携帯を見たら。。



「火曜サスペンス」って
タイトルのメール着信。
(昨日は火曜日やったからね。)



「職場の最寄り駅に在る
   近辺の地図の看板。

  その“現在地”を見よ」
          との事。





自転車飛ばして駅までGO~!



見てみたら。。



あぁぁ~ッ
なんか貼っついとる~。。




そこは
この前も
タイキさんが待っててくれた場所。




陽とタイキさんの間では
超お馴染の
キャラクターの絵が


ぽちょんと
貼り付けられていた。




タイキさん
いつ来て貼ったんやろか?


どんな顔して
貼ったんやろかぁ・・(笑)



写真写して

もちろん一緒に
おうちへ帰った。





前にも書いた事あるけどね



陽ね
こんな大人の人に
初めて会ったんだ。


こんなふうに

大事にしてくれ
大人の人。



心の中

空っぽだった部屋を

少しづつ
埋めてくれる大人の人。



そんな出会いが

未来に与えられてるなんて


切ったり
吐いたりしながら


絶望を
抱き締めてた時代には


考えてもなかった。




そのタイキさんと
連休最後の月曜日は
ちょこっと
出掛ける事が出来た。



以前にも
ふたりでお伺いしてるライブでね



過去記事とは分けて書きたいから。



11月のライブを
ちゃんとお知らせする時に
お伺いしてるライブの事も
書くからね。



今日も

ただただ気合い。


良いお天気。


夜空の月は
満月に近づいてゆく。




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自傷を知らぬ者には戻れないから。(短大生・12)




「摂食障害」と「自傷」。


共に生きた20年間。


向き合って
生きる事を始めたこの10年。



小学生の頃から始まった
摂食障害や自傷と

その中で
私がどう暮らしてきたか


記事として書き続けて居る。




これまでに綴ってきた記事は

「かてごり。」に
時代別に分けてあります。



振り返って読みたい方は
【】内を
クリック頂け るとご覧頂けます。


【「1・自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(小学生の 私)】
   ※4つの記事があります。

【2・「自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(中学生の 私)】
   ※7つの記事があります。

【3・「自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(高校生の 私)】
   ※11の記事があります。

【4・「自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(大学生の 私)】
   ※現在執筆中





現在は

短大生の私を

書き記しているところ。








どんなに懸命でも

どんなに投げやりでも


日本には
素晴らしい四季が在り

季節は巡る。




私は3年生になる。





いつも

私の分まで出席を出したり
ノートを見せたりしてくれた

親友の
たくさんの助けも在って


私は
進級出来た。



国立大学の夜間コース。

3年通って単位を取れて

やっと
短期大学部卒業となる。


いよいよ
最後の1年だ。






先輩達も
卒業したバレー部には

個性的な後輩が

たくさん入ってきた。



夜間の短大を
選んで来る人達は

基本的に

ちゃんと何かを背負ってる。



みんな
学生であり
社会人。



ちょこっとハメを外したり

ふざけたり

年頃の
勢いや憧れや
模索は在れど


やっぱり
みんな
ちゃんと背負ってるんだなって


後輩達を見て思った。






これから
卒業するまでの1年間

私は
確か
特定の彼は
作らなかったように思う。




ひとりの男に

こだわって縛られる事が
嫌になった。


自分から
本気で誰かを愛する事を

放棄してたんだと

今は思う。




異性関係は

楽な付き合いが良かった。



彼女って枠に
はめられなければ

自由だから。


誰と会おうが
誰と寝ようが

自由だから。


それで良いと思った。




同級生で在ろうが

後輩で在ろうが

バイト先の友達で在ろうが

仕事関係の人で在ろうが



向こうが必要としてるなら


私は

私が必要だと思う時に
関われば良い。




そんなふうに思った。





虚しさは増えども

寂しさは
一瞬は逃避出来た。






この体は
もう汚いし。



私の毎日は

吐きながら
自傷にとことん
染まってる。






仕事が入ってない夜。

何の約束も無く

誰も訪ねて来ない夜。



昼間よりも
夜の自傷は激しかった。


食べても吐く。

飲んでも吐く。

腕を切る。



吐くよりも

切ってる時間の方が

心は
落ち着いて居られた。





こんな

本当の私を知ったら

みんな
求めてはくれないんでしょ?



心のいちばん奥。

いつも

そう思って居た。







仕事は順調だった。


新しい仕事が
どんどん入ってきた。


この頃は
深夜のファミレスのバイトは
まだ続けてたけど


アナウンサーの仕事は

いろんな物が
飛び込んで来ていて


ギャラは
まだまだ低かったから
生活は
楽にはならなかったけど


とても恵まれて居た。





それでも不安だった。



これからどうなってくの?





