❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

  ♪:*:.:*:♪ ・らいぶ情報・ ♪:*:.:*:♪

     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

     ❤ 2016年11月6日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



  ♪:*:.:*:♪ ・CD情報・ ♪:*:.:*:♪

  ◆ ファーストシングル ・ 花いばら ◆
            2曲入り ¥500-
            2014.5.24 発売
花いばら

  ◆ セカンドアルバム ・ 生きてるからね。 ◆
            6曲+1曲入り ¥1000-
            2011.8.21 発売

いきてるからね。

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孤独の中で「生」を選ばせた私。

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



陽射しの強さに
肌がヒリヒリと痺れる。


連日の夕立には 
少し迷惑もしてる。


毎日は

ひたすらに過ぎる。



在る頃から
どんどんと強まり 

最近では
異常な程に育ち 

胸を占める想いが在った。


「あと少ししかない」。




色々な意味が在る。


ここに暮らせるのも
本当に
あと少しになってしまったようだ。



そして
この身体は 

どうしても
悪化してゆく事も 
ひしひしと感じて居る。



自分の身体が
どれ程に正常ではもう無いのか 
自分が
一番にわかってしまい 

恐怖と不安は付き纏う。




ここに居られなくなると言う事は 

月下陽香の終わりも意味してる。


現在のギタリストと
共に在れない活動は 
もう出来ない。


この身体と精神では
もう出来ない。



身体も
既に 
音楽活動の中で
身動きが取れなくなって居るのだから 

時間の問題ともいえるが 


そうでなくても 

また
新たな土地で

一から 
環境を作れるほどの 
余裕もチカラも
もう底を尽きて居る。



そう言う意味で

「あと少ししかない」

と言う焦りと共に 


命も
もう
周りの皆ほどには長くないのだろうと 
とてもとても思えてしまう状況に 
更に
その焦りと悲しみは増す。




身辺整理にムキになる。


徹底的に物を捨てて 
次々と捨てて。



毎日の
小さな出来事の
ひとつひとつに気を向ける。


夕食の小鉢ひとつでも 
一生懸命考えて作る。


一口を食べる幸せを 
もう忘れないように刻む。


「今の内」。

全ては「今の内」。



そして。


やり残した事は無いか
日々巡らせる。


せめて
あと一度 


長い時間の板の上に立って
納得をしたい。







「摂食障害者」・「自傷癖者」として生きた
約30年間の 出来事や想いが書かれた記事たちは
「カテゴリ。」に振り分けて安置されています。
必要な方はいつでもお立ち寄り下さい。

