❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

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     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
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※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

     ❤ 2016年11月6日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



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傷付けられた体と馴染めぬ苦痛。(中学生・7・終)




私は

7人相手に

蹴られて殴られて。



自習時間の教室。



髪を掴んで

ずるずると

引き摺り回された。




教室は

窓ガラスが割れて

机も椅子も散乱して。



クラスのみんなは

壁際に並んで


笑って観てた。






そんな前回の記事の続きを

今日は
書いてゆくね。









中1からの記事を

振り返りたい方は


7月16日の

【裂けた皮膚。赤い血肉。 】

7月18日の

【奪う女。千切れた糸。 】

7月20日の

【殺される虚言。】

7月21日の

【バケツの嘔吐と血とゴミと少女。】

7月23日の

【自傷に生かされて壊されて。】


7月25日の

【心も体も傷付き過ぎて。壊れてしまう。】

 (【】内クリックで飛んでね。)



摂食障害と自傷の

始まりである

小学生の出来事から
振り返ってみたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】



ここに

小学生の私の記事を
置いています。

※(【】内クリックで飛べます。)













引き摺られながら。


急に

全てが
あほらしくなった。




髪を掴む手が緩んで

床に転がった。





帰ろうと思った。




こんな
理解出来ない世界に居るのは


もう
うんざりだと思った。






起き上がり

教室を出て

ゆっくりと歩き

学校を出た。



後ろから

脅す声が
声が聞こえたけど。



追い掛けても来ないし



もう
どうでもいいって

思った。




ここまでされる理由が

私には見当たらなかったし

理解出来なかった。








帰ろう。

でも。

どこに?