本当の姿を

誰にも

どこにも

見せられない私には



結局は

本当の心の居場所が
なかったんだと


今は思う。






続きはまた次回。













去年はさぁ・・



8月も
9月も10月も

11月も。



歌ってたよ。

ステージの上で。






悲しいや・・

苦しいや・・




この苦しみは

長く続き過ぎて


心の中
あちこちが痛いよ。




この

何ヶ月にも及んで
続き

抱き締めたままの想い




11月のステージに
持ってゆくしか



今の私には

選べない。





不完全にくすぶる想いは


私が
今感じる不足と


心の中

競り合って


突き付ける。




孤独が増すんだ。






そんな中


夕べは
陽がお風呂に入ってる間に


タイキさんが

お惣菜を
玄関にぶら下げていてくれた。




ふたつ買ったから

はんぶんこしようって。



ふたつ買ったからの
はんぶんこなのか


はんぶんこ出来るように
ふたつ買ってくれたのか




考えて

感謝する。






彼を

私自身が
「サポートギタリスト」として
扱わなくなったのは


いつだったんだろう・・


境目がよくわかんない。




だって

気が付けば
もうとても
身近過ぎた人だから。




他の人達にも
弾いて貰ったけどね


深く傷付いて

壊れる
繰り返しだったんだよね。



私の心も

私の体も

私の歌も。




それを
いつも必ず
支えてくれてたのが

タイキさんやったからね。







ライブ。



回数は出来なくなった。




だから

とてもとても大切で貴重。



その

今の私が
やりたい表現を
支えてくれるギタリストとして

彼を超える人には
未だ会えない。








ねぇ。

日々

ただただ辛い体で


私は



この痛みを


あとどれだけ苦しんだら



越えて笑えるの?




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汚れて在る事も自傷だった頃に。(短大生・11)




「摂食障害」と「自傷」。


共に生きた20年間と。


向き合って
生きる事を始めた


この10年。




小学生の頃から始まった
摂食障害や自傷と

その中で
私がどう暮らしてきたか


記事として書き続けて居る。



これまでに綴ってきた記事は

「かてごり。」に
時代別に分 けてあります。



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【「1・自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の 私)】
   ※4つの記事があります。