全「カテゴリ。」の説明とリンクをまとめて居ます。
【このブログ「癒え待ちよすが」について。】


こちらも少しづつ書いて居ます。
【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】









私は
このブログ
「癒え待ちよすが-イエマチヨスガ-」に 


なんて無い日々の出来事や
想いだけでは無く 


この人生の過程も書き遺してきた。



摂食障害者で在り 

自傷癖者で在った年月
の出来事 



その私が
発症から今日まで 
生きて来た過程を 


自分なりに
沢山 
ここに 
言葉として書き遺して居る。



ここがいつまで在るのかわからない。

いつかは消える。

ネットのゴミになって消える。


ただ
まだ
今はここに在って。


更新も難しくなって居るけれど 


時々でも
まだこうして 
言葉を紡いで生きて居られてる。





過程を綴って来た中で 

私は
両親についても多くを記してきた。



大きな抑圧と
深い束縛で 
私を洗脳して壊した母親。


私の上司の女になって 
妹を連れて消えた母親。



残された父と 
残った私も 
関係は上手くはいかなかった。


それでも

「親だから私がしなくてはいけない」

と思う思考にも叩かれて 


私は
私なりに
一生懸命に 


その関係の
修復や継続に
注いでも来たと思う。



それでも
とうとう心が途切れて。


もう無理だと思った。



これ以上
こんな状態が続けば 

私は
私を殺してしまうと思った。


死にたくてたまらないと思った。



父のそばに居るだけで 
苛立って冷静ではいられなくなって 
声を聞くだけで
吐き気を覚えるようにもなった。




次第に
冷たい言葉しか父に吐かなって。

私は
父との交流を絶った。


徹底して避けた。

電話も出ず。
留守電もオフ。



それは 

2年以上…

もう
3年とかになってしまうように思う。



今はそうしたいと思った。

でないともう駄目だと思った。



人なんて 
何をどんなにどうしようと 

最後には
きっと必ず
どこかに後悔を知る。

そう思って居る。



ならば 
私は

もうそろそろ 

自分の心を
大切にしてみたいと
心底思い始めた。


必要以上の我慢を
しなくてはいけないと 

どうしても
思考はその方向へと動き 

壊れてしまう繰り返し。



嫌な事は嫌だと言いたい。

出来ない事は出来ないと言いたい。


でも出来ない。


拒否出来ると言う事は 

相手に
きちんと受け入れられて居ると
案じて在るからだと思う。



私が
自分の意見を述べた時に 


それが
相手には同感では無くても 
認めて貰える関係性が 

私には無さ過ぎたようにも思えた。



自分に正直に在りたい。

出来ない事は
出来ないと

断れる関係性こそ 


出来る時には
一生懸命に
本気で
見返り無く与えられる
繋がりでも在るだろうにと思えた。





私には 
付き合いの在る親戚も居ない。

父しか居ない。


なのに私は父を遠ざけた。

独りにした。



自分を責めなかった日は無い。


それでも
今はそうするんだと決めて居た。


だから
とことん無視してやった。






少し前から
知らない番号の着信が続いて居た。


先日葉書が届いた。


大人になってからは
数える程しか会った事も無く 
顔もわからない叔父さんからだった。



色々と在るとは思うが
一度連絡が欲しい

との事。

兄(私の父)が
胃の摘出手術をするからと。





私の心は大きく動揺をした。


とても冷静で 
とても揺れて居て 
叔父さんに連絡をして。


その後。


父の家の番号にかけた。



やはり冷静では無かったんだ。
番号を間違えて掛けた。
2回目に父にかけられた。


受話器の向こうの父の声。


父は

私の声がわからなかった。



久し振りに 
久し振りに 
45分話した。



身体の事 
手術の事 

近況 


そして

なぜ
私が父を避けてきたのか。





受話器の向こうの父は 

もう
最後の酒かも知れないと 
叔父さんと飲んで居た後だったらしく 

酔ってはいたけれど 


もう

酔っぱらって居ても

私に
毒を吐かなかった。


泣いて居た。



叔父さんからの連絡は
父が頼んだ物では無かった。


父は
私には言わずに居るつもりだったようだ。





会わずに居た年月に 

一時期は
ピークの頃よりも20キロ程痩せたらしく 

それでも最近は食欲も在り 
少し太った位だったらしい。


自覚症状はないのに。

胃の全摘と
腸もかなりを摘出する可能性があるとの事。






酒癖の悪い人だった。
本当に苦労した。

だけど本当に酒が好きな人だった。


食事は不摂生で 

私が一緒に暮らさなくなってからは 
ずっとずっと
まともな食事なんてしていなかった。



いつも
同じような惣菜や弁当で 
後はアルコール。


少しのゴルフと
アルコールが
楽しみな人だった。




その父から 

神様は 

胃袋を

ごっそり奪う。





私ならどうしただろうか。


もう
思う存分に飲んで食べて 
死んでしまうのかも知れない。

子も居ない私には 
愛する人が居なければ 
延命する意味が無い。




父は 
胃を全摘しても 
生きる事を選んだと言って居た。



その決断を

独りでした父は

どんなに
悲しくて苦しかっただろうか。





私は
やはり後悔をした。


遠ざけた3年。

孤独にさせた3年。



でも。

思う。


そうして居なければ 
今の私は無い。



こうして
また父と話す私は
きっと居ない。



疲れ果てて 
それこそ 
こうなった父を
見捨てたかも知れない。



父も変わって居た。

声を荒げなくなって居た。





きっと
無駄では無かった3年だと
思えるように 

これからの事を考えて居る。




まず
明日父に会いに行く。


胃を失う前の父との
最後の食事をする。



明後日の朝から
父は入院をする。

だから
何でも沢山食べる事も出来ない。



胃に優しい物を少量 
下ごしらえをしてる。


手料理も
もう
3年程食べさせてやっても居ない。



作って持って行く。



本当はいけないけれど 
父が望むから 
少しだけアルコールも持参する。

高い美味しいビールを
少しだけ飲ませてあげたいと思う。


お昼に
少しだけ食事をして
来ようと思う。




16日か17日には
手術の予定らしい。


事情を話したら 
店長がお盆休みをくれた。


うちの職場は
お盆休みは無いのに。


だから少しは会いに行けるだろう。





例えば
一緒に暮らすとか 
そう言うのは
今は考えられない。


環境的にも無理だ。


私も
そこまで背負えるほどには 
全てに置いて復活もして居ない。




でも。

今は
今出来る事をしておきたい。





父にパジャマを買ってきた。


父に何かを買う事が
久し振りだった。



迷って選んで買ってきた。






毎日は
どこかで大きく動揺を連れて居る。



きっと大丈夫なのだけれど。



今は涙がやたらと出るから 


必死になって
笑って動いて 

動揺を遠ざけるようにしてる。






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もう頑張れない。

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毎日は

苦痛に満ちている。



その場
その場で

笑う事も出来る。


笑顔で
話す事位は

出来る。



大人だから。



本当は


わーって
声を上げて

泣き崩れそうでも


笑って
そこに居る事

位は出来る。




だけど。


私の心は
ずっとずっと
泣いて居る。




苦しくて
悔しくて。


痛くて

痛くて。

泣いて居る。



ずっと泣いて居る。


本当は。

ずっと泣いて居る。




こうして記事を書きながら



私は
独りで居るから


無理をして
笑いはしないから


そうなると

涙ばかり。


痛くて痛くて

泣きながらでしか

文字も打てない。





「疲れた」って

本当は

物凄く思ってる。



日に日に
その想いは増す。






家族の
自死に
対面して以降


私は

自ら
命を捨てることだけは


してはいけないと思って居る。




自殺をされ

残された者に

どれ程の

無念と
陰が

植え付けられるのか
知って居るからだ。





いつでも
自死できるような
言動を

軽く起こしたり


そう出来る環境を
手放さずに


死ねる逃げ道を
常に維持して在る事も

いけないと思って居る。


とてもずるい行為だ。




誰一人
愛してくれて居ないのならば

本当に
一人ぼっちならば


そういう言動を
起こしても
かまわないだろうけれど。




ひとりでも
自分を想ってくれる人が居て


自分も
愛されたいと思うなら
願って在るのなら


それらは


すべきではない行為だと思う。




いつでも死ねる逃げ道を

チラチラと
見せる言動は


大切な人を

脅す行為に

思えるから。

とてもずるいと思うから。




「死にたい」とは
絶対に
言ってはいけない。



ひとりでも

愛してくれる人が
在るならば。



そう
とても
強く思って居るが。





それでも

最近は


自分の
その思考すら

不安で在る。



張り詰めて
気を付けて居なければ


ふとした拍子に

何気ない
緩みの合間に


死んでしまうような気がする。

とてもする。







ちゃんと


自分を見張って居なきゃ


危ない気がする。


消えてしまう気がする。






私の


今の私の


本当の痛みは
誰にもわからない。


それは

仕方のない当たり前の事。


それはもう
私なんかにでも
わかってる。


仕方がないってわかってる。



例え


それが


この世で一番愛して在る人で在れ

愛をくれる人で在れ



私の
今の


この

死にたい程の苦痛は

わからない。
それが当たり前。




仮に


とても愛している彼が


とても苦しんで在ったとしても


彼が笑って居るならば


私は
それに気付かないだろうし


彼が
泣いたとしても

言葉を尽くし
話してくれたとしても


全てを
理解なんて出来ないのだろうから。




私の痛みは
私にしかわからない。



そして


その痛みを


誰かに

依存して
背負わせて


楽になろうとも思わない。



出来れば
迷惑を掛けたくはないし


寄生して
生きようとも思わない。





だけれども。


わかって欲しいなって。

思う。


少しで良い。
少しで良いから。



今の私の
本当の痛みが


どんなもので



聞きたくない言葉が

見たくない光景が

在る事



もう
されたくない言動が在る事



一番求めて居る事を 



少しだけ


気付いてくれる存在が欲しい。





生きなくてはいけないと

必死になって
自分に言い聞かせながら



何かの拍子で
勢い付いて

朽ちる選択を
してしまうのではないかと


恐ろしく感じる時間が



日増しに
長くなってゆく事が

わかるから。













2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の0始まりから。」(20代後半頃の私)】
※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
※42の記事があります。

【「9・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(40代に向かう私)】
※現在執筆中。




時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「朽ちゆく恐怖の中で。」(2015.2.27)】

【「泣き叫ぶ夜。」(2015.2.28)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「呪いをどう解き放てるのだろうか。」(辿り着けるまで・1)(2015.3.1)】

【「自傷癖を呼び戻す者を知れど。」(辿り着けるまで・2)(2015.3.2)】

【「キズグチを愛せた時に。」(辿り着けるまで・3)(2015.3.4)】







今日は続きを書かない。



頭を抱える程に
吐き気に襲われて
苦し過ぎて在るから。





ひとりの時間は
泣く事がとても多い。




私は
とても泣き虫だけれど


人前では泣けないんだよ。

余程でなければね。



人前で泣く事は

躊躇する。

一生懸命耐える。





けど

独りの時間はよく泣く。


ひとりの時に
泣いとかないと


人前で

涙を飲み込めそうに

もう無いから。






切りたい。

腕を切りたい。

切りたくてたまらない。


けど耐えてる。
じーっと。



ここまで来て
戻ってたまるかと。


必死で踏み止まって居る。




私が

何とか
自傷行為から離れて生きて在る事を

ステージで少し話した時。


そう
昨年の5月。


会場から頂いた拍手を
忘れてはいない。


【 ライブノーカット 】



だけど。

切りたい。


まだ
切ってはいないけれど。





今日も
ボロボロに

疲れ切るまで働いた。

懸命に働いた。




頑張ってるよ。

私。



なのに。



ずっと辛いや。


出来る我慢にもね。


限度が在るんだよ。



もうそろそろ。
少しで良いから
救われないだろうか。




このままで
在り続ける

自信がもう無い。


もう無いよ。

【 癒え待ち野バラ -イエマチノバラ- 】




※ ライブ前後等を覗きコメント欄は暫く未設置となりました。
何か御座いましたらメールでご連絡をお願い致します。(2014.8.30~)

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限界だと泣き叫べたならば眠れるのだろうか。

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精神的にも

肉体的にも


大きく落ちて居る。


辛過ぎてどうしようもない。


パソコンの前に
座って居る事も難しい。



それでも

仕事も
バイトも
必死で終えた。



この記事を更新したら

また
明日まで


出来るだけ静かに居たい。




出来れば


何も知らないのに
一々
突き刺さる意見をされる事も

何かを
押し付けるような言葉を
送られる事も


避けて居たい。



そんな事も在るよねって
読み流して貰えて在りたい。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「誰が殺した?」(2015.1.15)】

【「吐き気がする程の痛みを繰り返し。」(2015.1.17)】

【「悲鳴を上げて壊れそうだから。」(2015.1.19)】

【「癒えを待つインナーチャイルドと生きながら。」(2015.1.21)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「己が選んで傷付くならば。」(現在に向かう私・38)(2014.1.13)】

【「孤独な偏在が刻むべき覚悟。」(現在に向かう私・39)(2014.1.14)】






ここ数回


記事は
続けて


過程の続きを書き記す事から
離れて居る。


振り返って綴る
記事の中の私は
2013年。


そこまで辿り着いて居るから
早く
書き進めてゆきたいのだけれど


余りにも酷く


心も
体も
バランスを崩して
壊れて居る。



だから

もう少し
回復が出来るまで


過程の続きを
記す為の
無理を
し過ぎないで在りたい。





持病はやはり悪化してる。

どうしても悪化してる。


それでも
仕事もバイトも
懸命にこなせば


後はもう何も出来ない。


過労は
持病を更に悪化させる。




仕事を終えた後に

好きな事が出来る人達と
自分を比べると


腹立だしく

とても悔しい。


自分には出来ない。


深く悲しい。


物凄く
毎日毎日
頑張って居るのに


次のステージすら

この体は決められない。



去年は

たった1回しか
ステージに立てなかったのに。


やっと

看護も介護も
生活からはなくなったのに


昨年夏には
あんなに苦しんで治療もしたのに


結局
やりたい事は何も出来ない。




どうなるの?
私はどうなるの?
どうすればいいの?

どうして失くしてばかりなの?




