❝ 月下陽香からのおしらせ ❞

  ♪:*:.:*:♪ ・らいぶ情報・ ♪:*:.:*:♪

     ❤ 2017年2月11日(土・祝)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-(選べる1ドリンク&1フード付き)
18:00 オープン  19:00 スタート
★月下陽香&井上タイキ・HAT TREAT ツーマンライブ!!

     ❤ 2016年11月6日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1500-+1ドリンク別途要

     ❤ 2016年5月22日(日)
大阪市北区・東梅田駅~5分  Live Bar 
「 B-flat 」
※ 料金¥1000-+1ドリンク別途要

     ❤ 2015年12月25日(金)
大阪市中央区・なんば駅すぐ  LIVE Space 
「 音(オン) 」
※ 料金¥1000-



  ♪:*:.:*:♪ ・CD情報・ ♪:*:.:*:♪

  ◆ ファーストシングル ・ 花いばら ◆
            2曲入り ¥500-
            2014.5.24 発売
花いばら

  ◆ セカンドアルバム ・ 生きてるからね。 ◆
            6曲+1曲入り ¥1000-
            2011.8.21 発売

いきてるからね。

※ こちらからもお買い求め頂けます。
  「お便りはこちら❤」から お名前とご連絡先をお知らせ下さい。

心が叫ぶ悲鳴を止める時。

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



今。


ここを読んで下さって居る
あなたは 

おいくつでいらっしゃるのでしょうか。



ここをご訪問下さる方々の中には 

自傷癖者さんや
摂食障害者さんも
多く居られます。


そして
その方々は

きっと 
私よりもお若い方々が
多いと把握しております。



そう言われるお子様をお持ちの
親御さんがご訪問下さる事も結構あります。



もちろん 

自傷癖者さんでも 
摂食障害者さんでもない方々も 

他の
何からの
病や痛みと共存されて居られる方も 

お知り合いも 

お顔も知らない方も 
居られます。




あなたは



おいくつなのでしょうね。





私は
やっと

最近になって

思えるようになりました。


「明けぬ闇はないのではないだろうか」
と。




そう思い始める思考が 

やっと
少し生まれ始めたように思います。



でも
私は

とても偏在で 
とても歪んで居て
とても偏って居て 


私に根付いた
自傷的思考は
とても深くて。


それを知り始めるまでに 

何十年もを
苦しみ抜いてしまいました。



もう少し早くに 


せめて
もう少し 
この身体が無理を出来た内に 

気付けたならばと 


悔やむ気持ちは

とても大きいのです。







「摂食障害者」・「自傷癖者」として生きた
約30年間の 出来事や想いが書かれた記事たちは
「カテゴリ。」に振り分けて安置されています。
必要な方はいつでもお立ち寄り下さい。