【2・「自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の 私)】
   ※7つの記事があります。

【3・「自傷と 共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※11の記事があります。

【4・「自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の 私)】
   ※現在執筆中










セックスなんて

誰とやっても同じだ。






そう思うようになった。




ひとりだけを一途に想って



ひとりだけと繋がれる関係に


意味があるのか
わからなくなった。





世の中に
男はたくさん居るんだし


いろいろやってみたって
いいじゃないか



そんな気持ちも
自分の中で確立された。





学校でも仕事でも
基本的には
いつも誰かが誘ってくれるなら

やりたいように
やればいいいと思った。




私が

切ってる事も
吐いてる事も
全く知らない
考えもしてないんだろう人達。



本気なのか
興味なのか
やりたいだけか

そんなのわからないけど



生理的に
受け付けない人でなければ

遊びに行った。


体に触れられても

どうでもいいやって
思ってた。





そのくせ
後で後悔するんだ。



汚いなって。







体まで汚いなって。






しばらくは緩やかだった

嘔吐も自傷も

また
共に増していった。





父の為の家事に
追われる生活から逃げて

目一杯働いていても

以前よりも
時間があった。


その時間は

自傷に注がれた。









年末が近付き
父から連絡があった。



正月準備はどうするのかと。



私の大嫌いな

1年でいちばん
大嫌いな12月。




「どうするのか」という言葉は

やらなければいけない事を
尋ねてる訳では
もちろんない。


おまえがやらなくて
誰がやるんだって意味ね。



毎度の

「まかしとくわ。」
「たのんどくわ。」







父は

正月準備にはうるさい。



おせち料理やら
お酒やら

車の免許のない私には
買い物だけで一苦労。



手伝う気は 一切無い。

3万ほどを私に渡して
これで足りるかと聞く。


父がする事はそれだけ。





年末年始は
有難い事だけど

イベントが増えて
司会業も忙しい。



忙しさの中


ラジオの放送局は
12月24日25日と

テレビで
8月の終わりに
チャリティー番組があるように


24時間の
チャリティーイベントがあって


もちろん24時間働く。




クリスマスムードの街中で
マイク片手に
募金箱持って
ひたすら呼び掛ける。



時給にして
1000円程を頂く。



チャリティーで
ギャラ貰えるのが
良いのか悪いのか
よくわからなかったけど

奉仕してる余裕はない。





すごい過酷でね

寒空に立ち続けて
ぼろぼろに風邪をひく。



咳き込みながら
鼻をすすりながら
悪化しながら


あっという間に
年越しが近付いて



道路は
帰省ラッシュが始まる。




ラジオの交通情報を
放送する為に


交通管制センターの
小さなブースで

深夜
渋滞が解消するまで
1時間に2本程の放送が続く。




電車の無い時間に
出勤しなくてはいけないから


原付の免許だけは
会社がとらせてくれた。




合間に帰っては

3段の重箱に
料理を詰め込む。


黒豆やら
田作りやらは
一から作ってる暇なんてないし

作り方もわかんないから



かまぼこと同様
買ってきて入れるだけ。



それでも
煮物やら照り焼きやら
卵焼きやら
雑煮やら

作る物はたくさんある。




職場と父の家を往復しながら



誰か

車でひいてくれと思う。



そしたら
ゆっくり出来るから

どうか
ひいてくれと思う。




原付走らせながら

何度も居眠りしてしまう。




そんな時に限って
誰もひき殺してはくれない。





正月は
元旦だけは休みで

それでも
横になる暇もなく
父の世話をして



2日の早朝から
ラジオの仕事が待っている。




年明けの忙しさを越えたら

必ず寝込む。


過労でぼろぼろになる。




さすがに
友達と初詣やら
デートやら

そんな余裕も全く無い。




高熱で ふらふらしながら
台所に立っていても

父が

気付いて
代わってくれる訳がない。




年末年始は

ストレスを育てながら

体を潰す為に訪れるような
季節だった。








こんな年末年始を

私は
数年前まで過ごしてた。



今は
この頃とは
違う仕事をしてるし


私は大阪で
父は和歌山で
暮らしてるけど



父の要求は変わらなくて



ずっと

ものすごい無理をして
それにこたえてきた。




もううんざりで。



殺されるなって
本気で思ってから


この3年ほどは

おせち料理を買って
送りつけるようになった。



これ以上
父に壊されるのを
減らそうと決めたから。





でも

短大の頃は

まだまだ
これを飲み込んでこなしてた。



飲み込む事しか
出来ないと

思ってたんだよね。







短大も
もうすぐ3年生。


夜間コースだから
3年通って
短大の卒業が与えられる。



学生で居られるのも
あと1年になってしまった。





続きはまたね。













今日は

湿った風が吹いてる。


世の中は連休。


相変わらず
私はそうじゃない。





ぽんちゃんは

この夏の暑さが堪えたのか

この1~2週間ほど
元気がない。


急に
老け込んだように見える。



お別れは いつか来る。



わかっているけど

まだ
生きて居て欲しいと

毎日思う。




18年間

吐く私も
切る私も

どんな私も


いちばんそばで見ながら


必要としてくれた
この子が



居ない生活は

寂し過ぎてしまうから。


冬が来て


また

こたつの中で

気持ち良さそうに
眠ってる姿が


今年も見たい。




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イカせるだけの自傷行為と知れば。(短大生・10)




「摂食障害」と「自傷」と

共に生きて居た20年間。


そして
未だ完全には克服出来ていないが
向き合って生きる事を始めた

この10年。



小学生の頃から始まった
摂食障害や自傷と


その中で

私がどう暮らしてきたか


記事として書き続けて居る。




これまでに綴ってきた記事は

「かてごり。」に
時代別に分 けてあります。



振り返って読みたい方は
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【「1・自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の 私)】
   ※4つの記事があります。

【2・「自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の 私)】
    ※7つの記事があります。

【3・「自傷と 共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※11の記事があります。

【4・「自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の 私)】
   ※現在執筆中






前回は


現在の
リアルな痛みを
ぶちまけたから。



今回は
短大生の私の続きね。









私は
父との生活を
基本的には放棄した。


本当の自由だと 思った。



友達も頻繁に遊びに来た。


そのマンションは
固定電話を置く事が
契約の中に在って


いちばん安い
留守番電話を買った。




遊んで帰っても
働いて帰っても

帰れば
留守番電話が点滅してて。



親友が
「おかえり」って
メッセージを入れてくれていた。

私が寂しくないように。



彼女はそんな女の子だった。





家事に追われない事が
こんなにも自由だったなんて
知らなかった。



人一倍
手の掛かる父との暮らしが

どんなに
時間を
体力を
精神力を
消費させていたかを知った。



驚いた。

みんなはこんなに自由に暮らしてたの?