その日に限って

父親が家に居た。



言葉にする事が
苦手な父は

すぐキレる人。



夫婦喧嘩でもそう。



言葉を叩き付ける母に

言葉で対抗できないから



キレて

壁に穴が空いたり
ガラスが割れたり。





そこに

こんなボロボロの姿で帰れば

騒ぎが
でかくなるだけだ。




誰も居なければ
家に帰ったけど

帰れなかった。





財布には

バイト代が
1000円弱
残ってた。



とりあえず電車に乗った。

いろいろ考えた。




最近
やさしくしてくれる

母のとこに行こうと思った。





当時母は

百貨店に
小さな店を出してた。



1階の
ガラス扉の外から
母を探した。



じっと見てた。

ずっと見てた。




しばらくして

外を見た母の視界に
私が入った。


母が出てきた。


どうしたのかと聞かれた。




私は
言える事だけを言って

学校に行かないと言った。



初めて
自分の意思を
母に言った時かも知れない。




母は

それなら
行かなくて良いと言った。


否定されなかった事に
驚いた。


母が言うなら
他に怖いものはない。





私は

家に帰った。



風呂に入ったら

あちこちがしみた。



引っ張って
引き摺られた髪が

たくさん抜けて

排水溝に溜まって。


頭がズキズキ痛かった。




制服は

あちこち汚れて。


そのまま
ハンガーに吊るした。








翌日から

学校に行かなかった。



学校から

電話がかかってきた。



私が帰ったあと
騒ぎになっていたらしい。





担任が家に来た。


中学には行かずに
高校受験をすると伝えた。



全家事をする事と
高校に合格する事。

母が出した条件。






週に2日。

家庭教師のお姉さんが来た。


教科書の勉強を
そのお姉さんから学んだ。


お姉さんは

細長くて清楚で


私が問題を解いてる間は

いつも本を読んでる。



問題が解けたら
声を掛けてねって
言われるんだけど。



面白い所を
読んでたら悪いなって思って

いつも
声を掛けられなくて。



なんだか
しんどかった。



でも

学校に居るよりは
良かった。







とてもマイペースに

切ったり
吐いたりしながら。



学校がある時間に
スーパーへ行く以外は

家に閉じこもって過ごした。




家に

今みたいに

当たり前に
パソコンがある時代やなかったし

情報は
何も入ってこない。



ただ

テレビのワイドショーで

摂食障害や
リストカットが

取り上げられてるのを見た。





私は

これかもしれないと。


その頃初めて思った。



「摂食障害」って言葉や

「リストカット」って言葉を

初めて知った。



誰にも言えなかった。









しばらくして。


今度は

校長が家に来た。



どうか
学校に出てきてくれないかと。


出来る限りの
配慮をするからと。




校長は
何度も来た。







卒業式も間近になり。



私は学校に行った。



置きっ放しの荷物も在る。




始業のベルが鳴って

廊下で
教室に入ろうか悩んでたら

担任に見付かって



教室に入った。




みんな
びっくりしたよな
顔をした。


誰も何も聞かなかった。




荷物をまとめて
帰ってきた。






卒業式には出た。



中学の
最後に貰った通知表。




私の欠席日数は

「0」。


ゼロって

記入されてた。





職員室の真横の教室で
起こった出来事は

多分
表に出されると
困る事だったんだろうなと



15歳ながらに

感じた。







私は高校を受験した。


合格した。








次からは

高校生の私を
書いてゆこうと思う。













小学生の頃からの事を

書き出す事を始めて。

改めて
いろんな事を思い出してる。




この

私が
経験してきた事実を

足跡を書き記す行為は



この先も

時々寄り道しながら
現在の私まで
続いてゆくだろう。




生きる事が

何よりも苦しくて
たまらなかった
長い長い年月。





その理由の全ては

親でも環境でもなく

自分がイカレテルからやと
弱いからやと
思ってきた。


自分だけのせいに
しなきゃいけない気がしてた。




でも

今は
それは違うと考えている。





私がこうなった原因は

父にも母にも

環境にも

在ったはずだ。




物事には

全てに

理由があるはずだから。






それをひとつづつ

見付けて認めて

10年を過ごし直して。




今の私が居る。



今でも

毎日は
偏在な自分との闘いだ。



普通ではない事に

痛んだり

悩んだり



関わるバランスも
わからなくて

神経すり減らして

繰り返し繰り返し。






それでも

今の私は
生きて在る事が
しあわせでたまらない。





別に

親や環境を責める為に
書いている訳ではない。



私の為に
必要だと感じて
書き始めたし



苦しんだ時代が

今苦しんでいる
誰かの心に

何か感じれるもので
在るならば

有難いと
思う。













新しい仕事に就いて

やっと1週間。


ものすごく難しい。



「研修中」の名札ぶら下げて

毎日毎日
勉強しながら
覚える事に必死。




職場の人達は

優しいけど

雑談に
参加してる余裕も
まだ全くないや。






そこでは

月下陽香の陽ではないから


音楽活動も事も


本職の
陶芸の仕事との
かけもちである事も


薬飲まなきゃ
動けない体である事も



何も言ってない。




仕事を覚えて
一人前になってから


少しづつ

必要に応じて
わかってもらえたらいいと

思ってる。





仕事は
楽しいと感じてる。



私の体には
ものすごくキツイけどね。








今日は朝の勤務でね。


昼1時過ぎに
職場を出て


帰り道。



職場から駅へ向かう

途中にある公園で

ベンチに座って
一服してた。



もうくたくたで。


タバコ1本だけ吸って
帰ろうって思って。


職場は禁煙やしね。




ぼんやり
ぷかぷか
タバコふかしてたら。。




お昼ごはんを
食べに行く店長が


私の前を歩いて行った。。




え″え″え″え”ぇぇぇぇ~・・・(汗)





私ってバレバレやから


「お疲れさまです。」って言ったけど。



本性バレてしもた?

って感じ・・?





あとで
ギタリストさんに言ったら


もう
化けの皮が1枚
剥がれたかねって

笑ってはった。


ほんまやぁ。

早速剥がれたわぁ。。





さぁ。

これから

どないなってくかいな(笑)


月曜日

店長
突っ込んでくれはるやろかね。




人間って


怖いけど


おもろいなぁ。






金魚のモビールで

癒やされとこか。。





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体も心も傷付き過ぎて。壊れてしまう。(中学生・6)