ステージを
起こす事で
付いた傷や


楽曲に関して

表現に関して

人に付けられた傷はね


ステージの上でなきゃ
癒せないんだ。


私が
今抱えている

音楽活動の中で
付いた
付けられた傷は


そこに在る自分でなきゃ

治せない。



なのに
それも出来ないままで

日が過ぎる程に


キズグチは

深まってゆく。
熟れてゆく。



少し先に
何も掲げられぬままに

熟れてゆく
キズグチを

無意味に舐めながら


痛みは
胸一杯に充満する。



私はこれからどうなるの?



体調は
とてもとても悪くて
とてもとても辛くて


それでも
サボらず
甘えず
懸命に働いて


使い果たして日々を生き


少し先にはどうなるの?


どうして
こんなに頑張ってるのに


歌の練習をするだけにも
苦労して

数曲の練習で
ボロボロになって。




もうしんどい。

歌いたいのに。


もうしんどい。


もう
歌う事がたまらなくしんどい。



追い詰められてゆく気持ちは

大きな不安を抱えてる。


毎日毎日

不安を抱えてる。




体にも
歌にも
仕事にも

毎日頭抱えてる。


親の事
人間関係

背負うものに
吐き気さえする。



欠片も消化出来ぬまま


ブクブクと
醜く
太り続けてゆく

不安と恐怖は

体を眠れなくさせる。




もう何日
まともに眠って居ないのだろうか。



日付が変わる頃には
一度は
眠りに落ちるのだけれど


数時間で
目覚めては


発狂しそうな程に

苦しみ

朝を迎える。



ただでさえ動けない体は
益々動けなくなる。





壊れそう・・・

なんて所は

もう

とうに過ぎたような気がしてしまう。






沢山沢山
尊いものを失った昨年。


余りにも
大きく失い過ぎた私は

ただただ耐えた。


耐えて
耐えて

昨年を過ごした。



息を潜めるように
我慢して過ごした。



それは

新しい年には
きっと少し楽になれると

信じてたからだ。



信じて


もう
限界を超え過ぎる我慢を

ただただしてきた。



やっと
新しい年を迎えて。


まだ1ヶ月も過ぎて居ないけれど


私の

精神も
肉体も


もう
砕けてしまったような
苦痛に埋もれてる。


睡眠薬も飲み始めたけれど
眠れないんだ。




声を上げて泣きそうだ。

大声で叫びそうだ。

暴れてしまいそうだ。



自傷だって
当たり前に手招きをするよ。



投げやりになりそうな自分を
押さえる事位は
今の私には出来る。


冷静に

私を呼ぶ自傷を
追いやる事も

今の所は出来る。



でも
苦しくて苦しくて

悔しくて

悲しくて


泣き崩れてしまいそうだ。


疲れてるよ。

本当に。





昨日は22日だった。

月命日だった。


喪失感はまだ消えない。


仕方ないね。



ギタリストさんが
前夜
花を届けてくれた。



昨日は
彼と
今年初めての練習をした。



2時間もない
短い時間に
数曲だけ歌った。


辛かった。

途中で泣きたくなった。



勿論泣かない。
笑ってるけど。

泣きそうだった。



何を目指して歌ってるんだろ…


こんなにも
発声は苦しくてたまらないのに。


私は
どこを目指して

今生きてるの?




疲れた。


何だかとても疲れました。


生きてる事に
とても疲れた気持ちが在る。




今夜は眠れるかな…


限界だ。





※ ライブ前後等を覗きコメント欄は暫く未設置となりました。
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繋がる血を抜き取れたなら…。

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お正月の休みに
機種変したスマホ。



バッテリーの持ちもかなり悪くなり
頻繁にフリーズするようになり

変えたいと思って居たけれど


考えてみれば
休みも無く

やっと
今月2日に新しく変えた。



まだ

自分の使いやすい環境には
整えて居る途中だけれど


サクサクと動くようになった事は
とても快適。



ケースは

自宅で
ネットで購入した物が
先日届いた。



普段は
ぶたちゃんのカバーで使用。


長時間の外出時は
手帳タイプのカバーに
着せ替えて使う事にした。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「キズグチをあやすように。」(2015.1.1)】

【「偏在な女に住み付く不足した少女。」(2015.1.3)】

【「絶ち切り捨てた寄生虫。」(2015.1.5)】




過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「自傷と摂食障害を掲げた逝き先へ。」(現在に向かう私・35)(2014.1.6)】