全「カテゴリ。」の説明とリンクをまとめて居ます。
【このブログ「癒え待ちよすが」について。】


こちらも少しづつ書いて居ます。
【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】









このブログ

「癒え待ちよすが-イエマチヨスガ-」 には 


何気ない
日々の出来事や 
その都度の感情 
音楽活動なども
書き記して居るが 


2013年の7月からの2年間は 

それらに加えて 

何よりも 

私自身が 

摂食障害者となり
自傷癖者となり 

そうする事でしか生きて在れなかった 

人生の
半分以上を占めてしまう年月の

イキザマを 


記憶を掘り起し
呼び起こし 


いくつもの 
過程を綴る記事として 
告白し
書き遺して来た。




発症した頃の私は
まだ小学生だった。


その後
20年もの年月を 

私は

孤独に 

摂食障害者で 
自傷癖者で在る事でしか 

この世に存在出来なかった。




その後の10年は 

そこから克服したい私と 
呼び戻される私が 
何度も行き来した。


何度も何度も。


結局は
完全な克服には至れずに 
苦しんで過ぎた年月だった。




私が 
自らの嘔吐も自傷も
しないで 

日々を在れるようになったのは 

まだ最近だ。

ごくごく最近。


40代を生き始めて 
やっとそこに到着した。


けれど 
それが
もう二度と揺らがぬものかと問えば 
それはわからない。


どんなにそのつもりで居たとしても 

「絶対」とは言えない。


もう戻りたくないと
どれ程に思って居ても 
まだ
自分でも
どこかで疑ってしまう。


それ程に
長い長い時間を 
私は闇に落ちて居たから。




闇は
いつだって手招きを止めはしない。


その闇は
時に
麻薬のような快感へといざなうから 

自傷は
いつまでも 
脳に付き纏うのかも知れない。




そんな過程を
ここに綴った記事は
多数存在してる。


誰でも見れる所に 
観れる所に 

今はまだ
飾って居るような感じ。

【このブログ「癒え待ちよすが」について。】





そこには
沢山の文字を書いて来た。


育ってきた環境や 
親の事は 
特に沢山吐き出してきた。



私が
なぜ
こんな偏在者となってしまったのか 


私なりに突き詰めて
出した考えや想いも
書き放ってきた。


きっと 

叫んでも叫んでも
誰にも気付かれぬままに 

熟れ続けた 
精神の悲鳴たちだ。




そして。

最近では
記事の更新速度はとても緩やかで 


私は

私なりに 


持病と向き合いながら 

これからの事を考えながら 

まずは
日々を必死になって消化して居る。



心を立て直す為に。


残りの時間を 

苦痛よりも
幸せを探し在れる人生に 
少しでも変えゆけるように。







父とは
この3年近く 
付き合いを絶ってきた。


私は 
殺されると思う程に 
疲れ果ててしまった。 



私達親子は
やはり 
深い溝を埋められないどころか 
壊し合ってしまうと
確信出来る所に行き着いたから 

関わりをとことん避けて過ごして居た。



やっと
少し 
私の中では 
父に苦しむ感情を 
落ち着かせ始めた所だった。

関わらずに過ごせる事で 

やっと私は 
自分の生活を作り始めた所だった。



だけど 
いつも気にはなって居た。

気になるほどに苦しかった。

そして虚しかった。

自分の人生が
とても
虚しかった。






そんな中 
届いた葉書と 
その後の出来事は 
先月から前回まで
6つの記事に収めている。

【「孤独の中で「生」を選ばせた私。」(2016.8.6)】

【「死にたかった年月の方が長いのに」(2016.8.10)】

【「死なずに殺さずに在る為のバランスを問うて。」(2016.8.13)】

【「内臓と引き換えた鍵。」(2016.8.20)】

【「キズグチが生んだ果たし状。」(2016.8.26)】

【「死んだように生きるのか。(」(2016.9.1)】





先日 

父は退院をした。


父の家には 
手紙を置いて来て居た。

私なりの果たし状だった。


便箋は何枚になっただろうか。

とてもとても長い手紙になった。


私が
なぜ
父を避けて生きる事を選んだのか 

正直に書いた。

殺されると思った程の
苦痛の理由も書いた。



ずっと
嫌でたまらなかった事も書いた。


父の都合良く 
娘にされたり 
嫁にされたり
母にされたり 

そんなのも 
もううんざりだとも告げた。



親の寂しさの穴埋めに
子を産む気なんて無い事も書いた。




いつまでも 
過去に失ったものに執着をして 
人を恨んで 
恨んで 
飲めば荒れて。

そんな父の面倒を
その都度みるのも
もう嫌だとも書いた。



父が言い続ける 
吐き続ける 
悪口も 
恨み妬みも 
もう聞き疲れた。




世の中には 
父子家庭なんて沢山在る。


中には 
子供のお弁当を
一生懸命作るようなお父さんだっている。



うちは
ずっと 
始めから
当たり前に 
家事は全部
私の仕事だった。



十代の頃からずっと。


周りの友人たちが

だ子供として過ごして居た頃から 

私は
家事と仕事に追われて居た。


早くに家を出てからも 

何かにつけて
私が面倒を見て来た。


何でも私任せで 
家はゴミ屋敷。


それでも
ずっと我慢して我慢して。

疲れ果てた。




父はいつも私に言った。

「まかせとくわ」って。


で。
一応聞く。

それに対して
いくらかかるのかと。


そして時に 
その費用に
少し上乗せして
私に渡そうとしたりもした。



物凄い無理をして 

心にも身体にも無理をしまくって 
父の要望に応えて。


いつも身体はボロボロになった。
精神はぐちゃぐちゃになった。


時に少し位
余分なお金を渡されたって 
嬉しくもなんともなかった。

それで何か買う時には 
ひたすら虚しかった。



私は
そんな小さな金が欲しい訳では無い。


そんな事よりも 

私は
父に 

自分の事は自分で出来る大人に
なって欲しかった。

やってみようとする大人に
なって欲しかった。



自分が
面倒に思う事や 
カッコ悪いと思う事 
恥ずかしいと思う事は 

いつも私に丸投げしてた。


面倒で 
カッコ悪くて 
恥ずかしい事は 
自分ではしたくなくて 
私には平気でさせた。




私は 

本当は
ずっと 

何か起きた時に 
親に相談できる友人が
羨ましかった。


うちでは
私が
いつも
相談されて
調べて処理をしていたから。



家に帰れば
食事が用意されている友人が
羨ましかった。

お弁当を作って貰える事が
当たり前なんて 

未だに理解出来ない。


経験が無いのだから
わからない。



実家に帰れば
家が普通に掃除されて居て 
どんな形でも
食事なんかが在って。

泊まれる布団が在って。


そんな経験を 
一度でもしてみたかった想いも書いた。




理解されなくてももう良い。

こうして吐き出すのも
もう最後だと思って書いた。



もしかしたら…
胃袋を失う程の経験をした今なら 
あの父にでも
少しは伝わるのかも知れないとも思った。






先日 

退院後の父に会いに行った。


家は
相変わらす汚れているけれど 


入院中に
私が掃除をした場所は
綺麗なままだった。

自分なりに
努力して居るようには見えた。



冷蔵庫には 
自分なりに学んで選んだ食材も
買って来ていた。


胃の全摘から
まだ1か月も過ぎて居ない。


抜糸もまだ半分だけ。


それでも
食べる物を
考えて買って来ていた。

そこには
勿論アルコールは無かった。



キッチンには
まだ温かい鍋が在って。


中には
魚が煮付けられて居た。



叔父さんが
よく釣りに行くらしく 
沢山釣れた時には
分けてくれたりしていたそうで 


ちょうど
前日に釣れた
鯛と鰤を
持って来てくれたとの事。

叔母さんが
きちんと処理をしてくれた
新鮮な物を頂いたらしかった。




その鯛を煮付けていた。

みりんがなくて
お向かいさんに借りて作ったらしかった。



家に入るなり 

父は
それを見せたがって 

私に見せて 

持って帰るように言った。


夕食に持って帰るようにと。


おいしくないかも知れないけど 
家でゆっくり食べなさいと。


鰤はお造りにしてくれた。


キッチンに立って 
不器用に 
不揃いなお造りを切ってくれた。






父は

私に

食事を作ってくれて居たのだ。




10年程前に
一度だけ 
父が肉を焼いてくれた事が在る。


それは
その当時父が良く食べて居た物らしく 

「ついで」に

焼いてくれた事が在った。



鶏もも肉をニンニクで焼いただけ。

たとえ 「ついで」でも 
記憶に残ってる。


父の暮らす家に行っても 

いつも
家事をする為に行って居るような状態で 

父が
私に何かしてくれた事なんて無かった。



親に
食べる物を作って貰ったのは 
子供の時だけ。


中学の頃には
家事の大半は
私の役目になって居たし。

母は出て行ったし。



一度だけ 
10代の終わり頃に 
母に会った時に 

お弁当を持たせて貰った。



はんぺんと
ごぼう天を
醤油と砂糖で甘辛く煮た物が
半分と 

もう半分には
白くてやわらかいご飯が 
びくともしない位に押し込まれて。


煮物の汁が
全部ご飯に沁み込んで。



料理がとても下手くそな母が 

学校のお弁当も作ってくれなかった母が 

私に
最後にくれたお弁当が
それだった。

赤い小さな楕円形のお弁当箱だった。



それを除けば 

家族に
何か作って貰う事なんて 

本当に 

余りにも少なかったから。



心が

ぎゅってなった。



父が
私の為に作ってくれた料理。


自分は食べられないのに 

自分の為では無くて 
私の為に 

術後の身体でキッチンに立ち 

みりんを借りてまで
作ってくれた料理。




こんなのは初めてだった。



その場では
上手く言えなかった。

嬉しくてたまらなかったのに 

それを表現する事に躊躇して 
特別喜んで見せたりもしなかった。



だけど。

うれしかった。

とてもとても。



それは 

私が 
されてみたかったと 

ずっと思って居た事の

ひとつだったから。



そうされてきた友人たちを 
どんなに羨んで来たか。


得られない不足を 
私は
ずっと抱き締めてきたのだ。



それが
初めて 
私にも 
して貰えた事になった。



大事に大事に持ち帰った。

守るように持ち帰った。



残りの鰤も頂いたけれど 
食べ切れないから
塩焼きにして冷凍した。


お造りと煮付けは大事に頂いた。


心にも身体にも 
忘れないように 

大事に頂いた。






その日は 
一緒に買い物にも行った。


父宅のカーテンを買って 
一緒に付けた。


一緒にスーパーも寄った。


父が食べられる物のストックと 
お向かいにお借りしたみりんと。

私の昼食にコロッケひとつ。


それから
私の好きな 
その土地限定のグリーンソフト。



私の物もいくつか在ったけれど 
この日は父はお財布係。
この日の支払いは父に甘えた。


昼食は 
コロッケをひとつ食べてる私の横で 

父は
私が買っておいたレトルトのお粥を 
丁寧に皿に移して 

私が作って持ってきた
魚の煮付けをおかずに食べて居た。



私も魚を煮付けて来ていたのだ。
おかしな偶然。

父は
それを
「おいしい」と食べて居た。




思っていたよりも
頑張って食べて居て安心した。


胃袋を全摘したのは 
先月の17日。


人間の身体は凄い。


それでも
食事を受け入れようとする。

生命力とは物凄いと思った。





父は 
愚痴も
悪口も
毒も吐かなかった。


一言も
誰の悪口も言わなかった。



私に対して 
何かをして欲しいと 
ひとつも言わなかった。


もう
無理をしなくて良いと言った。



とても穏やかな顔だった。

よく笑って居た。







孤独の中で
生きる事を選んだものの 

手術には
大きな恐怖を持ち 


それはそれは
張り裂けそうな想いを
独りで抱き締めて居たのだろうと思う。



オペ室に向かう時の
顔と

繋いだ手は

忘れられない。


そこから 
生きて戻って来て。


父の中では
何かが変わったのだろうと思う。



今回は
さすがに
本当に堪えたんだと 
そう言って居た。


60代の後半を生き始めた
父の人生は 


喜びよりも
憎しみに
塗り潰されたような年月だった。



本当は
全てが
痛みに熟れて居た訳では無い。


そこには
小さくとも
喜びもあったのに 


それすら全否定して 

見ようとも出来ない思考に 
呪われたような
年月だったのではないだろうか。



オペ室から
生きて帰って来た父は 


胃袋を失ったけれど 



心の目を 

探し当てたのかも知れない。





時々
ショートメールが来るようになった。

私も送るようになった。





父の癌が治った訳では無い。

再発の可能性も低くはない。


これから少し先に 
何が起こるのかはわからない。

油断も出来ない。



でも 
本人が
頑張ってみようとして居る事は
とても伝わって来た。



私にも
持病があるし 

毎日は
仕事に追われてしまえば 
もう余力も見当たらないままに 
いっぱいいっぱいで過ぎてゆく。


その中に 

父宅へ通う生活も 
そろそろ緩めたい。



自分を守れなければ 
何かが起きても
助けても上げられないから 


私は私で 
また 
今の日常を
守る為に
注いで居られたらと思う。







ひとつ

ステージを決めた。


日付だけ 
今日は
お知らせをしておきます。



11月6日。



近い内に
それについても 
また書きますね。





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どちらかが死ぬまで。

      ◆◇ご訪問ありがとうございます。『 癒え待ちよすが 』へようこそ。◇◆



悪いのは

私では無いと
思って居る。



100パーセントかと
問われたならば

わからない。




もっと早くに 

ここまでに
なってしまうまでに 


もっと
厳しく
真実を伝えてみるとか 

感情のままに
ぶつけてみるとか 


出来て居たならば 



もしかしたら 
事態は
ここまでには
悪化して居なかったのかも知れない。




相手が相手だから 

必ずしも
そうとは 
全く言えないけれど 


少なくとも 


限界を
超え過ぎるまでの我慢を
繰り返し過ぎた事で 


私は

もう 

修正の出来ないだろう所まで 
千切れてしまったのだから 


そこまでに
行き着いてしまうまでに 


この心が 

常に
小さくも
吹き出して居られたならば 


取り返しのつかない
噴火をしてしまう事は
無かったのかも知れないとも

考える想いは在る。




でも。

それが出来るような環境は 


生まれ落ちた時から

私には
与えられて居なかった訳で 


我慢をする事しか
教えられては来なかった訳で 


それをさせてくれるような相手では 

始めから
なかった訳で。



結局は 

関係を
壊してしまうか 

私が
壊れてしまうか 


どちらかしか 

選べる未来は
与えられて居なかったようにも感じて居る。






今日の大阪の空は青くて。

雲も無くて。


白い月が浮かんでた。



何だか
ちょっと間抜けにも見える 

昼間の空に

浮かぶ

白い月。


夜空の月と同じなのに 

愛嬌が在るように思えて
愛おしさが増すのは 


私だけかな・・・。







「摂食障害者」「自傷癖者」で在った私の
発症から約30年間の過程を
2013年7月7日から
2年間を掛けて書き続けた記事と
その後書き始めた
原因や理由 克服について思う記事は
各「かてごり。」に安置されています。

お役に立てるかはわかりませんが
必要な方はいつでもお立ち寄り下さい。

下記ページに
全「かてごり。」の説明と
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こちらのカテゴリに含まれる記事も
少しづつ書いて居ます。

【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】









家族って一体なぁに?


結局は

私には
未だにわからないものだ。



ひとつだけわかるのは 

私にとってのそれは 

世間で
一般的に言われる枠には
入らないだろう 


自分で決めた
僅かな者だけでしか

ないと言う事。






血の繋がりってのが在る。


この身体に
流れてしまって居る血。


父親の精子と
母親の卵子が
結び付いてしまったが為に 

出来上がってしまった

私と言う生き物は 


殺した母と
切った父の

混ざり合う血が流れて居る。



そう思うと吐き気がする。

空えずきが始まる。

ぞっとする。


とても悲しいけれど

それが現実。




一般的に捉えたならば 

血の繋がる者達は
「家族」だろう。


社会的にも
科学的にも

基本的にはそうだろう。




だけど 


当たり前に 
その 
血の繋がりだけが
家族では無い。


育ての親だっているだろう。


結婚相手の親族は 
自分の家族にもなるだろう。



この身体に
同じ種類の血が流れて居なくとも 


「家族」で在る関係も
色々と在る。


それは
とてもそうだと思って居る。





でも 

だからと言って 
日々
様々に関わる

血の繋がらない人達に対して 


まるで
「家族」のように想う事も無い。


当たり前にね。


ものすごく親しくして頂いて居る人達も 
「家族」では無い。




かと言って 


私にとっては 
実際に
血の繋がる人間たちは

「家族」では無い。





私と
血の繋がる者達は 


自分が得をする為に 

楽をする為に 

私を必要とはした。



自分の嫌な事をさせる為に 

自分の立場を良くするために 

利用出来る私だけを
求めた。



自分が辛い時だけ 

優しい顔と言葉で近付いた。



愛されたかった私は 
自ら喜んで利用もされた。



でも

見返りは

いつも 
束縛と抑圧と
洗脳でしか無かったのだろう。




私が
本当に辛い時 
困った時 

どうしようもない出来事に
巻き込まれた時 



助けてくれた者は

ひとりも居なかった。


更に
悪化させる者は居ても 

誰も助けてはくれなかった。



ずっとそう。


私の本当の痛みに 
真剣に傾けてくれた 
血の繋がる者は 

ひとりも

居なかったんだよ。
本当に。





血の繋がる者達は 

実際には
沢山存在してる。


父も生きて居る。


母も妹も 
どこかで生きて居るんだろう。



父の
親も兄弟も 

その子供たちも 


母の親も姉妹も 
その子供たちも 


沢山存在はしてる。



だけど 

誰とも
私は
交流をして居ない。


会った事も無い親族も
沢山居てわからない。


そう言う環境に
置かれて
育ってきたし
生きて来たし。


だからわからない。




父以外は 

私が
今ここで暮らしてる事も知らない。


私が
ここに居る事を知って居る父とは 


私が
選んで
連絡を取らなくなって 

約2年程だろうか。




限界を超え過ぎて 
私は父を拒絶した。


これ以上
我慢を重ねて受け入れて居たならば 


私は 
自死してしまうか 
精神が壊れてしまうと 


本当に本当に
真剣に
深く強く
そう思えたから 

拒絶した。



殺されてしまうから。


生きて在る為に 
不要な関係を絶った。





それが
正しいのかと問われれば 

正直わからない。

自信は無い。



だって 

心のどこかでは

”血の繋がる者“は
「家族」だろうと 


やはり
考えてしまう私が居るから。



なのに 
それを拒絶する自分は 

とても悪い事をして居るように 
思ってしまう
思考も在るから。



だけど 

間違って居るかと
問われたならば 


「間違っては居ない」と
答えられる私も居る。



その私は


胸を張り 
背を伸ばし 

心の中 

大きな声でそう言って居る。






母の事はね 

もう死んだと思ってる。


そう思える私に
40年近く掛けてなったから。


もう他人よりも遠い。



もし 
この先に 

本当に
母親が他界した時に 


奇跡的に
私が 
何らかの方法で
それを知る事が出来たとしても 


私は
葬儀に行く事も無い。

墓に参る事も無い。



妹が
例えば
結婚しても 
死んでも 
わからなくて当然。


だから
もう
何が起きても関係ない。





だけど
父はそうはいかない。


仕方ないけれど
それは現実。






遠い昔に 

母は
妹を連れて 

父と
私と
ゴミを

置いて行った。



私は 

父を好んで居た訳では無いが 

母に着いてゆく位ならば 

その
束縛と抑圧から解放されたくて 

父を選んだ。



母に着いてゆけば 
金銭には困らない。

社会的にも得られる物が多い。



それでも 
もう
その就縛から解かれたくて 

金にも困り続けるだろう
その環境を選んだ。




ここには 
まる2年をかけて 
私の過程を書き遺して居る。

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沢山書いて来たが 

私は 

どちらかを
選ばなければならない時に 

父を選んだのだ。





限界を超え過ぎて 
連絡を絶つ選択をしたが 



父に何かが起きれば 

私に連絡が来るだろう。




父は
友人も少ない。

外に出るタイプでも無い。



でっかいテレビを置いて 
散らかりまくった部屋で 
昼夜問わず
飲んで居るようなタイプだ。



あっという間に老け込むのだろう。

交流が無いと
人は老けるしボケてゆく。



悪くなる状況の中で 

進歩してゆく医療に 
長くだけ
生かされたりするのかも知れない。



そうなった時に

私はどうするだろう。




引き取る考えはない。

世話をする気も無い。


何も遺してくれなくて良い。

1円も残してくれなくていい。



だけど 

注ぐ気持ちも
もう無い。






日々にふと思う。


そこまで

想いは強く固まってしまう所まで

追い詰められて
こうなったのに。


思ってる。




私って

きっと
最低なんだろうなって。



自分を責める。



だけど

もう背負えない。


もう無理だ。


殺されてしまう。




なのに自分を責める。



どっちかが
死んでしまうまで 


この
感情のせめぎ合いは



続くしかないのだろうね。






★。、:*:。.:*:・’゜☆。.:*:★。、:*:。.:*:・’゜☆。.:*

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「自死」とか「安楽死」とか「尊厳死」とか並べて考えた数日。