まわりを
改めて眺めて
びっくりした。







私は
まずは目一杯遊びたかった。



もちろん
生活あるから働くけど。

遊びたかった。




学校にも大好きな友達が居る。


こんな私とも仲良くしてくれる。



でも
夜間大学に通う者同士。



お互いに
社会と関わり

必ず何かを
当たり前に背負ってるから

ハメは外さないよね。






バイト先ではね


生活は
実家頼りだったり
仕送りがある人ばかりだったから



もうね

はじけてた訳よ。



それこそ
ドラマに出てきそうな
キャンパスライフって奴を
満喫してて


バイト代は
生活費やなくて
お小遣いな訳。



彼らと遊ぶのは 楽しかった。



現実逃避出来た。






学校もさぼりながら

バイト先の友達と
たくさん遊んだ。 



学校では
親友が
私の分まで
出席を出したりしてくれてた。


きっと 腹も立ったやろうに。



いつも
嫌な顔ひとつせずに
そこに居ない私の分まで
出席を出してくれて居た。


私は
目一杯それに甘えてた。



成績の善し悪しなんて
もうどうでも良かった。



卒業出来たら
それで良いと思ってた。







彼と居るよりも

バイト先の友達と居る方が
刺激的で

魅力的に見えた。




バイト先の社員さんと
微妙な関係にもなっていた。


そっちの方が気になって居た。


経験した事のない刺激が
欲しくてたまらなかった。




何回か
その社員さんと
ふたりでも会った。



悲しくなった。

彼がずっとずっと

別れた彼女を引き摺り
想いを断たれぬまま
動けない年月に
生きて居る事を

知ってしまった。



彼が歩きだす
通過点で良かった。

抱かれたいと思った。





ある夜
彼の助手席で
しばらく話込んだ後

関係を持った。





一度きりなのはわかって居た。


一夜の
逃げ場所になれば良かった。



それでも

それを
心は消化出来なかった。






たくさん泣いた。

目が
腫れて
開かなくなっても


泣いた。




私を信じて
待ってる彼の気持ちなんて

全く考えてなかった。



自分の悲しみだけに
たくさん泣いた。







一種の麻薬だ。


自分よりも
一回りも上の
気になる男。




結ばれはしないと
わかった上で持った関係。




私は
同級生の彼と別れた。



彼との日々は
あんなにも輝いていたのに


彼を捨てた。



その後もずっと

彼は

私だけを
想い続けてくれたのに



捨ててしまった。




卒業式の夜
やっと
ごめんねが言えるまで



彼は
ずっと
私のそばに居てくれたのに。


私は彼を捨てた。





しばらくして
その社員さんは
移動で居なくなった。




なんだか
どうでも良くなった。






だれとやっても一緒やん・・。





ふと

そう思った。





男と女

それぞれに
その愛撫は違えども


最後は入れて出して終わり。




感じてようが

フリしてようが

男がイケば終わり。





そんな風に思った。



誰とやってもおんなじだ。


そう思うようになった。







母は
父とのセックスの不満を
子供の私に聞かせ続けた。



そっか・・


母は
全然気持ち良くもなくて


それでも
十分にイッた父の精子は
母の胎内で
卵子と結ばれてしまって


寄生虫にように私が宿り



産み落とされてしまったんや。





そうか。

母が言い続けた不満って
   こういう意味?って


考えた。





セックスへの考え方が

ここでまず
大きく変わった。




愛じゃなくて

自傷行為のひとつに思えた。




続きはまたね。















昨日は練習だった。


相変わらず
2時間でもう限界。



曲数はこなせない分

ここは
低音を押さえたいとか

テンポとか

細かい事に注いだ。





月下陽香の楽曲は

一般的な
アコースティックとは 違う。




ひとつひとつ

私にとっては

とてもリアルな
人生のワンシーンだから



歌を
歌い奏でると言うよりも



ひとつの現実を

歌であり
あるいは語りであり
叫びであり
表現する

ちいさな劇場の
詰め合わせが

月下陽香の
ライブで在りたい。




私は

タイキさんには
いろいろとお願いが出来るから

昨日もお願いの連続。



それでも
彼は嫌な顔した事が無い。




素晴らしいギタリストで
何でも弾きこなす人なのに


月下陽香では
ひたすら歌詞を大切に
弾いてくれている。






今年の夏は
彼とも遊べなかった。



いつも楽しみにしてる
遊園地の夏のナイターも
行けないまんま夏が過ぎた。


この秋は 行けるのかな・・





そうそう。

少し前に

彼に読んで欲しいから
ブログをプリントアウトするんだって
書いたけど。



渡してきたよ。


すんごい量。

でっかい仕事の資料みたいになった。



無理なく読んでくれて
少しづつ伝わったらしあわせやと
思ってたけど。




なんと・・





彼は
昨日の内に
全部を読んでくれていた。


ランキングに参加してからの 記事を全部。


疲れたやろうにね。






タイキさんね
昨日はね
新しいギターでやってきたよ。


始めの頃弾いてたアコギから


昨年彼は
エレアコに買い替えてくれた。

月下陽香で奏でる為に。




でね。

またまた新しいギターになった。


すっごくきれいな緑色。

うれしかった。

楽しみが増えた。
うれしかった。




練習だった昨日の

前の夜。

くたくたの帰り道。


職場の最寄り駅。
彼を発見。


陽の好きな
サーモンのサラダをね
買って待っててくれてた。



必ず
その時間に来るとは限らないのに

待っててくれた。




今日はこれから往診?
  って聞いたら



いやぁ~・・ 今日は違う
  これから銭湯に行こうかなって。




なんかのついでやなくて
陽を 待っててくれたんだ。



そのうれしさを
上手く言葉に出来なくて

ありがとうって言うしか
よう表現せんかった。


また明日ねって

言うのが 精一杯やった。










だんだんと

月がまぁるくなってゆく。



数日前は
三日月やったのに


もうすぐ半月。



まぁるくなったら
痩せてゆく。





月はいつもまぁるいのに


私達の目には

そうは見えない。





人の心みたい。


ほんとはまぁるくても

そうは見て貰えなかったり


そうは
見せれない時があったり。





お昼間に

間抜けな表情で
白く浮かんでみたり


夜空から
雲に隠されたり。






いつも照り付ける太陽は


どんな雨降りで
姿を隠しても


己の力で
燃え輝いて居るけれど



月は違うもんね。




太陽に
与えられて

照らす月は



日陰も
ちゃんと知ってるから

人みたい。




必ず陰を持ってるから



人みたいだ。



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体をめぐる壊れた境界血。(短大生・9)




20年間を共存した

「摂食障害」と「自傷」。


未だ
完全には克服出来ていないが


向き合って
生きる事を始めた
この10年。



小学生の頃から始まった
摂食障害や自傷と

その中で
私がどう暮らしてきたか



記事として書き続けて居る。





これまでに綴ってきた記事は

「かてごり。」に
時代別に分けてあります。



振り返って読みたい方は

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【「1・自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(小学生の 私)】
   ※4つの記事があります。

【2・「自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(中学生の 私)】
   ※7つの記事があります。

【3・「自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(高校生の 私)】
   ※11の記事があります。