摂食障害と
自傷を知ってから‥



今日までの出来事を

書き記す事を始めて。





今日

ここに綴るのは



毎日が辛すぎて


歳を偽り
嘘を並べて

スナックで働いてみたけど


すぐに辞めて。



自分より

恵まれた環境で暮らす
同級生たちが



憎くて


羨ましくて

たまらなかった



15歳の私を書いた

前回の続き。





吐く事も
切る事も


やめられないまま


日々は
絶望に溢れてた。





参加してた
社会人バンドも

受験があるからって事にして
辞めた。

塾も辞めた。







中1からの記事を
振り返りたい方は



7月16日の

【裂けた皮膚。赤い血肉。 】

7月18日の

【奪う女。千切れた糸。 】

7月20日の

【殺される虚言。】

7月21日の

【バケツの嘔吐と血とゴミと少女。】

7月23日の

【自傷に生かされて壊されて。】




摂食障害と自傷の

始まりである

小学生の出来事から
振り返ってみたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】



ここに

小学生の私の記事を
置いています。
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家の中は

明らかに
おかしい事になってた。




帰りが遅かったり
帰って来なかったり


子供の私から見ても


母親の心は
外のどこかにあると感じた。




相変わらず
抑圧も束縛も
激しかったけど



私の部屋を
勝手に荒らして
あちこち調べまくる事も

あまりしなくなった。




仕事が楽しいとか

もっと働きたいとか


よく話すようになった。



父の事が嫌だと

妻である私を
わかってくれないと

私は今まで
こんなにがんばってきたと


今まで以上に
言うようになった。





私の上司の事が

よく
会話に出てくるようになった。



良い条件で働けるように
力を貸してくれたとか
言ってた。




母親は

それまでよりも

私にも妹にも
やさしくなった。


あの
異常にヒステリックな声を

聞く回数が減った。





母の会話から

私は


母にまで
いろいろと
世話をしてくれて


上司は
本当に良い人だと


とても信頼して居た。








両親のケンカは
ますます増えて。


扉のガラスも

あちこちが
割れてなくなったまんま。






15歳の私は

その原因は
父親にあると思ってた。





母が

やさしくしてくれる事が
増えたのが
うれしくて。



私も妹も

毎日のように

一生懸命になって
父の悪口を聞いて。



母を慰めたり

理解の言葉を掛けたり
していたけど。




交代勤務の会社員である
父とは


話をする機会も
少なかったし


上手く言葉に出来ない時や

気に入らない時は


父は突然キレる人で


それがめちゃくちゃ嫌いで
軽蔑してたから



そんなお父さんも
悪いんやろって


そう 思ってた。







大人の私から思えば


父も母も

どっちもどっちやねんよ。



両親共に
欠陥品。





けど。

その時は

母に
洗脳されてたんやろね。


母は

父の居ない時間を狙って
私達子供に
いくらでも
なんでも言える訳だ。




結局は


もう
その頃には

母は
着々と


準備してたんやわ‥。






その時は
何も気付かずに


私も妹も
母のミカタだった。





母親が帰ってこない夜は

当たり前に
父は不機嫌だ。



お母さんはどうしたんだと

私達娘に聞く。


父の夕食を作りながら

何も知らないと答える。





あの家は
父にも地獄だったろうと

今なら思う。


孤独やったろうなと。







翌日母が帰ってくると

また
激しい夫婦喧嘩。







私達姉妹は

もう別れた方がいいよって

言った。




離婚しなよって。




親に言った。






一体これからどうなるのか

15歳の私には

想像がつかなかった。




いつの間にか

母のミカタになってはいても




本当に離婚となれば


母に
ついて行く気持ちは
欠片も無く。




そうなれば

母親から離れられると




少し
わくわくもしてたんだ。












学校は

相変わらず
居心地が悪かった。



教室のみんなが
うざかった。


だからって
トラブルは面倒やから

極力
人と距離を置いた。








クラスには
足の悪い女子がひとり居た。


生まれつき足が悪くて
手術を繰り返してた。



身長は
小学生の低学年ほどで止まって


足を引き摺るように
体を揺らして
一生懸命歩く人だった。




席替えで

すぐ近くの席になって。


話すようになった。




何回か
家にも遊びに行った。


何でも話す程の
仲じゃないけど


休憩時間はに喋ったり


お昼を
一緒に食べる事が増えた。



家が同じ方向だから
一緒に帰る事もあった。











その日は

先生が休みで。



授業がひとつ
自習になった。



自習時間なんて

真面目に勉強してんのは

クラスで1番や2番の
頭の良い
真面目な子だけ。




先生が居ない教室は自由。



あとのみんなは

休憩時間みたく
わいわい話して遊んでた。





クラスには

仕切りたがりの
女子が7人居て。


ちょっと派手な
目立つ子たちね。


彼女たちは

私の
中1の時の事を知ってたから

距離を置いてたけど。







その時
私が

足の悪い子と話してたら。



仕切りたがりの子達が
その子に

人として
言うべきやない
言葉を言った。





その子は笑って
うつむいて
黙ってたけど。


私は
むかついた。






私は言い返した。



7人が一斉に
食って掛かってきた。



足の悪い子だけは
守らなきゃいけないと
思った。




言い争いになり


1人が
私の胸倉を掴んだ。






7人対1人。



他のみんなが

めっちゃ楽しそうに
笑って観てた。



7人が
私を

殴ったり蹴ったり。



私は
椅子を振り上げて抵抗した。


窓ガラスが割れた。




みんな

壁際に並んで
笑って観てるだけ。





髪を掴んで
教室中
引き摺り回された。


セーラー服の胸がはだけて

スカートが
捲り上がって


ずるずる引き摺られて。




その時の教室は
職員室の真横。


授業中の静けさの中。



職員室から
駆け付ける先生は
ひとりも居なかった。





ボコボコにされながら
思った。










帰ろう。






もう学校辞めよう。











私が
自分なりに必死で守った

足の悪い彼女は



笑ってこそなかったけど。



みんなと一緒に

壁際に逃げて




私を観てた。















続きは

また次に書きます。





新しく仕事を増やして


暑い中
お留守番させる時間が
増えたから


ぽんちゃん散髪しました。


短くしても かわいいんだなぁ。。


癌と糖尿病で
18歳の体


がんばって欲しい。





少し前から作ってた
塩糀と醤油糀。


塩が足りなかったか
塩糀は失敗。



醤油糀は
おいしくなったよ。


どうやって
食べよかなぁ。。







新しい仕事に

体は
既に絶不調。

やばいなぁ。


でも踏ん張りたいなぁ。


どこまでやれるか


やってみにゃ
わからんしね。





私。



多分ね

今まででいちばん

しあわせやから。



噛み締めて


踏ん張って


その過程を

こうして

晒してく。




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自傷に生かされて殺されて。(中学生・5)