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「自死」

とは何か


辞書をひけば


「自殺」

と書かれていた。



「自殺」

とは
何か


調べれば


「自ら自分の生命を絶つ事。自害。」

と答えられた。



では

「安楽死」

とは何か。


「苦痛を長引かせない事を目的として
      人為的な方法で殺す事。」

と書かれていた。



ならば


「尊厳死」とは?


調べれば何でも出て来るね。



「患者の意志で
 治療の継続を中止した結果
        死に至る事」

なのだそうだ。





以前 
知り合いが言った言葉を思い出した。

彼女は言って居た。


「安楽死は自死と同じだ。」  と。




「死」に対して
想う事は
人それぞれに在る。


だから
どれも
否定は出来ない気がして居る。



そして
その時は
その言葉に 


なるほどなって思う私が
居た事を 

とてもクリアに覚えて居る。



当時
私は
とても納得をしながら 

その会話を受け入れて居たんだ。




「安楽死」



「尊厳死」

の違いについては 


これまでに
きちんと
分けて受け止めた事が
無かったかも知れない。


どう違うのか
明確な言葉にして受け止めた事は
無かったように思う。



結局は
曖昧に
処理して捉えて居たのかも知れない。


この違いを受け止めた時に 


人には

生きる権利が在ると思いながら 

死ぬ権利もあるのかも知れない


なんて 
ふと考えたりした。




何が
正解なのか
正しいのか 

正直なところわからない。



私は

私の
これまでの経験から


感じて 

私なりの現状で
思う答えを持って居るだけ。




前回の記事に書いた。


今の私は
きっと


「死にたいのではないけれど 消えたいんだ」

と言う想い。



今日は
それについて

少し

書いて置けたらと思って居る。








「摂食障害者」「自傷癖者」で在った私の
発症から約30年間の過程を
2013年7月7日から
2年間を掛けて書き続けた記事と
その後書き始めた
原因や理由 克服について思う記事は
各「かてごり。」に安置されています。

お役に立てるかはわかりませんが
必要な方はいつでもお立ち寄り下さい。

下記ページに
全「かてごり。」の説明と
各「かてごり。」へのリンクをまとめて居ます。

【このブログ「癒え待ちよすが」について。】 ←クリック



こちらのカテゴリに含まれる記事も
少しづつ書いて居ます。

【「10・自傷と共に生きてきた30年を越えて。」(書き終えた私なりの答え)】








死のうと

本気で思ってた時代が在ると 

前回の記事でも述べた。


それを
実行してみた事も在ったと。



ここには 

私が
摂食障害と自傷を発症した 
小学校低学年の頃から
現在までの出来事を 
順番に書き遺して居る。



死のうと
行動を起こした時 

私は20代だった。

【このブログ「癒え待ちよすが」について。】 ←クリック





基本的に

私は 
ずっとずっと 

早く死にたくて 

自傷に埋もれて
生き急いで来た自覚を持つ。


こんな
40代を
生きる自分が
生きて存在するはずではなかったのだ。



早く死にたかった。

とにかく
早く死にたいと思って居た。


日々
生きる事は
何よりも苦痛だった。


こんなにも苦しいのに 

なぜ
生きて居なければならないのか 

わからなかった。




でも
死に損ねて感じた。


死ぬって事も
難しいんだろうなと。



きっと
どこかで躊躇する。


ほとんどの人が

きっと
最後に躊躇する。



生きる事は
こんなにも
苦痛にまみれて居るのに。


一瞬を躊躇う。



そして

また生き延びる。


本当に
死に辿り着ける人には 


その
躊躇に対して

瞬間の

間が刺すのかも知れない。


あるいは

魔が刺すのかも知れない。



だから
朽ちる事を
成し遂げられるんだろう。



でなければ

自死も
相当難しいものなのだと

私は思うようになった。


でも

生きる事は苦痛だった。




日々の中に
幸せを探したり 

前を向こうとか 

明るく居ようとか 

そんな努力も何度もしてもみた。


それでも苦しいんだ。
とてもとても。



愛する人と暮らして居ても 

いつも満ちはしない。

いつも不足を感じてる。



誰と居ても 
何を買っても
食べても 

セックスを繰り返しても 

寂しさは消えない。

悲しみは付き纏う。






人は
この世に生まれた瞬間から
死に向かって時間を刻む。

みんなそう。


肉体は
いつの日にか
必ず滅びる。

急がなくても
いつかは死ねる。



そんな当たり前の言葉では
救われない程に 

毎日は不足して居た。

だから

死に焦がれて居た。




でも。
私は死ねなくなった。



自死だけは
してはいけないと 

強く胸に刻む出来事に直面した。






30代に掛かる頃

結婚を選んだ。

その直後だった。


家族の自死。


マンションの非常階段で
首を吊って命を絶った。




それまでにも
いくつかの自死には絡んで来た。


知り合いの自死を
目の前で見た事も在った。



それは
大きな衝撃だったけれど 

家族の自死を
受け止めた時とは違って居た。




「家族」なんて
よくわからない。


家族が
尊いとか素晴らしいとか
思った事も無い。


今の私以上に 
当時は

「家族」なんて
“クソだ”
位にしか思って居ない。



結婚を選んでも 
それが
「家族」かと聞かれたら 
それもわからなかった。



だけど 

それまでに絡んだ
知人の自死と

家族の自死は違って居たんだ。



私は 

自ら死を選んだ時に 

遺された者達に
どれ程大きな無念を刻み残すのか
思い知ってしまった。



自死は
当たり前に
残酷だろうけれど 


どこかでは
憧れる景色だったのに。


そうではない事に
気付いてしまった私は 
寄り添える者が
居てくれる内には 

自死は出来ないと 


胸に彫り込んだのだった。




だけど 
毎日は生き苦しい。



精神障害を隠し 
人並みを装い 
仕事もして
生きて居るけれど 



何をして居ても

気付いてしまうのは 

己の不足。



いつも馴染めない。

上手く振る舞えない。



いつもいつも
狂いそうになるんだ。



結局は

私なんかは
精神疾患者で在る事は 
いつまでも変わらない。



ただ 

それでも 
必死になって

己と24時間闘って 
社会に存在し 
日々を生きて居る。



楽じゃない。
すごくしんどい。
でもそこからは逃げない。





それって 

時に地獄なんだ。
拷問なんだ。






精神疾患と言う枠に
振り分けられる病は 

一昔前の日本を
少し振り返って見るだけでも 

現在とは
その数が全く違う。




精神障害と言われる病名だけでも 
ものすごい数が存在して居て 


一般的にも
知られるものも
とても増えた。





いくつも在るそれらに
振り分けられる病にも 


比較的簡単に
完治を得られる物もあれば 


到底難しい物も在る。


一生
連れ添うしかない物も在る。


医師の選択を間違えば 

大量の向精神薬や毒薬で 

本当に
壊れてしまう人も居る。






今日の記事の始まりで

「安楽死」と「尊厳死」の意味を書いた。



日本で暮らして居れば

「安楽死」は
身近な出来事ではきっと無い。



ここに
リンクを貼ったり 
詳しく書いたりはしないが 


世界を見渡せば 


「安楽死」を
選べる国も実際に在る。



それらは

基本的には


「治療困難な病気の末期状態にある」  か


「病気や障害により 普通に生活するに当たり
 著しい不具合がある」  か 


「病気などに寄って
 常日頃から耐え難い苦痛を味わって居る」


と言う条件が在り そ


れに当てはまれば
安楽死が行われるらしい。




その病気には 
精神病も含まれているのだそうだ。



そして
精神的疾患を背負った患者たちも 

安楽死を選んで居る。



精神障害者の安楽死が
合法化されていると言う事だね。



肉体的な病から
患う精神障害では無くて 

純粋な精神障害にも適用されるんだ。



「精神的な苦痛から逃れる事」  を

理由に
安楽死を選べるんだね。





数年前に
そんな出来事を
ニュースで見た事は在る。



それが良いのかどうか
わからないけれど 

興味深かった事は覚えてる。





安楽死を申し出て 
医師の承認を得られて 
死ねることが決まっても 


延期する人や
実行には至らない人も

多いのだそうだ。



いつでも死ねると言う現状に
安心を得るのかも知れないね。



自分の最期を
選んで良いと言う答えが 
お守りみたいになって 


生きる事を
選ばせる事も

在るのかも知れないと思った。





私は自死はしないと 
現状では決めて居る。

死にたいと思わないようにしてる。

一生懸命そうしてる。




それでも思う。
いつも思う。

「消えたい」と思う。

思ってる。


もう嫌だって 
消えたいって
思ってしまう。


だって


生きる事は

一番苦しいから。






自殺はいけない事だとか 

安楽死に賛成だとか 

安楽死と自死は同じだとか 

よくわからない。


結局はよくわからない。



それぞれの中で
それぞれに
判断して
選択して在れば

良い事でもあろう。





ただ…。

私だったらどうするだろうか。





「安楽死」を選べる国で
生きて居たとしたら。


何かの拍子で
申し出てしまうのかも知れない。





精神科の医師に対して 
信頼を
全く持って居ない私だけれど 


医師に
許可を願うのかも知れない。




私の痛みなんて 
私にしかわからない。

誰にも伝わらなくて当たり前。


この生き苦しさが
医師にわかる訳が無い。


人は

誰だって


未経験な想いは 

想像と妄想でしか 
感じ取れはしない。






摂食障害者とか 
自傷癖者と言う枠に
入れられてしまう人達と 

私が 


必ずしも
同じでも無ければ 

全て分かり合える訳でも
無いのだから 



想像と妄想と 

知識と
重ねる対面でしか

判断できない医師に 

全てがわかる訳が無い。



それなのに 

医師を頼り縋り 
承認を求めるのかも知れない。



申し出て 
許可を貰えた時に 


延期して

生き延びようとするのかも知れない。







在る事がきっかけで 


「自死」

「安楽死」

「尊厳死」

の違いを
きちんと知りたくなって 



在る事から

振り返る記憶や現状から 


「死」を 

自分なりに
改めて考えながら 


最終的に 


今の心境では 
私はそう思った。







生きてゆく事は辛い。


やはり
私にはまだまだ苦しい。


毎日のほとんどが

快楽とは程遠い苦痛だ。



辛い事の方が遥かに多い。

それでも生きて在るのは 
きっと
未練が在るからで。

欲が在るから。



もう少し
幸せになりたいと

思う自分が居るから。





幸せになる為に 

ひとつ 


自分に毎日問いながら 

言い聞かせて居る事が在る。



「家族」と言うものに対しての
一般的な常識なんて 

捨ててしまえ。

そう言い聞かせてる。



元々が
私には

まともな家族なんて
無かったのに 


人並みに
近付けるのではないかと 

無理をし過ぎたように思う。



元々無いんだから 
選べばよい。


不要なら捨てても良い。


それなりの代償も
覚悟の上ならば 


自分の人生なのだから


選んで良い。




言い聞かせながらも 
ずっと揺れてる精神。

苦しんで居る精神。


吐き気を呼ぶ不安定。



誰にもわからない。


壊れそうなのに 


私が
こんなにも傷んで在る事に
誰も気付かない。



人並みの嘘を重ね着して
生きる毎日に 

生きる事は罰のようだ。





死にはしないけれど 
消えてしまいたい。


結局は

そこに
まだ 
囚われて 


明日もまだ 

苦しんで
過ぎてしまうように思え 




息苦しくて


生き苦しい。





色々と
一度に
考えてしまったのかもね…。





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今日とても切りたかったんだ。

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『 何事にも
  そこまで細やかに気付いて
  動かなくても良いんだよ。