【4・「自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(大学生の 私)】
   ※現在執筆中






綴る足跡は


短大生の私を書いているところ。





私は

知り合いの家の間借りでも

彼の家での半同棲でもなく


家を出て生きてゆく事を
やっと実行に移した。





私が居なくなったら
父はどうするのだろう・・。

そんな想いももちろん在った。



私までもが父を捨てるんだ・・。

罪悪感ももちろん在った。




でも

私は小学生の頃から
この家を出たくて出たくて
たまらなかったんだ。







子供の頃は

母の抑圧や束縛から

自由になりたかった。


どう考えても

どんなに
あちこちの角度から眺め

考えても



間違って居るのは母である事を

自分を殺し
受け入れなくては
従わなくては

居られない


そんな家が大嫌いだった。




自分の不足と
欲を剥き出しに

人を
深く傷付けている事は正当化し


自分の僅かな擦り傷には

大きく反応し



力で捩じ伏せる母は
とんでもなく我儘で




壊れた女王だった。






母が居なくなってからは

毎日を
見張られてるような生活は
なくなったものの




父の面倒を見続ける事が

しんどくてたまらなかった。




料理の出来ない
母を見てきた私が

作れる物もまだ少なくて
似た料理ばかりが並んでも


父は文句は言わなかった。



私を縛り付ける事も
父はしなかった。

と言うよりも

きっと出来なかった。





父は父なりに

日々
苦しんでいただろうと思う。


妻に捨てられた痛みは

父の心に
消えない傷を作ったと思う。






でも

その理由を考えた時に



父の中で

自分を責める気持ちは
なかったんだろう。




子供の私から見て

そして
現在の大人の女である
私から見ても




原因は

母だけではない



父にも在ったはずなんだ。







子供の頃から

母に

父の悪口を
山ほど聞かされてきた。



母が居なくなって

今度は父から

母の悪口を
散々聞かされてきた。






あんたらは
別れたら他人やけど



私のこの体には

父の血も

母の血も


流れてしまって居るのに。








父は

食事への文句は
ほとんど言わなかったけど

手の掛かる人。




自分で調べてやってみようと

考えない人。




少し調べたり

人に尋ねたりすれば

ちゃんとわかるし


自分で出来るだろう事も

しない人だった。







例えば

お祝いを包むんだけど
いくらにしようか

そんな事まで私に聞く。



そんなもん

自分と相手の方との関係によって
相場があるだろうに。



何を着て行けばいい

何を持って行けばいい

袋には何を書けばいい

どうやって渡せばいい

全て聞く。




聞く友達が居なければ

マナー本のひとつでも読めば

書いてあるでしょうに。





結局は

「たのんどくわ」の一言。



私は

服を出し靴を出し

祝儀袋を買いに行き

新札に替え

書いて入れて

お土産やお祝いを買いに走り

やっと送り出す。





20歳も近い私にも
わからない事はたくさんある。



その度に
親友に連絡をする。


相談すると親友は


「おかあちゃんに聞くから
 ちょっと待ってて な」って

いつも快く
急いで聞いてくれる。




私は

親友と彼女のおかあさんに
どれだけお世話になったか
わからない。



でも

聞くのは辛かった。

悲しかった。

情けなくて辛かったんだ。






「たのんどくわ」の一言で
やりたくない事は
全て私。






私はね

娘なんですよ。

父の
母でも妻でもないの。



うんざりしていた。






母と妹は

いらなくなった物を
大量に置いていった。


家の中は
そのたくさんのゴミが
そのままにあり

父は
それをかたずけようともしなかった。



その部屋の雨戸を閉めて

扉を閉ざし

開かずの間にして

放置した。






それも

私だけに任されてるの?