【「自傷癖は隠したい現実で知られたい真実で。」(現在に向かう私・36)(2014.1.8)】

【「馴染めない理由は偏在なのか。」(現在に向かう私・37)(2014.1.10)】






過程の続きを
書きたかったのだけれど。



記憶を

言葉にし
書き綴る

力が見当たらない。


体調がとても悪くて

キーボードを叩く行為も
楽では無いから。



続きは
次回以降に回して

今日は
今日の記事を書こうと思う。





少し前。


とても大切な
深い関わりの在る人と

「 家族 」について

話した事があった。



私が
また
これから

父の事で
背負わなければいけない事が起きて


それが
とても重たくて

もう嫌で。



そんな私の
愚痴から始まった会話だった。


「 家族って嫌だね 」
「 なんでいつも
  こんなに家族に苦しめられるんだろうね 」



そんな私の愚痴を

彼は
これまでに
幾度も聞いてくれて来た人で


彼もまた

私と同じではないけれど
残念ながら

家族には
とても苦労をさせられて
生きて来た人である。



親に奪われて
親の後始末に
擦り切れる経験を

私達は
それぞれにしても居る。


ただ
彼は

私よりも
忘れる事がとても得意で


出来事の
ひとつひとつを

いつも
あまり詳細には
覚えて居らず


しばらくすれば
記憶は薄れ

長く引きずる事がまずない。



そして

私よりも
常に冷静だ。

静かに
感情を整理出来る。


良くも悪くも
とても冷めて居る所も在る。


忘れると言う事は
人間が
生きてゆく上での
大きな武器だとも
考えて居る。



私とは
正反対の
感情の処理方法を持って居る。


だから
彼と話すと
教えられる事が多い。




やっと
距離を離して生きて居る父と
近々
どうしても
関わらないといけない事が起きた

私の中では


2人の私が
意見を撒き散らして居て。



それは…

「 やだやだ。もう嫌だ。嫌だ。 」

と泣いて暴れまくる
幼い私と


「 何をどういう形で伝えて治めようか 」

冷静に練る
父よりも大人の
ずる賢い私。



そのふたりの私に
共通して吹き出した想いは


「 父を家族とは思えない 」気持ちと


「 家族って何? 」という
問い掛けでは無くて
不満。



そんな感情を
胸に敷き詰めて
彼と話して居た時に


彼が言った言葉に

なるほどと。

思う私が居た。



彼が言うには


家族とは
この世に生まれるに当たり
繋がって在った
血の繋がる者では無いらしい。



確かに
体を流れる血は
同じ種であるから

それは
世の中が定める家族だろうから


冠婚葬祭には参加もするし
当たり前の事はするけれど

もう居ない両親も
もう
新しい家族を持つ姉弟も
自分の家族では無いと言う。



彼にとっては

自分が
結婚相手に選んだ妻が
家族であると言う。


妻の家族や姉妹は
あくまで
世の中が定めるだけの家族であり


彼には
彼が選んだ妻が
家族で在り

それが
彼にとっての結婚である。



自分で選んだ人と
家族になる事が
彼の考える結婚らしい。


それには

私の中で
なるほどと思えるものが在った。




血の繋がる家族に
守られて
支え合い
生きてこれた人達が

世の中には沢山居る。


そういう環境を
与えられて
生きてこられた人たちには


血の繋がりの在る家族は

とても大切な存在で

それは
本当の「家族」で在ろうと思う。




しかし
私にはそうではない。


血の繋がりがなければと
何度思った事だろうか。


血の繋がりが
あってしまうから
苦しんだ事が在り過ぎて


私にとって

家族は

何よりも
私を苦しめる存在でしかなかった。




彼と話して思った。


そうか。

父は
私の中では
家族ではない。


それで良い。


私は
私が選んだ家族と
家族で在れば良い。



それは
実生活でもそうだけれど


日々の繋がりの中で


自分の

魂が
共鳴を感じた

信じて在る
願って在る


大切な

魂の家族と
家族で在れな良い。



そして思った。

こうして
こんな話が出来る彼も


私にとって
魂の家族なんだろうなと。





・・・ 「 魂の家族 」 ・・・


これは

心から
大事に大切に感じ
いつも感謝をして居る

月下陽香とも

陶芸作家の私とも

ひとりの人間の私とも

お繋がり下さる方の
発する
記事やメールから

改めて
深く感じ考えるようになったものだ。


その意味や内容を
これまでも
うっすらと感じはしながら

それでも
現在のように

その都度
深く考えて向き合うようになったのは


その方の文字に
いつも
触れるようになったからだと思う。



だから今
私の心には

「 魂の家族 」という言葉が
大きく
存在して在るのだと思う。


この言葉は

勝手に
私に湧き出たものでも

私が作った物でも無い。

教え与えられたものだと思う。



私にとっては
その方も

「 魂の家族 」である。


そして
その方に頂いたご縁で
現在お繋がりを頂いて在る方も
やはり
私には「 魂の家族 」だ。




私には
私が
自分で選んだ家族が
ちゃんと居る。





ギタリストさんが
苺を届けてくれた。


苺って


私にとって

「 家族 」を
イメージする食べ物。


うれしい食べ物だ。






呼吸が上手く深く出来ない。


ここ数日は特に
常に息苦しい状態。


顔の輪郭も
腫れてしまったまんま。


これが
落ち着かなければ

楽にはならない。


投薬を続けながら

極力
無理はし過ぎずに

待つしかない。



連日
寝込んで居る訳にはいかないから

少しずつでも働きながら
静かに耐えるだけ。


体でも
心でも


痛みの

癒えを待つ時の基本は

そうなんだろうなと思う。


何だかとても思う。







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偏在な女に住み付く不足した少女。

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元旦の夜。


作った雪だるま。




私の精神の中には


雪の影響で

仕事に苦労して居る人達や
移動に困っている人達が


居る事はわかる
大人の私も居て



雪が積もっただけで

早く雪だるまを作らなきゃと

ただ
わくわくとはしゃぐ

幼児の私も居る。




インナーチャイルド。


私の中には


確実に

ちびっこのままの私が


欠けたまま
満ちる事無く
居続けていた事は

自覚して居たけれど


昨年は
私なりに

その
ちびっこが


どんな時に

どんな風に現れるのかを

かなり理解が出来た。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「キズグチに何を埋め込めるのか。」(2014.12.22)】

【「傷に始まり傷を重ねて傷付いて終えるこの年に。」(2014.12.31)】

【「キズグチをあやすように。」(2015.1.1)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「血を流して生み出して在るのだから。」(現在に向かう私・32)(2014.12.27)】

【「自傷も嘔吐も掲げ立ち続けて。」(現在に向かう私・33)(2014.12.28)】

【「羨み妬み自傷癖者に突き刺さる棘。」(現在に向かう私・34)(2014.12.30)】






今日も

過程の続きからは離れて
記事を書くね。




「インナーチャイルド」


私の中に住み付く

幼児の私が

元旦の夜から
雪だるまを作ってる様子を

大人の私は見てる。



指先は
じんじんと
痛む程に冷え切って居るのに


素手で

両手で

雪を握り締めてる
喜ぶ私を


大人の私は感じてる。





少し前よりも
私は

この
ちびっこの私と

仲良くして居る。





ちびっこは

どうやら2人居るのか。

それとも二重人格なのか。

現れるパターンも違う。






人見知りで
消極的で

疑い深くて
怯えた


私の中の子供は


社会の中で
存在する時に

油断をすれば顔を出す。


人並みを装い

社会的立場を

この子供に
邪魔されずに
こなして在ろうとすると


それはそれは
常に
張り詰めて居なければならない。



でなければ

私のような人間が
社会生活に
平和に馴染んで在れる事は

きっと不可能に思う。


稼ぎを得て
生活してゆく事は
難しいだろう。






好奇心旺盛で
落ち着きが無くて

いつも
あちこちきょろきょろと
面白い事を探して

どんぐりが好きで
ぬいぐるみが好きで

無邪気にはしゃぐ
ちびっこの私は
毎日に共存をしてる。



道を歩きながら

目に飛び込んだ物が
気になれば
走って見に行って


「すごいなすごいな」とか
ぶつぶつ言いながら
満たされてたり


ふたつある何かを
「どっちがいい?」って聞かれて

何の躊躇も無く
「陽はこっち!」って
言える人と居れば


その時の心は
幼児期に望んで戻り

満ちる確認をして居たり。




ちびっこの私は

毎日に現れる事を

私は
昨年辺りから
当たり前に受け入れるようになり


大人の私が
ちびっこの私に


「よかったね」とか
「そうだね」とか

その都度
声を掛けるようになり



また
とても身近な人も

ちびっこの私を
そのまま受け止めてくれる環境が
今は在り


それにより

自分の心が
以前より
安定を知り始めたようにも

感じて居る。




大人の格好をして
仕事に向かう私の

コートのポケットには


小さなぬいぐるみが入って居て


それを
にぎにぎと触って居たり


アンパンマンのコロコロボールを
一粒づつ
立ち止まっては
大事に食べて居たり


自分が

とても
アンバランスで在る事も


最近は

認め
抱きしめて

生きて居るように思う。





私の中には
いつも
ちびっこが住み付いて居て。


だから私は
どこかでずっと
子供のまんまで。


子供の気持ちは
少しわかる気もして。


だけど子供はとても苦手だ。



子供の頃の私が

大人を
信じて生きて居なかったからだ。


親も先生も。

誰も
信じて居なかったからだ。



人生の始めに

私を裏切った大人は
親だった。


親でない大人なら
私をわかってくれるかも知れないと

信じた大人は
学校の先生だったけれど


先生も
私を信じてはくれなかった。


【「殺される虚言。」(中学生・3)(2013.7.20)】

【「バケツの嘔吐と血とゴミと少女。」(中学生・4)(2013.7.21)】



時代も在るんだろう。


摂食障害や

自傷や

虐待なんて言葉が


当時は
まだ

こんなにも
耳慣れたものではなかったし


「まさか」の
「在り得ない事」として
扱われる事の方が
多かったから。





私は
大人を信じて居なかった。


だから

子供と接する時に
いつも思う。


この子は
私を信じて居ないと。


だから
どう接したら良いのか
とても戸惑う。

疲れてしまう。


結局
未だ
子供が苦手のままだ。


子供心は
きっと
わかって居るはずなのに。






今年は

初めて
追われない正月を過ごした。



父の世話もしない

家族の
看護も介護もしない

仕事もしない

家事もしない

約束も入れない


自分に
何も課せない元旦を
初めて迎えた。



ずっと
いつも
必ず

何かを背負って迎えた。


ボロボロに使い果たした末に
元旦は訪れて

疲れ切って
新年を迎えてた。



数年前までは

特に
情けない程にくたびれて
寂しくて苦しかった。




今年は

早朝から出掛けて
初日を見
初詣をし

お腹を空かせて帰り
お節を食べ
お酒を飲み

少しお昼寝をし
散歩をし

平和に過ごしてた。



2日の昨日は
ミナミまで出掛けて

ついでに
スマホの機種変更もした。


今日は
大事なお友達と
ギタリストさんと
初詣に出掛ける。



寝込まずに
一生懸命動いて
楽しんでる


明日
明日まではこんな風に過ごしたら


明後日からはしっかり働こう。


バイトも始まるし

昨年中に出来なかった事も
きちんと処理してゆきたい。







出先では
人が沢山居て。

あちこちで見かける
親子連れ。

家族連れ。


仲の良さそうな家族。


孫の手を
嬉しそうに
繋いで歩くおじいちゃん。

子供の問い掛けに
ひとつひとつ
耳を傾けるお母さん。




離れた所で観てしまう。



孫って
そんなに可愛いのかな。


お母さんって
そんなに優しいものなのかな。



子供って

そんなふうに

愛されるものなの?



大きな声で話しても

泣いても

何か欲しがっても

どうして叱らないの?

どうして叩かないの?