  もっともっと
  適当で良いんだよ。

  人なんて皆
  もっととても適当だし
  いい加減だし
  勝手だしね。


  自分がしたいように
  我が儘に振る舞ってるんだから。


  もっと楽に居て良いんだよ。


  いつもいつも
  気付いて動いてしまう君が
  して居る
  苦労も
  気苦労も 

  きっと
  ほとんどの人は
  気付かないでしょう?


  いつも
  君ばかりすり減らして
  結局
  疲れてしまって居るのだと思うよ。



  皆
  きっと簡単に
  君の肩に乗っかるんだよ。

  先に動いてしまうからね。


  気兼ねなく
  楽に乗っかって
  甘えられてしまうんだよ。


  きっと
  幼少期からの環境や
  親との関係が
  君をそうさせたのだろうけれど


  もう
  これからは
  もっと楽で良いと思うよ。


  もっともっと
  我が儘に生きて居て
  良いんだと思う。


  君が君を見て
  我が儘で嫌だなって思う位で

  きっと丁度良いんだよ。


  君が思ってるよりずっと
  皆いい加減で
  許してくれる生き物だと

  気付けたら


  生きやすくなるかもしれないよ。 』



昨夜。


私の事を

とても良く知る人が
言ってくれた言葉。



私が

月下陽香で在る事は
知って居ても


月下陽香が
日々
ここに

何を書き続け
毒を吐き

晒し在るのかは

知らない人。



それでも

この世の中で

きっと
最も


私の幼児性に触れても

受け入れて
繋がって居てくれて在る人に。


言って貰った言葉。













2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「斬り付けて抉られたのは腹を見せたからなのか。」(2015.2.2)】

【「私に殺されぬように。」(2015.2.4)】

【「絶望に近い場所。」(2015.2.6)】

【「傷を隠し笑い続ければ失って。」(2015.2.8)】

【「悪いのは精神的異常な自傷癖者なのか。」(2015.2.10)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「私の時間は残り限られて在るのに。」(現在に向かう私・40)(2014.1.25)】

【「腐敗し朽ちて消えてくれたら良いのに。」(現在に向かう私・41)(2014.1.26)】

【「楽に消えるなら諦めもつくだろうに。」(現在に向かう私・42)(2014.1.28)】





過程を綴る記事は

2013年を
終えようとして居る頃まで
辿り着いて居る。


2013年から


月下陽香は

ステージ上にも
ブログ上にも


摂食障害と

自傷を

晒し掲げて
活動をする事を始め

その1年目を終えようとして居る頃だ。



続きを書いてゆかなくてはと
とても思いながら

体も精神も
大きくバランスを崩しており


1月28日の更新以降
過程の続きからは離れて

想いや
現状を

書いた記事を更新して居る。




あともう少しの間

私は

続きを書く作業からは
離れて居たいと思う。




この先も

生きて在る
私で在る為に。






夕べも
何度も目覚めては

必死になって
再びの眠りを呼ぶ繰り返し。



必死になって
自分に言い聞かさないと
思考はぐるぐると動き始めて

不安を
胸一杯に
渡らせて

狂いそうになる。



今日は
午前中は少しゆっくり。


急ぎの仕事は無かったから

目が覚めてからも
暫くはベッドの中に居た。


そして
遅めの朝食を少し。


その後は
準備をして

納品に出掛けた。


電車と徒歩で
片道40分程だから
迷いなく動ける範囲だ。


万が一
体調が酷く悪化しても

躊躇無く
タクシーに乗り帰宅し
主治医に連絡出来る距離。






金魚鉢をイメージしたうつわを
お届けした。


以前にも
同じシリーズをお買い求め頂いた。


その時は
手の平サイズの物で


夏の和菓子(水菓子)等を盛って
お客さまにお出ししたりする時に
使って下さって居たけれど


今回は
中鉢サイズの物をお求め下さった。



水草を入れて
玄関先に飾るのだそうだ。


きっと
本物の金魚鉢みたいに
してくれるんだね。



楽しみだ。



新しく居場所を与えられた
うつわの
その後を頭に描く。





我が家の食器は

9割以上が
自分で作った物。


基本的には欠陥品が多い。

色が少し欠けたりして
売り物にならない物や
オーダー品の試作品が多い。



自分が使う為に
作った物も在るけど

そうでは無い

半端な
揃わないものがほとんど。


それはそれで気に入って居る。




マグカップで
ビールを飲んだり

飯椀を小鉢にしたり

使い方は
基本的には決めてはいない。


その時の自分が
心地よい使い方で在れば

何でも良いと思って居る。



花器にしたって
酒器にしたって
小物入れにしても

構わない。




お客さまの発想は

自由で楽しい。


飯椀を
カフェオレボウルに
されて居られる方もいらっしゃる。


そういう光景に
救われる事はとても多い。





納品後は


昨夜
色々と話してくれた人と
食事をした。


この人と居る時間は
一番安心して居る。




例えば
ひとつの料理を
ふたりで食べながら


私は
私のペースで

私の食べたい所を
食べたいだけ
食べれば良い。



人と食事をして

私には
当たり前に
毎度在る


遠慮して
隅っこを選んだり

速さについてゆけずに
一口程しか食べれなかったりする


そんな事が無い。



何も言わない相手を
気遣って注文したり
お代わりを気にしたりも
一切しない。



その人も

決して
遠慮せず
食べたい物を
食べたいだけ
食べるし飲む。


でもちゃんと見てる。


私が
ゆっくりだけど
楽しく食べるリズムとか量とか。


わかってくれてる。



先にお腹いっぱいになって

食べて無い私に

「まだ食べるの?」
「まだ飲むの?」
「まだ頼むの?」って


聞く人は
あちこちに居るけど


その人が
そう言った事は無い。



そういうの
すごく嬉しいんだよね。




少し前にね
頂いたメールに
「今までごめんね」ってタイトルで
仲の良い女性が
送って下さった物があるんだけど。


そのメールの中には
そんな内容が
書かれて在ったんだけど…。


それはまた
そのメールを下さった方への
感謝とお礼を込めて

近々
ここに書こうと思うのだけれど…。





とにかく


何も気を遣わずに
食事をして来た。


楽しかった。


短い時間だけど。
楽しかった。



相手も自由。
私も自由。


そんな時間は滅多に無い。



相手の欲も希望も
自分のそれらも

認め与え合える関係は

貴重。




例えばね。


食べてみたいパンが在って。


でも。

私は
一口味見出来れば
十分に満足な時。



その
ひとつのパンの

私が食べてみたい
ど真ん中を

一口

自由に与えてくれるような人。



好きな所食べなよって
手放しで
与えてくれて


ちまっと
自由に食べたら


残りを


美味しいねって

ほんとに
美味しそうに


食べてくれるような人。



ありがとう。
いつもありがとうね。





「許される経験」が
必要な時期に
余りにも少な過ぎたと

その人は私に言う。


だから

これからは
沢山許されながら


幼いままで
固まったままの


怯えた時計のネジを

巻こうと。




そうだね。


そう出来る私に
なれてゆけたら良いなと思う。



ただ
直ぐには無理だ。



未消化な想いを
きちんと理解出来る私に
行き着かなければいけない。


めんどくさいけど


それが私だろうしね。





許されたい。

とても思う。


けどそれは
誰かに向けての希望では無く


もしかしたら
自分に向けての希望かも知れない。



私は

私に

許されたいのかも知れない。



私は

今日


とても
とても
切りたいと思った。


とても
そう思う時間が在った。


切りたくて


たまらなかった。





※ ライブ前後等を覗きコメント欄は暫く未設置となりました。
何か御座いましたらメールでご連絡をお願い致します。(2014.8.30~)

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剥き出しのキズグチ。

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バイトに向かう道のり。



いつも
決まった場所に居て


出会うと


鳴きながら
走って来て
すり寄って

甘えてくれる

野良猫。


ぶーにゃん。



暫く会えていなくて



いつも居た場所には

なぜか


バイト先の駐輪場にいた
ハナクソちゃんが居て。




縄張り争いに負けて
怪我とかしてないかと
とっても気になって居た。

心配してた。




今日

バイトからの帰り道は

いつもと違う道を選んだ。


何となく。


てくてく歩いてたら。




聞こえた。

鳴き声。

呼んでる時の声だ。



声のする方へ
目を向けたら。



居た。

ぶーにゃん。




いつも
ごはんをくれる人に
今日も
カリカリを貰って
食べてた所で


食事を中断して
走って来ようとしたから 


私がそこまで行った。




甘えて
撫でては
ごはん。


その繰り返しを暫くしてた。





冷たい雨降りの中。


今日
私が選んで差してた
オレンジ色の傘を


ぶーにゃんと

半分こして
暫くそこに居た。




ねぇ
ぶーにゃん。



ここんとこずっと
何だかね


大変なんだ…。


体がとっても大変でね

本当に
物凄く大変でね


怖くてたまらない位
しんどくてね。




そしたら
どうしても


心も
そこへ
連れて行かれてるみたいでね



起こる
色々な出来事に


対応する労力も

産み出せないしね


辛い出来事に
向かう

力も見当たらないしね



毎日毎日
もう


くたくたなんだ…。




寒い中。



見付けてくれてありがとう。

呼んでくれてありがとう。


聞いてくれて


ありがとね。












2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「癒えを待つインナーチャイルドと生きながら。」(2015.1.21)】

【「限界だと泣き叫べたならば眠れるのだろうか。」(2015.1.23)】

【「依存する寄生虫を殺して良いか。」(2015.1.24)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「私の時間は残り限られて在るのに。」(現在に向かう私・40)(2014.1.25)】