いつも思ってた。



父は
嫌な事に
向き合って

乗り越えようと
しない人。


見ない事にして

人に任せて
逃げる人。







家に居たら

吐かなくては居られない。

切りたくて仕方がない。





今思えば

父は

私がしている自傷に
気付いていたかも知れない。


ふと

そんな気がする。


もし
そうだとしたら



父は
それも

見なかった事にしてたんだろうね。








私は

小さなワンルームを借りて

少しづつ少しづつ
荷物を運んだ。


生活が出来るくらいに
準備が整ってから



父に言った。




「ひとりで住むから。」





父は何も言わなかった。

ただ
ものすごく悲しい顔をした。



マンションの住所は
ちゃんと伝えた。

居場所は
伝えてあげないといけないと思った。







私は家を出た。

うれしかった。

すごくうれしかった。



もう

毎日は
自分の事をして
暮らして良いものになる。


友達も呼べるしね

やっとの自由を感じてた。





初めて
自分のマンションで眠った時は

なかなか寝付けなかった。



ただ

それまで家で眠った時は

ほぼ必ずなっていた
金縛りにもならなかった。




テレビもない新しい部屋は

とても静かで



小さな冷蔵庫の音まで

大きく聞こえて

外を通る車や

近所の飼い犬の鳴き声が

すごく聞こえて



落ち着きもしない

不思議な夜だった。







ここでなら

吐かない私に

切らない私に

なれるかも知れないと思ってた。



でも

それは違った。





私が

学生として世の中に居られた
残りの月日

止めれはしなかったけど

回数は明らかに減って居た。



それも
学生という肩書から
卒業するまでの

しばらくの間だけだった。





あっと言う間に

毎日は

不足と偏りに手招きされて

支配されてくんだ。






続きはまた次回。













占いによると

今日の私の
ラッキーカラーは「緑色」


何だか良い感じ。




私は

占いを信じるタイプでは無い。


でも。


テレビで
星占いなんかがやってるけど


信じてはいなくても

自分の星座が
今日の最下位だったりすると


何となくうれしくは無い。




特別に信じてはいなくても

ひとつだけ
興味深く見てる占いが在って


体調が悪い時や
辛い時は

ラッキーカラーくらいは

意識してしまう。



ラッキーカラーを
身に着けてるし大丈夫

なんてね


安心の
きっかけみたいな感じかな。






その占いでね

自分とタイキさんを
占ってみた時に


ちょっと
すごいなって思った事がある。





んとね。


陽って人間には

ふたりの私が居るのね。


表側の私と
裏側の私。



でね

例えば


表側の私を「人間A」

裏側の私を「人間B」だとする。





月下陽香の
ギタリスト・タイキさんにも

ふたりの人間が
居るらしくてね。


表側のタイキさんは
「人間B」で

裏側のタイキさんは
「人間A」らしいの。




言いたい事伝わるかなぁ・・





つまり

私達は

同じタイプのふたりの人間の

表裏が違うだけ。




私の表側は
タイキさんの裏側であり


タイキさんの表側は
私の裏側である訳。




なるほどって思った。




仲良し親子やと

よく思われている私達。



妙なとこ
似てるんだよねぇ・・。

なのに正反対だったりね

するんだぁ・・。




占いもちょっと面白いなぁと

思った。









さて。

用意して出勤。



先週から
ステップアップする為の
勉強だらけ。


毎日
分厚いテキストとにらめっこ。



通常より2時間早く出勤して

講習受けて

患者さんの居ない時間に
実践の練習。



帰ってきたら

テキストでおさらい。




体は見事にボロボロで

帰り道はもう

歩くのも少しづつ。




でも

仕事は楽しい。

勉強も楽しい。




やりたいって思って

一生懸命動いたら



ええ歳こいた私にも

神様は
ちゃんとチャンスを与えてくれた。



恵まれてると思ってる。







良いお天気だよ。

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このぶろぐ。

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偏在は自傷を晒す奏で者。





私が


20年間を共存した
「摂食障害」と「自傷」。



未だ
完全には克服出来ていないが


向き合って
生きる事を始めた
この10年と共に


記事として書き続けて居る。




小学生の頃から始まった
摂食障害や自傷と

その中で

私がどう暮らしてきたか



書き続ける記事は


「かてごり。」に
時代別に分けてあります。



振り返って読みたい方は

【】内を
クリック頂けるとご覧頂けます。


【「1・自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の 私)】
   ※4つの記事があります。

【2・「自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の 私)】
   ※7つの記事があります。

【3・「自傷と 共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※11の記事があります。

【4・「自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の 私)】
   ※現在執筆中











この「ぶろぐ」は


『癒待よすが-イエマチヨスガ-』


という
タイトルが付けられている。





「よすが」とは・・・
         物事をするに当たり頼りとなる事。
         より所。
        手掛かり。
     などの意味がある。





私は

いつか

この痛みが癒えて



痛みの訪れた意味を
この心で理解し
消化して



全てを納得し


自分の過程を卑下せずに


顔を上げて
迷い無く笑い



萎縮せずに人と関わり



生まれ

生きて在る事を

喜んで