摂食障害や自傷と

生きる事を
始めてからの出来事を



書き続けている。





今回の記事は

中3になった私。





学校は

毎日は行かなかった。



母親が

帰ってこない時は



父と妹を送り出せば

家でひとり。




天国だ。




吐こうが

切ろうが


人と関わるよりも

ずっと楽しかった・・。




明日どころか


今日が

もう闇だった。













小学生の頃から

始まった

摂食障害と自傷。




中1からの記事を
振り返りたい方は



7月16日の

【裂けた皮膚。赤い血肉。 】

7月18日の

【奪う女。千切れた糸。 】

7月20日の

【殺される虚言。】

7月21日の

【バケツの嘔吐と血とゴミと少女。】



摂食障害と自傷の

始まりである

小学生の出来事から
振り返ってみたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】



ここに

小学生の私の記事を
置いています。
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社会人バンドは

まだ続けてたけど

辛くなってきてた。


ほんとの私を知ったら・・って

恐怖ばかりが大きくなって



前程行かなくなった。





高校には

行く気がなかった。


行きたくなかった。


もう学校は嫌だった。


早く働きたかった。


自分で稼いで

家を出たかった。





夢は

ラジオのアナウンサーだったから


放送局でのバイトを続けながら

上司に相談をした。



本気で

ラジオの仕事をしたいなら


学歴は必須だと言われた。


嫌いな学校に行かなきゃ

夢も叶わないんやと

知った。






両親のケンカは

相変わらず増え続けた。



母は

相変わらずヒステリックで


私に

母の理想を押し付けてきた。




顔を合わせば

愚痴を聞かされた。



幼少期から

たくさんの

愚痴を聞いてきた。




父の悪口を

たくさん聞いてきた。




学歴がないだの

稼ぎが悪いだの

父の家族がおかしいだの

散々聞いてきたけど。




その内容が

今までよりも

リアルになってきた。



父とセックスをしたくないとか

その内容がどんなものかまで


子供の私に

言う必要が在るやろうか。




私は

この両親が

セックスしたから

生まれてしもたのにね。




それでも

私は聞き続けてきた。





自分の思い通りの私でないと

許してくれない母親だけど




私の

放送局のバイトにだけは

協力的だった。





私は

もっと後に

その理由を知る。



母親が

その後

私の上司を愛して

家を出てゆく事。





でも

その頃は
何もわからなかった。









学校では
進路指導が始まった。



私は
高校に行く事にした。


やっぱり
アナウンサーになってみたかった。





中2の春までは
クラスで5番以内だった成績は

中3の春には
下から数えた方が
早いくらいになってたから



どこでも
行けるわけやなかった。




いちばん行きたくなかった
学科の高校しか

選べなかった。




出来れば
高校やなくて

放送関係の
専門学校に行きたかった。




両親には

そこは
金がかかるから
ダメだと言われた。





働こうと思った。



放送局のバイトは
時給700円くらいだった。



もっと
金になる仕事をしたかった。



母親が
帰ってこない日も増えて



父が夜勤勤務の日は

妹とふたり。






母は

私が小学生の頃から
たくさんの習い事をさせた。

学習塾に英会話
くもん教室
そろばん
ピアノに習字。



中学に入って
全て辞めたけど

中3になり
塾には行かせてくれた。


と言うか
行かされた。





妹に

塾に行くと言って
出掛けた。



母親が使わなくなった
自転車をこいで


公園で化粧して


場末の小さな

カウンターだけのスナックを
目指した。




18歳だと言った。

高校落ちて
就職も無いって

嘘を付いた。


緊張で
体が震えた。



母親より
年上のママが
雇ってくれた。


私は
「あき」って名前をつけられた。



ドキドキした。

怖かった。




カウンターの奥

カーテンの向こうは

人がふたり入れば
全く動けないほどの
小さな調理場。


冷蔵庫と
ガスコンロがあって。


私は
冷蔵庫の陰に隠れて
カーテンの隙間から
店を覗いてたら

客が入ってきた。



出て行けなかった。



ママが呼びに来て
足が震えた。



水割りの作り方から
教えてもらった。


カウンター越しに
知らんおじさんと
話さなきゃいけないんやけど
まともな会話も出てこん。



それでも
がんばってみた。



何でも飲んだ。

デュエットもした。


売り上げ上げるために

客にねだって

出し巻きやら
焼きそばやら
チョコレートやら

注文して
食べては

トイレで吐いた。




10日程務めた時に
ママに言われた。


「吐いてしまう程
がんばって食べやんでもええよ。」



吐いてる事がばれたのが
ショックやった。


年齢誤魔化して

こそこそと
働きに行くのも

もう辛いと思った。



その日で辞めた。











学校に行けば


母親が作ってくれた弁当持って


当たり前に小遣い貰って


その小遣いで
欲しい物買って


脱ぎ捨てた服は
当たり前に洗ってもらえて


朝起きれば
食事が出てきて


帰れば
何もしなくても
夕食が出てきて


観たいテレビ観て


家に友達を呼べて




洗濯機の使い方も
知らんよな子が



いっぱい居た。


うようよ居た。





当たり前に食べて


吐きたいなんて思わなくて


ちょっと指先を切ったくらいで
やたら痛がって


自分で切るなんて
考えられない



そんな奴が

うじゃうじゃ居た。






悔しかった。

悔しくて

たまらんで

憎かった。




みんなが

当たり前に持ってるものは


私には
ないものばかりだった。







悲しかった・・。


















昨日は

新しい仕事の
初日だった。



本職の陶芸だけで
食べていくには

作陶作業で傷めた体には
どんどん厳しくなってきて。



体への負担も
大き過ぎる上に

収入も不安定過ぎる。



収入に縛られて
やりたい創作が
出来なくなってゆく現状にも

数年悩んできた結果。




選んだ仕事。




職場の方々は

とてもあたたかく
迎え入れて下さった。



陶芸も

ねこちゃんのお世話も

自分の通院も

続けながら通えるだろう

1日5時間程のシフト。





家から最寄駅まで徒歩10分。


10分電車に乗って

そこから徒歩10分で

職場に着く。



職場と
職場の最寄り駅までの

たった
徒歩10分の為に

自転車まで用意して
駅に預けて下さっていた。





私はまだ

このブログの事も
この正体も

晒して居ない。



だからと言って

嘘の自分を演じて
勤務している訳でもない。




この仕事の経験は無い。
初めての仕事。

20代の若い私でも
もうない。




それなのに

あたたかく
迎え入れて頂いて

しあわせだと思う。






昨日1日で

体は悲鳴あげてるけど

がんばりたい。









この仕事を選べるまでに

そして
本職の陶芸を
趣味を越えて
仕事とするまでに



私は

私なりに

ものすごい
努力をしてきた。





今回の仕事も。


まわりのみんなは
体も動けて

遊びにも行ける中



置いてきぼりの気持ち
いっぱい
いっぱい抱き締めて



動けなくなって
収入も激減した中

必死でやりくりして



通信教育で

ひとりで踏ん張って
資格取得して

仕事を得た。







私ね

自分で言う事じゃないけど

今の私
昔よりも
ずっと
ちゃんとがんばってるなって

思う。



毎日

一生懸命
生きてるなって思う。



そして

そんな自分が
昔より好き。




やっと好きになれた自分を

ちゃんと愛して

大切にして

人と
真っ直ぐ向き合いたい。








ここまで来るのにはね

摂食障害や自傷と共存した
20年と

そこから
抜け出す為に

闘ってきてる
10年

30年かかったよ。


かかりすぎやね(笑)




その30年を

こうして
ここに
綴ってく。


まだ
中3の私。


これからが

恐ろしく長い。



書き終えるまで

死ねないや(笑)



どうかね

見守って居て下さい。


今日も

ランキングのクリック
よろしくお願いします。



ぽちっと応援してね。







バケツの嘔吐と血とゴミと少女。(中学生・4)