私にはわからないんだ。




昨年6月に
この手の中で召された命。


我が子のように愛し
命懸けで守り
看護をし
介護をし
見送ったのに。


それでもわからないまんま。




それでも
私は

待ち焦がれた2015年を
生き始めてる。


早く
新しいスマホに慣れなきゃね。



前のスマホはね 


2012年の9月25日
妹に会えた日の帰りに

勢いで変えたんだよね。

【「自傷癖者に仕上げられた私と彼女の最後。。」(現在に向かう私・27)(2014.12.17)】



新しいスマホには
楽しいやり取りが
増えてたらうれしいね。




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亡骸が消えてから。

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愛おしい命がこの世から消えた。

亡骸は骨となり

あの愛くるしい姿はもう居ない。

もう触れてあげられない。




22日。


心拍が
急に小さくゆっくりとなり
打たなくなった事は

この指先で感じた事実。


亡くなった事は飲み込めた。


介護生活は私にとって本当に苦しいものだった。
だからこそ飲み込めた終わりでもあった。


全ては私の望み通りだった。

“ライブに行く間生きて待って居て欲しい”

“誕生日を一緒に迎えて欲しい”

“息絶える瞬間を私ひとりにしないで欲しい”

“最期は自宅で私の腕の中で旅立って欲しい”