日々を大切に

人を大切に
自分を大切に



残りを
生きてゆける自分に



いつの日か
辿り着ける事を願い




その時へと
繋がって在って欲しい日々を

書き放つ事で


生きて在れる事を信じて


ここを産み出した。



もう
誰にも
殺されたくないと。






しかし。


多くの足枷を
振り払えぬまま

月日は流れ



やっと

大きな覚悟を決められる
時が来た。





今年の7月7日から


わたしの人生の
半分以上を占める

摂食障害や自傷と
共にした日々を



書き

綴り始めている。






それを始めても

まだまだ行ったり来たり。



途方に暮れて

過去に嘆き


足踏みは
何度繰り返して居るか

わからない。





それも晒して
綴るやり方を


選んだ私が


このぶろぐが


正しいとは
私には言えない。



間違って居るのかも知れない。








父が

もしここを知ったなら。



深く傷付くだろう。

死にたくなるんだろう。





そんな事をしてる私は

大きく
間違っているのかも知れない。







実はね
 
父とは
今年になってから
数える程しか話していない。



私は

父との関わりの中で
 

父を庇い
面倒をみようとする程に


自傷に

呼ばれる事にも


気付いてしまったから。






その理由や過程も


イキザマを綴る記事が
そこに辿り着き

通り過ぎる時に

また

きちんと
記すのだろううけれど。



今年元旦から
父に伝えた。



あなたが変わらない限り
もう話さないよって。










いつも 。


大きな恐怖の中で
記事を書いて居る。



それでも

書き続ける事で


見付け

行き着きたい場所が在る。







父が失くしたものや

母の不足を


もう
私が背負う必要は
無いはずなんだ。







私は
もう十分に
大人になってしまった。



子供時代を

大きく欠かしたまま


幼児性を
全く卒業出来ずに
心に同居させたまま


ええ歳こいた
大人になってしまった。






両親に

守られ
教わりながらではなく



自分で闘い
戦って



血の繋がらない
多くの人達に
教えられ
育てられてきた。





もう

選んで
歩いて良いはずだ。










私は

やっぱり

書く事を選んだ。




言の葉は

私にとって
かけがえのない物だから。









摂食障害や自傷。


それを
始まりから書き始めて

2ヶ月が過ぎる。






偏在で在る事で

生き
繋いできた
私の過程は



振り返り
綴る程に

情けなく

汚い。






それなのに。

日々
たくさんのアクセスを
頂いて在れる事に



感謝して居ます。






大きな大きな恐怖を
目一杯抱き締めて
更新するぶろぐ。



気に掛けて下さる方々に


私は 日々



救われて居ます。


ありがとうございます。







過程を綴る記事は
短大生の私の
途中だったのにね。



書き始めたら

反れちゃった。。



短大も2年になり


父の為に家事をする生活から

私は
逃げ出す。



母の
妹の
置いて行った
ゴミの溢れる家では


吐かずには
切らずには
居られないから


私は

そこから逃げ出す。






その後

更に深い自傷に

苦痛に

囚われる日々なんて


まだ
欠片も想像出来ずに



新しい小さな部屋に

夢を詰め込んで居た。



そんなに簡単に


吐く事を
切る事を


止められる訳がないのにね。






次の記事は

そんな短大生の私の
続きを書くね。












一昨日ね

すごくかわいい
陽好みの色の
髪留めを頂いたの。


写真いちばん手前のバレッタ。




昨日は
早速着けて行った。




7月から
お世話になってる職場では
いつも髪を結んでる。



患者さんから見て
清潔感のある自分で居たいし


そこで働く自分に
自分の心も
ちゃんと準備して在りたいし


プライベートじゃないからね


髪はまとめてる。




でも

束ねるゴムが
剥き出しなのは嫌だから



バレッタや
シュシュを
今集めててね。



だから うれしかったぁ。




すごく楽しくて
大好きで
やりたい仕事なんやけど




体が思うようにならんでね




きつい勤務時間に

お守りが増えた。

ありがとう。







過去を晒し綴る事を
自分で
選んで在るにも関わらず



日々は

痛み

傷んで



これが
今の私の自傷かと

考える時も在る。



それでも
綴って来た言葉は
3ヶ月目に入る。





書こう。

それしか出来ないし

それを選んだのだから。



こうして書きながら


同時に産み出す歌に


全てを込めて
ステージに連れてゆこう。




私は

偏在なイキザマを垂れ流す

月下陽香のうたうたいだから。




癒えを待つ

ここは

私の「よすが」だから。




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自傷から抜け出せる夢を見ながら。(短大生・8)




私の共存した

「摂食障害」と「自傷」。


未だ
完全には克服出来ていないが


共存した20年間と


向き合って
生きる事を始めた
この10年を


記事として書き続けて居る。



小学生の頃から始まった
摂食障害や自傷と

その中で
私が
どんな環境で
どう暮らしてきたか

書き続ける記事は


「かてごり。」に

時代別に分けてあります。



振り返って読みたい方は

【】内を
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【「1・自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(小学生の 私)】
   ※4つの記事があります。

【2・「自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(中学生の 私)】
   ※7つの記事があります。

【3・「自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(高校生の 私)】
   ※11の記事があります。