人生の
半分以上の

長い長い
付き合いとなる



摂食障害と自傷。






始まりからの出来事を

書き出し

放ち始めて




今日は
中学2年になった
私を書く。






中1からの記事を
振り返りたい方は



7月16日の

【裂けた皮膚。赤い血肉。 】

7月18日の

【奪う女。千切れた糸。 】

7月20日の

【殺される虚言。】



摂食障害と自傷の

始まりである

小学生の出来事から
振り返ってみたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】



ここに

小学生の私の記事を
置いています。
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保健室で

しゃくりあげて泣き続けた
13歳の私は


大人を信じなくなった。





私は異常なんやと。


みんなとは違うんやと。


自分なりに確信した。






保健室の先生は

時々
話し掛けてきたけど


私は
もう
必要な事以外話さなかった。









春が来て

中2になった。




クラス替えがある。




クラス内の人間関係を


やり直せるチャンスが来た。




始めは
出席簿の順番で座らされた。


とりあえず

後ろの席の子に

話しかけた。



とっても真面目な良い子。


自分とは違い過ぎて
何だか気が重たくなった。








でも

なんとなく


お昼を一緒に食べたり
休憩時間に話をしたり


そんな子は出来た。



アイドル雑誌を
みんなで見ながら
騒いでたりね。


そんな時間が出来た。







だけど
それは学校の中だけ。




学校が終われば

私には


バイトも家事もあるし


家に 友達も呼べないし。




吐いてる事
切ってる事

親の事も


知られないように必死で




心はいつも
びくびくしてた。





だって 私は
みんなと違う。



異常やから。





結局は
誰と居ても
落ち着かない。





自分だけが

いつも浮いてるから

悲しくなるんだ。





切りたくてたまらなくなる。









しばらく行ってなかった
非常階段に隠れて

腕を切る。




安堵と共に

自責が

胸いっぱいに溢れて



飛び下りたくなる。








学校には
もう楽しい事なんてない。





私の気持ちは
外に向いて行った。




中1からお世話になってた
放送局のバイトに行くと

たくさんの大人が居た。



学校とは違って
かっこいい大人も居た。


イベントの裏方とかに
駆り出されると
わくわくした。



そこで 社会人バンドを見た。
めちゃくちゃ
カッコ良く思えた。


裏方の私にも
話し掛けてくれて

私は
そこで
時々歌うようになった。





14歳の私と

当時
30代後半から40代の
お兄さん・お姉さんたち。




両親が居ない日は

時々歌いに行った。




車で迎えに来てくれる。


自転車なんか
買ってもらえんでも
平気になった。












母親は

時々

すごく遅くに
帰ってくるようになった。



父親は不機嫌だった。






でも

母親の機嫌さえ良けりゃ

我が家は

とりあえず平和。




男と女である
夫婦である
父と母には



既に
いろんな事が
起こり始めていた事が


今ならわかるけど。



母親が
家に居ない時間が

長いほど



私には天国だった。












家でも学校でもない

新しい
居場所が出来たから


学校には
出来るだけ行った。







学校では

いじめられっこタイプの子たちが
話し掛けてくるよになった。



地味で
おとなしい子たち。




その子たちが

何かした訳でもないけど



交代で
標的にされてたよ。




シカトされたり

靴隠されたりね。




他にも
地味な子も
おとなしい子も居るのに


標的になるのは
決まってその子たち。





私にはどうでも良かったけど。







ある時突然

私にも
その順番が回ってきた。




昨日まで
話し掛けてきてた
いじめられっこちゃんたちまでが



私を無視した。






クラスの目立つ子達が

こっち見て笑ってた。



おとなしい子たちが

目を反らした。






みんな
自分が良ければええんや。



こうすれば
この子たちは

しばらくの間
みんなに
仲良くして貰える訳だ。













家では

両親のケンカが増えた。




父親の拳が
白い壁に
穴を空けた。




母親の
ヒステリックな声が
響いた。









2階の自分の部屋で

聞いてて吐き気がした。





トイレのある1階では


両親がもめてるから




ベランダに出て


バケツに吐いた。







腕を切って


嘔吐物の上に垂らした。





翌日から



炎天下に
放置されたバケツは




異臭を放ち



えずきながら



バケツごと

ゴミに出した。








ゴミは私だと思った。









学校に行けば
相変わらず。




人間関係は

やったもん勝ちなんやなと


思った。







ゴミに出したバケツが
誰かに見付かってないか


ドキドキしてた。





悲しみと苛立ちが
吹き出した。








私は

時々
いじめの標的になる

ある女の子の

机の前に立った。






別に

その子が

嫌いな訳じゃなかった。







それなのに

その子に向かって
大声を上げた。





母親にされるみたいに。





みんなの前で

机を蹴り


ものすごい暴言を発して


責め続けた。






みんな笑って見てた。



さっきまで
無視してた奴が
話し掛けてきた。






私は
しばらく彼女をいじめた。








ものすごい罪悪感が

心の真ん中

日々の苦しみを
更に大きくした。






こんな事してまで

こんな
偽物の居場所が
欲しいのか・・








後悔をした。


ものすごく
後悔をした。




彼女を
理由なく攻撃して

傷付けた事。









今の彼女が
どこで何してるかなんて
知らない。



今の彼女にとっては

当時の心の傷は

もう痛む事のない
ただの傷痕かも知れない。





けど
私は


確実に
彼女を傷付けた。



その心に
傷痕を残したんだ。



















続き。

また
書くね。



そろそろ
中学3年生かな。












いろいろな事を考えて


明日から

ひとつ
仕事を増やす。



陶芸作家だけで
暮らしてくには


やりたい創作を
諦めていかなきゃいけないし


不安定やし。



全く違う世界の


やった事ない仕事やけど


ずっと
医療関係の仕事を
したかったから


資格を取得して


明日から
白衣着て
そこでの勤務を始める。



音楽活動の事は

まだ言ってない。



多分

普通の人やと
思われてる。



近い未来に

全部を知られても


私を
受け入れて貰えるように


大切に
勤めてみる。





初めての世界で

自分なりに
初めて挑戦してみる
人間関係。



ひとつずつ


自分の自信を


自分で
育ててゆきたい。






殺される虚言。(中学生・3)




今月から。



20年以上も
共存する事となった


摂食障害と
自傷を始めた

小学生の頃の私を
書き綴り。



引き続き


自傷が本格的になってゆく

中学生の私を


書き放ち始めてる。





今日は
その3回目になる記事。





中学になり

腕を切る事に
快感を覚えた頃の

過去2つの記事は



中1からの記事を
振り返りたい方は



7月16日の

【裂けた皮膚。赤い血肉。 】

7月18日の

【奪う女。千切れた糸。 】



摂食障害と自傷の

始まりである

小学生の出来事から
振り返ってみたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】



ここに

小学生の私の記事を
置いています。
(【】内クリックで飛んでね。)