私はぽんちゃんに全てを叶えて頂いた。

1・5kgを切り
もう歩けなくなった体で
私の願いを全て叶えて

その命を終えた。



23日。


19年間
当たり前にいつもそばに居た体は
骨となった。

生活の中からその姿が完全に消えた。



24日。


19年振りに猫が居ない家の中。

朝から泣いて
夜にも泣いて
しゃくり上げて泣いた。

家に居る事が余りにも苦しかった。

通院等
小さな外出をしながら
外の空気を吸い

昨日着ていた物や
昨日まで使っていた物を全て洗った。



25日。


まだ悲しみは変わらない。

ただ
丸1日猫の姿のない生活が2日目になった事で
前日よりも現状を飲み込める私が居た。

泣いても
しゃくり上げる程ではなくなった。


今後
また猫と暮らす日々を迎えるのかどうか
まだわからない。

もう一度
そんな生活をおくれたらと願う気持ちもあるが

今はまだ
最期まで看続ける事の苦しみを
もう一度受け入れる気持ちになれないから

わからない。


ただ
いつかまた猫を迎える時が来るならば
その時も使いたいと思う

ぽんちゃんが使っていた食器と枕も
綺麗にして箱に詰めてクローゼットの奥にしまった。










2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※現在執筆中。




5月からは
介護が必要になった飼い猫との
暮らしや想いを多く綴りながら。

その介護も終末を迎え

我が子のように愛し
19年を共に暮らした愛猫は

とうとう召されて
骨となり
この記事を書いた。

【「昨夜召された愛おしい命。」 (2014.6.23)】

【「愛しい亡骸が骨となり。」 (2014.6.24)】


過程を綴る記事は30代前半頃の私を書き始めている。

【「あと少しの命と。」 (2014.6.20)】



昨年の7月7日から書き続けて来た
摂食障害や自傷を覚えてから現在に至るまでの私の足跡。

次回の記事からはまた続きを書いてゆこうと思う。

ひとつづつ生活を取り戻してゆこうと思う。

記事も用意してあるから
次回には必ず続きを更新します。

だから今日はまだ寄り道。










昨日。

26日。


5月24日のライブ以降
一度も月下陽香の練習をしていなかった。

自分の精神的にも疲れ過ぎて居たし

ぽんちゃんはどんどん悪化していってたから
それどころではなかった。



久し振りにギタリストさんと会った。


ライブ以降
状況が悪化する中

今はそばにいてあげる事が大事だと言って
見守ってくれた彼。


彼は一度も

“自分はこう思う”とか
“こうした方がいい”とか

私に意見をしなかった。


勘違いの自己満足で
必要以上に私に言葉を向ける事もなく
お節介を押し付ける事もなく

だからと言って放置もしなかった。

“何か必要な物はないか”気に掛けて
差し入れを玄関前やポストに頻繁に届けてくれていた。



苦しいのは当人だと言う事を
誰よりも理解して支えてくれた身近な人だった。




本当に苦しい時。


いくら相手を想っての行動であっても
結局は
“してあげたい自分”を満たしてるだけでしかない事がある。


今それを言うべきか考える軸が

相手ではなく
自分で在る事に気付かずに送られる文字は
かえって相手を傷付けて追い詰める。


辛い時だし
そっとしておいてあげようと思う気持ちと
その方が楽だから関わらないようにしてる気持ちが

リンクしている事を感じる扱いは気付いてしまう。



この介護中

ここには書かないところで
いろいろな出来事があり

私には様々な想いが溢れた。

気付けた事も多かった。
見えた人も多かった。


自分に問う事も出来た。


もし反対の立場に立たされたなら

自分には何が出来て
自分なら何を起こすだろうか。

どこまでならば
相手の支えになれる行動に当てはまるのだろうか。



いつか
大切な人達が
今回の私のような状況に至った時に

勘違いして押し付けない自分に
なれて在るように
努力したいと思った。





誰よりも近くで支えてくれた彼に
お礼を言いたかった。


彼が届けてくれた
たくさんの差し入れが居れてあった保冷バッグや手提げ袋は

介護中
返す余裕もなくうちに置いたままだった。


そこに
ぎゅうぎゅうにお菓子を詰め込んで
小さな手紙を添えて渡した。



3時間程を過ごしたけれど
歌った時間はとても少なかった。

ほとんどが雑談。

今はそれが良かった。



先月に発売したCDに収録した2曲

「キズグチイバラ」と
「癒え待ち野バラ」は歌った。


後は
5月のライブでは歌っていない楽曲を選んで歌った。

その方が気持ちが楽だったから。



一昨年から歌っていなかった楽曲は思い出しながらだった。


昨年
1度だけステージでは歌ったが

持病の悪化で発声が難しくなり

4分の1音程下げて
やっとこさ歌ってた楽曲も

オリジナルキーのまま
久し振りに歌ってみた。



絶対に歌えないと思ってた。

だって

この数年どんなに頑張ったって
痛みが走って声にならなかったから。

自分の楽曲なのに
もう歌えないんだって
ずっと苦しんでた歌だった。


気分転換にやってみただけ。



だけど。

歌えたの。


以前のように
歌いこなす程までではなかったけど

8分程になる長い楽曲。

当時の私が出せたぎりぎりの音。

最後まで歌えたの。


うれしかった。
すごくうれしかった。




もう少し落ち着いたら

次のステージを決めたい。


そして。
今年は久しぶりの楽曲を連れてゆきたい。


「キズグチイバラ」と「癒え待ち野バラ」は
今の月下陽香の代表曲になっていると思って居る。

だからそれは歌い続けながら

ここ数年
ステージに上げていない楽曲も歌えるようになれたらと思う。





ぽんちゃんが居なくなって
初めての1週間が

もう少しで過ぎる。


息絶えたのは22日の日曜日だった。


今週の日曜日は
仕事をオフにして少し出掛けよう。
外でごはんを食べてみよう。



今週は
通院と自分の心のケアに一生懸命注いで

少しづつ
前を向く気持ちを育てる為に過ごして居る。

仕事量も減らしている。


次の日曜日を越えたら
仕事も通常に戻してゆく。



1年と1ヶ月と23日。

出来なかった事を
少しづつひとつづつ取り戻しながら
日々を大切に丁寧に生きたい。





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愛しい亡骸が骨となり。

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hutari


6月22日。

息を引き取った愛おしい命。


抜け殻となった体と一晩を過ごして


翌23日。

ぽんちゃんはお骨となった。




朝から

送り出すまでにやっておきたい事を
ひとつづつこなした。


ぽんちゃんに話しかけながら

何かひとつする度に

頭を撫で
体を撫で

顔を近付けて頬を寄せ


ぽんちゃんが居た場所全てを

念入りに掃除機をかけて
拭き掃除をした。


そのままだと
居なくなった寂しさが増すから

徹底して掃除した。


ぽんちゃんが使って居た物で
今後も使う物や
置いておきたい物は洗濯をした。
カーペットも洗った。

部屋の隅っこに
よく落ちている猫砂も徹底して捨てた。



一通り掃除を済ませたら


ぽんちゃんに持たせるフードを紙皿に入れた。


燃やして頂く際に
有害物質が出る物は入れて貰えない。


大きめのお皿に
サランラップで仕切ったり包んだりしながら


いちばん気に入っていたカリカリ

まだ自分で食べれた時
固形物が飲み込めた時に

喜んで食べていた缶詰もいろいろ。

カリカリにトッピングしたら
よく食べていたふりかけ

大好きだったまたたびパウダーとおやつ。

ひつじさんの小さなぬいぐるみと
ねずみのおもちゃ。


そして

うちの猫たちは
みんな色違いで持っていたお守り。

このお守りは私も持っていて

病気を抱えた猫たちを守ってくれていた物。


あの世に旅立つ時は
それぞれに持たせて来た。

いつかあの世で再会する目印になるように。


最後にしてあげられる
持たせてあげるお弁当。




そして。

膝に乗せて
撫でながら
前回の記事を下書きして

送り出し

記事を更新し

帰りを待った。










2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
※現在執筆中。



過程を綴る記事は
30代前半頃の私を書き始めている。

【「あと少しの命と。」 (2014.6.20)】



5月からは

介護が必要になった飼い猫との
暮らしや想いを多く綴りながら。

その介護も終末を迎え

我が子のように愛し
19年を共に暮らした愛猫は

とうとう召されて

前回はこの記事を書いた。

【「昨夜召された愛おしい命。。」 (2014.6.23)】




火葬車が来るまで
あと1時間程になった時

突然とても焦る気持ちになった。


前夜息絶えた体はもう動かない。


長い時間をかけて
私の膝の上で召されて逝ったから

亡くなった事は十分に理解出来て居る。


それでもまたとても苦しくなった。


もう触れられない。

愛おしい体が無くなってしまう。


たまらなくて抱っこした。


腕に抱いて
撫でたり
匂いを嗅いだり
キスをしたり


もう本当に最後だと思うとたまらなかった。


火葬の手配をしてくれた彼が午前中で仕事を切り上げて来た。

交代でぽんちゃんを抱き締めた。


がんばったね。

えらかったね。

ありがとうね。

ごめんね。

だいすきだよ。
またあおうね。





やがて車が来て家の前に止まり
火葬する台の上に私の手でぽんちゃんを寝かせた。


ゆっくりお別れをして良いと言って頂いたけれど
そこに横たわるぽんちゃんを
もう長くは見て居られなくて

短いお別れをして
蓋が閉められた。



その場では焼けないから
焼いた後また戻ってきてくれる。



車を送り出して家に入れば

思っていた以上にがらんとしていて
とても静かで寂しかった。



待って居る間記事を更新していた。



途中

鈴の音が聞こえた。


介護生活中

最後辺りは付きっきりだったが

そのまだ少し前は
首輪の鈴の音が聞こえる度に
ぽんちゃんの元へ走っていた。


あの鈴の音。



空耳かと思ったら
一緒に待って居た彼にも聞こえていた。


本当に召されたんだなと思った。




もうそろそろ帰ってくるかなと思って居た時に
電話が鳴った。

花屋さんからだった。

大好きな女性がお悔やみのお花を送って下さっていた。


お花が届いてすぐ後に
ぽんちゃんが帰って来た。

お骨上げは自宅内で行った。


900度程で焼かれた体は
骨だけになってしまった。





お花と共に小さな骨壺と首輪を置いた。

骨のひとつは
今まで居た猫たちの骨を入れているペンダントに入れた。

hutari



終わった。


そう思った。







24日。

ぽんちゃんの姿も見る事が出来なくなった1日目。



早起きをした。

夜早く寝落ちたくて
明るい時間に起きて居たくて
早起きをした。

もう
リビングのソファでうたた寝もおしまい。

寝室で眠り
起きて
リビングに行けば
静けさに締め付けられた。


朝ごはんを食べながらまた泣いた。



まだ駄目だなって思った。


まずは始めの1週間。

乗り越えて初めて
次の1週間。

1ヶ月。


そうしながら
1年が過ぎる頃にやっと少し楽になれるんだろう。

今までもそうだったから。



まだしばらくは辛過ぎて駄目なんだろう。



介護生活中
自分のケアに注ぐ余裕は全く無かった。
しなければいけない通院も出来なかった。

午前中は通院に当てた。


もう
焦って急いで出掛けなくても良い。
1分1秒にハラハラしなくても良い。



昼過ぎに帰宅すれば
ギタリストさんからお花が届いていた。




もう居ないのに

玄関を開ければ
急いで確認に行こうとしてしまう。

何かする度に確認しようとしてしまう。

その度にもう居ないんだと思う。


数日休んだ作陶作業を再開する準備をしながら

合間に庭の雑草を抜いたり
近くのコンビニに行ったり
外の空気に触れるようにした。



夜。

また泣いた。

骨壺を撫でながらしゃくり上げて泣いた。





今は

どうしても泣いてしまう時は
しっかり泣いて良いと思って居る。


我慢してねじ伏せたり
しないで居ようと思って居る。


泣いても泣いても
もう会えない事を
心が飲み込めるまで