【4・「自傷と共に生きて きた過程の始まりから。」(大学生の 私)】
   ※現在執筆中





過程を記す記事は



短大生の私を
書いて居るところ。








短大の2年生の私は


次の恋愛に
日々の居場所を感じて居た。


お金はなかったけど
苦痛じゃなかった。



小さな事
ひとつひとつが
彼との生活では
輝いて居た。





アナウンスの仕事は
どんどんと幅を広げていった。



あちこち飛び回りながら
週末の早朝は
コンビニでバイトをした。



それでも
学費の支払いは

いつも遅れてしまう。




深夜の
ファミレスのバイトも始めた。



どんなに時給が良くても
この頃は
もうホステスはしたくないと
思っていた。



アナウンサーをしながら
ホステスをする事は
禁止もされていた。



ファミレスのバイトは
深夜2時を過ぎるまで。



体が
上手く動けない事が増えて
仕事中に一度倒れて

それ以来
毎日
薬を飲まなきゃいけなくなったけど



この頃は

まだ目一杯若かったから
苦痛にはならなかった。



それよりも
すごく楽しかった。




深夜のバイトメンバーの
ほとんどは大学生で

同じ大学の
お昼間のコースの人もいたし

違う大学でも
みんなすごく仲が良くて。



大人の人も数人居たけど
気さくでやさしい
兄さん姉さんたちで。



みんなでよく遊びに行った。



2時閉店で
閉店作業を終えたら

そのまま
朝まで遊んでたりもした。



もちろん
朝から仕事だけどね。



それでも遊んでたなぁ・・



それまでがね

遊んだり出来なかったからかな。


こんなふうに
付き合える友達も
まともに居なかったからね。




友達が

いっぺんにいっぱいになって
楽しくて仕方なかった。





とにかく

家が嫌で。




家事さえ済ませたら

バイトか学校か彼の家。





家に居ると

吐きたくて
どうしようもないんだ。


切りたくて

たまらないんだ。





家から離れたら

全てがうれしく思えた。

全てが楽しく思えた。





でも。

そんなの長くは続かない。



神様は

必ず
次の試練を与えて

試してくるからね。






私は

まだその事に気付かずに

日々
目一杯遊んで
目一杯働きながら



手元に
やっと
ある程度のお金が出来た。



誰かの家の間借りでも

彼の家での半同棲でもなく

私は
家を出る事を決めた。


もう
ずっと前から決めてはいたけど

実行する事を決めた。



日々

父の為に家事をする事も
やめようと思った。



貯金をおろして契約に行った。
 





ちいさなワンルーム。



出来れば
遠く離れたかったけど

それをしたら
父を
本当にひとりぼっちにしてしまう気がしたし

学校も近かったから



家から出来るだけ近くに

部屋を決めた。





鍵を貰って

初めて

何も無い部屋に入った時


うれしくてたまらんかった。




自分の力で手に入れた

自分のお城だと思った。




小さな小さな冷蔵庫と

キッチンにはコンロがひとつ。

クーラーは付いていた。


お風呂は狭いユニットバス。

トイレは別が良かったけど

そういうとこは
家賃が高かったし

家電も付いてなかったから
それは我慢。



ロフトが付いててね

ここに布団を敷こうとか
思った。





少しづつ少しづつ

荷物を運んだ。



服や靴や雑貨

自分が欲しい物を

少しづつ運んだ。




まともな家具も

テレビも買えなかった。


ボロボロのラジカセは

持って行った。



カーテンと電話と布団

あと3段のカラーボックスは

いちばん安かった物を
何とか買った。





なんだか

継ぎ接ぎの部屋。




それでも

うれしくて


早く
そこでの生活を始めたかった。





父には何も言わずに

家を出る準備を
着々と進めていた。







ここでの生活が始まったら





吐くの辞めれるかも・・




なんて

在り得ない事を
真剣に考えてたりもした。




そんな簡単に

摂食障害から
抜け出せる訳がないよね。


でも

そんな気持ちにもね

なったんだなぁ・・







大きな夢を

小さな部屋に

いっぱい詰め込んでた。






ここでの生活が

その後

落ちて乱れてく事を


まだ

想像もしてなかった。




寂しさに囚われて


心も

体も


傷付けて

汚していないと

生きてられない時代が
近付いていた。










続きはまたね。
















昨日は

タイキさんと
2時間だけ
カラオケボックスで
練習をした。



水曜日の夜から
上手く歩けなくなって


自宅から10分かからない
カラオケまで

とてもとても遠かった。




先月は

2回しか練習も出来なくて

新曲がまだ固まっていない。



でも

今の陽には
2時間が限界。


しかも

2時間で10曲しか
歌う事が出来なかった。



立って歌う事も
出来なかった。





気持ちだけは
落っこちないように

いろんな話をしながら


ひとつづつ

大切に練習した。




井上タイキさんとの
月下陽香になってから

私は

ステージ衣装を着物に変えた。



着物は大好きだし

タイキさんとステージに立つなら

私が着物を着てる方が

絵面的にも
面白いとも思ったしね。




着物で歌うようになったからか


言われてる事がある。




月下陽香のライブを見た

外国人男性によると。。



「貴女はパティスミスのようだ。」


「もしくはニコのようだ。」


との事。




はてさて?

わからない。



時間が出来れば
YouTubeチェックしてみようと思うけど

その余裕が
今は無い。




タイキさんが

昨日
その説明をしてくれた。


パティスミスやニコとは

外国の
パンクミュージシャンらしい。



月下陽香は

パンクロックのおねえちゃんやと
感じて頂いてるようだ。




ふぅーん。。

そうなんやぁ・・


月下陽香は
ジャンルで分けたら

パンクになるんやぁ・・


こりゃ新発見☆



先日は
ある人に

情念の歌姫って
言われてたなぁ・・



以前は

ロックやねって
言われてたんやけど



いつのまにか

パンクになった?(笑)




月下陽香は

一体どこに向かってんのかな。





自分の表現を

人はどう感じて居るのか
知れる事で


考えたり

新しいチャレンジが見えたり

出来るのかもね。








今朝は

朝から通院。


歩くのが難しいから
少しでもマシになるように

足首と

膝に

サポーターも買ってきた。



納品を一件終わらせて出勤。




点滴もしたけど
上手く歩けてなくて

どうしたの?って
聞かれた。


自分の体調を
ひたすら
懸命に
隠してきたんやけど

さすがに
誤魔化せなくて


上手く歩けない理由を
少し伝えた。



そしたら

暇な時間くらい
座ろうよって


先輩が
椅子を持ってきてくれた。


有り難かった。





明日は
朝からのシフトやから
5時半起床。


今夜はまた
食べれんし眠れんなぁ。。






ぽんちゃんね。

夕べね。


テーブルの上に居た。



あまりに気持ち良さそうに

眠ってたから

叱れなかった。




しあわせなら

いいやって

思った。


生きてるだけで


この子は
とびきりの

良い子。




★。、:*:。.:*:・’゜☆。.:*:★。、:*:。.:*:・’゜☆。.:*


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自己紹介。

月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


このブログには
私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
共存して居た頃の出来事を綴った記事も
多く置いて居ます。


私にご興味を感じて頂ける
御訪問者さまや

初めてお立ち寄り下さった方は

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よろしくお願い致します。

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