幼い頃から


私を縛り付け

抑圧で
押さえつけてきた母親が


外に働きに行くようになり。



私は


掃除・洗濯・炊事

日々家事に追われるものの



母の居ない時間が
うれしくて仕方なかった。





でも

それも束の間。




私の部屋を

タンスの引き出しや
机の引き出し


全てひっくり返して



彼氏の存在を知った母親は



彼の自宅に電話をして


私達を引き裂いた。






それまで

毎日一緒に居て


トイレに行くのも
お弁当食べるのも
一緒なくらい

仲の良かった

彼と共通してた
友達たちは



うちの母親が
彼の親にした事を知って



私から

だんだんと
離れて行った。





中1生活も

半分以上が過ぎて


みんなそれぞれに

仲の良い子達も
決まっていて




私は
今さら
他のグループに
入ってく事も出来なくて。



ひとりで居る事が増えた。





まだ
いじめって言う程に
発展はしてなかったけど


ひとりになった。





彼は
学校で
とっても有名やったから



そんな彼と
付き合っていた
私の事も



私はその子を知らなくても

知られてた。





可愛がってくれてた
先輩たちも

私を
無視するようになった。





休憩時間が
すごく苦痛だった。



授業中は
座ってりゃ良かったけど



それでも


体育の授業や
家庭科の授業なんかは


誰かと
組んだりしなきゃいけない事が
やたら多くて。




気の弱い
先生が声掛けなきゃ
動けないような
あぶれた子と


組まされるようになった。






弁当も
作らなくなった。



友達と
おかずの交換とかしながら
一緒に食べて



そんなのも
無くなったから


持って行かなくなった。






昼休みは
とても長くて。



非常階段の
いちばん上の踊り場は



どの教室からも

職員室からも


見えなかったから




そこに行って
しゃがんで



少しだけ見える廊下を
歩く人達に
見付からんよに



こっそりと

楽しそうに歩いてく
みんなを見てた。





母親に
別れさせられた彼も

時々
見えた。



友達と

めっちゃ楽しそうやった。






昼ごはん食べずに

そこで腕を切った。




切って

血を指ですくって

階段の
錆びた手すりに
塗り付けた。




体育の時間も

そこで過ごす事が
増えた。





学校に
行きたくなくなった。




でも
家にも居場所は無い。




朝家を出て


両親が出勤するまで


あちこち
ぶらぶら歩いて
時間つぶして。



制服で
うろついてるのが
大人に見付かると

母親にばれるから




大きな団地の
空き部屋前の階段とかで


時間が過ぎるのを待ってから


家に帰った。




近所のおばちゃんに
見付からないように


そぉーっと帰った。






バイトで稼いだお金は

持ってかれるから

母親にはいつも
少なめに申告して

隠してた。





それで

菓子パンとか
スナック菓子買って



誰も居ない家で

食べて吐いて。



ゴミは
見付からないように

夕食準備の為に出掛ける
スーパーのゴミ箱に捨てた。




父親が
交代勤務をしてて。



夜勤の日は

昼間うちで寝てるから


家にも帰れなかった。





そんな日は

学校で

非常階段で
切りながら過ごした。






どんどん
まともに食べなくなっていった。



食べても吐く。


トイレで
吐く姿を思うと



自分は

本当に最低で
醜いと思った。


ダメな人間だと思った。



おいしそうに
普通に食べてる人が


羨ましくて

憎たらしかった。





私は

みんなと違う。



狂ってる。










月曜日の朝は

校庭で

生徒全員での
朝礼があって。


校長先生の話とか
聞かされる。




まともに
食べなくなったから


お決まりのように
倒れては


保健室に運ばれた。





いつもは
私以外にも

ひとりやふたり

貧血で
運ばれてくる子が居て。







でも

その日は

私だけだった。





保健室の中

私と先生の
ふたりだけ。






保健室の先生は

私の体育の先生の奥さんで


私の事を
私が思ってるよりも
知っていた。



毎週運ばれてくる生徒が

ご主人である
体育の先生の授業に
出て来ない子やったからかな。




朝ごはんは
食べてきたかとか


生理は
きちんとあるのかとか


学校は楽しいかとか



話し掛けてきた。







私は
訳がわからんくなった。



コントロール出来なくなって。






うわーって。

泣きだした。






母親の事

母親の押し付けに
耐えられない事

必死になって
喋り出した。





言葉が途切れるくらい

しゃくりあげて
泣きながら



母親に言われる事
される事

喋り出したら
止まらなかった。




涙って
いつまで出るん?って

怖くなるくらい


泣き続けた。





1時間目の授業の前の
朝礼で倒れて
運ばれてから


お昼休みになる頃まで


泣いて
喋り続けた。





先生は

聞いてくれた。




わかってくれてると思って

喋り続けたけど。










普通の子よりも
過敏で


成長期の女の子の

不安定から出た

「虚言」やと



判断されてた。





悲劇のヒロインになって

かまって欲しくて

並べた嘘。






そう

判断された。


要注意の生徒。











私は

大人を信じなくなった。










中学生の私。



次は
中学2年生の私を

書いてゆこうと思う。







過去を

こうして書いてると

いろんな事思い出す。





私の

20年。

摂食障害や
自傷と過ごした

長い年月。






その時代の私は


ずっと



早く 早く
死にたかった。









奪う女。千切れた糸。(中学生・2)






摂食障害と自傷。




人生の半分以上にあたる

20年以上。







今月から

その始まりからの過程を

記事に残してゆく事を始めた。




七夕の日から

4回に分けて

摂食障害の始まった
小学生の頃の事を書き記し





前回からは

中学生の私を
書き始めてる。





前回の記事は


7月16日の

【裂けた皮膚。赤い血肉。 】



摂食障害と自傷の

始まりである

小学生の出来事から
振り返ってみたい方は


「かてごり。」内の

【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】



ここに

小学生の私の記事を
置いています。

(【】内クリックで飛んでね。)










今日は
この続きを書こうと
思うんだけど。





その前にね。



お知らせさせてね。





14日のライブ

名古屋からご来店下さった
真美ちゃんが


ご自身の大切なブログに


月下陽香のライブレポートを 書いて下さいました。




まささんの写真と共に綴られる
真美ちゃんの言の葉。



是非 ご覧下さいッ!!!