悲しみを
何度も噛んで噛んで
噛み砕いてゆこうと思う。



“いつまでも泣いてたらダメだよ”とか

“がんばれ”とか

今は誰にも言われたくない。



ちゃんと乗り越えてゆこうと思って居る。

今までも向き合った死を越えてきたように

そして
今の私は過去に死と向き合った時よりも
その消化方法を知っているはずだから


自分のやり方で
自分のペースで

越えてゆこうと思う。


その為には

私には

今はたくさん泣いて

こうして言葉に
文字にして

ひとつづつ確認してゆく事が必要だと思う。






今日25日。

今朝は昨日よりも遅く起きた。


昨年の急変以来1年と1ヶ月と23日。

1日もちゃんと眠った事が無い。

おかげで
どんなに悲しくても眠る事は出来る。


疲れ切るまでお世話させて貰えたから
眠れずに泣いて起きてる事はない。



今朝も

いちばんにぽんちゃんに声を掛け

頂いたお花の水を変えた。


枯れてゆくのを見るのが何だか辛いから
長く咲いてて欲しいな。

頂いたお花が全部枯れる頃には泣く回数も減ってるかな…




洗濯を干して通院をした。

これから土の準備をして
少し出掛けよう。

髪を切ってくる。

それから作陶をしよう。

hutari

私の陶芸作品は

猫・金魚・花・月のモチーフが多い。


猫のモチーフは
猫たちと暮らしていなかったら作れなかった物だ。

これからも作ってゆかなきゃね。



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昨夜召された愛おしい命。

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hutari


膝の上にいるぽんちゃんはもうすぐ骨になる。


このくるくるの瞳も

美しい毛皮も

ぎゅってしてくれた手も

全部なくなって骨になる。


この記事は

ぽんちゃんの体が無くなる前に
火葬車を待ちながら書いて居る。




昨年2013年4月30日
ぽんちゃんは急変した。

乳がんと糖尿病を抱えた高齢猫。

もうダメかと思ったが持ち直してくれた。


それから1年間。

毎日毎日心配しながら

今日生きて朝を迎えてはほっとし

少しの外出でも
急いで帰宅して
生きて居ればほっとし

そんな生活を繰り返してきた。



そして
ちょうど1年後4月30日。
再び急変した。


今回は持ち直してはくれなかった。
日々明らかに悪化し衰えていった。


死なないで欲しい。
まだ一緒に居て欲しい。
置いて逝かないで欲しい。

24時間願い世話をした。


昨年までは看護だった世話は
今年からは介護になった。



5月24日には今年初めてのライブがあった。

レコ発掲げた大切なイベント。

ぽんちゃんに言った。
”行かなきゃいけないんだ”と。
”どうか生きて待っててくれ”と。

帰宅するまで
心の中はいっぱいに痛みながら願い続けた。


ぽんちゃんは待っててくれた。



6月16日は私の誕生日だった。


一緒に迎えられたらいいのに…。
願っていた。


でも。

この時はさすがに
いつ終わりがくるかわからない程に弱っていたから
諦めもどこか言い聞かせて居た。



誕生日。

ぽんちゃんは生きていてくれた。

毎日は
ほんの数口のスープやムースを舐めるだけ。

後は強制給餌で流動食を与えてるのに

この日は
朝からいつもよりスープを飲んで喜ばせてくれた。


翌17日は

朝早く
リビングでうたた寝しながら付き添って居る私の
足に乗っかって起こしてくれた。

hutari




そして。

本当にほとんど食べなくなった。

1日にスープを2舐め程。
後は口元に運ぶ水を飲むだけ。

hutari


それでも
自分の口から得て飲み込める力がある内は
続けてやろうと

流動食を与え続けた。








2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
    ※現在執筆中。



過程を綴る記事は
30代前半頃の私を書き始めている。

【「あと少しの命と。」 (2014.6.20)】



5月からは介護が必要になった飼い猫との
暮らしや想いを多く綴りながら。

その介護も
あと数日だろうと思える時を迎え

前回はこの記事を書いた。

【「私が殺してしまうのか。」 (2014.6.21)】



18日夜には流動食をとても嫌がった。


19日は飲んでくれたものの
自分で食べる事はなく便秘が辛そうだった。

便秘と言うよりも
出そうな便を踏ん張って押し出す力がもう体にはなかった。


20日。

悩んだが
流動食を与えて様子を見て居た。

また痩せたように思えた。

夜病院に連れて行った。

皮下注射をして頂いて帰宅。

深夜に
一生懸命力んで肛門から見え始めた便を
掴んで出してやった。
少し楽になったように見えた。


hutari


21日。

朝ムースを少し舐めた。
強制給餌もした。

午後。

寝返りも打たなくなった。
ずっと眠っているような状態。

それでも与える流動食を
苦しそうに飲み込む姿に

私の行為は正しいのかわからなくなった。



横たわったままで
時々立とうとするが立ち上がれず

苦しそうに鳴いて
そのままおしっこをしてしまう。

立ち上がろうと足を動かす度に
トイレに入れてやり
立てないから体を支えたらおしっこをした。

その後は
はぁはぁと苦しそうで

便を出したいが出せないようだった。

夜8時に流動食を与えた時に

もう辛いと思った。

もう飲み込ませたくないと思った。


悩んで悩んで

私は
強制給餌を止めた。


看続けて

翌22日。

時間を追う毎に悪化していった。

水も飲まなくなった。
時折苦しそうに鳴いた。

骨盤の辺りまで下りてきている便だけは出してやろうと思い
病院へ行った。
医師に肛門付近の便だけを取り除いて貰って帰宅。

少し穏やかに眠っていた。


でも
そこにはお別れが近いにおいがしてた。



時々悲しそうに鳴く。

その度に撫でる。

何時間もその繰り返し。

心拍数も呼吸数も変わらない。

いつ心臓は止まるんだろうと思った。

こんなにも苦しそうなのに
この状態がいつまで続くのかと思った。

まだ続くの?って。



日曜日。

家には
ぽんちゃんと私と
ぽんちゃんが私以外に唯一なついている人と3人。

今日ならば
みんな一緒に居てやれる。

明日になれば私は
ひとりでサヨナラの瞬間に立ち会う事になる。

それは嫌だととても思った。


きっと今日ぽんちゃんは死ぬんだととても思った。





そしてその通りになった。


何度も鳴くから膝に乗せた。

そこからどれくらいの時間が過ぎただろうか。
かなり長かったと思う。

心拍を指で確かめながら

撫でて声を掛けて話をして。

たくさん泣いた。


やがて痙攣が始まった。

治まって少ししたらまた始まって。
痙攣は3回続いた。

3回目にはもう意識が無かったと思う。

手足を突っ張って
目を見開いて
とうとう心拍が小さくなった。

彼が“息をしてない”と言った。


ほんとだ…。体が動いて居ない。


指先に感じる心拍が小さくなって触れなくなった。



19時8分。ぽんちゃんは旅立ちました。


hutari






お礼を言って
たくさん誉めて
いっぱい謝って。

流動食であちこち汚れた体を
綺麗にして寝かせて。


部屋中に敷き詰めたペットシーツや
ぽんちゃんの使っていた物もトイレも
全部ゴミに出した。

私がひとりでそれをしなくてもいいように
22日を選んでくれたと思ったから

すぐにふたりで全部捨てた。


私の元に置いて置くのは
首輪と枕と食器が少し。

流動食の残りも
フードも

今日持たせる分以外処分した。



家が広くなってとても静かだった。




ぽんちゃんの横で晩ごはんを食べた。
ちゃんと食べなきゃいけないと思った。

眠れないと辛いし
長い間眠ってないから
少しのアルコールで眠れる気がしてビールを飲んだ。


ぽんちゃんの横で眠った。

早朝目が覚めて

もう生死の確認も
流動食も無いんだと思った。






ぽんちゃんと過ごせた19年は
とてもしあわせでした。

ぽんちゃんのおかげで
子を産み落とさなかった私も
お母さんになれました。


私は
見る人によれば異常な位
猫を愛して居ました。

ぽんちゃんを愛して居ました。


そして気付きました。


私は

とてもとても
ぽんちゃんに愛されていました。

ぽんちゃんは
私の気持ちを誰よりも知っていました。


私の願いを全て叶えてから
死を迎えてくれました。




苦しかった介護生活。


でも
それがなかったら

私は
ぽんちゃんの死を受け入れられなかったのでしょう。


大好きだけど

もうしんどいと感じるまでお世話出来たから
死を受け入れられたのでしょう。



とても寂しくて辛い。

でも。ほっとした気持ちも大きい。


もう
24時間を張り詰めて怯えて過ごさなくても良いのです。




もうすぐぽんちゃんは骨になって帰ってきます。


家族全員お揃いのお守りと
好きだったごはんをたくさん持たせました。


もう少ししたら

骨を拾って。

今夜も早く眠って。


明日目覚めてから

これからの事を考えてゆきます。



この介護期間

たくさんの応援やお見舞いを下さった方々に
心よりお礼を申し上げます。

本当にありがとうございました。




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私が殺してしまうのか。



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この子の命を止めるのは

私なのだろうか。


今夜とても悩んで在る。






昨夜は猫を病院に連れて行った。


もう
最期まで自宅でと
考えて頑張ってきたが

腎不全と糖尿からの脱水から
悪化する便秘は
余りにも辛そうで

もう
後ろ足は踏ん張れる力が無く

自力での排便はどう考えても難しく


一度通院して現状を把握し
何か出来る事があるのか
医師に相談しようと思い連れて行った。



ぽんちゃんの体重は
もう1・5kgを切っていた。



もうね。

真っ直ぐ立って居られない。


家の中でなら
滑り止めの上を
よたよたと
少しだけ歩ける時もあるけれど

それも必ずではなく

基本的にはもう歩けない。



それでも転びながら

漏らしてしまいながらも

自分でトイレに向かう。


その姿を見ると
たまらない気持ちでいっぱいになる。



少しでも楽にしてやれるならと
思って居たけれど

医師にも
もう出来る事は無いと言うのが現実だった。



便は
私がこの子の体に触れて
感じていた程は溜まっていなかった。

もう骨と皮のようになってしまった体は
お腹を撫でると
僅かな便もゴロゴロと指に当たる。

酷い便秘と言う程は溜まっていなかった。

そりゃそうかも知れない。

食べて居ないのだから。


その便ももう出す力が無いと言う事は
無理矢理出した所で
同じ事も繰り返しだし


下剤も浣腸も摘便も
今のぽんちゃんには危険すぎる処置で
オススメは出来ないとの事。


後は

ゆっくり自宅で過ごすのが
飼い主の気持ちと合わせても
最も適していると

医師も言って下さった。


気休め程度なのかもしれないが
副作用の無い
腎臓への負担の無い
胃腸の薬を皮下注射して帰宅した。



帰宅後しばらくしてからは

夕方以降
ものすごい勢いで嫌がって
飲ませることが出来な かった流動食を
強制給餌でおとなしく飲んでくれた。


眠る顔も穏やかで

早朝トイレで便を出そうと力み
出せはしなかったが

私が引っ張り出す事が出来

今朝はほんの少しのムースを舐めた。












2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7 月7日以来
記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つ の記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つ の記事があります。

【「3・ 自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」 (高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17 の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※ 61の記事があります。