【「腐敗し朽ちて消えてくれたら良いのに。」(現在に向かう私・41)(2014.1.26)】

【「楽に消えるなら諦めもつくだろうに。」(現在に向かう私・42)(2014.1.28)】






過程を綴る記事は


2013年の私まで
辿り着いて居る。




2013年から


ステージ上にも
ブログ上にも



摂食障害と
自傷を



晒し
掲げて
活動をする事を始め



月下陽香は
始めの1年を
終えようとして在る頃を
記して在る。





過程を綴り始め

順番に
書き続けてゆく過程は



痛みを


ひとつ
ひとつ


掘り起し
分析し
理解し

消化する繰り返しで




時に

砕け散るような
痛みも感じた。



泣きながらでしか
書けない記事も

沢山在った。





ひとつ
ひとつの記事に


注ぐ時間も半端ない。



数十分や

1~2時間では
書けない。



毎度

何時間もを注ぎ

痛み
悩み


考え

苦労して



やっと

ひとつを
更新する繰り返し。




馬鹿みたい。

アホらしい。


そんな繰り返し。




受け入れられ
慕われる事よりも



踏み込まれたり

利用されたり

盗まれたり

脅されたり


そんな出来事の方が
多いのに。



ひたすら進む


注いで
進める


繰り返し。




そうしながら


最近


改めて
気付けた事が

在る。



だから

過程の続きは
次回以降に書く事にする。



今日は

現状を
少し書きたいと思う。






過去を

捲り


言葉にし
文字にし

記事にする作業を


とても沢山
繰り返してきた。




そこには


これまで
誰にも言えなかった


深く傷む
恥ずかしむ
醜い出来事も


私は記してきた。



知る者にも
知らぬ者にまでも


例え
どんなに軽蔑をされても。




それが出来たのは



私の中に

芽生えた

決意と
覚悟と
信念が


在ったからだと思う。



しかし
それだけではない。



何よりも

それらは

想い起こす事で



未だ
どんなに痛もうが

全ては
遠い
過去に分類される出来事で

あるからだ。

現在ではないからだ。



だから


どんなに
涙する事となろうと

私は

どこかで



常に冷静に

「書く」という作業に

向かえて在った訳だ。




でも。


気が付き始めた。




記事は



もう

すぐそこの
時代を書いて在る。



ほんの少し前


すぐそこの昔。






そこには

未だ
癒えには程遠い



恨みも

憎しみも

疑問も

悲しみも

苦しみも

嘆きも
涙も


裏切りも 

押し付けも

我慢も

情けも



あちこちに

埋もれて居て



それらは
まだ


見事に


熟れ上がったままで 




まるで
埋め込まれた地雷で。





私は

ついに



自ら


ひとつづつ

その地雷を踏みながら



木端微塵に
砕け散るような

想いの中で



思考を重
ねなければならない


地点へと



行き着いたのではないかと。





とてもそう思った。




ここからが

本当に

私が


心底の
理解と
納得をしてから



心の中の一軒家を
片付け

新しい靴を履き


その扉を出て
鍵をかけ


新しい住処へと


越す準備なのかも知れない。





こんなにも
毎日が苦しいのならば


せめて
そうで在って欲しい。



そうで在るならば
私は


きっと


あと少しだけなら
歩けるのではないかとも


心の隅で
僅かには思える。

思いたくもなる。





この体は

友人たちのようには
もたない。


動ける時間は

もう既に
大幅に失って在る。



この先は
もっと制限を知るはずだ。





この体が

現在よりも朽ち


これ以上に
何も出来なくなる前に



私の精神は

新しい住処での生活を始めて在りたい。





その

新たな精神の家で
暮らしながら



まだ
その頃に



ギタリストさんが

元気に
月下陽香の楽曲を
奏でて下さるならば。




その頃の私は


命懸けの

恐怖突破の嘆きを
込めたステージでは無く


そこを
生き抜いて
知り得た

イキザマを



使い果たさずに


楽しんで
笑って
面白く

小さく

ちんまりと
やって居たい。





出来れば。



このまま死にたくない。



こんなにも苦しいままで
死にたくはない。




きっと

今は


それを物凄く願ってる。




もう少し待ってよって。

もう少しだけ



今の月下陽香を

ステージに立たせてよって。





まだ


とても
やり残して居て


このままじゃ


次へ行けない。



だから余計に苦しい。




それが出来たなら


そこをきちんと消化出来たなら



私から



奪い
盗み
逃げて行った


私よりも

元気に動ける
憎い奴等も



やっと
許せる道を


私の思考は
見付け始められるのかも知れない。







昔ね。


昔。


そう。



まだ

20代とかの頃。



学費と
生活費と
借金に追われて


働きまくってた
大学生の頃から


夜の街で


体も
心も張って


ホステスしてた頃。



【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の0始まりから。」(20代後半頃の私)】※50の記事があります。






夜が
明け始める前の

暗闇が好きだった。


空が
明らんでゆくと


途端に
孤独が増してゆくから


その時間帯に

独りで


ワンルームマンションの
ベランダの窓が
薄明るくなってゆくのを


冷静には
見て居られないから


置いてきぼりの孤独に
突っ込まれるから。



それまでの
暗闇が好きだった。




今は違うけど。

当時はそうだった。





思考は変わる。


視線も変わる。




想い
感じるもの全てが

日々
変わりゆく。

感じ
変わりゆく。



知り
目覚め
変わりゆく。



歳を
重ねる美しさは

きっとそこに在る。




そう言う事にも
やっと
気付き始めて在るけれど。




暗闇がね


好きだったんだよ。


明け始める前ね。





そう思うと改
めて思い知る。



ステージにはね。



終わりが来るんだよ。




いつから必ずね。


終わりが

来てしまうんだ。




サヨナラは


きっと


意外と近いんだろう。




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水平線を境に


天と地と


それぞれに
向かうように


広がってゆく


青。

蒼。
藍。
碧。




水平線で
手を繋いだ
海の在る景色。



海を見たくなる時


一番始めに
頭に浮かべる海は
そんな海。



空も海も青い景色。



少し前だったかな…。


ある人の車の助手席で
海の話が出た時に

その人が言ったんだ。



「どうして海は青いんだろうね」って。 



私は言った。


「空が青いからだよ。」って。



「どうして?」って
尋ねたその人に説明をした。




空の色が
水面に映るからだよって。


だから

曇り空の日の
海は
青くは見えないでしょう?って。


夜の海は
青くないでしょ?って。



大学進学まで
海の見える田舎で育ったその人は

驚きながら
私の話を聞いて居た。


今まで
そんなふうに考えた事が無かったって。


そう言って居た。




正しいのかどうかは
私もわかって居ない。


でもそうだと思ってる。




湖の水面


その周りの

木々の力強い緑や


その隙間から
覗く貫ける青空や


縁を沿うように
咲き誇る花々が


美しく映るように


海と
空も


そうなんだと

思ってる。





「魂の家族」の存在を

私が
深く考え
受け止めるようになった事を


少し前に記事にして居る。

【「繋がる血を抜き取れたなら…。」(2015.1.12)】



海と空は
私が思う
「魂の家族」の関係に

ある部分が似ている。












2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。


これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


2014年7月7日より
2年目を迎え
それについても触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※69の記事があります。