★真美ちゃんのブログ「loop」★

【月下陽香in大阪 あびこ「ビートイン」】

(【】内クリックで真美ちゃんブログへGo♪)











さぁ。

今日の本題。





中学1年生の私。





食べても
吐いてしまう回数は

どんどん増えていった。





中学は
給食やなくてお弁当。



自分で作ってた。

母親は
弁当作ってくれる人やなかったし




何回か作ってくれた弁当は


弁当箱の半分に


はんぺんとちくわを
醤油と砂糖で
甘辛く煮込んだ物が

汁ごと
詰め込まれていて。




半分には

カチカチに固まるくらいに
白飯が
ぎゅうぎゅうに
詰め込まれていて。




弁当箱の中

煮物の汁を
吸いこんだ白飯が
薄茶色になって



白飯が
吸い込みきれない煮汁が
弁当箱の包みに沁み込んで。




恥ずかしくて
友達と食べられないから



自分で作って持って行った。 




友達のお母さんが
卵焼きを綺麗な黄色に焼く方法とか
教えてくれた。





始めの内は
弁当はちゃんと食べてた。



一緒に食べる友達も居たし


学校では
吐きたくならなかったから。






切るのは
学校でもやった。




胸ポケットには
いつもカミソリが入ってたしね。





中1の夏休みに
初めて深く切ってから


その快感に
どんどんはまっていった。




皮が
ぱかって開いて


肉が見えて

血が出てくると



もう
めちゃくちゃに
気持ち良くてさ。




わぁーい
血だぁって。


そんな感じやった。






母親の抑圧は
相変わらずで



自分で稼げない内は

意見をするな
我慢しろって

いつも言われて



毎日地獄やったけど。





学校には
彼氏も友達も居たからね



吐いたり
切ったりしながらも



まぁ
何とか
バランス保ってたかなぁ・・









そんな私にも

夢があった。



ラジオのね
アナウンサーに なりたかった。





親は小遣いもくれないし

すぐにでも
働きたかった。




中学生やから
すぐに働ける訳ないのは
わかってたけど




地元のラジオ局の
オーディションみたいなのに
応募したりした。





裏方の手伝いなら
させて貰えるようになった。




未成年だから
母親が呼ばれて。


絶対に
反対されて終わるって
思ってたけど。



見栄っ張りの母親は
放送局ってだけで
機嫌よく許してくれて。





時々
裏方の雑用を手伝った。





1枚5円の
封筒の宛名書きとか


お祭りの提灯の補修とか


地味な裏方。




でも
わずかでもお金が貰えた。

お小遣いが出来た。







中1の夏休みが過ぎて。



ずっと
専業主婦してた母親が
外で働き始めた。




洗濯や掃除や食事


私のやる事は増えたけど




もう天国よ。





家に母親が居ない時間は
しあわせやった。



テレビも観れるし


母親に隠れて
友達に借りた雑誌も
堂々と読める。



彼氏と電話も出来るしね。



帰り道
手を繋いでも
ばったり母親に会う訳がないから
うれしかったなぁ・・






楽な時間は
増えたはずなのに



吐く回数は増えてった。






あれ・・?

やめられない・・。






今日はやめようって思っても

やめられなくなってた。



怖くなった。



私 異常だ・・




吐く事や
切る事に
改めて
罪悪感を感じ始めたけれど



どうしても
やめられなくなった。



吐いたら
切ったら
楽になる一瞬は

麻薬みたいに
忘れられない快感だった。



依存した。





親に
友達に
ばれないように


ビクビクしながら

続ける事しか
出来なかった。











ある日

学校から帰ったら。



母親が居た。





仕事に行ってるはずだったから
めちゃくちゃ焦った。




様子がおかしかった。



明らかに怒ってた。






自分の部屋に行くと



机の引き出し
タンスの引き出し


全部ひっくり返されて



彼氏がくれた手紙や



日記 写真



全てがぶちまけられてた。





母親は
怒り狂って
彼氏の家を教えろと怒鳴る。



教えなきゃ
学校に聞くとも言う。



またやられる・・

そう思ったけど




私は
彼氏の家の電話番号を
言ってしまう。




母親は
すぐに電話をかけて


彼氏のおかあさんに
すごい口調で文句を言って。



私は
大好きな彼氏と
別れさせられた。





翌日

彼は
変わらずに
話し掛けてくれて

気にするなって
言ってくれたけど。



別れたフリ
してたらいいやんって
言ってくれたけど。




帰り道
学校の正門で
彼のおかあさんに呼び止められた。


私に会いに
わざわざ来たんだ。



うちの母親に
一方的に
めちゃくちゃな事言われて

そりゃ腹が立ったと思う。




もう近寄るなって

言われた。






また。

私の居場所が

ひとつなくなった。






学校に
行きにくくなった。





そんな事があっても
彼は私を
かばってくれていたけど。




彼と共通の
私と仲の良かった子たちが


だんだんと
私から
離れていった。




学校での
私の居場所が


少しづつ

なくなってくのがわかった。














続きはまた

次に書いてくね。









14日の
ライブのセットリスト。


そう言えば
ご紹介してへんかったよね。





月下陽香&井上タイキ
7月14日「ビートイン」

~ はないちもんめより ~

1・浮草情火
2・月は陽に焦がれ
3・アゲハ蝶
4・烙印
5・毒華
6・モザイク
7・我も奏で者
8・キズグチイバラ



YouTube アップは
しばらくお待ちください。



まささんが写して下さった
たくさんの写真は
ここでも紹介してゆくね。



おふぃしゃるさいとのアルバム
「陽画」は
近々
もっと見やすいとこへ
引っ越し予定なので

しばらく止まってます。



せっかくの写真だから
ちゃんと整理してくから
少しお時間くださいね。








裂けた皮膚。赤い血肉。(中学生・1)







切る事に。


大きな快感を覚えたのは

13歳の夏。



カミソリ持ち歩いて


楽しんで切ってた時代。





小学1年生の私が

吐く事を覚え


自傷を
覚え始めた頃の事は



少し前に書いた。




7月7日の記事。

【腐ったパン と壊れた少女】

7月9日の記事。

【罪悪に埋も れた快感。】

7月10日の記事。

【無条件で 愛されてみたかった。】

7月11日の記事。

【少女を壊 した壊れた女。】

(【】内クリックで飛べます。)