【「6・自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50 の記事があります。

【「7・自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※ 現在執筆中。





5月からは

介護が必要になった飼い猫との
暮らしや想いを多く綴りながら。

【「明日が見えないけれど。」 (2014.6.16)】



過程を綴る記事は
30代前半頃の私を書き始めている。

【「あと少しの命と。」 (2014.6.20)】





過程を綴り続けて居る記事の続きは
今日はお休み。

過程を綴る記事にも

少しづつ現状を綴っては居るのだが

今日は

今日の

今の気持ちを記しておく。









朝早く
ほんの少しのムースを舐め

口元に運べば自分で水も飲めていたが


昼頃からは
ぐったりと横たわり

ほとんどを
眠って居るままのような状態になった。


それでも
夕方までは持って行けば水は飲めた。




まだ飲み込む力がある内は
強制給餌をしてやるべきかも知れない。

夕べの通院帰り
そんな風に思い

飲み込める限りは
与えてあげなくてはと

自分に言い聞かせて居た。




だから
強制給餌で流動食を与えてみた。


辛そうだから
回数も量も減らして
その分栄養剤を入れて与えて居た。


それでもずっと寝たきり。

寝返りも打てなくなった。



それでも
トイレに行こうとするが

もう
本当に
まともには歩けなくて

立ち上がろうとして
上半身を起こしても

そのままぐしゃっと
潰れるように倒れて
そこでしてしまう。



今朝の姿が
数ヶ月前かと感じる程に

急激に弱った。



だけど必死でトイレに行こうとする。

倒れて
その場でしてしまっては

ものすごいしんどそうに
はぁはぁと息をする。

これで息が止まるのではないかと思う位。




とても悩んで

悩んで

それでも飲み込めるならと

嫌がらないならと

その後も2回
強制給餌をした。



ごくんごくんと音を立てて
苦しそうに飲み込む。

嫌がる力も無いのかも知れない。

水も飲まなくなった。




私は
次の強制給餌は本当にすべき事なのか

大きく悩み始めた。



この子の喉が
全く飲み込む事が出来なくなるまで与えた所で

自由に動けて
食べれて

あと数ヶ月もを生きれるとは

もう思えない。


こんなにも辛そうなのに

無理矢理飲み込ませて
少しの延命をするのならば

おかしいとも思う。



でも
ふと
まだ楽そうに見える表情も
するような気がする。




これから

私が次の強制給餌を行わなければ

あと数日どころか
数時間なのかも知れない。





私はどうすべきだろう。





これは

誰かに問うて在る訳ではない。

私が自分で決める事。



どうか
どんなに私と親しい方であっても


これに関しては

どんな感情を抱いて
ご心配下さっていたとしても


何の言葉も
文字も

私に送らずに

黙ってそっと
ただ見守って居て欲しい。




自分の心と

私が想うぽんちゃんの気持ちだけに

耳を傾けて考えたい。






そして。思う。


私の心には

もう
強制給餌をしないで居たいと

思う気持ちがとても在る。


ぽんちゃんも
それを望んで居るかも知れないとも
考えたりしてる。


それはなぜか。


恐らくは

ぽんちゃんは
この世の誰よりも

私の気持ちを感じて居ると思うから。




昨年の急変から1年

毎日心配しながら過ごし

この1ヶ月と22日の介護生活は

とても大変で

この先どうなるのか
私がいつも不安だった事も

本当は
もう
とても疲れて居る事も

この子が

いちばんわかっているのだと思うから。





手に触れると握ってくれる。


生きてるから。

握ってくれる。


私はこれからどうするのか

問うて夜を越える。






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命の残りを数えながら。





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1年前の今日は
私ステージに立ってたんだよね。

遠い昔みたい。


今年は
5月24日にやっと立てた以外

まだ何も決められて居ない。


これは

私が生きて在る中で

とてもとても大きな
痛みのひとつである。





私は
「月下陽香」の名で音楽活動をして居る。


体調の悪化からこの2年程
ライブ本数はとても減ってしまったが


自分の実体験から生み出した
オリジナル楽曲でのステージを展開して居る。



そして。

その真ん中に掲げるものは

「摂食障害」と「自傷癖」



2013年からは

ステージの上でも
はっきりと言葉にして
それらを晒す事を始め


同年7月から今日にかけて


日々の想いや
月下陽香の活動等を綴りながら


このぶろぐ「癒え待ちよすが」に


「摂食障害者」となり
「自傷癖者」となり始めた

小学生の頃からの記憶を掘り起し


自分が

どんな環境で
どのように生きてきたのか

その過程を
順を追って記事として書き記して居る。





4月30日に

この世の命在るものの誰よりも
長い年月を

私と共に暮らしてくれた
19歳の猫が急変して以来は


過程を書き記す記事の更新速度は
とても遅れている。



どうしても
もうすぐ消えてしまう命と
向き合う今日を記す記事が多い。



過程を綴る記事を
楽しみに待って居て下さる方々には
申し訳ないのだけれど

もうしばらく

そう
きっとどんなに嘆いても

あと少しの間だから


続きの記事から離れて
現状を多く書きながら更新してゆく事を

見守って頂けたらと願って居ます。











2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7 月7日以来
記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つ の記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つ の記事があります。

【「3・ 自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」 (高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17 の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※ 61の記事があります。

【「6・自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50 の記事があります。

【「7・自傷 と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※ 今後執筆。





介護が必要になった飼い猫との暮らしや
想いを綴りながら。。

【「命があと僅かとなり。」 (2014.6.7)】



過程を綴る記事は
20代後半頃の私を記し終えたところ。

【「いつも痛みと共に。」 (2014.6.3)】




これから
30代前半頃の私の過程を
現在に向かって書き始める所まで
やっと辿り着いたのだけど…

今日で1ヶ月と10日になる
介護生活に触れておこうと思う。








「もう手の施しようがない。」



19歳の高齢猫。

糖尿病と乳がんを抱え

腎臓の疾患ももう末期。


皮下点滴が出来ない程に
腎臓機能は低下しており

あとは入院での血管点滴しかないが

それをして良くなる可能性は低く

一時的に良くなったとしても
この先何か月も楽に生き延びられる訳でもなく

入院中に亡くなる可能性も低くはない。


私はこの子の飼い主だ。


今のこの子に
そんな一か八かの治療は
もう必要ないと考えた。




後は

近い内に必ず来る

召される日まで

残りの時間を
この子の大好きな自宅で
共に過ごそうと決めた。



1日1日
確実に
これまでには出来ていた事が出来なくなってゆく。

とても速い速度で毎日を朽ちてゆく。


生きて朝を迎える度に
今日も命が続いて在るように願う。


足のぐらつきも
もつれも
日々酷くなっている。


それでも
自分でトイレに行こうと
転びながら向かう。


聞こえなくなった耳には
私が
どんなに「こっち だよ」って言っても
届かない。


片方しか見えない目で
ぶつかりながらトイレを探す。

間に合わず漏らしてしまう。


この子の近くにトイレを2つ置いて
辺りをペッ トシーツで敷き詰めた。


もうほとんど寝たきり。


寝返りだけは
頻繁に自分で打ってくれる。

そんな状態なのに
一生懸命トイレに行く。


足も手も力が入らないから

トイレに辿り着いて中に入っても
しゃがみ込めなくて

おしっこはトイレの外に出てしまったりする。


数日に1度のうんちは
踏ん張っても力が足りなくて
最後は手伝ってやらないといけない時もある。


終わった後はぐったりしてる。



ごはんも水も
口元に持っていってやらなければ
自分から行く事がもうほとんど出来ない。


それでも
持って行けば
気に入った物は僅かでも食べる。


この子が
自分で選んで食べる間は

私は
強制給餌で流動食を与える事を
止めないで居ようと思う。




数日前までは食べる事が出来た
高齢猫用に
細かく刻んでいる缶詰やパウチも

もう飲み込めなくなった。

少しでも食べて貰えるように
いろいろと手作り食も考えて頑張っていたが

固まりはもう飲み込めない。


ムース状の缶詰も
すくい取る力が舌にない。


いろいろと買っては試しゴミになる中

サイエンスダイエットの
ムース状の缶詰の匂いに反応した。


それをすり鉢に入れ
水で伸ばしながら
更に細かいどろっとした液状にすると

一生懸命舐めてくれた。


以来
日に何回でも
与えるフードの全てを磨り潰している。


それもあと何日受け付けてくれるだろう。



昨日は大丈夫だったのに

今朝ぽんちゃんの下腹の左側だけが膨らんでいた。

恐らくだが腎臓だと考えられる。

そうならば
片方の腎臓はもう機能していないという事。

残った片方で尿を作っているものの
時間の問題でそこも機能しなくなり
尿毒症で死に至るという事。



どんなに泣いたって
願ったって
足掻いたって

残りはあと少し。

わかってる。


とても悲しくてたまらないけれど
仕方ない。

わかってる。




最期の時。

どうかこの子が苦しまずに居て欲しいと

今いちばん願う。








昨日ぽんちゃんと写真を撮った。


抱っこされるのも
この子にはもう大変な事で

だから
ほんの一瞬でカシャカシャっと2枚だけ。

ピント調整やら
二人ともが正面を向いてるとか
そんな事してる余裕も無く。



欲しかったんだ。
一緒に写った写真。

日に日に衰えてゆくから

ぽんちゃんが
これからもっと弱ってく前に

綺麗なお顔の内に

写しておきたかったんだ。

きれいに写せなかったけど。




毎日ほとんど付きっきり。

幸い仕事は自宅でして居るから
それが叶うのだけれど。



ここだけ世界が違うみたい。

ここだけ流れが違うみたい。



近い内に必ずくる
サヨナラに向かっての時間は

物凄い速さで流れてくのに

後は全部

置いてきぼりみたい。



介護が嫌なんじゃない。

ぽんちゃんとまだ過ごせる今日に
とても感謝して居る。



でも。


小さな窓から

遠くに見える楽しそうな人達を

じっと見てるだけのような想いは

これまで以上に大きく膨らむ。








※ 申し訳ありませんがしばらくの間コメント欄の設置をお休みしております。

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自己紹介。

月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


このブログには
私がかつて
「摂食障害」・「自傷癖」と
共存して居た頃の出来事を綴った記事も
多く置いて居ます。


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