【「8・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代後半頃の私)】
   ※現在執筆中。





時に過程の続きから離れて現状や想いを記しながら。

【「誰が殺した?」(2015.1.15)】

【「吐き気がする程の痛みを繰り返し。」(2015.1.17)】

【「悲鳴を上げて壊れそうだから。」(2015.1.19)】





過程を綴る記事は現在の私へ繋がる時代に辿り着き書き続けて居る。

【「己が選んで傷付くならば。」(現在に向かう私・38)(2014.1.13)】

【「孤独な偏在が刻むべき覚悟。」(現在に向かう私・39)(2014.1.14)】






過程を綴る記事は

2013年の七夕から書き綴り

現在は
2013年の夏あたりの私を
記して在る所だ。



前回までの3回

記事は
続けて
過程の続きからは離れて書いて来た。



余りにも大きく
心身共に
崩れてしまって居るから


そうした方が良いと感じ
そうして居た。



続きを待って居て下さる方には
申し訳ないのだが


今日も
記憶を掘り起こし
言葉を紡ぐよりも


現状を
少し書いておこうと思う。



次回辺りからは
過程の続きも
書いてゆけるように
目指して居る。





この冬

私が
一番気に入って居るソックス。


ひつじさんのソックス。


大事に手洗いして
お出掛けに履いてゆく。



この冬の
私のお気に入りは


このソックスと
耳の付いた帽子。



先日

半年振りに出掛けた
音楽の在る場所にも


耳付き帽子と共に

このソックスを履いて行った。



とってもあったかくて
書き心地が良くて

とっても可愛くて

大好きなソックス。





私の中に
満ちぬまま
存在し続ける幼児。



インナーチャイルドである私も

このソックスを
とっても気に入って居る。



これを履く時

ちびっこの私は

「めぇめぇ~♪ひつじ♪」と
ご機嫌に
歌ってたりする。



その時

私の中

ふたりの私


大人の私も
ちびっこの私も


幸せな気持ちになって居る。





自分の中に

大きく不足したまま
成長出来ぬまま


居続ける
幼児の私が居る事は


もう
ずっと前から
知って居た。



もうずっと前。



小学校低学年の頃から

摂食障害者となり
自傷癖者となった私が


成人を迎え

大学を卒業し
少し過ぎた頃。



想い起こせば

その辺りから


私は
私の中に共存している

幼児の私の存在に

気付き始めたように思う。



それまでは

良くはわからなかった。


私自身が
まだ10代でも在ったし


私の家庭環境は

周りの同級生たちとは違い


私は

中学の頃から
社会に出て

大人と関わりながら
生活をして居たから




早く大人になりたくて

沢山の背伸びも
して居たから



良くわからなかった。





大人になってから

違和感に気付く。


私の中の
幼児の存在に気付く。


でも
ずっと

それを否定して居た。


私の中の
幼児の私は


とても病的で
狂った思考でしかなく

嫌で仕方なく

不安でたまらなかった。





現在

私は


自分の中の
幼児のままの私を

受け入れて
受け止めて生きて居る。



少し前にも
それに触れた事が在る。

【「偏在な女に住み付く不足した少女。」(2015.1.3)】




この

ちびっこの私が


いつか
大人になれるのか



それとも

私が
歳を重ねても
生きて在る事が出来


それこそ
歩く事にも
誰かの手を借りるような

おばあちゃんになった頃にでも


このちびっこは
生き続けて在るのか

わからない。



わからないけれど


ずっと

この体が朽ち果てるまで


共存して在るような気が
する事も多い。



それでもいいかなって
最近は思う。


それならそれで良いと。

仲良くやってゆこうと。







昨夜


ひつじさんソックスを
贈って下さった方のブログに

お伺いして

歌を聴いた。


とても

美しい
優しい歌声が
繰り返してくれた。



愛してる…
愛してる…
愛してる…




私には歌いこなせない楽曲。

心の

奥に届いて
響く声。



その動画を
初めて拝見したのは

先日お伺いしたイベントに
出演されておられた方が

メールに
アドレスを貼り付けて
送信して下さった時だった。



私が辛い時。

送って下さったメールから

私は
初めてその歌声を聴いた。


昨夜は
久し振りに
またその声に触れて。



そして昨日は


その「愛」を歌う方から
お便りが届いてた。





「大丈夫」。



私に

これまでに
この

「大丈夫」と言う言葉を


この胸の
奥底まで届けて下さった人は


この世に
4人居て下さる。


この方はそのひとりだ。



そして。


この方と
私を


繋いで下さった方も

また

そのひとりだ。




だから
私は

この歌の歌詞が
書けたのだと思える。



大丈夫。
君を愛してる。

大丈夫。
君は愛される。



【 癒え待ち野バラ -イエマチノバラ- 】



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・

『癒え待ち野バラ -イエマチノバラ-』


みんな笑ってる  遠くで見てるだけ
上手く馴染めない  私だけひとり

涙詰め込んで  ここにいるんだよ
壊れそうなのに  誰も気付かない。

孤独の中で息をしている
こんな私になりたくないのに
怯え寂れて突き刺さる棘
もうがんばれないよ‥


負けそうな今日を 責めなくていい
やさしい言の葉を 自分にかけたげよう
春が来る頃には 可憐に咲けるように
輝く花荊(はなうばら)
可愛く咲けるように

大丈夫 君を愛してる



みんな楽しそう  ここから観てるだけ
いつも馴染めない 消えてしまいたい

嘆きを切りつけて  叫び続けてる
壊れそうなのに  誰も気付かない。

真ん中から吹き出す痛み
こんな私になりたくなかった
羨み妬み突き刺した棘
もう闘えないよ‥


負けそうな今日を 責めなくていい
やさしい言の葉を 自分にかけたげよう
秋が来る頃には 強く実るから
潤う紅果実(べにかじつ)
美しく実るから

大丈夫  君は愛される


輝く花荊
可愛く咲けるように
潤う紅果実
美しく実るから

大丈夫  君を愛してる
大丈夫  君は愛される



※野薔薇の花言葉・・痛手からの回復
※野薔薇の実(ローズヒップ)の花言葉・・無意識の美

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・





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キズグチの悲鳴に傾けて。

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今日から8月。


少しの間だけ

歌の練習をお休みする事を

決めて迎えた8月。





焦りが無いと言えば嘘だ。

不安でない訳が無い。


歌は

私にとっては

紡ぐ言葉と同じく

表現したい自分の
真ん中に在る物だ。

私が生きて在る上で

私の中に
在り続ける不足を

支える物。




それは

私が誰よりもわかって居るのに

歌う事が
たまらなく苦しくなってしまった。


どんなに

頑張っても
頑張っても


わーっと声を上げて
泣き出しそうな位に

歌う事が
辛くてたまらなくなってしまった。



もう駄目だと思った。


壊れそうなんじゃなくて

壊れてしまってるんだと思った。




悩んで悩んで

少しの間
練習を休む事を決めた。



この決断は
とても大きな事だった。


自分の真ん中を
止めてしまうのだから


それは余程の事であり


だけど

それがどんなに大きな傷であるかは
私以外の誰にもわからない。


誰も気付いてなんてくれない。

だから自分で決めて止めた。













2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。

2014年7月7日より
2年目を迎え
6日の記事でそれについて触れて居る。

【「自傷と摂食障害を晒す選択。」 (2014.7.6)】


順番に綴ってきた記事は「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※現在執筆中。






我が子のように愛し
19年を共に暮らした愛猫との
看護であり介護であった生活も

終末を迎え

現在は“ペットロス”と向き合う想いや日々も綴って居る。

【「手を上げ叩いた私の過ち。」 (2014.7.17)】

【「心の空虚と塗り替える記憶と。。」 (2014.7.20)】




過程を綴る記事は30代前半頃の私を書いている途中。

【「刃に刃を向けた自死の結末。」 (2014.7.31)】



このところ
ほぼ連日に渡り

過程の続きを更新し続けてきた。



昨年夏より書き続けてきた
私の足跡は

現在は

一度結婚し
その1年後に
家族の自死により起きた出来事を記してきた。



今日は
続きではなく

想いを書いておこうと思う。





私の毎日は
歌を休む事を除けば

通院しながら
仕事をし家事をして


日々の生活は
いつも通りに消化されながら


愛猫は6月22日に亡くなり

もう
看護に介護に追われる事も無く

何かに縛られる事無く

むしろ自由に過ぎてゆくのだろう。



練習を休む事を決めた
月下陽香には

この夏は
とても大切で貴重な時間となるだろう。




余りにも傷んだままの自分と
向き合うこの時間を

ちゃんと歩けるように

想いを書いておく事は大事に思える。








いつから
私はこんなにも疲れて居たのだろう。



やりたい事をするに当たり
大変な時があったり
しんどい時があったりするのは

当たり前の事だ。


そのやりたい事について
向上したいと思えば

苦しい想いを重ねる事は
当たり前だと理解している。



それをきちんと理解した上で

いつ頃から
限度を超えて疲れ続けてきたのか


改めて自分に問うて


きっと
月下陽香として活動を始める前


バンド「月陽」のボーカルとして
活動していた頃からだった事に気付いた。


大きな自己犠牲の中でしか
歌えなかった月日。

そこで
大きく傷付き

疲れ果てて居ながら



鼻歌すら口ずさむ事も出来ない体となり
約5年間の歌えない年月を
闘い抜いて
やっと再び辿り着けた歌の活動を

もう止めたくはなくて

始めたのが月下陽香。



止まってる余裕なんて無かった。

持病の悪化は自分が一番わかっている。

歌声を出す行為は
どんどん難しいものになってゆく事を知って居る。




今の内

今の内…

必死だった。



でも

その月下陽香も

現在のギタリストとの活動に至るまでには

深く傷付く事は多発し

私は

歌を歌う為には
吐き気がして自傷したくなる苦痛を

飲み込んで居なければ
ならなかった。




やっと
今のスタイルに辿り着いた2年程前。


私の体は
既にかなり悪化して居たし
心はもう磨り減って居た。


それでも頑張った。


やっと
安心して歌える環境を
手に入れられたから。




どんなに頑張ったって
時間とお金を注ぎケアしたって
動けなくなってゆく中


ライブ回数を減らさなければ
もうこなせなくなった。

けれど
止まる事だけはしたくなくて

やはり無理をした。






私は

ひとつのステージに立つ際

それが
どんなに短い時間のもので在れど

ワンマンのように
長時間のもので在れど


全て
全力で出し切るやり方しか出来ない。



私は
ステージに

自分のイキザマを掲げ晒し立つ。



それは
自分で選んだ事では在れど

そうする事への
恐怖は
いつも恐ろしく大きい。



立たせて頂くお店にも
共演者にも
月下陽香以外の出演者を
観にきている観客にも

ものすごく神経を遣う。


選曲もMCも衣装も
とことんこだわって作り上げながら

宣伝や集客にも
自分なりに懸命に注ぐ。


それらは当たり前でもある。


しかし
これは
私が勝手に感じて居るだけの事だが


そこまで全てに
細かく注がなければ立てないアマチュアシンガーは

私の知る範囲ではとても少ない。


そこまでせずに立てる人を
否定している訳では無い。


それが出来ない自分が
とても負担になると言う事を言いたいだけ。





もうくたくただった。



だけど歌いたくて。

毎日毎日
ものすごく頑張る事を続けて来た。





昨年4月30日に愛猫が急変し
命こそ失わずに在れたが


この痛みは
経験した人でないとわからないと思うが


毎日は
いつその命が消えるのか
怯えて張り詰めており



その丁度1年後
再びの急変の後


私は

看護であり
介護である生活を

6月22日の亡くなる日まで続けた。



本当に
「看取るまでの付きっ切りの状態」であったのは
最期の2ヶ月程だろう。


これは
猫を看取るまでの7年間を
ずっと布団に横になる事なく
看続けてきた時間を思えば

ほんの僅かである。




しかし

この2ヶ月は

酷く過酷だった。





大切な命が
日々衰えてゆく過程を

この目で見
この手で触れ

感じてゆく毎日は


私には
余りにも大きく悲し過ぎた。



これまでに感じた事のない
深い深い
寂しさで
悲しみで在った。



それと向き合う日々を
記事として綴りながら


私には
いろんな人たちから
様々な言動が寄せられた。



その大半は

私を想い
心配し
与えてくれる

言葉だったり
文字だったり
行動だったりした事は

理解して居る。



でも
いつも思った。


反対の立場なら

きっと
それは

今は言われたくない言葉で在ると言う事を
どうして気付いてくれないのかな…


私に言ってあげたい言葉や
してあげたい行動ではなくて


それは

あなた自身が

言いたい言葉で在り
したい事で在り


その言動により
あなたは満足出来るのかもしれないけれど


与えられる・・というよりも
押し付けて
置いて行かれる私は


もう疲れ切って居るのに

受け取らなければいけなくなる。





我慢して

我慢して

文字を
言葉を

飲み込む程に

体にまで拒絶反応が起こって
酷い吐き気に襲われる。



いつ逝かれるかわからない危機感の中で
少しでもそばに居たい想いまで

それらに割かれて磨り減らす。






たくさんの
痛みの中で迎えたステージは

とても大切なもので


それでも

そこに辿り着くまでに
私はもう
たくさんの力を使い果たして居り


でも
頑張って
頑張って


たくさんの
疑問や不満も
ただ飲み込んで

その日を迎えた。


そこまで飲み込まなくても

例えばそれを

信頼できる人に打ち明けたり
お願いしたりして居れば
良かったのだろうけど

それをする力も
もう見当たらず



大事なステージでは
心の真ん中は悲しみに溢れて在り

いつも通りには注げなかった事を悔い


ステージの後は

この手の中で命が尽きるまで

限界を超え過ぎた
心と体で

飲み込んで
飲み込んで生きた。





大切な命が召されて

もう
今の私には

無理をする事が出来ない事を
痛い程感じ


でも
何回か練習に臨み


歌う程に
壊れてゆく自分を知り


やっと休む事を決めた。








傷付いた経路を
今日の私は
ここまで整理し理解出来た。


だからどうしてゆけば良いのか
どう変わるべきなのか

見付け実践してゆける自分を探そう。



月下陽香の
少しの間の夏休み。

本当に
少しの間でお休みを終われるように


自分に問うて

自分の声を
叫びを

丁寧に聞いて考え


少しづつ

力を取り戻してゆけたらと思って居る。






歌の夏休み。


音楽関係の店に行く事も
イベントに参加する事もしない。

今は嫌だなって
自分が思う事は
仕事等でなければしない。

無理して出掛けたり
無理して人に会ったりしない。


わがままになるのはいけないけど

必要以上に
もう我慢をしないで過ごして居たい。



体のケアをきちんとしながら

嫌な事は嫌だって言える人たちと

体調を見ながら

時々
会ったりしながら


キズグチに埋め込んだ種に水をやり
また咲く時を今はただ待つ。





私は

花がとても好きだが

サボテンもすごく好きだ。




このサボテンは
まぁるくて小さな子だった。


私の不注意で
ナメクジにやられた。



体を食べられて

穴を空けられて

その中に入られて

食い潰される所だった。


もう駄目かなって思ってた。



けどね。


穴が空いて
潰れた部分から

新しい自分を作り上げて


今は

その体のあちこちに
小さな子供たちを抱えてる。



歪んでしまったその体は

とても

逞しく


愛おしい。






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このぶろぐ。
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自傷と摂食障害を晒す選択。