今日は

この記事の続き。



中学生の私を

少しづつ

書き出してみようと思う。







中学生に
なったばかりの頃は


母親に押し付けられる服を
着なくても


制服で
学校行けるのが

うれしかったなぁ。




家の中は

ますます
息苦しさを増して。



学校だけが
逃げ場所だった
小学生の頃みたく



中学も楽しいかなって

期待してた。







入学してすぐに

隣のクラスの男の子と

仲良くなって


付き合い始めた。




可愛らしい顔をした
体格の良い
好青年。




休憩時間に
廊下で話すのが
うれしかったなぁ。。








ある日

行きたくなかったけど

母親に
スーパーへ連れてかれた。





親に

「欲しい」とか

「買って」とか

そんな事

恐ろしくて
言った事のなかった私。





自転車がね

ずっと

欲しくて欲しくて。




でも

言えないし。

親に
買う気ももちろん無くて。





「買って」って言える妹は


大きな新しいのに乗ってたけど。





私のは

小学校に入ってすぐに

買ってもらった

子供用の

小さなのしかなくて。





中学にもなって

子供用自転車なんか

カッコ悪くて乗りたくないから



妹に

貸してって頼んだけど



貸して貰えなくて。




母親は

自分のに乗りなさいって
怒るしね。




母親のご機嫌を

損ねるとしんどいからさ・・




知り合いに会わないか

ひやひやしながら



母親の後ろ

子供用自転車で

必死こいて走っててね。





帰り道。


彼とばったり会ってしまった。




彼は

いつもと変わらない

爽やかな笑顔で

声を掛けてきた。




私が

男の子と関わる事を

異常なくらい嫌がってた母は


もの凄い顔で睨んだ。





私は

母親が恐ろしいのと


子供用自転車で

スーパーの袋を
いっぱい下げて



汗だくで走ってる私を

見られた事が
ショックだった。




無視をした。




無視して

走り去った。




翌日から

隣のクラスに行かなくなった。


自然消滅ってやつかな・・





腹が立って

吐きまくってやった。











その後すぐに

同じクラスの男の子に

告白されて

付き合う事にした。



彼は

学校ではとっても有名だった。




「ビーバップハイスクール」にでも
出てきそうな男の子。



大人が
「不良」って呼ぶタイプの人ね。



レーシングチーム(笑)的なね

先輩に
可愛がられてて




入学して3ヶ月くらいは



一見普通の
真面目そうな中学生やったから




なんでそんな人が

私に告白するんやろうって

不思議やったし



彼と居れば

違う世界に行ける気がした。





私が中学の頃は

まだ

携帯なんて
誰も持ってなくてね。



交換日記とかしてたんよ。



これ

今の十代の人とかが読んだら
笑ってしまうんやろけどね。





同じクラスやのに

学校の正門で
待ち合わせして

日記帳交換して

一緒に教室に行くの。





私は彼に

のめり込んでいった。






派手な友達が増えて

制服のスカートも
短くして

化粧覚えたりして

楽しかった。






家に居ると

抑圧に

吐いてばっかり。





外に出て

彼や友達と居る時間だけが

楽しかった。







ある時。



彼や

彼の先輩達と仲の悪い人達に

(ややこしいけど・・派閥があるねんね。)

呼び出されて。


ちょっとぼこぼこにされた。

1年のくせに生意気って。


顔を怪我した。



彼氏はめちゃくちゃ怒って

ものすごく
私を心配してくれた。




ちょうどその頃

私は

カミソリで

腕を傷付ける事を覚えて

時々切るようになってたから




顔の傷くらい

全然平気やったけど。




彼が心配してくれるのが

うれしかった。








夏休みは

家に居る時間が増えて。


母親の抑圧に

毎日は地獄みたいで。





彼とデートするのが

すっごいうれしかった。




母親に悟られぬように

女の子と遊ぶって嘘ついて



出来るだけ家から離れて

待ち合わせ。




恥ずかしくて

自転車乗りたくないから

一生懸命

歩いたなぁ。。








私は

いつも

カミソリを持ち歩いていて。



歩きながらでも

切ったりしてた。







あの日も

歩きながら

軽くやろうって思って。




腕を

すっと切ったら。



思ってたよりも

深くやってしまった。





すって言うより

すぱって感じ。





ぱかっと開いた
切り口を見たら


皮1枚通り越して

中の肉が見えて



だらだらと

血が流れ出した。




びっくりした。




けど

わくわくした。




気持ちいいなぁって。




たまらんスカッとした。





だらだら

どろどろ

流れる血を見てると




毎日毎日

心の中に犇めいてる


不満や

苛立ちや

しんどさが

一緒に流れ出てくみたいで。







そのまんま

待ち合わせ場所に現れた私に


当たり前やけど

彼はすっごい驚いて



転んだって言う私を

自転車の後ろに乗せて


急いで

自分の家に

連れてってくれた。






この時の自傷から


私の中で

「自傷」の在り方も

やり方も

変化していった。











この続き。

また書くね。
















14日のライブが終わって。



昨日今日と

やたらばたばたしてた。





ギタリスト
タイキさんは

今回も

ライブがんばったご褒美を

届けてくれた。




タイキさんと

毎年

夏のナイター営業が始まると

涼みに
遊びにいく
遊園地のチラシに

クイズが書いてあって。



クイズ正解して

景品開けたら



陽が欲しがってた

ガチャポンのアゲハ蝶が

入ってた。












11月のライブまでに

あと1回くらいは

ライブ入れたいなぁ・・





来週からね


本職の陶芸作家以外に


新しい仕事を

ひとつ始める。





さっき決まった。






負けないように

踏ん張らんとね。




ぶどうの箱で
ぽんちゃんも
がんばってるもんね。










自己紹介。

月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


このブログには
私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
共存して居た頃の出来事を綴った記事も
多く置いて居ます。


私にご興味を感じて頂ける
御訪問者さまや

初めてお立ち寄り下さった方は

まずこちらをご覧頂けると
このブログが見やすくなるかと
思って居ります。

【このブログ「癒え待ちよすが」について。】 ←クリック


リンクから
月下陽香のYouTubeなども
ご覧頂けます。


よろしくお願い致します。

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