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今日の記事は

まずはこの歌詞を

書いておかなければと
とても思った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

みんな笑ってる  遠くで見てるだけ
上手く馴染めない  私だけひとり

涙詰め込んで  ここにいるんだよ
壊れそうなのに  誰も気付かない

孤独の中で  息をしている
こんな私になりたくないのに

怯え 寂れて  突き刺さる棘
もうがんばれないよ‥

負けそうな今日を  責めなくていい
やさしい言の葉を  自分にかけたげよう
春が来る頃には  可憐に咲けるように
輝く花荊(はなうばら)
可愛く咲けるように

大丈夫。
君を愛してる


みんな楽しそう  ここから観てるだけ
いつも馴染めない  消えてしまいたい…。

嘆きを切りつけて  叫び続けてる
壊れそうなのに  誰も気付かない
  
真ん中から  吹き出す痛み
こんな私になりたくなかった

羨み 妬み  突き刺した棘
もう闘えないよ‥

負けそうな今日を責めなくていい
やさしい言の葉を自分にかけたげよう
秋が来る頃には強く実るから
潤う紅果実(べにかじつ)
美しく実るから

大丈夫。
君は愛される


輝く花荊  可愛く咲けるように
潤う紅果実  美しく実るから

大丈夫。
君を愛してる

大丈夫。
君は愛される

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  ※野薔薇の花言葉・・痛手からの回復
  ※野薔薇の実(ローズヒップ)の花言葉・・無意識の美


これは月下陽香の楽曲
【癒え待ち野バラ-イエマチノバラ-】の歌詞。







2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7月7日以来記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つの記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つの記事があります。

【「3・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半頃の私)】
   ※50の記事があります。

【「7・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(30代前半頃の私)】
   ※現在執筆中。



過程を綴る記事は
30代前半頃の私を書いている途中。

【「どこまで失えばいい。」 (2014.7.5)】


5月・6月と
介護が必要になった飼い猫との
暮らしや想いを多く綴りながら。


その介護も終末を迎え

我が子のように愛し
19年を共に暮らした愛猫は
とうとう召されて骨となり

現在は
亡くした喪失感と向き合う日々も綴って居る。

【「亡骸が消えてから。」 (2014.6.27)】

【「胸いっぱいの寂しさを食べながら。」 (2014.7.2)】




このぶろぐ
  「癒え待ちよすが-イエマチヨスガ-」は


2010年の1月から始まった。


当時のバンドメンバーと揉めに揉め
私の表現に
異常にも感じる程攻撃的に否定を重ねられ

個人として表現する場を失いたくないと
開設したのが始まりだった。


日々の出来事や想いを
小さく発信してるだけ。

ただ。
そうでしかなかった。


私を知った人が
見たいと思ったなら

訪問下されば良い。

そうとしか考えて居なかった。


当時はそれで良かったんだろう。





2013年から

私は

ステージの上で

摂食障害と自傷癖について
はっきりと言葉にし

それを掲げたライブを展開するようになった。


現在のギタリストとの活動が定着し
また
私は
彼を心の底から信頼出来ると感じられたから

やりたいと思う事を

もう
ぼやかさずに
誤魔化さずに

掲げて立とうと思えた。


私のステージが
どんなスタイルに変わっても

彼は
私の楽曲を大切に扱い続けてくれると信じられたから。




そんなライブをするようになり
約半年後に当たる

2013年の7月から


自分が

摂食障害と自傷と約20年間を共存し

その後10年間を
何度も呼び戻されながらも
克服したいと思いながら


現在に辿り着くまでの過程

私の人生を


摂食障害と自傷を覚えた小学生の頃から
順番に書き記す事を始めた。


汚い事も
ずるい事も
情けない事も

出来る限りを晒して
記事を書き続けてきた。


メンヘラ・ヤリマン・性的異常
見えない場所では
一方的に嫌な扱いも多々された。

それでも書いて来た。



同じような
想いを
経験を持ち


出口の見えない迷路の中で

死に焦がれ
行き損ねながら

痛んで
苦しんでいる

どこかの誰かの心に


この経験が
沿える事があるかも知れない。

私の
この偏在なイキザマにでも
出来る事があるかも知れない。


そう思う気持ちは大きかった。




書き続けながら気付いていった。


想いを
言葉にして説明出来ない時

人は
それを欠片も理解出来ず
消化も出来ないと言う事。


言葉にし
文字にし

伝えると言う事が
出来る所まで行けたなら

必ず乗り越えてゆけると言う事。



記事を書く作業を繰り返しながら

私は
たくさんの問いかけを
いつも自分にし続けて来た。


どんなに
その時々の
痛みや毒を吐き出しても

必ず
なぜそう感じたかを分析し

どう越えれば良いか

自分なりの答えを
記す所まで書き残す事も意識するようになった。




ひとつひとつの記事は
どれも
20分や30分で書ける物ではない。

たくさんの時間と労力を注ぎ続けて来た。


これは
文章を書き続ける経験をした人でないとわからないと思う。

そこには
ものすごいエネルギーを費やさなければ
更新を続ける事が出来なかった。


何をされても
言われても
諦めない気持ちを持ち続ける事にも

大きな傷みと
エネルギーを消費した。




ライブスタイルを変えた後

ここに過程を綴り始めたのは

2013年の7月7日。

明日から2年目を迎える。



今日までの1年間で


私が書き遺した記事は「258」。


365日で
「258」のタイトルの長文をここに遺した。





過程を綴った物は「161」。


そこには
多くの
愚行も
愚考も
正直に伝えて来たと思う。




明日からまた続きを書いてゆく。








愛しい命が召されてから

今日で15日。


私は
まだ
24時間

亡くした喪失感の中で
日々を痛んで悲しんで在る。


毎日を
少しづつ神経質に整理しながら

まだ消化には至らず

仕事以外の電話に出る事もなければ
浅く知る人たちの集まる場所に
出掛けようとも思わない。


何かを企画する為に
関わって飲み込みながら
注げる気持ちも見失ったから

まだステージに立てるとも思えない。

どうすれば良いのか
苦しみながら
途方に暮れて居る状況が現状なんだろう。




骨壺の回りを花で囲い

切り花が枯れる事が苦しくて
自分では鉢植えを買い
水を与え

ギタリストさんが届けてくれた切り花に
やさしさを感じ
美しさを大切に感じ
やはり愛おしく水を変え

ただ
静かに今日を生きて居る。


心に大きく空いた穴に
水を注ぐ事しか
出来ない日々には
寂しさと悲しみが充満したまま。



だけど。

記事を書き続けると
決めた気持ちは変わらない。


現在の私に至るまで書き続け

現在を綴る時の私は

摂食障害と自傷を
完全な過去として生きて在れたなら


その時
いちばん伝えたい想いを
しっかりと掲げ
表現出来ると信じている。





いつもご訪問下さるみなさま

ありがとうございます。


これからも
どうかお付き合い下さいますように


また
出来れば

ランキングサイトへのクリックで
どうか応援をして頂けますように



心よりお願いを申し上げます。





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なぜ痛みを垂れ流すのか。


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昨日に続き風の強い1日だった。


1ヶ月以上
まともに眠った日が無い。


どんなに頑張っても
眠気とだるさは
24時間まとわりついている。


深夜

流動食を与えながら

目を閉じれば
もう開けられなくなりそうな睡魔に
瞬きも辛く

次の給餌まで
4時間弱空けてみようと

また
リビングで座ったまま寝落ち

目覚めれば
ぽんちゃんのごはんは減っておらず。


早朝
缶詰を与えてみれば少し食べてくれた。


最近は
飲み込む事も大変なようで

与える缶詰も
小さく砕いて与えているが

それでも喉に詰まりそうになる。


今朝もそうだったが
自分で少しは食べてくれたのに。


その後
流動食を与えてしばらくした時
全部嘔吐してしまった。

 
以降ずっと調子が悪そうだ。


流動食もとても嫌がる。

何とか少しづつ与えてみているが
とても辛そうなまま
浅い眠りを続けているようだが

よく手足をぴくぴくと動かす。



腎臓の悪化からの痙攣が
間もなく起きる前ぶれかも知れない。

腎不全から
尿毒による神経症状の発作が
痙攣として起こされる。


それはもう
本当の本当に最期だという事。


その痙攣を起こせば…

召される可能性が非常に高い。




目を見開いたままだったり
白目を向いたりして

手足をばたつかせ
口をばくばくと動かし

体を激しく震わせて

痙攣を何度か繰り返しながら

見ているのが辛い状況で
死を迎える確率が高い。


ただ

痙攣を起こしている時は
猫自身に意識は無いらしい。

だから

苦しくはないらしいが

出来ればそういう状況は避けたい。



痙攣は
大きな音に反応して起きたりもする。

冷蔵庫の扉がバタンと閉まる音で
発作を起こす事もある。


この子は耳はもう
ほとんど聞こえてないけれど
響きはわかるから
気を付けているが

起こる時は何をしても無理なんだろうね。





先日の通院で
帰りに乗ったタクシー。


クリニックで呼んで貰ったし
ペットを連れている事は一目瞭然。


「猫ちゃんですか?」って話し掛けられた。


運転手さんは
犬を飼われておられるらしかった。

うちの子は
もう19歳で
糖尿も乳がんも抱えて
腎臓も悪くして
それでも頑張ってる事を話したら

運転手さんが言った。



「大事に大事に飼われてきたんですね。」って。


「その状態でその歳まで
 生きて頑張ってるのは
 飼い主さんが大事に育ててきたからですわ」って。




その言葉は胸の真ん中に沁みた。


この1ヶ月と6日。

救われる言の葉も
見落とさないように感じ取って来たが

傷付く言の葉にも
たくさん刺されても来た。


辛い毎日に
心は過敏になっているから
突き刺さる文字は
深くこの胸をえぐった。



その日は
マンション前でタクシーを降りて
部屋に向かいながら

バッグの中のぽんちゃんに言った。


「お母さんは
 ぽんちゃんの事すっごく愛してるんだよ」っ て。










2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7 月7日以来
記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つ の記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つ の記事があります。

【「3・ 自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」 (高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17 の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※ 61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半の私)】
   ※ 50 の記事があります。





介護が必要になった
飼い猫との暮らしや想いを綴りながら。。

【「吐いて切り続けた武器で。」 (2014.6.4)】



過程を綴る記事は
前回20代後半頃の私を記し終えたところ。

【「いつも痛みと共に。」 (2014.6.3)】




今日から
30代前半頃にあたる私の過程を
書き始める予定だった。


だけど…ごめんなさい。


猫の調子が余りにも悪過ぎて
付きっきりで過ごす中

思考が
記憶を掘り越す所へ辿り着けませんでした。

だから今日は寄り道をします。









今日は自分から食べには来ず。

口元に持って行けば
少し位は舐めるけど

ほんの僅か。


強制給餌も
こんなに嫌がった事はない位に嫌がる。


それでも少しづつ必死で与えて来たが
夕方からはそれも止めて様子を見てる。



とても苛立っているように見える。

何か

辛いとか痛いとか
気持ち悪いとかが

あるんだと思う。


強制で入れられない事はとても恐ろしい。

脱水も貧血も抱えた
1.8kgの 19歳の高齢猫にはとても恐ろしい事。



それでも
今日この子が抱えてるストレスの大きさは
ずっと見てる私がわかる。

余りに大きなストレスは

心も
体も

壊してしまう。

それは私がわかってる。




今日は通院予定だったけど
連れて行く事も止めた。

夜主治医の院長先生が電話を下さった。

ちゃんと気に掛けて下さってるんだね。 
有難いと感じた。




今夜も昨日以上に眠れそうにない。





月下陽香の練習にも
自分の病院にも行けず。

いっぱいいっぱいの私に
ギタリストさんは
お風呂グッズをポストに届けてくれていた。












「摂食障害」と「自傷」

月下陽香が掲げて表現してる柱だ。



それを
ここにも
順を追って記してゆく事を始めたのは

昨年の7月7日だった。

あと1ヶ月で1年だ。



「にほんブログ村」に登録し
過程を綴り始めて

訪問者数はいきなり増えた。

それはとても喜ばしい事だった。


でも
とても傷付いたり
悩んだりする事も増えた。


始めの頃は
今以上に
このサイトは
いろんな所に貼り付けられた。
顔も知らない人たちに。


「ヤリマン」「メンヘラ」「セフレ」「性的依存」

そんなスレッドに
ここはたくさん貼り付けられた。

それはやっぱり辛かった。

覚悟はして居たけれど
うれしいものでは全くなかった。

貼り付けられたコメントに
返ってくるコメントも
とてもきつかった。


しばらくは
仲良くして下さってる方々の事を
その方々のサイトまでわかるような書き方は
怖くて出来なかった。

大事な人達が
同じように扱われることだけは避けたかったから。



今では
無くなった訳ではないが
そういう事もとても少なくなり

共にイベントを育てている方々などは
記事でも紹介したりするけれど

それでも
私なりに目一杯気を付けている。









約1年前

書き始めた頃と

今の私の気持ちは 大きく変わった。



「誰かの今宵の居場所になれば・・。」

そう思う気持ちは変わらない。



そして。


始めた当時は  

「私の事を知って欲しい気持ち」も

確実に在ったと今はわかる。



今は

「私をわかって欲しい」気持ちよりも遥かに

似た想いや経験の中で痛んでいる人の
私なりにだが
理解出来る逃げ場所になれたらと

願う気持ちの方が大きいし


そこから少し
「ちょっとはわかるかも知れない私は
 こうして生きて来たよ」って

伝えたいと
とても思う。




過程を綴る記事は
あと10年程を書き終えたなら
やっと現在の私の生活となり
現在のリアルな言の葉となる。



書き終えて
その時の現在を綴り始めた時に


今よりも

「置いてきぼり」に苦しまずに


今よりも

強い想いで
揺らがずに

発信して在る月下陽香になりたい。






摂食障害も含む全ての自傷から

1年11ヶ月

なんとか離れて過ごしてる。


でも
今でも呼ばれてる。

つい先日だって

吐きたくなったし
切りたくなった。


だけど。しなかったよ。



なぜ
そこに戻らずに
今闘って在れるのか

ちゃんと言葉にしてゆくね。






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吐いて切り続けた武器で。


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介護生活は1ヶ月と5日となった。


ずっと。
2階の部屋で過ごしていたぽんちゃんは

昨日早朝
突然1階に下りて来た。

自分の足で。


以来1階で過ごしてる。

何が起きたのかな…



様子はまたおかしくなった。

危なっかしい足取りでうろうろする。


テーブルの脚とか
扇風機とか
ぶつかりそうになったり

足元のごはんに気付かずに
踏ん付けて歩いて行ったり

迷ったりしてる。


もしかしたら
目も見えなくなってきたのかな…




この子は
このたった1ヶ月で大きく変わった。

急変する前日まで

ごはんも食べてたし
階段の上り下りも出来たし
テーブルやベッドに飛び乗ったりも出来た。


何かにぶつかったり
ごはんのお皿に足を突っ込む事も無かった。


それが
この1ヶ月で
見る見る内に出来なくなった。


後ろ足はぐらぐらになったし
走るなんて絶対にしなくなったし。

鳴く事もしなくなった。




急激な変化は

ひとつひとつ胸を締め付ける。

とても悲しくて辛い。


でも
きっと
いちばん怖くて不安なのはこの子だね。

この変化を
自分の体に感じて在るのだから。



自分に置き換えると
理解出来るような気持ちが在る。

この数年
私にとって
発声はとても苦しい行為となった。

手術を重ねたこの顎は

このたった数年で
以前は歌えた歌がもう歌えなくなって

途中で
痛みを一度も感じなかったステージは

無く

日常生活では
あくびをする事も無意識には出来ない。


誰にも伝わらない痛みは
孤独を呼び寄せる。



この子もそうかも知れない。

だから出来る限りそばに居てあげたい。










2013年から

月下陽香が

ステージの上で必ず口にして真ん中に掲げてきた

「摂食障害」

「リストカット」

「自傷」。


私にとって「摂食障害」と「自傷」は
人生のほとんどを埋め尽くすものである。

これらと共に生きた20年間と
向き合って生きる事を始めたこの10年間を経て。


摂食障害や自傷の始まりであった
小学生の頃から
現在の私に至る足跡を

2013年7 月7日以来
記事として書き続けて居る。


綴ってきた記事は
「かてごり。」に時代別に分けてあります。


【「1・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(小学生の私)】
   ※4つ の記事があります。

【「2・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(中学生の私)】
   ※7つ の記事があります。

【「3・ 自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」 (高校生の私)】
   ※12の記事があります。

【「4・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(大学生の私)】
   ※17 の記事があります。

【「5・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代前半の私)】
   ※ 61の記事があります。

【「6・自傷と共に生きてきた過程の始まりから。」(20代後半の私)】
   ※ 現在執筆中。




介護が必要になった飼い猫との暮らしや
想いを綴りなが ら。。

【「残された時間を。」 (2014.5.31)】



過程を綴る記事は
前回
20代後半頃の私を記し終えたところ。

【「いつも痛みと共に。 」 (2014.6.3)】



次回からは
30代前半頃の私を書き記してゆく。

大阪に逃げてきてからの私ね。

ぐんと現在の私に近くなる。

昔話と言うよりも
まだまだ最近の出来事になるのかな…


その前に

今日は
過程の続きからは離れて記事を書くね。










5月24日のライブは
大好きでたまらない方々と
共に育てているイベント

「こぼれそうな夜」の第2回目だった。



月下陽香はこの日

初のシングルCDのレコ発を掲げて居た。



とても有難い事に
皆様がお買い求め下さり
当日持ち込んだCDを完売して頂いた。



私をよく知って下さっている方々は

貴重なお時間を割いて
駆け付けてお買い求め下さったり

出演者さんも
みなさまCDを連れて帰って下さった。


そればかりではなく

初めてお会いする方々も

大切なお金をお支払い下さり
お買い求め下さった。



この夜
月下陽香のCDをお求め下さった
最もお若いお客さまは
19歳の青年だった。

出演者さんのご家族でいらっしゃり
お母様とおふたり
それぞれに1枚づつお買い求め下さった。


「ぽんちゃんと同じ歳です。」って
おっしゃっておられた。





19歳。


私の19の頃。


摂食障害も自傷も
既に当たり前の中

学費と生活費に追われて
いくつもバイト掛け持ちしながら

それでも
一生懸命遊びもしてたなぁ…

恋もしてたなぁ…



そんな事も思いながら

家に帰るまでは
ぽんちゃんの無事が気になって
いろいろと深くは考えられなかった。



帰宅後

生きているぽんちゃんを見て

荷物を片付けながら思った。


ネットで音楽が買える時代

19歳の大学生の青年が
CDの為に使って下さった500 円。

大きいなって。



翌日
出演者さんに頂いたメールを見て
改めて思った。

私の楽曲に
大きなお金を使って頂いたんだと。





私は

自分の「不足」を武器にして

生きて居る。


いつ頃からだっただろうか……


自分は「普通」ではない事は
子供の頃から感じて居て

いつも
周りに馴染む為には
自分を押し殺し
嘘の自分を演じていなきゃいけなくて


それはとても疲れる事で

そんな事したって
孤独は益々太るだけで


結局私は
いつもどこにも馴染めてない気がしてた。



そうだ。

音楽に出会ってからだ。


「変わってるね」と言われてきた私に

そこで出会った人たちは
「個性的だね」と言ったんだ。

「いいね」って。



以来私は

自分の「不足」は

「武器」だと

言い聞かせてきた。


いつでもどこでもと言う訳にはいかない。

その都度環境や立場が在るから。

でも
可能な場所に立てる時の私は

そう言い聞かせてきた。




24日に発売したCDの
1曲目の
「キズグチイバラ」の歌詞にも書いて在る。

♪~  …不足を武器にして唇に乗せよう…



私は

私が
私らしく在れる場所では


自分の「不足」を

「武器」に出来たし

そうしなければ生きて在れなかった。







「武器」

・・・辞書を見れば

1・戦いに用いる道具。
 敵を倒したり身を守ったりするための兵器や武具。刀・鎧(よろい)

2・何かを行うための有力な手段となるもの。





…武器を使う事で

威圧して怯えさせたり

相手構わず斬りつけたり
傷付けたり出来る

攻撃に我が身を守る為に
振りかざす事も出来る。


そして。

自分ではない何かを守る為に
掲げる事も出来る。






私は

ここ
「癒え待ちよすが-イエマチヨスガ-」で


摂食障害も
自傷も

晒しながら記事を書き

また

日々の想いに関しては

苛立ちも
悲しみも

出来る限り言葉として記してい る。


まだまだ未熟過ぎて
時にがっつり毒も吐く。



人間は

綺麗事で
日々過ごしてる訳じゃない 。

豊かな感情を持つ人間は

綺麗な感情だけで生きてる訳じゃない。



「人間」である私が

どう気付いて生きて在るか

それも伝えてこそ
月下陽香だと思うから

時に目一杯毒も吐く。




ただ

ここに

摂食障害も
自傷も

晒して記事を書き始めてからは


これでも
少し意識が変わったところもあり

それでも
未だどうしても吐きたい毒は吐く。




これからもそうしてゆくのだろう。




でも。思ったんだ。

自分よりずっと若い19歳の青年。

彼も私の楽曲をそばに置いて下さった。


そうか。

年齢や性別

摂食障害や自傷癖

そういうの関係なく
受け入れて下さる方々もおられるんだ。



ならば私は

今すぐにはまだ無理だけど


吐く毒も
今より選びながら

届けたいメッセージを
もっと明確に伝えてゆける

「人間」にならないといけない。




こうして綴りながら少しづつ向かおう。



私の半分程の人生を生きる彼に
たくさん考えさせて頂いた。


私の人生の半分程を
ぽんちゃんが共に過ごしてくれていた事も。






外は雨。


今夜を越えた明日も
命が在って在れますように。






・・・ (追記) 2014.6.4 23:00 ・・・

ある方の記事を
今読んできた私が
痒い所に手が届くような想いをしたのはなぜか。

そうだ。

私は
私の中に居る
まだ怯えてるまんまの
ちびっこの私に

伝えたいんだ。

現在の嘆きも悲しみも
痛みも苦しみも。

そして
そこに
今の私が希望を持って在る事を。


それが
似た痛みを持つ人の
いつか
そばに置いて頂けるかも知れないと
信じて在るんだ。


だから言いたくなったんだ。

楽曲
「癒え待ち野バラ-イエマチノバラ-」で。

”大丈夫。君は愛される” って。






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自己紹介。

月下陽香

Author:月下陽香
「月下陽香(げっかようこう)」の
ステージネームで
オリジナル楽曲を発信しながら

創作陶芸作家としても活動中。


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